1テサロニケ

2013年4月25日 (木)

1テサロニケ5:25-28 キリスト者はだれでも祈られることが必要

1テサロニケ5:25-28
5:25兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。
5:26すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。
5:27わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。
5:28わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。”
(口語訳)

 パウロのような偉大な人には、わざわざとりなしの祈りをしなくてもいいだろう、というのは間違いです。パウロ[サウロ]はキリスト者に祈ってもらわなくても、キリスト者を迫害することはできました。しかし、キリストの福音をのべ伝えることは、祈りなしにはできなかったのです。サタンは、福音が伝えられないようにと様々な働きをしてきます。サタン軍の力以上の力をもっておられる主にお願いしなくてはサタンに敵対する行動はとれません。
天においても地においてもいっさいの権威をもっておられるのは主イエス様です。(マタイ28:18)
サタンは、私達キリスト者に対してもすきがあれば、信仰をゆがめよう、信仰を眠らせよう、さらには信仰を落とさせようとして働きます。その為には、迫害を起こしたり、偽りを偲びこませたり、キリスト者間に不信の思いを起こさせたり、目の欲、肉の欲、暮らし向きの欲などがかき立てられるようにするのです。
サタンは、狙いをつけた本人がうまくいかなければ、家族を狙うこともあります。
自分自身でも祈らなければなりませんが、お互いの為に祈る必要があります。
私の為に祈ってくださっておられる方に感謝します。これからも覚えてお祈りください。

<すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって>とありますが、その当時のあいさつの仕方です。日本でしたら、笑顔で会釈するでしょう。目を見つめあって握手する国もあるでしょう。
イスカリオテのユダは、裏切りに接吻を用いました。きよくない接吻でした。
当たりまえですが、きよい心であいさつを交わしなさい、と勧められています。暗に偽りはいけないよ、と言っているのかもしれません。

<わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。>とあります。この手紙も新約聖書の一部となりました。新約聖書の中に、パウロの書いた手紙はたくさんあります。ですから、現代的に言い換えると、<わたしは主によって命じる。この聖書を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。>となるでしょうか。
現在日本においては皆聖書を持つことができます。自分で読むことができます。パウロが現代日本に現れたら、「しっかり聖書を読むように主によって命じる」というかもしれません。

<わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。 >とパウロは手紙を締めくくりますが、この祈りは、本当に大いなるものです。キリストの恵みを知ることは神の恵みです。
私は、キリストの福音を聞きながら、そして、自分の罪を悔いたり、反省したりしても、キリストの恵みを得ることができなかった人達を知っています。
言葉でいくら言ってもピンとこないのです。
“あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 決して行いによるのではない。”(エペソ2:8.9)というみことばを思い起こします。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
主イエスを信じる信仰を与えてくださりありがとうございました。
主にある兄弟姉妹が、主にあって歩み続けるために互いにとりなしの祈りをしていく者であらせてください。
聖書を繰り返し繰り返し、何度でも読み続けていけますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

2013年4月24日 (水)

1テサロニケ5:23.24 完全に聖なる者とされる神

1テサロニケ5:23.34
“5:23どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 5:24あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。”(口語訳)

 内にに聖霊が住んでいて下さるなら、主が来られるときには主なる神様から全く責められるところのない者としてしてくださるというのです。本当に感謝なことです。

“願はくは平和の神、みづから汝らを全く潔くし、汝らの靈と心と體とを全く守りて、我らの主イエス・キリストの來り給ふとき責むべき所なからしめ給はん事を。汝らを召したまふ者は眞實なれば、之を成し給ふべし。”(文語訳)

信じるか信じないかというだけのことで説明の要らない箇所だと思います。

<関連聖書箇所>
“主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。”{新改訳(1コリント1:8)}
“主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。”{新共同訳(1コリント1:8)}
“ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。”{口語訳(エペソ1:3‐5)}
“もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。”{新改訳(ローマ8:10.11)}
“すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。”{新共同訳(ローマ11:36)}

2013年4月23日 (火)

1テサロニケ5:14-22 健全なキリスト者としての歩みの勧め

1テサロニケ5:14-22
5:14兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
5:15だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
5:16いつも喜んでいなさい。
5:17絶えず祈りなさい。
5:18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
5:19御霊を消してはいけない。
5:20預言を軽んじてはならない。
5:21すべてのものを識別して、良いものを守り、
5:22あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。”
(口語訳)

 14節を見ると色々なタイプの人がいることが分かります。
<怠惰な者>は、岩波訳では<規律なき者>、新改訳では<気ままな者>、塚本訳では<ふしだらな者>、前田訳では<わがままもの>、新共同訳では<怠けている者>となっています。原語はἄτακτος アタクトスで、1. unarranged 2. (by implication) insubordinate (religiously) KJV訳では<unruly>です。いずれにしてもこのような方に対しては、戒める必要があるということです。しかし、我がままの度合いが強いとかなり反抗してくる恐れもありますね。

<小心な者>は、新共同訳では<気落ちしている者>、塚本訳では<気の小さい者>、文語訳では<落胆せし者>、原語では ὀλιγόψυχοςオリゴプスコスで、1. little-spirited, i.e. faint-hearted、KJV訳では<feebleminded(意志の弱い)>が使われています。
いづれにしても励ます必要があります。

<弱い者>に対しては助けるようにとのことです。私は、体を弱めてからは、助けられぱなっしです。人を助けるどころではなく、何とか迷惑をあまりかけないで生活できるようにと心がけるしかありません。 

<すべての人に対して寛容でありなさい>と言われても御霊によらなければ難しい状況も出てきます。まさに、御霊の実としての寛容が必要になります。

<だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。>ということも、生まれながらの人間にできることではありません。誰もできないのではないかと思います。ひどい目にあわされたら、それに対して敵対行動に出ない場合でも、恨みや怒りは消えないかもしれません。ただ御霊によって変えられた人が御霊に満たされているときだけは可能です。また、ひどいことをされたことによって生じる悪感情を主が消してくださるという場合もあります。場合によっては、ひどいことをした人を憐れむ思いを主がもたせてくださることもあります。

そしてさらに<いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。>と勧めています。特に、テサロニケのキリスト者は、患難の中におかれていたのです。肉的キリスト者であったら、「そんなの無理無理」、で終わるかもしれませんが、パウロは<これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。>と続けるのです。
神が求めていることであれば、そのことをすることができる恵みも備えてくださっておられます。それが御霊によって生きることです。

<いつも喜んでいなさい>というのは、肉的な喜び、この世的な喜びを指しているのではありません。パウロは、ローマ14:17で<神の国は義と平和と聖霊による喜び>といっています。地上の環境に左右されやすいですけれども、いつも主の中にあって喜んでいたいものです。

<絶えず祈りなさい>というのは、一方的に、神様に対して願い事をし続けるということではありません。勿論願い事も入りますけれども、神のことばに聴くこと、神からの語りかけに耳を傾けること、神との絶えざる交わりをいいます。いつも主と共に歩むのです。そうすると、<何時も喜んでいなさい>と命じられていることが実現していることを発見するかもしれません。

<すべてのことについて、感謝しなさい。>とは、またまたすごい命令です。普通、人間は大変なことがあると愚痴ることが多いものです。対人的、社会的、経済的等々の環境に左右されることなく、すべてのことについて感謝しなさい、と言われるのです。良い環境だけではなく悪い環境の中にあっても。
このことも、主を愛し、主に信頼し、主に希望をおきながら、主の内にあって、絶えず祈りながら歩んでいなければ不可能なことです。しかし、そのように歩めれば、そこにはいつも感謝と喜びがあるでしょう。
神様は、キリスト・イエスにあって[ in Christ Jesus]といっています。inが重要です。キリスト・イエスの中になければ不可能なのです。
いつも聖霊に満たされて歩む必要を覚えることです。
御霊の働きを消してしまったら、キリスト者はひどいことになります。
サタンの餌食になるしかありません。
御霊に無視されたらというか、御霊が働けないような歩みをしたら、主に聞き従っている人に与えられる御霊の満たし、御霊の導き、御霊の助け、御霊の慰め、御霊による真理の啓示、真理の解きあかし、御霊による励まし、御霊からの力の付与、その他あらゆる良きものを失うことになりますし、何よりもそれは主の御心ではありません。
<御霊を消してはいけない。>とありますが、消したくはありませんね。

<預言を軽んじてはならない。>とあります。この手紙が書かれた時代はまだ新約聖書が完成してはおらず、神から預かったことばを使徒、預言者、教師たちが語っていました。また、手紙の形のものもありました。しかし、現在では、神から預かった言葉、神が与えてくださったことばは聖書として完結しています。神のことばを軽んじると或いは無視すると、結局はそれは自分の身にかえってきます。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて賛美し感謝します。
あなたは、天にある全ての霊的祝福を与えたくださいました。
ありがとうございます。
あなたが与えてくださっておられる祝福を心から感謝し、あなたを愛し、御霊に満たされて主み続ける者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

2013年4月22日 (月)

1テサロニケ5:12.13 指導する者とされる者の関係

1テサロニケ5:12ー15
“5:12兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、
5:13彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。”
(口語訳)

 主にあって[in the Lord]教会員一人一人の霊性を見つめ指導し、正すべきところを正すよう訓戒している人々を重んじ、愛し、敬いなさい、とパウロは命じます。
注意を受ける人の方がへりくだっていないと、注意する人とされる人の間に軋轢を生ずる場合もあります。また、注意する人も注意すべき人の信頼を勝ち取っていないと難しいものがあります。
まず、大切な一つのことは、主にあって即ちin the Lordです。主の内から外へ出ている人ではどうしようもありません。
キリスト者は、皆、主の羊です。
注意する側の人も、主の羊を預かっているのです。
イエス様は、ご復活の後ペテロに次のように言われました。
“「ヨハネの子シモン[ペテロ]。あなたはわたしを愛しますか。」
ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」
イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」”(ヨハネ21:16)
また、キリスト者同士も、お互いが主のものです。
主のものを躓かせたり、傷めたりすることはできません。
「あなたはいったいだれなので、他人[キリスト]のしもべを裁くのですか。」(ローマ14:4)と主に言われないようにしたいものです。
注意や助言を与えるときは、主から「よくやってくれたね。」と言われるように愛のこもった適切な言動で行いたいものです。
そうでないと、お互いの間に平和がなくなります。パウロは、「互いに平和に過ごしなさい」と締めくくっています。
互いに平和でない状態は、敵対関係です、その間には、敵意や怒りがあります。そのような状態ですと、そこにサタンが介入してくるのです。そして、敵意や怒りの炎を炎上させていくのです。その結果、教会は大変なことになっていきます。

<お祈り>
天のお父様
御名を崇めて賛美します。
すべてのキリスト者は、主のものです。
主の者を傷つけたり、躓かせてしまうことなく、互いに建て上げていく関係であらせてください。
忠告を受けた時は、へりくだって吟味することができますように。
確かに主の御旨に反していることであるならば、忠告してくれた人がいかなる人であれ、悔い改めて、主の御旨にかなうような歩みへと向きを変えることができますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

2013年4月21日 (日)

1テサロニケ5:1-11 キリストの空中再臨を待つ者の心得

1テサロニケ5:1-11
5:1兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
5:2あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
5:3人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。
5:4しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
5:5あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
5:6だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
5:7眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
5:8しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
5:9神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。
5:10キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
5:11だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。”
(口語訳)

 1-3節までは、前回触れました。
1節の<時期と場合>は、4:13-17を受けていますから、キリストの空中再臨と携挙のことでしょう。それは、キリスト者には、なんとなく近づいていることが分かるでしょうが、非キリスト者には分かりません。
旧約聖書を読んでいくと、神を信じる者を救う時と、神に敵対する者を裁くときは、ほぼ同時に訪れています。
教会に通っている人の中には、或いは、自分はキリスト者だと思っている人の中でも、キリストの空中再臨を信じない人がいます。まして、生きたまま天に上げられるということを信じることは難しいでしょう。しかし、そのよう人は、みことばを信じていないのです。というかみことばを信じることができないのです。
主の日は、主が分かる形で介入してくる日であり期間です。信じている者にとっては、9.10節のみことばのように幸いな日ですけれども、主に敵対している者にとっては、3節のみことばのようになります。

 キリスト者に対して、パウロは、キリストの空中再臨を待つ者の心得として、
信仰

希望
慎み
互いに慰め合う
相互の徳を高める
ことに留意するようにと8.11節で語っています。

キリストが十字架の上で死なれてよみがえられたのは、キリストを信じる者が、地上にあろうと、天に移されようと、キリスト信者がキリストとともに生きるためであると10節は語ります。そして、キリストの内にあるなら、キリストとともに生きているのです。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
キリストの空中再臨により、携挙して頂くことを待ち望んでいますが、そのことが起こる前に霊の容れものである肉体だめになり、わたしの霊が地上を離れるようなことになっても、いつでも主の来臨を待ち望む姿勢で生きることができますよう導いていて下さい。
感謝して主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

2013年4月20日 (土)

1テサロニケ5:1-3 主の空中再臨はどのようなとき?

1テサロニケ5:1-3
5:1兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
5:2あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
5:3人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。”
(口語訳)

 キリストの空中再臨の起こる時は、盗人が夜来るように来る、とあります。
新改訳では、1節は、“・・それらがいつなのか、またどういう時かについては、・・”となっています。

いつなのかを限定することはできないと、主イエス様ご自身が語っておられます。(マタイ24:42)

しかし、どういう時かについては、イエス様は、終末に起こることがすべてそろってきたならば、主の来臨はすぐそこですよ、ということをたとえで語られています。(マタイ24:32.33)

預言に対して何がそろってきたのでしょうか。
少し纏めてみたいと思います。
1)AD70年に、ローマ軍によってイスラエル神殿が破壊され、イスラエル人は、イスラエルの地を追放され世界に離散していきました。
エゼキエル36:8‐15に、離散したイスラエル人達が、イスラエルの地に帰って来て住み着く預言が次のようにあります。
36:8しかしイスラエルの山々よ、あなたがたは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。この事の成るのは近い。
36:9見よ、わたしはあなたがたに臨み、あなたがたを顧みる。あなたがたは耕され、種をまかれる。
36:10わたしはあなたがたの上に人をふやす。これはことごとくイスラエルの家の者となり、町々には人が住み、荒れ跡は建て直される。
36:11わたしはあなたがたの上に人と獣とをふやす。彼らはふえて、子を生む。わたしはあなたがたの上に、昔のように人を住ませ、初めの時よりも、まさる恵みをあなたがたに施す。その時あなたがたは、わたしが主であることを悟る。
36:12わたしはわが民イスラエルの人々をあなたがたの上に歩ませる。彼らはあなたがたを所有し、あなたがたはその嗣業となり、あなたがたは重ねて彼らに子のない嘆きをさせない。
36:13主なる神はこう言われる、彼らはあなたがたに向かって、『あなたは人を食い、あなたの民に子のない嘆きをさせる』と言う。
36:14あなたはもはや人を食わない。あなたの民に重ねて子のない嘆きをさせることはないと、主なる神は言われる。
36:15わたしは重ねて諸国民のはずかしめをあなたに聞かせない。あなたは重ねて、もろもろの民のはずかしめを受けることはなく、あなたの民を重ねてつまずかせることはないと、主なる神は言われる」。”
 イスラエルは、1948年5月に14日に独立宣言をしました。その後もイスラエル人は全員ではありませんが、世界中からイスラエルの地に戻って来続けています。
独立宣言直後に、周辺諸国は、イスラエルをつぶそうと戦争を仕掛けましたが、イスラエルは圧倒的な不利の中にあっても勝利しました。その後いくつかの中東戦争を経て、国土は拡大し、現在に至っています。これからも、イスラエルを抹殺しようとの戦いが繰り広げられます{(詩編83編)(エゼキエル38.39章)}が、イスラエルは守られます。
「わたしは重ねて諸国民のはずかしめをあなたに聞かせない。あなたは重ねて、もろもろの民のはずかしめを受けることはなく、あなたの民を重ねてつまずかせることはないと、主なる神は言われる」(15)とあるからです。
 イスラエル人は、1900年弱の年月を経てイスラエルの地に帰ってきたのです。
まず、イスラエルが再建されなければ、キリストの再臨はないのです。ですから、それ以前にキリストの再臨があると言っていた異端の宗派は、預言を見落としていたのです。また、今でも主の再臨の年月日を予言する人がいますが、それは主のお言葉に反します。主は、近いことが分かる、とおっしゃったのです。

2)マタイ24章に見る産みの苦しみ、即ち神の国[キリストの千年王国]が生み出される産みの苦しみの初めの兆候として、主は次のように語られました。
24:5多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
24:6また、戦争戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
24:7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
24:8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
24:9そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
24:10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
24:11また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
24:12また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。”

3)終りの時代の人々の心や行動の状態
3:1しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
3:2その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3:3無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
3:4裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
3:5信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
3:6彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。
3:7彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。”(2テモテ3:1-7)

4)イスラエルとパレスチナとの平和条約とエルサレム神殿の再建
ダニエル9:24-27にダニエルに与えられたイスラエルとエルサレムについての預言が次のようにあります。
9:24あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
9:25それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
9:26その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。 ”
 26節までの預言は成就しました。27節はこれからのことです。26から27節の間に教会時代が入りました。
<・・一週の間・・多くの者と堅く契約を結ぶ>というのは、7年間の包括的中東和平条約が結ばれる、ということでしょう。それまでの預言の検証から一週は7年のことを指していることが分かっています。
<犠牲と備えものとを廃する>前には、神殿が建てられていなければなりません。イスラエルでは、その準備がされています。しかし、その週の半ば、即ち平和条約締結から3年半後に、神様からご覧になって荒らす憎むべき者と言われるサタンの代理者の人間である反キリスト[時の世界支配者]がエルサレムのユダヤ神殿に立つのです。
主イエス様は、マタイ24:15-22でイスラエル人に対して次のように言われました。
“「24:15預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
24:16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
24:17屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
24:18畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
24:19その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
24:20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
24:21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」”
これは、エレミヤ30:7にあるヤコブの苦難の時です。
しかし、反キリストとその軍勢は、キリストの地上再臨によって滅ぼされます。1テサ5:3にあることが起こると考えています。
 キリスト者[再生された霊の内にキリストの御霊の宿っている人]は、最後の7年の期間は、地上にはおらず、天にいると私は考えています。
キリスト者は、中東和平条約の調印式を見ることはないかもしれませんし、エルサレムの神殿の再建も見ないでしょう。しかし、神殿再建の準備や平和条約の進捗状況を見ることはできます。

5)新世界秩序(NWO)
経済崩壊、宗教問題、領土問題等々から世界戦争へと行かないように、また、異常気象による食糧難等々から、人命を守るためにというスローガンで、紆余曲折をたどりながら、初めは、それほど目立たなくても短期間のうちに頭角を現し、最後は、世界統一政府を樹立していく世界統治者即ち反キリスト[獣]が登場します。この獣はサタンから力を与えられその権威をもっています。
キリスト者は、その方向性を見るだけで、それを目にしないであろうと私は思います。
反キリストが活躍できるのは、聖霊がおられる教会が天に挙げられた後だからです。
ですから携挙の後、あっという間に進んでいくのだろうと思います。光である神の霊が天に戻られてしまうからです。霊的にも光が無くなれば闇はすぐに来ます。特に、キリストの地上再臨前の3年半は、地上では、闇の王であるサタンが暴れまわります。
ダニエル7:20-27には次のようにあります。
7:20この獣の頭には、十の角があったが、そのほかに一つの角が出てきたので、この角のために、三つの角が抜け落ちた。この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。
7:21わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、
7:22ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。
7:23彼はこう言った、
『第四の獣は地上の第四の国である。
これはすべての国と異なって、
全世界を併合し、
これを踏みつけ、かつ打ち砕く。
7:24十の角はこの国から起る十人の王である。
その後にまたひとりの王が起る。
彼は先の者と異なり、
かつ、その三人の王を倒す。
7:25彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、
かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。
彼はまた時と律法とを変えようと望む。
聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、
彼の手にわたされる。
7:26しかし審判が行われ、
彼の主権は奪われて、
永遠に滅び絶やされ、
7:27国と主権と全天下の国々の権威とは、
いと高き者の聖徒たる民に与えられる。
彼らの国は永遠の国であって、
諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』。”

黙示録13章には次のようにあります。
13:1わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
13:2わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
13:3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
13:4また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
13:5この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
13:6そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
13:7そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
13:8地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
13:9耳のある者は、聞くがよい。
13:10とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
13:11わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
13:12そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。 1
3:13
また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
3:14さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
13:15それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
13:16また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
13:17この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
13:18ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。”
体内埋め込み型マイクロチップは、すでに愛玩動物において実用化されています。
現代は、この方向へ向かっているように思えます。

詳しくは、私が以前に書いた黙示録を参照してください。

6)天体の異変(太陽や地球も含まれます)
現代でも、地球の気候や太陽の活動が段々とおかしくなってきているように感ぜられますが、最後の七年間の時には、すっと激しくなります。海の波は大きくなり、太陽は熱波を出したり、活動を甚だ減少させたり、色々になると黙示録にあります。また、隕石もたくさん降ってくると読める預言もあります。
21:25また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、
21:26人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。”(ルカ21:25.26)とイエス様は言われました。
その他黙示録には色々と預言されています。
これらのことは、キリストの空中再臨と地上再臨の間の七年間に起こることでしょう。
今起きている様々な災害は、ある意味警告であるのかもしれません。
早くイエスを信じなさいと。

2013年4月19日 (金)

1テサロニケ4:13-18 キリストの空中再臨と携挙

1テサロニケ4:13-18
4:13兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
4:14わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
4:15わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
4:16すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
4:17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
4:18だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。”
口語訳)

 キリストの空中再臨は、イエス・キリストを信じ、霊が再生されて、その人の内に聖霊が住んでいて下さる方にとっては大いなる喜びです。その人達は、一度も死ぬことなく、天に引き上げられるからです。地球は丸いので、ある人は起きている時間であったり、ある人は寝ている時間であったりしますが、グーグー寝ていても大丈夫です。携え挙げてくださる(携挙)からです。原語は、ἁρπάζωハルパゾーとなっていますから。
聖書に書いてあることはその通りに起こるのです。
ハルパゾーは、to seize、catch upです。

キリストの空中再臨の後、中東では、イスラエルとパレスチナやその他の諸国が一時的に平和になります。平和条約が結ばれるからです。

キリストの空中再臨の時に、主イエス・キリストを信じていない人は、そのまま地上に残されます。
その時から、キリストの地上再臨までの間は、約7年間です。
この期間は、人類が歴史上経験したことがないほどの困難な時代になります。
今でも、地震は増加し巨大化していますが、この期間は、それがもっとひどくなることでしょう。今でも、やや異常気象気味でありますが、その時にはそれがもっとひどくなりひどい飢饉が発生します。その上、戦争がおこるので、飢饉はより加速されます。また、パンデミックが発生して大勢の人がなくなります。

食糧事情が極端に悪くなるので、世界的な統制経済が敷かれます。
その時代は、額か右手にバーコードのような記し{666[獣(反キリスト・世界支配者)]の刻印}が入れられます(バーコードのスタイルではないかもしれませんが、いずれにしても獣の刻印です)。それがないと物を買うことができません。バーコードのような印を入れる権威者は、サタンの使い(人間)です。その人がその時代の最高権力者で、世界を支配します。その時代にイエス・キリストを信じて飢え死にしようが、殺されようが額か右手に印を入れない人は、第一の復活に与ってキリストの千年王国に入れます。しかし、刻印を受ける人は、永遠の地獄へ行かなければなりません。

まだイエス・キリスト様を信じ受け入れていない方は、是非、イエス・キリストを信じ受け入れてくださいますようお願いします。
終末の聖書預言と世界情勢がほぼ一致し始めているからです。
携挙されなかった人は、イエス・キリストを信じて殉教してください。
そうすれば第一の復活に与る祝福を受けることができます。
人間の本体は、肉体ではありません。肉体は入れ物(器)です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<聖書参考箇所(一部)>
“24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
24:4 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
24:5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。”(マタイ24:3-14)

“6:1 また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを私は聞いた。
6:2 私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。
6:3 小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。
6:4 すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
6:5 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。
6:6 すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
6:7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい」と言うのを聞いた。
6:8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。
6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい」と言い渡された。
6:12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
6:13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。”(黙示録6:1-13)

“13:16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
13:18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。”(黙示録13:16-18)

“20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
20:3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。”(黙示録20:1-4)

2013年4月18日 (木)

1テサロニケ4:9-12 兄弟愛と自ら働くことの勧め

1テサロニケ4:9-12
4:9兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、
4:10また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。
4:11そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。
4:12そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。”
口語訳)

 9節の<兄弟愛>は、φιλαδελφίαフィラデルフィアです。
<あなたがたは、互いに愛し合うように>の<愛し>は、ἀγαπάωアガパオーとなっています。
主イエス様が、罪人である私たち人間を贖うために十字架におつきになられる前に、弟子たちに新しい戒めを命じられた次の聖句の<愛し>もἀγαπάωアガパオーとなっています。
“「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」”(ヨハネ13:34)
ἀγαπάωアガパオーは、動詞で、名詞はアガペーです。
1ヨハネ4:16の“神は愛です。(God is love.)”の<愛>は、アガペーです。アガペーであらわされる神の愛は、キリストの十字架によって良く理解できるようになりました。
その愛を理解するためにローマ5:6-10のみことばを見てみます。
“5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。”
新約聖書におけるアガペーは、神的、自己犠牲的、他者中心的な愛という意味で使われています。新約以前、アガペーは、「気にいる」や親愛の情を示す程度であったとのことです。(参考:新聖書辞典)

φιλαδελφίαフィラデルフィアは兄弟愛です。
兄弟、両親、友達などを愛するというときには、φιλέωフィレオーを使います。
“「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」”(マタイ10:37)の聖句に出てくる愛するは、φιλέωフィレオーです。
性的愛を表すエロースは、聖書の中では用いられていません。

人間は、生まれながらに自己中心的、自己保存的だと思います。
およそアガペーとは縁がないように生まれてきたのではないでしょうか。
アガペーの愛で愛することは、キリストを信じて、霊的に新しく生まれさせて頂き、再生された霊の内に遣わされた御霊によって愛するのでなくては不可能に思います。
肉の中には、フィラデルフィアはあるでしょうが。

<兄弟>について
この世の両親から生まれた子どもたちは、兄弟です。即ち肉の兄弟です。
御霊によって生まれた人達は、主イエス・キリストの父なる神の子とされました。その子どもたちは、霊の兄弟です。
肉の兄弟は、この世だけのものですが、霊の兄弟は永遠です。肉の兄弟も同時にすべて霊の兄弟とされることを願っています。
9節のみことばによると霊の兄弟の間で互いに愛するというとき、アガパオーが使われています。生まれながらの肉によって愛するのではなく、主からくる愛によって互いに愛し合うということになります。
その愛も、現れに量的違いがあることが10節から分かります。
川でたとえれば、細い細い川幅をチョロチョロ流れる水の量から、川幅の広い大河を流れる水の量のように。

11.12節は、同じ内容が、テサロニケ人への手紙2で詳しく出てきますので、そのところで書くことにします。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
主イエス様は、「あなた方は互いに愛し合いなさい」と命じられました。
しかし、そのようにできたりできなかったりしているものです。
主イエス様が命じられたように生きれますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

2013年4月17日 (水)

1テサロニケ4:3-8 神の御心はきよくなること

1テサロニケ4:3-8
4:3神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、
4:4各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、
4:5神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、
4:6また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。
4:7神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。
4:8こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。”
(口語訳)

 読めばそのまま分かる箇所ですが、気になることを少し記します。
3節を見ると「あなた方がきよくなること…即ち不品行を慎み・・・」となっていて、きよくなることは不品行をしないこととイコールで捉えてしまうとそれは少し外れてしまします。不品行を行わないことは聖なる歩みの一部分です。

3節の<清くなる>(口語訳)の<清>を新改訳では<聖>、岩波訳でも<聖>、前田訳でも<聖>、文語訳と塚本訳は<潔>としています。
<清>は、漢和大辞典では、「心や行いにけがれがないさま」、とあります。
<聖>とは、耳と口と人の足の部分が土の上にまっすぐに立っているさまだそうです。壬ははらのふくれたさまですがそれとは違います。真ん中の棒は短くて土です。初めの象形文字はこのブログでは書けませんのであしからず。聖は、人が土の上に足をまっすぐにのばしたさまに口を加えた呈すなわちまっすぐ述べるさまに耳がついていて耳がまっすぐに通ること、分かりが良い、さとい、まっすぐに語るなどの意となる、ということです。
<潔>は、さっぱりとしたさま、けじめただしいこと、とあります。

しかし、最も大切なのは、原語です。原語は、ἁγιασμόςハギアスモスで、英訳聖書では、holinessや sanctificationなどと用いられています。
 漢字からは、意味を読みとれないものそれがἁγιασμόςです。新キリスト教辞典の聖の項目は、千代崎先生が執筆されています。とても分かりやすくまとめられているので簡潔にして下記します。

〔①神の聖とは:主なる神の道徳的属性の一つというよりも、神の全存在を指す。
絶対的に聖であられる主が、その聖性を相対的に部分的に、人または事物に付与なさることも、聖書の教えるところである。

②聖の語根と語義:旧約聖書の聖を表す代表的な語根は、qds。
語根的意味:光輝、分離(隔離)、崇高、純潔などと推測される。
新約聖書では:ἅγιοςハギオス。=神によって、または神の為に、他のものとは別にして取っておかれた、の意。神について用いられるときは、神のみに属する聖、尊厳、栄光を表す意味で用いられる。

③神の聖:「聖」という概念は、本来的には、他の一切から超越し隔絶された絶対的存在者である創造者であり贖罪者である主なる神にのみ当てはまる。
「聖性」は「神性」とほぼ同義である。その聖性から各種の属性が現れてくる。

④聖別:神の所有、所属とされることを表す。対象は、人、物、時など。
聖別の主体は神である。
聖別は主なる神との関係(神の所有、神に所属)を中心とする。

⑤聖化:聖化は、聖書用語ではなく、神学用語である。
聖化は、信じる人に対して神がなさる恵みの業であり、神の聖なる性質を分与される側面をもつ。〕

聖化を可能ならしめるのは、神の側では、神の愛とキリストの血と聖霊とみことばであり、人の側では、悔い改めと信仰であろうと思います。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
あなたは、あなたを信じる者を神の所有の民とされました。それのみか、神の子どもとして下さり、御子の御霊を遣わして下さって、親しくイエス・キリストの父なる神と交わることができるようにして下さいましたことを感謝します。
私が聖であるから、あなた方もあらゆる行いにおいて聖なる者とされなさいというあなたの御旨に沿って歩み続ける者として下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

[関連聖句]
“あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。”(1ペテロ1:15)
“すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。”(エペソ1:4)
“しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。”(1ヨハネ1:7)
“それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(ヘブル9:22)
“しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。”(ヘブル9:11-14)
“しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。”(2テモテ2:13)
“神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。”(テトス3:5)
“キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、”(エペソ5:26)
“もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。”(1ヨハネ1:9)
“彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。”(使徒15:9)

2013年4月16日 (火)

1テサロニケ4:1.2 神を喜ばす歩みの勧め

1テサロニケ4:1.2
4:1最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。
4:2わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。”
(口語訳)

 パウロは、主の御旨にかなって歩むようにと命令することができましたが、多くの場合、パウロは「お願いします。」と言っています。
主のお言葉を聞いた者が、いやいや行うのではなく、神と人に対する愛の故に自主的に行うのでなくては意味をなさないからではないかと思います。(1コリント13:1-3)(ピレモン14)
「お願いします」という言葉に親が子をいとおしく愛するようなパウロの心情を垣間見るような感じがします。
 キリスト者は、父なる神から良きものを無尽蔵に頂きましたし、これからも頂き続けます。そのように愛をもって祝福してくださる父なる神様に対して、子として御父を愛し、御父を喜ばすことは至極当然のように思えます。
神を喜ばす方法は、まことの神である御父の御旨の内を歩むことです。

 パウロの「お願い」、パウロはそれをキリスト者に対し神の御旨の内を如何に歩むのかということについて具体的に語る前によく語ります。

ほかの手紙での事例
“そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。”(ローマ12:1.2)

“さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。”(1コリント1:10)

“こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。”(2コリント5:20.21)

“兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。”(1テサロニケ5:12.13)

“むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。(ピレモン9-14)

<お祈り>
天のお父様
主イエス様は「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と言われました。恵みによって、イエス様という狭い門から入らせて頂きました。これからもイエス様を信じ続け、教えられている御旨に従って歩み続けていくことができますようお導きください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

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