ローマ人への手紙

2013年7月26日 (金)

ローマ16:21-27

ローマ16:21-27
16:21わたしの同労者テモテおよび同族のルキオ、ヤソン、ソシパテロから、あなたがたによろしく。
16:22(この手紙を筆記したわたしテルテオも、主にあってあなたがたにあいさつの言葉をおくる。)
16:23わたしと全教会との家主ガイオから、あなたがたによろしく。市の会計係エラストと兄弟クワルトから、あなたがたによろしく。
16:24わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように、アァメン。〕
16:25 16:26願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、
16:27すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。 ”
(口語訳)

 同労者とコリント教会の中核のキリスト者のあいさつ、そして頌栄でローマ人への手紙は閉じられています。
この手紙は、この箇所で、テルテオがパウロの口述を筆記したということが明らかにされています。
24節は、有力な多くの写本には無いということです。

25.26節をギリシャ語聖書に書かれているフレーズ順に翻訳してあるのは、次の岩波訳聖書です。
16:25あなたがたを強固にすることができる方に、〔すなわち、〕私の福音とイエス・キリストの宣教によって、また永遠の時にわたって沈黙させられてきた奥義の啓示によって、
16:26しかし今や、預言の書をとおして明らかにされ、信仰の従順へ〔と至らせるため〕の永遠の神の命令のままに、すべての民に告げ知らされた奥義の啓示によって〔あなたがたを強固にすることができる方に〕、
16:27すなわち唯一の、知恵ある神に、イエス・キリストをとおして、栄光がとこしえにあるように。アーメン。”

<私の福音>:私[パウロ]に啓示された福音。私が信じている福音。
<イエス・キリストの宣教>:イエス・キリストをのべ伝えること。イエス・キリストの福音の宣教。パウロがいう私の福音とは、イエス・キリストの宣教のことです。
<長き世々に亘って隠されていたが、今やあらわされ、預言の書を通して>:
私の福音~預言のところまでをヘブル人への手紙では、
“神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。”(ヘブル1:1-4)と記しています。

 私達を力ずけることのできる方、私達を強固にすることのできる方、それは唯一の神です。
神様と交わることが出来れば、自然に神様をほめたたえる者となることでしょう。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
あなたは、パウロと筆記者テルテオを用いて、私達にローマ人への手紙を残してくださいました。心から感謝します。
ローマ人への手紙を通して、教理的に詳しく教えてくださいましたことを感謝します。
パウロとともにあなたをほめたたえます。
唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にありますように、アーメン。

2013年7月25日 (木)

ローマ16:17-20 正しい教えから離れて分裂を引き起こす者に注意

ローマ16:17-20
16:17さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。
16:18なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。
16:19あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのために喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。
16:20平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。

どうか、わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。”(口語訳)

 初代教会の時代から、正しい教えから逸脱し間違ったことを教えて、無知な人々や心の定まらない人々を自分の側に引き入れようとする人たちは、いつの時代にもいたようです。コリント人への手紙、ガラテヤ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙などを読むとそう思います。
 現代でも、キリスト教の顔をして色々な教えを説く人達がいます。
神主権を追いやっている、人主権のキリスト教。ヒューマニズム的キリスト教。
神は愛ですからそのままでいいのですよ、と言って我ままを助長し、十字架を担うことは教えないキリスト教。
キリストはすべての人の為に死んでくださった、ということのみを強調し、キリストを主と信じていない人にもあなたは救われています、という教え。
如何なる宗教でも、人がよい行いをしたら救われます、という教え。キリストに在って(in Christ) 、ではない行いによいものはありません。
その他、色々あるでしょう。

自分の欲望に基ずいて、間違った教えを持って来て、自分達の方へと引き入れようとする人たちは、キリストに仕えているのではなく、本人も気がつかない内にサタンに用いられているのです。
私達は、絶えず、聖書を読み、何がよくて何が悪いのかを識別する必要があります。パウロは、「あなたがたがあらゆる霊的な知識と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。」(コロサイ1:9)ととりなしの祈りをしています。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
パウロが祈ったとりなしの祈りを自分に当てはめて祈ります。
私が、あらゆる霊的な知識と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。
真理の御霊を内住させてくださっておられますことを感謝します。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

 

 

2013年7月24日 (水)

ローマ16:1-16 素晴らしい兄弟姉妹達

ローマ16:1-16
16:1ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。
16:2
どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。
16:3キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。
16:4彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。
16:5また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である。
16:6あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい。
16:7わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。
16:8主にあって愛するアムプリアトに、よろしく。
16:9キリストにあるわたしたちの同労者ウルバノと、愛するスタキスとに、よろしく。
16:10キリストにあって錬達なアペレに、よろしく。アリストブロの家の人たちに、よろしく。
16:11同族のヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家の、主にある人たちに、よろしく。
16:12主にあって労苦しているツルパナとツルポサとに、よろしく。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく。
16:13主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。
16:14アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよび彼らと一緒にいる兄弟たちに、よろしく。
16:15ピロロゴとユリヤとに、またネレオとその姉妹とに、オルンパに、また彼らと一緒にいるすべての聖徒たちに、よろしく言ってほしい。
16:16きよい接吻をもって、互にあいさつをかわしなさい。キリストのすべての教会から、あなたがたによろしく。 ”
(口語訳)

 ローマ人への手紙は、教理的にも非常に大切な手紙です。この手紙をパウロから託されて運んだのが、ケンクレヤ教会の女性執事フィベさんです。ケンクレヤは、コリントの近くにある港町です。また、ローマ16:23によると、「私と全教会の家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。」とありますから、執筆場所はコリントではないかと思われます。(参照:1コリント1:14)
女性執事のフィベは、コリントからローマまで、この手紙を運んだのです。今から2000年前のことですから、すごいなーと私などは思います。

 この当時、ローマの家の教会には、素晴らしい信仰者達が多くいたことがこの聖書箇所からも分かります。
プリスカとアクラ(3)を、パウロは同労者であると言っています。それだけではなく、キリストの故に自分の命の危険をかえりみずパウロを守ったこともあったと言っています。これはエペソでの騒動のとき身を呈してパウロを守ったということなのかもしれません。(参照:使徒18.19章)
マリヤ(6)は、ローマ教会の人たちの為に非常に労苦した、と言われています。
アンドロニコとユニアス(7)は、パウロと一緒にキリストの故に投獄された人達であると書かれています。
ウルパノ(9)は、キリストにあるパウロの同労者です。
アペレ(10)は、キリストにあって練達した、と書かれています。ローマ5:4では、文語訳・口語訳で<練達>と訳しているところを新改訳では<練られた品性>と訳しています。
ツルパナとツルポサ(12)は、主にあって労苦している、と言われています。
ペルシス(12)は、非常に労苦した、と言われています。
ルポス(13)は、主にあって選ばれた[キリスト者としてすぐれている]人と言われています。
ルポスの母(13)は、パウロに対して母のように接してくれると共に、パウロも母のように思えた人なのでしょう。パウロは、ルポスの母から心にしみいる慰めやいたわり励ましなどを受けていたのかもしれないと想像します。(1テサロニケ2:7.8からのパウロの母親像の想像です。)

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
この箇所から、多くの素晴らしい兄弟姉妹達を見させて頂きました。
やがて天において、見たこともなく話したこともない、それでいて心の通い合うすべての兄弟姉妹達に会える事は大いなる楽しみです。
あなたは素晴らしい神の家族を造ってくださいました。
主イエス・キリスト様の御名によって感謝してお祈りします。
アーメン

2013年7月23日 (火)

ローマ15:22-33 ローマ、イスパニヤへの思い

ローマ15:22-33
15:22こういうわけで、わたしはあなたがたの所[ローマ]に行くことを、たびたび妨げられてきた[妨げられてきた理由は、まだ福音が伝えられていなかったアジヤやマケドニヤ地方に福音を伝える必要があったからである]
15:23しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤ
[スペイン]に赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、
15:24その途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。

15:25しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている。
15:26なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。
15:27たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。
[この件については、1コリント16:1-3、2コリント8.9章に詳しく書かれています。]
15:28そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実[エルサレムの聖徒の中の貧しい人々を助けるための募金]を手渡した後、あなたがたの所[ローマの兄弟姉妹のところ]をとおって、イスパニヤに行こうと思う。
15:29そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる
[霊的]祝福をもって行くことと、信じている。
15:30兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。
15:31すなわち、わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ、そしてエルサレムに対するわたしの奉仕が聖徒たちに受けいれられるものとなるように、
15:32また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共になぐさめ合うことができるように祈ってもらいたい。
15:33どうか、平和の神があなたがた一同と共にいますように、アァメン。”
(口語訳;[  ]内は筆者挿入)

 後に、パウロは、ローマに行くことが出来ました。
パウロは、「わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ、そしてエルサレムに対するわたしの奉仕が聖徒たちに受けいれられるものとなるように(31節)、兄弟達よ、・・・私の為に神に祈って欲しい(30節)」と言いましたが、パウロのローマへの旅は、パウロがキリストの奉仕者として働いたために、無罪であるにもかかわらず、ユダヤ人達からひどい迫害を受け囚人として大変な思いをさせられててローマへと連れて行かれたのです。その顛末は使徒21:17~28章までに詳しく書かれてあります。しかし、このパウロの大変な思いも、多くのキリスト者に時代を超えて豊かな恵みをもたらしたのです。
また、神様は、パウロが囚人とされ裁判にかけられるようになった故に、パウロの裁判に関わった時の権力者や、ローマの兵士などといった普通では福音に触れにくい人達も直接パウロの口から語られる福音を聞いたのです。
パウロやローマの兄弟姉妹達の祈りを超えて、主はパウロを迫害や困難からただ守るというのではなく、迫害や困難を通してご自身の恵みを表されていったのです。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
パウロのローマへ行って福音を伝えたい、ローマの兄弟姉妹達と霊的恵みを分かち合いたい、共に励ましを受けたい、という願いはすべて主に聞き入れられました。しかし、トラブルなくスムーズにいくようにとという祈りは受け入れられませんでした。しかし、そのことによってはかり知れない恵みを多くの人たちが時代を超えて受けることが出来るようになりましたことの故に主の御名を崇めます。私達が祈っても答えられない事柄の中に或いは似たようなことがあるのかもしれません。しかし、あらゆる場合に主をほめたたえつつ歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・
「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。・・・
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:33.36)

2013年7月22日 (月)

ローマ15:14-21 手紙を書いた理由とパウロの奉仕の目的と動力

ローマ15:14-21
15:14さて、わたしの兄弟たちよ。あなたがた自身が、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互に訓戒し合う力のあることを、わたしは堅く信じている。
15:15しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。
15:16このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。
15:17だから、わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである。
15:18わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、
15:19しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。
15:20その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。
15:21すなわち、
「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」
と書いてあるとおりである。 ”
(口語訳)

 手紙を書いた目的
パウロは、ローマの兄弟姉妹達を、善意に溢れる人達であり、霊的な知恵に満たされた人達であり、互いに訓戒し合うことのできる人達であると思っていますよと言っていますが、霊的知識の記憶をもう一度新たにしてもらうために書いた、とへりくだって言っています。実際はどうであったのかな、と思います。パウロは、反感を持たれることなく読んでもらうための方便でこのように書いた面もあるのではないでしょうか。しかしローマ16:3‐15を読むとここにいる兄弟姉妹達の中には、文字通りの人達もいたことも確かだと思います。
いずれにしても、パウロは神から賜った恵みによって書いた、と述べています。
ローマ人への手紙は、神について、罪について、救い(義)について、きよめについて、内的な罪について、罪からの解放について、御霊の法則による歩みについて、キリスト者の将来と勝利について、イスラエルに対する神様の御計画について、キリスト者の対自的、対神的、対兄弟的、対社会的あり方、パウロの心情、思いを通しての奉仕者への啓発、などを読むことが出来ます。

 奉仕の動力
パウロの奉仕の動力は、キリストにより、聖霊の力のよっているということが18.19節から分かります。
私達一般のキリスト者も動力は聖霊です。

 パウロの奉仕の方針・目的
パウロは、キリストによって、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者とされました(16)。異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである(16)。とあります。
このことは、ローマ12:1の「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」というみことばを思い起こさせてくれます。
また、福音宣教について、パウロは、「わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さった」(18.19)と証しています。
また福音を語るにあたり、福音を語る場所については、他のキリストの働き人が手をつけていないところを選んでいった、とも述べています。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
私たちキリスト者も、内なる御霊の力と導きによってご奉仕の一端へと加えさせて頂けますことを感謝します。
一人一人に主ご自身が願っておられることを示してくださり、導いてください。
主イエスキリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2013年7月21日 (日)

ローマ15:1-13 兄弟姉妹との関わりにおいてはキリストを模範として

ローマ15:1-13
15:1わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。
15:2わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。
15:3キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりであった。
15:4これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
15:5どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、
15:6こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
15:7こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。
15:8わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、
15:9異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、
「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。
15:10また、こう言っている、
「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。
15:11また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
15:12またイザヤは言っている、
「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。
15:13どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。”
(口語訳)

 この箇所は14章からの続きで他のキリスト者との関係について教えています。
1-3節を理解しやすくするために言葉を[  ]内に挿入します。
15:1わたしたち強い[信仰をもつ]者は、強くない[信仰をもつ]者たちの弱さをになうべきであって、[信仰の弱い者たちのことを考慮しないで、自分の信仰に基ずいて]自分だけを喜ばせることをしてはならない。
15:2わたしたちひとりびとりは、[信仰の弱い]隣り人の徳[即ち霊的成長]を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。
15:3キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と[詩編69:9に]書いて[預言されて]あるとおりであった。
 主から流れてくる愛は、いつでも自分のことだけではなく隣人を配慮していく愛です。
ピリピ2:1-5(文語訳)には、“この故に若しキリストによるすすめ、愛による慰め、御靈の交わり、また憐れみと慈悲とあらば、なんぢらおもいを同じうし、愛を同じうし、心を合せ、思ふことを一つにして、我が喜びを充しめよ。何事にまれ、徒党また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。おのおの己が事のみを顧みず、人の事をも顧みよ。汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。”とあります。

15:4これまでに書かれた事がら[昔書かれたもの(新改訳)、旧約聖書]は、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。 
旧約聖書を軽視する人達もいますが、現在新約聖書として認定され用いられているものの中に旧約聖書からの引用が多数あります。旧約聖書を読まなければ新約聖書をより深く知ることはできません。また、預言については旧約聖書の中にまだ成就していないものがたくさん残っています。旧約聖書を読むことによって忍耐と慰めと希望をパウロは得ていたのです。捕らわれの身となっていたパウロの最晩年、パウロはテモテに羊皮紙の物、即ち恐らくは旧約聖書を持って来てくれと頼んでいます(2テモテ4:13)。

15:5どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、
15:6こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
5.6節で、忍耐と慰めを与えてくださる主なる神に、パウロは思わずとりなしの祈りをささげています。
<同じ思いを持って>という箇所をキリスト抜きで考えてしまう人をときに見受けますが、<キリスト・イエスにならって>という処が大切です。キリスト・イエスに一人一人がならっていれば、自然に、互いに同じ愛の思いになるということであろうと思います。

15:7こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。
15:8わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者[ユダヤ人]の僕となられた。それは父祖たち[アブラハム・イサク・ヤコブ]の受けた約束を保証すると共に、
15:9異邦人[イスラエル人以外の者]もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、
「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおり[と2サムエル22:50でダビデが主を賛美しているように]である。
15:10また、[申命記32:43では]こう言っている、
「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。
15:11また、[詩編117:1では]
「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
15:12またイザヤは[イザヤ11:10、42:4で次のようなことを]言っている、
「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。である。
 パウロが宣教していた時代、上記の記述で分かるように、お互いに受け入れ合うのが難しかったキリスト者間のグループに、ユダヤ人と異邦人というグループがありました。パウロは、キリストによって救われた者達は、ユダヤ人も異邦人もキリストにあって一つですよ、とこの箇所のみならずパウロのほかの手紙でも述べています。

パウロは最後に次のようなとりなしの祈りをしています。
15:13どうか、望みの神[希望の源である神]が、信仰から来る[主を信じ主に信頼することによって主から与えられる]あらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望み[希望]にあふれさせて下さるように。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
キリスト・イエスの心を心とした歩みをすることが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

 

 

 

 

2013年7月20日 (土)

ローマ14:14-23 神の国は義と平安と聖霊による喜び

ローマ14:14-23
14:14わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
14:15もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。
14:16それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。
14:17神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。
14:18こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。
14:19こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。
14:20食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。
14:21肉を食わず、酒を飲まず、そのほか兄弟をつまずかせないのは、良いことである。
14:22あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。
14:23しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。”
(口語訳)

 この箇所は14章前半に続いて、食べ物、飲み物のことで躓くな躓かせるなということが書いてあります。食物についていえば、私達現代人は、ここに出てくるような心配はしないと思います。普通の人は何でも食べているからです。パウロの頃の異邦人社会では、偶像にささげた肉が捧げられていない肉と混ぜられて売られているときそれを食べてもよいものかどうなのか、また、ユダヤ人の場合には、主イエス様の贖いが成就する前は、食物規定に縛られていました。この食物規定は、霊的な事を学ばせるためと健康の為に神様が導入されたものと思われますが、ユダヤ人は食物規定に縛られていたのです。それは、使徒10:1-28にあるコルネリオのところに遣われたペテロの話しを読んでも分かります。
また、酒についてですが、一滴飲んでも罪だと考える人もいます。私は、そのようには考えません。もしそうであったら、キリストも罪を犯したことになるのです。キリストが罪を犯したならば、私達罪人を贖うことはできません。酒に酔うような状態がいけないのだと私は捉えています。酔って罪を犯すことのないようにという神様の配慮だろうと思うのです。パウロは、テモテに緊張緩和の為に反って勧めました。だからといって断酒している治療中のアル中の人の前で飲んだらどうでしょうか。それは、その人を苦しめることになります。また、キリスト者で一滴も酒を飲んではならないと思っている人の前で飲んだらどうでしょうか。その人の良心を汚すことになります。他のキリスト者をつまずかせてはなりません。日本人は、異邦人社会ですので、キリスト教式以外の葬儀の事柄の対応に対してもキリスト者の間で意見の相違があります。躓かせないように、つまずかないようにしたいものです。

 神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びです。即ち、神である聖霊に満たされていたならば、そこには、御霊の実である御霊から流れ出る喜びがあり、平安があり、神との平和も当然あり、他者との間の平和もあります。隣人が肉の思いやサタンに先導されて戦いを挑んでくる場合は、当方が平和を望んでもそのようにいかない場合もありますが。また、キリスト者は義即ち神の御心に生きることを喜ぶでしょう。また、キリストによって与えられた義を喜び御父とキリストを賛美して歩むでしょう。聖霊の導きによって歩んでいる人、また、キリスト者の良心によって歩んでいる人は、他のキリスト者をつまずかせないように注意することでしょう。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
神の国は義と平和と聖霊による喜びとあります。
日々聖霊に満たされて歩み、義と平和と聖霊による喜びの内を歩ませてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2013年7月19日 (金)

ローマ14:13 裁きあわない、つまずきとなるものをおかないように

ローマ14:13
“それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。”(口語訳)

 20年前にイスラエルに旅行したとき、石臼を見ました。石臼を見たとき、これをくくられて海に放り込まれたらもう浮かびあがれない、これは大変なことだと思いました。この時にすぐに思い出したのは、イエス様が次のように語られたみことばだったのです。
「・・・わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。」(マタイ18:6)

 「裁きあわないように」とあります。主イエス様は、山上の垂訓の中で「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」(マタイ7:1-5)と言われました。
人間の始祖はアダムです。アダムが善悪の知識の木の実を食べてしまった故に、物事をいのちの観点からではなく、善悪の観点から見るようになってしまったのでしょう(創世記2:17、3:1-7)。同時に、このことによって、アダムは神に対して罪を犯したのです。そして、罪によって死が入ったのです。さらに罪は子孫に確実にもれなく伝わりました。人は罪人として生まれることになったのです。そして、自分の善悪の感覚で人を裁くのです。ローマ5:12には“・・・一人の人[アダム]によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に人がった・・・”とあります。
アダムの子孫として生まれた私達人間は、ある意味、裁きあうことは普通のことなのでしょう。しかし、主イエス様によって救われ、罪赦され、永遠の命を与えられた者は、いのちに生きることが出来るようにされたのです。騙されないようにしたいと思います。キリスト者は、新しいいのちを生きているのです。
裁くのではなく、愛をもってとりなしの祈りをし、愛をもって訓戒するのです。相手の人に対するあふれる愛のない時には訓戒しない方が無難です。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
裁きあうことのないよう、兄弟の前につまずきとなるものを置かないようお守りください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2013年7月18日 (木)

ローマ14:1-12 主の為に生きる

ローマ14:1-12
14:1信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
14:2ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
14:3食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。
14:4他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
14:5また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
14:6日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
14:7すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
14:8わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
14:9なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。
14:10それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
14:11すなわち、
「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」と書いてある。
14:12だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。”
(口語訳)

 ここに書かれてある事柄は、キリスト教の歴史の中において形を変えてよく見られた事柄です。この箇所では、肉を食べるか食べないか、日を守るか守らないか、という事についての兄弟姉妹間の、或いは教会内の言い争い、或いは裁きあいについて記しています。
この時代、食肉業者は、偶像に供えられていた動物の肉が一般に市販されていた肉の中に混ぜ合わされて売られていたとのことです。それ故、肉を食べない人は肉を食べることによって偶像礼拝に加わることになってしまう、或いは、偶像に供えられた肉は汚されているから食べることはできない、などと考えて、肉を食べず菜食主義になっていたものと思われます。現代人の菜食主義者のように単なる健康上の問題ということではありません。このことについてパウロは1コリント8章においてもう少し詳しく書いています。パウロは、そのところで神と偶像との関係について次のように述べています。
8:4さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
8:5というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、
8:6わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。”(1コリント8:4-6)
パウロは、さらに、信仰の弱い人の良心の故に肉を食べれない人が同席している場合の配慮について次のように言っています。
8:7しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
8:8食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。
8:9しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。
8:10なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。
8:11するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
8:12このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。
8:13だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。”(1コリント8:7-13)

 日について守る守らないと書いてある<日>とは、旧約聖書に書かれてある祭りとさらに加えられたユダヤ教で守られていた日のことです。
旧約聖書に書かれていた祭りの本体は、キリストであったのです。祭りはキリストの予型でした。
コロサイ2:16.17に次のようにあります。
2:16だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。”
今は、毎日毎瞬をキリストの為に生きているのです。キリストにあって神に対して生きているのです。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
日常の生活において、その生き方が自分とは違うということで、罪ではない霊的知識の差による事柄を決して裁くようなことがありませんように。また、つまずきを与えてしまうこともありませんように。
生きるのは主の為、死ぬこと、即ち天において主と共に生きることも主の為、すべては主の為の命であり、生活でありますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2013年7月17日 (水)

ローマ13:11-14 主イエス・キリストを着なさい

ローマ13:11-14

13:11なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
13:12夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。
13:13そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。
13:14あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。”
(口語訳)

 説明の要らない箇所です。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
肉の欲の為に心を用いることなく、主イエス様を現わし出す御霊に満たされ導かれて日々歩むことが出来ますようお導きください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Ⅰヨハネの手紙 Ⅰ歴代誌 Ⅱ歴代誌 アモス書 イエス・キリストのことば イザヤ書 ウェブログ・ココログ関連 エステル記 エズラ記 エゼキエル書 エフェソの信徒への手紙 エペソ人への手紙 エレミヤ書 オバデヤ書 ガラテヤ コロサイ コロサイ人への手紙 ゼカリヤ書 ゼパニヤ書 ダニエル書 テトスへの手紙 テモテへの手紙Ⅰ テモテへの手紙2 ナホム書 ネヘミヤ記 ハガイ書 ハバクク書 ピリピ人への手紙 ピレモンへの手紙 ヘブル ヘブル人への手紙 ペット ペテロの手紙Ⅰ ペテロの手紙2 ホセア書 マタイによる福音書 マラキ書 ミカ書 ヤコブの手紙 ユダの手紙 ヨエル書 ヨシュア記 ヨナ書 ヨハネの手紙Ⅱ ヨハネの手紙Ⅲ ヨハネの福音書 ヨブ記 ルカ ルツ記 レビ記 ローマ人への手紙 伝道者の書 使徒の働き 信仰 共観福音書 出エジプト記 創世記 哀歌 士師記 平安 悪しき霊 救い 救いと裁き 救いの確かさ 救い・救われたい方へ 日ごとの恵み 日ごとの恵みXⅢ 日ごとの恵みⅡ 日ごとの恵みⅢ 日ごとの恵みⅣ 日ごとの恵みⅤ 日ごとの恵みⅥ 日ごとの恵みⅦ 日ごとの恵みⅧ 日ごとの恵みⅨ 日ごとの恵みⅩ 日ごとの恵みⅩⅢ 日ごとの恵みⅩⅣ 日ごとの恵みⅪ 日ごとの恵みⅫ 日毎の恵み15 日毎の恵み16 日毎の恵み17 日毎の恵み18 日毎の恵み19 日記・コラム・つぶやき 民数記 申命記 箴言 終末 終末預言 経済・政治・国際 聖化 詩編 趣味 雅歌 黙示録 黙示録(2回目) 1コリント 1サムエル記 1テサロニケ 1列王記 2コリント 2サムエル記 2テサロニケ 2列王記

カテゴリー

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ