ペテロの手紙2

2014年2月27日 (木)

2ペテロ3:15-18 聖書を曲解しないように

3:15また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
3:16彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
3:17愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。
3:18そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。 ”(口語訳)

 この箇所は、聖書を曲解し誤った解釈をする偽教師たちに惑わされることの無いように、偽教師についていってしまうことが無いようにととの再度の勧めです。この箇所の前の所は、主の再臨について書かれています。主がなかなか来られないのは、主が忍耐をもって再臨を遅らせているのであると理解する人達もいます。私は、その解釈を否定も出来ないし肯定も出来ない理解の状態にあります。
主の来臨の日は、黙示録を読んでいると、神の予知と全知によってきめられているようにも思われるのです。それは、黙示録9:15に「すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放たれた。」というみことばです。これは、第六のラッパが吹きならされた時に起こることですが、この時は、〇年×月□日△時と決まっています。更に大患難時代は、7年と定められています。主の来臨を延ばしに延ばしているとしたら、黙示録9:15の年月日が合わなくなります。

 主イエス様が、まだ来られないのは、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」{(エペソ1:4.5)新共同訳}とのみことばから考えて、キリストにおいて選ばれている人がまだすべて信じている状態になっていないからではないかとも思うのです。そして、最後の一人が信じる年月日も神様は予知しておられると思うのです、
 時についてではありませんが、あらかじめ神が定められたということにおいての似た表現が、黙示録6:11にあります。それは、第五の封印が解かれた時に明らかになったことですが、殉教者の数が「満ちるまで」とあって、神に在っては殉教者の総人数が決められているように思うのです。
 キリスト様は花嫁であるキリストの体である教会を構成する人たちのすべてが救われる時が来るのを忍耐して待っておられるのかもしれません。キリストの空中再臨は、花婿であるキリストが花嫁である教会を迎えに来ることだからです。
 15節の口語訳の「わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。」の「為」は、原語には無いと思うのです。原語では「主の忍耐(寛容) 救い」としかありません。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
私には、この箇所をはっきりとは示してくださっておられないので、確信をもって理解することができません。いずれ理解させて頂けますようお願いします。
いずれにしても、あなたご自身から迷い出ることなく、しっかりとあなたの御旨の内を歩んでいけますよう御霊によって歩まさせてください。
感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月26日 (水)

2ペテロ3:13.14 聖なる者として神の御前に出れるように

3:13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
3:14愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。”(口語訳)

 ペテロは、第一の手紙で、試練の中にあっても信仰に堅く立つようにと勧め、第二の手紙では、偽教師の教えに騙されることの無いようにしなさいと勧めました。一貫しているのは、キリスト者に与えられた恵みが如何に素晴らしいものであるかということを思い起こさせるように記したことと、きよい生活をしなさいということです。
日本では、人が死ぬと、死んだ人が天国に行くかのように言う人が多いです。多くの日本人は天国を知らずに語っています。天国には神様の御座があります。預言者イザヤは、非常に大切な膨大な預言を残しています。それらの預言は神様がイザヤに書くように与えたものです。その予言の内容は、イザヤの存命中に実現したものもあれば、イザヤが死んだ後、イエス様が現れるまでに起きたことの多くの預言もあり、また今から約二千年前に起きたイエス・キリスト様の誕生の預言から、十字架と復活の預言、現代の預言、これから起こる大患難時代の預言、キリスト再臨の預言、千年王国の時代の預言、新天新地の預言等と色々あります。それらは全部で66章に纏められてあります。そのイザヤが、1~5章まで書いた後、6章において次のように自分のことを述べています。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(新共同訳)と。
この言葉の出てくるイザヤ6章の前半を新共同訳で下記します。
“6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
6:2 上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」”(イザヤ6:1-7)

 イザヤでさえ神様を見た時に「私は滅びる」と思ったとすれば、私などは直ちに消えて無くなりそうな気がします。うろ覚えですが、ある本に、きよくなければ地獄に行く方が幸いだというか安心していられる、と書いてあったことを思い出します。
イザヤのことばにより、神様のきよさに驚くべきものを感じます。
使徒ヨハネは、黙示録の4:6-11で次のように記しています。
“4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
4:7 第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
4:9 また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
4:10 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」”(新改訳)
きよくされていなくて天国に行くなどということは、恐ろしいことなのです。
イザヤは、“セラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」”(イザヤ6:6.7)と述べています。キリストの贖いが成し遂げられていなかったイザヤの時代、神様は、祭壇の火できよめられましたが、イエス・キリスト様の十字架と復活の後は、キリストの血が私たちのすべての罪を、そして罪からきよめてくださいます。
ヘブル人への手紙の著者は、
「・・キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」{(ヘブル9:11.12)新改訳}
「・・律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」{(ヘブル9:22)新改訳}
「・・イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」{(ヘブル10:10)新改訳}
「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」{(ヘブル10:14)新改訳}
と述べています。
また使徒ヨハネは、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」{(1ヨハネ1:9)口語訳}と述べています。

 立場として、キリスト者は、既にキリストの血によって聖なる者とされていますが、地上における歩みにおいても、新天新地は愛のみならず義にも満ちているので、きよく歩みなさいと命じられています。
“1:13 だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、
1:15 召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。”とペテロは第一の手紙でも記しています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
キリスト様の尊い血潮を感謝します。
キリスト者として、神の子どもとされた者として、立場上は、主イエス様の血潮によって既に聖なる者とされていますが、地上にいる間の歩みも、御霊によって聖なる歩みをしていくことが出来ますよう助け導いていて下さい。
感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月25日 (火)

2ペテロ3:8-13 神の裁きと新天新地

3:8愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
3:11このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
3:12極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
3:13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。”(口語訳)

 この箇所は、みことばの約束にしっかりと立つことが出来ず、「主の再臨は本当にあるのか?」と疑問視する人達に対して、主の日は必ず来るし、神様は必ず新天新地を創ってくださるとペテロが答えている箇所です。ペテロは、特別珍しいことをいっているのではなく、旧約聖書に書かれてある内容や主イエス様が語られた内容を再度語ったのだと思います。

 8節は、詩編90:4の「まことに、あなた〔神様〕の目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。」(新改訳)からの引用なのでしょう。

 9節は、主イエス様が、「福音がまずあらゆる民族にのべ伝えられなければなりません。」(マルコ13:10)と語られたことと関係していると思います。一世紀には、日本へは福音は届いていませんでした。
また、「ひとりも滅びることがなく」の解釈ですが、私の解釈を受け入れられない人も多いかもしれませんが一応書いておきます。それは選び・定めと関係しています。即ち、父なる神が御子イエス様に与えられた人がひとりも滅びることがなく、という理解を私はしているのです。私の理解では、そのようにしないと他の聖書個所や歴史との対比で整合性が得られないからです。カルヴァン、アルミニウス、ペラギウス、万人救済主義等の主義主張ではなく、歴史的現実とみことばからの理解です。
主イエス様は、十字架におつきになる少し前に父なる神に祈りを捧げましたが、その中に、「父〔父なる神〕よ。時が来ました。あなたの子〔イエス・キリスト〕があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため・・・」(ヨハネ17:1.2)、「わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。」(ヨハネ17:6)とあります。また、それより前の時に、「父が私にお与えになる者」(ヨハネ6:37)、「私に与えてくださったすべての者」(ヨハネ6:39)ともあります。これらは、主イエス様のおことばとして書かれています。(ヨハネ17.6章は新改訳)
また、パウロは、晩年になって「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」{(エペソ1:3-5)口語訳}という啓示を受けました。

 10-12節は、主イエス様から聞いた終わりの日の預言の一部です。
終りの日についての弟子たちにの質問に、主イエス様が答えられた内容の一部に次のようなものがあります。新改訳で記します。
「だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」(マルコ13:24-26)
「この天地は滅びます。」(マルコ13:31)
「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません・・・ただ父だけが知っておられます。」(マルコ13:32)
「目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」(マタイ24:42)

 新天新地についての預言は、ペテロの手紙が書かれる約700年以上前に預言者イザヤが神様が語られたみことばとして、「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。」{(イザヤ65:17.18)新改訳}と記しています。
更に、使徒ヨハネは、新天新地の神の国を見させて頂いた人です。ヨハネは、「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」{(黙示録21:1.2)新改訳}と記しています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め、賛美し、感謝します。
あなたは私たちの為に、新天新地を備えてくださいますから感謝します。
更に、他の聖書箇所から、新天新地の前に、今の地球にあって、キリストの千年王国がもたれることを教えて下さっておられますことも感謝します。
御国が来ますように。
あなたの御心が行われますように。
栄光、賛美、誉れ、知恵、力、勢い、支配が永遠にあなたにあることを感謝します。
主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月24日 (月)

2ペテロ3:3-7 キリストの再臨や裁きを信じない人達

3:3まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
3:4「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。
3:5すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、
3:6その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。
3:7しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。”(口語訳)

 聖書を読んでみて、ある聖句は信じるけれども、ある聖句は信じない、或いは信じられないという人達に、私たちは遭遇することがあります。
聖書全体を信じることの出来ない理由は色々あると思いますが、思いつくままに書いてみます。
自分の頭で考えられることは信じることが出来るけれども、自分の頭で考えることの出来る範疇を超えてしまうものは信じることが出来ない、という場合。
或いは、神さまの偉大さ、能力を極めて過小評価してしまうという場合。
或いは、自分の肉が十字架につけられていない為に、神様の言われることが自分にとって不都合であるということで無視してしまうという場合。
或いは肉の欲望によって生きることを求めているからという場合。
或いは、助け主、救い主としてのキリストは良いけれども、主としてのキリストは嫌だという、これも肉の思いですが、そのような場合。
神様の主権を受け入れることが出来ず、ヒューマニズムの方に自分の思いの中心をおいている場合。
これ以外にも、色々あるかもしれません。
兎に角、聖書全体を信じることの出来ない人は、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」{(2テモテ3:16)新共同訳}のみことばや「預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」{(2ペテロ1:21)新共同訳}のみことばも信じることは出来ないでしょう。

 6節でノアの時代の大洪水について語ることによって、その時代の裁きと救いが水によってもたらされたことを語り、7節では、次には火による裁きを語っています。火による裁きは、黙示録に詳しく書かれています。神様は愛なるお方であるとともに義なるお方でもあるということを受け入れられない人は、神が愛であるならば、どうして水によって裁いたり、火によって裁いたりするのかと言うでしょう。

 4節には、「キリストの来臨の約束はどうなったのか。」そのようなものはないと思う、という人々が現れると書いてあります。未来のことについては、実証することが出来ないので、結局聖書に書かれてあることを信じるのか信じないのかの世界になってしまいます。
聖書を信じる人にとっては、キリストの来臨について、聖書は、空中に再臨されること(1テサロニケ4:16.17)と、地上に再臨されること(黙示録19:11-21)の二種類が書いてあると信じることが出来ます。
空中に再臨されるのは、地上からキリストの花嫁である教会を天の自分の所に引き上げるためです。即ち、花婿が花嫁を迎えに来たのです。
地上に再臨される時は、この世を裁き、人間による支配を終わらせ、キリストによる支配を始める、即ち、キリストの王国を作る為です。使徒の働き1:11に天使達が次のように語ったと書いてあります。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(新改訳)と。
使徒ヨハネは、天から再臨されるキリストをもっと詳しく見せてもらい、黙示録に、「私〔ヨハネ〕は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方〔再臨のキリスト〕は、『忠実また真実』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。”{(黙示録19:11-16)新改訳}と記しました。

 神の前に謙遜にならない限り、神のみことばである聖書を信じることはできません。私は救われる前は、神に対して高慢な者でした。色々な宗教書というものは読めても、聖書は継続して読んでいくことが出来なかったのです。それは、神に主権がある、ということを受け入れることが出来なかったからです。自分の主権をそのままにしておいてくれる宗教書は読めたのですが。
主イエス様は、「幸いだ、心の貧しい者たち、天の王国は、その彼らの者である。」{(マタイ5:3)岩波訳}と語られましたが、本当に神さまの前に謙遜にさせて頂けることは何と幸いなことでしょう。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め、賛美します。
あなたの御再臨の約束と、次の裁きが火によって行われることを信仰によって信じさせて頂けておりますことを感謝します。
ひとりでも多くの人が、裁かれる方(ほう)ではなく、主イエス様に立ち返り救われる方(ほう)に入りますように。
主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月23日 (日)

2ペテロ3:1.2 常にみことばを食することの大切さ

3:1愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。
3:2それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。”(口語訳)

 この手紙は、偽教師の教えによって霊的知識や信仰がおかしくなってしまわないようにとペテロが書き送ったものと考えられます。主イエス様は、「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。」{(マタイ7:13-15)口語訳}と言われました。「いのちに至る細い道」から迷い出ない為には、「聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒め」(3:2)を反芻することなのです、と教えてくれています。現代の私たちには、それを聖書という形に纏められて与えられています。ですから聖書を繰り返し繰り返し読むことが大切なのです。聖書を1回通読(創世記から黙示録まで通して読むこと)して分かったような気になって後はもう読まないというのはもったいないことです。調べないと分かりませんが、私は今までに65回以上通読しました。もうだいぶ前から、老眼が進んだ故に、また、体を弱めた故に、以前のような気力と根気が出ては来ず、ブログをアップする箇所と関連箇所を読むくらいにすぎません。若い人の中には、自分は疲れている、と言う人もいるかもしれませんが、それでも若い時は、頑張りが効きます。聖書は、何回読んでも、その度に、真理を聖霊が教えてくださり、また、悔い改めの祈りへと導いてくださり、幾度も幾度も更新の洗いをもって洗い、歩ませて下さいます。日本は、その気になれば、だれでも聖書を手にし、読むことが出来る幸いな国です。また、聖書を読む時には、お祈りも必要です。真理を教えて頂けるように、素直な心で読むことが出来るように、サタンに邪魔されないように、と。尚、聖書を読もうとしたり祈ろうとするとすると邪魔が入ったり、或いはなんとなく聖書を読んだり祈ったりすることが出来ないという時にはサタンが邪魔をしていることもあります。その時には、「私の祈りや聖書を読む邪魔をするサタンよ、主イエスの御名によって命じる離れ去れ。」と命じてください。更に「わたしを聖霊に満たしてお祈りさせて下さり、聖書を読ませて下さい。」と祈って見てください。霧が晴れるように、祈った通りになった時には、サタンの障害であったのでしょう。サタンも配下の悪霊も実在します。自分の所にやってきたのが、悪霊であって、親分のサタンではない時でも、サタンに命じれば良いのです。誘惑にあった時も、方法は同じです。誘惑の段階では罪ではありません。誘惑を受け入れて自分の意志をもってそのことを行ってしまった時、罪を犯したことになります。誘惑の段階で、自分の肉を十字架につけるか、サタンを追い払うか、誘惑の出所によって対処の方法は異なりますが、誘惑の段階で処理をしてしまうことが大切です。聖書を毎日読んでいくことは、罪からも守られやすくなります。罪を犯したからといって救いを失うわけではありませんが、罪の中にあると神様との関係が断絶してしまいます。聖書を読んでいない状態の時でも、神様は「それは罪でしょ。」と教えられると思いますが、聖書を読んでいるとより一層示しを与えてくださいます。罪を示された時は、すぐに悔い改めれば良いのです。悔い改めの祈りをしないと苦しくなる一方です。当然聖書を続けて読むことなど出来なくなります。罪を示されたら、悔い改めて、主に変えて頂くことです。ローマ12:2に「心を新たにして自分を変えていただき」(新共同訳)とある通りです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め、感謝します。
あなたのお言葉である聖書を与えてくださりありがとうございます。
日々、あなたのお言葉を食する者であらせて下さい。
肉体の食物は、必要以上に食べたりすることもあるのに、あなたの与えてくださる霊の食物の摂取の仕方は、時々乏しいものがあります。
霊の食物は、たくさん食べてもメタボになるということはないばかりか、いくら摂取しても祈りながら摂取する分には有益ですから感謝します。
現代では、読む力の無い時は、横になった状態で、聖書のみことばを聞くことも出来るようにして下さっておられますから感謝します。
主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)
蛇足ですが、「人はパンだけで生きるのではなく」とは、肉体の食物だけで生きるのではなく、ということで、肉も、魚も、卵も、野菜も・・・・必要だ、ということではありません。

2014年2月22日 (土)

2ペテロ2:10-22 偽教師とは

ペテロは、キリスト者に、偽教師に騙されないようにしてもらいたくて、2章全部を使っていますが、今日は10-22節を口語訳を元にしながら、他の日本語訳聖書の訳も見ながら、ただ読んでいくことにします。以下の[  ]内は筆者挿入、〔 〕内は他の聖書の訳です。

 “2:10・・・・こういう人々[偽教師達]は、大胆不敵な〔厚かましく(新共同訳)〕わがまま者〔尊大な者たち(新改訳)〕であって、〔塚本氏はここに個人の挿入として「天使の」を入れている〕栄光〔栄誉(新改訳)〕ある者たちをそしって〔冒とくして(岩波訳)〕はばかる〔恐れる(新改訳)〕ところがない。
2:11 しかし、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。
2:12 これらの者[偽教師達]は、捕えられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり〔罵り(塚本訳)〕、その不義の報いとして罰を受け、必ず滅ぼされてしまうのである。
2:13 彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ〔乱痴気騒ぎを快楽と考えている(岩波訳)〕、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている〔だましごとを楽しんでいる(新改訳)〕。彼らは、しみであり、きずである。
2:14 その目は淫行を追い〔淫行に満ちており(新改訳)、たえず姦通の相手を求め(新共同訳)〕、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ〔強欲で鍛え上げられ(岩波訳)〕、のろいの子となっている〔のろいの子です(新改訳)〕。 
2:15 彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、
2:16 そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。[民数紀22章、民数紀25:1-3、黙示録(2:14)]
2:17 この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみ〔闇の暗黒(岩波訳)〕が用意されている。
2:18 彼らはむなしい誇〔虚しい横柄なこと(岩波訳)、無意味な大言壮語(新共同訳)〕を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し〔おびき寄せ(塚本訳)〕、
2:19 この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
2:21 〔その人々にとっては(岩波訳)〕義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
2:22 ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。”  

 主イエス様は、山上の垂訓の中で、にせ預言者について
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」{(マタイ7:15-20)新改訳)}と語りました。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
私は、今までこの様な人にあったことがありませんが、ニュースでは聞きますし、異端と呼ばれるものの中や他の宗教家の中にもそのようなうわさを聞くことがあります。
偽教師やにせ預言者の餌食になることが無いように、情と欲とを十字架につけ続け、いつも主イエス様を仰ぎ見て歩み続ける者であらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月21日 (金)

2ペテロ2:9.10 敬虔な者を救い、不敬虔な者を罰する

2:9こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
2:10特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。”(口語訳)

 ペテロの生存の時代までにも、神様は数々の裁きを行われてきました。しかし、堕天使に対する最終的な裁きは、まだ将来のことですし、人間に対する最終的裁きも将来行われることです。ペテロは、それまでの多くの裁きの内で、堕天使とノアの時代の不敬虔な者たちへの裁きとロトの時代の不敬虔な者への裁きを書いてきました。不敬虔な者たちを裁くことによって敬虔なノアとその家族や、ロトと二人の娘を救いだされました。旧約の時代にあってもポイントは、神に対する信仰です。人間の最終的な裁きは、すべての御使いの悪、すべての人間の悪、その悪の根底には不敬虔があり、不敬虔な天使や不敬虔な人間がすべてあぶり出されてから、最終の裁きが下され、刑が執行されるのです。最終的裁きまでは、しかるべき所に置かれているのです。大天使ルシファーは人間が創造される前に既に堕罪してサタン〔神に敵対する者:悪魔〕となり、多くの他の天使達をを罪に誘い、全天使の三分の一を堕天使として配下におさめ組織的に神の御業に反抗して来ました。とはいえ、神さまの絶大な力の前ではサタンは大したことはなく、サタンは行いたいことに対する神さまの許可を必要としていました。神様が、堕天使にすぐに最終的裁きを行って刑を執行しなかった故に、人間の罪も明らかにされ、それによって神様が義なるお方であり、愛なるお方であり、とてつもなく力強いお方であることが、神さまに立ち返った人間には理解できるようになっていったのです。

 また、神さまの裁きの方法として、神様が罪人に全く関与せず放任してしまうというスタイルがあります。それは、ローマ1:18以下に次のように記されています。特に1:24にはそれがはっきりと記されています。
“1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
1:26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、
1:27 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。
1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、
1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。
1:32 彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。”(新改訳)
現代は、このような裁きを多く見ます。しかし、豊かな慈愛と忍耐と寛容の神は、それらの人々が悔い改めることを待っておられるのです。ローマ2:4には、「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(新改訳)とありますし、1テモテ2:4には、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(新改訳)とあります。神様は、すべての人を好き好んで暗闇に放り込んだり、最終的に火の池に投げ込みたいのではなく、罪人(すべての人間は罪を犯しました)が悔い改めて神に立ち返り、神と共に愛に基礎をおいた交わりを持ってほしいのです。神様は、罰を与えたくて人間を作り、エデンの園を作ったのではありません。神との豊かな交わりのもと、愛と信頼しあえる関係を持って地上の天国のようなところを作ってくださったのです。アダムとエバの罪の故に、結局はエデンの園は無くなってしまいましたが、神様はやがて今の天地を改め、新天新地を創ってくださり、そこにおいて神様を中心として愛に満たされた敬虔な人達の生活が営まれるのです。
人間の不幸は、人間自身を主権者としたことです。主権者は神なのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて賛美します。
あなたは聖なるお方であり、義に基ずいて統治されますが、同時に全き愛のお方で慈愛と寛容に満ちておられる方でありますから、あなたの御名をほめたたえます。
どうか、私たちが敬虔に生活できますよう、また、不敬虔な人達が、まだ地上に生を与えられている間にまことの神を神として歩む方向へと悔い改めさせて頂けますようよろしくお願い申し上げます。
あなたをほめたたえ、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月20日 (木)

2ペテロ2:6-8 ロトの時代の裁きとロトの救出

2:6また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし、
2:7ただ、非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された。
2:8(この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのである。)”(口語訳)

 ノアの時代の洪水物語はキリスト者でなくても多くの人が知っていますし、世界的にもあちこちに伝承があります。ロトの住んでいたソドムとゴモラの裁きは、地域限定型でしたので知らない人が多いように思います。神様は、ノアの洪水の後、ノアと息子達に「もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(創世記9:11)と約束なさいました。しかし、このロトの裁きの仕方は、これから神様が行われる裁きのスタイルの一つに似ています。
恐らくは、近未来、イスラエル人が安心して住めるようになったイスラエルの地へ、多くの国々が攻め込みます。とてもイスラエルが太刀打ちできるような相手ではない連合軍です。そのことがエゼキエル書38.39章に書かれています。その時、神様はご自身の聖なることを示して、イスラエルに攻め込んだ国々に裁きを下し、イスラエルを救出するのです。
その時、神さまのとる裁きの方法は次のようです。
“ゴグがイスラエルの地を襲う日、まさにその日に、と主なる神は言われる。わたしの憤りは激しく燃え上がる。
わたしは熱情と怒りの火をもって語る。必ずその日に、イスラエルの地には大地震が起こる。海の魚、空の鳥、野の獣、地の上を這うすべてのもの、および地上のすべての人間は、わたしの前に震える。山々は裂け、崖は崩れ、すべての城壁は地に倒れる。
わたしはすべての山の上で、ゴグに向かって剣を呼び寄せる、と主なる神は言われる。人はおのおの、剣をその兄弟に向ける〔同仕打ち〕。
わたしは疫病と流血によって彼を裁く。わたしは彼とその軍勢、また、彼と共にいる多くの民の上に、大雨と雹と火と硫黄を注ぐ
わたしは自らの偉大さと聖とを多くの国々の前に示す。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。”{(エゼキエル38:18-23)新共同訳}

 イスラエルに攻め込む国々の民の上には、火と硫黄が降り注ぐのです。更に大雨と雹もです。神様は、雹による裁きも行ったことがあります。出エジプトの時のエジプトへの裁きとして(出エジプト9:18-26)。更にヨシュアがエモリ人の王たちと戦った時もすごかったようです。ヨシュア軍が剣で殺した人数より、神様が雹で殺した人数の方が多かったのです(ヨシュア10:8-11)。
神様が、最後に雹による裁きを用いられる時は、メギドの丘(ハルマゲドン)に世界中の軍勢が集まった後のことです。即ちこの世の終わりに極めて近づいた時です(黙示録16:17-21)。また、黙示録9:18には、火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一が殺されるという裁きが書いてあります。黙示録6:8には、人類の四分の一が殺されるのという裁きがあるのです。裁きの始まる前の人口割合を100とすると、四分の一が殺されたところで、生きているのは人口の75%、三分の一が殺されたところで初めの人口の50%がこの2回の裁きで減少するのです。黙示録にある大患難時代には、それ以外でも多くの人が殺されます。よくこの世の終わりは、全員死んでしまうのではないかと心配する人がいますが、そのようなことはありません。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて賛美します。
あなたは、不敬虔な者に対する裁きを通して、あなたの義を表し、あなたが聖であることを万人にお示しになられるとあります。
私たちの愛する人たちで、まだ救われていない人達が、一日も早く、イエス・キリスト様による救いを体験することが出来ますように。
万が一、携挙に間に合わなかった場合でも、大患難時代に殉教してでも、第一の復活に与ることが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月19日 (水)

2ペテロ2:5 ノアの時代の裁き

“また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。”(口語訳)

 新改訳では、「また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。」とあります。口語訳の「不信仰な世界」の箇所を「不敬虔の世界」と訳しています。新共同訳では「不信心な者たちの世界」と訳しています。

 現代もノアの時代に似ています。イエス・キリストという名前を知らない人はどのくらいいるのでしょうか。多くの人はイエス・キリストという名前を知識としては知っていることでしょう。口頭で、トラクトや伝道用新聞で、テレビで、ラジオで、インターネットでというように格別教会に行かなかったとしても、福音に触れることが出来る状態は続いています。大河ドラマの八重の桜を見てキリスト教を知ってみようと思った人はどのくらいいたでしょうか。ノアの洪水の物語を話したとしても、現代人の何%の人が洪水が神の裁きであったと思うでしょうか。多くの人は、すごい異常気象が起こった、とか地球を取り巻く環境が変わったとか、天変地異が起こったと考えるのではないでしょうか。そのようなことを起こされた神さまの存在を考えません。正に不信仰、不敬虔の極みなのです。これ以上の悪はありません。逆に、対人的に如何なる悪を行った人であってもイエス・キリスト様を救い主として受け入れれば救われるのです。まことの神を信じて歩んでいないことが悪の根源です。ところが、現代は、神様が正しい人即ち、イエス・キリスト様を信じて歩んでいる人を特殊な人、変わっている人、弱い人、・・・などというのです。イエス・キリスト様を信じていなくても対人的に柔和で正直そうで優しいような人を良い人と考えるキリスト者はかなりいると思います。神様抜きであれば良い人ですが、神様は、そのような人を良い人とは言われません。そのような人であっても「人の心は何よりも陰険〔deceitful(NKJV):うそつきの、不正直な〕で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ19:9)と主なる神様が語っておられます。また、パウロは、聖霊によって「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)と述べています。

 ノアの時代の裁きは、「人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。」(口語訳)からでした。ノアの時代の人達皆が殺人者であり、姦淫者であり、詐欺師であるというような状態ではなかったと思うのです。神様を信じて歩んでいるノアとその家族合計8人を見ても、まことの神様を信じようとしなかったのだと思うのです。不信心な人達の間でも仲の良い友達を持っている人達もいたことでしょう。
現代は世界的に大災害が増えています。各国の政府や多くの人がその為に尽力しています。人間間では災害復旧のために尽力している人は褒められるべき人ですが、その人が神様を信じていないのなら、その人をも神様は正しい人とは言ってくれません。ある意味、災害は悔い改めを引きおこさせる為に備えられているという意味合いもあります。レビ記26章、申命記28章には、イスラエルに対する神様からの祝福と呪いについて記されていますが、この原則は全人類にも当てはまるのではないかと思います。それは黙示録9:20.21の「これらの災害で殺されずに残った人々は、自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、また悪霊のたぐいや、金・銀・銅・石・木で造られ、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようともしなかった。また、彼らは、その犯した殺人や、まじないや、不品行や、盗みを悔い改めようとしなかった。」(口語訳)というみことばによっても分かります。黙示録のこのみことば、全世界の人達に対してだからです。神様は裁きとして災いをもたらすこともありますが、同時に人に及ぶ災いを、神に立ち返る為に用いようとしていることが分かります。

 レビ記26章を読むと神様の裁きは、段々とエスカレートしていくのが分かります。その箇所はイスラエルに与えられたものですが、その原則は現代にも役に立つように思えます。レビ記26章の一部を下記します。
「しかし、あなたがたがもしわたしに聞き従わず、またこのすべての戒めを守らず、わたしの定めを軽んじ、心にわたしのおきてを忌みきらって、わたしのすべての戒めを守らず、わたしの契約を破るならば、わたしはあなたがたにこのようにするであろう。
すなわち、あなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病をもって、あなたがたの目を見えなくし、命をやせ衰えさせるであろう。あなたがたが種をまいてもむだである。敵がそれを食べるであろう。わたしは顔をあなたがたにむけて攻め、あなたがたは敵の前に撃ちひしがれるであろう。またあなたがたの憎む者があなたがたを治めるであろう。あなたがたは追う者もないのに逃げるであろう。
それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。わたしはあなたがたの誇とする力を砕き、あなたがたの天を鉄のようにし、あなたがたの地を青銅のようにするであろう。あなたがたの力は、むだに費されるであろう。すなわち、地は産物をいださず、国のうちの木々は実を結ばないであろう。
もしあなたがたがわたしに逆らって歩み、わたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪に従って七倍の災をあなたがたに下すであろう。わたしはまた野獣をあなたがたのうちに送るであろう。それはあなたがたの子供を奪い、また家畜を滅ぼし、あなたがたの数を少なくするであろう。あなたがたの大路は荒れ果てるであろう。
もしあなたがたがこれらの懲らしめを受けてもなお改めず、わたしに逆らって歩むならば、わたしもまたあなたがたに逆らって歩み、あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。」{(レビ26:14-24)口語訳}
さらに罪を悔い改めなければ、罪の罰は重くなっていくことが書かれているのです。そして、イスラエルの地から追い出されるのです。大患難時代も同じです。地上から黄泉へと追い出されていく人が多いのです。重要な点は、神に立ち返るか、神を無視するか、敬虔か不敬虔かということなのです。

 私の勝手な想像ですが、日本人がまことの神様を信じて従っていれば、大地震は起きず、スロースリップで地殻のゆがみが絶えず修正されていくのではないかと思うのです。その根拠は、レビ記26:1-6の「あなたがたは自分のために、偶像を造ってはならない。また刻んだ像も石の柱も立ててはならない。またあなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしはあなたがたの神、主だからである。あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。」によります。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
主イエス様の御業の故に救って頂けたことを感謝します。
人間的には、良い人だと思えるような人でも、なかなかあなたのことを信じません。
憐れんでください。
私たちが救われてほしいと願って祈り求めている人達をお救いくださいますようお願い申し上げます。
感謝と願いを込め、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年2月18日 (火)

2ペテロ2:4 堕天使に対する裁きの例

“神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。”(口語訳)

 神の御使いは、元大天使ルシファーに従って三分の一位の者が神に従わずにルシファーに従って罪を犯し、堕天使となって最終的な裁きを待っている状態にあるものと思われます。

 この箇所において、堕天使の中には既に「暗闇の穴」に閉じ込められている者たちもいることが分かります。しかし、閉じ込められずに私たちを苦しめ、罪に誘惑することに精を出している堕天使達も多く存在しています。しかし、それらの堕天使達も、またその親分のサタンもやがて彼らの全員が、原語でἄβυσσος、英語でabyss、日本語で「暗闇の穴」また「底知れぬ所」に投げ込まれます。そして最終の裁きでは、「火と硫黄との池」に投げ込まれるのだろうと思います。

 ユダ書6節にも、「・・・自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。」(新共同訳)とあります。

 大患難時代の最後には、サタンも捕えられます。黙示録20:1-3には、「またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。」(口語訳)と書かれています。
更に、キリストが地上を1000年間統治するキリストの王国の最後に、サタンは一度解放されますが、悪事を行い「火と硫黄の池に投げ込まれる」のです。(黙示録20:10)

 神様は、御使いがどの程度罪を犯した時に「暗闇の穴」に投げ込まれるのか、その基準は私にはわかりません。主イエス様が地上におられた時、次のようなことがありました。
“こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。
イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。
彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」
それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
イエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大ぜい彼に入っていたからである。
悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った
ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。
悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。”{(ルカ8:26-33)新改訳}

 また、パウロは、キリスト者に戦いを挑んでくる悪しき霊達に言及して次のように書いています。
「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉〔人間〕に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」{(エペソ6:11.12)新改訳}
ヤコブは、「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」{(ヤコブ4:7)新改訳}と述べています。

 神様は、ご自身の御旨に従って、その御計画とある一定の基準によって「底知れぬ所」に閉じ込めたり、まだ閉じ込めずに悪さをさせることによって、それを通してキリスト者を成長させ、何よりも神の聖なることを表されるのではないかと思うのです。サタンとその配下の者は、神さまの許可なくしてキリスト者を苦しめることはできません。神様が許可された時は、キリスト者にとっては大変な時ですけれども、主にあって戦えば成長させて頂ける時でもあり、神の力を知り、かつ悪しき霊の実在をも知ることでしょう。

 大患難時代は7年と決められていますが、その前半の終りの頃に、「底知れぬ穴」が開かれるのです。その結果の苦しみは5ヶ月続きます。黙示録9:1-11には次のように書いてあります。
“第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星〔サタンではないかと思います〕が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。
その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。
そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。
そのいなご〔私のブログの中の黙示録のこの箇所では、悪霊イナゴとしておきました〕の形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。また女の髪のような毛があり、歯は、獅子の歯のようであった。また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。そのうえ彼らは、さそりのような尾と針とを持っており、尾には、五か月間人間に害を加える力があった。彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。”(新改訳)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
堕天使に対する取り扱いは、あなたの御旨に従って適正に行われていることと思います。
私たちにとって大切なことは、堕天使の裁き云々よりも、「神に従い、悪魔に立ち向かう。」ことであると思います。
主にあって、いつも悪しき霊達に勝利させて頂ける者であらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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