ヨハネの手紙Ⅱ

2014年8月17日 (日)

2ヨハネ1-13節 愛に生きることと真偽の識別

1:1長老のわたしから、真実に愛している選ばれた婦人とその子たちへ。あなたがたを愛しているのは、わたしだけではなく、真理を知っている者はみなそうである。
1:2それは、わたしたちのうちにあり、また永遠に共にあるべき真理によるのである。
1:3父なる神および父の御子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安とが、真理と愛のうちにあって、わたしたちと共にあるように。
1:4あなたの子供たちのうちで、わたしたちが父から受けた戒めどおりに、真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。
1:5婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。
1:6父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。
1:7なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。
1:8よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。
1:9すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。
1:10この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。
1:11そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。
1:12
あなたがたに書きおくることはたくさんあるが、紙と墨とで書くことはすまい。むしろ、あなたがたのところに行き、直接はなし合って、共に喜びに満ちあふれたいものである。
1:13選ばれたあなたの姉妹の子供たちが、あなたによろしく。”(口語訳)

 注解付新改訳聖書によると、1節の宛先について次のような考察がなされています。
“この手紙は「選ばれた夫人とその子どもたち」(1)にあてられているが、「選ばれた夫人」という表現に対してはいろいろな解釈がなされている。
(一)「選ばれた」と訳されたギリシヤ語エレクタから、「エレクタ夫人」とする。
(二)「夫人」と訳された語キュリアから、「選ばれたキュリア」とする。
(三)「エレクタ・キュリア」という女性にあてられたととる。
(四)教会はギリシヤ語では女性名詞であり、聖書でもキリストの花嫁にたとえられている(Ⅱコリ11:2、エペソ5:29)ので、「夫人」は教会を指し、「その子どもたち」は教会員を指すと解釈する。
この手紙の全体的内容からみて、(四)の立場が最も適切であるように思われる。”

 以上の様に記されているのですけれども、どれも捨てがたいなと思ってしまいます。
教会はキリストの花嫁ですから、夫人よ、という呼びかけで良いのですが、この手紙を記している長老であり使徒であるヨハネも花嫁の一部を構成し、その子どもたちと記されている人達も花嫁の一部を構成しています。
またここには引用しておりませんが、個人宛の手紙を正典とするのは難しいのではないか?、だからこの手紙は教会宛である、という意見もあったようですが、ピレモンへの手紙も個人向けですし、テモテへの手紙やテトスへの手紙、ヨハネの手紙Ⅲも個人宛です。しかし、どれも普遍的真理を含んでいる故、宛てられた個人で無くてもすべてのキリスト者が、それらの手紙から恵みを頂き、教えられたり、矯正されたり、励まされたり、慰められたりしているのだと思います。

 キリスト者であれば、イエス様の御命令にあるように、愛を持って歩んでいこうと思うことは普通のことなのですが、すべての人を愛していこうとする時、気をつけないと信仰をめちゃくちゃにされてしまうことがあるということをこの手紙は教えてくれているように思います。特にキリスト教の異端の教えを持ってくる人を大切にした結果、その人に影響されて信仰がおかしくなってしまわないように注意しなければいけないと教えてくれています。
偽りの教えを持ってくる人は、サタンの霊に支配されていますから、容赦なく上手に攻撃してくるのです。そして、それに耳を傾けている内にいつの間にかおかしくされてしまうこともあるのです。
「わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか」(5)、と命じられているので、キリスト者は、主が言われるように、だれでも愛していこう、という思い持っています。敵はそれを利用して、信仰を駄目にしてしまおうとするのです。そういう手口は、振り込め詐欺の人達に似ています。
サタンは偽りの父ですから、霊を見分ける力を主から頂いて、歩んでいきたいと思わされます。
7節より、使徒ヨハネがキリスト者達に警告を与え続けたにせの教えはグノーシス主義であると分かりますが、現代では、二人ひと組で、三位一体は聖書のどこに書いてあるのか、イエスは神ではない、また自分たちの聖書こそ正しいのだと言って偽りの教えを流布しているグループがあります。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
私たちの善意を利用されて、偽りを行う人の、また、サタンの餌食となってしまうことがありませんようお守りください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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