ヤコブの手紙

2014年9月19日 (金)

ヤコブ5:19.20 バックスライドした人への働きの重要性

5:19わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、
5:20かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。”(口語訳)

 ヤコブの手紙の最後の箇所は、以前、共に信仰生活を送っていた人が、不信仰の歩みに陥ってしまっていたとしたら、再度、信仰の道を歩むことが出来るようにと、連れ戻すことの大切さが記されています。

 イエス様の喩え話の中に、神の子とされた者が一人でも迷い出てしまったら、イエス様は見つかるまで捜し出しますよ、というのがあります。
(ルカ15:4-7)「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(新改訳)

(ルカ15:8-10)「また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(新改訳)

 イエス様は、イエス様を信じた後、何かの原因で、信仰生活から遠ざかっている人をイエス様の元へ戻したいと思うと同時に、その働きをするキリスト者と共に今も働かれていることと思います。
「そこで、彼らは出て行って、・・・。主は彼らとともに働き、・・・・。」(マルコ16:20・新改訳抜粋)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
一度イエス様を信じた人達が、信仰から外れたとしても、イエス様は、その人達を引き戻そうと必死であることを教えてくださりありがとうございます。
私たち一人一人が、それぞれ誰にアプローチしたら良いのか、どうぞお導き下さり、主が共に働いて下さって、戻って来られる方々を見させて頂くことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月18日 (木)

ヤコブ5:16-18 義人の祈り

5:16・・・義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
5:17エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。”(口語訳)

 この箇所には、義人の例としてエリヤが登場します。
この箇所だけを読むと、エリヤが祈れば聞いてくれるのかと思えてしまうようにも読めるのですが、実際は、エリヤは、神様が示されたので祈ったのです。
「雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。」(17)とありますが、1列王記17:1によると、ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤは「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」(新共同訳)とイスラエルの王アハブに言ったのです。エリヤは預言者でしたから、神様からのおことばを聞いて、アハブに伝えたのだと思います。
その後、雨が降ることを伝えた時にも神様から言われたから伝えに言ったのです。
1列王記18:1には、“多くの日を重ねて三年目のこと、主の言葉がエリヤに臨んだ。「行って、アハブの前に姿を現せ。わたしはこの地の面に雨を降らせる。」”(新共同訳)と記されています。その後、エリヤはアハブ王に伝言し、祈りに祈ったのです(1列王記18:41-45)。
エリヤは、神様から言われたことを伝言すると共に祈ったのです。
即ち、エリヤは、神の御旨を祈ったのでした。
1ヨハネ5:14に、「わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。」(口語訳)とある通りです。もし、義人であれば、神の御旨から外れた祈りを頼まれても祈りづらいことだと思います。
神様は、サムエルやモーセの祈りもことごとく聞いたことと思います。
しかし、神様がある決定をしてしまった後には、とりなしても聞かない、ということもあるようです。エレミヤ15:1-3には、神様が裁きを決定したら、サムエルやモーセが、もし地上に生きていて祈ったとしても、その祈りを聞かないと記されています。
“主はわたしに言われた、「たといモーセとサムエルとがわたしの前に立っても、わたしの心はこの民を顧みない。彼らをわたしの前から追い出し、ここを去らせよ。もし彼らが、『われわれはどこに行けばよいのか』とあなたに尋ねるならば、彼らに言いなさい、『主はこう仰せられる、疫病に定められた者は疫病に、つるぎに定められた者はつるぎに、ききんに定められた者はききんに、とりこに定められた者はとりこに行く』。主は仰せられる、わたしは四つの物をもって彼らを罰する。すなわち、つるぎをもって殺し、犬をもってかませ、空の鳥と地の獣をもって食い滅ぼさせる。”(口語訳)と。

 義人の祈りは聞かれるというのは、義人は、神と人の前を正しく歩んでおり、神の御旨をよく知って祈るからではないでしょうか。ピント外れのことを祈っても、信仰を持ちたての頃は聞いてくださいますが、信仰年限が長くなれば御心にかなわない祈りは多くの場合聞かれないのではないかと思うのです。

 イエス様は、神でありながら人ともなられた方、即ち人の面を見るともっとも義人なる方でした。そのイエス様の証言は、「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」(ヨハネ14:10.11・新改訳)というものでした。イエス様をよく知っているベタニヤのマルタは、「あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」(ヨハネ11:22・新共同訳)と語っています。
イエス様の語られたことばを読むと、義人の祈りが何故聞かれるのかがよくわかります。それは、神の御旨を語り行っているからです。

 私達キリスト者に対して、パウロは、「どんなときにも御霊によって祈りなさい。」(エペソ6:18・新改訳)と語り、また、「御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかた〔全知の神(筆者挿入)〕は、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」(ローマ8:26.27・口語訳)とも記しています。

 何かこの様に書いてくると、私のような者には絶望しか残らないように思えてしまいます。何故なら、ちょくちょく自分の願望を祈っている者であり、常に御霊によって祈るということが出来ている自信はないからです。
しかし、私の様なものでも希望があります。
私のような者は、義なるイエス・キリスト様の御名に頼って、それも頼り切って祈るということです。
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14:13.14・新改訳)というイエス様のおことばにすがるほかありません。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて賛美します。
立場としては、イエス様を信じさせて頂いたこの私でも、イエス様の十字架と復活の故に、義人としての立場を恵みによって与えられておりますことを感謝します。
しかし、その実質は、与えられている立場とは乖離している状態です。
しかしながら、イエス様の「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」という愛にして義なるイエス様のありがたいお約束の故に感謝します。
と同時に、「どんなときにも御霊によって祈りなさい。」というお勧めを頂いていますから、時々ではなく、いつでもその様に祈ることが出来ますようお整えください。
至高の神を父として、親しく御父に祈ることが出来るようにして頂けたことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月17日 (水)

ヤコブ5:14-16 病気の時の祈り

5:14あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。”(口語訳)

 病気が病気になった人の罪からくる場合は確かにあると思います。
しかし、罪とは関係なく、生まれつき体が弱かったり、生まれつき遺伝子病であったり、過酷な生活を強いられたり、その他、罪ではない様々な原因でも病気になります。
精神疾患でもそうです。罪からくるもの、罪の故に悪霊が関与しているもの、しかし、生まれつき代謝をも含めた脳の問題があって精神疾患に陥ることもあります。
それ故、病気だから罪だ、と決めつけてしまうことは、的外れになる場合も多いのです。

 イエス様の対応はどのようであったでしょうか?
ヨハネ9:1-3には次のような記載があります。
“9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
9:3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。”(口語訳)
この方の場合は、目が見えない状態で生まれたのでしょうが、目だけではなく、例えば、脳に何かの異常があって生まれるとか、内臓に何かの異常があって生まれる、などという場合もあるわけです。
本人はイエス様を信じているというのだけれども、すぐに疲れてしまって怠けてばかりいるように見える子供がいるとします。誰かが、あなたの信仰が足りないからいけないのよ。イザヤ40:31を読んでごらんなさい。と言ったとします。しかし、その子が先天性の心臓疾患であったら?或いは、何らかの代謝に異常があってとても疲れやすく、生きていくのがやっと、という人もいるかもしれません。その人にあなたはなまけ病です。働かざる者食うべからず(2テサロニケ10-12)と、もしその人に言ってしまったら、それはみことばの誤用です。
からだは驚くほど複雑です。色々なことがあるので注意が必要です。

 一方、罪からくる病気もああります。
マルコ2:1-12に、中風の人の癒しが記されています。
イエス様は、この人には、「あなたの罪は赦された。」(マルコ2:5)と言われたのです。

 病気は色々あるので、病気が癒されないのは罪の解決がなされていないからだと、早急に決めつけることは出来ませんが、一方、不信仰(イエス様に対する不信頼)という罪の故にいつも恐怖と不安とイライラを持って生活し、その為に高血圧が持続し、脳血管障害を引き起こし、中風(半身不随)になったとしたら?この場合、イエス様に全幅の信頼を置いて歩んでいれば、イライラすることもなく血圧も上がらなかったかもしれないのです。しかし、高血圧症がすべて罪からというわけではありません。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
自分が病気になった時、周りの人が病気になった時、それは罪からだと早急に判断することなく、正しく判断する知恵と知識を与えてください。
罪からのものは、その根底にある罪を悔い改め、祈り、また祈ってもらい、罪からのものではないものは、それなりに正しく対処することが出来ますように。
なにはともあれ、まず祈っていくことが出来ますように。
間違った祈りをささげない為に、御霊様が祈りを導いてくださいますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月16日 (火)

ヤコブ5:13 祈りと賛美

5:13あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。”(口語訳)

 キリスト者でなくても、命が助からないと宣告されたら無神論者でも祈る人はいるそうですね。私たちキリスト者は、まことの神様にどんなことでも祈ることが出来るのですから本当に幸いです。
しかしながら、とても心配なことが起こった時など祈っても祈っても不安が去らない、という人の話をときに聞くこともあります。
祈っても、祈ったことを神様に渡してこないで持って帰ってくる場合があるのです。この状態は神様に委ねていない状態なのですね。神様に信頼して、神様に委ねないと平安は訪れないでしょう。

 ピリピ4:6.7に、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(新改訳)と記されています。

 いかなる状況にあっても主に在って平安の内に過ごす為には、主が約束してくださったおことばを信じて主に信頼するしかありません。
家内安全、商売繁盛、無病息災、・・・・などという文字が神社などに張ってあることがあります。
これらの祈祷項目を見るとなるほどと思います。苦しむことは嫌、死ぬことは嫌、将来は不安、という人が多いからだと思います。ですから占いもはやります。(占いは不信仰の罪ですが。)
クリスチャンの場合も、同じように嫌なことは嫌なのだと思います。
しかしながら、キリスト者は、全能なるまことの神様にお願いの祈りを捧げることが出来るのです。ただ、むやみに捧げるのではなく、神様の方からの約束があるのです。
商売繁盛、という言葉の中には、経済的に困窮することが無いように、という願いが根底にあると思います。
それに対して、イエス様は、マタイによる福音書で
“「6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」”(口語訳)と言っておられます。
33節を別の言い方でいうと、「神様の御支配のもとで生活しなさい。そうすれば、衣食については大丈夫ですよ。」と教えて下さっておられるのだと思います。
また、1テモテ6:8には、「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。」(新共同訳)とも書いてあります。
多くの場合、神様は、これ以上に様々なものを与えてくださっておられます。
少し脱線しますが、1テモテに、
“6:3 異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、
6:4 その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、
6:5 絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです。
6:6 もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。
6:7 なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。
6:8 食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。
6:9 金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。
6:10 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。”(新共同訳)と記されています。
パウロは、御霊の導きによってこのことを記したのですが、何と、現代の世界は全体的にみるとこの様な状態に置かれているように思えます。やがて、6:9.10に記されていることが世界的に成就し、人間同士争い、多くの人が滅びようとしている時代に突入しているようにさえ思えるのです。そして、もうどうしようもなくなった時に、イエス様は地上に来られて平定されるのです。キリスト者はその前に天に上げられますが。

 この世の多くの人は、死について怖がります。
しかし、イエス様は、死の解決を与えてくださいました。
ヨハネの福音書11:25.6でイエス様は、
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(新改訳)と言われました。
イエス様を信じた者は、肉体が滅んでも、ある定められた時に霊の体が与えられるのです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。」とイエス様は言われます。
イエス様は、十字架の上で死に、埋葬されましたが、体を持って復活された方なのです。
イエス様は永遠の命を持っておられます。また、命を与えることの出来るお方でもあります。
イエス様が、死んでも復活されたように、イエス様を信じる者は、死んでも永遠の命を持った体に復活させて頂けるのです。
霊については、キリスト者即ち、「生きていてわたし〔イエス〕を信じる者」は、既に御霊によって新しく生まれさせて頂いています。それ故、「生きていてわたし〔イエス〕を信じる者」の霊は、「決して死ぬことがありません。」と言う状態になっているのです。
この確信が与えられていれば、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(フィリピ1:21・新共同訳)ということも分かるでしょう。

 キリスト者は、如何なる苦難の中におかれたとしても、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる。」(ローマ8:28・新改訳)という約束があるのです。
私たちを救う為に、ご自身の命をかけられた愛のお方、そのお方は全能のお方でもあるのです。そのお方の約束があるのです。そのお方が約束してくださったおことばは、聖書の中にたくさんあります。その約束を信じて私たちは祈ることが出来るのです。
それ故、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」(エペソ5:20・新改訳)と言われることも頷けるのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め感謝します。
あなたは、私たち一人一人を永遠に愛し続けてくださっておられますから感謝します。
また、数多くの約束を与えてくださっておられますからありがとうございます。
あなたのお約束を信じて、あなたに願いの祈りをし、感謝の祈りをささげ、あなたを絶えず賛美する者であらせてください。
あなたをほめたたえつつ主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月15日 (月)

ヤコブ5:12 誓うな

5:12さて、わたしの兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいは、そのほかのどんな誓いによっても、いっさい誓ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる。”(口語訳)

 この世において、「誓いのことば」などという言葉を耳にしますが、人には、いかなる時でも誓った言葉を果たすことが出来るわけではありません。そのことをイエス様は、「あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。」(新改訳・マタイ5:36)と教えてくださいました。よくよく考えてみると、誓ったことを必ず果たすことの出来る方は神様しかいないということに気付きます。
主なる神様は次のように言われました。
「55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
55:10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(新改訳・イザヤ書)

 神様は無から有を生み出された方であり、宇宙を創られた方です。天使も動植物も人間も神様が造られました。力のあるこの様なお方でなければ、必ず誓いを果たす、などということは出来ないことでしょう。
神様は、人間を、誓いを立ててそれを全うすることが出来るほどの者としては造られなったのでしょう。
私は一年後には~をしています、と誓った翌日に死んでしまうということもありますからね。
私は、主の御旨にかなうならば、一年後には~をしていることが出来たらよいなと思います、と言って、主に在って努力することは出来ますが。
人間って自分を高く見すぎたり、低く見すぎたり、出来もしないことを誓ったり、出来ることもしなかったりする者ですね。自分を見てそう思います。

 イエス様は、山上の垂訓の中で、
“5:33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
5:34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
5:35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。
5:36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
5:37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。〔だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。(新改訳)〕」”(新共同訳・マタイ)
と語られました。
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。」とイエス様は言われましたが、これだけでもとても難しいことですよね。
他者との会話の中で自分の意見を通そうとして誓ってしまうというような時は、御霊からというよりも自分の肉から出ているように思います。

 ヤコブは、「いっさい誓ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる。」と記しています。
私たち人間は、えっ、そんなことで、と思ってしまいますが、イエス様は、「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:36.37)とも言っておられます。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
神の名によって、或いは他の何かによって、肉の思いから誓ってしまうことの無いように守っていて下さい。
はい、は、はい、いいえ、は、いいえと言うことが出来ますようにも助けてください。
言葉によって裁かれることが無いように、心と言葉とをきよめてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン 

2014年9月14日 (日)

ヤコブ5:10.11 苦しみを耐え忍んだ人たちの幸い

5:10兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。
5:11忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。”(口語訳)

 苦しみを耐え忍ぶと言っても自分の罪によって引き起こされる苦しみのことを言っているのではありません。自分の罪の故に苦しみに会ったとしたら、それは蒔いた種を刈り取っているだけです(ガラテヤ6:7.8)。

 イエス様を信じる信仰の故の苦しみを言っています。
しかしそのような義の為に苦しみに会うことは幸いなことであるとイエス様は、「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」と語られました{(マタイ5:10-12)新改訳}。

 「主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。」(10)とありますが、どの預言者も大変でした。どの預言者も罵られたり、閉じ込められたり、脅迫されたり、嘲笑されたりしましたし、 殺されてしまった人達もいました。神様によって多くの奇跡を行ったモーセでさえ敵対されたこともあったのです。エレミヤ記を読めば、エレミヤがいかに大変であったかよくわかります。エリヤも天から火を下したり、雨を降らせたりという奇跡を神様によって行いましたが、脅迫されて逃げ出した時もありました。イザヤは膨大な預言を神様から預かって記した偉大な預言者でしたが、最後は鋸切りで引かれて殺されたと伝えられています。預言者の中の最大の者とイエス様に言われたバプテスマのヨハネも首をはねられました。

 ヨブの忍耐についても記されています(11)。私たちはヨブ記を読むことが出来ます。
ヨブは、自分の罪の故ではないのに、神様とサタンとの争いに巻き込まれ、神様の一定の許しのもと、サタンから多くの災いを受けましたし、仲良くしていた友人たちからもヨブは身に覚えの無い非難中傷を受けたのです。ヨブはとうとう極度の肉体的精神的辛さから神様に文句を言ってしまいました。やがて、神様がヨブに現れてヨブに色々語られ、ヨブが神様の前にへりくだった時、ヨブは試練を受ける前の倍の祝福を受けたのです(ヨブ記)。
キリスト者も神様に敵対するサタンの故に、自分の罪からではなく苦難に巻き込まれることもあります。しかし、その時、神様はサタンに証しを立てているのです。苦難に会っているキリスト者も認識しない内に証しを立てているのです(ローマ8:28-39)。

 新約の時代に移ってからの状態はどのような者であったでしょうか。
新約時代は、キリスト者の内に御霊が住んでいて下さっておられるのです。イエス様は、神を愛する者には、三位一体の神が内におられるとも言われました(ヨハネ14:16.17.23)。そしてこのことを祈りの内に体験しているキリスト者は多いのではないでしょうか。それ故迫害下にあっても、殉教時にあってもいつでも主の慰めと励ましと時には大いなる栄光を見せて頂いている様子をそれらの人たちの伝記から知ることが出来ます。キリスト者は苦難におかれればおかれるほど、主の素晴らしさを味わう体験をさせて頂ける特権を持っているように思えます。平素から、いかなるときにも主と豊かな交わりを持って生活することの継続が大切ではないかと思うのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め賛美します。
イエス様の贖いの故に、今の時代は、いつもいつも主が共にいてくださいますから感謝します。
日々、あなたの主権を認め、あなたの摂理の内に、感謝を持って歩んでいけますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。”(新改訳・使徒の働き)

“8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
8:29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。
8:30 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。
8:31 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
8:36 「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。
8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も〔高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も(新共同訳)〕、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。”(口語訳) 

2014年9月13日 (土)

ヤコブ5:7-9 いつも再臨の主を心にとめている人の幸い

5:7だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。
5:8あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい。
5:9兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。”(口語訳)

 「主の来臨の時まで耐え忍びなさい。」(7)とありますが、この主の再臨は、キリストの地上再臨ではなく、キリストの空中再臨のことです。1テサロニケ4:16.17に次のように記されている出来事です。
“主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ〔(NKJV)be caught up〕、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(新改訳)

 この出来事は、現在の世界情勢を考えると近いのかもしれません。ダマスコは町で無くなり(イザヤ17:1)、エジプトの国民は分裂し(イザヤ19:2.3)、ロシアは欧米から敵対され、イランと非常に近くなり、経済的にも困窮し始め、イスラエルへと引きずり出される可能性も秘めています(エゼキエル38.39章)、エゼキエル38.39章の出来事はひょっとすると黙示録の第二の封印とそれに続くことを引き起こす可能性を秘めています(黙示録6:3-8)、イスラエルの周囲の国々の本心はイスラエルを消滅したいと願っています(詩編83編)。国家による個人ナンバー制度は日本においても間もなく始まりますしその様なものを体内に埋め込む技術も完成していますし、更に進歩すれば埋め込まなくても簡単に手か額にナンバリングすることも出来るでしょう(黙示録13:16-18)。ローマ法王を中心とする世界宗教連合の様なものも考えられるようになってきました(参照:黙示録13:11-18、17:1-6)。これは宗教に基づく戦争を抑えるためですが、大患難時代の聖徒達を殺します。また、イスラエルでは神殿の建設の為の準備は整っています。後は用地の確保です(参照:ダニエル9:27、マタイ24:15)。NASAによると太陽は大分おかしいようですし、数年後には隕石もかなり落ちてくるかもしれないとのことです(参照:黙示録8:10-12)。NASAの情報を参照してください。

 主の空中再臨で、キリスト者達(教会)が天に引き上げられると、サタンを抑える力が地上に無くなりますから、一気に黙示録に書かれてあるような事どもが起きていくことでしょう。
これからどうなるのでしょうね?
私はひたすら救われてほしい人たちの為のとりなしの祈りをしています。
キリストの空中再臨と携挙を信じて待ち望んでいる(ピリピ3:20、1テサロニケ1:10、ヘブル9:28)キリスト者は、イエス様がcatch up してくれるので、寝ていても、おきていても、何をしていても大丈夫です。キリスト者ではあっても、携挙を信じない人や、待ち望んでいない人についての主の扱いについては分かりません。イエス様は、ご自身が御業を行って下さっておられるのに、イエス様の御業を受ける者たちの信仰を見て、「あなたの信仰の通りになれ。」とよく言われていますから。信仰の無い所ではイエス様は御業を表わしなさいませんでした。主がcatch up (携挙)なさるのです。人は自分の力で変身して天にあがることは出来ません。

 イエス様の再臨が、自分が地上に生かされている間に来なかったとしても、イエス様の再臨を待ち望んで生きることは大切なことです。それは、イエス様が、待ち望んで生活するように命じておられるからです。聖なるイエス様は、キリスト者の総体である教会の花婿です。花嫁である教会は、花嫁としてふさわしいように待っている必要があるからです。イエス様の十字架は、ただ罪の罰から救うというだけではなく、イエス様の流された血は罪の赦しの為だけではなく、血によって花嫁を聖とする為でもあるのです(ヘブル9:22,1ヨハネ1:7,1コリント1:30)。

 9節に、「兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。」と記されています。新改訳では、「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。」とあります。新共同訳では、「兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。」とあります。不平、つぶやきは裁きの対象になります。つぶやきたい様なこと、不平を言いたい様なことはすべて主に祈ればよいのです。祈ったら主のお答えを感謝を持って受け取ればよいのです。エペソ5:20に、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」(新改訳)とありますから。何事でも主に祈っていく必要を覚えさせられます。そして主の主権に服し、主の御配慮に感謝することです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
あなたを賛美し感謝します。
主が迎えに来てくださることを待ち望んでいます。
しかし、まだ救われて欲しい方々がすべて救われてはいないので、その方々をもお救いください。
また、その方々に為すべきことがありましたら導いてください。
限りない量り知れない愛を持って愛してくださっておられる主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月12日 (金)

ヤコブ5:1-6 不義の富を蓄えている人達への警告

5:1富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。あなたがたは、自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って、泣き叫ぶがよい。
5:2あなたがたの富は朽ち果て、着物はむしばまれ、
5:3金銀はさびている。そして、そのさびの毒は、あなたがたの罪を責め、あなたがたの肉を火のように食いつくすであろう。あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。
5:4見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。
5:5あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、「ほふらるる日」のために、おのが心を肥やしている。
5:6そして、義人を罪に定め、これを殺した。しかも彼は、あなたがたに抵抗しない。”(口語訳)

 一度読むだけで理解出来るのではないかと思う箇所です。
次にリビングバイブルの訳を記します。今から2千年近く前に書かれたものとは思えないほど現代の状態に似ていると思えてしまいます。
“金持ちたちよ、よく聞きなさい。今や、迫りくる恐ろしい様々な災いの為に、声をあげて泣き叫びなさい。あなたがたの富は腐り、せっかくの美しい着物も虫に食われて、ぼろぼろになるからです。手持ちの金銀は、たちまち値打ちを失います。しかも、そのことが、かえってあなたがたに不利な証拠となり、まるで火のように全身をなめ尽くすでしょう。今まで後生大事にしてきたものがすべて、やがて到来する審判の日には、この様な運命をたどるのです。よく聞きなさい。農場労働者の叫びを。あなた方はその労賃を搾取したではありませんか。彼らの叫びは、万軍の主の耳に達しているのです。この地上で贅沢三昧に暮らし、ありとあらゆる快楽に耽ったあなたがた。まるで、屠殺場送りになる為に、心を肥え太らせてきたようなものです。あなた方は、自分を守るすべもない善良な市民に、罪をかぶせて殺してきたのです。”
 日本を見ても、ブラック企業と言われる存在があります。また、その様な言葉の無い時代からも過酷な仕事により多くの人が精神的、或いは肉体的病に冒されたり、死亡したりして来ました。世界中で行われている戦争は、多くの場合、武器を売ることによって大きな利益をあげる企業や一部の一般市民を顧みない政治家たち、及び、一部の戦いたい軍人達によって行われています。戦争をしようとはしない一般市民も戦場に行きたくない一部の兵隊も巻き添えで殺されていますが、武器を製造し販売している人達の懐には不義の莫大な富が転がり込むのです。戦争の為に国が借金をすればそれを支払うのは市民たちなのです。そして、市民の多くは戦争は嫌なのです。世界中が平和になると武器製造会社や販売業者、そのことで利益を受けている政治家たちは儲からなくなるので、戦争或いは内乱或いはテロ、冷戦でもかまいませんし、戦争或いは国家間の武力衝突になった場合を想定させてもいいのです。兎に角、その様にしておけば、武器製造や販売に携わっている人達やそれにかかわっている政治家たちは大きな利益を受けるのです。間接的に人を殺しながら不義の富を得て喜んでいるのです。

 イエス・キリスト様の千年王国になって次のイザヤの預言のみことばは成就します。
“2:1 アモツの子イザヤがユダとエルサレムについて示された言葉。
2:2 終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、
2:3 多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
2:4 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。”(口語訳・イザヤ書)

 イエス様が地上に再臨されて、ご自身の王国を築かれる前にこの世の物は灰燼に帰していくものが多いのです。その一例として、黙示録18:8-19を下記します。
“18:8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。
18:9 彼女と不品行を行い、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。
18:10 彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
18:11 また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。
18:12 商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、
18:13 また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。
18:14 また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。
18:15 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、
18:16 言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。
18:17 あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
18:18 彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』
18:19 それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』”(新改訳)

 更に死んだ後には、白い御座の裁きで各々自分の行いに応じて裁かれるのです(黙示録20:11-15)。
しかし幸いなことに、イエス様を信じた者たちは、この裁きに会うことはありません(ヨハネ3:18)。キリスト者が受けるキリストの裁きの座の裁き(2コリント5:10)では、多くのキリスト者は、その働きに応じて報酬を受けるのです。(お叱りを受ける人達もいるでしょうが。)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
あなたの警告を感謝します。
私たちは、御霊の助けを頂きながら、イエス様が教えられた教えに従って歩んでいけますよう助けていて下さい。
助け主である御霊を与えてくださっておられますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月11日 (木)

ヤコブ4:13-17 主の導きを頂きつつ歩む

4:13よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。
4:14あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。
4:15むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。
4:16ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。
4:17人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。”(口語訳)

 イエス様の喩えに次のようなものがあります。
“12:13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。
12:14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」
12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」”{(ルカ12:13-21)新改訳}
イエス様のこの喩えは、貪欲の注意の為に語られたとありますが、それと共に、神様が地上の生涯を終わらせる方であることが分かります。私たち人間は、いつ地上の生涯を終えるのか分かりません。多くの人は平均寿命までは生きるだろうと思っているかもしれませんが、事故や災害で命を落としたり、何かの病によって突然死に見舞われることもあると誰でも知っていますが、自分には関係ないと思って生きている人が多いのではないでしょうか。
ヤコブは、「あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」(14)と語っています。
ペテロは、ペテロの手紙Ⅰに「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」{(1ペテロ1:24.25)新改訳}と記しましたが、このおことばは神様がイザヤにイザヤ書に記させたことばであったのです。
確かに、人間は高齢になるほど、人の一生は何と短いのだろうか、と思うのではないでしょうか。

 ヤコブは、この4章までキリスト者はいかに歩むべきかについて語ってきました。ヤコブが語ってきたことを聞いてどのように歩むことが良いことなのかを知ったのです。それを聞いたならば実行しないことは罪ですよ、とヤコブは4:17で語っています。

 <お祈り>
天のお父様
御名を崇めます。
あなたに祈りながら、相談しながら、導きを頂きながら歩める幸いを感謝します。
その様な特権を頂いているのに、自分勝手にあなたを無視して事を運んだりすることがありませんよう目を光らせていて下さい。
うっかり忘れた時には、祈ってないよ、と注意してください。
また、あなたは、主にある者の歩み方を教えて下さっておられますが、御霊の助けを頂いてあなたの御旨に沿って歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(詩編32:8)
「わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。」(口語訳)
「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」(新改訳)

2014年9月10日 (水)

ヤコブ4:11.12 悪口の代わりにとりなしの祈りを

4:11兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
4:12しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。”(口語訳)

 リビングバイブルは意訳してある聖書ですが、この箇所の内容を読むだけで分かるように訳してありますので下記します。
“4:11 愛する皆さん。批判や悪口に明け暮れてはいけません。これが守れないようなら、「互いに愛し合いなさい。」という神様のおきてが踏みにじられるだけでなく、恐れ多くも、おきてのほうがまちがっていると、さばくことになるのです。あなたのなすべきことは、おきての良し悪しを決めることではなく、それに従うことです。
4:12 正しくさばくことのできる方は、おきてを造られた神様お一人です。神様だけが、意のままに、私たちを救ったり、滅ぼしたりなさるのです。それなのに、あなたは何の権威によって、人をさばいたり、批判したりするのですか。”

 「兄弟たちよ。」、「兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、」(11)とあるように、主にある兄弟姉妹について記されています。即ち、この人達はキリスト者です。その人の主人はキリストです。
ローマ14:1-13には、
“14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
14:2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
14:3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。”(新改訳)
と記されています。

 イエス様は、山上の垂訓の中で、
「7:1 さばいてはいけません。さばかれないためです。
7:2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
7:3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
7:4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
7:5 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(新改訳)
と言っておられます。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
生まれてこの方、悪口を言ったり批判したりしたことは数知れません。
イエス様の十字架上で流された血潮によってこの罪を赦しきよめてください。
悪口を言ったり批判するのではなく、いつもとりなしの祈りをしていく者であらせてください。
与えられた口と心をあなたが喜ばれる用い方をすることが出来ますよう整えてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。」{(1コリント11:31)新改訳}

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