ユダの手紙

2014年9月25日 (木)

ユダ24.25 頌栄

1:24あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、
1:25すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。”(口語訳)

 偽りの教えが流布されようとも、迫害の嵐が吹きすさぼうとも、キリスト者を守って躓かないようにしてくださる方は神様です。
キリスト者が苦難・困難の中を通る時にも守ってくださり、やがて栄光に輝く神様の前にキリスト者を傷なき者として、また喜びの内に立たせてくださる方は神様です。
私達は、生まれながらの自分の力で、信仰生活を全うすることは全く出来ません。しかし、神様は、私達を守り、導き、支え、信仰生活を全うすることが出来るようにしてくださることの出来るお方です。
その為に、神のひとり子の御子であられた方が、人と同じような肉体を纏って地上に現れ、十字架にかかって罪の贖いを成し遂げ、3日目に御復活なさり、今は、天の御父の右の座におられてとりなしていて下さるのです。
イエス・キリスト様が十字架上で流された血潮は、すべての罪を赦し、きよめることがおできになります。
イエス・キリスト様の血潮の他に、罪人が罪赦され、きよめられる方法はありません。
唯、イエス様の血潮だけです。
イエス様の血潮だけが頼りなのです。自分の何かに頼ることは、イエス様の血潮にのみ頼ることから外れてしまい、救いを全うすることは出来ません。

 25節の「栄光、大能、力、権威」は、元々神様のものであり、神様のみがお持ちのものです。
私たちすべてのキリスト者も、「わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。」と賛美を捧げる者です。

 25節に「わたしたちの救主なる唯一の神」とあります。
エペソ1:4に、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(新共同訳)とありますが、このことがなければ、私たちの救いは無かったでしょう。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
あなたは、私達を守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるお方ですから感謝します。
わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、ありますように。アーメン。

2014年9月24日 (水)

ユダ17-23 キリスト者への勧め

1:17愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。
1:18彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。
1:19彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちである。
1:20しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、
1:21神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
1:22疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、
1:23火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい。”(口語訳)

 17-19節は、今まで語られてきた、偽兄弟・偽預言者達の纏めです。
「しかし、愛する者たちよ。」(20)と、私達キリスト者に斯く歩むべしという勧めを次の様に与えてくれています。
①あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げなさい。(20・新改訳)
②御霊によって祈りなさい。(20)
③神の愛の中に自らを保ちなさい(21・口語訳)。/神の愛によって自分を守りなさい(21・新共同訳)
④永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい(21)。即ち、キリストの空中再臨を待ち望みなさい。この時、滅びゆく肉体は贖われ、栄光の体に変えられ、キリストに携え挙げられるのです。
⑤偽兄弟の教えに惑わされ正しい教えに対して確信が持てない人や、イエス様に対する信仰の確信が持てない人を憐れみなさい(22)。そして、正しい信仰へと引き上げてあげなさい(23)。ただし、罪にはよくよく注意しなさい。罪に陥っている人を憐れみ、その人が陥っていた罪は避け憎みなさい(23)。(罪を憎んで人を憎まず。罪は憎むが、罪人は愛す。)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
神様の愛に包まれ、御霊によって祈り、信仰から信仰へと、常に望みを持って、歩み続けていくことを得させてください。
罪を避けようとするあまり、罪の内にどっぷりつかっている人まで嫌いになることなく、罪は憎んでも罪人は愛して歩む者であり続けますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月23日 (火)

ユダ8-16 異端者への裁き

1:8しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。
1:9御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。
1:10しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。
1:11彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。
1:12彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、
1:13自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。
1:14アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。
1:15それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。
1:16彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。”(口語訳)

 9節について、注解付新改訳聖書の欄外注によると、“『モーセの昇天』からの引用。モーセが死んだ時、ミカエルはその死体を埋葬するよう神から遣わされたが、悪魔は、モーセが人を殺したことがあるので(出2:12)自分に引き渡すよう主張して、両者の間に争いがあったという記事に基づく。”とあります。
ミカエルは、神様から言われたお仕事をしていたのに、悪魔は自分の考えで不当な要求をしてきたのです。ミカエルは、「ただ、『主がおまえを戒めて下さるように』と言っただけであった。」ということです。裁きは神のものである(申命記1:17)というおことばに従ったのでしょう。(裁きをする人として神様に立てられた人は神様にあって裁くことが出来ます。)
ミカエルは強い大天使です。大患難の後半に入るとイスラエルに未曾有の大患難が訪れるのです。その時、ミカエルは神様から遣わされます。戦いの為に遣わされれば、とても頼もしい働きをするということがダニエル12:1に次のように記されています。
「その時、あなたの国〔イスラエル(筆者注)〕の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。」(新改訳)
ミカエルは神様に忠実な大天使です。

 14節にあるエノクの預言に関して、注解付新改訳聖書の欄外注には、“この預言は偽典『第一エノク書』1:9からの引用。「主は千万の聖徒を引き連れて来られる」-再臨の時、キリストが御使いたちと共に来られることを指すと思われる。”とあります。
実際、キリストの地上再臨の時には、マタイ16:27によると、「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。」(新改訳)とありますし、黙示録19:11-16には、“また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。”(新改訳)という中の14節に、「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て」とあるのです。少し前の19:8には、「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(新改訳)とあるのです。
キリスト者の総体は、キリストの花嫁ですから、「主は千万の聖徒を引き連れて来られる」とある聖徒はキリスト者かもしれません。

 この箇所でいわれている異端者(偽預言者、偽教師、偽兄弟)の特徴は次のようです。
①夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている者達。(ユダ8節)
②自分には理解もできないことをそしり、わきまえのない動物のように、本能によって知るような事がらの中で滅びる者達(ユダ10・新改訳)
③カインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びる者達(ユダ11・新改訳)〔カインの道:(創世記4:3-8)嫉妬・怒り・殺人。/バラムの迷い:(民数記31:16,2ペテロ2:15、黙示録2:14神よりも金を選んだ。/コラの反逆:(民数記16:1-3・31-35)神様の御旨に従えずに反逆。〕
④キリストにある交わりではなく、食べて満腹する為に愛餐に集う者達(ユダ12節)。
⑤不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者(ユダ16)。

 15節には、キリストの地上再臨の目的の内の一つとして、「すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるため」と、この世の終わりの裁きについて記しています。最終の裁きは、黙示録20:11-15に記されている裁きです。15節にある裁きと、黙示録20:11-15にある裁きの間には、1000年あります。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
元大天使ルシファーは神様に反逆して悪魔(サタン)となりました。
一方、大天使ミカエルは、とても力強い天使ですが、神様に忠実で常に従っています。
私達も、サタンの属する偽兄弟のようになってしまうことなく、ミカエルのように忠実に主にお従いする者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月22日 (月)

ユダ7 ソドム、ゴモラへの裁き

1:7ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。”(口語訳)

 ソドムとゴモラへの裁きについては、創世記19:1-29に記されています。
この出来事は、今から約4000年前のことです。
それから約2000年後に、ローマ人への手紙を書いたパウロは、ローマ1:26.27で、不自然な肉欲を生じる発生原因について記しています。その前後の箇所も読んだ方が分かり易いので、ローマ1:18-28迄を下記します。
“1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
1:26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、
1:27 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。
1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。”(新改訳)

 パウロがこれを書いてから約2000年後の今日、アメリカを初めとして多くの国で、同性愛結婚が認められるようになりました。
 イエス様は、終りの日の出来事として、ノアとロトの時代にあった事を取り上げています。直接同性愛云々ということは言いませんでしたが、ルカ17:26-30には、「人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。」(新改訳)と記されています。
また、ロトには言及されていませんが、ノアの日のことを例にあげて、「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。」(マタイ24:37-41・新改訳)ともイエス様は言われました。
 神様は、義とされている人達を天に引き上げてから、裁きを執行するのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
イエス様は、イエス様の再臨の時は、ノアの日のよう、ロトの日の様であると言われました。
暴虐が満ち、神様が嫌われる様な性的関係が行われ、それでいながら、日常生活は普通に過ぎていくその様な時に、イエス様は、花嫁である教会を天に携え挙げられるために空中に再臨されると教えて下さっておられます。
イエス様が迎えに来てくださることを待ち望んでいます。
マラナタ!
主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月21日 (日)

ユダ5.6 神に従わなかった者たちの末路

1:5あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。
1:6主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。”(口語訳)

 5節に記されてあることは、出エジプト記や民数記に記されています。最低一度は、旧約聖書を読むべきであると思いますが、出エジプト記や民数記を思い出す為に、その箇所のダイジェストを読みたいと思ったら、詩編105:25-45、106:7-33は少し役に立つかもしれません。そこには、神様が助け出してくださったこと、幾度も幾度も神様に助けられたイスラエルの民が神様に逆らったこと等が記されています。そして、出エジプトした民の内、カナンの地に入れた人は、ヨシュアとカレブの二人しかいなかったのです。他の人達は、不信仰の故に、40年の荒野の生活の間に荒野で死んで行きました。約束の地、カナンの地へは、その子孫の人達が入ったのです。

 6節は、恐らく創世記6:1-4の出来事に関連しているのではないかと思います。
それは、2ペテロ2:4.5に、「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。」(新改訳)と記すようにとペテロを導いた聖霊の解き明かしがあるからです。

 御使い即ち天使は、地球が創られる前から神様に造られた存在者たちでした。
ヨブ38:1-11に、
“38:1 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
38:2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
38:5 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
38:6 その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
38:7 そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。
38:8 海がふき出て、胎内から流れ出たとき、だれが戸でこれを閉じ込めたか。
38:9 そのとき、わたしは雲をその着物とし、黒雲をそのむつきとした。
38:10 わたしは、これをくぎって境を定め、かんぬきと戸を設けて、
38:11 言った。「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここでとどまれ」と。”(新改訳)ありますが、38:7は、「明けの星々〔天使達〕が共に喜び歌い、〔即ち〕神の子たちはみな喜び叫んだ。」ということではないかと思うのです。(ただし、〔 〕内は筆者挿入。)

 ヨブ記の1.2章に、「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。」(ヨブ1:6・新改訳)、「ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。」(ヨブ1:6・新共同訳);「ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。」(ヨブ2:1・新改訳)、「またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。」(ヨブ2:1・新共同訳)とあります。
ヘブライ語聖書では、「神の子」とあるようですが、新共同訳は、初めから意訳しているのではないかと思います。

 ペテロが記した箇所は創世記6:1-4に関係したことではないかと書きましたので、その箇所を下記します。
“6:1 さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
6:4 当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。」(新共同訳)
2.4節にある「神の子ら」は、御使い即ちおるべきところを捨てた堕天使なのではないかと思うのです。
新改訳の注解付の欄外注によると、「神の子の解釈は三通りある。①御使い的な存在、②堕落した御使い、③神を信じる者(申命記32:5、ホセア1:10)。しかし御使いは霊的存在者で結婚することが無い〔マタイ22:30・筆者挿入〕から、恐らく③の解釈が正しいであろう。」とあります。

 天使が、人間の姿をとることがあることは、創世記18章から分かります。
“18:1 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。
18:2 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、
18:3 言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。
18:4 水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。
18:5 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」
18:6 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」
18:7 アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。
18:8 アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。
18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、
18:10 彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。
18:11 アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。
18:12 サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。
18:13 主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。
18:14 主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」
18:15 サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」”(創世記18:1-15)
この三人の中の一人は、「主」です。後二人は、天使であったのではないでしょうか。

 また、イスカリオテのユダにサタンが入ったという箇所があります。サタンは堕天使たちの王であり、元は大天使です。
“ヨハ 13:2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、・・・・・・・・
13:21 イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
13:22 弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。
13:23 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。
13:24 そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」
13:25 その弟子は、イエスの右側で席に着いたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」
13:26 イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
13:27 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」”(ヨハネ13:2、21-27特に26・新改訳)

 人の中に霊的存在者である者が入ることも出来るのです。しかし、他の霊が入る為には人の同意、或いは呼び込みが必要です。拒否しているのに入られることはありません。
キリスト者の内には聖霊が住んでくださっておられます。
一方、悪しき霊に住まわれている人達もいるのです。
創世記6:1-4の「神の子ら」といわれる存在者達が誰なのか、私には想像することしかできませんので、今回記したことが正しいかどうかは自分でも分かりません。私には啓示されていないからです。
唯、言えることは、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちは、大いなる裁きの日まで、暗闇の下に閉じ込められたということです。
尚、暗やみに閉じ込められた堕天使の中には、大患難時代に一時期解放されて人々を苦痛に陥れる者達もいます(黙示録9:1-11)。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
出エジプトさせて頂いたイスラエルの民の多くの者は、神様がなされた多くの奇跡の御業を見て神様を信じることもありましたが、逆に困難に出会ったり、困難が予想されたりすると神様を信頼しなかったりと、見かけ上の信仰と不信仰の間をいつも行き来していたことをモーセ五書から知ることが出来ます。結局は、見れば信じるし、見なければ信じないといことの繰り返しでした。結局、神様の約束を「見ずして信じる」(ヨハネ20:29)という信仰を持つことは無かったことを気付かされます。
また、一部の天使達は神様を直接見、その力を知りながらも、サタンのそそのかしにより神様に反逆して堕天使となってしまった者達です。神様を知っていながらも従順に従うことが出来なかった者達であったことを覚えます。
私達も、これらの人や生きものと同じようなことになることがありませんようお守りください。
父なる神様を愛し、イエス様を愛し、また、感謝し、御霊様の導きに従って地上生涯を送る者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2014年9月20日 (土)

ユダ1-4 ユダの手紙が書かれた理由

1:1イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。
1:2あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。
1:3愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。
1:4そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。”(口語訳)

 ユダの手紙の著者は、ヤコブの兄弟であるとあります(1)。
この手紙を受け取る人達は、教会の中心的指導者であるヤコブ(使徒12:17、15:13、ガラ2:9)をよく知っていたと思われます。それ故、ヤコブの兄弟という表現を使ったことと思います。ヤコブはヤコブの手紙を書いたヤコブであったと思います。それ故、このユダもヤコブと同じくヨセフとマリヤの息子であったことと思います。
マタイ13:53-58に、“これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。”(新改訳)というくだりの所にヨセフとマリヤの子どもたちの名前が記されています。

 ユダは、ヤコブと同様、イエス様と肉の兄弟として過ごしてきた時代がありました。そしてまた、上記のイエス様の「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」というおことばから分かるように、ヤコブもユダもこの時にはまだイエス様がキリスト(メシア)であるとは信じていなかったのです。まだ霊の目が開かれていなかったからです。
しかし、この手紙では、自分を紹介するに当たり、「イエス・キリストの僕」と自分を紹介しています。

 4節を読むと、この手紙が書かれた理由が分かります。
それは異端者が入ってきたからでした。
救われていない人達であるにもかかわらず(19)、神の御前にへりくだって救いを求めるのではなく、それどころか、間違った教えと行動によって教会を混乱させている異端者達が活動していたので、手紙を書いたのです。
その人達は、イエス・キリストを否定し、放縦な生活でよしとするような人達であったのです(4)。
その様な人達に対しては、信仰のために戦いなさい(3)、と勧める手紙をユダはしたためて送ったのでした。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦う」必要が生じた時は、自分の信仰だけ守ればよいというのではなく、信仰に堅く立って戦っていく必要があることを教えられます。
この聖書箇所に登場する人達は、主であるイエス・キリストを否定している人達です。
現代でも、イエス・キリストは神ではないと言いながら聖書を用いて伝道活動をしているエホバの証人や、「イエス・キリストの他に救いはない」(使徒4:12)と記されているのに、それを否定するのと同じ言動をしているキリスト教会の一部のしかし名の知れた指導者達も出ている昨今であります。その様なことを語る者たちの世界における権力は大きいものがありますが、しっかりと信仰のあり方には信仰のあり方で戦っていくことが出来ますように。
大患難時代には、イエスが主であるということを貫いて殉教していく多くの聖徒がいることでしょう(黙示録6:9、7:14、12:11)。
大患難時代に信仰覚醒した彼らがしっかりと証して殉教しその後の御褒美を頂くことが出来ますように。
イエス様の空中再臨の前のこの時期においても、首を切られたりして殉教している多くのキリスト者達がイスラム圏にいることですし、強権政治がおこなわれている国々でもキリスト者達は危険な立場に置かれています。主が強めていて下さって、信仰によって勝利していくことが出来ますように。
日本の教会のおいても、キリストに主権があるにもかかわらず、それをわきに追いやり、自分自身を主と立て、或いはヒューマニズムが優位を保っている様な所も見受けられます。
主が栄光をお受けなさいますように。
御名が崇められ、御国〔原語:バシレイア=神の王国・神の支配〕が来ますように。霊の世界においては、今のこの時にも。
やがて見える形で、神の国、キリストの王国が誕生することを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

その他のカテゴリー

Ⅰヨハネの手紙 Ⅰ歴代誌 Ⅱ歴代誌 アモス書 イエス・キリストのことば イザヤ書 ウェブログ・ココログ関連 エステル記 エズラ記 エゼキエル書 エフェソの信徒への手紙 エペソ人への手紙 エレミヤ書 オバデヤ書 ガラテヤ コロサイ コロサイ人への手紙 ゼカリヤ書 ゼパニヤ書 ダニエル書 テトスへの手紙 テモテへの手紙Ⅰ テモテへの手紙2 ナホム書 ネヘミヤ記 ハガイ書 ハバクク書 ピリピ人への手紙 ピレモンへの手紙 ヘブル ヘブル人への手紙 ペット ペテロの手紙Ⅰ ペテロの手紙2 ホセア書 マタイによる福音書 マラキ書 ミカ書 ヤコブの手紙 ユダの手紙 ヨエル書 ヨシュア記 ヨナ書 ヨハネの手紙Ⅱ ヨハネの手紙Ⅲ ヨハネの福音書 ヨブ記 ルカ ルツ記 レビ記 ローマ人への手紙 伝道者の書 使徒の働き 信仰 共観福音書 出エジプト記 創世記 哀歌 士師記 平安 悪しき霊 救い 救いと裁き 救いの確かさ 救い・救われたい方へ 日ごとの恵み 日ごとの恵みXⅢ 日ごとの恵みⅡ 日ごとの恵みⅢ 日ごとの恵みⅣ 日ごとの恵みⅤ 日ごとの恵みⅥ 日ごとの恵みⅦ 日ごとの恵みⅧ 日ごとの恵みⅨ 日ごとの恵みⅩ 日ごとの恵みⅩⅢ 日ごとの恵みⅩⅣ 日ごとの恵みⅪ 日ごとの恵みⅫ 日毎の恵み15 日毎の恵み16 日毎の恵み17 日毎の恵み18 日毎の恵み19 日記・コラム・つぶやき 民数記 申命記 箴言 終末 終末預言 経済・政治・国際 聖化 詩編 趣味 雅歌 黙示録 黙示録(2回目) 1コリント 1サムエル記 1テサロニケ 1列王記 2コリント 2サムエル記 2テサロニケ 2列王記

カテゴリー

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ