詩編

2024年3月 5日 (火)

詩篇106:32.33 モーセの罪/御言葉に従う重要性

 詩篇10632.33には次のように記されています。
32 彼らはメリバの水のほとりで主を怒らせ、それゆえにモーセに災いが起こった。
33
 それは彼らがモーセの霊に逆らったとき、モーセが唇で軽率に語ったからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所の出来事は、民数記201-13に次のように記されています。
1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死に、その地に葬られた。
 2 さて、そこには会衆のための水がなく、彼らはモーセとアロンに詰め寄った。
3
 民はモーセと言い争った。
「私たちの兄弟が主の前で死に絶えたとき、私たちも死に絶えていればよかった
〔・・、われわれの兄弟たちが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で死んだとき、われわれも死んでいたらよかったのに(2017)〕。
4
 なぜ、あなたがたはこんな荒れ野に主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の会衆を導き入れたのですか。私たちと家畜をここで死なせるためですか。
5
 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、こんなひどい所に導き入れたのですか。ここは穀物もいちじくも、ぶどうもざくろもない所で、 飲み水さえもありません。」
 6 モーセとアロンは会衆から離れて会見の幕屋の入り口に行き、ひれ伏した。すると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の栄光が彼らに現れた。
 7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はモーセに告げられた。
8
 「杖を取り、あなたと兄アロンは会衆を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたは彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に水を飲ませなさい。」
 9 モーセは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が命じられたとおりに、主の前から杖を取り、10 モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。
「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」
 11 モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。
 12 だが、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はモーセとアロンに言われた。
「あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の目の前に、私を聖としなかった。それゆえ、あなたがたは、私が彼らに与えた地にこの会衆を導き入れることはできない。」
 13 これがメリバ〔争い、口論、喧嘩、の意(筆者挿入)〕の水であり、そこでイスラエルの人々が主と争ったが、主は自らが聖なる者であることを彼らのうちに示されたのである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節に“イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死に、その地に葬られた。”とあります。
「第一の月に」とありますが、これは出エジプトしてから40年目の第一の月です。

 3節を、2017は“・・・われわれの兄弟たちが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で死んだとき、われわれも死んでいたらよかったのに”と訳しています。
2017
が「死んだとき」と訳している個所は、ヘブライ語聖書通りです。
聖書協会共同訳は「死に絶えたとき」と訳して、出エジプトした民の、当時20歳以上であった者たちが罪のゆえに荒野で死に絶えたことをわからせるために意訳しているのだろうと推測します(民数記13.14章参照)。
 特に、民数記1426-35には次のように記されています。
26 主はモーセとアロンに告げられた。
27
 「この悪しき会衆は、いつまで、私に対して不平を言うのか。私は、イスラエルの人々が私に対して言い続ける不平を十分聞いた。28 あなたは彼らに言いなさい。私は生きている――主の仰せ。私は、あなたがたが私の耳に語ったとおり、あなたがたに対して行う。29 あなたがたの死体はこの荒れ野に倒れるであろう。私に対して不平を言った者、すなわち、あなたがたのうち二十歳以上で、登録をされ、数えられた者は皆、倒れるであろう。〔この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。(2017)〕30 あなたがたは、私があなたがたを住まわせると誓った地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別である。31 あなたがたは『幼子たちが奪われる』と言ったが、私は幼子たちを導き入れる。彼らはあなたがたの拒んだその地を知るようになる。32 だが、あなたがたは死体となってこの荒れ野に倒れ、33 あなたがたの子どもは、あなたがたの死体が荒れ野で朽ち果てるまで、四十年の間、荒れ野で羊飼いとなってあなたがたの背信の罪を負う。34 あなたがたがあの地を偵察した四十日という日数に従い、一日を一年として四十年の間、あなたがたは自分の罪を負い、あなたがたは私に反逆することの意味を知るであろう。35 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である私が言う。私に逆らって集まったこの悪い全会衆に対して、私は必ずこのことを行う。彼らはこの荒れ野で絶え果てて、死ぬ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 出エジプトした初代の大人たちは、ヤハウェ(主)に逆らう罪のゆえに上記のように宣告され、ヤハウェ(主)の宣告通りに死に絶えたのでしょう。

 次世代の者たちも、出エジプトして40年目の第一の月にヤハウェ(主)と言い争ったのです(モーセと言い争うことは主と言い争うことでした。モーセは主の命令に従って行動していたのですから)。

 <モーセの罪>
 ヤハウェ(主)は、モーセに次のように語られたのです。
「杖を取り、あなたと兄アロンは会衆を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたは彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に水を飲ませなさい。」(8

 しかし、モーセは命令に従わず、更に自分を高め、主を聖としませんでした。モーセは主に栄光を帰さなかったのです。
モーセは民に次のように語り、また行動しました。
①「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」(10
モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。
と記されています。

 モーセは、「恵みと慈愛に富み給うヤハウェ(主)は、あなたがたに水を与えてくださいます。主に感謝していただきなさい。」と言えばよかったのに、と思います。

 パウロは、「岩」について、
「皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。」(1コリント104・新共同訳)と述べています。

 岩であるキリスト・イエス様に向かってお願いするだけでよかったのです。
イエス様は次のように言われました。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」(ヨハネ737.382017)と。
メリバの水は、このことの予表的な出来事であったのかもしれません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつもあなたに対してへりくだって歩む者であらせてください。
また主が恵みをもって応えてくださったことに対して、いつも感謝と賛美を忘れることがありませんようお導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年3月 1日 (金)

詩篇106:28-31 偶像礼拝者への裁き/主を愛する歩み

 詩篇10628-31には次のように記されています。
28 彼らはバアル・ペオルに付き従い、死者に献げたいけにえを食べた。
29
 その行いは主を怒らせ、疫病が彼らの間に広がった。
30
 ピネハスが立って執り成すと、疫病は収まった。
31
 これは代々とこしえにピネハスの義と見なされた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所は民数記25章の出来事を述べています。
28.29
節に相当する民数記の個所は、民数記251-3であり、その箇所には次のように記されています。
1 イスラエルがシティムにとどまっていたとき、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。
2
 娘たちは民を招いて、自分の神々にいけにえを献げ、民はそれを食べて彼女たちの神々にひれ伏した。
3
 イスラエルはこうして、ペオルのバアルに付き従ったので、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 これ(性的不道徳と偶像礼拝)を画策した(民数記2515.17.18311-8,16等を参照)のは、貪欲を捨てきれなかった魔術師・占い師でありながら、強制的に神ヤハウェ(主)にヤハウェ(主)の預言活動をさせられたバラムでした(民数記22-24章参照)。
黙示録214には“バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。”(2017)と記されています。

 民数記251-3に関して、Bibleナビは次のように記しています(抜粋)。
“聖書には、どのようにしてイスラエルの男たちが性的不道徳に落ちて行ったのか、書かれてはいない。私たちは、カナン人の数々の宗教では、聖なる売春が一般的だったことは知っている。最初、イスラエル人は、偶像礼拝について考えもせず、ただ、みだらなことに興味があっただけだった。やがて彼らは、偶像礼拝を含む、その地域の祝宴や、家族の儀式に参加するようになった。すぐに彼らは、自分たちの理解を超えた多神教を信仰する文化の習慣に溶け込んでいった。彼らの興味と享楽が霊的な神との契約をぐらつかせる原因となった。/
不品行の罪と偶像礼拝の組み合わせは、イスラエルを祝福し、彼らの味方として現れたバラムの狙いでもあった(民数記3116、黙示録214)。バラムは、少なくともしばらくの間は、すべて正しいことを言い、行っていたように見えるので(民数記22.24章)、イスラエル人がどのようにして間違った方向に導かれたかを理解することは簡単である。バラムが彼らに大きなダメージを負わせる直前になってようやく、イスラエル人は、バラムが欲深く、魔術を使って、深く多神教の習慣にかかわっていたことに気づいたのだった。”とあります。

 詩篇10628には“彼らはバアル・ペオルに付き従い、死者に献げたいけにえを食べた。”と記されています。
日本でも、死者である先祖に供物を献げ、また捧げたものを食べるというようなことが、あちらこちらで行われているのではないでしょうか。

 詩篇10629には“その行いは主を怒らせ、疫病が彼らの間に広がった。”と記されています。
2017
は、民数記259を“この主の罰で死んだ者は、二万四千人であった。”と訳していますが、
聖書協会共同訳は“この疫病で死んだ者は二万四千人であった。”と訳しています。
「罰」(2017)、「疫病」(聖書協会共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「マゲーファー」で、疫病、悪疫、の意があり、その他、打撃、一撃等の意もあります。

 ヤハウェ(主)は、偶像礼拝と性的貪欲である性的不品行を疫病で罰せられたのでした。
テレビやネットのニュースで見る日本は偶像礼拝が蔓延し、性的不品行もあちこちであるような感じですね。
偶像礼拝は、悪霊礼拝です(1コリント1014.19.20)。

 詩篇10630.31には“ピネハスが立って執り成すと、疫病は収まった。これは代々とこしえにピネハスの義と見なされた。”(聖書協会共同訳)と記されています。
この個所をリビングバイブルは、
“ピネハスが災いを引き起こした張本人を処刑すると、神の罰はおさまりました。このピネハスの適切な処断は歴史に残るでしょう。”と訳しています。

 30節の「執り成す」(聖書協会共同訳)、「処刑する」(リビングバイブル)、「仲立ち」(新改訳)、「祈る」(新共同訳)、「仲裁」(口語訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「パーラル」で、裁判すること、判断すること、の意があり、転じて、とりなしをする、祈る、仲裁する、等の意があります。

 30.31節の出来事は、民数記25章を読むとよくわかります。
この時のピネハスは、ただ祈っていたのではありませんでした。
民数記25章には次のように記されています。
1 イスラエルがシティムにとどまっていたとき、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。
2
 娘たちは民を招いて、自分の神々にいけにえを献げ、民はそれを食べて彼女たちの神々にひれ伏した。
3
 イスラエルはこうして、ペオルのバアルに付き従ったので、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。
4
 主はモーセに言われた。「民の頭(かしら)をことごとく捕らえ、主のために彼らを処刑し、白日のもとにさらしなさい。そうすれば、主の燃える怒りはイスラエルから去るであろう。」
5
 モーセはイスラエルの裁き人たちに言った。「あなたがたはおのおの、自分の配下で、ペオルのバアルに付き従った者たちを殺しなさい。」
6
 この時、モーセとイスラエル人の全会衆の前にイスラエル人の男がやって来て、兄弟たちのところにミデヤン人の女を連れ込んだ。それは彼らが会見の幕屋の入り口で泣いていたときのことであった
7
 祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはこれを見ると、会衆の中から立ち上がって槍を手に取り8 そのイスラエル人を追いかけて奥の部屋まで行き、この二人、すなわち、そのイスラエル人と女を突き刺した。槍は女の腹にまで達した。イスラエル を襲った疫病はこれによってやんだが、9 この疫病で死んだ者は二万四千人であった。
 10 主はモーセに告げられた。
11
 「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、私の熱情をイスラエルの人々の前に示すことで、彼らのうちから私の憤りを取り去った。それで私は、私の熱情〔「ねたみ」(新改訳)、「憤激」(口語訳)、ヘブライ語原語は「キンアー」でそれらのどの意もあります(筆者挿入)〕のためにイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。
12
 それゆえ、あなたはこう言いなさい。私は彼に平和の契約を授ける。
13
 彼と、彼に続く子孫たちにとって、これは永遠の祭司職の契約となる。彼がその神にひたむきな熱情を示し、イスラエルの人々のために贖いをしたからである。」
14
 ミデヤン人の女と一緒に殺されたイスラエル人の名は、シメオン家の家長、サルの子ジムリであった。
15
 また、殺されたミデヤン人の女の名は、ミデヤンの部族の連合の頭、ツルの娘コズビであった。
 16 主はモーセに告げられた。
17
 「ミデヤン人を襲撃し、これを打ちなさい。
18
 彼ら〔ミデヤン人(筆者挿入)〕はあなたがたを巧妙な手口で襲い、ペオルの事件を引き起こし、また、この事件が原因で疫病が襲った日に、殺された彼らの姉妹、ミデヤン人の指導者の娘コズビの事件を起こしたからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。
 
 この出来事の背景が民数記3116に、“イスラエルの人々にとって、彼女たちはバラムの言葉に唆(そそのか)され、主への背信の罪を犯させたペオルの事件の張本人であり、そのために、主の会衆のうちに疫病が起きたのだ。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
偶像礼拝に陥ることなく、いつも主を愛し、主に従う者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月26日 (月)

詩篇106:27 主に背き続けると他国に散らされることになる/罪を赦され交わりを回復させていただく方法

 詩篇10627には“また、国々の間でその子孫を倒し、もろもろの地に散らすと誓った。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 北イスラエル王国の民はアッシリアによって他の国々に移されました(2列王記171-18、特に6節)。ただし、捕囚として連れて行かれたのは、イスラエル王国の民の全員ではありません(2歴代誌159参照)。
南イスラエル王国(ユダ王国)はバビロンに敗北し、バビロンに捕囚となりました(2列王記251-21)。

 捕囚となった北イスラエルの民の内の多くの人々のその後のいきさつは定かではありません。
 
 バビロンに捕囚になったユダヤ人たちは、B.C.538年に解放され、バビロンにとどまった人たちもいましたが、ユダの地に帰還した人たちもいました。
 その後、主イエス様が降誕され、イエス様こそ、メシアであり、救い主であると御自身で証しされたのに、ほとんどのユダヤ人たちは、その証言を受け入れず、イエス様を十字架につけたのです。
ユダヤの民は、イエス様をメシアとして受けいれることをしなかったので、ローマによって紀元70年に滅ぼされ、離散させられました。

 離散の憂き目にあった原因は、主なる神に背き続けたことによります。
イスラエルの民はいきなり他国に散らされたのではありませんでした。
このような罰を受けることは、神様とイスラエルの間の契約の中の条項にあったのです。

 簡単に言えば、主に従えば祝福され、主に不従順を続ければ裁かれる、という契約の中の一部です。
祝福と呪いについて、申命記よりも先に記されたレビ記26章を見ることにします。

 まず、主に従えば祝福されるという契約内容を見てみます。
レビ261-12には次のように記されています。
“1 あなたがたは自分のために偶像や彫像を造ってはならない。また、石柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を置いて、それにひれ伏してはならない。私は主、あなたがたの神である。
2
 私の安息日を守り、私の聖所を畏れなさい。私は主である。
3
私の掟に従って歩み、戒めを守り行うなら
4
 私は季節に応じて雨を降らせる。大地は実りをもたらし、野の木は実を結ぶ
5
 脱穀はぶどうの摘み取りまで続き、ぶどうの摘み取りは種蒔きまで続く。パンを食べて満ち足り、安らかにこの地に住むことができる
6
 私が地に平和を与えるので、あなたがたは脅かされることなく憩う。また私は悪い獣を地から滅ぼす。剣があなたがたの地を襲うことはない。
7
 あなたがたが敵を追うと、敵はあなたがたの剣に倒れる。
8
 あなたがたは五人で百人を、百人で万人を追う。敵はあなたがたの剣に倒れる。
9
 私はあなたがたを顧み、多くの子どもを与え、数を増し加えて、あなたがたと契約を立てる。
10
 古い穀物は食べきれず、新しい穀物を前にして運び出される。
11
 私の住まいをあなたがたの中に置く。私はあなたがたを心から嫌うことはない。
12
 あなたがたの間を巡って、あなたがたの神となり、あなたがたは私の民となる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主に従えば、主の臨在、平和、子孫繁栄、食物の満たし、もし戦うようなことがあっても必ず勝利する、等の約束が与えられたのです。

 新約の民であるキリスト者は、霊的な意味で、上記の祝福を受けますし、それ以上の祝福も約束されています。

 レビ記26章の呪いの条項は、5段階に激しくなります。
その段階の個所を列挙すると、
14-17節 ②18-20節 ③21-22節 ④23-26節 ⑤27-39節、と段階を踏むごとに厳しくなります。一段階上がるごとに、“七倍の懲らしめor七倍の災いor七倍の罰、を加える”と記されています(18212428)。

 詩篇10627の聖句は、⑤の個所に出てくるものです。
レビ2627-39には次のように記されています。
26 私がパンの蓄えを絶つとき、十人の女が一つのかまどでパンを焼いて、秤で量ってパンを配るようになる。食べても満たされることはない。
27
 それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら、
28
 私は激しい憤りであなたがたに逆らって歩み、その罪に七倍の懲らしめを加える。
29
 あなたがたは自分の息子の肉を食らい、娘の肉を食(は)む。
30
 私はあなたがたの高き所を破壊し、香の祭壇を倒す。あなたがたの偶像の残骸の上にあなたがたの死骸を置き、私はあなたがたを忌み嫌う。
31
 あなたがたの町を廃虚とし、聖所を荒らし、宥(なだ)めの香りを嗅ぐことはない。
32
 私が地を荒らすと、そこにいるあなたがたの敵はそれを見て驚く。
33
 私はあなたがたを諸国民の中に追い散らし、背後で剣を抜く。地は荒れ果て、町は廃虚と化す。
34
 その荒廃の期間に、地は安息を享受する。あなたがたが敵の地にいる間、地は安息して、安息年を享受する。
35
 あなたがたが住んでいた間、安息年では得られなかった安息を、その荒廃の期間に享受する。
36
 あなたがたのうちの残りの者に対し、私は敵の地で、その心を臆病にする。揺れる木の葉の音さえ、彼らを追い立てる。彼らは剣で追われるかのように逃げ惑い、追う者もいないのに倒れる。
37
 追う者もいないのに、剣で追われるように逃げ惑い、仲間どうしでつまずく。あなたがたには敵に向かって立ち上がる力はない。
38
 諸国民の間で滅び、敵の地があなたがたを食い尽くす。
39
 あなたがたのうちの残りの者は、敵の地で自分の過ちのゆえに朽ち果て、先祖の過ちのゆえに衰え果てる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 次に、申命記4章には次のように記されています。
25 もしあなたが子や孫をもうけ、その地で年を取り、堕落してあらゆる形の彫像を造り、あなたの神、主の目に悪とされることを行い、主を怒らせるならば、
26
 私は今日あなたがたに対して、天と地を証人として呼び出す。あなたがたは、ヨルダン川を渡って行って所有する地から取り去られ、たちまち滅び去る。あなたがたはそこで長く生きることはできない。必ずや滅ぼされる。
27
 主は、あなたがたをもろもろの民の中に散らされる。しかし、主が追いやる先の国々で僅かな者は残される。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主は契約を守る神です。
この契約の中には、主に立ち返る方法も記されています。
レビ2640-45には次のように記されています。
40 彼らは背信の罪を犯した先祖の過ちと、また私に逆らって歩んだ自らの過ちを告白するようになる。
41
 だが、私は彼らに逆らって歩み、彼らを敵の地へ導く。その時、その割礼のない心もへりくだり、過ちの償いをするようになる。
42
 そこで私は、ヤコブとの契約、イサクとの契約、アブラハムとの契約を思い起こして、かの地のことを思い出す。
43
 かの地は彼らから捨てられ、荒廃している間に、その安息を享受する。彼らは自らの過ちの償いをしなければならない。私の法を拒み、私の掟を心から嫌ったからである。
44
 しかし彼らが敵の地にいるときでさえ、私は彼らを拒まず、嫌わず、滅ぼさず、彼らとの契約を破りはしない。私は主、彼らの神である
45
 私は彼らの先祖との契約を思い起こす。私は、彼らの神となるために、諸国民の目の前で彼らをエジプトの地から導き出した。私は主である。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト者も罪を告白することなく、罪の中にとどまり続けると、神様との間に隔てが出来、神様がわからなくなってしまいますし、御言葉も虚しく感じるようになり、また、御言葉に対する信頼も起こらなくなってしまします。

 キリスト者の場合の対処法は、1ヨハネ19に記されていますが、ここでは1ヨハネ15-10の聖句を下記します。
5 私たちがイエスから聞いて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
6
 神と交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、私たちは偽りを述べているのであり、真理を行ってはいません。
7
 しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
8
 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。
9
 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正〔「不義」(口語訳、2017、新共同訳)〕から清めてくださいます。
10
 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私たちの内にありません。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたを愛し、あなたに信頼し、あなたに従って歩む者であらせてください。
罪を犯してしまったときには、御聖霊によってすぐに教えてくださり、罪を示されたら、すぐに告白し、きよめていただいて、あなたといつも親しく歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月22日 (木)

詩篇106:24-26 主の約束を信ぜず、主に信頼する者たちの証言を信じない民/主の約束を信じない者ではなく主を信じて歩む者

 詩篇10624-26には次のように記されています。
24 ところが彼らは愛すべき地を侮(あなど)り、御言葉を信じず、25 天幕でつぶやき、主の声に聞き従わなかった。
26
 主は彼らに向かって手を上げ、荒れ野で彼らを倒すと誓った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所は、民数記13.14章に記されているカナンの地を偵察してきた者たち12人の内、不信仰者10人の言葉を受け入れたイスラエルの民の状態と、それにたいする神ヤハウェ(主)の裁きについて記されています。

 24.25節には“ところが彼らは愛すべき地を侮り、御言葉を信じず、25 天幕でつぶやき、主の声に聞き従わなかった。”とあります。

聖書協会共同訳、新共同訳が「愛すべき地」と訳した個所を、2017は「尊い地」、新改訳初版~第三版と口語訳は「麗しい地」と訳しています。そのように訳されているヘブライ語原語は「エレツ(地) ヘムダー」で、「ヘムダー」には、喜ばせる、楽しませる、快い、高価な、貴重な、愛しい、・・・等の意があります。

 神様は、カナンの地を「愛すべき地」「麗しい地」「尊い地」と言われたのですが、荒野を旅しているイスラエルのほとんどの民は、その言葉を信ぜず、さげすんだのです。

 上述したように、「麗しい地」とはカナンの地のことで、エジプトにおいて神様がモーセに現れ、モーセを召し、モーセを派遣するにあたって最初に約束された地なのです。
 出エジプト37-10には、
“7
 主は言われた。「私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。
8
 それで、私は降って行って、私の民をエジプトの手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、そしてエブス人の住む所に導き上る
9
 今、イスラエルの人々の叫びが私のもとに届いた。私はエジプト人が彼らを虐げているのを目の当たりにした。
10
 さあ行け。私はあなたをファラオのもとに遣わす。私の民、イスラエルの人々をエジプトから導き出しなさい。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 8節に記されてある地は、神様がアブラハムに与えると約束した地であり、創世記1513-1618-21には、神様がアブラハムに次のように語られたことが記されています。
「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」/
「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人〔ケニ人(新改訳)〕、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」(新共同訳)とあります。
この契約は、更にアブラハムの子孫のイサク、ヤコブに継承されていったのです。

 10624-26の箇所は、前述しましたが、民数紀13.14章に記されています。
この出来事は、エジプトを出て2年目に入ってからのことだろうと思います。

 神様は、イスラエルの部族長達12人にカナンの地を探らせよ、とモーセに命じました。(民131.2
部族長たち斥候は偵察に40日間を費やしました(民1317-25)。

 部族長たち斥候の報告の中で良かった内容は、「そこはまことに乳と蜜の流れる地でした。これがそこの果実です。」(民1327・聖書協会共同訳)というものであり、「これがそこの果実です。」と見せた物は、民1323に「彼らはエシュコルの谷まで行き、一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒で担いで二人で運んだ。また、ざくろといちじくも取った。」(聖書協会共同訳)と記されている大きなブドウやザクロ、イチジクであったのです。

 12人の部族長たちの内の10人が、それに加えて語った内容は次に記すように不信仰に満ちた大変悪い内容でした。
「・・・、その地に住む民は強く、町は城壁に囲まれ、とても大きいのです。私たちはそこでアナク人〔巨人で強い(筆者挿入)〕の子孫さえも見ました。ネゲブの地にはアマレク人が住み、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人が住み、海辺とヨルダンの岸辺にはカナン人が住んでいます。」(民1328.29・聖書協会共同訳)と記されています。
斥候の12人の内の10人は、恐らく、とてもその地を征服することなど出来ないよ、というような表情や態度でモーセと全ての民に対して語ったのでしょう。

 これに対して、神様が約束された御言葉を信じ、神様に信頼している二人の部族長であるカレブとヨシュア(ホセア)のうちのカレブが、不信仰に満ちた部族長たちの言葉に反対して、「私たちはぜひとも上って行くべきです。そこを手に入れましょう。私たちには必ずできます。」(民1330・聖書協会共同訳)と語ったのです。

 しかし、斥候として行った内の不信仰な10人の部族長たちは、「いや、あの民に向かって上ることなどできません。彼らは私たちよりも強いからです」(民数記1331・聖書協会共同訳)と言いました。
そして、偵察した地について、イスラエルの人々の間に悪い噂を広めて「私たちが偵察のために行き巡った地は、そこに住もうとする者を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民は皆、巨人だった。私たちはそこでネフィリムを見た。アナク人はネフィリムの出身なのだ。私たちの目には自分がばったのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」(民1332.33・聖書協会共同訳)と言って、カレブの言葉を打ち消し、カナンの地には巨人がいて私達を打ち滅ぼしてしまうと不信仰の種を全員に撒き散らしたのです。

 この報告を聞いたイスラエルの民はどのような反応をしたのでしょうか?
神様を信頼したのか、或いは、不信仰の種を大きく成長させたのか?

 イスラエルの民の反応、言動が民数記141-4に次のように記されています。
“1
 全会衆は声を上げて叫び、民はその夜、泣き通した。
2
 イスラエルの人々は皆、モーセとアロンに向かって不平を言い、全会衆が彼らに言った。
「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。この荒れ野で死んでいたらよかったのに。3 どうして、主は私たちをこの地に連れて来て、剣に倒れさせようとするのだろうか。私たちの妻も幼子も奪われてしまうだろう。エジプトに帰ったほうがましではないか。」
4
 そして互いに「さあ、頭を立てて、エジプトへ帰ろう」と言い合った。(聖書協会共同訳)とあります。
 
 イスラエルの民は、1年少し前に、神様が行なったエジプトに対する10の災いを見、更に、紅海の海水を左右に分けて渡らせてくださったことを体験し、荒野に入ってからは、神様が、マナを与え続けて下さっておられること、肉を食べたいと言ったらウズラを驚くほど多く飛んで来させられて与えてくださったこと等々と、わずかの間に驚くべき神様の御業を体験していました。
更に雲の柱、火の柱の中に神様が臨在され、守り導いてくださっておられる、ということも体験してきているのです。

 しかし、イスラエルの民は、10人の族長たちから、巨人ネフィリムに滅ぼされてしまうだろう、との話を聞き、不信仰で一杯になってしまったのです。

 それに対して、ヨシュアとカレブはイスラエルの民を神様に対する信仰に立たせようと励ましました。
 民147-9には、「私たちが偵察のために行き巡った地は、実に良い地でした。もし、私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる地を私たちに与えてくださるでしょう。ただ、主に逆らってはなりません。その地の民を恐れてもなりません。彼らは私たちの餌食にすぎないのですから。彼らを守るものは彼らから離れ去り〔彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。(2017)〕私たちには主が共におられます。彼らを恐れてはなりません。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ヨシュアとカレブの励ましを聞いて、イスラエルの民は、信仰に立つどころか二人を石で打ち殺そうといいだしたのです(民1410)。

 この出来事に対して神様は次のように次のように語られました。
「この民はいつまで私を侮るのか。私が彼らのうちに行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまで私を信じないのか。私は疫病で彼らを打ち、彼らを捨てて、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう。」(民1411.12・聖書協会共同訳)と記されています。

 詩篇の今日の個所には記されていませんが、神様の御言葉に対してモーセはとりなしの祈りをしました。
その祈りによって、出エジプトを果たし荒野を歩んできたイスラエルの民が直ちに滅びるということはなくなりました。
しかし、10人の斥候は疫病で死にました(民1437)。
またイスラエルの民の不信仰のゆえに、イスラエルは40年の間、荒野の生活を送らねばならなくなりました。そして、その間に20歳以上のイスラエルの民は、ヨシュアとカレブを除いて死に絶えたのです。
カナンの地に入っていくことの出来た者は、ヨシュアとカレブ、及びこの時点で、20歳未満のイスラエルの民でした。

 結局神様は、斥候として12人を使わされましたが、神様に対する信頼、不信頼に応じて個々に扱われたのです。

 キリスト者は、イエス・キリスト様を信じて救われ、永遠のいのちを与えられたのです。救いに与らせて頂いた後もすベてにおいて主に信頼して歩めたら幸いです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ヨシュアとカレブのように主に信頼して歩んでいくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月18日 (日)

詩篇106:19-23 金の子牛事件/主に在りて生きる

 詩篇10619-23には次のように記されています。
19 彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像に向かってひれ伏した。
20
 自分たちの栄光を、草を食(は)む牛の像と取り替え、
21
 自分たちを救った神、エジプトで大いなる業(わざ)を行った方を忘れた。
22
 ハムの地で奇しき業を、葦の海で恐るべき業を行った方を忘れた。
23
 主は言われた、「彼らを滅ぼそう」と。
しかし、主に選ばれたモーセは、主の前で破れ目に立ち、滅ぼそうとする主の憤りをそらせた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ホレブとシナイについて、聖書辞典は次のように述べています。
“ホレブ (〈ヘ〉horeb) 「乾燥した場所」という意味。モーセが神から律法を与えられた山(申4:10‐15,5:2,Ⅰ8:9)。この山は神の山と呼ばれ(出3:1,18:5)、エリヤもここで神から啓示を受けた(19:8)。ホレブとシナイは、聖書の中で特に区別されずに使われているように思われる。たとえばホレブは出17:6,1:6,Ⅰ8:9,19:8,Ⅱ5:10.シナイは出19:11,24:16,31:18,レビ7:38,25:1,33:2,5:5など。これについて、ホレブは山脈名、シナイは頂上名、あるいは、ホレブは北方の低い山脈部分でシナイは南方の高い頂上の部分を指す、またはホレブはシナイ山の低い部分、などと区別する人もあれば、両者は全く同じ山を指していると考える者もいる。後者の中には、別の山だとする特別な理由はないゆえに同じ山であるとする人と、それぞれの固有の呼称を用いた別の資料が反映されているだけで、結局は同じ山のことであるとする者がいる。”とあります。

 この出来事は、出エジプト記32章に次のように記されています。
“1
 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民はアロンのもとに集まって言った。
「さあ、私たちに先立って進む神々を私たちのために造ってください。私たちをエジプトの地から導き上った人、あのモーセがどうなったのか、分からないからです。」
2
 アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻、息子、娘の金の耳輪を外し、私のところに持って来なさい。」
3
 すると民は皆、耳にある金の輪を外し、アロンのところに持って来た。
4
 アロンは彼らの手からそれを受け取り、のみで型を彫り、子牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ」と言った。
5
 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日は主の祭りである」と宣言した。
6
 彼らは翌朝早く起き、焼き尽くすいけにえを献げ、会食のいけにえを献げた。民は、座っては食べて飲み、立っては戯れた。(聖書協会共同訳)とあります。

 この出来事の少し前に何があったかというと、イスラエルの民に十戒{原語の直訳は「十の言葉」(出エジプト3428、申命記413)}が与えられたのです。それはエジプトを出てから3ヶ月と少ししかたっていない頃でした(出エ191)。
 十戒の初めで神様は、
“1
 それから神は、これらすべての言葉を告げられた。
2
 「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3
 あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。
4
 あなたは自分のために彫像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水にあるものの、いかなる形も造ってはならない。(出エジプト記・聖書協会共同訳)と語られたのです。

 神様の御命令(律法)は、その後も続きました。
その後で、イスラエルの民はみな声を一つにして答えて、「主が語られた言葉をすべて行います」(出エジプト243)と言ったのです。

 その少し後にモーセはシナイ山に上り、40日間留まったのです。
イスラエルの民は指導者モーセのいない40日間を待つことが出来ませんでした。
そして、前記したように「さあ、私たちに先立って進む神々を私たちのために造ってください。私たちをエジプトの地から導き上った人、あのモーセがどうなったのか、分からないからです。」(出エ321・聖書協会共同訳)とアロンに言い、アロンも金の子牛を造ったのです。

 エジプトに神様が下された10の災い、また紅海の水が分かれて、イスラエルの民は海底を歩いて渡れたこと、しかし、イスラエルの民を追ってきたエジプトの軍勢は主によって海水が戻されたので皆おぼれ死んだこと等を体験しました。
 その後、神様がイスラエルに十戒を基本とする様々な律法を授けてくださり、イスラエルの民は、「(主との契約を)みな行います。」と答えました(出エジプト243)。
それからいくらもたたない内に、モーセがシナイ山に登って帰って来ないからという理由で、神様に約束した十戒の第1と2の戒めを破ったのです。

 シナイ山において、モーセに様々な教えを授けていた神様は、イスラエルの民が金の子牛の前に祭壇を築き、焼き尽くすいけにえ(全焼のいけにえ)をささげ、会食のいけにえ(交わりのいけにえ、和解のいけにえ)をささげて、飲み食いし、戯れたのを見ました。
そこで主は、モーセに次のように言われたのです。
“7
 ・・・。「急いで下(くだ)りなさい。あなたがエジプトの地から導き上った民は堕落してしまった。8 彼らは早くも私の命じた道からそれて、子牛の鋳像を造り、これにひれ伏し、いけにえを献げ、『イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ』と言っている。」
9
 ・・。「私はこの民を見た。なんとかたくなな民だろう。
10
 私を止めてはならない。私の怒りは彼らに対して燃え、彼らを滅ぼし尽くす。しかし、私はあなたを大いなる国民とする。」(出エジプト32章・聖書協会共同訳)と記されています。

 この神様の御言葉に対してモーセは、主に対する愛と民に対する愛の故に、主に次の様に嘆願しました。
“11
・・・。「主よ、なぜあなたの怒りがご自分の民に燃えるのですか。大いなる力と強い手によってあなたがエジプトの地から導き出された民ではありませんか。
12
 どうしてエジプト人に、『あの神は悪意をもって彼らを導き出し、山の上で彼らを殺し、地の面から滅ぼし尽くした』と言わせてよいでしょう。
燃える怒りを収め、ご自分の民に下す災いを思い直してください。
13
 あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓い、『私はあなたがたの子孫を増やして空の星のようにする。また、私が約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、とこしえにこれを受け継がせる』と告げられました。主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。」(出エジプト記・聖書協会共同訳)と記されています。

 モーセのこの嘆願の祈りを聞いた主は、その民に下すと仰せられた災いを思い直されたのです(出エジプト3214)。

 翌日のことが出エジプト3230-35に次のように記されています。
“30
 翌日になって、モーセは民に言った。
「あなたがたは大きな罪を犯した。今私は、主のもとに登って行く。もしかすると私は、あなたがたの罪のために贖いをすることができるかもしれない。」
 31 モーセは主のもとに戻って言った。
「ああ、この民は大きな罪を犯しました。自分のために金の神々を造ったのです。32 今もし彼らの罪をお赦しくださるのであれば……
しかし、もしそれがかなわないなら、どうぞあなたが書き記された書〔おそらく「いのちの書」(筆者挿入)〕から私を消し去ってください。」
 33 主はモーセに言われた。「私に罪を犯した者は誰でも、私の書から消し去る。
34
 しかし今、私があなたに告げた所に民を導きなさい。その時、私の使いがあなたの先を行く。裁きの日に、私は彼らの罪を罰する。」
35
 主は民を打たれた。アロンが造った子牛に対して彼らが行ったことのためである。(出エジプト32章・聖書協会共同訳)とあります。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは主なる神です。
あなたの代わりに偶像を礼拝してしまうことがありませんように。
偶像礼拝を物質的にではなく霊的に捉えると、あなた以外を第一とすること自体が偶像礼拝であることを覚えます。
主イエス様が、「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ633・聖書協会共同訳)と命じられたように、いつもあなたを第一とした歩みをし続けていくことが出来ますように。
パウロは聖霊によって、「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント10312017)と述べましたが、少なくともあなたに感謝し、あなたを賛美して歩む者であらせて下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
(コロサイ35.6“5 だから、地上の体に属するもの、すなわち、淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなりません。6 これらのことのために、神の怒りが不従順の子らの上に下るのです。(聖書協会共同訳) 
(ガラテヤ524.25)“24 キリスト・イエスに属する者は〔「キリスト・イエスのものとなった人たちは」(新共同訳)〕、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。25 私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか〔If we live in the Spirit, let us also walk in the Spirit.(KJV)〕。”(聖書協会共同訳)

2024年2月14日 (水)

詩篇106:16-18 主の主権を認めず主に立てられた者であるモーセを妬んだものへの裁き

 詩篇10616-18には次のように記されています。
16 彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。
17
 地が開いてダタンを呑み込み、アビラムの仲間を覆った。
18
 火が彼らの仲間のうちで燃え上がり、炎が悪しき者を焼き尽くした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 16節に“彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。”とあります。
「彼ら」とは、コラ、ダタン、アビラム、オンという人々とその人たちに従う神の主権を認めない人々です。

 詩篇10616に記されている“彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。”という内容は、民数記161-3に次のように記されています。
1 レビの子ケハトの子であるイツハルの子コラは、ルベンの一族であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレトの子オンと組み、2 会衆の指導者、すなわち会衆の中から指名された二百五十人の名のあるイスラエルの人々と共に、モーセに反逆した。
3
 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。それなのに、なぜあなたがたは主の会衆の上で思い上がっているのか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 コラたちが語った言葉のうち、「会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。」という内容は正しいものでした。
しかし、コラたちが語った内容には間違いも含まれていました。
それは「あなたがたは分を越えている。/あなたがたは主の会衆の上で思い上がっている。」という部分です。

 モーセとアロンを立てたのは神ヤハウェ(主)でした。
モーセとアロンは自分たちがイスラエルの会衆のリーダーや大祭司になりたくてなったのではありませんでした。

 詩篇10616からすると、コラたちは、モーセとアロンを妬んだのです。
妬みという罪によって、コラたちはモーセとアロンを攻撃したのです。
これの更に恐ろしいところは、神の主権を認めない、というところにあります。

 その後の様々なやり取りとその後の経過は民数記164-50に記されています。
その中からモーセの言葉を少し下記しておきます。
「レビの子らよ、聞きなさい。9 イスラエルの神はあなたがたをイスラエルの会衆から取り分け、ご自身に近づかせ、主の幕屋の仕事をさせ、会衆の前に立たせて彼らに仕える者とされた。あなたがたはそれでも足りないのか。主はあなたを、そしてあなたの兄弟であるレビの子らをすべてご自身のそばに近づけられたのだ。それなのに、あなたがたは祭司職をも求めるのか。それだから、あなたとあなたの仲間は皆、主に逆らって集まったのか。あなたがたは、アロンを何と思って、彼に対して不平を言うのか。」(民数記168-11・聖書協会共同訳)と記されています。

 「レビの子らよ」とありますが、コラはレビの子孫でした。
レビには、ゲルション、ケハト(ケハテ)、メラリの三人の子供がいました。
コラはレビのひ孫になります{レビーケハテーイツハルーコラ(出エジプト616.18.21)}。
モーセもコラと同じレビからは四代目になります{レビーケハテーアムラムーモーセ(出エジプト616.18.20)}。コラもモーセも祖父は同じケハテでした。コラとモーセはケハテの孫同士であったのです。

コラが属するケハト(ケハテ)族の任務は、祭司エルアザルの監督下にあって(民数記332)、「契約の箱、供え物の机、燭台、祭壇、それらに用いられる聖なる祭具、幕、およびそれにかかわる仕事をすること」(民数記331・新共同訳)でした。

 

レビ族のコラは、ルベン族のダタンとアビラムとオンと共謀して、モーセとアロンに反逆しました(1)。ダタンとアビラムとオンがルベン族であることはヘブライ語聖書で読むとよくわかります。

 17節には“地が開いてダタンを呑み込み、アビラムの仲間を覆った。”と記されています。
 これは民数記1620-33に次のように記されています。
20 主はモーセとアロンに告げられた。
21
 「あなたがたはこの会衆のただ中から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」
22
 二人はひれ伏して言った。
「神よ、すべての肉なるものに霊〔ルーアハ(筆者挿入)〕を与えられる神よ。あなたは一人が罪を犯すと、全会衆に怒りを下されるのですか。」
23
 主はモーセに告げられた。
24
 「会衆に告げて、コラ、ダタン、アビラムの住まいの周囲から離れよと言いなさい。」
25
 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところに行った。イスラエルの長老たちも後に付いて行った。
26
 彼は会衆に言った。
「この悪い人々の天幕から離れなさい。彼らのものには一切触れてはならない。彼らのすべての罪のために、あなたがたが滅びることのないように。」
27
 彼らはコラ、ダタン、アビラムの住まいの周囲から離れた。ダタンとアビラムも妻、子、幼子たちと一緒に天幕から出て来たが、その入り口に立っていた。
28
 モーセは言った。
「これらすべてのことを行うために、主が私を遣わされたのであって、私の考えではないことを、あなたがたは次のことによって知るだろう。29 もしこの者たちが普通の人の死に方で死に、普通の人の運命に会うならば、主が私を遣わされたのではない。30 だが、もし主が全く新しいことをなされて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するものをすべて呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるなら、この者たちが主を侮ったことをあなたがたは知るであろう。」
31
 彼がこれらのすべての言葉を語り終えるやいなや、彼らの足元の大地が裂けた。
32
 地はその口を開き、彼らとその家族、コラに属するすべての者たちとすべての持ち物を呑み込んだ。33 彼らと彼らに属するものはすべて生きたまま陰府に下り、地がそれを覆った。彼らはこうして会衆のうちから滅び去った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 18節には“火が彼らの仲間のうちで燃え上がり、炎が悪しき者を焼き尽くした。”とあります。
民数記1635には“火が主のもとから出て、香を献げた二百五十人を焼き尽くした。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 詩編106篇には記されていませんが、民数記の、聖書協会共同訳と新共同訳及びフランシスコ会訳は176-15、口語訳と新改訳は1641-50には更に次のような内容が記されています。
6 翌日、イスラエル人の全会衆は、モーセとアロンに対して「あなたがたは主の民を殺した」と不平を言った。
7
 会衆はモーセとアロンに逆らって集結し、会見の幕屋の方を向いた。すると、雲がそれを覆い、主の栄光が現れた。
8
 モーセとアロンが会見の幕屋の前に来ると、9 主はモーセに告げられた。
10
 「この会衆から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」
彼ら二人はひれ伏した。
11
 モーセはアロンに言った。
「火皿を取り、それに祭壇から取った火を入れ、香を載せ、急いで会衆のもとに行って、彼らのために贖いをしなさい。 主の前から怒りが出て、疫病が広まり始めたのだ〔主の前から激しい御怒りが出て来て、神の罰がもう始まっている(2017)〕。」
12
 アロンがモーセの言ったとおりにそれを取り、集まっている人々の中へ走って行くと、民の間に疫病〔神の罰(2017)〕が広まり始めていた。アロンが香をたき、民のために贖いをし、13 死んだ者と生きている者との間に立つと、疫病〔主の罰(2017)〕は治まった。
14
 この疫病〔この主の罰(2017)〕による死者は、コラの出来事で死んだ者たちを除き、一万四千七百人であった。
15
 アロンは会見の幕屋の入り口にいるモーセのもとに帰った。疫病〔主の罰(2017)〕はこうして治まった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「疫病」(聖書協会共同訳)、「罰」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「ネゲフ」で、どちらの意もあります。

 地上の地域教会においては、主の主権に従って行動する者と、人間的な主義主張や感情によって行動する、ヒューマニズム的な者の間に分裂の起こることがあります。その時にどちらを選択するのか、神主権の立場に立つのか、人間主権の立場に立つのか、個々人の選択に任されています。選択の結果は当人が負うことになります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも三一の神を主と仰ぎ、主の主権のもとに日々歩んでいく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月10日 (土)

詩篇106:13-15 私たちの必要をへりくだって主に求め、貪欲に陥ることなく、与えていただいたら主に感謝することを忘れないように

 詩篇10613-15を、聖書協会共同訳は、
13 しかし彼らはたちまち主の業を忘れ去り、その計らいを待たず、14 荒れ野で激しい欲望を起こし、砂漠で神を試みた。
15
 主は彼らの願いをかなえたが、彼らの魂を痩せ衰えさせた。”と訳し、

 2017は、
13 しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、主のさとしを待ち望まなかった。
14
彼らは荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。
15
そこで、主は彼らにその欲するものを与え、彼らのいのちを衰えさせた。”と訳しています。

 リビングバイブルは、
13 しかし、たちまち元に戻ってしまったのです。彼らは神を無視して行動し、14 もっとおいしいものを食べたいと注文をつけました。こうして、もはや赦されることがない時点まで、神の忍耐を試したのです。
15
主は彼らの欲しがるものを与えましたが、彼らの心を空虚にしました。”と意訳しています。

 13節の「計らい」(新共同訳、聖書協会共同訳)、「さとし」(新改訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「エーツァー」で、助言、忠告、勧告、思慮分別、計画、方法、・・・等の意があります。

 出エジプトしたイスラエルの民は、エジプトで、主の十の御業を見、紅海での出来事を体験したにもかかわらず、神様の助言、神様の御教え、神様の導きを無視し、肉の欲望に駆られて大失敗をしたのです。

 出エジプト171-7には次のように記されています。
1 イスラエル人の全会衆は、主の命によりシンの荒れ野を出発し、旅を重ねて、レフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲む水がなかった。
2
 民はモーセと言い争いになり、「飲み水をください」〔「水はどこだ! 水をくれーっ!」(リビングバイブル)〕と言った。
モーセは彼らに言った。「なぜあなたがたは私と言い争うのか。なぜ主を試すのか。」
3
 しかし、民はそこで水を渇望し、モーセに対して不平を述べた。
「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私や子どもたちや家 畜を渇きで死なせるためだったのですか。」
4
 そこでモーセは主に叫んだ。「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。彼らは今にも私を石で打ち殺そうとしています。」
5
 主はモーセに言われた。「民の前を通り、イスラエルの長老を何名か一緒に連れて行きなさい。ナイル川を打ったあなたの杖も手に取って行きなさい。
6
 私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」
モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりに行った。
7
 そして、モーセはその場所をマサとメリバと名付けた。イスラエルの人々が、「主が私たちの間におられるのかどうか」と言って、モーセと言い争い、主を試したからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 もし、イスラエルの民が神様やモーセと争うことなく、自分たちは、神様によって生かされている者であることを自覚し、へりくだって水を求めればよかったのに、と思います。そして、水が与えられたら、神様に感謝し、神様をほめたたえればよかったのに、と思います。

 また民数記11章には次のような記事が記されています。
1 民は主の耳に届くほど激しい不平を漏らした。主はそれを聞いて怒りに燃え、主の火が彼らに対して燃え上がって宿営の端を焼き尽くした。
2
 民がモーセに向かって叫びを上げたので、モーセが主に祈ると火は鎮まった。
3
 そのため、その場所はタブエラ〔「燃える」の意(欄外注)〕と呼ばれた。主の火が彼らに対して燃え上がったからである。
4
 民の一部の輩が飢えと渇きを覚え、イスラエルの人々も再び泣いて言った。
「誰が私たちに肉を食べさせてくれるのだろうか。5 エジプトにいた頃、ただで食べていた魚が忘れられない。きゅうりもすいかも、葱も玉葱もにんにくも。
6
 今では、私たちの魂は干上がり、私たちの目に入るのは、このマナのほかは何もない。」/
・・・・・・7-30節は聖書でお読みください。・・・・・・・・・・
31
 さて、主のもとから風が起こり、海の方からうずらを運んで来て、宿営の周囲に落とした。それは一方の側に約一日の道のり、他方の側に約一日の道のりがあり、地面より二アンマ〔90cm(筆者挿入)〕ほどの高さに積み重なっていた。
32
 民は立ち上がり、終日終夜、さらに翌日も一日中、うずらを集めた。最も少ない者でも十ホメルを集めた。彼らは自分たちのために、宿営の周りにそれらを広げておいた。
33
 だが、その肉がまだ彼らの歯の間にあって、かみ切られていないうちに、主の怒りが民に対して燃え上がり、主は非常に激しい災いで民を打たれた。
34
 そのため、その場所はキブロト・ハタアワ〔「その欲望の墓」(筆者挿入)〕と呼ばれた。貪欲な人々をそこに葬ったからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが生きていけるのは主の恵みのおかげです。
主イエス様は、「日ごとの糧を与えてください」と祈るようにと教えてくださいました。
私たちの必要な物は、すべてあなたが与えてくださるからこそ、私たちが得ることができることを覚えます。
イザヤ4015には“〔「神ヤハウェ(主)にあっては」(筆者挿入)〕見よ、国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、天秤の上の塵と見なされる。島々は埃ほどの重さも持ちえない。”(新共同訳)と記されています。
私たちはいと小さなものです。
本当は、誰も、自分で自分を養うことも出来ないのです。
そのことをわからせるために、大患難時代には大きな飢饉もやってくるのでしょう。
私たちが、あなたの愛の対象であるゆえに、あなたによくして頂いていることを決して忘れることがありませんように。
貪欲に陥ることなく、常にあなたに対してへりくだり、あなたに感謝し、あなたを賛美しつつ歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主の御稜威と」(讃美歌7 新聖歌7
“1.主のみいつと 御栄(みさかえ)とを 声の限り たたえて 全き愛と 低き心 御座に供え ひれ伏す”

2024年2月 6日 (火)

詩篇106:6-12 いつも主に信頼して歩み、主に感謝と賛美をささげよう

 詩篇1066-12には次のように記されています。
6 私たちは先祖と共に罪を犯し、過ちを犯し、悪を行った。
7
 私たちの先祖はエジプトであなたの奇しき業を悟らず、あなたの豊かな慈しみに心を留めず、海のほとり、葦の海で反抗した。
8
 しかし主はご自分の名のために彼らを救い、力強い業を示した。
9
 主が葦の海を叱ると、それは干上がった。主は彼らに、まるで荒れ野を行くように深い淵を進ませた。
10
 憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖った。
11
 彼らを苦しめる者を水が覆い、生き残る者は一人もいなかった。
12
 彼らは主の言葉を信じ、賛美を歌った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 6節を2017は“私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義を行い悪を行ってきました。”と訳しています。
イスラエルの過去の歴史を回顧しつつ、この詩が書かれた当時のイスラエルの人たちの主に対するありようが記されています。

 イスラエルのみならずキリスト者も同じです。
主キリスト・イエス様を信じて救われたからといって、その後二度と罪を犯さなかったという人はおそらくいないでしょう。

 どうして罪を犯してしまうのか?
それは、生まれながらに肉の中に罪の性質を持って生まれてきたからです。
神様が人間を創造したときには、罪の性質は人間の中にありませんでした。
エバの、そしてアダムの堕罪により、罪の性質が人間の中に入り、その後の人々は罪の性質を持って誕生することとなったのです{ローマ512、詩篇515(口語訳、新改訳、文語訳;新共同訳、聖書協会共同訳は517)}。

 罪を犯さずに歩む方法として、キリスト者の場合は、肉をキリストと共に十字架につけ(ガラテヤ524)、神の霊に従って歩むと、主のみ旨の内を歩むことができると記されています(ローマ82.13b、ガラテヤ525)。
 上記の個所の聖句を下記します。
ガラテヤ524には“キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。”(聖書協会共同訳)と記されています。←この聖句を信じ受け取るのです。 
ローマ82.13bには“キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。/霊によって体の行いを殺すなら、あなたがたは生きます。”(聖書協会共同訳)と記されています。
ガラテヤ525には“もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。”(口語訳)

 とはいえ、キリスト者は誰しも罪を犯すことがありますね。
それ故、主なる神様は次の聖句も用意してくださいました。
“もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。”(1ヨハネ18.92017)と記されています。

 7節に「私たちの先祖はエジプトであなたの奇しき業を悟らず、あなたの豊かな慈しみに心を留めず、」とあります。
エジプトにいた時、神様がエジプトに下した災いは小さなものではありませんでした。 
 第一の災いは、ナイル川の水が血に代わり、ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことが出来なくなったのです。それどころかエジプト全土に亘って血があったのです。(出エ717-21
 第二の災いは、かえるがナイルに群がり、上って来て、王の寝室に、王の寝台に、王の家臣の家に、王の民の中に、かまどに、こね鉢にまで這いあがったのでした(出エ82-6)。更にカエルの死骸は山また山となり、地は臭くなったのです(出エ814)。 
 第三の災いは、エジプト全土にぶよを発生させ、人や獣に取りつかせたのです(出エ816-18)。
 第四の災いは、エジプト全土があぶの群れによって荒れ果てたのです。しかし、イスラエル人達がいるゴシェンの地にはあぶがいないようにされたのです。(出エ821-24)。
 第五の災いは、エジプトの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下った、非常に激しい疫病でした。この災いもイスラエル人達が住んでいた地には下されませんでした。(出エ93-6)。
 第六の災いは、膿の出る腫物が人と獣に出来たのです。顔にできる膿の出る腫物を面疔と言いましたが、抗生物質が出来る前は、命を落とすこともあるといって恐れられていました。抗生物質製剤は20世紀に入ってから出来た物です。最近では抗生物質や抗菌剤に対して耐性を持つ病原菌も多く、感染菌によっては抗生物質が無かった時代に戻ってしまうのだろうかという方向に向かっているようにも思えます。
 第七の災いは、でした。雷も伴いました。その被害は、人、獣、野の草、野の木も打ち砕かれたほどのものであったのです。しかし、神様はイスラエル人の住んでいる地には降らせませんでした。(出エ918-26
 第八の災いは、いなごでした。イナゴは地の表を覆い、イナゴが食べられるものをほとんど食べていってしまいました(出エ104-15)。雹とイナゴによって、エジプトには新しく手に入る予定であった食料は全く無くなったのです。家畜や獣の草もなくなりました。
 第九の災いは、3日間の完全な暗闇でした。隣の人を見ることも出来ないほどのものでした。しかし、イスラエル人の地は暗やみになりませんでした(出エ1021-23)。 
 第十の災いは、初子(ういご)の死でした。エジプトの王家から始まってエジプトの地にいる全ての人間の家族の初子及び家畜の初子に至るまでの死です。主なる神様はモーセを通して、イスラエル人達には、家の門柱とかもいに羊の血を塗ることによってその裁きから免れますよ、と教えられ、それを実行した者の初子は死にませんでした。(出エ104-1230
 イスラエル人達は、多くの災いがエジプトに下され、自分達には下されなかった、ということを体験し続けて来たのでした。神様は、大いなる力をお持ちであられ、裁きも個別に行う方であることを体験してきたのです。

 第十の災いを体験したエジプトは、恐怖に満たされていました。それは、出エ1231-33パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ。おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう」と言ったからである。(新改訳第二版)と記されています。
エジプト人の間に死の恐怖が満ちたのです。

イスラエル人達は、モーセに率いられ、昼は雲の柱、夜は火の柱に守られ導かれて進んでいったのです。これはただの雲の柱、火の柱ではありませんでした。出エ1321には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。」(2017)と記されています。

 ここのヤハウェ(主)はキリストです。
1
コリント104には“みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。”(2017)と記されています。
「岩」と訳されている語のギリシア語原語は「ペトラ」です。
マタイ1618には“わたしも言っておく。あなたはペトロ〔ギリシア語原語は「ペトロス」(筆者挿入)〕。わたしはこの岩〔ギリシア語原語は「ペトラ」で神であるキリストを暗示している(筆者挿入)〕の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。”(新共同訳)と記されています。
「ペトロス」はa (piece of) rock、「ペトラ」はa (mass of) rock、とStrong辞書にあります。
旧約聖書では、神は「岩」にたとえられています(申命記3242サムエル223.32)。

私達キリスト者は、それ以上に恵まれた存在です。キリストの中におかれ(1コリント130)、キリストの霊が常住して下さっておられる(ガラテヤ46)のですから。至高の神様・万物を創造された驚くべき能力を持った神様が父なのですから。さらに、天においても地においても一切の権威をもっておられる主イエス様の御名によって祈ることが出来るのですから。
ガラテヤ46を聖書協会共同訳には“あなたがたが子であるゆえに、神は「アッバ、父よ」と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。”と記されています。

 さて、イスラエルはエジプトからカナンの地を目指して紅海の海辺まで来ました。
しかし、エジプトの王ファラオは思いを変えたのです。奴隷を逃してなるものかと。
そして、エジプトの全戦車部隊の軍勢をひきつれて追って来、間近まで来たのです。(出エ141-10
その時、詩篇1067に「私たちの先祖はエジプトであなたの奇しき業を悟らず、あなたの豊かな慈しみに心を留めず、海のほとり、葦の海で反抗した。」と記されている状態に陥ったのです。

 私達もよく体験するところの、神様を見ないで、状況を見てしまうということが起こったのです。
それ故私達は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル1222017)と再三再四教えられるのです。

 詩篇1068-12に記されていることは、出エジプト14.15章に記されています。
この救いに与った人達の賛美は、ただ感謝の祈りをささげた、というのではなく、タンバリンをたたき、歌い、踊って主を賛美したのです。
出エジプト1520.21に、アロンの姉、女預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来た。ミリアムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも主に信頼して状況や環境に左右されることなく歩み続け、主に感謝し、主を賛美し続けながら歩むことができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月 2日 (金)

詩篇106:1-5 主への賛美はとこしえまでも終わらない/キリスト者は主を賛美する民

 詩篇1061-5には次のように記されています。
1 ハレルヤ。主に感謝せよ。まことに、主は恵み深い。その慈しみはとこしえに。
2
 誰が主の力強い業を語り、主への賛美をすべて聞かせられようか。
3
 幸いな者、公正を守り、どのような時にも正義を行う人は。
4
 主よ、あなたの民に与える恵みによって、私を心に留めてください。救いによって私を顧みてください。
5
 あなたの選ばれた者の幸いを見、あなたの国の喜びを喜び、ご自分の民と共に誇ることができるようにしてください。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節を新共同訳は“ハレルヤ。恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。”と訳し、
口語訳は“主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。”と訳し、
2017
は“ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。”と訳し、
リビングバイブルは“ハレルヤ。主の恵み深さを感謝します。その愛は、いつまでも変わることがありません。”と訳しています。

 主と日々絶えることなく交わりを保ち、主の恵みを体験している人は、1節のように主を賛美することでしょう。
そのような人は、主を聖なるお方として崇め、主により頼んで、主との間に隔てをつくらずに、歩むことの出来ている人でしょう。
主との間に隔てを作らないためには、他者から受けた悪を直ちに赦し、主に罪を示されたら、直ちに罪を告白する人です。
 マタイ614.15には「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。」(2017)という主イエス様の御言葉があります。
 1ヨハネ19には“もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。”(口語訳)と記されています。

 2節を、2017は“だれが主の大能のわざを告げ、主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。”と訳し、
リビングバイブルは“栄光に輝く主の奇蹟を、一つ残らず書き留めることのできる人がいるでしょうか。だれが、あなたを十分に賛美し尽くせましょう。”と訳し、
新共同訳は“主の力強い御業を言葉に表し、主への賛美をことごとく告げうる者があろうか。”と訳しています。

 私たちは、主と比べると、比べることができない程小さなものです。
主の御業を数多く体験したパウロは、次のように語りました。
“ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。」すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。”(ローマ1133-362017)と。

 3節を2017は“幸いなことよ。さばきを守る人々。いかなるときにも正義を行う人は。”と訳し、
リビングバイブルは“公平と正義と思いやりとを身につけている人々には、幸福が訪れます。”と訳し、
新共同訳は“いかに幸いなことか、裁きを守り、どのような時にも恵みの業を果たす人は。”と訳し、
聖書協会共同訳は“幸いな者、公正を守り、どのような時にも正義を行う人は。”と訳しています。

 「裁き」(2017、新共同訳)、「公正」(聖書協会共同訳)、「公平」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ミシュパート」で、それらのどの意もあります。

 「正義」(2017、聖書協会共同訳、リビングバイブル)と訳されているヘブライ語原語は「ツェダーカー」で、ツェダーカーには、正義、公正、正しさ、公平、公正の意があり、その他、繁栄、成功、徳、美徳、善行、・・・等の意もあります。新共同訳は「恵みの業」と訳しています。これは徳、美徳、善行等に当てはまるのでしょう。

 4節を、2017は“主よ。あなたが御民を受け入れてくださるときに、私を心に留め、あなたの御救いのときに私を顧みてください。”と訳し、
リビングバイブルは“ああ主よ。あなたの民に祝福と救いを注ぐとき、私にも目を留めてください。”と訳し、
聖書協会共同訳は“主よ、あなたの民に与える恵みによって、私を心に留めてください。救いによって私を顧みてください。”と訳しています。

 新生したキリスト者に対して、主はパウロを通して次のように語られました。
“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と。
私たちは、主が与えてくださったものを、信仰によって引き出してくるのです。
ヨハネ2031には“これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。”(2017)と記され、
キリストは、全てのものをすべてのもので満たすことの出来る御方である(エペソ123参照)ということを教えられていますから、キリストのうちにはすべてがある、ということを本当に信じて信仰によって歩めたら幸いです。

 5節を、聖書協会共同訳は“あなたの選ばれた者の幸いを見、あなたの国の喜びを喜び、ご自分の民と共に誇ることができるようにしてください。”と訳し、
リビングバイブルは“この身をも、選ばれた民の繁栄にあずからせ、彼らと同じ喜びに浸り、ご栄光を共に味わわせてください。”と訳し、
2017
は“そのとき私はあなたに選ばれた者たちの幸せを見、あなたの国民の喜びを喜びとし、あなたのゆずりの民とともに誇ることができます。”と訳しています。

 「あなたの選ばれた者の幸いを見、あなたの国の喜びを喜び、ご自分の民と共に誇ることができるようにしてください。」(聖書協会共同訳)という祈りは、天の神の王国に入れていただいたときに、「そのとき私はあなたに選ばれた者たちの幸せを見、あなたの国民の喜びを喜びとし、あなたのゆずりの民とともに誇ることができます。」(2017)となるでしょう。
地上にあっても、あなたが与えてくださる祝福を体験し、天において成就する祝福をもイメージすることができるでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは恵み深く、憐みに富み、驚くほどの恵みを与えてくださるお方でありますから御名を崇めて賛美します。
あなたの聖なる御名が、益々、ほめたたえられますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年1月29日 (月)

詩篇105:42-45 主とアブラハムとの契約及び主の恵みと主の主権/キリスト者は良い行いをするためにキリスト・イエスに在って造られた者

 詩編10542-45には次のように記されています。
42 僕(しもべ)アブラハムに与えた聖なる言葉を思い出したからである。
43
 主は民を喜びのうちに、選ばれた者たちを喜びの叫びのうちに導き出した。
44
 彼らに国々の土地を与え、彼らは諸国民の労苦の実りをわが物とした。
45
 これは彼らが主の掟を守り、主の教えに従うためである。ハレルヤ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 42節には“僕(しもべ)アブラハムに与えた聖なる言葉を思い出したからである。”と記されていますが、主なる神様は、どの「言葉」を思い起こされたのでしょうか?
 想像になりますが、創世記15章の、カナンの地をアブラハムに、なかんずくイサク、ヤコブの系列にある子孫に与えるという約束ではないかと思います。
 その約束は、創世記15章に次のように記されている契約でしょう。
1 これらのことの後、主の言葉が幻の中でアブラム〔後の「アブラハム」(筆者挿入)〕に臨んだ。
「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大き い。」
2
 アブラムは言った。「主なる神よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがいませんのに。家の跡継ぎはダマスコのエリエゼルです。」
3
 アブラムは続けて言った。「あなたは私に子孫を与えてくださいませんでした。ですから家の僕が跡を継ぐのです。」
4
 すると、主の言葉が彼に臨んだ。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなた自身から生まれる者が跡を継ぐ。」
5
 主はアブラムを外に連れ出して言われた。「天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6
 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
7
 主は言われた。「私はこの地をあなたに与えて、それを継がせるために、あなたをカルデアのウルから連れ出した主である。」/
13
 主はアブラムに言われた。「あなたはこのことをよく覚えておきなさい。あなたの子孫は、異国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷として仕え、苦しめられる。
14
 しかし、あなたの子孫を奴隷にするその国民を、私は裁く。その後、彼らは多くの財産を携えてそこから出て来る。
15
 あなた自身は良き晩年を迎えて葬られ、安らかに先祖のもとに行く。
16
 そして、四代目の者たちがここに戻って来る。それまでは、アモリ人の悪が極みに達していないからである。」
17
 日が沈み、暗くなった頃、煙を吐く炉と燃える松明(たいまつ)がこれらの裂かれた動物の間を通り過ぎた。
18
 こうしてその日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大河ユーフラテスに至るまでの、19 カイン人〔ケニ人(2017)〕、ケナズ人、カドモニ人、20 ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、ペリジ人、レファイム人、21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を与える。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 43節には“主は民を喜びのうちに、選ばれた者たちを喜びの叫びのうちに導き出した。”と記されています。
イスラエルの民は、エジプトから解放されたとき、次の様に主を賛美しました。その賛美の中から初めの3節だけを下記します。(21節まで続きますので4節以降は聖書で読んでください)
1 その時、モーセとイスラエルの人々はこの歌を主に歌った。
「主に向かって私は歌おう。なんと偉大で、高くあられる方。主は馬と乗り手を海に投げ込まれた。 
2
 主は私の力、私の盾、私の救いとなられた。この方こそ私の神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。私はこの方を崇める。
3
 主は戦人(いくさびと)。その名は主。”(出エジプト15章・聖書協会共同訳)と記されています。

 44節には“彼らに国々の土地を与え、彼らは諸国民の労苦の実りをわが物とした。”と記されています。
主はカナンの地をイスラエルに与えました。
現代人の多くは、その土地に住んでいた人達が、住んでいる土地について、その人達に先住権があると思うことでしょう。
しかし、神様は違います。
この地球を創造したのは、私、主なる神{ヤハウェ(主))・エロヒーム}だと言われるのです。
この天地は自然にできたのではなく、私、主なる神{ヤハウェ(主))・エロヒーム}が創造した、とおっしゃるのです。
更に、この天地を保持しているのも主なる神です(へブル13)。
また、天にあるもの、地のあるものは、すべて主のものである、とも言われます。(ヨブ4111、詩篇241
主なる神様は、創造者であられ、保持者であられ、主権者なのです。
パウロは次のように語りました。
「『だれが、まず主に与え、主から報いを受けるのですか。』すべてのものが、神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(2017)と記されています。

 カナンの地は、カナン先住民が、主にとっては見過ごすことの出来ない、人間的な言い方をすると鳥肌が立つような悪行をしているので、カナン先住民を、主がイスラエルを用いて滅ぼし、カナンの地にイスラエル人を住まわせる、という主なる神様の裁きであったのです。(ノアの時代には、水をもって裁きを執行しましたが、この時には水ではなく、イスラエルを用いたのです)

 そして、カナンの地に入ったイスラエル人たちには、主のみ旨にかなった歩みをしてもらいたかったのです。
45
節には“これは彼らが主の掟を守り、主の教えに従うためである。”と記されています。

 私たちキリスト者に置き換えて考えてみます。
永遠かつ自存にして、創造者、万物の主権者であられる聖なる神ヤハウェ(主)を、まことの神としないエジプトにたとえられるこの世から救い出された者たち、それがキリスト者です。

 そのキリスト者というのは、神の経綸により、エフェソ(エペソ)13-14に記されている者であるのです。
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上で、あらゆる霊の祝福をもって私たちを祝福し、4 天地創造の前に、キリストにあって私たちをお選びになりました。
私たちが愛の内に御前で聖なる、傷のない者となるためです。
5
 御心の良しとされるままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、前もってお定めになったのです。
6
 それは、神がその愛する御子によって与えてくださった恵みの栄光を、私たちがほめたたえるためです。
7
 私たちはこの御子において、その血による贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。これは、神の豊かな恵みによるものです。
8
 神は、この恵みを私たちの上に溢れさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、9 御心の秘義を私たちに知らせてくださいました。これは、前もってご自身でお決めになっていた御心によるものであって、10 時が満ちるというご計画のためです。それは〔時が満ちて計画が実行に移され(2017)〕、天にあるものも地にあるものも、あらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられることです。
11
 キリストにあって私たちは、御心のままにすべてのことをなさる方のご計画に従って、前もって定められ、選び出されました。
12
 それは、キリストに以前から希望を抱いている私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
13
 あなたがたも、キリストにあって、真理の言葉、あなたがたの救いの福音を聞き、それを信じ、約束された聖霊によって証印を受けたのです。
14
 聖霊は私たちが受け継ぐべきものの保証であり、こうして、私たちは神のものとして贖われ、神の栄光をほめたたえることになるのです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 また、エフェソ(エペソ)210には、
“私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたのみ旨をよくわきまえ、あなたのみ旨に従って、主を賛美し、主のみ旨のうちを歩むことができますようお整え下さり、主なる神様の栄光のために生きる者であらせてください。
「・・、私が切に願い、望んでいるのは、どんなことがあっても恥じることなく、・・・、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることです。私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。」{フィリピ(ピリピ)120.21・聖書協会共同訳}と語ったパウロのように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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