詩編

2024年6月18日 (火)

詩篇118:19-21 正しい人は主の城門に入れる/天のエルサレム

 詩篇11819-21には次のように記されています。
19 義の城門を開けよ。私は入って、主に感謝しよう。
20
 これこそ主の城門、正しき人はここに入る。
21
 あなたに感謝します。あなたは私に答え、私の救いとなってくださった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1920節を2017は“19 義の門よ。私のために開け。私はそこから入り主に感謝しよう。20 これこそ主の門。正しい者たちはここから入る。”と訳し、
 リビングバイブルは“19 神殿の門よ、開きなさい。私は中に入って、主に感謝します。20 主を信じて従う人が、この門から入って主の前に出るのです。”と訳しています。

 直訳すると、2017訳のようになると思います。
詩聖が記した当時のことを言っているのであれば、リビングバイブル訳のように捉えることができると思います。
今回は地上のことよりも天上に関することを記したいと思います。
私たちは上にあるものを求めているものです(コロサイ31.2

 19-21節を一塊として考え、かつ預言的に考えると、これは意味深いものになると思います。

 この個所に出てくる門は「義の門」(19)であり、「主の門」(20)です。
「天のエルサレム」とも捉えることができるでしょう。

 新生したキリスト者は、すでに天のエルサレムの市民権を持っている天の国籍を持つ者です。
すでに天に帰ったキリスト者は天のエルサレムの門を入って御父や御子並びにすでにそこに住んでいる者たちと暮らしているのでしょう。

 イエス様は十字架にかかられる前日に次のように語られました。
ヨハネ141-3には、
1 「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。2 私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 多くの人は天のエルサレムに入るために必死になって良い行いをしようとします。
しかし、その方法では入れないのです。人は生まれながらに罪の性質を持って生まれてきているので、律法を守ることができないからです。
パウロはガラテヤ4章に地上のエルサレムと天上のエルサレムの対比を比喩を用いて次のように記しています。
21 律法を守らなければ救われない、と考えている皆さん。私のことばに耳を傾けてください。どうして、律法のほんとうの意義を理解しないのですか。
22
アブラハムに二人の子供があって、一人は奴隷である妻から生まれ、もう一人は自由人である妻から生まれたと書いてあります。
23
奴隷である妻の子供の誕生については、取り立てて変わった点はありませんでした。しかし自由人である妻の子供の場合は、まずその誕生に関して、特別な神の約束が先行し、それから生まれたのです。
24.25
このことは、神様が人間を助けるために開かれた二つの道を示しています。
一つは、律法を示して、それを守るようにとお命じになった道です。神様は、シナイ山でこの道をお示しになりました。その時、モーセに「十戒」をお与えになったのです。アラビヤ人はこのシナイ山を、「ハガル山」と呼んでいます。
ここでアブラハムの奴隷である妻ハガルは、戒めに従うことによって神に喜ばれようとする生き方の象徴、ユダヤ人の母なる都エルサレムを表わしています。そして、この生き方に従うユダヤ人は、すべてハガルが産んだ奴隷の子供なのです。
26
しかし、私たち〔新生したキリスト者たち(筆者挿入)〕の母なる都は天にあるエルサレムで、それは律法に属していません。
27
イザヤの次の預言は、このことを言おうとしたのです。
「喜べ、子のいない女よ。喜びの声をあげよ、子を産んだことのない女よ。あなたに多くの子を、女奴隷の子より多くを授けよう。」(イザヤ541
28
愛する皆さん。あなたがたも私も、イサクと同じ、神の約束に基づく子どもです。/
31
愛する皆さん。私たちは、律法に縛られた奴隷の子どもではありません。信仰によって神様に受け入れられる、自由の女の子どもです。”(リビングバイブル)と意訳されています。

 新生したキリスト者は、神の恵みと神が与えてくださった信仰によって救われた者たちです。
エペソ27-9をリビングバイブルは次のように意訳しています。
7 神がキリスト・イエスを通してなしてくださった、すべてのことからも、神の恵みのすばらしさがわかります。私たちは今、その恵みがどんなに豊かであるかを示す見本とされているのです。
8
あなたがたは、恵みにより、キリストを信じることによって救われたのです。しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神様からの賜物(贈り物)なのです。
9
救いは、私たちの良い行ないに対する報酬ではありません。ですから、だれ一人、それを誇ることはできません。”と記されています。

 天のエルサレムの外観について黙示録21章には次のように記されています。
11 都は神様の栄光に包まれ、宝石のように光り輝き、碧玉のように(水晶のように)透き通っていました。
12
都には、分厚い城壁が高くそびえ、十二人の天使が守る十二の門があり、それぞれに、イスラエルの十二部族の名が記されていました。
13
また、門は東西南北の方角に、三つずつ設けられていました。
14
城壁には十二の土台石があって、それぞれに、小羊の十二使徒の名が書き込まれていました。/
18.19
都は、ガラスのように透き通る純金でできていました。
城壁は碧玉で、さまざまの宝石がちりばめてある、十二の土台石の上に築かれていました。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、20 第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一はヒヤシンス石、第十二は紫水晶です。
21
十二の門は、それぞれ一つの大きな真珠でできていました。大通りは、ガラスのように透き通る純金でした。/
27
・・・。小羊のいのちの書に名前が記されている人々だけが、ここに入ることができるのです。”(リビングバイブル)と意訳されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
イエス様の大いなる恵みに感謝します。
天にあるものを思いつつも、地上生活も一つ一つ主に導かれ助けられてあなたのみ旨にかなうように歩み続けていけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月14日 (金)

詩篇118:10-18 主は、わが救い、わが旗、わが力/主への信頼

 詩篇11810-18には次のように記されています。
10 国々はこぞって私を包囲したが、主の名によって私は必ず彼らをしのぐ。
11
 私を幾重にも包囲したが、主の名によって必ず彼らをしのぐ。
12
 蜂のように私を包囲し、茨の火のように燃え上がったが、主の名によって必ず彼らをしのぐ。
13
 私は激しく突かれて倒れそうだったが、主が私を助けてくださった。
14
 主こそ私の力、私の歌。私の救いとなってくださった。
15
 歓喜と勝利の声が正しき人の天幕に響く。
「主の右の手は力を振るう。16 主の右の手は高く上がり、主の右の手は力を振るう。」
17
 私は死なずに生き長らえ、主の業を語り伝えよう。
18
 主は私を厳しく懲らしめたが、死に渡すことはなかった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 10節の「国」と訳されている語のヘブライ語原語は「ゴーイ」で、外国、異邦人、異教徒、人、・・等の意があります。
 10-12節の文末の「しのぐ」と訳されている語のヘブライ語原語は「ムール」で、原義は、短く切ることで、切り詰める、遮る、等の意ですが、破壊する、打ち壊す、滅ぼす、・・等の意でも用います。
また、この単語は未来形で記されています。

 10-12節を新改訳初版~第三版は次のように記しています。
10 すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
11
彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
12
彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。”とあります。

 10-12節を、詩聖は、極めて厳しい状況に立たされたけれども(殺されそうな状況に置かれているけれども)、ヤハウェ(主)への信頼によって、この状況を打破しよう、ということを記しているのでしょう。

 詩聖が主に信頼したとき、主はどのようにしてくださったのでしょう。
13.18
節には“私は激しく突かれて倒れそうだったが、主が私を助けてくださった。/主は私を厳しく懲らしめたが、死に渡すことはなかった。”と記されています。

 詩聖は、主の御力を体験し、主の御力を賛美し、主の御力を後世に伝えようとしています。13-17節には次のように記されています。
13 私は激しく突かれて倒れそうだったが、主が私を助けてくださった。
14
 主こそ私の力、私の歌。私の救いとなってくださった。
15
 歓喜と勝利の声が正しき人の天幕に響く。
「主の右の手は力を振るう。16 主の右の手は高く上がり、主の右の手は力を振るう。」
17
 私は死なずに生き長らえ、主の業を語り伝えよう。”とあります。

 このようなことは、モーセもヨシュアも士師たちも、ダビデも多少の差はあれ経験してきたことでしょう。
私たちキリスト者も、程度の差はあっても、本質的には似たような経験をすることでしょう。

 主が「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ1633・新共同訳)と語られたのですから。

 また、1コリント1013には“あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。”(2017)と記され、
 1コリント4章には、
8 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。
9
迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
7
私たちは、この宝を土の器〔肉の体(筆者挿入)〕の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。”(2017)と記されています。

 詩篇118篇を記した詩聖は、窮したときに大切なことは「主への信頼」ですよ、と教えてくれています。

 詩篇375には“あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。”(2017)と記され、
詩篇3210には“主に信頼する者は、恵みがその人を囲んでいる。”(抜粋・2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
厳しい状況の中に置かれたときでも常にあなたに信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「われは幼子」(聖歌490 聖歌総合版508
“1.われは幼子(おさなご) われ主にすがらん 小さくあれど 信仰いだきて
(折り返し)*絶えず 主イェスの手に よりすがらん 静けき昼も 風吹く夜も
2.などか おずべき われ主にすがらん 神の御霊の導きあれば *
3.晴れたる朝も われ主にすがらん 嵐の夜は すがり祈りせん *
4.息を引くとき われ主にすがらん よし あめつちは 崩れ去るとも *”

2024年6月10日 (月)

詩篇118:1-9 主に信頼する者に主は応えてくださるお方/とこしえに主に感謝し主を賛美しよう

 詩篇1181-9には次のように記されています。
1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2
さあ。イスラエルよ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。
3
さあ。アロンの家よ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。
4
さあ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を恐れる者たちよ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。
5
苦しみのうちから、私は主〔「ヤー」。ヤハウェ(主)の短縮形(筆者挿入)〕を呼び求めた。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私に答えて、私を広い所に置かれた。
6
主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。
7
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。
8
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。
9
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。”(新改訳初版~第三版)とあります。

 5節には“苦しみのうちから、私は主〔「ヤー」。ヤハウェ(主)の短縮形(筆者挿入)〕を呼び求めた。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私に答えて、私を広い所に置かれた。”とあります。
 この個所をリビングバイブルは“苦しみの中から祈り求めると、主は答えて、救い出してくださいました。”と訳しています。

 似たような聖句は聖書の中にいくつもありますが、その中から少し下記します。
 詩篇5014.15には、
「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(新改訳初版~第三版)と記され、
この聖句を新共同訳は「告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の献げ物をせよ。それから〔ヘブライ語聖書には、接続詞「ヴァヴ」があります(筆者挿入)〕、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによってお前はわたしの栄光を輝かすであろう。」と訳しています。
 ヤコブ46.7には、
「・・・、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(新改訳初版~第三版)と記されています。

 6節には“主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。”と記されています。
「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」(マタイ10:28・2017)と主イエス様が語られた御言葉を思い浮かべます。
キリスト者の霊と魂は永遠であり、体についても、霊の体が与えられた後は、その霊の体も永遠です。

 「主は、私を助けてくださる私の味方です。ですから、主に身を避ける〔原語からは「主に信頼する」とも訳せます(筆者挿入)〕ことは、人に信頼するよりもよいのです。主に身を避ける〔原語からは「主に信頼する」とも訳せます(筆者挿入)〕ことは、君主たちに信頼するよりもよいのです。」と7-9節に記されています。

 新約聖書では、「主」はイエス様を指して用いられていることがほとんどです。
イエスのヘブライ語は「イェシュア」で、ヤハウェは救う、の意です。
マタイ121には「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(2017)と記されています。
イエス様は「救い主」なのです。
主キリスト・イエス様は、御復活後昇天され、御父の右の座に着座され、天においても地においても一切の権威をもたれました。
そのイエス様が、私たちキリスト者の救い主です。

 詩篇1181-4をリビングバイブルは次の様に意訳しています。
1 さあ、主に感謝しましょう。主はあわれみ深く、その恵みはいつまでも尽きません。
2
イスラエルの人々よ、口々に、「主の恵みは尽きることがありません」とほめたたえなさい。
3
アロンの家の祭司よ、「主の恵みはいつまでも尽きません」と歌いなさい。
4
主を信じるようになった外国人も、「主の恵みはいつまでも尽きません」と歌いなさい。”と記されています。

 1節は「ヤハウェ(主)に感謝せよ。なぜなら良いお方であり、とこしえに恵み深いお方なのだから。」(私訳)とも訳せると思います。
「良いお方」と訳した語のヘブライ語原語は「トーブ」で、good、good man or woman、good thing、・・・、等の意があり、その他KJVでは、beautifulbestbetterbountifulcheerfulfinegladgraciouslyjoyfulkindlykindnesslovingmerrypleasantpleasurepreciousprosperityreadysweetwealthwelfare(be) well (-favoured)という様にも訳されていると、Mickelsonの辞書にあります。

 「恵み深い」と訳した語のヘブライ語原語は「ヘーセードゥ」で、親切、優しさ、いたわり、慈悲、慈悲深い、恵み、・・・等の意があります。

 主に贖われた者たちは、「知識のみ」としてではなく、自分自身の体験と知識において、主が良いお方であり、慈悲深い、恵み深いお方であることを知っているのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
詩篇348に「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」(口語訳)という聖句がありますが、主を愛し、主により頼み、益々主の恵み深きことを味わい知りながら歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月 6日 (木)

詩篇117篇 主に感謝し、主を賛美しながら歩んで行こう

 詩篇117篇には次のように記されています。
1 主を賛美せよ、すべての国よ。主をほめたたえよ、すべての民よ。
2
 その慈しみは私たちに力強く、主のまことはとこしえに絶えることがない。ハレルヤ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節には“主を賛美せよ、すべての国よ。主をほめたたえよ、すべての民よ。”とあります。
全世界のすべての人に対して、神ヤハウェ(主)をほめたたえるように(賛美するように)、と記されています。

 全世界の人が、神ヤハウェ(主)を賛美すべき理由は何なのでしょう。
その理由は、2節に“その慈しみは私たちに力強く、主のまことはとこしえに絶えることがない。”と記されています。

 「慈しみ」と訳されている語のヘブライ語原語は「へ―セード」で、親切、優しさ、慈悲、恵み、慈悲深い優しさ、・・・等の意があります。新改訳は「恵み」と訳しています。

 「まこと」と訳されている語のヘブライ語原語は「エメト」ですが、これは「アーメン」の短縮形である、と辞書に記されています。
「エメト」には「まこと」の他、真実、誠実、真理、確信、正直、忠実、・・・等の意があります。

 ヨハネ114は“ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまこと〔真理(新共同訳)〕に満ちておられた。”(2017)と主イエス様を紹介しています。

 話を変えますが、この世の最後の世界宣教で語られる福音は、人間が語るのではなく天使が語るのです。
黙示録146.7節には次のように記されています。
6 また私は、もう一人の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、部族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携え、7 大声で言った。
神を畏れ、神に栄光を帰しなさい。神の裁きの時が来た。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝せよ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヤハウェを日本語聖書は「主」と表記しています。
ヤハウェ{英字表記にするとYHWVH}という読み方について:ヘブライ語は子音字に母音記号を付けて読みますので、母音記号の付け方で、ヤハウェ、ヤーウェー、ヤーヴェー、エホバ、・・等と読むことが可能になります。本当はなんとお呼びしたらよいのか、それは天国に行ったら分かることでしょう。/ユダヤ人は、YHWHをここまで書いてきたように呼ぶことは畏れ多いということで、YHWHと記されている個所を「アドナイ」(主)と読み替えています。

 まことの神様のお名前は色々ありますが、聖書の中では、ヤハウェ(主)と記されている個所がとても多いです。

 ヤハウェ(主)という御名前が聖書に最初に登場する箇所は、創世記24
“これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、地と天を造られたときのこと。”(2017)という聖句です。
神ヤハウェ(主)が万物の創造主であることがこの聖句から分かります。

 モーセが、「あなたのお名前は?」という、まことの神様に対する質問に対して、神様が答えた個所が、出エジプト313-15に次のように記されています。
13 モーセは神に言った。「御覧ください。今、私はイスラエルの人々のところに行って、『あなたがたの先祖の神が私をあなたがたに遣わされました』 と言うつもりです。
すると彼らは、『その名は何か』と私に問うでしょう。私は何と彼らに言いましょう。」
14
 神はモーセに言われた。「私はいる、という者である。」そして言われた。「このようにイスラエルの人々に言いなさい。『私はいる』という方が、 私をあなたがたに遣わされたのだと。」
15
 重ねて神はモーセに言われた。「このようにあなたはイスラエルの人々に言いなさい。『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私をあなたがたに遣わされました。』これこそ、とこしえに私の名。これこそ、代々に私の呼び名。”(聖書協会共同訳)とあります。

 14節の「私はいる、という者である。」と聖書協会共同訳が訳した個所を、
文語訳は「我は有て在る者なり」と訳し、
口語訳は「わたしは、有って有る者」と訳し、
新改訳は「わたしは、『わたしはある。』という者である。」と訳し、
新共同訳は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と訳し、
NIV
は“I AM WHO I AM.”と訳し、
リビングバイブルは“「わたしは『わたしはある』(「永遠に生ける神、創造者」の意で、イスラエルの神の名。「主」のもともとの意味)という者である。”と解説を付けて訳しています。

 ここまででわかることは、YHWH(私的には「ヤハウェ」or「ヤーウェー」、その短縮形の呼び名としては「ヤハ」or「ヤー」とお呼びさせていただいています)という御名前によって、ヤハウェ(主)は、永遠にして自存の御方であり、創造者である、ということがわかります。

 全世界の人、聖書を読んだこともない人に対しても、神ヤハウェ(主)が創造者である、と神ヤハウェ(主)は語られます。
すべての人は、神ヤハウェ(主)を個人的には知らなくても、自分の周りを、世界を、宇宙を、・・・を見れば、あるいは熟考すれば、創造者がいることを悟ることができますよ、と聖書は言います。

 ローマ1章には次のように記されています。
19 ・・、神について知りうる事柄は、彼らには明らかだからです。神がそれを示されたのです。
20
 神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物を通してはっきりと認められるからです。したがって、彼らには弁解の余地がありません。”(聖書協会共同訳)とあります。

 悪魔悪霊は、神ヤハウェ(主)に敵対します。
コロサイ28には“あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。”(2017)と記されています。
 悪魔(サタン)は進化論を導入しました。
{この世の諸々の霊のトップがサタン(悪魔)なのです。1ヨハネ519を参照してください。}
サタンは、人の心(知情意)に思想、考え、感情、・・等を導入できるのです(ヨハネ132参照)。
悪しき霊に知恵を授けられた人たちは、進化論を推し進めています。
進化論は真理ではないので、今でも時々その理論は上書きされています。
進化論を信じる人は、進化論を信じる信仰によって滅びへと向かっているのです。{かつての私はそのような者でしたが、主の憐れみによって救い出されたのです。(エペソ21-10に記されているように)}

 話を今日の聖句に戻します。
全世界のすべての人は、主の創造の御業を賛美することができます。
更に救いにあずかった人は、主が与えてくださっておられる霊的な、たましい的な恵みにも感謝することができます。
私たち人間は、このことも、あの事も、更にあの事も、このことも、とたくさんのことを主に感謝し、主をほめたたえることができるようにされています。

 エペソ519.20には次のように記されています。
「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」(2017)とあります。
特にキリスト者は、このことを可能とされている人々です。

 神ヤハウェ(主)に感謝し、神ヤハウェ(主)をほめたたえ、神ヤハウェ(主)に従う、というあり方を拒否する人に対して、神様は、いくたびも忠告しますが、それでも聞く耳を持たない人に対しては、その人の自主性を尊重します。結局その人は、まことの神様であるヤハウェ(主)に従うことを嫌い、自分からこの世の神である悪魔(サタン)の奴隷となることを選んでいるのです。
そのような人はどのようになってしまうのでしょう。
 ローマ118-32には次のように記されています。
18 不義によって真理を妨げる人間のあらゆる不敬虔と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
19
 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らには明らかだからです。神がそれを示されたのです。
20
 神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物を通してはっきりと認められるからです。したがって、彼らには弁解の余地がありません。
21
 なぜなら、彼らは神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
22
 自分では知恵ある者と称しながら愚かになり、23 不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や鳥や獣や地を這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
24
 そこで神は、彼らが心の欲望によって汚れるに任せられ、こうして、彼らは互いにその体を辱めるようになりました。
25
 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられる方です、アーメン。
26
 それで、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられました。女は自然な関係を自然に反するものに替え、27 同じく男も、女との自然な関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
28
 彼らは神を知っていることに価値があると思わなかったので、神は、彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました
29
 あらゆる不正、邪悪、貪欲、悪意に満ち、妬み、殺意、争い、欺き、邪念に溢れ、陰口を叩き、30 悪口を言い、神を憎み、傲慢になり、思い上がり、見栄を張り、悪事をたくらみ、親に逆らい、31 無分別、身勝手、薄情、無慈悲になったのです。
32
 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自らそれを行うばかりか、それを行う者を是認さえしています。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが、すべてのことについて主に感謝し、主をほめたたえ、主の霊に満たされて、喜びをもって歩み続けていけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月 2日 (日)

詩篇116篇 主の聖徒たちの歩みと言葉、聖徒たちへの主のお取り扱い

 詩篇116篇には次のように記されています。
1.2
節を、聖書協会共同訳は“1 私は主を愛する。主は嘆き祈る私の声を聞き、2 私に耳を傾けてくださる。私は生きるかぎり呼び求めよう。”と訳し、
 2017は“1 私は主を愛している。主は私の声私の願いを聞いてくださる。2 主が私に耳を傾けてくださるので、私は生きているかぎり主を呼び求める。”と訳し、
 口語訳は“1 わたしは主を愛する。主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。2 主はわたしに耳を傾けられたので、わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。”と訳し、
 リビングバイブルは“1 私は主を愛しています。主が私の祈りを聞いてくださるからです。2 身を乗り出して聞いてくださる主に、私は生きている限り祈り続けます。”と訳しています。

 この個所のヘブライ語聖書の1.2節には、「キー」という単語があり、それは、原因を表す意味を持っています。なぜなら、というのは、~だから、~ので、・・等の意です。
口語訳の文の下線部分に相当します。

 この詩聖は、
「主が祈りを聞いてくださったので、主を愛します」
「主が祈りを聞いてくださるので、主に祈り続けます」
ということを述べているのだと思います。

 私たちキリスト者も色々な理由で主を愛することでしょう。
キリスト者が主を愛する根底には、主が愛してくださったから、というものがあると思います。
 1ヨハネ47-10は次のように記しています。
7 愛する人たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれた者であり、神を知っているからです。
8
 愛さない者は神を知りません。神は愛だからです。
9
 神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に現されました。
10
 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。”(聖書協会共同訳)とあります。

 話を元に戻します。
詩聖は、どのような祈りを主に申し上げ、主に応(こた)えていただいたのでしょうか。
それは生死に関する事柄でした。詩聖は、死ぬかもしれないという状態から主に助けられたのです。

 3-9節をリビングバイブルは次の様に記しています。
3 私は死に直面し、恐怖にかられ、悲しみのどん底に突き落とされました。
4
 私が「主よ、どうかお救いください」と叫ぶと、
5
 主は実にあわれみ深く、恵みを注いでくださいました。
6
 主は子どものように素直な者を、お見捨てにはなりません。私も、死の一歩手前で救われました。
7
 今、私は安らいでいます。主がすばらしい奇蹟を行なってくださったからです。
8
死の手から私を救い出して、つまずくことも、泣くこともないようにしてくださいました。
9
私は生きることができるのです。主の前で、この地上で生きていくのです。”と述べています。

 詩聖が失意のどん底にあったときの心境と、詩聖が主によって生かされた後の心境と行動とを詩聖は次のように記しています。
10.11 私は失意に沈んでいたころ、「人々は私に『良くなる』と言ってくれるが、それはうそだ」と思い悩んでいました。
12
しかし今では、これほどよくしてくださった主に、どのようにお返しをすればよいのか迷っています。
13
感謝のしるしに、ぶどう酒を供え、主の御名をほめたたえましょう。
14
また、かねてからの約束どおり、人々の目の前でいけにえをささげます。
15
主に愛されている人は、主にとって大切な存在です。主はそのような人々を簡単に死なせたりなさいません。
16
ああ主よ。自由の身としていただいた私は、いつまでもあなたにお仕えします。
17
あなたを拝み、感謝のしるしのいけにえをささげます。
18.19
ここエルサレムの神殿の庭で、すべての人々の前で、誓いどおりのことをみないたします。主をほめたたえましょう。”(10-19節・リビングバイブル)と述べています。

 15節を直訳すると、“主の聖徒たちの死は主の目に尊い。”(新改訳)or“主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。”(新共同訳)と訳せると思います。
また、「主に在る敬虔な人たちの死は主の目に損失が大きい」とも訳せます。このような訳し方をしてみるとリビングバイブル的意訳を理解することができるかもしれません。
「尊い」(新改訳)、「値高い」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ヤーカール」で、そのような意味の他、「犠牲(損失)の大きい」という意もあります。

 「聖徒」(新改訳)、「慈しみ」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ハーシードゥ」で、それらの意味の他、信心深い、敬虔な、慈悲深い、・・等の意があり、また、そのような「人」、例えば、「敬虔な人」というような意もあります。

 聖徒は主にとって貴い存在です。
新約の聖徒であるキリストの花嫁は、キリストの空中再臨後、キリストから離れることはないのです。
1
テサロニケ417には“・・・こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(2017)と記され、
ヨハネ143には「・・・。わたし〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕のおる所にあなたがたもおらせるためである。」(口語訳)と記されています。
何という恵みでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたの恵みを体験し、あなたの子どもとされた者は、あなたを賛美し続けることでしょう。
御父と御子に限りなく愛されている者として、私たちもあなたからの愛をいただいてあなたを愛し、隣人を愛して歩む歩みを続けていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月29日 (水)

詩篇115篇 ただ主の御名に栄光あれ

 詩篇115篇には次のように記されています。
1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私たちにではなく、私たちにではなく、あなたの名にこそ、栄光を与えてください。あなたの慈しみとまことのために。
 2 なぜ国々は言うのか。「彼らの神はどこにいるのか」と。
3
 私たちの神は天にいまし、御旨のままにすべてを行われる。
〔私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。(新改訳)〕
4
 彼らの偶像は銀と金、人の手が造ったもの。
5
 口があっても語れず、目があっても見えない。
6
 耳があっても聞こえず、鼻があっても嗅ぐことができない。
7
 手があっても触れず、足があっても歩けない。喉からは声も出せない。
8
 それを造り、頼る者は皆、偶像と同じようになる。
 9 イスラエルよ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に信頼せよ。この方こそ彼らの助け、彼らの盾。
10
 アロンの家よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に信頼せよ。この方こそ彼らの助け、彼らの盾。
11
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を畏れる人々よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に信頼せよ。この方こそ彼らの助け、彼らの盾。
12
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私たちを思い起こし、祝福してくださるように。イスラエルの家を祝福し、アロンの家を祝福してくださるように。
13
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を畏れる人々を祝福してくださるように。小さな人たちも大きな人たちと共に。
14
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたがたを増し加えてくださるように。あなたがたもその子孫も。
15
 あなたがたが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に祝福されるように。天と地を造られた方に。
16
 天は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のもの。地は人の子らに与えられた。
17
 主〔ヤハ(筆者挿入)〕を賛美するのは死者ではなく、沈黙の国に下った人々でもない。
18
 私たちこそ、主〔ヤハ(筆者挿入)〕をたたえよう。今より、とこしえに。ハレルヤ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 4-8節は、偶像について次のように記しています。
4 彼らの偶像は銀と金、人の手が造ったもの。
5
 口があっても語れず、目があっても見えない。
6
 耳があっても聞こえず、鼻があっても嗅ぐことができない。
7
 手があっても触れず、足があっても歩けない。喉からは声も出せない。
8
 それを造り、頼る者は皆、偶像と同じようになる。”とあります。

 偶像により頼む者も偶像を造る者も虚しいことを教えてくれていますが、新約聖書には、更に次のような教えもあります。
コロサイ35には“ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。”(2017)と記され、
エペソ55には“このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者〔「汚れた」という語のギリシア語原語は「アカサルトス」で、(儀式的or道徳的or性的or霊的に)「汚れた、汚い、不純な」等の意です。(筆者挿入)〕、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。”(2017)と記され、
1
ヨハネ521には“子どもたち、偶像から自分を守りなさい。”(2017)と記されています。
偶像礼拝とは、まことの神以外のものを神とすることです。ですからその中にはまことの神を神としない(まことの神を第一としない)思想、願望、・・・等々も含まれます。

 9-11節には次のように記されています。
9 イスラエルよ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に信頼せよ。この方こそ彼らの助け、彼らの盾。
10
 アロンの家よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に信頼せよ。この方こそ彼らの助け、彼らの盾。
11
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を畏れる人々よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に信頼せよ。この方こそ彼らの助け、彼らの盾。”とあります。

 まことの神であるヤハウェ(主)こそ「助け主」であるので、主に信頼するようにと勧められています。
キリスト者は、何があっても、「イエス様」を呼び求めると思います。

 12-15節には次のように記されています。
12 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私たちを思い起こし、祝福してくださるように。イスラエルの家を祝福し、アロンの家を祝福してくださるように。
13
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を畏れる人々を祝福してくださるように。小さな人たちも大きな人たちと共に。
14
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたがたを増し加えてくださるように。あなたがたもその子孫も。
15
 あなたがたが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に祝福されるように。天と地を造られた方に。”とあります。

 新生したキリスト者は、天と地を造られた方から祝福されているのです。
“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(エペソ132017)と記されています。

 16節には“天は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のもの。地は人の子らに与えられた。”と記されています。
キリスト者はキリストの使節として地上に遣わされていますが、国籍は天国籍です。(2コリント520、ピリピ320
エペソ26には“神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。”(2017)と記されています。

 17節には“主〔ヤハ(筆者挿入)〕を賛美するのは死者ではなく、沈黙の国に下った人々でもない。”と記されています。
イエス・キリスト様の十字架、復活、昇天、高挙の後、この状態は変化したようです。
フィリピ26-11には次のように記されています。
6 キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、
7
 かえって自分を無にして僕(しもべ)の形をとり、人間と同じ者に〔人間と同じように(新改訳)〕なられました。人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
9
 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10
 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して父なる神が崇められるためです。”(聖書協会共同訳)とあります。
どうしてそのようになったのでしょう。
1
ペテロ319には“霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。”(新共同訳)と記されています。

 私たちキリスト者は主を賛美することが性質的な意味での本分の一つです。{エペソ16.12.14、詩篇10219(新共同訳)、文語訳は18節}
詩篇10218には“來らんとするのちの世のためにこの事をしるさん。新しくつくられたる民はヤハをほめたたふべし”(文語訳)とあり、
新共同訳は“後の世代のために、このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」”(詩篇10219)と記されています。

 キリスト者は、主の栄光をほめたたえることを喜ぶ者たちです。
詩篇1151.18の次の聖句のように。
1 わたしたちではなく、主よ、わたしたちではなく、あなたの御名こそ、栄え輝きますように。あなたの慈しみとまことによって。
18
わたしたちこそ、主をたたえよう。今も、そしてとこしえに。ハレルヤ。」(新共同訳)と。

<お祈り>
聖なる天のお父様。
御名があがめられますように。
あなたの御国が来ますように。
天の御国でと同じように、この地上でもあなたの御心が行われますように。
いつも恵みとまことによって私たちを扱ってくださっておられますあなたに、恵みとまことに満ちておられる私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月25日 (土)

詩篇114篇 創造主なる神、力ある神が私たちとともにおられる

 詩篇114篇には次のように記されています。
1 イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が言葉の違う民の中から出たとき、
2
 ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の治めるところとなった。
2017は後半部分を“イスラエルは神の領地となった。”と訳し、リビングバイブルは“その時、ユダとイスラエルの地は、神様の新しい住まいとなり、王国となったのです。”と意訳しています。(筆者挿入)〕
3
 海は見て、逃げ去り、ヨルダン川は後ずさりした。
4
 山々は雄羊のように、丘は小羊のように跳ね踊った。
5
 どうしたのか、海よ、逃げ去るとは。ヨルダン川よ、後ずさりするとは。
6
 山々よ、雄羊のように、丘よ、小羊のように跳ね踊るとは。
7
 地よ、主である方の前で身もだえせよ。ヤコブの神の前で。
8
 それは岩を池に、硬い岩を泉に変える方。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1.2節には“1 イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が言葉の違う民の中から出たとき、2 ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の治めるところとなった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 これは出エジプトしたときのことでしょう。
イスラエルは神ヤハウェと契約を結んだのです。
出エジプト記20章の十の言葉(十戒)から始まって、出エジプト記23章までの律法に対して、イスラエルは神ヤハウェと契約を結んだのです。
そして神ヤハウェがイスラエルを治めることになったのです。

 出エジプト241-11には次のように記されています。
1 また、主はモーセに言われた。「あなたはアロン、ナダブとアビフ、およびイスラエルの七十人の長老たちと共に主のもとに登り、遠くからひれ伏しなさい。
2
 モーセだけは主に近づくことができるが、他の者は近づいてはならない。民はモーセと共に登ってもいけない。」
3
 さて、モーセは戻って来て、主のすべての言葉とすべての法を民に語り聞かせた民は皆声を一つにして、「主が語られた言葉をすべて行います」と答えた
4
 そこで、モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山の麓に祭壇を築き、イスラエルの十二の部族にちなんで十二の石柱を立てた。
5
 さらに、モーセはイスラエルの人々のうちから若者たちを遣わした。彼らは数頭の雄牛を焼き尽くすいけにえと会食のいけにえとして主に献げた。
6
 モーセは血の半分を取って小鉢に入れ、血のもう半分は祭壇に打ちかけた。
7
 そして、その契約の書を取り、民に読み聞かせた。すると彼らは、「主が語られたことをすべて行い、聞き従います」と言った
8
 そこで、モーセは血を取り、民の上に振りかけて言った。「これは、主がこのすべての言葉に基づいてあなたがたと結ばれる契約の血である。」
9
 さて、モーセは、アロン、ナダブとアビフ、およびイスラエルの七十人の長老と共に登って行って、10 イスラエルの神を仰ぎ見た。その足の下にはラピスラズリの敷石のようなものがあり、澄み渡る天空のようであった。
11
 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけなかったので、彼らは神を見つめて、食べ、また飲むことができた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 3.5節には“3 海は見て、逃げ去り、ヨルダン川は後ずさりした。5 どうしたのか、海よ、逃げ去るとは。ヨルダン川よ、後ずさりするとは。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 これは葦の海での主の御業とヨルダン川を堰き止めた主の御業です。
エジプト軍がイスラエルの民を追ってきたとき、主が海の水を分けられたので、イスラエルの民は、乾いた地を渡りました。
しかし、イスラエルの民を追ってきたエジプト軍は、主が水を元に戻されたので、その全軍勢が滅びたのです。
この話は出エジプト記14章に記されています。

 また、主がヨルダン川を堰き止められたので、イスラエルの民(おそらく200万人位はいたと思います)が、民は、乾いた地となったヨルダン川を渡ったのです。
この話はヨシュア記3章に記されています。

 4.6節には“4 山々は雄羊のように、丘は小羊のように跳ね踊った。6 山々よ、雄羊のように、丘よ、小羊のように跳ね踊るとは。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 これは主が十の言葉(十戒)をイスラエルに与えられる前に主が起こされたことです。
 出エジプト1916-19には次のように記されています。
16 三日後の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上に臨み、角笛の音が極めて力強く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。
17
 モーセは民を神に出会わせるために宿営から連れ出した。彼らは山の麓に立った。
18
 シナイ山は山全体が煙に包まれていた。主が火の中を通って、山の上に降り立たれたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた
19
 角笛の音がますます力強くなったとき、モーセが語りかけると、神は雷鳴で答えられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 8節を2017は“神は岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を水のあふれる泉に。”と訳しています。
 
出エジプト171-6には次のように記されています(これは出エジプトした最初の年のことです)。
1 イスラエル人の全会衆は、主の命(めい)によりシンの荒れ野を出発し、旅を重ねて、レフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲む水がなかった。
2
 民はモーセと言い争いになり、「飲み水をください」と言った。
モーセは彼らに言った。「なぜあなたがたは私と言い争うのか。なぜ主を試すのか。」
3
 しかし、民はそこで水を渇望し、モーセに対して不平を述べた。
「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私や子どもたちや家 畜を渇きで死なせるためだったのですか。」
4
 そこでモーセは主に叫んだ。「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。彼らは今にも私を石で打ち殺そうとしています。」
 5 主はモーセに言われた。
「民の前を通り、イスラエルの長老を何名か一緒に連れて行きなさい。ナイル川を打ったあなたの杖も手に取って行きなさい。6 私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりに行った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 民数記201-11には次のように記されています(出エジプトした40年目、荒野の生活の最後の年です)。
1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死に、その地に葬られた。
2
 さて、そこには会衆のための水がなく、彼らはモーセとアロンに詰め寄った。
3
 民はモーセと言い争った。「私たちの兄弟が主の前で死に絶えたとき、私たちも死に絶えていればよかった。
4
 なぜ、あなたがたはこんな荒れ野に主の会衆を導き入れたのですか。私たちと家畜をここで死なせるためですか。
5
 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、こんなひどい所に導き入れたのですか。ここは穀物もいちじくも、ぶどうもざくろもない所で、 飲み水さえもありません。」
6
 モーセとアロンは会衆から離れて会見の幕屋の入り口に行き、ひれ伏した。すると、主の栄光が彼らに現れた。
 7 主はモーセに告げられた。
8
 「杖を取り、あなたと兄アロンは会衆を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたは彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に水を飲ませなさい。」
 9 モーセは、主が命じられたとおりに、主の前から杖を取り、10 モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」
11
 モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主なる神は、葦の海の水を右と左に分けて乾いた地を出し、ヨルダン川では、イスラエルの民が渡る場所の上流で水を堰き止め、十戒を与えられる前には山を震(ふる)わせ、飲み水のない所では岩から水を出されたお方です。

 主イエス様は、ガリラヤ湖において嵐に見舞われたとき、一声「黙れ。静まれ」と言って、嵐を鎮められました。
 マルコ436-39には次のように記されています。
36 そこで、彼らは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
37
 すると、激しい突風が起こり、波が舟の中まで入り込み、舟は水浸しになった。
38
 しかし、イエス自身は、艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスを起こして、「先生、私たちが溺れ死んでも、かまわないのですか」と言った。39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 神なる主は自然界を支配できるお方です。それ以上に万物を創造なさり保っておられるお方です。(へブル12.3
ガリラヤ湖の嵐を鎮められた主イエス様の御業を見て、弟子たちは、この方はひょっとして神ではないだろうか、と思った可能性があります。
41
節には“弟子たちは非常に恐れて、「一体この方はどなたなのだろう。風も湖さえも従うではないか」と互いに言った”(聖書協会共同訳)と記されていますから。

 1コリント101-5には次のように記されています。
1 きょうだいたち、次のことはぜひ知っておいてほしい。私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、2 皆、雲の中、海の中で、モーセにあずかる洗礼(バプテスマ)を受け、3 皆、同じ霊の食物を食べ、4 皆、同じ霊の飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに付いて来た霊の岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
5
 しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「岩」は比喩的には神を象徴します。
イスラエルの民は受肉前の御子に導かれ、守られてカナンの地に入ったのであろうと私は思います。
この御子が、私たちを愛し、私たちの為に、肉の体をまとい、十字架上で贖いを成し遂げてくださり、御復活後、信じた者の心の中に住んでくださり(コロサイ127)、天においてはとりなしの祈りをしてくださっておられるお方(ローマ834)、キリスト者の総体である教会(エクレシア)の花婿なのです(エペソ531.32)。

<お祈り>
天のお父様。
創造主なる神様をほめたたえます。
その主が常に私たちと共にいてくださいますからありがとうございます。
今日も主に守られて歩ませていただけますことを感謝します。
私たちは、未来のことを知る力がありませんが、永遠の未来までも見通しておられる主が私たちを導き、すべてのことを相働かせて益としてくださいますから感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月21日 (火)

詩篇113篇 主はとこしえにほめたたえられるべきお方/主を心にお迎えした者の報いは甚だ大きい

  詩篇113篇には次のように記されています。
1 ハレルヤ。主の僕(しもべ)たちよ、賛美せよ。主の名を賛美せよ。
2
 主の名がたたえられるように。今より、とこしえに。
3
 日の昇る所から日の沈む所まで主の名は賛美される。
4
 主はすべての国を超えて高くいまし、その栄光は天を超える。
5
 私たちの神、主のような方がほかにあろうか。
高きところに座し、6 天にあっても地にあっても、低きに下って御覧になる方。
7
 弱い人を塵の中から起こし、貧しい人を芥の中から高く上げ、8 高貴な人々と共に、民の中の高貴な人々と共に座らせてくださる。
9
 子のない女を家に住まわせ、子らを授かり喜ぶ母にしてくださる。ハレルヤ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イスラエル人は神の選びの民です。特にその中でも主なる神様を畏れかしこみ主にお従いする者たちを主は祝福されます。
新生したキリスト者は、主を心にお迎えしている者たちです。
ヨハネ112には“この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。”(2017)と記され、
黙示録320には“見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら〔心の扉を開けるなら(筆者挿入)〕、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”(2017)と記されています。
そのような者たちの賛美が、この詩の中に記されています。

 4節には“主はすべての国を超えて高くいまし、その栄光は天を超える。”と記されています。
2017
は“主はすべての国々の上に高くおられ、その栄光は天の上にある。”と訳しています。
「天」と訳されている語のヘブライ語原語は「シャーマイム」(複数形)で、skyの意味もあれば、heavenheavensの意味もあります。

 パウロは「第三の天」(2コリント122)という場所を記しています。
2
コリント121-4には次のように記されています。
1 私は誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示とについて語りましょう。
2
 私は、キリストにある一人の人を知っています。その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体の外に出てかは知りません。神がご存じです。
3
 私はそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。
4
 その人は楽園〔ギリシア語原語は「パラディソス」(筆者挿入)〕にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を聞いたのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 7節には“7 弱い人を塵の中から起こし、貧しい人を芥の中から高く上げ”と記されています。
アダムの子孫である私たち人間の実体は、弱い人、貧しい人、以下の者です。
キリストの救いにあずかる前の状態は、創造主なる神に反逆して歩み続けていた神の怒りを受けるべき人間であったのです。

 エフェソ(エペソ)21-3には次のように記されています。
1 さて、あなたがたは、過ちと罪とのために死んだ者であって、2 かつては罪の中で、この世の神ならぬ神に従って歩んでいました。空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な子らに今も働く霊に従って歩んでいたのです。
3
 私たちも皆、以前はこういう者たちの中にいて、肉の欲のままに生き、肉とその思いとの欲することを行い、ほかの人々と同じように、生まれながらに神の怒りを受けるべき子でした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所をリビングバイブルは次の様に意訳しています。
1 〔今ではキリストを信じ、キリストの救いにあずかったあなたがたですが(筆者挿入)〕以前のあなたがたは、罪のために永遠に滅びる定めにありました。
2
この世の人と同じ生き方をし、罪にまみれ、主に反抗する人の心に今も働いている、力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。
3
私たちもみな、以前は他の人たちと同じで、その生活は、心にある悪を反映したものでした。欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然のものでした。”とあります。

 このような私たち人間でしたが、義であると共に愛である主なる神様は、罪を犯し続けて生きてきた私たち人間の罪の結果としての神の御怒りを、神の第二位格の神である御子が、神でありつつ人となることによって、そしてその人において神の御怒りを受けてくださったのです。それが十字架上の死でした。
1
テモテ25.6は“5 神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです。”(2017)と記しています。

 キリストの十字架によって、信じる者の罪は赦されました。
しかし、それで終わりでは、罪を赦されてもそこまでです。
神(父なる神)様は、キリストをよみがえらせたのです。
それによって、キリストを信じる者は、新生させて頂けたのです。
1
ペテロ13には“私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。”(2017)と記されています。
1
ヨハネ33.5.6には“3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。”(新共同訳)と記されています。

 驚くべき恵みです。
それだけではありません。詩編1138には“高貴な人々と共に、民の中の高貴な人々と共に座らせてくださる。”(聖書協会共同訳)と記されていますが、キリスト者はどのような扱いなのでしょうか。
エペソ26には“キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所〔天の領域(筆者挿入)〕にすわらせてくださいました。”(新改訳初版~第三版)と記されています。
主イエス様は他の個所で「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ142.3抜粋・2017)と約束してくださったのです。
それもキリストの花嫁としてなのです(黙示録196-9、エペソ531.32)。

 主イエス様は、私たちが地上にいる間も共にいてくださいます。
コロサイ127には“あなたがたのうちにいますキリスト”(抜粋・口語訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちにはとらえきれないほどの恵みを私たちに与えてくださっておられますから限りない感謝をお捧げします。
常に心を主に向けつつこの世の歩みを主に在って歩ませていただけますように。
今日も、主を愛し、主に信頼し、主に従い、主を賛美しながら、歩みたいと願います。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月17日 (金)

詩篇112篇 主を畏れ敬い主に従う者の幸い

 詩篇112篇を、
リビングバイブルは次の様に意訳しています。
1 ハレルヤ。主を信じて従う人は、言い表せないほどの祝福を受けます。心から、神のおことばどおりにする人は幸せです。
2
正しい人は、子どもたちにまで祝福が受け継がれます。その子らは、至る所で尊敬を集めます。
3
正しい人は資産にも恵まれ、善行をたたえられるでしょう。
4
たとえ、暗やみの力に巻き込まれたとしても、すぐに輝くばかりの光に照らされるでしょう。主はあわれみ深く、親切です。
5
公正な取り引きをする人には、万事がうまく運びます。
6
このような人は、事態が思わしくなくなっても、動じたりしません。周囲の人々は、神が彼をいつも目にかけておられるのを見て、深い感銘を受けるのです。
7
彼は悪い知らせを受けても恐れず、今度は何が起こるかと、不安になることもありません。主に見放されるわけがないと、信じきっているからです。
8
それゆえ、何事も恐れず、冷静に敵の顔を見つめることができるのです。
9
彼は物惜しみしたりせず、貧しい人に気前よく与えます。その善行は、いつまでも忘れられず、人々の尊敬を集めます。
10
これを見たひねくれ者は、怒りに震えますが、歯ぎしりしながら逃げだすしかありません。望みが消え去ったからです。”とあります。

 聖書協会共同訳は次のように訳しています。
1 ハレルヤ。幸いな者、主を畏れ、その戒めを大いに喜ぶ人。
2
 彼の子孫はこの地で勇士となり、正しい人々として祝福される。
3
 その家には富と宝があり、彼の正義はいつまでも続く。
4
 正しい人には闇の中にも光が昇る。恵みに満ち、憐れみ深く、正しい光が。
5
 恵みに富み、貸し与える人は良い人。その人は公正に事を行う。
6
 決して揺るがされることなく、正しき人としてとこしえに記憶される。
7
 悪評も恐れず、その心は主に固く信頼している。
8
 その心は堅固で恐れず〔主に堅く信頼して恐れず(筆者挿入)〕、ついに彼は敵を見下すに至る。
9
 貧しい人々には惜しみなく分け与え、その正義はいつまでも続く。彼の角〔「力」の意(筆者挿入)〕は栄光の中、高く上げられる。
10
 悪しき者はそれを見て怒り、歯ぎしりして消え去る。悪しき者らの野望は滅びる。”とあります。

 この個所を読むとレビ記26章と申命記28章の「祝福と呪い」について記されている中の祝福の項目を思い浮かべます。

 申命記28章の祝福される条件とその内容については、1-13節に次のように記されています。
1 もしあなたがあなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日私が命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを、地上のすべての国民の上に高く上げてくださる。
2
 あなたがあなたの神、主の声に聞き従うとき、これらすべての祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶ。
3
 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。
4
 あなたの胎から生まれた子も、土地の実りも、家畜の産むもの、牛の子も羊の子も祝福される。
5
 あなたの籠もこね鉢も祝福される。
6
 あなたは入るときも祝福され、出るときも祝福される。〔「入る」と訳されている語のヘブライ語原語は「ボー」で、to go or comeの意の他abide{留まる、滞在する}の意にも使われますから、どこにいても祝福されるわけです。(筆者挿入)〕
7
 主はあなたに立ち向かう敵をあなたの前で打ち負かされる。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前から七つの道へ逃げて行く。
8
 主はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたの手の業に祝福を定められ、あなたの神、主があなたに与えられた地であなたを祝福される。
9
 あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むとき、主はあなたに誓われたとおり、あなたを聖なる民として立てられる。
10
 地のすべての民は、あなたが主の名で呼ばれるのを見て、あなたを恐れる。
11
 主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの胎から生まれた子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かにされる。
12
 主は恵みの倉である天を開いて、あなたの地に季節に応じて雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたは多くの国民に貸すようになるが、借りることはない。
13
 私が今日守り行うように命じる、あなたの神、主の戒めに聞き従うとき、主はあなたを頭として、尾とすることはない。あなたは常に上にあって、下になることはない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 レビ記26章や申命記28章は神ヤハウェ(主)とイスラエルとの間の契約です。
神ヤハウェ(主)は、イスラエルを、地上における神の国として、立てられました。
キリスト者に対して、「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3202017)と記されているように、キリスト者は天の国籍を持つ者であり、第一義的には地上の祝福ではなく、霊的な祝福です。エペソ13には“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と記されている通りです。

 キリスト者は、地上においては祝福されないのでしょうか。
そのようなことはありません。
主を愛し、主に信頼し、主に従う生活を送ると、益々、主との交わりが豊かになるのです。
それだけではありません。
主の内に全てのものがあるのです。

 主に従う歩みをしても艱難、困難から逃れられるわけではありません。
主は「世にあっては苦難があります。」(ヨハネ16332017)と語られました。
しかし詩篇1127には「彼は悪い知らせを受けても恐れず、今度は何が起こるかと、不安になることもありません。主に見放されるわけがないと、信じきっているからです。」(リビングバイブル)と記されています。

 新生した人は、主イエス・キリスト様に買い取られた花嫁です。花婿キリストが花嫁{教会(キリスト者の総体)}を迎えに来るのは携挙の時ですが。
花婿キリストは命を懸けて花嫁を買い取ったお方です。花婿キリストは花嫁を見捨てることはありません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主の御愛に包まれて地上生活を送ることの出来ます幸いを感謝します。
主を愛し、主に従い続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月13日 (月)

詩篇111篇 主を賛美する民

 詩篇111篇には次のように記されています。
“(アルファベットによる詩)
1
 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝を献げる。正しい人々の集い、会衆の中で。
2
 主の業(わざ)は偉大。それを喜びとするすべての人が求めるもの。
3
 その働きは威厳と輝き、その正義はいつまでも続く。
4
 主は奇しき業を記念するよう定めた。主は恵みに満ち、憐れみ深い。
5
 ご自分を畏れる人々に糧を与え、とこしえに契約を心に留める。
6
 御業の力をその民に知らせ、国々の受け継いだ地を彼らに与えた。
7
 御手の業はまことと公正。その諭しはすべて真実。
8
 これらは代々とこしえに支えられ、まことと正しさをもって行われる。
9
 主はその民を贖い、契約をとこしえに定めた。その名は聖であり、畏るべきもの。
10
 主を畏れることは知恵の初め、これを行う人は皆、優れた思慮を得る。主の賛美はいつまでも続く〔主の誉れは永遠に立つ(2017)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節を2017は「ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげよう。直ぐな人の交わり、主の会衆において。」と訳しています。
「直ぐな人」と訳されている語のヘブライ語原語は「ヤーシャール」で、この個所はその複数形になっています。「ヤーシャール」には「正しい人」の意もあります。
 主なる神様との関係において、正しい人、すなわち、主なる神様を畏れ敬い、信頼し、従う人達からなる会衆一同が、主を信じ、主を愛し、主に感謝し、主をほめたたえる人たちの中にあって、心を尽くして主に感謝をお捧げするとき、その感謝と喜びは大いなるものとなるでしょう。

 2節を新改訳初版~第三版は「主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。」と訳しています。
宇宙についての学び、生物についての学び、その他さまざまな学びを深くすればするほど創造主であられる主なる神様の御力(能力)、御業、美的感覚、その他様々な能力、そしてその御力によって行われた創造以外の御業にも驚嘆せずにはいられません。
 
 話を変えます。
ヨハネ11章に記されているラザロのことですが、ラザロが死んで4日経った後、主イエス様の一声で、ラザロは直ちに復活しました。4日経ったラザロの体の細胞の一つ一つはどのようになっていたことでしょう。死んで四日経った血液はどのようになっていたことでしょう。
ラザロの姉妹であるマルタはもう臭くなっているでしょう、と語りました。それがイスラエルの地にあっては普通のことであったのです。すなわち、細菌等によって体が腐敗しているということです。
それを考えると驚嘆するしかありません。

 3.4節には“3 その働きは威厳と輝き、その正義はいつまでも続く。4 主は奇しき業を記念するよう定めた。主は恵みに満ち、憐れみ深い。”(聖書協会共同訳)と記されています。
主は、とこしえに義なるお方であると共に、愛なるお方であり、恵みと憐みに満ちておられるお方であると記されていますが、キリスト者であれば、だれでも体験していることでしょう。

 5節前半部分には“ご自分を畏れる人々に糧を与え”と記しています。
主を畏れ敬う人は、主を第一とするでしょう。
主イエス様は言われました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの〔必要なもの(筆者挿入)〕はすべて、それに加えて与えられます。」(2017)と言われました。

 5節の後半部分と6節、及び9節の最初の部分には、主は“とこしえに契約を心に留める。御業の力をその民に知らせ、国々の受け継いだ地を彼らに与えた。/主はその民を贖い、契約をとこしえに定めた。”と記されています。
主は、アブラハムとの契約を忘れることなく、イスラエルの民をエジプトから解放し、律法を与え、カナンの地をイスラエルに与えられました。(創世記15章、2813-15、出エジプト224.25201-248、ヨシュア記、他多数)

 7.8節、9節後半部分には“7 御手の業はまことと公正。その諭しはすべて真実。
8
 これらは代々とこしえに支えられ、まことと正しさをもって行われる。/9 ・・。その名は聖であり、畏るべきもの。”と記され、主の本性(御性質)の一部が記されています。

 10節前半部分には“主を畏れることは知恵の初め、これを行う人は皆、優れた思慮を得る。”と記され、人々を諭(さと)しています。

 主を知った人は、1節と10節後半部分に記されているように、とこしえに主を賛美するのです。
新約において、主を知るというのは、主の霊と交わりを持っているということです。
もっと言うと、主と一つ霊とされているもののことです。(1コリント617

 イスラエルはサタンによって{(生まれながらの人間の知れる範囲では)サタンに導かれた人々によって}、いつも悪く言われ、抹殺されようとしてきましたし、いまもなきものにしようとされていますし(詩篇831-4)、大患難時代には獣(反キリスト)がイスラエルを抹殺しようとすると預言されていますが、同時にイスラエルを主が守られると約束されています。{サタンがイスラエルをなきものにしようとする理由は創世記314.15に記されています。(黙示録12章も参照してください)}
イスラエルに対する主の真実を見るとき、聖書に記されている主のイスラエルに対する契約が事実であることを知ることができます。
同じように、キリスト者に対するキリストの血による契約(新契約or新約)もとこしえであり、約束のすべてが成就していきますから、私たちは常に主を賛美することができますし、キリスト者は主を賛美する者として存在している一面もあります{詩篇10219(口語訳、新改訳は18節)、エペソ16.12.14}。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
世の中でどのようなことが起ころうとも、主に信頼しない人たちが何と言おうとも、主のみ旨が聖書に預言されているように実現していきますから御名を崇めて賛美します。
主の空中再臨を待ち望みつつ、今日も主に在って歩む一日であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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