使徒の働き

2016年8月 5日 (金)

使徒28:23-31 ローマにおけるパウロの宣教と結果

28:23そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。
28:24ある者はパウロの言うことを受けいれ、ある者は信じようともしなかった。
28:25互に意見が合わなくて、みんなの者が帰ろうとしていた時、パウロはひとこと述べて言った、「聖霊はよくも預言者イザヤによって、あなたがたの先祖に語ったものである。
28:26『この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
28:27この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
28:28そこで、あなたがたは知っておくがよい。神のこの救の言葉は、異邦人に送られたのだ。彼らは、これに聞きしたがうであろう」。
28:29パウロがこれらのことを述べ終ると、ユダヤ人らは、互に論じ合いながら帰って行った。〕
28:30パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、
28:31はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。”(口語訳)

 パウロは、ローマに到着して三日後に、ユダヤ人たちの主だった人たちを招いて、自分が囚人としてここにいることの弁明をしました。そしてさらに詳しく話をしようと思ったのですが、ユダヤ人たちは日を改めて聞くことにしたのです。(16-22)

 23節には、「そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。」とあります。
ユダヤ人の主だった人たちは、日を定めて、より多くのユダヤ人たちと共にパウロの宿泊所にやって来たのでした。パウロはユダヤ人たちに、朝から晩まで語り続けました。現代は説教の時間が少々長くなると嫌われる傾向がありますが、パウロは朝から晩まで語り、聴衆のユダヤ人たちはその説教を聞き続けました。聞いているユダヤ人たちもすごいと思います。
パウロは、どこへ行っても、まずユダヤ人たちに語りました。
ユダヤ人たちは(旧約)聖書を知っていましたから、パウロは、聖書に記されてある数々の預言を用いて、ナザレのイエスこそメシア(キリスト・救い主)であることを語り続けたのです。

 その結果、ある者はパウロの言うことを受けいれ、ある者は信じようともしなかったのでした(24)。この様に、福音が語られた時、信じる人と信じない人がいることは、常のことです。パウロがこれまで宣教してきたところにおいては、反対者たちが過激な行動へと移っていきましたが、大都会ローマで生活しているユダヤ人たちはそのようにはならなかったようです。

 パウロの話を聞いたユダヤ人たちの内の多くの人たちは、パウロの意見と一致することが出来ませんでした。
ユダヤ人たちが帰りかけたので、パウロは彼らに、イザヤ6:9.10(70人訳)の預言のことばを、
「行って、この民に言うがよい。
お前たちはいくら聞いても、悟らないだろう。
また見ることは見るが、認めないだろう。
なぜならば、この民の心は鈍感になった、
そして彼らの耳は遠くなった、
また、彼らは自分たちの目を閉じてしまった。
その結果、彼らは目で見るということもなく、
耳で聞くということもなく、
心で悟るということもなく、
立ち帰るということもなくなり、
また私が彼らを癒すこともなくなるだろう。」(26.27・岩波訳)と引用し、続けて、
「だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」(28・新共同訳)と語りました。

 29節には、「パウロがこれらのことを述べ終ると、ユダヤ人らは、互に論じ合いながら帰って行った。」とあります。
この29節は、写本によって入っているものと入っていないものがあるので〔  〕書きにななっています。

 30.31節には、「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」(新共同訳)とあります。
パウロはこの間に、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピリピ人への手紙、ピレモンへの手紙などを書いたようです。
パウロのそばにアリスタルコとルカがいました。ルカは最後までパウロのそばに留まっていました。また、上記の手紙類から、テモテ、テキコ、エパフロデト、マルコたちも一時期パウロのもとに来て交わりを持ったことが分かります。

 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んでいました(30)。
どの本に書いてあったのか覚えていないのですが、「当時のローマの法律によると、告訴人が18か月以内に法廷に出頭しなければ、被告を釈放する決まりがありました。ユダヤ教当局者は、カイザリヤにおいてさえ勝訴できなかった。それに嘗てユダヤ人追放令の出されたことのあるローマでは、到底勝ち目はなかったと思ったに相違ありません。ですからパウロ到着後、1年半たっても、彼を訴える者が法廷に来なかったことから、彼の不戦勝が決まったのでしょう。また、釈放の手続きの為に、更に数か月を要したのでしょう。」と私の聖書の余白に書いてありました。

 このローマでの福音の広がりとパウロの心境、また、キリスト者の兄弟たちの変化について、パウロは、ピリピ1:12-26に、
“1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員〔兵営全体(新共同訳)〕と、そのほかのすべての人にも明らかになり、
1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。
1:15 人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。
1:16 一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、
1:17 他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。
1:18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
1:19 というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊〔霊(口語訳・新共同訳)〕の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。
1:20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。
1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。
1:26 そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。”(新改訳)と記しています。 

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたのなさることの中には、どうして? と思えるようなこともありますが、いずれにおいても無駄のないことが分かります。
あなたの導きにはすべて意味がありますから、喜びをもって主に仕え続けていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン
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(詩篇100:2)「喜びをもって主に仕えよ。」(新改訳)

2016年8月 4日 (木)

使徒28:17-23 ローマにてユダヤ人たちへの弁明と宣教

28:17三日たってから、パウロは、重立ったユダヤ人たちを招いた。みんなの者が集まったとき、彼らに言った、「兄弟たちよ、わたしは、わが国民に対しても、あるいは先祖伝来の慣例に対しても、何一つそむく行為がなかったのに、エルサレムで囚人としてローマ人たちの手に引き渡された。
28:18彼らはわたしを取り調べた結果、なんら死に当る罪状もないので、わたしを釈放しようと思ったのであるが、
28:19ユダヤ人たちがこれに反対したため、わたしはやむを得ず、カイザルに上訴するに至ったのである。しかしわたしは、わが同胞を訴えようなどとしているのではない。
28:20こういうわけで、あなたがたに会って語り合いたいと願っていた。事実、わたしは、イスラエルのいだいている希望のゆえに、この鎖につながれているのである」。
28:21そこで彼らは、パウロに言った、「わたしたちは、ユダヤ人たちから、あなたについて、なんの文書も受け取っていないし、また、兄弟たちの中からここにきて、あなたについて不利な報告をしたり、悪口を言ったりした者もなかった。
28:22わたしたちは、あなたの考えていることを、直接あなたから聞くのが、正しいことだと思っている。実は、この宗派については、いたるところで反対のあることが、わたしたちの耳にもはいっている」。
28:23そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。”(口語訳)

 ローマに到着して三日後に、パウロは、ユダヤ人のおもだった人たちを招きました。
ユダヤ人の主だった人たちは、パウロの借りた家に来てくれました(17)。パウロが自由の身であった時は、パウロは何時もユダヤ人の会堂に入って宣教していましたが、現在は番兵付の軟禁状態(16)ですからユダヤ人の主だった人たちを招いたのです。

 ユダヤ人の主だった人たちに、パウロは、自分が囚人としてここにいる理由と身の潔白について、また、ユダヤ人の主だった人たちを招いた理由とを、「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。」(17-20・新改訳)と述べました。

 パウロは更に加えて、「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」(20・新改訳)と語りました。
このことに関して、以前、パウロは、サンヘドリン(議会・最高法院)では、「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」(使徒23:6・新共同訳)と述べましたし、
総督ペリクスの前では、この時は大祭司たちもいましたが、そのときには、「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。」(24:15・新共同訳)と述べ、
アグリッパ王並びに総督フェストや市の首脳たちの前では、「今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。」(使徒26:6-8・新共同訳)と述べました。

 「イスラエルの望み(希望)」とパウロが語った時、ユダヤ人たちは、パウロと同じようには考えなかったでしょう。ユダヤ人たちは、イスラエルの国の再興のことを想像したと思います。イエス様が地上におられた時、3年半の間寝起きを共にした弟子たちでさえ、イエス様がご復活された後、「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」(使徒1:6・新改訳)とイエス様に尋ねたのですから。

 21節には、「すると、ユダヤ人たちが言った。『私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。』」(新共同訳)とあります。
パウロは、ユダヤ人たちが話す前に、自分が囚人としてここにいる理由と身の潔白について語りましたが、ユダヤ人たちは、パウロのことについて、エルサレムからの書状や人による連絡もないので、パウロについてはあまり知らないと答えたのです。
それに加えてユダヤ人たちはパウロに、「私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」(22・新改訳)と語りました。
そして日を改めてパウロから話を聞く機会を持ったのです(23)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ローマにはキリスト者たちの集まり(教会)もあったわけですが、ローマ在住のユダヤ人たちは、ローマの教会を迫害するのでもなく、自分たちは自分たち、彼らは彼ら、というような関係であったように思われます。何か現代の日本の大都会の宗教観に通じるようにも思えます。
ローマのユダヤ人たちが暴力的になることはありませんでした。だからと言って信じることはまた別であったことが使徒の働きを最後まで読むと分かります。
のれんに腕押しのような人たちにもパウロは熱心に語っていきました。何か日本に似ているように思えます。
イエス様の福音を伝えた時に、その人が信じてくれれば大喜びできますが、福音にふれた人が信じなくても淡々と主を伝えていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年8月 3日 (水)

使徒28:11-16 マルタを出発しローマに到着したパウロ

28:11三か月たった後、わたしたちは、この島に冬ごもりをしていたデオスクリの船飾りのあるアレキサンドリヤの舟で、出帆した。
28:12そして、シラクサに寄港して三日のあいだ停泊し、
28:13そこから進んでレギオンに行った。それから一日おいて、南風が吹いてきたのに乗じ、ふつか目にポテオリに着いた。
28:14そこで兄弟たちに会い、勧められるまま、彼らのところに七日間も滞在した。それからわたしたちは、ついにローマに到着した。
28:15ところが、兄弟たちは、わたしたちのことを聞いて、アピオ・ポロおよびトレス・タベルネまで出迎えてくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し勇み立った。
28:16わたしたちがローマに着いた後、パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。”(口語訳)

 11節には、「三か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。ディオスクロイを船印とする船であった。」(新共同訳)とあります。
マルタ島には三ヶ月いたことが分かります。パウロたち一行は、三ヶ月の間困ることなく過ごすことが出来ました。パウロ、ルカ、アリスタルコは、この島では医療宣教チームのようでした。島の首長であるポプリオの父の重い病をいやし、また島の病人たちをも癒したのです。主に祈りをささげ、手を置いて治していったのでしょう。祈って手を置いて癒したのですから、病人を初め、病人を連れてきた人たちもそれを見たことでしょう。パウロたちは祈って治療を行うので、どのような神様に祈っているのかをも訊ねてきたことと思います。そこで証をしたことでしょう。マルタ島で宣教したかどうかについて聖書は語っていませんからあくまでも想像です。
マルタ島に漂着して三か月後、一行は、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航したのです(11)。この船の船首にはデオスクロイの飾りがついていました。これについて注解付新改訳聖書の注は、“デオスクロイとは、ゼウスの子である双子の兄弟カストルとポルックスのこと。当時の船乗りは、航海の守護神であるこの神々の像を、飾りとして船首につけた。”と記しています。

 12.13節には、「そして、シラクサに寄港して三日のあいだ停泊し、そこから進んでレギオンに行った。それから一日おいて、南風が吹いてきたのに乗じ、ふつか目にポテオリに着いた。」とあります。
一行が乗船した船は、その当時ローマの支配下にあったシチリア島のシラクサに入港しました。マルタとシラクサの距離は約150kmだそうです。シラクサには三日間停泊していました。シラクサ港を出発し、次は約130km北にあるレギオン港に停泊したのです。1日待つと南風が吹いてきました。そこで、船は出港し、二日目には約320km北にあるポテオリ港に着いたのでした。当時ローマに行く船客はナポリ湾の北岸にあるポテオリ港で下船したのです。ローマまでの約180kmは陸路を行きました。

 14節には、「そこで兄弟たちに会い、勧められるまま、彼らのところに七日間も滞在した。それからわたしたちは、ついにローマに到着した。」とあります。
パウロは囚人としてローマに向かったわけです。それはこの時も変わりません。ユリアス隊長が許可してくれなくでは、ポテオリでキリストにある兄弟たちに会い、彼らのところに七日間も滞在するということはありえないことです。ユリアス隊長は許可したのです。
一行は、ポテオリから1日ほど北に進んでカプアに行きました。カプアからローマへは、BC300年に時の執政官アッピウス・クラウディウスによって造られたアッピア街道を行きました。その途中に、アピオ・ポロとトレス・タベルネがあります。ローマ教会の兄弟たちはその所まで迎えに来たのです(15)。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられました(15)。パウロはローマまでの間、護送の兵士たちと共にまた一緒の囚人たちと共に行動していたのですから。
パウロは3年前にコリントからローマの兄姉達に宛てて手紙を書いて送ったことがありました。それはローマ人への手紙として新約聖書に残されています。そのローマ人への手紙の15:29には、「あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。」(新改訳)と記されています。

 16節には、「わたしたちがローマに着いた後、パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。」とあります。
パウロは皇帝に上訴中でありました。総督フェストの送り状やローマ皇帝直属の部隊の百人隊長ユリアスの言葉添えもあったのかも知れませんが、パウロは番兵付ではありましたが家を借りて(使徒28:30)一人で住むことが許されました。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
パウロがローマに到着するまでの間、多くの艱難に見舞われ、その時々をもし私が経験したとしたら、「アーッ、もう駄目だ。」と幾度も思っていたかもしれません。
しかし、万事休す、というような状況を幾度経たとしても、神様の約束は成就していくことを覚えます。
真実なあなたの御手に守られて、今日も生かされて、歩ませていただけますことを感謝し、
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年8月 2日 (火)

使徒28:1-10 マルタ島におけるパウロ

28:1わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。
28:2土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれた。すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのである。
28:3そのとき、パウロはひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、彼の手にかみついた。
28:4土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、互に言った、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様〔正義の女神(新改訳)、{ギ}ディケー〕が彼を生かしてはおかないのだ」。
28:5ところがパウロは、まむしを火の中に振り落して、なんの害も被らなかった。
28:6彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた。しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。
28:7さて、その場所の近くに、島の首長、ポプリオという人の所有地があった。彼は、そこにわたしたちを招待して、三日のあいだ親切にもてなしてくれた。
28:8たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。
28:9このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくとやってきて、みないやされた。
28:10彼らはわたしたちを非常に尊敬し、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれた。”(口語訳)

 乗船していた船は難破しましたが、276人の乗船者全員が、自分の力だけで泳いだり、板切れや、その他の船にあるものにつかまって泳いだりしてマルタ島に上陸できました。上陸できた島がマルタであると分かったのは上陸後でした。マルタ島は、イタリアのシチリア島から約95km南にある島です。現在はマルタ共和国の一部で、マルタ共和国は、マルタ島、ゴゾ島、コミノ島からなり、その面積は316km²で、淡路島の三分の二くらいの面積であり、東京23区の面積の約半分です。その内マルタ島は240km²であるとのことです。
パウロが乗船していた船は、クレタ島の良い港を出港し、しばらくしてからユーラクロンという暴風に見舞われました。クレタ島の少し南にクラウダという小さな島がありました。そのクラウダ島からマルタ島までは約900kmあります。パウロ達が乗っていた船は、暴風の中、約900kmも流されたことがわかります。900kmというと東京から新幹線で山口県の徳山駅まであります。そのくらいの距離を暴風で大波の中、流され続けたのです。
パウロが、もしも主のおことばに信頼していなかったとしたら、二週間の間、死の恐怖にさいなまされていたことでしょう。しかし、パウロが、「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11)というイエス様から頂いたおことばを信じ続けていたら、何があっても死なないと、大嵐の中でも落ち着いていることが出来たでしょう。体は辛かったでしょうが、心には平安があったことと思います。神の国(支配)は義と平和と聖霊による喜びだからです(ローマ14:7)。

 マルタ島の人々、彼らはフェニキア人の血統の人であったとのことですが、大変親切な人たちでした。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、276人の者達をもてなしてくれたのです(2)。皆はほっとしたり、温まったりして元気を取り戻していったことでしょう。

 パウロはこの時も、ただ何かをしてもらうだけではなく、自分から奉仕をしていました。しかし、パウロが、ひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、パウロの手にかみついたのでした(3)。
マムシにかみつかれたパウロを見た島の人たちは、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合ったのでした(4)。何しろパウロの手にマムシが咬みついてぶら下がっていたのですから。ところが、パウロはマムシを火の中に振り落として何の害も受けなかったのです(5)。 

 島の人々は、パウロの手が腫れ上がって来るか、或いはパウロが倒れて急死するだろう、と待っていました。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ」と言いだしたのです(6)。

 さて、この場所の近くに、ポプリオ〔プブリウス(新共同訳)〕という島の首長の所有地がありました。ポプリオは自分の所にパウロたちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれました(7)。
たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていました。そこでパウロは、ポプリオの父のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してあげたのです(8)。
マムシにかまれても害を受けなかったパウロによって、ポプリオの父が癒されたという情報は、すぐに知れ渡りました。それで、島のほかの病人たちもやって来たり運ばれてきたのです。そして、パウロに治してもらったのです(9)。その結果、島の人々は、パウロたちを非常に尊敬しました。そして、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれました(10)。パウロたちは三か月間をマルタ島で過ごしたのでした(11)。

 マルコ16:18に、「蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(新改訳)と記されていますが、まるでマルタ島にいた時のパウロのようです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは、無実なのに囚人としての扱いを受けることを許し、船が幾日も暴風に流されることを許し、船が難破することも許し、毒蛇にかまれることも許されました。これは四重苦です。たまったものではありません。しかし、あなたはそれらを用いられました。あなたこそはピンチを変えてチャンスとなさるお方であることを覚えます。あなたは時としてドラマチックなことをなさいます。
私たちは、ピンチと思えるようなときもあなたに信頼して歩んでいくのみです。逆境であればあるほど、内におられる主の信仰によって歩ませてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年8月 1日 (月)

使徒27:39-28:1 乗船者全員がマルタ島に上陸できた

27:39夜が明けて、どこの土地かよくわからなかったが、砂浜のある入江が見えたので、できれば、それに舟を乗り入れようということになった。
27:40そこで、いかりを切り離して海に捨て、同時にかじの綱をゆるめ、風に前の帆をあげて、砂浜にむかって進んだ。
27:41ところが、潮流の流れ合う所に突き進んだため、舟を浅瀬に乗りあげてしまって、へさきがめり込んで動かなくなり、ともの方は激浪のためにこわされた。〔ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。(新共同訳)〕
27:42兵卒たちは、囚人らが泳いで逃げるおそれがあるので、殺してしまおうと図ったが、
27:43
百卒長は、パウロを救いたいと思うところから、その意図をしりぞけ、泳げる者はまず海に飛び込んで陸に行き、
27:44その他の者は、板や舟の破片に乗って行くように命じた。こうして、全部の者が上陸して救われたのであった。
28:1わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。”(口語訳)

 夜が明けて周りの景色が見える状態になっていました。すると、砂浜のある入り江が目に留まったのです。そこで、その砂浜に船を乗り入れようということになりました(39)。

 砂浜に船を乗り入れるのであれば、もはや錨は必要ありませんから、錨を切り離して海に捨てました。それとともに舵の綱をゆるめ、風に前の帆をあげて、砂浜にむかって進んでいきました(40)。

 ところが砂浜に乗り上げる前に浅瀬に座礁してしまい、船首がめり込んで動かなくなってしまったのです。それだけではなく船尾は激しい波で壊れだしたのでした(40)。

 この船にはパウロの他にも数人の囚人たちが乗っていたのです(使徒27:1)。
ローマにおいては、囚人を預かっている兵士は、囚人を逃がしたら厳しく責任を問われますから、兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計りました(42)。

 パウロに対して、天使が、主の御告げを告げてくれた話を、兵士たちも聞いたはずですが、誰もパウロが証した話の内容を信じてはいなかったのです。パウロが皆に話した内容は、「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」(使徒27:23-25・新改訳)というものでした。
パウロに与えられた預言を信じていたとすれば、全員の命が助かると共に乗船しているすべての人をパウロの支配下に置くという主のことばを信じていたはずでした。少し前に乗客をおいて逃げ出そうとした船員たちも、この兵士たちも、パウロのことばを信じていなかったことが分かります。

 百人隊長ユリアスは、パウロに対し、最初の頃から寛大であったことが、使徒27:1-3に、「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。」(新改訳)と記されていました。百人隊長は、乗船後のパウロの話の内容を耳にしパウロの行動を見ていたことでしょう。恐らく最初の時よりもより一層パウロに対して好意を持っていたのだろうと思います。百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、兵士たちが囚人を殺してしまうことを止めました。そして、百人隊長は、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じたのでした(43.44)。百人隊長の命令によって全員が上陸できました。そこはマルタ島でした(使徒28:1)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
パウロは、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11・新改訳)と主イエス様から語られてからずいぶんと色々なところを通ってきました。
鎖をつけられた状態ではありましたが王たちの前で証をさせて頂けたという嬉しいこともありましたが、まさに苦難に続く苦難の中を通って、みことばが成就されていくのを見てきたことです。また、「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」(使徒27:24)という天使を通して語られた主の御告げの中の「カイザルの前に立つ」という箇所はローマ到着後のことになりますが、後半の部分は成就しました。
ここから、あなたからおことばを頂いても、そのおことばが成就するまでには紆余曲折がある場合もあるということを教えられます。
おことばを頂くや否や、事が成就すればよいのですが、そうでない場合でも、主の約束を信じ続けて歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年7月31日 (日)

使徒27:27-38 14日間食べることが出来なかった乗船者たちがパウロの勧めで食事をした

27:27わたしたちがアドリヤ海に漂ってから十四日目の夜になった時、真夜中ごろ、水夫らはどこかの陸地に近づいたように感じた。
27:28そこで、水の深さを測ってみたところ、二十ひろ〔40mほど(新改訳)〕であることがわかった。それから少し進んで、もう一度測ってみたら、十五ひろ〔30mほど(新改訳)〕であった。
27:29わたしたちが、万一暗礁に乗り上げては大変だと、人々は気づかって、ともから四つのいかりを投げおろし、夜の明けるのを待ちわびていた。
27:30その時、水夫らが舟から逃げ出そうと思って、へさきからいかりを投げおろすと見せかけ、小舟を海におろしていたので、
27:31パウロは、百卒長や兵卒たちに言った、「あの人たちが、舟に残っていなければ、あなたがたは助からない」。
27:32そこで兵卒たちは、小舟の綱を断ち切って、その流れて行くままに任せた。
27:33夜が明けかけたころ、パウロは一同の者に、食事をするように勧めて言った、「あなたがたが食事もせずに、見張りを続けてから、何も食べないで、きょうが十四日目に当る。
27:34だから、いま食事を取ることをお勧めする。それが、あなたがたを救うことになるのだから。たしかに髪の毛ひとすじでも、あなたがたの頭から失われることはないであろう」。
27:35
彼はこう言って、パンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べはじめた。
27:36そこで、みんなの者も元気づいて食事をした。
27:37舟にいたわたしたちは、合わせて二百七十六人であった。
27:38みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くした。”(口語訳)

 嵐にもてあそばれて14日経過しました。
詩篇のことばを借りると
“107:23 船に乗って海に出る者、大海であきないする者、
107:24 彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。
107:25 主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。
107:26 彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。
107:27 彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。
107:28 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。
107:29 主があらしを静めると、波はないだ。”(新改訳)
という感じであったろうと思います。

 27.28節には、「わたしたちがアドリヤ海に漂ってから十四日目の夜になった時、真夜中ごろ、水夫らはどこかの陸地に近づいたように感じた。そこで、水の深さを測ってみたところ、二十ひろ〔40mほど(新改訳)〕であることがわかった。それから少し進んで、もう一度測ってみたら、十五ひろ〔30mほど(新改訳)〕であった。」とあります。
「わたしたちがアドリヤ海に漂ってから」とありますが、ルカが使徒の働きを記した頃のアドリア海は現在よりもかなり広い海域を指していたのだろうと想像します。現代では、アドリア海の南側にイオニア海があります。しかし、クレテ島はイオニア海よりも南側です。パウロをはじめ、この船に乗船していた人たちが上陸できた島はマルタ島(使徒28:1)ですから、イオニア海と北アフリカの間のリビア海を漂っていたのではないかと思います。

 クレテ島の良い港を出港してから、大暴風に遭い、それ以来この日で14日になっていたのです。
船のその時の位置はマルタ島の近くであったのです。陸地に近づいてきたのが分かったわけは、水の深さが40m、30mと浅くなってきたからでした。口語訳で「二十ひろ(尋)」と訳されてある原語は、(ギ)ὀργυιά オルグウィーア という語で、両手をいっぱいに伸ばした長さということのようです。KJV訳は、fathom と訳しています。fathomは、おもに水深を測る単位で183cmとのことです。両手を伸ばした長さで183cmですから、一般的な日本人よりも大きな人種の国の人たちが決めたのでしょうね。

 話を元に戻します。
水深が浅くなってきたらなってきたで、今度は、船が暗礁に乗り上げることを恐れたのです。それで船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびていたのでした(29)。

 パウロは、乗船者全員に対して、「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(使徒27:21-26・新改訳)とすでに語っていましたが、船員たちはパウロのことばを信じていませんでした。船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたのです(30)。

 パウロは、船員たちが、船から逃げ出そうとして船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたのを知って、百人隊長と兵士たちに、「あの船員たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」と言ったのでした(31)。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れ去るのにまかせたのでした(32)。

 皆、眠れぬ夜を過ごしていましたが、夜が明けかけ、少し明るくなってきました。
その時、パウロは、皆の者に、「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」(33.34・新改訳)と言ってから、パウロは一同の前でパンをとり、神に感謝をささげてからパンを食べ始めました(35)。この船には276人が乗船していたのです(37)。乗船者一同も十分に食べました。食べ終わった後、船を軽くするために穀物を海に投げ捨てました(38)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この嵐においても、神様が真実なお方であるということをお示しくださり感謝します。
私たちキリスト者も人生の海の嵐に遭遇しますが、あなた様とあなたのおことばを疑うことなく信じ続けて勝利を体験し続けていくことが出来ますようお願いいたします。
まさに、信仰は勝利です。信仰こそ勝利です。あなたが勝利させてくださるからです。
御名を賛美しつつ主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年7月30日 (土)

使徒27:21-26 死に瀕している者達に対するパウロの預言

27:21みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。
27:22だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。
27:23昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、
27:24
『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。
27:25だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。
27:26われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。”(口語訳)

 パウロと同労者のルカとアリスタルコも乗船者の皆と同じように食事をすることも出来ず、激しい揺れと難船の危機を感じながら乗っていたことでしょう(使徒27:18-21)。このような状態では幾日にも亘って眠ることも出来なかったことでしょう。
2年以上前に、パウロがイエス様から、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムで私のことを証したように、ローマでも証をしなければならない。」(使徒23:11)と言われた、という証を同労者のルカとアリスタルコは、パウロから聞いていたと思います。
乗船者たちは皆、食べれない、眠れない、ということは同じでしたが、パウロたちは、他のキリスト者ではない乗船者たちとは、希望という点で大きな違いがありました。パウロたちは、如何なることが起ころうともローマに行って証をするまでは、使命が全うされないし、神様が語りだされたおことばは、虚しく地に落ちることはなく、必ず事を成し遂げる(イザヤ55:11)のであるから、自分たちはローマの地を踏み、証をする、という神様のおことばに対する信仰を持っていたことだろうと思います。 

 23節には、昨日の夜のこと、パウロに天使が現れました、とあります。
昨夜、パウロのそばに天使が立ち、神様からパウロへのおことばを、天使は、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」と伝えたのでした(23.24)。

 パウロは天使から受けた神様のおことばを翌日までしまっておきました。
そして、翌日になってから、乗船しているすべての人に対し、「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(21-26・新共同訳)と語ったのでした。

 囚人という立場に置かれているパウロの最初の忠告は、最初は聞いてもらえませんでした(使徒27:9-12)が、どうにもならない艱難の後には、神のことばを与えられたパウロが、主導権をとるようになったのです。アグリッパ王の前でも神のおことばを語った後は立場が逆転していました。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
パウロは、乗船者たちに向かって、「わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」(26)と語っていますが、あなた様がおことばを語ってくださるとき、間違いなく、且つしっかりと聞くことが出来、語っていただいたおことばに100%の信頼を置いて歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年7月29日 (金)

使徒27:9-19 パウロの警告を無視し、激しい暴風に翻弄される

27:9長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、パウロは人々に警告して言った、
27:10「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」。
27:11しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。
27:12なお、この港は冬を過ごすのに適しないので、大多数の者は、ここから出て、できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した。
27:13時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行した。
27:14すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。
27:15そのために、舟が流されて風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せた。
27:16それから、クラウダという小島の陰に、はいり込んだので、わたしたちは、やっとのことで小舟を処置することができ、
27:17それを舟に引き上げてから、綱で船体を巻きつけた。また、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れ、帆をおろして流れるままにした。
27:18わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を捨てはじめ、
27:19三日目には、船具までも、てずから投げすてた。
27:20幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。”(口語訳)

 かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険な期間となっていました。それで、パウロは、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」と人々に忠告しました(9.10)。
「断食日」と「航海の危険な季節」について、注解付新改訳聖書の注によると、
“「断食日」とは、律法の定めによれば、贖罪の日である第7月の10日(太陽暦の十月頃)には、断食をしなければならなかった{(レビ23:26-32)「身を戒める」とは断食のこと}。
「航海の危険な季節」について:地中海では、海が荒れる為、11月11日から3月5日までは航海は完全に休止され、更に5月15日までと、9月14日からは航海は危険とされていた。”
とあります。

 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用したのでした(11)。それと、今停泊しているギリシャ最大の島クレテ(クレタ島)の「良い港」(使徒27:7.8)よりも、良い港から65km西にあるクレテのピニクス港の方が良い港よりも広い宿舎があり、便利で冬を過ごすのに適している(ウェスレアン聖書注解)という船長の考えに大多数の乗船者たちも賛成しましした(12)。
パウロの意見に反するように、穏やかな南風が吹いてきました(13)。皆は、やはり素人の囚人パウロの意見よりも船長の考えが正しい、と思ったことでしょう。穏やかな南風が吹いて来たので、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行したのでした(13)。ところが、しばらく進むと、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島(クレタ島)のイディ山(2456m)から吹きおろしてきて、船はその暴風に巻き込まれてしまいました。激しい風に逆らって進むことが出来ず、船は風に吹かれて流されるままとなってしまったのです(14.15)。クレタ島全体は山がちな地形であり、2000m以上の山がいくつかあります。クレタ島のやや西側の南方にクラウダという小さな島があります。風に流されていた船がクラウダの島陰の位置に来たとき荒波が少しおさまったので、この船に繋いで曳航していた小舟をなんとか引き上げて、備え綱で船体を巻いて波で船体が壊れないようにしたのでした(当時は今の様に小舟を初めから甲板に乗せておくことはしなかったのです)。小舟は海水がいっぱい入ってしまっていたので引き上げるのが大変であったのでした。小舟を引き上げたのは激しい波で壊されないようにする為でした(16.17)。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れ、帆をおろし、錨を下ろして流れるままにしたのでした(17)。

 しかしながら、なお暴風は続きました。船は暴風に激しく翻弄され続けたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまったのです(18.19)。そして、激しい暴風は吹きまくり、太陽も星も見えない日が幾日も続き、もはや助かる最後の望みも絶たれようとしていた状況でした(20)。

 パウロは、良い港を出港する前に、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう。」と忠告しました。このパウロのことばが、パウロのこれまでの経験からなのか、主からの忠告であったのかはこの文章からだけでは分かりませんが、結果としては、パウロが語った通りに事は進み、積み荷も捨て、船具も捨ててしまう羽目となったのです。
良い港に留まるという選択もあったのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この出来事は示唆に富んでいるように思えます。他人ごととは思えません。
主が安全な方法を示してくださっておられるのに、この世の方法を採用し、初めは良かったのに、途中から雲行きが怪しくなり、果ては大変なこと巻き込まれてしまうというようなことはないだろうか、と考えさせられました。
キリスト者は神の子どもなので、親である神様が、子どもである私たちに示してくださった法則に基づいて歩むことの大切さを、再認識させられました。
(箴言3:5-7)の「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪〔主のことばを信ぜず或いは軽く見て主に従わないこと(筆者挿入)〕を避けよ。」(新共同訳)とのおことばを思い起こしました。
あなたに感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年7月28日 (木)

使徒27:1-8 ローマへ1(カイザリヤからクレテ島へ)

27:1さて、わたしたちが、舟でイタリヤに行くことが決まった時、パウロとそのほか数人の囚人とは、近衛隊の百卒長ユリアスに託された。
27:2そしてわたしたちは、アジヤ沿岸の各所に寄港することになっているアドラミテオの舟に乗り込んで、出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。
27:3次の日、シドンに入港したが、ユリアスは、パウロを親切に取り扱い、友人をおとずれてかんたいを受けることを、許した。
27:4それからわたしたちは、ここから船出したが、逆風にあったので、クプロの島かげを航行し、
27:5キリキヤとパンフリヤの沖を過ぎて、ルキヤのミラに入港した。
27:6そこに、イタリヤ行きのアレキサンドリヤの舟があったので、百卒長は、わたしたちをその舟に乗り込ませた。
27:7幾日ものあいだ、舟の進みがおそくて、わたしたちは、かろうじてクニドの沖合にきたが、風がわたしたちの行く手をはばむので、サルモネの沖、クレテの島かげを航行し、
27:8その岸に沿って進み、かろうじて「良き港」と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。”(口語訳)

 1節には、「さて、わたしたちが、舟でイタリヤに行くことが決まった時、パウロとそのほか数人の囚人とは、近衛隊の百卒長ユリアスに託された。」とあります。
「近衛隊」を、新改訳は「親衛隊」、新共同訳は「皇帝直属部隊」と訳しています。
「百卒長」を、新改訳と新共同訳は「百人隊長」と訳しています。
この節から、ローマ皇帝の直属部隊がカイザリヤに駐屯していたことが分かります。
パウロが皇帝に上訴したので、総督はその手はずを整えたのでしょう。パウロは船でイタリヤに行くことが決定されました。そして、パウロは、総督の手から、ローマ皇帝直属部隊のユリアスという百人隊長に引き継がれました。

 2節には、「そしてわたしたちは、アジヤ〔アジア州(新共同訳)〕沿岸の各所に寄港することになっているアドラミテオの舟に乗り込んで、出帆した〔アドラミティオン港の船に乗って出港した(新共同訳)〕。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。」とあります。
パウロはカイザリヤの港からアドラミテオという現在のトルコ西部の西岸にある港を母港とする船に乗って出港したのでしょう。
使徒27:1から、また、「私たち」と記されています。ですからルカも一緒であったのです。2節からテサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも一緒であったことが分かります。
アリスタルコはよく主に仕え、パウロに仕えていた人であったようです。パウロがローマに護送されるにあたって、神様はルカもアリスタルコも備えて下さったのです。すべては神様の配剤です。
アリスタルコの名前は、この箇所以外にも、使徒19:29、20:4、コロサイ4:10、ピレモン24にも記されています。パウロと一緒に艱難を共にした同労者でありました。

 3節には、「次の日、シドンに入港したが、ユリアスは、パウロを親切に取り扱い、友人をおとずれてかんたいを受けることを、許した。」とあります。
シドンは福音書にも出てきます。
イエス様がシドンの地方に退かれた時の感動的な話がマタイ15:21-28に、
“15:21 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方〔現在のレバノン南部の都市(筆者挿入)〕に立ちのかれた。
15:22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。
15:24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。
15:25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。
15:26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。
15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。”(新改訳)と記されています。

 話を元に戻します。シドンはカイザリヤの北方約110kmにありました。そこには主にある兄弟姉妹たちがいたのでしょう。船がシドン港に停泊している間、ユリアス隊長は、パウロが、シドンの兄姉達と親交を温めることを許したのです。ユリアス隊長は、総督からローマの市民権を持つパウロの事情を聴いていたのでしょう。シドンの兄姉達は、パウロからこれまでの宣教旅行の話や信仰の奥義などを聞いたことでしょう。またパウロはシドンの兄姉達から大いなる接待を受けたことでしょう。皆で主の御名を賛美し、崇めたことでしょう。

 4-8節には、船が航行した経路が記されています。新聖書注解は聖書本文に当時の色々なことを加えて記していますのでそれを次に転記させていただきます。
“地中海はすでに西風が強く吹き始めていたので、シドンを出港した船は逆風に悩まされる。そこで風を避けて、キプロス島の東方に当たる島影を北上し、キリキヤの沿岸に近づき、そこから西に転じて、潮流と地方的な沿岸風とを利用して前進し、パンフリヤの沖を過ぎてミラに入港した。「ミラ」はアジヤ州の南端にあるルキヤの港で、エジプトとの貿易が盛んなところであった。・・・。
パウロの一行が乗っていたアドラミテオの船がミラに入港した時、そこにローマへ行く船が停泊していたので、彼らはその船に乗り換えた。この船は穀物をたくさん積んでいた(38)。当時エジプトはローマの主要な穀倉地帯であり、アレキサンドリヤからローマへ、穀物を積んだ船が多く通っていた。ミラはその中継地としてにぎわっていた貿易港であった。彼らが乗り換えた「アレキサンドリヤの船」は、長さ55m、排水1200トンほどの船であったと言われる。乗船者は全部で276名であった(37)。
イタリア行きの船は、ミラを出港して小アジアの沖を進んだ。しかし、北西の風が吹いたので直行できず、ジグザグに進み、約200kmの距離を幾日もかかって、小アジアの南西端にあるクニドの沖に達した。ここで船は順風を待つことも出来た。しかし、彼らは航行を続ける道を選んだために、船首を南に転じ、クレテ島の東端サルモネの沖に出て、島影を南端沿いに進み、「良い港」に着いた。その港は東に向かって開かれ、二つの小島が湾をおおっていたために、夏季の安全な投錨地となっていた。港の近くには「ラサヤの町」があった。”と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
パウロは一人ぼっちでローマに護送されていくというのではなく、気心の知れたルカやアリスタルコと一緒であったこと、百人隊長も色々配慮してくれたこと、その背後に主がおられたことを覚えます。
私たちキリスト者は如何ほど大変な状況に置かれたとしても、常に主が共におられ、また主は必要に応じて主にある兄姉達やその他の人たちを遣わしてくださいますから感謝します。
主の手に引かれ、主の手に守られ、歩ませていただけますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2016年7月27日 (水)

使徒26:24-32 アグリッパ王の前でのパウロの弁明4

26:24パウロがこのように弁明をしていると、フェストは大声で言った、「パウロよ、おまえは気が狂っている。博学が、おまえを狂わせている」。
26:25パウロが言った、「フェスト閣下よ、わたしは気が狂ってはいません。わたしは、まじめな真実の言葉を語っているだけです。
26:26王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対しても、率直に申し上げているのです。それは、片すみで行われたのではないのですから、一つとして、王が見のがされたことはないと信じます。
26:27アグリッパ王よ、あなたは預言者を信じますか。信じておられると思います」。
26:28アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。
26:29パウロが言った、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが」。
26:30それから、王も総督もベルニケも、また列席の人々も、みな立ちあがった。
26:31退場してから、互に語り合って言った、「あの人は、死や投獄に当るようなことをしてはいない」。
26:32そして、アグリッパがフェストに言った、「あの人は、カイザルに上訴していなかったら、ゆるされたであろうに」。”(口語訳)

 24.25節を新共同訳は、「パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。』」とあります。
フェストは優秀な人であったと思います。しかし、パウロの語る真理を理解することが出来ませんでした。私も福音をこの世における知的な面で優秀な未信者の方に伝えたとき、フェストと同じこと言わないまでも、そのようなニューアンスで対応されたことはあります。その人は唯脳論者であり、霊については開かれていないからでした。
フェストの言葉を聞くとき、1コリント2:6-16の次のおことばを思い起こします。そこには、
“2:6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たち〔成人(新改訳)〕の間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。
2:7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘〔奥義(新改訳)〕としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
2:10 わたしたちには、神が“霊”〔御霊(新改訳)〕によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”〔御霊(新改訳)〕は一切のことを、神の深みさえも究めます。
2:11 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか〔実際、人間のうちにあるその人の霊をほかにして、人間のうちの誰が、その人のことがらを知っているであろうか(岩波訳)〕。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
2:13 そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”〔御霊(新改訳)〕に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって〔霊によって(口語訳)、御霊のことばをもって(新改訳)〕霊的なことを説明するのです。
2:14 自然の人〔肉の両親から生まれただけで御霊による新生をしていない人(筆者挿入)〕は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊〔御霊(新改訳)〕によって初めて判断できるからです。
2:15 霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
2:16 「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」〔イザヤ40:13の70人訳(岩波訳)〕しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています〔思いを持っている(口語訳)〕。”(新共同訳)と記されています。

 話を元へ戻しますが、パウロは、「王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対しても、率直に申し上げているのです。それは、片すみで行われたのではないのですから、一つとして、王が見のがされたことはないと信じます。」(26)とフェストからアグリッパ王に話を向けました。
アグリッパ王は、wikipediaによると、AD27?-100年?の頃の人ということですので、それが正しいとすると、イエス様が十字架につけられたことや空っぽになった墓の話を聞いてはいても見てはいなかったことだろうと思います。

 パウロは更に続けて、「アグリッパ王よ、あなたは預言者を信じますか。信じておられると思います」と語りました(27)。
この質問に、アグリッパ王は追い詰められました。もし預言者を信じないといえば、ユダヤ人たちが黙っていないし、ここまで現実に起きた事実を聖書から解き明かしてきたパウロの話を聞いてきたので、預言者を信じるといえば、それならばなぜイエスがキリストであることを信じないのか、ということになってしまう状態に追い詰められたからです。

 アグリッパ王は窮して、パウロに、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」(28)と言って逃げました。
 それに対しパウロは、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが」(29)と答えました。
結局、鎖で自由を奪われている囚人パウロは、総督フェストやアグリッパ王並びに列席の市の首脳たちに対し、最後には福音を語り回心を迫ったのです。
恐らく会場は少しどよめいたか、シーンと静まり返ったかのどちらかになったのではないかと思います。そこで、総督フェストはお開きにしたのでしょう。30節には、「それから、王も総督もベルニケも、また列席の人々も、みな立ちあがった。」とあります。

 この会場でパウロの話を聞いた人たちは、退場後、互いに話し合いました。その見解は、「あの人は、死や投獄に当るようなことをしてはいない」というものでした(31)。
更にアグリッパ王は、「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と総督フェストに言ったのでした(32)。
パウロが、もしこのアグリッパ王のことばを直接聞いたとしても、上訴しなければよかった、とは思わなかったことでしょう。パウロに直接イエス様が現れて、イエス様から、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11・新改訳)と語られていたからです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
パウロの言動を見ていると、どのような状況に置かれても福音を語り、信仰の決心を促すことが可能であることを覚えます。
しかしそれは肉体の命に重点を置いていては出来ないことです。
いつでも霊の人としての歩みをしていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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