創世記

2017年3月11日 (土)

創世記50:22-26 ヨセフの死と遺言

50:22このようにしてヨセフは父の家族と共にエジプトに住んだ。そしてヨセフは百十年生きながらえた。
50:23ヨセフはエフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生れてヨセフのひざの上に置かれた。
50:24ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしはやがて死にます。神は必ずあなたがたを顧みて、この国から連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られるでしょう」。
50:25さらにヨセフは、「神は必ずあなたがたを顧みられる。その時、あなたがたはわたしの骨をここから携え上りなさい」と言ってイスラエルの子らに誓わせた。
50:26こうしてヨセフは百十歳で死んだ。彼らはこれに薬を塗り、棺に納めて、エジプトに置いた。”(口語訳)

 22節には、「このようにしてヨセフは父の家族と共にエジプトに住んだ。そしてヨセフは百十年生きながらえた。」とあります。
ヨセフは17歳まで父の寵愛を受けて育ち(創世記37:3)、そして17歳の時に兄たちにひどい目にあわされ、更に奴隷としてイシュマエル人に売られました(創世記37:27.28)。
イシュマエル人は、ヨセフをエジプトのパロの侍従長ポティファルに奴隷として売りました(創世記37:36)。
パロの侍従長ポティファルの下でも、主が共にいてくださる歩みをしました。
ヨセフは、主が共にいてくださること、また恐らく誠実さや主が与える知恵もあったのでしょう、ポティファルの家のしもべらのトップに起用され、良い働きをしていました。
ポティファルはパロの侍従長ですから豊かな人ですが、ヨセフがしもべらのトップに据えられた時から、更に、主はヨセフの故に、ポティファルの家の財産を豊かに祝福されました(創世記39:2-5)。
しかし、ヨセフは、ポティファルの妻の性的欲求の対象とされてしまいました。罪を犯さないように幾度もすり抜けましたが、罪を犯さないが故に、ポティファルの妻から罪人扱いされ、冤罪によって地下牢に入れられてしましました(創世記39:7-20)。
ヨセフは監獄に入れられても主が共にいてくださる歩みをしました。その結果、監獄の長はヨセフを、監獄にいるすべての囚人たちの管理者にしました(創世記39:21-23)。
時が経ち、監獄に、パロの献酌官と調理官が送られてきました。ある日この二人は夢を見ました。二人の夢をヨセフは解き明かしました。ヨセフの夢の解き明かしは、主から来るものなので確かなものでした。ヨセフは、献酌官長が元の職に戻されて幸せになったら、冤罪で囚われている自分のことをパロに話してくれるように願いましたが、献酌官長はヨセフのことをパロに話すことを忘れてしまいました(創世記40章)。
献酌官長が元の職に復帰できて二年が経った頃、今度はパロが夢を見ました。しかし、エジプト中の誰もそれを解き明かすことが出来ませんでした。そこで献酌官長がヨセフを思い出し、ヨセフは牢から解放され、主によって夢を解き明かしました。
ヨセフは、夢の解き明かしによって、直ちに宰相とされました。その時の年齢は30歳でした(創世記41章)。
ヨセフが39歳の時、父の家の者全員がエジプトに来ました。その時ヤコブは130歳でした(創世記47章)。
ヤコブは147歳で亡くなりました。その時のヨセフの年齢は、56歳であったでしょう。
ヨセフは、父ヤコブの死後54年生きたことになります。
(数字は、聖書には月日についての記述がないので、概算になります。)

 ヨセフは、エフライムの三代の子孫を見ることができました。またマナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれました(23)。

 24.25節には、「ヨセフは兄弟たちに言った。『わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。』それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。『神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨〔遺体(新改訳)〕をここから携えて上ってください。』」(新共同訳)とあります。
エジプトの地においてヨセフは、父ヤコブと同じ地域で暮らしたのではありませんでしたが、17年間、共に暮らしました。時々、父と話をしたでしょう。父から、神様が与えてくださった約束を聞いていたことでしょう。そして、ヤコブが召される前にも、ヨセフに、ヤコブ(イスラエル)は、「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。私は、あなたの兄弟よりも、むしろあなたに、私が剣と弓とをもってエモリ人の手から取ったあのシェケムを与えよう。」(創世記48:21.22・新改訳)と語っていました。
24.25節の箇所に関連して、ヘブル11:22には、「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。」(新共同訳)と記されています。
また、ヨシュア記24:32には、「イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に、すなわちヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子らから買い取った野の一画に、葬った。そのとき、そこはヨセフ族の相続地となっていた。」(新改訳)と記されています。

 創世記最後の50:26は「ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし〔人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして(新共同訳)〕、棺に納めた。」(新改訳)と記しています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ヨセフの生涯は、波乱万丈でした。
しかし、ヨセフは、厳しい状況に置かれたときでも愚痴を言うのではなく、主にかなった歩みをし、また主は常にヨセフと共にいてくださました。
イエス様を信じさせて頂いて新生された私たちの内には、主が住んでくださっておられますから大感謝です。
いつでも主の導きのもとに歩み続けることが出来ますよう魂を整えてください。即ちきよめてください。
すでにあなたのものとして聖別されていますが、思い、意志、感情が、実質的にきよくされて、いつもあなたを待ち望みつつ、日々、あなたのみ旨に従い、あなたが私たちに望んでおられる地上での歩みを、私たちが全うしていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2017年3月10日 (金)

創世記50:15-21 ヨセフの兄弟たちの心配に対するヨセフの答え(イエス様の型)

50:15ヨセフの兄弟たちは父の死んだのを見て言った、「ヨセフはことによるとわれわれを憎んで、われわれが彼にしたすべての悪に、仕返しするに違いない」。
50:16そこで彼らはことづけしてヨセフに言った、「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました、
50:17『おまえたちはヨセフに言いなさい、「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。
50:18やがて兄弟たちもきて、彼の前に伏して言った、「このとおり、わたしたちはあなたのしもべです」。
50:19ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。
50:20あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。
50:21それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。”(口語訳)
 15節を新共同訳は、「ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。」と訳しています。
22年位前にヨセフは、「私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」(創世記45:5-8・新改訳)とヨセフの兄弟たちに語ったのでした。
 「私を遣わしたのは神です。」と、三回もヨセフは兄弟たちに語りましたが、兄弟たちは、自分たちの内にある罪責感がなくならないために、「われわれが彼にしたすべての悪に、仕返しするに違いない。」という思いを拭い去ることができなかったのです。
簡単に消し去られる罪責感ではなかったでしょう。
何故なら、ヨセフが17歳の時、兄弟たちは、ヨセフに非常に強い妬みを持ち、ヨセフを殺そうとしたのです。ルベンが「殺すことだけはやめよう。」と言ってくれなかったら、ヨセフは殺されていたでしょう。兄弟たちは、ヨセフの長服をつかんで乱暴にはぎ取り、穴に投げ込んだのです。ヨセフは、「兄さん、助けて・・・助けて・・・」と何度叫んだことでしょうか。少し経った後、ヨセフを奴隷として売ってしまおうということになりました(創世記37章)。奴隷として売る交渉をしていた時にも、ヨセフは、「奴隷にしないで・・奴隷にしないで・・」、「奴隷として売らないで・・」と叫び続けたのではないでしょうか。
ヨセフの兄弟たちの潜在意識の中に、「助けて、助けて、売らないで、・・・」というヨセフの叫びは残っていたことでしょう。
 兄たちは、ヨセフに直接、赦しと救いとお詫びの言葉を語ることが出来なかったので、人を介して、「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」(16.17・新共同訳)と伝えたのです。
ヨセフはこの言葉を聞いて涙を流しました(17)。
 しばらくしてから、兄たち自身もヨセフのもとにやってきました。そして、ひれ伏して、「私たちはあなたの奴隷です。」(18)と言ったのです。
 続く19-21節をリビングバイブルは、
“ところが、ヨセフの返事は意外でした。
「そんなにこわがらないでくださいよ、兄さん。私だって神様じゃないんですから、さばくの罰するのと大それたことなんかできません。そりゃあ、あの時は、ずいぶんひどいことをするもんだって思いましたよ。でも、そのおかげで、家族みんなが助かったじゃありませんか。悪意から出たことでも、神様はちゃんと良いことに役立てられるんです。私のような者が今日あるのもみな、神様の深いお考えがあってのことだったのです。たくさんの人のいのちを救うためなんです。だから、心配なんかしないでください。兄弟じゃありませんか。今後のことは万事お任せください。悪いようにはしませんよ。」なんというやさしいことばでしょう。もう心配はありません。”と訳しています。
 この箇所は、私たち罪人とキリストの予型のように思えます。
キリストが捕らえられ裁判が行われた時、私たちがもしその時代に生きていてその場にいたとしたら、「キリストを十字架につけろ」と叫んだ者もいたかもしれません。或いはイエス様を愛していたと思っていたのに、「イエス様のかわりに私を十字架につけてください」と言うことも出来ず、それどころか怖くて隠れイエス様を見殺しにしていたかもしれません。イエス様を愛していたと思っていた愛は大したものではなく、自分可愛さにイエス様を見殺しにしたのです(マタイ10:33)。前者の人たちも後者の人たちも神の前には罪ありとされます。
キリストは、私たち罪人の身代わりとなり、死んでくださいました(1ペテロ2:24)。しかし、死んで終わりではなく、復活され、私たち信じる者に永遠に生きる霊の誕生を得させてくださったのです(ヨハネ3:6)。そして、日々養ってくださり、恵みの上に恵みを与えてくださっておられるのです。
 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちのすべての罪を身代わりに負って死んでくださいましたことを感謝します。
死んで終わりではなく、キリストの復活にも合されて、私たちは新しく造られた者となりました。そのようにしてくださいましたことを感謝します。
それだけではなく、とこしえに祝福してくださいますからありがとうございます。
感謝、賛美、誉れ、栄光が御父と御子にとこしえにありますように。主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン 
・・・・・・・・・・・・・・・・・
*(1ペテロ2:21-25) 「・・・キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(新改訳)
*(ヨハネ3:6)「・・・御霊によって生まれた者は霊です。」(新改訳)
*(2コリント5:17)「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。・・」(新改訳)
*(ヨハネ1:16)「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」

 

2017年3月 9日 (木)

創世記50:2-14 ヤコブの埋葬

 ヤコブは息子たちに、「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。あの畑とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」(創世記49:29-32・新共同訳)という内容を遺言として命じました。

 ヤコブの亡骸は、エジプトのゴシェンの地からヘブロンにあるマクペラの洞窟まで運び埋葬することになりました。
埋葬に先立って、ヨセフは、ヤコブの遺骸をミイラにすることにしました。
創世記50:2.3aには、「ヨセフは彼のしもべである医者たちに、父をミイラにするように命じたので、医者たちはイスラエルをミイラにした。そのために四十日を要した。」(新改訳)と記されています。 

 3節cに、「エジプトは彼のために七十日間、泣き悲しんだ。」(新改訳)と記されているように、エジプトは70日間喪に服したのです。
新聖書注解は、服喪期間の参考例として、あるパロの場合は72日間であったというディオドロスの記述を載せています。
ヤコブの服喪期間が70日であるということより、エジプトにおけるヨセフの権威、ヨセフへの尊敬が如何ほどであるかが分かります。

 次の創世記50:4.5節を新共同訳は、
“50:4 喪が明けると、ヨセフはファラオ〔パロ(新改訳)〕の宮廷に願い出た。「ぜひともよろしくファラオにお取り次ぎください。
50:5 実は、父がわたしに誓わせて、『わたしは間もなく死ぬ。そのときは、カナンの土地に用意してある墓にわたしを葬ってくれ』と申しました。ですから、どうか父を葬りに行かせてください。わたしはまた帰って参ります。」”(新共同訳)と訳しています。

 喪の期間が明けたとき、ヨセフは、パロの役人のもとに行き、ヤコブの葬儀(埋葬)と、ヨセフ自身が一時エジプトの地を離れることに関しての許可を、パロに願い出ました。
このようなことを、ヨセフが直接パロに願い出なかった、即ちパロの役人を通して願い出たことについて、新聖書注解は、「ヨセフが直接パロに要請しなかったのは、・・・エジプト人の間に死者についてのある種の禁忌があった故と考えられている。」と記しています。

 ヨセフの申し出に対してパロは、「あなたの父があなたに誓わせたように、上って行ってあなたの父を葬りなさい。」(6・新改訳)と言いました。それだけではなく、パロはエジプトの高官をはじめ護衛の者たち等葬儀に出席する者を任命したのです。
ヨセフは父の亡骸と共に一同のものを引き連れ、父の埋葬のために出発しました。それらのことは7-9節に、
“50:7 ヨセフは父を葬りに上って行った。ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、
50:8 それにヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族であった。ただ幼児と、羊と牛の群れはゴシェンの地域に残した。
50:9 また戦車も騎兵も共に上って行ったので、それはまことに盛大な行列となった。”(新共同訳)と記されています。この葬列を頭の中で映像化してみると・・・・!!

 10節には、「一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き、そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。」(新共同訳)と記されています。
「ゴレン・アタド」(新共同訳)を、新改訳は「ゴレン・ハアタデ」と訳し、口語訳は「アタデの打ち場」と訳しています。
なんと、追悼の儀式は七日間にわたって行われたのです。

 その土地のカナン人たちは、びっくり仰天しました。そして、彼らは、「これはエジプトの荘厳な葬儀だ」と言いました(11)。「それゆえ、そこの名はアベル・ミツライムと呼ばれた。これはヨルダンの向こうの地にある。」(新改訳)と11節に記されています。
「アベル・ミツライム」について、岩波訳の注は、“地名アベル・ミツライム(「エジプトの草地」の意)が二次的に「エジプトの哀悼の儀」(エベル・ミツライム)と解されている。”と記しています。
 続く12.13節には、「こうしてヤコブの子らは、命じられたとおりに父のために行った。その子らは彼をカナンの地に運び、マクペラの畑地のほら穴に彼を葬った。そこはアブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買ったもので、マムレに面している。」(新改訳)と記されています。

 そして、ヨセフは、マクペラの畑地のほら穴に父を葬った後、兄弟たちをはじめ、父を葬るために一緒に上って来たすべての人々と共にエジプトに帰ったのです(14)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ヨセフがエジプトにおいて大いなる尊敬を集めていたことが分かります。
私たちキリスト者は御父と主イエス様が崇められることを望んでいます。
主の御名が崇められますように。
イエス様は、「あなたがたは、世の光である。・・・/・・あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、〔人々が(筆者挿入)〕天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:14.16・口語訳)と語られました。
私たちの土の器の中に宝である主が住んでおられます。
主なる御霊様に日々輝きいでて頂けますように。
その結果として主の御名が崇められますように。
何よりも救われる人々が起こされて、主を崇める人々が増えていきますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン


 

2017年3月 8日 (水)

創世記49:27-50:1 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)8(ベニヤミン)とヤコブの死

49:27ベニヤミンはかき裂くおおかみ、朝にその獲物を食らい、夕にその分捕物を分けるであろう。
49:28すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そしてこれは彼らの父が彼らに語り、彼らを祝福したもので、彼は祝福すべきところに従って、彼らおのおのを祝福した。
49:29彼はまた彼らに命じて言った、「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。
49:30そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、
49:31そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。
49:32あの畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々から買ったものです」。
49:33こうしてヤコブは子らに命じ終って、足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。”(口語訳)

 27節には、「ベニヤミンはほえたける狼だ。明け方には敵を食い荒らし、夕べには戦利品を分け合う。」(リビングバイブル)とあります。
 聖書を読み進めるとベニヤミン族は強かったことが分かります。ベニヤミン族が如何に強かったかは、士師記20:15-25を読めば分かります。
イスラエルの初代の王サウルもベニヤミンの子孫でした。サウルの強さはダビデの陰に隠れがちですが、サウルも強かったのです。サウルはアモン人の圧迫を武力をもって蹴散らしました(1サムエル記11章)。サウルの息子ヨナタンは素晴らしい信仰の持ち主であり、戦にも強かった人です(1サムエル記14:1-15)。また、1サムエル14:47.48.52は、サウルの功績を
“14:47 サウルは、イスラエルの王位を取ってから、周囲のすべての敵と戦った。すなわち、モアブ、アモン人、エドム、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦い、どこに行っても彼らを懲らしめた。
14:48 彼は勇気を奮って、アマレク人を打ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した。
14:52 サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。”(新改訳)と記しています。サウルとヨナタンの死を聞いたダビデが詠んだ詩(2サムエル1:19-27)の中には、「イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。」(24)という内容もあります。これは、創世記49:27の「夕べには戦利品を分け合う。」を思い起こさせます。

 28節には、「すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そしてこれは彼らの父が彼らに語り、彼らを祝福したもので、彼は祝福すべきところに従って、彼らおのおのを祝福した。」とあります。
ヤコブの祝福は、部族に対するものであったことが分かります。

 ヤコブは、祝福のことばを述べ終わると、①自分が間もなく死ぬことを告げ、②埋葬はエジプトではなく、カナンの地のマクペラの墓地に、先祖たちと一緒になるように葬ってくれるようにと命じました。そして、これらのことを話し終わると、足を床の中に入れ、息絶えたのです。このところを新共同訳は、
“49:29 ヤコブは息子たちに命じた。「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人〔ヘテ人(新改訳)〕エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。
49:30 それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった〔創世記23章参照(筆者挿入)〕。
49:31 そこに、アブラハムと妻サラが葬られている〔創世記25:9、23:9参照(筆者挿入)〕。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。
49:32 あの畑とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」
49:33 ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。”と記しています。
 ヤコブが死んだとき、ヨセフは、父の顔に取りすがって泣き、父に口づけしました(創世記50:1)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは私たちの地上生涯の最後まで、個々人に応じて導いてくださいますから感謝します。
そして感謝なことに、イエス様を信じさせて頂いたことの故に、新生された霊においては、「わたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:26・新改訳)というイエス様の御ことばがすでに実現していますから感謝します。その安らぎの中に日々生かされておりますことを今日も感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2017年3月 7日 (火)

創世記49:22-26 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)7(ヨセフ)

49:22ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。
49:23射る者は彼を激しく攻め、彼を射、彼をいたく悩ました。
49:24しかし彼の弓はなお強く、彼の腕は素早い。これはヤコブの全能者の手により、イスラエルの岩なる牧者の名により、
49:25あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳ぶさと胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。
49:26あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、永久の丘の賜物にまさる。これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する。〔山々には穀物と花が満ち、永遠に変わらない祝福があるように。これが、かつて兄たちから追放されたヨセフの受ける祝福だ(リビングバイブル)〕”(口語訳)

 素晴らしい祝福の予言です。しかし明確に誰を指しているのか、何を指しているか分かりかねるところが私にはありますが、私はこの箇所を読むと、先ずヌンの子ヨシュアを思い出します。ヌンの子ヨシュアの先祖をたどっていくとエフライム、そしてヨセフになります。1歴代誌7:20-27には、
“7:20 エフライムの子は、シュテラ、その子孫は、息子がベレド、孫がタハト、更にエルアダ、タハト、
7:21 ザバド、シュテラと続く。またエフライムの子としてエゼルとエルアドがいた。この二人はガト〔ガテ(新改訳)〕へ下り家畜を奪おうとして、その地の者に殺された。
7:22 二人の父エフライムは長い間喪に服し、その兄弟たちは彼の慰問に訪れた。
7:23 彼は妻のもとに行き、妻は身ごもって男の子を産んだ。彼は名をベリアと付けた。その家が災いのさなかに(ベラア)あったからである。
7:24 エフライムの娘はシェエラ、彼女は上ベト・ホロン、下ベト・ホロン、ウゼン・シェエラを築いた。
7:25 彼の子孫は、息子がレファ、孫がレシェフ、更にテラ、タハン、
7:26 ラダン、アミフド、エリシャマ、
7:27 ノン〔ヌン(口語訳・新改訳)〕、ヨシュアと続く。”(新共同訳)と記されています。

 ヌンの子ヨシュアを、神様はモーセの後継者として立てられました。それ故、ヨセフの垣根を越えて全イスラエルを導いてカナンの地即ち約束の地に入り、且つ占領していきました。全能の神様がヨシュアと共におられ、み旨に従って、勝利していったのです。但しアイの攻略の時のようにみ旨に反する行為が見いだされた時には敗北しました。罪を犯したのはヨシュアではなくユダ族のアカンでしたが。     
     
 ヨシュアの働きは、ヨシュア記全体を読むと分かります。またヨシュアは、リーダーとして立てられる前はモーセの従者として、神とモーセに仕えていました。そのことは、出エジプト記、民数記、申命記に記されています。
注解付新改訳聖書の注のヨシュアの紹介には、「ヌンの子。カナンの地を探った斥候の一人で、信仰をもって進軍するよう提言した。モーセの後継者となり、ヨルダン川を渡ってカナンの地に攻め込み、約束の地をほぼ平定し、十二部族に分け与えた。」とあります。

 エフライムの子孫で、ヨシュア以外の人物で、創世記の今日の聖句に関連すると思える人物には、ギデオン(士師記8章)、サムエル(1サムエル1章)などがいると思います。

 ソロモンの次の世代にイスラエルは北王国と南王国に分裂します。
北王国の初代の王はヤロブアム1世でした。この人は、エフライムの子孫でした(1列王記11:26)。しかし、北王国は、偶像礼拝によって神様に背き続けましたから、この創世記の箇所の預言には該当しないでしょう。

 25節には、「あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳ぶさと胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。」とあります。ヨセフの二人の子、マナセとエフライムの土地は、食料に恵まれた地でもありました。また、マナセとエフライムの合計土地面積はとても広いものでした。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
旧約の時代はおもに見える形で、即ち多くの場合物質的に神様の祝福を受けた時代ですから感覚的にもはっきりしていました。
新約の時代は、本質的には、霊的祝福の時代に変わりましたから、五感だけによっては祝福が分かりにくい時代となりました。
しかし、御霊によって霊の誕生をさせて頂いた者達には霊的祝福が分かりますから感謝します。また、キリストの内にある者に対しては、生存のために必要な物質を、あなたが必ず備えられますから感謝します。
私たちキリスト者に、天にあるすべての霊的祝福をもって祝福してくださいましたあなたの御名を賛美し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2017年3月 6日 (月)

創世記49:19-21 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)6(ガド、アシェル、ナフタリ)

49:19ガドには略奪者が迫る。しかし彼はかえって敵のかかとに迫るであろう。
49:20アセルはその食物がゆたかで、王の美味をいだすであろう。
49:21ナフタリは放たれた雌じか、彼は美しい子じかを生むであろう。”(口語訳)

 ガドとアシェルは、レアの女奴隷ジルパがヤコブに生んだ子です。
ナフタリは、ラケルの女奴隷ビルハがヤコブに生んだ子です。

 19節を新共同訳は、「ガドは略奪者に襲われる。しかし彼は、彼らのかかとを襲う。」と訳しています。また、リビングバイブルは、「ガドは強盗の一団に襲われる。だが奪い取るのはガドのほうで、敵をさんざんに追い散らす。」と訳しています。
注解付新改訳聖書の注は、「ガド族はヨルダン東岸に住み、それだけ外敵からの攻撃を受けやすかった。」また、「彼らのかかとを襲う」については、「軍事的な強さが暗示されている。」と記しています。
ガドがヨルダン川の東の地を割り当てられ、そこに住むようになった経緯は、民数記32章に記されています。民数記32章を抜粋すると、
“32:1 ルベン族とガド族は、非常に多くの家畜を持っていた。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所はほんとうに家畜に適した場所であったので、
32:2 ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。
32:3 「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン。
32:4 これら主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」
32:5 また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」
32:6 モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。
・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・
32:16 彼らはモーセに近づいて言った。「私たちはここに家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。
32:17 しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます。私たちの子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。
32:18 私たちは、イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません。
32:19 私たちは、ヨルダンを越えた向こうでは、彼らとともに相続地を持ちはしません。私たちの相続地は、ヨルダンのこちらの側、東のほうになっているからです。」
32:20 モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのようにし、もし主の前に戦いのため武装をし、
32:21 あなたがたのうちの武装した者がみな、主の前でヨルダンを渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、
32:22 その地が主の前に征服され、その後あなたがたが帰って来るのであれば、あなたがたは主に対しても、イスラエルに対しても責任が解除される。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。
32:23 しかし、もしそのようにしないなら、今や、あなたがたは主に対して罪を犯したのだ。あなたがたの罪の罰があることを思い知りなさい。
32:24 あなたがたの子どもたちのために町々を建て、その羊のために囲い場を作りなさい。あなたがたの口から出たことは実行しなければならない。」
32:25 ガド族とルベン族はモーセに答えて言った。「あなたのしもべどもは、あなたの命じるとおりにします。
32:26 私たちの子どもたちや妻たち、家畜とすべての獣は、そこのギルアデの町々にとどまります。
32:27 しかし、あなたのしもべたち、いくさのために武装した者はみな、あなたが命じられたとおり、渡って行って、主の前に戦います。」
・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・
32:33 そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族とに、エモリ人の王シホンの王国と、バシャンの王オグの王国、すなわちその町々のある国と、周辺の地の町々のある領土とを与えた。”(新改訳)とあります。
12部族に土地が配分されたとき、ガド族はこのような経緯でヨルダン川の東に自分たちの領土を得たのでした。ガド族の南側で死海の上半分の東側の地はルベン族に、ガド族の北側でヨルダン川やガリラヤ湖の東側の地はマナセの半部族が所有しました。現代でいえば、ガドとルベンの領土はヨルダン領、マナセの半部族はヨルダンとシリア領にまたがりますがイスラエルが自国の領土と主張しているゴラン高原も含まれます。

 20節をリビングバイブルは、「アシェルは実り豊かな地を耕す。その産物は王の食卓にものぼる。」と訳しています。
申命記33:24のモーセの祝福の言葉(予言)には、「アシェルのため彼は言った。アシェルは子らのうちで最も祝福される。兄弟に愛され、その足を油に浸す。」(新共同訳)とあります。
イスラエルの北部で地中海に面したアシェルは、地中海性気候の恩恵を受け、農作物に恵まれました。「その足を油に浸す」とありますが、注解付新改訳聖書の注には、「アシェルの領地は、オリーブを多く産した。」とあります。

 21節には、「ナフタリは放たれた雌鹿でまた、、美しい子鹿を産む。」(新改訳)とあります。
また、申命記33:23には、「ナフタリのために彼〔モーセ(筆者挿入)〕は言った。ナフタリは主の恵みに満ち足り、その祝福に満たされ、湖とその南を手に入れる。」(新共同訳)とあります。
湖はガリラヤ湖です。ガリラヤ湖には魚がいますし、領土として受けたガリラヤ地方は豊かな土地でした。新約聖書に登場するカペナウム、マグダラ、テベリヤ、コラジンなどは皆ナフタリの領土でした。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様はガリラヤの地を愛していたと思います。
山上の垂訓もガリラヤ湖の近くの丘でなされました。
パンの奇蹟もそうです。
弟子たちとの多くの思いでもその地にありました。
またイエス様は、復活後に弟子たちとガリラヤで大切なときを過ごしました。
今日はナフタリ云々というよりもガリラヤ湖とその周辺を弟子と共に過ごされたイエス様に思いをはせました。
今や、イエス様は、イエス様を信じる者と共に常におられて、共に歩んでくださっておられますから感謝します。
あなたの御名をほめたたえ、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2017年3月 5日 (日)

創世記49:16-18 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)5(ダン)

49:16ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。
49:17ダンは道のかたわらのへび、道のほとりのまむし。馬のかかとをかんで、乗る者をうしろに落すであろう。
49:18主よ、わたしはあなたの救を待ち望む。”(口語訳)

 16.17節をリビングバイブルは、「ダンはほかの部族と同じように、自分の部族を治める。その数は少なくても、小道をはい回る蛇のように、馬のかかとにかみつき、乗り手を落とす。」と訳しています。

 ダンはラケルの女奴隷ビルハがヤコブに生んだ子です(創世記30:3-6)。
ダンの名前の由来は、創世記30:6に、「そのときラケルは、『わたしの訴えを神は正しくお裁き(ディン)になり、わたしの願いを聞き入れ男の子を与えてくださった』と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。」(新共同訳)とあります。
ディンのヘブライ語を英語のアルファベット表記にするとDynで、ダンはDnになります。
ダンも他の部族のように、自分の部族を治めたのですが、治め方に問題があったことが、18節の「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。私はあなたの救いを待ち望む。」(新改訳)に表れているように思います。

 申命記33:22には、モーセの祝福の言葉(予言)として、「ダンは獅子の子、バシャンからおどり出る。」(新改訳)とあります。
ダンの子孫で、獅子の子と言われるような大いなる働きをした者に、怪力サムソンがいます。詳細は士師記13-16章に記されています。
また、ヨシュア記19:47には、「ダン族の地域は、さらに広げられた。ダン族は上って行き、レシェムと戦って、これを取り、剣の刃で打ち、これを占領して、そこに住み、彼らの先祖ダンの名にちなんで、レシェム〔「ライシュ」と同じ(筆者挿入)〕をダンと呼んだ。」(新改訳)とありますが、詳しくは士師記18章に記されています。

 困ったことに、ライシュをダンに改名したこの地のダンの人たちは、偶像礼拝に陥るのです。
士師記18:27-31には、
“18:27 彼らは、ミカが造った物と、ミカの祭司とを取って、ライシュに行き、平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを打ち、火でその町を焼いた。
18:28 その町はシドンから遠く離れており、そのうえ、だれとも交渉がなかったので、救い出す者がいなかった。その町はベテ・レホブの近くの谷にあった。彼らは町を建てて、そこに住んだ。
18:29 そして、彼らはイスラエルに生まれた自分たちの先祖ダンの名にちなんで、その町にダンという名をつけた。その町のもとの名はライシュであった。
18:30 さて、ダン族は自分たちのために彫像を立てた。モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫が、国の捕囚の日まで、ダン部族の祭司であった。
18:31 こうして、神の宮がシロにあった間中、彼らはミカの造った彫像を自分たちのために立てた。”(新改訳)と記されています。
ミカはエフライムの山地の出の人でした。ミカの家に偶像があった経緯やダン部族がミカの偶像を自分たちの偶像として祀っていた経緯については士師記17.18章に記されています。
いずれにしてもダン部族は背教に陥りました。
悪い意味でも、ダンは、「ダンはほかの部族と同じように、自分の部族を治める。」(16)という状態に陥ったのです。そして、更に時代は下って、1列王記12:26-31には、
“12:26 ヤロブアムは心に思った。「今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。
12:27 この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。」
12:28 彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」
12:29 彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。
12:30 この事は罪の源となった。民はその一体の子牛を礼拝するためダンまで行った。
12:31 彼はまた聖なる高台に神殿を設け、レビ人でない民の中から一部の者を祭司に任じた。”(新共同訳)と記されています。
偶像である金の子牛は、ダンに置かれたのでした。それはソロモンが死んだ後の時代からのことでした。
1歴代誌2-9章のイスラエルの系図の中にダンは記されていません。
また、黙示録7:1-8に、キリストの地上再臨前に神のしもべとして額に印を押される144,000人のイスラエル人が出てきますが、その中にダン部族はいないのです。
背教の結果の恐ろしさを見ます。

 イスラエル(ヤコブ)は、18節で、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。私はあなたの救いを待ち望む。」(新改訳)と祈っています。
ダン部族は、キリストの千年王国では回復されています。
エゼキエル48:1に、「・・北の限界は、ヘトロンの道からレボ・ハマトを経てハツァル・エナンに至る。これがダマスコとの国境である。その北側にハマトがある。その東の端から海までがダン族のものである。・・」(新共同訳)と記されていますから。
余談になりますが、千年王国に「ダマスコ」が出てきます。
イザヤ17:1に、「ダマスコについての託宣。『見よ、ダマスコは都の面影を失い瓦礫の山となる。』」(新共同訳)という預言がありますが、現在成就されつつあります。
しかし、キリストの再臨前後には、「ダマスコからは王権が絶える。アラムに残るもの〔アラムの残りの者(新改訳)〕は、イスラエルの人々の栄光のようになる。」(イザヤ17:3・新共同訳)と預言されています。
「アラムの残りの者は、イスラエル人の栄光のように扱われる。」(新改訳)とありますから、恐らくこの残りの者と言われる人たちは、マタイ25章の羊とやぎの裁きにおいて、羊に入る人たちなのでしょう。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
背教の恐ろしさと共にあなたの慈しみ深さを見させて頂けました。
主を愛し続けて背教に陥ることなく主に喜ばれる歩みを全うしていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

 

 

2017年3月 4日 (土)

創世記49:13-15 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)4

49:13ゼブルンは海べに住み、舟の泊まる港となって、その境はシドンに及ぶであろう。
49:14イッサカルはたくましいろば、彼は羊のおりの間に伏している。
49:15彼は定住の地を見て良しとし、その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、奴隷となって追い使われる。”(口語訳)

 ゼブルンはレアがヤコブに生んだ6番目の男子であり(創世記30:19.20)、ヤコブの息子たち全体の中では10番目の男子です。
イッサカルはレアがヤコブに生んだ5番目の男子であり(創世記30:17.18)、ヤコブの息子たち全体の中では9番目の男子です。

 13節には、「ゼブルンは海べに住み、舟の泊まる港となって、その境はシドンに及ぶであろう。」(口語訳)とあります。
リビングバイブルは、「ゼブルンは海のそばに住む。港は船でにぎわい、境界線はシドンにまで及ぶ。」と訳しています。ヨシュア記に記されている12部族の土地の分割の箇所(ヨシュア19:10-16)によるとゼブルン部族は、ガリラヤ湖にも地中海にも面していないようです。ガリラヤ湖に面していたのは、ゼブルンの隣のナフタリ部族でした。また、地中海に面していたのは、ゼブルン部族の隣のアシェル部族でした。ですから、ヤコブの予言は、ヨシュアによる土地の分割のことを言っているのではなさそうです。
モーセが死に臨んで各部族に語った祝福の言葉(予言を含む)の中のゼブルンとイッサカルについての祝福の言葉は、申命記33:18.19に、「ゼブルンのために彼は言った。喜べ、ゼブルンよ、海に漕ぎ出すときに。喜べ、イサカルよ、あなたの天幕の中で。彼らは諸国の民を山に招き、そこで正しいいけにえをささげる。彼らは海の富、砂に隠れた宝を手に入れる。」(新共同訳)と記されています。
ヨシュアによる土地の分割の際には、ゼブルンは海に面していませんでしたが、モーセの祝福の言葉の「彼らは海の富、砂に隠れた宝を手に入れる。」という箇所から、土地の分割後に、活動の範囲を広げたのではないかと想像します。ただし、聖書の記録の中からは分かりません。創世記49:13の岩波訳の注には、「シドンはフェニキアの海岸都市。ゼブルン部族の領土が地中海岸まで達した時があったことを暗示(申命記33:18)。」とあります。
余談になりますが、マタイ4:12-17には、「ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。これは、預言者イザヤを通して言われた事(イザヤ9:1.2)が、成就するためであった。すなわち、『ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。』この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』」(新改訳)とあります。
新改訳の「・・イエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。」の箇所を、
新共同訳は、「イエスは、・・ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。」と訳しています。
カペナウムの場所は、ヨシュアの土地の分割の時代には、ナフタリ族の中にある場所でした。ヨシュアによる土地の分割後、千数百年の間には色々なことがありました。しかし、ゼブルンについての詳細を聖書は記していないのです。

 14.15節を、新共同訳は、「イサカルは骨太の〔たくましい(新改訳)〕ろば。二つの革袋の間に身を伏せる。彼にはその土地が快く、好ましい休息の場となった。彼はそこで背をかがめて荷を担い、苦役の奴隷に身を落とす。」と訳しています。
リビングバイブルは、「イッサカルはたくましいろばだ。鞍袋の間にうずくまって休む。美しい田園、住みよい土地を見た時、彼は肩に食い込む重い荷をもいとわず、人に仕えることをも辞さない。」と訳しています。
ヨシュアによる土地の分割の時、イッサカルの土地は、ガリラヤ湖の南から南西部にかけての土地でした。そこは、「美しい田園、住みよい土地」(リビングバイブル)であったのです。その土地で働けるなら労苦はいとわないという感じがよく出ています。イッサカルの境界の東側はガリラヤ湖から流れ出た水がヨルダン川として流れていました。
ヨシュアの時代に割り当てられたゼブルン、ナフタリ、イッサカルという地はイエス様が伝道されたガリラヤ地方と呼ばれた土地にかなりの部分オーバーラップします。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
マタイ4:15-17には、「『ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。』この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(新改訳)とあります。
私も「死の地と死の陰にすわっていた人」でありました。
あなたのおことばを聞いたとき、まさに、「光」を受けたのでした。
イエス様を信じることを得させて頂いて、神の子ども、神の家族として頂けましたことを感謝します。
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に帰することを覚えます。
栄光がとこしえに神にあるようにと賛美しつつ、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2017年3月 3日 (金)

創世記49:8-12 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)3

49:8ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる〔あなたは兄弟たちにたたえられる(新共同訳)〕。あなたの手は敵のくびを押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう〔父の子たちはあなたを伏し拝む(新共同訳)〕。
49:9ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。
49:10つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。
49:11彼はそのろばの子をぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を良きぶどうの木につなぐ。彼はその衣服をぶどう酒で洗い、その着物をぶどうの汁で洗うであろう。
49:12その目はぶどう酒によって赤く、その歯は乳によって白い。”(口語訳)

 8節には、「ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる〔あなたは兄弟たちにたたえられる(新共同訳)〕。あなたの手は敵のくびを押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう〔父の子たちはあなたを伏し拝む(新共同訳)〕。」(口語訳)とあります。
「ユダ」という名について:創世記29:35によると、レアが第四子を産んだとき、「今度は主をほめたたえよう。」と言った故、レアはユダと名付けたのでした。ユダには、「ほめたたえる」の意があります。
ヤコブが死に臨んで話した一連の言葉の始まりは、「・・私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。」(新改訳)というものでした。
新改訳が、「終わりの日」と訳している語を、新共同訳、口語訳、文語訳は、「後の日」と訳し、リビングバイブルは、「将来」と訳しています。
8節の「ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる〔あなたは兄弟たちにたたえられる(新共同訳)〕。あなたの手は敵のくびを押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう〔父の子たちはあなたを伏し拝む(新共同訳)〕。」(口語訳)という内容は、ユダの子孫のダビデ王によって成就しました。更には地上再臨のキリストの前にすべてのイスラエルの民はひれ伏します。キリストは、肉においてはユダの子孫です。

 9節には、「ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。」とあります。
「あなたは獲物をもって上って来る」を新改訳は「獲物によって成長する」と訳していますが、私が持っている他の聖書は、「あなたは獲物をもって上って来る」の意で訳しています。9節をリビングバイブルは、「ユダは、獲物をたいらげ、丸々と太った若いライオンだ。何ものをも恐れず、ゆうゆうと寝そべっている。だれも、これを起こすことはできない。あえてそんな危険を冒す者はいない。」と訳しています。
ダビデ王は、確かに、獲物即ち敵を打ち負かし、敵や苦難を通して成長し、次々と敵対者を足下に置いた後は、当時の大王となりました。

 10節には、「つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。」とあります。
「つえ」は、「王笏」(新共同訳)のことです。新改訳は、「王権」と訳しています。
イスラエルの初代王はサウルでしたが、二代目の王となるユダの子孫である王はダビデでした。次の王はダビデの子のソロモン(シェロモ)でした。ソロモン、シロは平和の意です。
10節をリビングバイブルは、「その王位はシロが来る時まで続く。人々がみなシロに従うその時まで、ユダは安泰だ。」と意訳しています。
確かに、ダビデによって王権は確立し、イスラエル全部族は、ダビデ、ソロモンの時代は一つになっていました。ソロモンの子レハブアムの時代にイスラエルは南北に分裂するのです。

 11.12節を、リビングバイブルは、「彼は大いに栄え、ろばをえり抜きのぶどうの木につなぎ、服をぶどう酒で洗う。その目はぶどう酒より黒く、その歯はミルクより白い。」と意訳しています。
11節について、新聖書注解は、「前節の来るべきものが来た時の繫栄の状況。貴重なブドウの木が非常に豊かに、至る所に生い茂っているのでろばをそこに繋ぐことが出来る(普通ならブドウの葉は食べられてしまう)。洗濯にもぶどう酒を用いるとは、文字通りのことであるより、豊かさの表現。」と記しています。

 私たちキリスト者は、このような意味合いだけでなく、これらの予言を究極的にはイエス・キリストにおいて成就するものとみます。

 8節には、「ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる〔あなたは兄弟たちにたたえられる(新共同訳)〕。あなたの手は敵のくびを押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう〔父の子たちはあなたを伏し拝む(新共同訳)〕。」(口語訳)とありますが、イエス様とキリスト者に置き換えて読むと、「御子なるイエスよ、イエス・キリストの恵みと信仰によって(エペソ2:8)神の子ども(ヨハネ1:12)、あなたの弟妹とされた者たちは、あなたをほめたたえます。あなたは敵であるサタンを打ち負かし(ヘブル2:14)、サタンの支配からあなたの支配へと移してくださいました(使徒26:18)。父なる神の子どもとされた私たちは、あなたを伏し拝みます。」とも言えるでしょう。

 9節には、「ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。」とあります。
「ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。」とありますが、「獅子」は、黙示録5:5では、「ユダ族から出た獅子」と記して、イエス様を表わしています。
イエス様は、十字架と復活において罪に、悪魔(サタン)に、死に勝利しました。サタンからイエス様ご自身が奪い取ったもの(獲物)をもって天に凱旋したのです(時間を超越した書き方です)。イエス様ご自身がサタンから贖い取った者たちを全員もれなく天に引き上げるのは、キリストの空中再臨の時の携挙によってです(1テサロニケ4:16.17)。空中再臨時以前にも多くのキリスト者の霊は天におられる主のもとに帰っています。

 10節には、「王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」(新共同訳)
「シロ」は、平和の君、主イエス様です。
イザヤ9:6には、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」(新改訳)とあります。
「ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」とありますが、イエス様が再臨された後は、イエス様が全世界を統治されるのです。
黙示録11:15には、「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。『この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。』」(新改訳)と記され、ピリピ2:10.11には。「・・天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(新共同訳)とあります。

 11節には、「彼はそのろばの子をぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を良きぶどうの木につなぐ。彼はその衣服をぶどう酒で洗い、その着物をぶどうの汁で洗うであろう。」とあります。
11節の前半からは、棕櫚の日の日曜日にロバに乗ってエルサレムに入城されたマタイ21:1-11の情景が思い出されます。
後半の、「彼はその衣服をぶどう酒で洗い、その着物をぶどうの汁で洗うであろう。」は、黙示録19:13-15の「その方は血に染まった衣を着ていて、その名は『神のことば』と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」(新改訳)とか、イザヤ63:1-6の
“63:1 「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物には威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」「正義を語り、救うに力強い者、それがわたしだ。」
63:2 「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
63:3 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの衣にふりかかり、わたしの着物を、すっかり汚してしまった。
63:4 わたしの心のうちに復讐の日〔「報復の日」(新共同訳・口語訳)「刑罰の日(文語訳)〕があり、わたしの贖いの年が来たからだ。〔わたしの国民のかたきを討ち、いじめる者の手から救い出す時が、ついに来たのだ。(リビングバイブル)〕
63:5 わたしは見回したが、だれも助ける者はなく、いぶかったが、だれもささえる者はいなかった。そこで、わたしの腕で救いをもたらし、わたしの憤りを、わたしのささえとした。
63:6 わたしは、怒って国々の民を踏みつけ、憤って彼らを踏みつぶし、彼らの血のしたたりを地に流した。」”(新改訳)という主イエスによる神の裁きの時を思いうかべます。

 12節を、リビングバイブルは、「その目はぶどう酒より黒く、その歯はミルクより白い。」と訳し、
新共同訳は、「彼の目はぶどう酒によって輝き、歯は乳によって白くなる」と訳し、
口語訳は 、「その目はぶどう酒によって赤く、その歯は乳によって白い。」と訳し、
新改訳は、「その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。」と訳しています。
目の色や輝きが、「黒」「赤」「輝く」「曇る」というように色々な訳になっています。
私の想像ですが、イエス様は、慈しむ者を見るときは、優しい慈しみ深い目であったでしょう。また、真理を語る時には、輝いていたでしょう。真理を曲げて敵対してくる者を叱責するときは厳しい目をしていたでしょう。人々に信仰が見られなかった時の目は曇ったように見えたかもしれません。黙示録1:14におけるイエス様の目の描写は、「その目は、燃える炎のようであった。」(新改訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
いつも慈しみをもって接してくださいますことを感謝します。
イエス様が統治なさる時を待ち望みます。
マラナ・タ!
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2017年3月 2日 (木)

創世記49:5-7 死を前にしたヤコブの言葉(含予言)2

49:5シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。
49:6わが魂よ、彼らの会議に臨むな。わが栄えよ、彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、ほしいままに雄牛の足の筋を切った。
49:7彼らの怒りは、激しいゆえにのろわれ、彼らの憤りは、はなはだしいゆえにのろわれる。わたしは彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。”(口語訳)

 5節には、「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。」(新共同訳)とあります。
ヘブル語の原文には「似た」はありませんが、兄弟は二人だけではないので、「似た」を入れた方が分かりやすいと考え新共同訳の文をあげました。
これは、創世記34章の出来事を指していると思われます。
ヤコブの娘のディナが、ヒビ人ハモルという族長の土地の娘たちを尋ねて出かけたとき、ハモルの子のシェケムが、ひとめぼれであったかどうかは分かりませんが、ディナを見てレイプしたのです。詳細は分かりませんが、シェケムは、ディナを嫁にしたかったのです。シェケムはディナに嫁になってくれるようにと色々と話したようです。シェケムは父ハモルにもディナを嫁にもらってくださいと頼んだのです。
ディナの父ヤコブにシェケムの父ハモルが話した願いと提案は、
“34:8 ・・・「私の息子シェケムは心からあなたがたの娘を恋い慕っております。どうか彼女を息子の嫁にしてください。
34:9 私たちは互いに縁を結びましょう。あなたがたの娘を私たちのところにとつがせ、私たちの娘をあなたがたがめとってください。
34:10 そうすれば、あなたがたは私たちとともに住み、この土地はあなたがたの前に開放されているのです。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」”(新改訳)というものでした。
シェケムが、ディナと結婚させて欲しいと、ヤコブとヤコブの息子たちに出した提案内容は、「私〔シェケム(筆者挿入)〕はあなたがたのご好意にあずかりたいのです。あなたがたが私におっしゃる物を何でも差し上げます。どんなに高い花嫁料と贈り物を私に求められても、あなたがたがおっしゃるとおりに差し上げますから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」(創世記34:11.12・新改訳)というものでした。
私の想像ですが、この時点では、ディナもシェケムと結婚したかったのではないかと思います。
しかし、シメオンとレビは、事の始まりを赦すことが出来ませんでした。それ故彼らは、悪しき一計を案じてハモル族の男子全員を皆殺しにし、その人たちの羊や、牛や、ろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、 その人たちの全財産、幼子、妻たち、それに家にあるすべてのものを、とりこにし、略奪したのです(創世記34:13-29)。

 イスラエル(ヤコブ)は続けて、「わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」(6.7・新改訳)と語り、また預言しました。
「私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」とありますが、四百余年後のカナンの地における各部族の土地の配分の時、シメオン族はシメオン族としてのまとまりの土地ではなく、ユダの領土の中から17の町々とそれの属する村々を割り当てられたのです(ヨシュア19:1-8)。
また、レビ族は、イスラエル全土の中から、全部で48の町々と放牧地とを割り当てられました(ヨシュア21:1-42)。
どちらにも、一つの部族としての、まとまった土地は与えられませんでした。
シメオンとレビの性格の中には激しいものがありましたが、後に、レビの場合は、その性格が良い方に用いられ(出エジプト32:26-28)、シメオンとは違った待遇、即ち祭司職を授けられました。
出エジプト後に軍務につける者の調査をした時には、シメオン族は、59,300人でした(民数記2:12.13)が、それから約40年弱経った時の人数は、22,200人(民数記26:14)に減少していたのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
シメオンとレビは、同じ失敗をしましたが、その後の歩みの違いによって、あなたは、それぞれに異なった扱いをなさいました。
的外れ(罪)を示されたら、直ちに悔い改めて、主に喜ばれる歩みをしていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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