出エジプト記

2017年8月11日 (金)

出エジプト40:34-38 主の栄光が幕屋に満ちる(臨在の幕屋)

40:34そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
40:35モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
40:36
雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ〔旅立った(新改訳)〕。彼らはその旅路において常にそうした。
40:37しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった〔旅立たなかった(新改訳)〕。
40:38
すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。”(口語訳)

 34節の一つ前の33節には、「また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。」とありました。しかし、出エジプト40:9-15に、
“40:9 あなたは、そそぎの油を取って、幕屋とその中のすべてのものにそそぎ、それと、そのすべての用具とを聖別する。それは聖なるものとなる。
40:10 あなたは全焼のいけにえの祭壇と、そのすべての用具に油をそそぎ、その祭壇を聖別する。祭壇は最も聖なるものとなる。
40:11 洗盤とその台とに油をそそいで、これを聖別する。
40:12 アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗い、
40:13 アロンに聖なる装束を着けさせ、彼に油をそそぎ彼を聖別する。彼は祭司としてわたしに仕える。
40:14 彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。
40:15 あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」”(新改訳)と命じられたことを行ったことが、33節と34節の間に記されていませんでした。しかし、すべての建て上げが終わった後に、そそぎの油{塗り油=the anointing oil(NKJV,NIV)}が注がれた{塗られた(anointed)}のだろうと思います。(anointとは〈聖別のしるしとして〉聖油を塗ることです)

 34節には、「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。」とあります。
主が命じられたとおりに幕屋の建設を終えた後、ヤハウェ(主)の栄光が幕屋に満ちたのです。

 話が横道にそれますが、主なる神様が人を造った時にも、順序は同じでした。
創世記2:7には、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(新共同訳)とあり、神様は、初めに体を作り、その中に命の息(霊)を入れました。人の場合は、そのようにすると魂も出来たのです。「生きる者となった」をKJVは、"man became a living soul"と訳しています。
エゼキエル37章の枯れた骨の谷の幻も同じようです。エゼキエル37:1-6には、
“37:1 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。
37:2 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。
37:3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」
37:4 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
37:5 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
37:6 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」”(新共同訳)とあります。この預言は、第一義的にはイスラエル国の再興の預言であろうと思います。この預言が完了するのは、キリストの地上再臨に際してであろうと思います。ゼカリヤ12:10には、「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」(新改訳)とありますから。(ゼカリヤ12-14章を全部読んだほうがよろしいのですが)

 話を元に戻します。
主なる神様が作る(造る)ように命じられたすべてのものを作り終え、作ったすべてのものを聖別した後、幕屋に主が臨在してくださったのです。幕屋は主の栄光で満ちました(34)。主の臨在が豊かすぎて、モーセでさえ幕屋に入れなかったのです(35)。人は主の御顔をまともに見ることは出来ないと主は言われました。出エジプト33:20には、「あなた〔モーセ(筆者挿入)〕はわたし〔ヤハウェ(主){筆者挿入}〕の顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」(新改訳)という主のおことばがあります。
使徒ヨハネは、イエス様が地上におられた時、イエス様ととても親しく、イエス様を触ったこともありましたが、ヨハネがパトモス島に流され、そこにイエス様が現れた時、ヨハネは気絶しました。黙示録1:9-18には、
“1:9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
1:10 私は、主の日に御霊に感じ〔I was in the Spirit on the Lord's Day(NKJV)〕、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
1:11 その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」
1:12 そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
1:13 それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。
1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
1:15 その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。
1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、
1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。”(新改訳)と記されています。
ペテロも、イエス様がご自身の栄光を少し垣間見せただけで、パニックになったことがあります。それは、マタイ17:1-7に記されています。その時のイエス様のご様子は、「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(新共同訳)のでした。しかし、イエス様の栄光の光はこの程度のようなものではありません。黙示録21:23には、「都〔新天新地の都即ち新エルサレム(筆者挿入)〕には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。」(新改訳)と記されています。

 主が私たちの内に住む為には、御霊から誕生した霊である私たちが必要であったのでしょう。私の想像ですが、私たちが地上にいる間は、主は私たちが喜びをもって主と交わることが出来る程度に、また恵みを豊かに与えられたと思える程度に、臨在してくださっておられるのではないかと想像します。大海の一滴という感じでしょうか。何しろ主は全宇宙(捉えることのできないダークマターを含め)を、また天使等の人に見えない生物や人を初め、ありとあらゆる生物をつくられた想像の範囲を超えた力を持っておられるお方なのですから。

 36-38節からは、主は、自然現象の雲ではなく、ご自身が臨在されるために、またイスラエルの民が肉の目で見ることが出来るように、また、主の導きが分かるようにしてくださったことが分かります。また、この雲は、強い日差しからイスラエルの民を守り、また、暗闇に明かりを与えてくださったのです。主の取り扱いは至れり尽くせりです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは、私たちを守り、導き、支え、祝福してくださるお方でありますから御名を賛美します。
私たちが艱難に遭うようなことがあっても、あなたの内にあれば、艱難と祝福が表裏一体になっていることを覚えます。
今日も、また明日も、明後日も・・・とこしえに主が共にいてくださいますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月10日 (木)

出エジプト40:1-33 幕屋の建て上げ

 1.2節に、「主はモーセに告げて仰せられた。『第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。』」(新改訳)とあります。
そして、16.17節には、「モーセはそのようにした。すべて主が彼に命じられたとおりを行った。第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。」(新改訳)と記されています。

「第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた」(17)のですが、1年前の「第一年目の第一月」は過越の月でした。出エジプト12:1-30に過越の記事があります。その中の12:2に、「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」(新改訳)とあります。幕屋の建設は工事が始められてから、1年未満で完成したことが分かります。

 モーセは、ヤハウェ(主)が命じられたとおりに、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板(或いは木枠)を立て、その横木を通し、また、柱を立て、幕を張り更にその上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けました。

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、掟の板(新共同訳)(新改訳では「さとし」)を取って箱に納め、棒を箱につけ、「贖いのふた」(新改訳)(新共同訳では「贖いの座」、口語訳では「贖罪所」)を箱の上に置き、箱を幕屋の中に入れ、仕切りのために垂れ幕を掛け、あかしの箱(新改訳・口語訳)(新共同訳では「掟の箱」)の前を仕切りました(3.20.21)。

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、会見の天幕の中に、すなわち、幕屋の北のほうの側で垂れ幕の外側に、机を置きました。その上にパンを一列に並べて、主の前に供えました(4.22.23)。
「幕屋の北のほうの側で垂れ幕の外側に、机を置きました。」とありますが、入り口は東側です。垂れ幕の内側の「あかしの箱」が置かれている場所が至聖所で、垂れ幕の外側の机を置いた場所が聖所です。

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、会見の天幕の中の机の反対側の幕屋の南側に、燭台を置きました。そして、ともし火を主の御前にともしました(4.24.25)。

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、会見の天幕の中の垂れ幕の前に、金の壇を置き、その上でかおりの高い香をたきました(5.26.27)。

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、幕屋の入口に垂れ幕を掛けました(5.28)。

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、全焼のいけにえの祭壇を、会見の天幕である幕屋の入口に置き、その上に全焼のいけにえと穀物のささげ物とをささげました(6.29)。

「全焼のいけにえ」(新改訳)を、新共同訳は「焼き尽くす献げ物」、口語訳は「燔祭」、
「穀物のささげ物(献げ物)」(新改訳・新共同訳)を、口語訳は「素祭」という語を用いています。
 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、会見の天幕と祭壇との間に洗盤を置き、洗いのために、それに水を入れました。モーセとアロンとその子らは、それで手と足を洗いました。会見の天幕に入るとき、または、祭壇に近づくとき、彼らはいつも洗いました。(7.30-32)

 次に、ヤハウェ(主)に命じられたとおりに、モーセは、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けました(8.33)。そして33節の最後には、「こうして、モーセはその仕事を終えた。」(新改訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いつでもあなたに命じられたとおりに事を行うことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 9日 (水)

出エジプト39:32-43 幕屋に関するもろもろの工事の完成

39:32こうして会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事が終った。イスラエルの人々はすべて主がモーセに命じられたようにおこなった。
39:33彼らは幕屋と天幕およびそのもろもろの器をモーセのもとに携えてきた。すなわち、その鉤、その枠、その横木、その柱、その座〔台座(新改訳)〕、
39:34あかね染めの雄羊の皮のおおい、じゅごんの皮のおおい、隔ての垂幕、
39:35あかしの箱と、そのさお、贖罪所、
39:36机と、そのもろもろの器、供えのパン、
39:37純金の燭台と、そのともしび皿、すなわち列に並べるともしび皿と、そのもろもろの器、およびそのともし油、
39:38
金の祭壇、注ぎ油、香ばしい薫香〔香りの高い香(新改訳)〕、幕屋の入口のとばり〔垂れ幕(新改訳)〕、
39:39青銅の祭壇、その青銅の格子と、そのさお、およびそのもろもろの器、洗盤とその台、
39:40
庭のあげばり〔掛け幕(新改訳)〕、その柱とその座〔台座(新改訳)〕、庭の門のとばり〔垂れ幕(新改訳)〕、そのひもとその釘、また会見の天幕の幕屋に用いるもろもろの器〔祭具(新共同訳)〕、
39:41聖所で務をなす編物の服〔聖所で仕えるための式服(新改訳)〕、すなわち祭司の務をなすための祭司アロンの聖なる服およびその子たちの服。
39:42イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたように、そのすべての工事をした。
39:43モーセがそのすべての工事を見ると、彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、モーセは彼らを祝福した。”(口語訳)
 この箇所は幕屋にかかわる工事が終了したことが記されています。1年に満たない期間で完成させることが出来ました。
幕屋の工事は、主なる神様が、シナイ山で、モーセに設計図と共に与えられたものでした。そして、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」(ヘブル8:5・口語訳)と言われたのです。
モーセとイスラエルの人々は、主がモーセに命じられたようにおこない、会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事を終えることが出来たのでした(32.42)。
 モーセの旧約の時代には、どうしてそのように作るのかということが分からなかったことが、新約の時代になると、会見の天幕の幕屋をヤハウェ(主)が命じられたとおりに作ることには深い意味があったことを知ることが出来るようになったのではないかと思います。
幕屋の骨組みとなる木枠全体は、恐らく救われたキリスト者の総体を表していたのでしょう。天然に生えているアカシヤ材を金で覆ったのです。救われた人はキリストに覆われているのです。そして、木枠には横木が通されました。キリスト者を一つにしたのは聖霊です。木枠を覆うように掛けられた一番内側の覆いの幕は、亜麻布(linen)、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出されたものでした。ケルビムは主に仕える天使です。亜麻布の白、青、紫、緋の色は、キリストを表していたでしょう。ひとり子の御子であるキリスト・イエスは、天(青)から来られ、義(白)なる歩みをされ、贖い(赤)を成し遂げられ、天地万物の主権者である王(紫)として御父の右にいます。幕屋の上にかける天幕として山羊の毛の幕が掛けられました。山羊は、贖いの動物でもあります。また、アザゼルのやぎ(レビ記16章)も思い起こします。山羊の毛で作った天幕の上に、赤くなめした雄羊の皮の覆いが掛けられました。赤は贖いの色です。更にその上に、即ち一番外側にジュゴンの皮の覆いが掛けられました。外見の色は金や銀ではなく、イザヤ53:2に、「私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」(新改訳)と記されているような肉体を纏った主イエス様を象徴していたのかも知れません。しかし、風雨即ち外からのストレスにはめっぽう強いのです。
 その他の祭具もみな意味を持っていたのだと思います。
コロサイ2:16.17には、「・・あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。」(新共同訳)とありますが、幕屋の実体もキリストであり、しかも、キリストの体{エクレシア=教会(キリスト者の総体)}をも含めたものであったのでしょう。
 また幕屋の構造は、人の構造(霊魂体)をも推測させるものがります。
ヤハウェ(主)は、「あなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。」(申命記4:2・新改訳)と命じられます。人は聖書に記されてある内容をすべてもれなく理解することが出来るわけではないでしょうが、決して御ことばを変えてはならないのです。
イザヤ55:8.9には、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──主の御告げ── 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い〔わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている(新共同訳)〕。」(新改訳)と記されています。
またイエス様は、「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(ルカ21:33・新改訳)と語られました。
 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのおことばに従順に従い続ける生涯を送らせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 8日 (火)

出エジプト39:22-32 青服、長服、かぶり物、聖別の記章の札を作った

39:22またエポデに属する上服は、すべて青地の織物で作った。
39:23
上服の口はそのまん中にあって、その口の周囲には、よろいのえりのように縁をつけて、ほころびないようにした。
39:24上服のすそには青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、ざくろを作りつけ、
39:25また純金で鈴を作り、その鈴を上服のすその周囲の、ざくろとざくろとの間につけた。
39:26
すなわち鈴にざくろ、鈴にざくろと、務の上服のすその周囲につけた。主がモーセに命じられたとおりである。
39:27またアロンとその子たちのために、亜麻糸で織った下服を作り、
39:28亜麻布で帽子を作り、亜麻布で麗しい頭布を作り、亜麻の撚糸の布で、下ばきを作り、
39:29亜麻の撚糸および青糸、紫糸、緋糸で、色とりどりに織った帯を作った。主がモーセに命じられたとおりである。
39:30また純金をもって、聖なる冠の前板を作り、印の彫刻のように、その上に「主に聖なる者」という文字を書き、
39:31これに青ひもをつけて、それを帽子の上に結びつけた。主がモーセに命じられたとおりである。
39:32こうして会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事が終った。イスラエルの人々はすべて主がモーセに命じられたようにおこなった。”(口語訳)

 22-26節は、モーセがヤハウェ(主)から命じられた青服を作ったことが記されています。
モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から命じられた青服に関する内容は、出エジプト28:31-35に、
“28:31 エポデの下に着る青服〔エフォドと共に着る上着(新共同訳)、the robe of the ephod(NKJV)〕を、青色の撚り糸だけで作る。
28:32 その真ん中に頭を通す口を作る。その口の周囲には、織物の縁をつけ、よろいのえりのようにし、ほころびないようにしなければならない。
28:33 そのすそに、青色、紫色、緋色の撚り糸で、ざくろを作り、そのすその回りにこれをつけ、その回りのざくろの間に金の鈴をつける。
28:34 すなわち、青服のすその回りに金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。
28:35 アロンはこれを務めを行うために着る。彼が聖所に入り、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に出るとき、またそこを去るとき、その音が聞こえるようにする。彼が死なないためである。”(新改訳)と記されていました。
青服は、キリストの体である教会(キリスト者の総体)を表しているのかも知れません。
青は天の色です。エペソ2:6には、「キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」(新共同訳)と記されています。
青服のすそには、33.34節によると、「そのすそに、青色、紫色、緋色の撚り糸で、ざくろを作り、そのすその回りにこれをつけ、その回りのざくろの間に金の鈴をつける。すなわち、青服のすその回りに金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。」(新改訳)とありました。
ざくろは、緋色である贖いの色と王の色である紫色、天の色である青が使われています。ざくろはキリスト者の総体である教会のいのちの豊かさを表しているのかも知れません(ヨハネ10:10)。ざくろは実が多い(ガラテヤ5:22.23)ですから。1ペテロ2:9は、キリスト者を「王である祭司」(新改訳)と記しています。
しかし金の鈴もついていました。大祭司の着る青服に鈴がつけられたのは、死なないためでした。鈴の音が注意を喚起したのです。
金の色は神性です。私たちは、常に三一の主なる神の第三位格の聖霊によって、み旨からずれてしまわないように、警告が与えられます。主との交わりを失わないためです。

 出エジプト39:27-29は、アロンとアロンの子らのための長服とかぶり物を作成したことが記されています。
これは、出エジプト28:39.40-43の次のような主の命令に基づくものでした。
“28:39 亜麻布〔linen(KJV)〕で市松模様の長服を作り、亜麻布〔linen(KJV)〕でかぶり物を作る。飾り帯は刺繍して作らなければならない。
28:40 あなたはアロンの子らのために長服を作り、また彼らのために飾り帯を作り、彼らのために、栄光と美を表すターバンを作らなければならない。
28:41 これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。
28:42 彼らのために、裸をおおう亜麻布のももひきを作れ。腰からももにまで届くようにしなければならない。
28:43 アロンとその子らは、会見の天幕に入るとき、あるいは聖所で務めを行うために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って、死ぬことのないためである。これは、彼と彼の後の子孫とのための永遠のおきてである。”(新改訳)

 前にも書きましたが、黙示録19:8には、「花嫁は、光り輝く、きよい麻布〔linen(KJV)〕の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(新改訳)とあります。
長服もかぶり物もリネン(linen)で作られました。これは義なる行為を表していたのでしょう。
イエス・キリスト様は、人性においても罪のないお方でした。キリストは私たちの義となられたお方です。1コリント1:30には、「・・・あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、と聖めと、贖いなられました。」(新改訳)と記されています。

 30.31節は、出エジプト28:36-38で命じられていた聖別の記章の札の作成について記されています。出エジプト28:36-38には、
“28:36 また、純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への聖なるもの』と彫り、
28:37 これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に来るようにしなければならない。
28:38 これがアロンの額の上にあるなら、アロンは、イスラエル人の聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物に関しての咎を負う。これは、それらの物が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に受け入れられるために、絶えずアロンの額の上になければならない。”(新改訳)とありました。
1コリント1:30の口語訳は、「あなたがたがキリスト・イエスにある〔you are in Christ Jesus(NIV)〕のは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」とあります。また、ヘブル10:10には、「ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」(新共同訳)とあります。この「聖」は客観的というか、立場的というか、法的というか、そのような「聖」です。私たちの魂の思い、意志、感情等は、造りかえられ中、即ち聖化の途上にあります。
あらゆる行いにおいて義なる行為をすることができる状態にされるのは、天で与えられるのでしょう(黙示録19:8)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは私たちをイエス・キリスト様の内においてくださいました。
あなたが私たちをご覧になる時、イエス様を通して見てくださいますから感謝します。
父・子・聖霊なる神に、栄光と誉れと賛美とが世々限りなくありますように。アーメン

2017年8月 7日 (月)

出エジプト39:8-21 胸当てを作った

39:8また胸当を巧みなわざをもって、エポデの作りのように作った。すなわち金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で作った。
39:9胸当は二つに折って四角にした。すなわち二つに折って、長さを一指当り〔一あたり(新改訳)、「一あたり」は親指と小指を広げた間の長さ(筆者挿入)〕とし、幅も一指当りとした。
39:10その中に宝石四列をはめた。すなわち、紅玉髄、貴かんらん石、水晶〔ルビー、トパーズ、エメラルド(新共同訳)〕の列を第一列とし、
39:11第二列は、ざくろ石、るり、赤縞めのう〔トルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド(新改訳)〕、
39:12第三列は黄水晶〔オパール(新共同訳)、ヒヤシンス石(新改訳)〕、めのう、紫水晶、
39:13第四列は黄碧玉〔緑柱石(新改訳)〕、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編細工の中にはめ込んだ。
39:14その宝石はイスラエルの子たちの名にしたがい、その名と等しく十二とし、おのおの印の彫刻のように、十二部族のためにその名を刻んだ。
39:15またひも細工にねじた〔編んで撚った(新改訳)〕純金のくさりを胸当につけた。
39:16また金の二つの編細工と、二つの金の環とを作り、その二つの環を胸当の両端につけた。
39:17かの二筋の金のひもを胸当の端の二つの環につけた。
39:18ただし、その二筋のひもの他の両端を、かの二つの編細工につけ、エポデの肩ひもにつけて前にくるようにした。
39:19また二つの金の環を作って、これを胸当の両端につけた。すなわちエポデに接する内側の縁にこれをつけた。
39:20また金の環二つを作って、これをエポデの二つの肩ひもの下の部分につけ、前の方で、そのつなぎ目に近く、エポデの帯の上の方にくるようにした。
39:21胸当は青ひもをもって、その環をエポデの環に結びつけ、エポデの帯の上の方にくるようにした。こうして、胸当がエポデから離れないようにした。主がモーセに命じられたとおりである。”(口語訳)

 この箇所は、モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から作るように命じられた中の、胸当てを作成したことが記されています。
ヤハウェ(主)から命じられた胸当てに関する内容は、出エジプト28:15-30に記されていました。

 大祭司の胸には、胸当てがつけられました。
14節には、「これらの〔胸当てにはめ込まれた(筆者挿入)〕宝石はイスラエルの子らの名を表して十二個あり、それぞれの宝石には、十二部族に従ってそれぞれの名が印章に彫るように彫りつけられた。」(新共同訳)とあります。
まことの大祭司はキリストです。胸当ての上に12の宝石がはめ込まれているのです。私にはよくわかりませんが、勝手に推測すると、黙示録4:4には、「また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。」(新改訳)とあります。24人の長老たちとは、イスラエルの12の部族長とキリストの12使徒かも知れません。神の民の代表として坐っているのでしょう。キリスト者は、キリストを信じさせて頂けて御霊から生まれたのですが、人間的な系譜をたどれば、12使徒の誰かにたどり着くのだろうと思います。そして、キリストの胸にある宝石のどれかのものに属しているのでしょう、というかそのような予型なのでしょう。

 新天新地の新エルサレム(都)の城壁の門(12門)と城壁の土台石(12の宝石)を合わせると24になります。黙示録21:11-21には、
“21:11 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
21:12 都には大きな高い城壁と十二の門があって、それら〔城壁(筆者挿入)〕の門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった
21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
21:14 また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった
21:15 また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
21:16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
21:17 また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。
21:18 その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。
21:19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉
21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった
21:21 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。”(新改訳)と記されています。
またエペソ2:20には、私たちは、「使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(新改訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私たちはキリストの胸の内に刻まれていますからありがとうございます。
いつも覚えられておりますことを感謝します。
あなたの胸を痛ませないで歩むことが出来ますよう助け導いてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 6日 (日)

出エジプト39:1-7 エポデを作った

39:1彼らは青糸、紫糸、緋糸で、聖所の務のための編物の服を作った。またアロンのために聖なる服を作った。主がモーセに命じられたとおりである。
39:2また金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸でエポデを作った。
39:3また金を打ち延べて板とし、これを切って糸とし、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸に交えて、巧みな細工とした。
39:4また、これがために肩ひもを作ってこれにつけ、その両端でこれにつけた。
39:5エポデの上で、これをつかねる帯は〔エポデの上で結ぶあや織りの帯は(新改訳)〕、同じきれで、同じように、金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で作った。主がモーセに命じられたとおりである。
39:6また、縞めのうを細工して、金糸の編細工にはめ、これに印を彫刻するように、イスラエルの子たちの名を刻み、
39:7これをエポデの肩ひもにつけて、イスラエルの子たちの記念の石とした。主がモーセに命じられたとおりである。”(口語訳)

 2-7節はエポデの作成について記されています。
エポデに関して、モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から命じられた内容は出エジプト28:5-14に、
“28:5 それで彼らは、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取らなければならない。
28:6 彼らに金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、巧みなわざでエポデを作らせる。
28:7 これにつける二つの肩当てがあって、その両端に、それぞれつけられなければならない。
28:8 エポデの上に結ぶあや織りの帯は、エポデと同じように、同じ材料、すなわち金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作る。
28:9 二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。
28:10 その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。
28:11 印を彫る宝石細工師の細工で、イスラエルの子らの名を、その二つの石に彫り、それぞれを金のわくにはめ込まなければならない。
28:12 その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。
28:13 あなたは金のわくを作り、
28:14 また、二つの純金の鎖を作り、これを編んで、撚ったひもとし、この撚った鎖を、先のわくに、取りつけなければならない。”(新改訳)とありました。
エポデはボタンの無いロングベストに似たようなものであったと思います。ウエストにはあや織りの帯(28:8)を結びましたから。また、エポデの肩の部分は、肩当てがありましたから、ジャンパースカートに似ているともいえるのかも知れません。肩の部分にはしまめのうにイスラエルの12の部族の名を刻んだ(一方に6部族ずつ)肩当てをつけました。

 大祭司がエポデを着てヤハウェ(主)の御前に出て祈るとき、この服はキリストを象徴しているように思えます。
エポデは、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて作られました。
金色は神性を表し、青色は天を表し、紫色は王を表し、緋色は贖いを表し、亜麻布は義を表していたでしょう。これらが一つになっているのです。それはイエス様しか該当しません。また、ご自分に属する者を肩に負っているのです。
*ヘブル5:8.-10には、「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ〔ゲッセマネ、むち打ち、十字架、復活を通して贖い主として完全な者とされ(筆者挿入)〕、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」(新改訳)とあり、
*ヘブル7:24.25には、「・・キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」新改訳)とあり、
*ヘブル9:11.12には、「・・キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(新改訳)とあります。

 私たちは肩に負われています。28:12には、「彼らの名を両肩に負い、記念とする。」とあります。信仰から迷い出た時も見つかるまで捜し出して下さり、肩に負って連れ帰ってくださるお方です。イエス様は、
“15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。”(ルカ・新改訳)と語られました。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
イエス様こそは私たちのまことの大祭司であられますから感謝します。
今や、あなたの肩当に名を刻んでくださっただけではなく、あなたの内においてくださり、更には私たちの霊の内に住んでくださっておられますからありがとうございます。
御名を崇め感謝し主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 5日 (土)

出エジプト38:21-31 幕屋作成関連の記録

38:21幕屋、すなわちあかしの幕屋に用いた物の総計は次のとおりである。すなわちモーセの命に従い、祭司アロンの子イタマルがレビびとを用いて量ったものである。
38:22ユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルは、主がモーセに命じられた事をことごとくした。
38:23ダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブは彼と共にあって彫刻、浮き織をなし、また青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸で、縫取りをする者であった。
38:24聖所のもろもろの工作に用いたすべての金、すなわち、ささげ物なる金は聖所のシケルで、二十九タラント七百三十シケルであった。
38:25会衆のうちの数えられた者のささげた銀は聖所のシケルで、百タラント千七百七十五シケルであった。
38:26これはひとり当り一ベカ、すなわち聖所のシケルの半シケルであって、すべて二十歳以上で数えられた者が六十万三千五百五十人であったからである。
38:27
聖所の座と垂幕の座とを鋳るために用いた銀は百タラントであった。すなわち百座につき百タラント、一座につき一タラントである。
38:28また千七百七十五シケルで柱の鉤を造り、また柱の頭をおおい、柱のために桁を造った。
38:29ささげ物なる青銅は七十タラント二千四百シケルであった。
38:30これを用いて会見の幕屋の入口の座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および祭壇のもろもろの器を造った。
38:31また庭の周囲の座、庭の門の座、および幕屋のもろもろの釘と、庭の周囲のもろもろの釘を造った。”(口語訳)

 21節には、「幕屋、すなわちあかしの幕屋に用いた物の総計は次のとおりである。すなわちモーセの命に従い、祭司アロンの子イタマルがレビびとを用いて量ったものである。」とありますが、この箇所に記された材料は、金、銀、青銅という金属類だけであり、枠板のアカシヤ材や撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸等の一番内側の幕の材料やその上にかける山羊の毛やその上にかける羊の皮や一番上にかけるじゅごんの皮については記されませんでした。

 22節には、「ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行った。」(新改訳)と記され、
①幕屋建造の奉仕をしたリーダーの名であるユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルの名と、
②ベツァルエルのもとで「主がモーセに命じられたことを、ことごとく行った。」ということが記されました。

 23節には、「彼〔ウリの子ベツァルエル(筆者挿入)〕とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。」(新改訳)とあり、幕屋の一番内側にかける幕を作ったアヒサマクの子オホリアブの名が記されました。

 24節には、「仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。」(新改訳)とあります。
1タラントは約34kg、1シェケルは約11.4gということですから、金の総量は、約994,322g即ち約1トン弱の量がささげられたのです。

 25.26節には、「会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。」(新改訳)とあります。
銀は、一人の贖い金である半シェケル(出エジプト30:12-15)×603,550(人)=100タラント1775シェケルとなりました。これは3,420,335gになります。
銀はキリストの贖いを表しているように思えますから、救いはイスラエルの民全員、ということで20歳以上の男子全員から集められたことは理にかなっていたのではないかと推測します。婦女子は?と疑問に思う方もいるかもしれませんが、恐らく(個人的な推測では)神様のみ旨にあっては納められた贖い金に含まれていたものと思います。イスラエルの救いは家族単位でもありましたから。
新約的に言えば、イエス様を信じた者は誰でも救われるのです。救いはイエス・キリストを信じる信仰によって平等に与えられるのです。

 27.28節には、「聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。」(新改訳)とあり、どこにどれだけの銀が使われたのかが記されています。

 29節には、「奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。」(新改訳)とあり、ささげられた青銅の総量が記されています。グラム換算すると、2,407,036gとなります。約2.4トンです。

 30.31節には、「これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。」(新改訳)とあり、どこに青銅が使われたのかが記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたはこのように記録なさる方であることを覚えます。
あなたはあなたを愛する故の奉仕をこのように覚えておられます。
あなたを愛する愛によって働く信仰によって、あなたにお仕えしていく者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 4日 (金)

出エジプト38:9-20 幕屋の庭の掛け幕等を作った

38:9また庭を造った。その南側のために百キュビトの亜麻の撚糸の庭のあげばり〔掛け幕(新改訳)〕を設けた。
38:10その柱は二十、その柱の二十の座は青銅で、その柱の鉤と桁は銀とした。
38:11また北側のためにも百キュビトのあげばり〔掛け幕(新改訳)〕を設けた。その柱二十、その柱の二十の座は青銅で、その柱の鉤と桁は銀とした。
38:12また西側のために、五十キュビトのあげばり〔掛け幕(新改訳)〕を設けた。その柱は十、その座も十で、その柱の鉤と桁は銀とした。
38:13また東側のためにも、五十キュビトのあげばり〔掛け幕(新改訳)〕を設けた。
38:14その一方に十五キュビトのあげばり〔掛け幕(新改訳)〕を設けた。その柱は三つ、その座も三つ。
38:15また他の一方にも、同じようにした。すなわち庭の門のこなたかなたともに、十五キュビトのあげばり〔掛け幕(新改訳)〕を設けた。その柱は三つ、その座も三つ。
38:16庭の周囲のあげばりはみな亜麻の撚糸である。
38:17柱の座は青銅、柱の鉤と桁とは銀、柱の頭のおおいも銀である。庭の柱はみな銀の桁で連ねた。
38:18庭の門のとばりは青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、色とりどりに織ったものであった。長さは二十キュビト、幅なる高さは五キュビトで、庭のあげばり〔掛け幕(新改訳)〕と等しかった。
38:19その柱は四つ、その座も四つで、ともに青銅。その鉤は銀、柱の頭のおおいと桁は銀である。
38:20ただし、幕屋および、その周囲の庭の釘はみな青銅であった。”(口語訳)

 この箇所は、モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から庭に関する教えを受けた内容の実行です。
モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から命じられた内容は、出エジプト27:9-19に、
“27:9 幕屋の庭を造る。南側に面して、庭の掛け幕を、その側のための長さ百キュビトの撚り糸で織った亜麻布を、張る。
27:10 柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀とする。
27:11 同じように、北に面して、その長さで、長さ百キュビトの掛け幕とする。柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀とする。
27:12 また、西に面して庭の幅には五十キュビトの掛け幕、その柱十本、その台座十個とする。
27:13 前面の東に面する庭の幅も五十キュビト。
27:14 片側に寄せて、十五キュビトの掛け幕と、その三本の柱、その三個の台座とする。
27:15 他の片側にも十五キュビトの掛け幕と、その三本の柱、その三個の台座とする。
27:16 庭の門には、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を使った長さ二十キュビトの刺繍した幕と、その四本の柱、その四個の台座とする。
27:17 庭の周囲の柱はみな、銀の帯輪を巻きつけ、その鉤は銀、台座は青銅とする。
27:18 この庭は、長さ百キュビト、幅は五十キュビトに五十キュビト、高さ五キュビト、幕は撚り糸で織った亜麻布、その台座は青銅とする。
27:19 幕屋の奉仕に用いるすべての用具、すべての釘、庭のすべての釘は青銅とする。”(新改訳)とありました。

 庭の掛け幕(幔幕、あげばり)は、亜麻布でした。
一般のイスラエル人は庭まで来ることが出来ましたが、入ることが出来たのは、儀式的に清浄な時だけでした。きよくない者は庭の外に留まっていなければなりませんでした。亜麻布(linen)は義を表しています。黙示録19:8に、「花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである〔for the fine linen is the righteousness of saints(KJV)〕。」(新共同訳)とあります。

 台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀でした。
青銅は裁きを、銀は贖いを表していました。

 庭の門には、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を使った長さ二十キュビトの刺繍した幕をかけました。
青は天(空)の色、紫は王の色、緋は贖いの色(キリストの血潮)、亜麻布は義を表していました。すなわち、イエス・キリストです。
イエス様は、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。/わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。」(ヨハネ10:7.9・新改訳)と語られました。
私たちが救われる為に、天(青)から来られ、義(白)の生涯を送られ、イスカリオテのユダに銀貨30枚で売られ(銀)、私たちの身代わりとなって裁きを受け(青銅)、贖いとなられた(緋色)お方こそひとり子の御子イエス・キリスト様です。イエス・キリスト様という門を通ってはいる者は救われるのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私は、「わたしは羊の門です。」のおことばがきっかけで救われた者です。
あなたの大庭に住むことを許されておりますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 3日 (木)

出エジプト38:1-8 青銅の祭壇と洗盤を作った

38:1またアカシヤ材で燔祭の〔全焼のいけにえのための(新改訳)、焼き尽くす献げ物の(新共同訳)〕祭壇を造った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。
38:2その四すみの上に、その一部とし、それの角を造り、青銅で祭壇をおおった。〔その祭壇の四隅にそれぞれ角を作って、祭壇から生えているようにし、全体を青銅で覆った。(新共同訳)〕
38:3また祭壇のもろもろの器〔祭具(新共同訳)、用具(新改訳)〕、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉叉〔肉刺し(新改訳)〕、火皿を造った。そのすべての器を青銅で造った。
38:4また祭壇のために、青銅の網細工の格子を造り、これを祭壇の出張りの下に取りつけて、祭壇の高さの半ばに達するようにした。〔次に、炉の半ばあたりに棧を張り、そこに青銅の格子を置きました。(リビングバイブル)〕
38:5また青銅の格子の四すみのために、環四つを鋳て、さおを通す所とした。〔四つの環を鋳造し、青銅の格子の四隅に付け、棒を通す所とした。(新共同訳)〕
38:6アカシヤ材で、そのさお〔かつぎ棒(リビングバイブル)〕を造り、青銅でこれをおおい、
38:7そのさおを祭壇の両側にある環に通して、それをかつぐようにした。祭壇は板をもって、空洞に造った。
38:8また洗盤と、その台を青銅で造った。すなわち会見の幕屋の入口で務をなす女たちの鏡をもって造った。〔天幕の入口で奉仕していた女たちが、青銅の鏡を寄付したので、それを使って青銅の洗い鉢とその台を作りました。(リビングバイブル)〕 ”(口語訳)

 この箇所は、モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から、青銅の祭壇と洗盤造るように命じられたことを実行したことが記されています。
この箇所について、モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から命じられた内容は、出エジプト27:1-8と30:18に、
“27:1 祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。
27:2 その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。
27:3 灰を取るつぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作る。祭壇の用具はみな、青銅で作らなければならない。
27:4 祭壇のために、青銅の網細工の格子を作り、その網の上の四隅に、青銅の環を四個作る。
27:5 その網を下方、祭壇の出張りの下に取りつけ、これを祭壇の高さの半ばに達するようにする。
27:6 祭壇のために、棒を、アカシヤ材の棒を作り、それらに青銅をかぶせる。
27:7 それらの棒は環に通されなければならない。祭壇がかつがれるとき、棒は祭壇の両側にある。
27:8 祭壇は中をからにして板で作らなければならない。山であなたに示されたところにしたがって、彼らはこれを作らなければならない。/
30:18 「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。”(新改訳)と記されていました。

 7/29の箇所(出エジプト36:31-38)で、青銅は、裁きと贖いを象徴するものであるということを記しました。
青銅の祭壇の上では、全焼のいけにえがささげられました。それは、第一義的には、人を贖うために全き献身をされた御子イエス・キリストを表していました。
罪のためのいけにえもささげられました。私たちのすべての罪を身代わりに負って十字架にかかられたイエス・キリスト様を表していました。バプテスマのヨハネは、イエス様を見て、「見よ。世の罪を取り除く神の子羊。」(ヨハネ1:29・新改訳)と言明しました。イエス様は身代わりに裁かれ、贖いを成し遂げられたのです。
またイエス様は、和解のいけにえとしてもささげられました。イエス様が、ご自身を主に捧げられ、贖いとなられたので、信じる者は、神との和解を得ることが出来たのです。そして、神様と交わることが出来るようになりました。
パウロは、ローマ5:1で、「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(新改訳)と述べ、
ローマ8:1では、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(新改訳)と述べ、
また使徒ヨハネは、「・・・だれでも、わたし〔主イエス(筆者挿入)〕の声を聞いて〔心の(筆者挿入)〕戸をあけるなら〔イエス・キリストを心にお迎えするならば(筆者挿入)〕、わたしは、彼〔イエス・キリストを信じた者(筆者挿入)〕のところ〔即ち心(筆者挿入)〕に入って、彼とともに食事〔親しい交わり(筆者挿入)〕をし、彼もわたしとともに食事をする。」(新改訳)と述べました。
これらの新約聖書の聖句には、イエス様が全焼のいけにえとなられ、罪のためのいけにえ、罪過(過失)のためのいけにえとなられたことと、その結果、私たちにもたらされた祝福が記されています。

 38:8には、「天幕の入口で奉仕していた女たちが、青銅の鏡を寄付したので、それを使って青銅の洗い鉢〔洗盤(口語訳)〕とその台を作りました。」(リビングバイブル)とあります。
「洗盤」の青銅は、天幕の入口で奉仕をしていた女性たちの、自ら進んでささげた青銅の鏡が、用いられたのです。今から約三千五百年くらい前のことです。青銅の鏡は価値高いものであったでしょう。それらをささげた女性たちがいたのです。ささげた後からは自分の顔や髪を見ることが出来なくなったでしょう。尤も、自分を見ることが出来ないことは、自分を他者と比べることが出来ないので幸いなことかも知れませんが。アダムとエバが罪を犯した結果、アダムとエバに自意識が芽生え、互いに異なる箇所を隠したのです。人間以外の動物は隠しません。

 庭の門の垂れ幕から庭に入ると、青銅の祭壇があり、その次に洗盤があり、その次に幕屋がありました。
洗盤はその中の水で体を洗うためのものでした。出エジプト30:18-20には、
“30:18 「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。
30:19 アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。
30:20 彼らが会見の天幕に入るときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。・・」(新改訳)とありました。
30:20をリビングバイブルは、「天幕に入り、わたしの前に立つ時、あるいは、わたしの前でいけにえを焼くために祭壇へ近づく時、その前に、いつも手足を洗わなければならない。さもなければ死ぬ。」と訳しています。
新約的に考えるとどのようになるのでしょうか。
先ず、罪のためのいけにえとなられたイエス様の贖いによって罪赦され、次に、①「水を浴びる」(新改訳)、水即ち御霊によって新しく生まれることを表わしていたのかも知れません。
他の推測としては、②「手と足を洗う」というところから、特に「足」から、イエス様が弟子たちの行われた「足の洗い」(ヨハネ13章)を思い出します。
①については、テトス3:5の「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。」(新共同訳)という聖句を思い起こします。
「新たに造りかえる洗い」は、ヨハネ3:3.6の「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。/霊から生まれたものは霊である。」(新共同訳)という聖句や、2コリント5:17の「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者〔新しく創造された者(新共同訳)〕です。」(新改訳)という聖句を思い浮かべます。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
イエス様の贖い、血による罪の赦しと聖め(聖別)、御霊からの霊の誕生を感謝します。
キリストの空中再臨の折には、体も永遠であり栄光の輝きを持った霊の体が与えられますから感謝します。
地上に置かれている間は、忠実に主のみ旨に従って歩ませていただけますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年8月 2日 (水)

出エジプト37:25-29 香壇と香油を作った

37:25またアカシヤ材で香の祭壇を造った。長さ一キュビト、幅一キュビトの四角にし、高さ二キュビトで、これにその一部として角をつけた。  
37:26そして、その頂〔上の面(新共同訳)〕、その周囲の側面、その角を純金でおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。
37:27また、その両側に、飾り縁の下に金の環二つを、そのために造った。すなわちその二つの側にこれを造った。これはそれをかつぐさおを通す所である。〔また、二個の金環を作り、それを金の飾り縁の下の両側に相対するように取り付け、担ぐための棒を差し入れる環とした。(新共同訳)〕
37:28そのさおはアカシヤ材で造り、金でこれをおおった。
37:29また香料を造るわざにしたがって、聖なる注ぎ油と純粋の香料の薫香とを造った。〔彼はまた、調合法にしたがい、聖なるそそぎの油と純粋なかおりの高い香を作った。(新改訳)〕”(口語訳)

 ここには、モーセがヤハウェ(主)から命じられた香壇と香油を作ったことが記されています。モーセがシナイ山でヤハウェ(主)から命じられた内容は、出エジプト30:1-5、23-25に、
“30:1 あなたは、香をたくために壇を作る。それは、アカシヤ材で作らなければならない。
30:2 長さ一キュビト、幅一キュビトの四角形で、その高さは二キュビトでなければならない。その一部として角をつける。
30:3 それに、上面と回りの側面と角を純金でかぶせる。その回りに、金の飾り縁を作る。
30:4 また、その壇のために、その飾り縁の下に、二つの金環を作らなければならない。相対する両側に作らなければならない。これらは、壇をかつぐ棒を通す所となる。
30:5 その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。/
30:23 「あなたは、最上の香料を取れ。液体の没薬五百シェケル、かおりの強い肉桂をその半分──二百五十シェケル──、におい菖蒲二百五十シェケル、
30:24 桂枝を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油一ヒン。
30:25 あなたはこれらをもって聖なるそそぎの油を、調合法にしたがって、混ぜ合わせの香油を作る。これが聖なるそそぎの油となる。”(新改訳)とありました。

 「香」は祈りを象徴しています。黙示録5:8、8:3.4には、
“5:8 彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。/
8:3 また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。
8:4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。”(新改訳)と記されています。
父なる神様が救いの計画を立てられましたが、イエス様は、御父のご計画に頷かれ、それを実行なさいました。イエス様は、
“10:5 ・・・「あなた〔御父(筆者挿入)〕は、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。
10:6 あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。
10:7 そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために。』」”(ヘブル10:5-7・新改訳)と祈られたのであろうと思います。そして、ヘブル10:10は、「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」(新改訳)と記されているのです。
そして、十字架にかかられる前の最後の晩餐の最後に、ヨハネ17章に記されてある次の祈りをされたのです。
“17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
17:2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
17:4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
17:6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。
17:7 いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。
17:8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
17:9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。
17:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
17:12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
17:13 わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。
17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。
17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。
17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
17:24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
17:26 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」”(新改訳)と祈られました。

 更にローマ8:34には、「・・・死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(新改訳)と、イエス様は今でもとりなしの祈りを続けておられることが記されています。
エクレシア{呼び出された者たち(教会)}は、キリストの体です(エペソ1:23)。キリストの体はすべてのキリスト者で構成されています。天においてキリストがとりなしの祈りをされ、地においては、キリストの体が御霊によってとりなしの祈りをするのです。エペソ6:18には、「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り〔in the Spirit(KJV)〕、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(口語訳)と記されています。一人のキリスト者はキリストの体の一部です。キリストの体は全世界を覆います。キリストの体は常に祈っているのです。この祈りは、天の父のもとにかぐわしい(香しい)香として上っていきます。御霊による祈りによって(キリストの内にある祈りによって)、御父は事を行っていかれるのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
主イエス・キリスト様のみ旨に従って祈る者であらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・
(1ヨハネ5:14)「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(新改訳)
(ヨハネ14:13.14)「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって〔in my name(KJV)、私の名の中で(筆者挿入)〕求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって〔in my name(KJV)、私の名の中で(筆者挿入)〕何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(新改訳)

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