レビ記

2018年4月29日 (日)

付記:レビ記26章にある祝福と呪いについて(キリストに在る者の幸い)

1.呪い
 ヤハウェ(主)がイスラエルを呪う場合の条件:律法を守らないこと
レビ2614.15には、「・・あなたがたがもしわたしに聞き従わず、またこのすべての戒めを守らずわたしの定めを軽んじ、心にわたしのおきてを忌みきらって、わたしのすべての戒めを守らず、わたしの契約を破るならば、」(口語訳)とあります。
 呪いの種類と重さの程度
 ①肺病、熱病、敵の略奪、敵の支配(一番軽い呪い)
16.17
節には、「あなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病をもって、あなたがたの目を見えなくし、命をやせ衰えさせるであろう。あなたがたが種をまいてもむだである。敵がそれを食べるであろう。わたしは顔をあなたがたにむけて攻め、あなたがたは敵の前に撃ちひしがれるであろう。またあなたがたの憎む者があなたがたを治めるであろう。あなたがたは追う者もないのに逃げるであろう。」(口語訳)とあります。
 ② ①の呪いを受けてもヤハウェ(主)に従わない場合:不作、飢饉(懲らしめは①のときよりも7倍激しくなる)
18-20
節には、「それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。わたしはあなたがたの誇とする力を〔自分の力に頼ろうとする思い上がりを(リビングバイブル)〕砕き、あなたがたの天を鉄のようにし〔全く雨が降らないこと(筆者挿入)〕、あなたがたの地を青銅のようにするであろう。あなたがたの力は、むだに費されるであろう。すなわち、地は産物をいださず、国のうちの木々は実を結ばないであろう。」(口語訳)とあります。
 ③ ①②の懲らしめにも拘らずヤハウェ(主)に従わない場合:野獣による懲らしめ(野獣は子供を食べ、家畜を食べる)②より7倍重い罰
21.22
節には、「もしあなたがたがわたしに逆らって歩み、わたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪に従って七倍の災をあなたがたに下すであろう。わたしはまた野獣をあなたがたのうちに送るであろう。それはあなたがたの子供を奪い、また家畜を滅ぼし、あなたがたの数を少なくするであろう。あなたがたの大路は荒れ果てるであろう。」(口語訳)とあります。
 ④ ①②③の懲らしめにも拘らずヤハウェ(主)に従わない場合:③より7倍重い災い。敵の侵略に対する敗北とそれに伴う飢え、疫病。
23-26
節には、「もしあなたがたがこれらの懲らしめを受けてもなお改めず、わたしに逆らって歩むならば、わたしもまたあなたがたに逆らって歩み、あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。わたしはあなたがたの上につるぎを臨ませ、違約の恨みを報いるであろう。あなたがたが町々に集まる時は、あなたがたのうちに疫病を送り、あなたがたは敵の手にわたされるであろう。わたしがあなたがたのつえとするパンを砕くとき、十人の女が一つのかまどでパンを焼き、それをはかりにかけてあなたがたに渡すであろう。あなたがたは食べても満たされないであろう。」(口語訳)とあります。
 ⑤ ①②③④の懲らしめにも拘らずヤハウェ(主)に従わない場合:④より7倍重い懲らしめ。敵に戦争を仕掛けられ、籠城、子供を食べる、敗北、捕囚、敵国においても恐怖がある。
27-33.36-39
節には、「それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わず、わたしに逆らって歩むならば、わたしもあなたがたに逆らい、怒りをもって歩み、あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。あなたがたは自分のむすこの肉を食べ、また自分の娘の肉を食べるであろう。わたしはあなたがたの高き所をこぼち、香の祭壇を倒し、偶像の死体の上に、あなたがたの死体を投げ捨てて、わたしは心にあなたがたを忌みきらうであろう。わたしはまたあなたがたの町々を荒れ地とし、あなたがたの聖所を荒らすであろう。またわたしはあなたがたのささげる香ばしいかおりをかがないであろう。わたしがその地を荒らすゆえ、そこに住むあなたがたの敵はそれを見て驚くであろう。わたしはあなたがたを国々の間に散らし、つるぎを抜いて、あなたがたの後を追うであろう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は荒れ地となるであろう。/またあなたがたのうちの残っている者の心に、敵の国でわたしは恐れをいだかせるであろう。彼らは木の葉の動く音にも驚いて逃げ、つるぎを避けて逃げる者のように逃げて、追う者もないのにころび倒れるであろう。彼らは追う者もないのに、つるぎをのがれる者のように折り重なって、つまずき倒れるであろう。あなたがたは敵の前に立つことができないであろう。あなたがたは国々のうちにあって滅びうせ、あなたがたの敵の地はあなたがたをのみつくすであろう。あなたがたのうちの残っている者は、あなたがたの敵の地で自分の罪のゆえにやせ衰え、また先祖たちの罪のゆえに彼らと同じようにやせ衰えるであろう。」とあります。
 なんとイスラエルは、これらの警告にもかかわらず、全ての呪いを受けたのでした。それは、士師記、列王記、歴代誌、エレミヤ書、哀歌etc.を読むとよく分かります。
 これらのことは、イスラエルに対するヤハウェ(主)の愛に基づくものでした。ヤハウェ(主)は義なるお方ですから、義に基づいてことを行いますが、同時に愛なるお方でありますから、全ての中に愛を見ることができます。

2.イスラエルの悔い改めと回復

26:40-4244.45には、「しかし、彼らがもし、自分の罪と、先祖たちの罪、すなわち、わたしに反逆し、またわたしに逆らって歩んだことを告白するならば、たといわたしが彼らに逆らって歩み、彼らを敵の国に引いて行っても、もし彼らの無割礼の心が砕かれ、あまんじて罪の罰を受けるならば、そのときわたしはヤコブと結んだ契約を思い起し、またイサクと結んだ契約およびアブラハムと結んだ契約を思い起し、またその地を思い起すであろう。/・・・わたしは彼らが敵の国におるとき、彼らを捨てず、また忌みきらわず、彼らを滅ぼし尽さず、彼らと結んだわたしの契約を破ることをしないであろう。わたしは彼らの神、主だからである。わたしは彼らの先祖たちと結んだ契約を彼らのために思い起すであろう。彼らはわたしがその神となるために国々の人の目の前で、エジプトの地から導き出した者である。わたしは主である。」(口語訳)とあります。


3.律法を守った場合の祝福:極めて豊な食料の供給、国の平和、心の平安、野獣の害もない、戦争になった場合には圧倒的な強さで勝利する、子孫繁栄、幕屋の建設、ヤハウェ(主)の民となる。
26
3-12節には、「もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。わたしはあなたがたを顧み、多くの子を獲させ、あなたがたを増し、あなたがたと結んだ契約を固めるであろう。あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、心にあなたがたを忌みきらわないであろう。わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう。」(口語訳)とあります。

4.キリスト者(新生した者)の場合
①キリスト者は御父に愛されています。
イエス様は、「父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。」(ヨハネ1627・新共同訳)と語られました。イエス・キリスト様を信じることができたのは御父によります(マタイ1617、エペソ14.51ペテロ12)。
②キリスト者に呪いは来ません。
キリストが私たちに代わって呪われた者となってくださったのです。
ガラテヤ313には、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。」(新改訳2017)とあります。
③私たちにも懲らしめは来ます。
それはさらなる祝福の為の愛のむちです。ヘブル124-13には、
12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。
12:5
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
12:8
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
12:9
さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10
なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
12:11
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
12:12
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
12:13
また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。”(新改訳第三版)と記されています。
④キリスト者は、祝福を受け継ぐために召されているのです(1ペテロ39)。
キリスト者は、天にあるすべての霊的祝福を受けたものなのです(エペソ13)。(時空間を超越していますが)
⑤キリスト者は、神の子どもであり(1ヨハネ31)、キリスト者の総体の教会はキリストの花嫁です(エペソ532、黙示録197.82コリント112)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたを愛し、あなたに常に信頼し、キリストに在って歩む者であり続けさせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月15日 (日)

レビ記27章 誓願のささげもの(付加:キリスト者の特権)

 「誓願のささげもの」の「誓願」{(ヘ)ネデル}とは、「その願いがかなった場合に何をささげるかを明言したうえで、神に願いをかけること」(岩波訳聖書注解)です。
現代でも、旧約時代の誓願のささげものとは異なりますが、同じ趣旨をもって願いの祈りを捧げる人はいます。
私は、この章に関して何かを書くことはやめます。その理由は、自分が、ある願いを主に願う場合に、「願いが叶ったら、これこれを捧げます。」という祈りをしないからです。勿論、日々願いの祈りをしますが、それがかなった場合には、感謝の祈りを献げたり、場合によっては感謝の献金をします。しかし、願いが叶わなくても、祈れることを感謝します。私は、ヤハウェ(主)が与えてくださった約束が余りにも大いなるものでありますから、与えてくださった約束を自分のものとして体験させていただくだけで大感謝です。主が約束してくださったおことばでも、信仰がそのレベルまで行かないために(信仰が与えられていないためにor信仰を受け取っていないために)実現していないみことばもあります。

 <キリスト者の特権>
 *神の子どもであること。
(ヨハネ1:12)「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(新改訳)
そのわけは、「霊〔御霊(新改訳)〕から生まれたものは霊である。」(ヨハネ3:6・口語訳、新共同訳)とあります。
ヨハネ3:6の内容は、ヨハネ1:13にも出てきます。
ヨハネ1:12.13の聖句を抜粋して記すと、「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、・・・、ただ、神によって〔(ギ)「エク」:~から{筆者挿入}〕生まれたのである。」(新改訳)となります。
ただし、キリストの空中再臨迄は、キリスト者の体は旧来のアダムからのものであり、地の塵(地球にある種々の原子)から造られたものです。ですから、神の子どもとして決して死ぬことはないと言われている(ヨハネ11:26)のは、現段階では、新生された「霊」について適用されます。肉体は、キリストの空中再臨の時に霊の体に変えられるからです(1テサロニケ4:16.17、1コリント15:52、コロサイ3:4)。ローマ8:19では、キリスト者が霊の体に変えられる時を「神の子たちの出現」(口語訳)と表現しています。
肉体の変貌は、聖霊がなさるのであろうと思います。ローマ8:11に、「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださる〔復活させてくださる(リビングバイブル)〕のです。」(新改訳)とありますから。
キリストの空中再臨の時まで地上の肉体をもって生き残っている人の場合は、「変えられる」のです。その前に肉体が死んだキリスト者(霊は生きています)は体を復活させてもらうのです(勿論霊の体としてです)。
 *キリストの花嫁であること
教会〔{(ギ)「エクレシア」=呼び出された者たち}:キリスト者の総体(筆者挿入)〕はキリストの花嫁です。パウロは、エペソ5:22-32において、キリストが花婿であり、教会が花嫁であることは奥義であると述べています。パウロは、「私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」(2コリント11:2・新改訳)とも述べています。
花婿であるキリストと花嫁である教会(エクレシア)の結婚式と披露宴は、キリストの地上再臨直前にもたれるようです(黙示録19:6-9)。しかし、現在、個々人のキリスト者において、新生されたキリスト者の霊においては、キリストと結ばれているのです(ローマ8:9、1コリント6:17)。即ち結婚状態です{参照(マタイ19:5.6)}。
 *キリストのうちにあるものを信仰によって引き出すことが出来ます。また、御心にかなう願いであればその願いは聞いていただけます(1ヨハネ5:19)
とはいってもその信仰が与えられればの話です。
コロサイ2:9.10には、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。」(新改訳)と記されています。
マルコ11:22-24には、「神を信じなさい〔KJV訳では「神の信仰を持ちなさい」〕。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(新改訳)というイエス様のおことばがあります。
また一方では、「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3・新改訳)というおことばもあります。
主が語ってくださったおことば(レーマ)は実現します。イザヤ55:11には、「わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の口から出るわたしのことばも(は)、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(新改訳)とあります。
私たちキリスト者に対しての約束はたくさんありますが、私自身の今日の時間配分の都合でここまでとします。
 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。あなたを「天のお父様」、「父よ」、「アッバ」(お父ちゃん、パパ)と呼べるようにしてくださいましたことを感謝します。
また、霊においては、イエス様と結ばれていますことを感謝します。
あなたは「全き愛」のお方です。その愛をもって私たち子供を愛してくださっておられますからありがとうございます。
たましいも、イエス様を信じさせて頂いたときに救われています(1ペテロ1:9)が、魂が更に造りかえられて、即ちきよめられて、思い、感情、意志があなたのみ旨と一致していくことが出来ますよう祝福してください。
地上に置かれている間も、神の子ども、キリストの花嫁としてふさわしい歩みをさせて頂くことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月14日 (土)

レビ26:40-46 決して見捨てない主なる神様

26:40しかし、彼らがもし、自分の罪と、先祖たちの罪、すなわち、わたしに反逆し、またわたしに逆らって歩んだことを告白するならば、
26:41たといわたしが彼らに逆らって歩み、彼らを敵の国に引いて行っても、もし彼らの無割礼の心が砕かれ、あまんじて罪の罰を受けるならば、
26:42そのときわたしはヤコブと結んだ契約を思い起し、またイサクと結んだ契約およびアブラハムと結んだ契約を思い起し、またその地を思い起すであろう。
26:43しかし、彼らが地を離れて地が荒れ果てている間、地はその安息を楽しむであろう。彼らはまた、あまんじて罪の罰を受けるであろう。彼らがわたしのおきてを軽んじ、心にわたしの定めを忌みきらったからである。
26:44それにもかかわらず、なおわたしは彼らが敵の国におるとき、彼らを捨てず、また忌みきらわず、彼らを滅ぼし尽さず、彼らと結んだわたしの契約を破ることをしないであろう。わたしは彼らの神、主だからである。
26:45わたしは彼らの先祖たちと結んだ契約を彼らのために思い起すであろう。彼らはわたしがその神となるために国々の人の目の前で、エジプトの地から導き出した者である。わたしは主である』」。
26:46これらは主が、シナイ山で、自分とイスラエルの人々との間に、モーセによって立てられた定めと、おきてと、律法である。”(口語訳)

 43節には、「しかし、彼らが地を離れて地が荒れ果てている間、地はその安息を楽しむであろう。・・」とあります。
33-35節には、
“26:33 わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる。
26:34 その地が荒れ果て、あなたがたが敵の国にいる間、そのとき、その地は休み、その安息の年を取り返す。
26:35 地が荒れ果てている間中、地は、あなたがたがそこの住まいに住んでいたとき、安息の年に休まなかったその休みを取る。”(新改訳)とありました。

南イスラエルは、バビロンに滅ぼされ、国土は荒らされ、バビロンに捕囚として連れていかれた者も多くいました。
昨日、次のように書きました。
「第五段階の懲らしめは、①極度の飢饉→②人心と国土の荒廃→③廃墟、更に、④捕囚→⑤捕囚された地での絶えざる恐怖感というものです。」
詳しい年数は分かりませんが、北イスラエルは、この書が書かれてから約700年位後に、ユダを中心とする南イスラエルは約800年位後に、最終段階の懲らしめを経験したのです(年数は極めて大雑把です)。

 2歴代誌36:11-21には、
“36:11 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。
36:12 彼はその神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目の前に悪を行い、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。
36:13 彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に立ち返らなかった。
36:14 そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮を汚した。
36:15 彼らの父祖の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。
36:16 ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。
36:17 そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。
36:18 彼は、神の宮のすべての大小の器具、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。
36:19 彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。
36:20 彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。
36:21 これは、エレミヤにより告げられた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。”(新改訳)とあります。

 21節に、「これは、エレミヤにより告げられた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが成就して」とありますが、それは、エレミヤ25:11に、「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」(新改訳)と預言されています。

 さて、「彼らが地を離れて地が荒れ果てている間、地はその安息を楽しむ」(レビ26:43)とありましたが、イスラエルの地は70年の安息を得たのでした。即ち、70回分の安息年を楽しんだのです。これはイスラエルが490年間、安息年を守らなかったということになります。

 44節には、「それにもかかわらず、彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだわたしの契約を破らない。わたしは彼らの神、主だからである。」(新共同訳)とあります。
イスラエルが反逆に反逆を重ね、予め、イスラエルに予告したように、次から次へと罰を与え、最後は捕囚にまでなったとしても、それでもなお、ヤハウェ(主)は、イスラエルを見捨てない、と明言しておられます。私は、主イエス様のおことばを思い起こします。それは、「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ6:37・新改訳)というおことばです。

 ヤハウェ(主)は、罪に罪を重ねたイスラエルに対し、イスラエルの民が、悔い改めて主に立ち返るならば、赦されるお方です。
40-42節には、「しかし、もし彼らが自分と自分の先祖の罪、すなわち、わたしを欺いて、反抗した罪を告白するならば、たとえわたしが彼らに立ち向かい、敵の国に連れ去っても、もし、彼らのかたくなな心が打ち砕かれ、罪の罰を心から受け入れるならば、そのとき、わたしはヤコブとのわたしの契約、イサクとのわたしの契約、更にはアブラハムとのわたしの契約を思い起こし、かの土地を思い起こす。」(新共同訳)と記されています。

 私たちキリスト者に対して使徒ヨハネは、「しかし、もし自らの罪を神様に告白するなら、神様はまちがいなくそれを赦し、すべての悪からきよめてくださいます。〔なぜなら、キリスト様は、私たちの罪を帳消しにするために、死んでくださったからです。〕」(1ヨハネ1:9・リビングバイブル)と記しています。(〔 〕内はリビングバイブルの挿入です。)
また、箴言28:13には、「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」(新改訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのお心を痛めないように、あなたのみ旨に従って歩み続けることが出来ますように。
それを可能としてくださる御霊を与えられているのですから、いつも御霊に満たされ導かれて歩むことを得させてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月13日 (金)

レビ26:21-39 不服従に対する懲らしめ2

 懲らしめの第三段階
“26:21 また、もしあなたがたが、わたしに反抗して歩み、わたしに聞こうとしないなら、わたしはさらにあなたがたの罪によって、七倍も激しくあなたがたを打ちたたく。
26:22 わたしはまた、あなたがたのうちに野の獣を放つ。それらはあなたがたから子を奪い、あなたがたの家畜を絶えさせ、あなたがたの人口を減らす。こうしてあなたがたの道は荒れ果てる。”(新改訳)

 第三段階の懲らしめは、相当に悲惨です。子供は殺され、家畜は絶える、とあるのですから。
 
 新約的に考えた時、獣を教会を荒らすもの、と捉えると、パウロの言葉が思い浮かびます。
使徒20:28-32には、
“20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
20:30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
20:31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。
20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。”(新改訳)というパウロの預言のことばがあります。

 懲らしめの第四段階
“26:23 もし、あなたがたがこれらのわたしの懲らしめを受け入れず、わたしに反抗して歩むなら、
26:24 わたしもまた、あなたがたに反抗して歩もう。わたしはまた、あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを打とう。
26:25 わたしはあなたがたの上に剣を臨ませ、契約の復讐を果たさせよう。またあなたがたが自分たちの町々に集まるとき、わたしは、あなたがたの間に疫病を送り込む。あなたがたは敵の手に落ちる。
26:26 わたしが、あなたがたのパンのための棒を折るとき、十人の女が一つのかまであなたがたのパンを焼き、はかりにかけて、あなたがたのパンを返す。あなたがたは食べても、満ち足りない。〔わたしがあなたたちのパンの備えを砕くときには、十人の女たちがパンを焼くにもわずか一つのかまどで足りるほどになる。焼いたパンは量って配り、あなたたちは食べても満腹することはない。(新共同訳)〕”(新改訳)

第四段階の懲らしめは、①剣(敵国の侵略)、②飢饉、③疫病です。

 懲らしめの第五段階
“26:27 これにもかかわらず、なおもあなたがたが、わたしに聞かず、わたしに反抗して歩むなら、
26:28 わたしは怒ってあなたがたに反抗して歩み、またわたしはあなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを懲らしめよう。
26:29 あなたがたは自分たちの息子の肉を食べ、自分たちの娘の肉を食べる。
26:30 わたしはあなたがたの高き所をこぼち、香の台を切り倒し、偶像の死体の上に、あなたがたの死体を積み上げる。わたしはあなたがたを忌みきらう。
26:31 わたしはあなたがたの町々を廃墟とし、あなたがたの聖所を荒れ果てさせる。わたしはあなたがたのなだめのかおりもかがないであろう。
26:32 わたしはその地を荒れ果てさせ、そこに住むあなたがたの敵はそこで色を失う。
26:33 わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる。
26:34 その地が荒れ果て、あなたがたが敵の国にいる間、そのとき、その地は休み、その安息の年を取り返す。
26:35 地が荒れ果てている間中、地は、あなたがたがそこの住まいに住んでいたとき、安息の年に休まなかったその休みを取る。
26:36 あなたがたのうちで生き残る者にも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかける者もいないのに倒れる。
26:37 追いかける者もいないのに、剣からのがれるように折り重なって、つまずき倒れる。あなたがたは敵の前に立つこともできない。
26:38 あなたがたは国々の間で滅び、あなたがたの敵の地はあなたがたを食い尽くす。
26:39 あなたがたのうちで生き残る者も、あなたがたの敵の地で自分の咎のために朽ち果てる。さらに、その先祖たちの咎のために朽ち果てる。”(新改訳)

 第五段階の懲らしめは、①極度の飢饉→②人心と国土の荒廃→③廃墟、更に、④捕囚→⑤捕囚された地での絶えざる恐怖感というものです。それでも悔い改めなければ、自分の咎のために朽ち果てるのです。
これらのことは実際に起こってしまいました。2列王記17章以下を終わりまで読むことをお勧めします。

しかし、ヤハウェ(主)は、民が、悔い改めるとき回復させてくださいます。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたを愛し、喜びをもって、あなたに従う者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月12日 (木)

レビ26:14-20 不服従に対する懲らしめ1

26:14しかし、あなたがたがもしわたしに聞き従わず、またこのすべての戒めを守らず、
26:15わたしの定めを軽んじ、心にわたしのおきてを忌みきらって、わたしのすべての戒めを守らず、わたしの契約を破るならば、
26:16わたしはあなたがたにこのようにするであろう。すなわち、あなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病をもって、あなたがたの目を見えなくし、命をやせ衰えさせるであろう。あなたがたが種をまいてもむだである。敵がそれを食べるであろう。
26:17
わたしは顔をあなたがたにむけて攻め、あなたがたは敵の前に撃ちひしがれるであろう。またあなたがたの憎む者があなたがたを治めるであろう。あなたがたは追う者もないのに逃げるであろう。
26:18それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。
26:19わたしはあなたがたの誇とする力を砕き、あなたがたの天を鉄のようにし、あなたがたの地を青銅のようにするであろう。
26:20あなたがたの力は、むだに費されるであろう。すなわち、地は産物をいださず、国のうちの木々は実を結ばないであろう。”(口語訳)

 ヤハウェ(主)なる神様は、イスラエルを愛しています。
主は、私たちキリスト者に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4・新改訳)と語られますが、このおことばは、最初、ヤコブ(イスラエル)に向けて語られたおことばです。
イザヤ43:1-4aには、
“43:1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだわたしはあなたの名を呼んだあなたはわたしのもの
43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。”(新改訳)とあります。

 ヤハウェ(主)は、愛しているからこそ、悪の道に走った時には、懲らしめを与えるのです。子供を持っている親ならばよくわかると思います。愛していないならば、放っておけばよいのです。ヘブル12:5-11には、
“12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実〔義という平和に満ちた実(新共同訳)〕を結ばせます。”(新改訳)とあります。

 懲らしめの前に、主なる神様は、私たちに様々な手段を用いて警告を与えてくださいます。その時に悔い改めていれば、懲らしめは来ません。レビ記26章では、懲らしめは五段階になっています。
第一段階は、レビ26:14-17に、
“26:14 もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらの命令をすべて行わないなら、
26:15 また、わたしのおきてを拒み、あなたがた自身がわたしの定めを忌みきらって、わたしの命令をすべて行わず、わたしの契約を破るなら、
26:16 わたしもまた、あなたがたに次のことを行おう。すなわち、わたしはあなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病で目を衰えさせ、心をすり減らさせる。あなたがたは、種を蒔いてもむだになる。あなたがたの敵がそれを食べる。
26:17 わたしは、あなたがたからわたしの顔をそむける。あなたがたは自分の敵に打ち負かされ、あなたがたを憎む者があなたがたを踏みつける。だれも追いかけて来ないのに、あなたがたは逃げる。”(新改訳)と記されています。

 第一段階では、①恐怖と、②病気と、③敵国の侵略、④被害妄想です(16.17)。
これらの警告はイスラエルの上に実現しました。士師記を読むと①③④の状況がよく分かります。しかし、ヤハウェ(主)に立ち返ると、ヤハウェ(主)は赦して下さり、祝福してくださったのです。

 第一段階の懲らしめを私たちキリスト者に当てはめてみると、主に信頼しないorみことばを信じない故に、恐怖や被害妄想に陥り、魂が病んだり、サタンやその配下の者たちから侵略される、ということになるでしょうか。
解決策は、主に信頼することです。
イザヤ26:3.4には、「神様を信頼し、いつも神様のことに思いをはせる者を、神様は何の心配もないように守ってくださいます。どんな時でも、神様である主に信頼しなさい。いつまでも尽きない力がいただけるのは、主からだけです。」(リビングバイブル)と記されてます。

 次に第二段階の懲らしめは、18-20節に、
“26:18 もし、これらのことの後でも、あなたがたがわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して七倍も重く懲らしめる。
26:19 わたしはさらに、あなたがたの力を頼む高慢を打ち砕き、あなたがたの天を鉄のように、あなたがたの地を青銅のようにする。
26:20 あなたがたの力はむだに費やされる。あなたがたの地はその産物を出さず、地の木々もその実を結ばないであろう。”(新改訳)と記されています。
 
 第二段階の懲らしめでは、飢饉がもたらされるのです。
イスラエルは何度も飢饉に見舞われました。聖書の中の歴史書を読むと分かります。
解決策は、19節にあります。即ち、ヤハウェ(主)なる神様の御前にへりくだり、主の命じられたおことばに従って生活することです。
箴言16:18.20には、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」(新改訳)と記されています。

 私たちキリスト者に当てはめるとどうなるのでしょうか。
主に対してへりくだっていないと、霊の食物を食べることが出来ないので、霊がやせ細り、魂は肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢に心を奪われてしまうでしょう。こうなるとサタンの餌食になりやすくなります。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いつもあなたを見上げ、あなたのみ旨の内を歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月11日 (水)

レビ26:1-13 ヤハウェ(主)なる神に従うことの祝福

26:1あなたがたは自分のために、偶像を造ってはならない。また刻んだ像も石の柱も立ててはならない。またあなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしはあなたがたの神、主だからである。
26:2あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。
26:3もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、
26:4
わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。
26:5あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。
26:6わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。
26:7あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。
26:8あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。
26:9わたしはあなたがたを顧み、多くの子を獲させ、あなたがたを増し、あなたがたと結んだ契約を固めるであろう。
26:10あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。
26:11わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、心にあなたがたを忌みきらわないであろう。
26:12
わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう。
26:13わたしはあなたがたの神、主であって、あなたがたをエジプトの国から導き出して、奴隷の身分から解き放った者である。わたしはあなたがたのくびきの横木を砕いて、まっすぐに立って歩けるようにしたのである。”(口語訳)

 ヤハウェ(主)のみを神としヤハウェ(主)の教えを守るならば(1-3)、①食糧豊穣(4.5.10)、②国家安寧(6)、③ヤハウェ(主)による軍事強国(6-8)、④子孫繁栄(9)、⑤ヤハウェ(主)の臨在の約束を、ヤハウェ(主)はイスラエルに与えました。
 
 これを教会(キリスト者の総体)や個々人のキリスト者に当てはめて(キリスト者用に当てはめて)考えてみると、イエス様を愛し、イエス様に全き信頼を置き、み旨の内を歩むならば、①主のおことば(レーマ)や霊的真理を豊かに与えられ、②心は平安に満ち、③敵であるサタンやその配下の者たちが襲ってきても主の御名により追い散らし、④多くの救われる魂が与えられ(これは遣わされた場所により違う場合もあります)、⑤いつも主との豊かな交わり持たせていただきつつ歩むことが出来る、ということになるでしょうか。
加えて記せば、物質的なものは、必要に応じて与えられると主は約束してくれています(キリスト者に対しては必要以上に与えるとは約束されていません)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたを愛し、あなたに信頼し、あなたのみ旨を歩み続ける者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン 

2017年10月10日 (火)

レビ25:23-55 ヨベルの年2

25:23地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。
25:24あなたがたの所有としたどのような土地でも、その土地の買いもどしに応じなければならない。
25:25あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。
25:26たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、
25:27それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。
25:28しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。”(口語訳)

 この箇所は、
①土地の売買について
②土地の買い戻しについて
③貧しくなって土地を売り、ヨベルの年までに買い戻すことが出来なかった場合でも、ヨベルの年には、ヤハウェ(主)からその人に与えられた所有地に、帰ることが出来ることについて
記されています。

 23節から、全地の所有者はヤハウェ(主)なる神であることが分かります。ヤハウェ(主)に地代を納める必要はありませんが、土地の貸主はヤハウェ(主)であり、人は借主です。
土地を売買するのは借主同士の間のことです。土地の値段は、レビ25:15.16に、「ヨベルの後の年数にしたがって、あなたの隣人から買い、収穫年数にしたがって、相手もあなたに売らなければならない。年数が多ければ、それに応じて、あなたはその買い値を増し、年数が少なければ、それに応じて、その買い値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは収穫の回数だからである。」(新改訳)と命じられていたように、作物の収穫回数によって決まりました。ですから、「それを買い戻す余裕ができたなら、売ってからの年数を計算し、なお残る分を買い主に返し、自分の所有地に帰る。」(26.27・新改訳)ということになります。
土地のバブルも起こらないし、大地主も発生しない機構になっていました。

 25節には、「あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。」とあります。
この聖句で思い出されるのは、ルツ記です。必要な個所を全部記すと量が多いので、ルツ3:9のみを次に記します。
“彼〔ボアズ(筆者挿入)〕は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」”(新改訳)とあります。

“25:29 もし、城壁で囲まれた町の中の家屋を売った場合、その人はその年の終わりまでは、それを買い戻す権利を持つ。この権利はその期間だけのものである。
25:30 もし、それが一年未満に買い戻されなければ、城壁で囲まれた町の中の家屋を買い戻す権利は放棄され、それは買った人とその子孫のものとなり、ヨベルの年になっても手放す必要はない。
25:31 しかし、城壁で囲まれていない村の家屋は畑地と見なされるので、買い戻す権利が続き、ヨベルの年には手放されねばならない。
25:32 レビ人の町、すなわち彼らの所有する町の家屋については、レビ人はいつでも買い戻す権利を保有する。
25:33 レビ人が別のレビ人から家屋を買い戻す場合も、ヨベルの年にはその家を立ち去って、もとのレビ人の所有に戻る。レビ人の町の家屋はイスラエルの人々の中にあって、レビ人の所有物だからである。
25:34 彼らの町の領域内にある牧草地は売ることができない。それは彼らの永久の所有物だからである。”(新共同訳)

 この箇所は家屋の売買についての規定が記されています。
①城壁で囲まれた町の中の家屋の売買について(29.30)
②村落の家の場合(31)
③レビ人の家の場合(32.33)
④レビ人の放牧地の場合(34)・・売ることが出来ない

 ヤハウェ(主)なる神様が、これらの命令を発してから、大分年代が下り、預言者イザヤの時代には、下記のような状態になっていました。
「ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。」(イザヤ5:8・新改訳)とあります。

“25:35 もし、あなたの兄弟が貧しくなり、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、あなたは彼を在住異国人として扶養し、あなたのもとで彼が生活できるようにしなさい。
25:36 彼から利息も利得も取らないようにしなさい。あなたの神を恐れなさい。そうすればあなたの兄弟があなたのもとで生活できるようになる。
25:37 あなたは彼に金を貸して利息を取ってはならない。また食物を与えて利得を得てはならない。
25:38 わたしはあなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である。わたしはあなたがたにカナンの地を与え、あなたがたの神となるためにあなたがたをエジプトの地から連れ出したのである。”(新改訳)

 この箇所は、兄弟の暮らしが成り立たないほどに貧しくなった場合の対応(扶養と無利息融資)について記されています。現代の日本には、生活保護制度がありますが、これが記された時代にはありませんでしたから。

“25:39 もし同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。
25:40 雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年まであなたのもとで働かせよ。
25:41 その時が来れば、その人もその子供も、あなたのもとを離れて、家族のもとに帰り、先祖伝来の所有地の返却を受けることができる。
25:42 エジプトの国からわたしが導き出した者は皆、わたしの奴隷である。彼らは奴隷として売られてはならない。
25:43 あなたは彼らを過酷に踏みにじってはならない。あなたの神を畏れなさい。”(新共同訳)
 この箇所は、貧しくなって食べていけなくなったイスラエル人が、同じイスラエル人に身売り(奴隷となること)した場合の対処について記しています。
42節には、「エジプトの国からわたしが導き出した者は皆、わたしの奴隷である」とあり、すべてのイスラエル人のまことの主人は、ヤハウェ(主)なる神であるとあります。

初代教会時代には、まだ奴隷制が残っていました。パウロはエペソ人への手紙で、
“6:5 奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
6:6 人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、
6:7 人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。
6:8 良いことを行えば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。
6:9 主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。おどすことはやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。”(新改訳)と述べています。

“25:44 あなたのものとなる男女の奴隷は、あなたがたの周囲の国々から男女の奴隷を買い取るのでなければならない。
25:45 または、あなたがたのところに居留している異国人の子どもたちのうちから、あるいは、あなたがたの間にいる彼らの家族で、あなたがたの国で生まれた者のうちから買い取ることができる。このような者はあなたがたの所有にできる。
25:46 あなたがたは、彼らを後の子孫にゆずりとして与え、永遠の所有として受け継がせることができる。このような者は奴隷とすることができる。しかし、あなたがたの兄弟であるイスラエル人は互いに酷使し合ってはならない。”(新改訳)

 この箇所は、①外国人奴隷については、財産とみなすことが出来ること、
②イスラエル人は、互いに兄弟であるから、酷使し合ってはならないこと、
について記しています。

“25:47 もしあなたのところの在住異国人の暮らし向きが良くなり、その人のところにいるあなたの兄弟が貧しくなって、あなたのところの在住異国人に、あるいはその異国人の氏族の子孫に、彼が身を売ったときは、
25:48 彼が身を売ったあとでも、彼には買い戻される権利がある。彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。
25:49 あるいは、彼のおじとか、おじの息子が買い戻すことができる。あるいは、彼の一族の近親者のひとりが買い戻すことができる。あるいはもし、彼の暮らし向きが良くなれば、自分で自分自身を買い戻すことができる。
25:50 彼は買い主と、自分が身を売った年からヨベルの年までを計算し、彼の身代金をその年数に応じて決める。それは雇い人の場合の期間と同じである。
25:51 もし、まだ多くの年数が残っているなら、それに応じて自分が買われた金額のうちの自分の買い戻し金を払い戻さなければならない。
25:52 もしヨベルの年までわずかの年数しか残っていないなら、彼はそのように計算し、その年数に応じてその買い戻し金を払い戻さなければならない。
25:53 彼は年ごとに雇われる者のように扱われなければならない。あなたの目の前で、その人は彼を酷使してはならない。
25:54 たとい、彼がこれらの方法によって買い戻されなかったとしても、ヨベルの年には、彼はその子どもといっしょに出て行くことができる。
25:55 わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である。”(新改訳)

 この箇所は、貧しくなって食べていけなくなったイスラエル人が在住異国人に身売りした場合の取り扱いについて記しています。

 話が横道にそれますが、
54.55節を読んで、1コリント5:5の「このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。」(新改訳)という聖句を思い起こしました。
1コリント5:5の聖句の背景にあるのは、イエス様を信じて、サタンの支配から神の支配へと移され、新しく誕生させて頂いた霊を持っているのに、またサタンの奴隷、罪の奴隷となってしまった人です。サタンの奴隷となってしまった、とはいってもイエス様を受け入れて、神の子どもとしての霊の誕生をした者です。その者を、ヤハウェ(主)なる神は、見捨てない、というのです。恐らくこの人は、死に臨んで、悔い改めの心が与えられて(2テモテ2:25)悔い改めたのではないかと想像します。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
ヨベルというと、新天新地を思いうかべます。
時間的にはまだまだ先のことですが、私たちは、新天新地の大きな大きな立方体の新エルサレム(都)でヤハウェ(主)なる神と共に永遠を過ごせることが出来ますことを感謝します。
今は今で主に導かれて、1日1日を喜びと感謝をもって過ごしていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月 9日 (月)

レビ25:8-17.23 ヨベルの年1

25:8あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である。
25:9七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。
25:10その五十年目を聖別して、国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年であって、あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、おのおのその家族に帰らなければならない。
25:11
その五十年目はあなたがたにはヨベルの年である。種をまいてはならない。また自然に生えたものは刈り取ってはならない。手入れをしないで結んだぶどうの実は摘んではならない。
25:12この年はヨベルの年であって、あなたがたに聖であるからである。あなたがたは畑に自然にできた物を食べなければならない。
25:13このヨベルの年には、おのおのその所有の地に帰らなければならない。
25:14あなたの隣人に物を売り、また隣人から物を買うときは、互に欺いてはならない。
25:15ヨベルの後の年の数にしたがって、あなたは隣人から買い、彼もまた畑の産物の年数にしたがって、あなたに売らなければならない。
25:16
年の数の多い時は、その値を増し、年の数の少ない時は、値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは産物の数だからである。
25:17あなたがたは互に欺いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしはあなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である。
25:23地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。”(口語訳)

 この箇所はヨベルの年について記されている箇所です。
「安息の年を七たび」(8)、即ち50年目がヨベルの年となりました。

 9節に、「七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。」とあります。
この聖句に記されている「ラッパ」は、ショファール(雄羊の角、角笛)というヘブル語ですが、日本語でヨベル(10)と表記する(ヘ)ヨーベールは、①ヨベル、②雄羊の角の音、③ラッパの合図等の意があるようです。
ヨベルの年は解放の年です。
ヤハウェ(主)が、解放を宣言できるのは、人も土地もヤハウェ(主)のものだからです。
23節には、ヤハウェ(主)が「土地はわたしのもの」(新共同訳)と述べています。

 13節を新共同訳は、「ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける。」と訳しています。
貧しくなって土地の所有権を売った場合でも、ヨベルの年には返してもらえました。買主は、土地を買うのではなく、一定期間の所有権を買うのです。土地の所有者はヤハウェ(主)ですから。ヤハウェ(主)が各人に土地を割り当てたのです。

14-17節を新共同訳は、
“25:14 あなたたちが人と土地を売買するときは、互いに損害を与えてはならない。
25:15 あなたはヨベル以来の年数を数えて人から買う。すなわち、その人は残る収穫年数に従ってあなたに売る。
25:16 その年数が多ければそれだけ価格は高くなり、少なければそれだけ安くなる。その人は収穫できる年数によってあなたに売るのである。
25:17 相手に損害を与えてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしはあなたたちの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕だからである。”と訳しています。

 「ヨベルの年」が予表していた実体(本体)は何であったのでしょうか。
いくつかのことを思いつきます。
 ①サタンからの解放
ルカの福音書に、
“4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
4:20 イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」”(新改訳)と記されています。
イエス様の十字架と復活の故に、イエス様を信じる人は罪赦されるだけではなく、義とされ{(2コリント5:21)「神の義を得る」(新共同訳)}、霊が新しく生まれ(ヨハネ3:3.6)、魂の救いを得た(1ペテロ1:9)のです。
肉体はまだ古いままですが、魂は暗闇から光へ、サタンの支配から神の支配へと解放されたのです。
 ②肉の体からの解放(キリスト者の場合)
 ⓐキリスト者は、肉体の死をもって肉体の束縛から解放されます。
 ⓑキリストの空中再臨時に地上にいるキリスト者は、一瞬にして肉の体から霊の体に変えられ、この世の肉体の束縛から解放されます。この時、天に帰っていたキリスト者の霊も霊の体を与えられます(1テサロニケ4:13-17)。この時、神の子どもでありキリストの花嫁であるキリスト者は、霊のみならず体も永遠のものとなったのです。
 ③キリストの地上再臨時に生き残り、地上におけるキリストの裁きの座において、羊グループに分けられた人は、サタンの支配から解放され、キリストが支配する千年王国に入れられます(マタイ25:31-46)。ただし体は、霊の体ではなく肉の体です。キリストの地上再臨前と同じ状態でキリストの千年王国に入っていくのです。
 ④新天新地における完全解放
キリストの千年王国の終わりに、囚われていたサタンが解放されます。その時、非常に多くの者たちがキリスト様への恩も忘れ、サタンに従い、裁きにあいます(黙示録20:7-9)。しかし、いのちの書に名の記されているものは新天新地へと入れられるのです。新天新地は完全なる解放です。

 キリストの内にない人の多くは、完全解放という言葉を聞くと、自分勝手に何でもできる、と思ってしまうと思いますが、キリストを信じていない人は新天新地には入れていないのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは将来のことも隠さずに教えてくださっておられますから感謝します。
将来与えられる栄光を待ち望みつつ、今日も聖霊に満たされ導かれて歩む一日でありますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月 8日 (日)

レビ記25:1-7、18-22 安息年もヨベルの年も食物は備えられる

25:1主はシナイ山で、モーセに言われた、
25:2「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが与える地に、あなたがたがはいったときは、その地にも、主に向かって安息を守らせなければならない。
25:3六年の間あなたは畑に種をまき、また六年の間ぶどう畑の枝を刈り込み、その実を集めることができる。
25:4しかし、七年目には、地に全き休みの安息を与えなければならない。これは、主に向かって守る安息である。あなたは畑に種をまいてはならない。また、ぶどう畑の枝を刈り込んではならない。
25:5あなたの穀物の自然に生えたものは刈り取ってはならない。また、あなたのぶどうの枝の手入れをしないで結んだ実は摘んではならない。これは地のために全き休みの年だからである。
25:6安息の年の地の産物は、あなたがたの食物となるであろう。すなわち、あなたと、男女の奴隷と、雇人と、あなたの所に宿っている他国人と、
25:7あなたの家畜と、あなたの国のうちの獣とのために、その産物はみな、食物となるであろう。
25:18あなたがたはわたしの定めを行い、またわたしのおきてを守って、これを行わなければならない。そうすれば、あなたがたは安らかにその地に住むことができるであろう。
25:19
地はその実を結び、あなたがたは飽きるまでそれを食べ、安らかにそこに住むことができるであろう。
25:20「七年目に種をまくことができず、また産物を集めることができないならば、わたしたちは何を食べようか」とあなたがたは言うのか。
25:21わたしは命じて六年目に、あなたがたに祝福をくだし、三か年分の産物を実らせるであろう。
25:22あなたがたは八年目に種をまく時には、なお古い産物を食べているであろう。九年目にその産物のできるまで、あなたがたは古いものを食べることができるであろう。”(口語訳)

 約束の地カナンに入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい、とヤハウェ(主)は命じました(2)。どのように土地に安息を与えるのかというと、7年目ごとであると教えられています。

 7日目は主の安息であり(申命記5:14)、人に、聖なる日として、安息日を守るように命じられました(申命記5:12)。申命記には、
“5:12 安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が命じられたとおりに。
5:13 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
5:14 しかし七日目は、あなたの神、〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も──そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。
5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。”(新改訳)と記されています。
一週の内6日間働き、7日目は仕事をせず、聖なる日として安息日を守るのです。
 年単位の場合は、6年間働き、7年目は、土地に安息を与えるのです。
 レビ25:2-5には、
“25:2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい
25:3 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、
25:4 七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。
25:5 休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。土地に全き安息を与えねばならない。”(新共同訳)と記されています。

 安息日も安息年も主のためのものであり、人も土地も、主の安息にあずからせていただくのです。これは、守れ、と命じられていますが、大いなる恵みです。この安息もキリストの一面を表していました。即ち予表です。イエス様を信じさせて頂き、新生させてもらい、新しい霊の内にイエス様が住んでくださり、平安が訪れたのです。魂(思い、意志、感情)が主の支配に全く服せば、その人の霊と魂は平安に満たされるのです。イエス様が、「・・。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。・・。」(ヨハネ14:27・新改訳)と語られたことの成就です。私たちがこの地上を歩むとき、環境に左右されることの無い平安です。

 安息年は何を予表しているのでしょうか。
安息年は、この世が終わった後の、キリストの千年王国を予表しているのだと思います。
千年の間、戦争は無くなり、平和が保たれるのです(黙示録20:1-10)。
イザヤ2:4に、「神様〔キリスト(筆者挿入)、{黙示録19:11-21、12:5を参照}〕が国家間の紛争を解決するのです。世界中で、武器を平和の道具に作り直します。その時になってはじめて、いっさいの戦争は終わりを告げ、いっさいの軍事訓練が不要になるのです。」(リビングバイブル)と記されていることが実現するのです。

 出エジプトしたイスラエルの民は、マナを食べました。安息日にはマナは降りませんでした。しかし、ヤハウェ(主)は、前日に二倍量を用意されたのでした。出エジプト記には、
“16:4 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パン〔後にマナと呼ばれる(筆者挿入)〕が天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。
16:5 六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」”(新改訳)と記されています。

 さて、安息年やヨベルの年で種を蒔かず農作業をしなかった間はどのようになるのでしょうか。
心配しないでよいように、収穫しない年の分も備えて下さるのです。安息年の時は前年に2年分、安息年の後にヨベルの年が続くときには安息年の前年に3年分の収穫を与えてくださるのです。
“25:20 あなたがたが、『もし、種を蒔かず、また収穫も集めないのなら、私たちは七年目に何を食べればよいのか』と言うなら、
25:21 わたしは、六年目に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。
25:22 あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、古い収穫をなお食べていよう。九年目まで、その収穫があるまで、なお古いものを食べることができる。”(新改訳)と約束してくださいました。

 イスラエルの歴史を聖書で読むと、安息年は守られたときもありましたが、守られないときも多かったようです。ユダがバビロンに捕囚となるまでの間に、恐らく490年間安息年を守らなかったのでしょう。
2歴代誌36:21に、「これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。」(新改訳)と記されています。これを理解するには、レビ26:34.35の「その地が荒れ果て、あなたがたが敵の国にいる間、そのとき、その地は休み、その安息の年を取り返す。地が荒れ果てている間中、地は、あなたがたがそこの住まいに住んでいたとき、安息の年に休まなかったその休みを取る。」(新改訳)という聖句が参考になります。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
働くべき時は働き、あなたの御前に静まるべきときは静まることの大切さを覚えます。
私たちキリスト者は、恵みによって、あなたにすべてを委ねるとき、心に安息が与えられますから感謝します。
これもまたすべて恵みであることを覚え感謝します。
あなたの内に安らいで歩み続ける生涯であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2017年10月 7日 (土)

レビ記24章 燭台、聖なるパン、聖なる御名の冒瀆

24:1主はまたモーセに言われた、
24:2「イスラエルの人々に命じて、オリブを砕いて採った純粋の油を、ともしびのためにあなたの所へ持ってこさせ、絶えずともしびをともさせなさい。
24:3すなわち、アロンは会見の幕屋のうちのあかしの垂幕の外で、夕から朝まで絶えず、そのともしびを主の前に整えなければならない。これはあなたがたが代々ながく守るべき定めである。
24:4彼は純金の燭台の上に、そのともしびを絶えず主の前に整えなければならない。”(口語訳)

 新約的にはどう考えたらよいのでしょうか。
3.4節より、絶えず光を輝かしておく必要があることを教えられます。
イエス様は、「あなたがたは、世界の光です。・・。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:14-16・新改訳)と語られました。

 ともしびを灯し続ける為には「純粋な油」(2)が必要であることが分かります。「純粋な油」は聖霊を表しています(ゼカリヤ4:2-6)。
パウロは、ローマ12:11に、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」(新改訳)と記しました。

24:5あなたは麦粉を取り、それで十二個の菓子を焼かなければならない。菓子一個に麦粉十分の二エパを用いなければならない。
24:6そしてそれを主の前の純金の机の上に、ひと重ね六個ずつ、ふた重ねにして置かなければならない。
24:7あなたはまた、おのおのの重ねの上に、純粋の乳香を置いて、そのパンの記念の分とし、主にささげて火祭としなければならない。
24:8安息日ごとに絶えず、これを主の前に整えなければならない。これはイスラエルの人々のささぐべきものであって、永遠の契約である。
24:9これはアロンとその子たちに帰する。彼らはこれを聖なる所で食べなければならない。これはいと聖なる物であって、主の火祭のうち彼に帰すべき永久の分である」。”(口語訳)

 新約的にはどのように考えたらよいのでしょうか。
ヤハウェ(主)に捧げられた聖なるパンは復活のキリストを表します。

 イエス・キリスト様は、「神のことば」(黙示録19:13)であり、まことの食物であり(ヨハネ6:50.51)、「命を与える霊」(15:45・新共同訳・口語訳)なのです。
9節には。「彼らはこれを聖なる所で食べなければならない」とありますから、私たちは主なる神の臨在のもとでみことばを頂くのです。「真理の御霊」(ヨハネ14:17)なしに正しく理解することは出来ません。有難いことに、御霊はキリスト者の霊の内に常住されているのです。主なる神様の私たちに対する備えは至れり尽くせりです。

24:10イスラエルの女を母とし、エジプトびとを父とするひとりの者が、イスラエルの人々のうちに出てきて、そのイスラエルの女の産んだ子と、ひとりのイスラエルびとが宿営の中で争いをし、
24:11そのイスラエルの女の産んだ子が主の名を汚して、のろったので、人々は彼をモーセのもとに連れてきた。その母はダンの部族のデブリの娘で、名をシロミテといった。
24:12人々は彼を閉じ込めて置いて、主の示しを受けるのを待っていた。
24:13時に主はモーセに言われた、
24:14「あの、のろいごとを言った者を宿営の外に引き出し、それを聞いた者に、みな手を彼の頭に置かせ、全会衆に彼を石で撃たせなさい。
24:15あなたはまたイスラエルの人々に言いなさい、『だれでも、その神をのろう者は、その罪を負わなければならない。
24:16主の名を汚す者は必ず殺されるであろう。全会衆は必ず彼を石で撃たなければならない。他国の者でも、この国に生れた者でも、主の名を汚すときは殺されなければならない。
24:17だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならない。
24:18獣を撃ち殺した者は、獣をもってその獣を償わなければならない。
24:19もし人が隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたように自分にされなければならない。
24:20すなわち、骨折には骨折、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、自分にもされなければならない。
24:21獣を撃ち殺した者はそれを償い、人を撃ち殺した者は殺されなければならない。
24:22他国の者にも、この国に生れた者にも、あなたがたは同一のおきてを用いなければならない。わたしはあなたがたの神、主だからである』」。
24:23モーセがイスラエルの人々に向かい、「あの、のろいごとを言った者を宿営の外に引き出し、石で撃て」と命じたので、イスラエルの人々は、主がモーセに命じられたようにした。”(口語訳)

 11節に、「主の名を汚し」た人が現れたことが記されています。
16節には、「主の名を汚す者は必ず殺されるであろう。」とあります。
神の国はヤハウェ(主)なる神様が支配される領域です。ヤハウェ(主)に敵対していて入れるわけがありません。イエス様を主と崇めない人が入れるところではありません。イエスがキリストであると啓示してくださるお方が聖霊です。それ故聖霊を汚すものは赦されないのです(マタイ12:31.32)。救われていない人は三一の神を知りません。それでイエス様を冒涜してしまうかもしれません。しかし、聖霊に、イエス様が救い主であり主であると啓示された時、それを受け入れ、心にイエス様をお迎えする人は、イエス様を冒涜したことをお詫びするでしょう。
新約時代においては、三一の神様を冒涜したからといって死刑にされることはありませんが、三一の神様を冒涜したままこの世を去ったとしたら、その人(魂も含め)は、この世でも、次の世でも神様とは断絶した状態に置かれます。エゼキエル32:18-32、ルカ16:19-31等を読むと良いかもしれません。そして最後は黙示録20:11-15なのです。

 17-22節には、
24:17だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならない。
24:18獣を撃ち殺した者は、獣をもってその獣を償わなければならない。
24:19もし人が隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたように自分にされなければならない。
24:20すなわち、骨折には骨折、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、自分にもされなければならない。
24:21獣を撃ち殺した者はそれを償い、人を撃ち殺した者は殺されなければならない。
24:22他国の者にも、この国に生れた者にも、あなたがたは同一のおきてを用いなければならない。わたしはあなたがたの神、主だからである』」。”(口語訳)とあります。

生きとし生けるものはすべて神様がつくられ、神様のものです。
人を殺すということは、神様がつくられ、神様が所有なさっておられる者を殺すということです。キリストにある兄弟の信仰を躓かせてしまうことは、大変なことです(マタイ18:6)。
動物も神様の所有物です。それ故、肉を食べる時にも、先ず神様に捧げて、その肉を神様から頂いて食べるのです。私たちキリスト者は旧約の時代とは異なり、食前の祈りをもって、神様がつくられたものを頂いています。
パウロは、ローマ14:9-15に、
“14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、そのとなるために、死んで、また生きられたのです。
14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
14:15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。”(新改訳)と記しました。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
聖霊によっていつも光が輝いている状態であらせてください。
また、日々、あなたのおことばを御霊に教えられつつ食する者であらせてください。
害を蒙ったとき、人を裁くのではなく、祈る者であらせてください。
主にある兄弟姉妹を躓かせることがありませんようお守りください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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