申命記

2023年11月24日 (金)

申命記33:26-29 エシュルンの神/キリスト者を愛する神・花婿キリスト

 申命記3326-29には次のように記されています。
26 「エシュルンの神に並ぶ者はいない。あなたを助けるために天を駆け、威光に満ちて雲に乗られる。
27
 いにしえの神は隠れ家。とこしえの腕で下から支えてくださる。神はあなたの前から敵を追い払い、『滅ぼし尽くせ』と言われた。
28
 イスラエルは安らかに住み、ヤコブの泉だけが涸れない。地には穀物と新しいぶどう酒が溢れ、天も露を滴らせる。
29
 イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。あなたのように主に救われた民があろうか。主はあなたを助ける盾、あなたの威光の剣。敵はあなたに屈服し、あなたは彼らの高き所を踏みつける。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 26節を2017は“エシュルンよ、神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。” と訳し、
 リビングバイブルは“エルサレム(エシュルン)の神様のような神は、ほかにありません。神様はあなたを助けようと雲に乗り、畏れ多くも天から下られます。”と意訳しています。

「エシュルン」には、「正しい者」「高潔な者」の意があります。
また「イスラエル」の名として用いられます。

エシュルンについて、聖書辞典は、
“この語の原意から見て、神のイスラエルに対する愛称または理想像の詩的呼称と考えられる。70人訳ではイザ442のこのことばを「愛するイスラエル」と訳している。しかしヘブル語本文では、ヤコブ、イスラエル、エシュルンと呼称を使い分けている(イザ44:1‐2)。この呼称は、イスラエルの民が正しいからではなく、彼らを贖い、召された神が正義であり、彼らを正しい道へ導かれるからである。またこの呼称により、罪を犯し、堕落しやすい民に神の民としての自覚を与えようとしているのである。”(抜粋)と述べています。
 上記の解説で出てくるイザヤ441.2は次のように記されています。
1 今、聞け。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。
2
あなたを造り、あなたを母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける主はこう言う。恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。”(2017)とあります。

 27節を2017は“いにしえよりの神は、住まう家。下には永遠の腕がある。神はあなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ』と命じられた。”と訳しています。

この箇所を新共同訳は、“いにしえの神は難を避ける場所、とこしえの御腕がそれを支える。神はあなたの前から敵を追い散らし、「滅ぼし尽くせ」と言われた。”と訳しています。

 エジプトにおける出来事、出エジプトからヨルダン川までの出来事、カナンの地の征服等を見ると、神ヤハウェ(主)は、イスラエルを用いて悪が満ちた民たちに対してそのようなことを行われてきたことがわかります。神ヤハウェ(主)がイスラエルをそのように用いられる400年前の預言がアブラム(アブラハム)に次のように与えられていました。
 神ヤハウェ(主)がアブラム(アブラハム)に語った預言の御言葉は次のようなものです。
13 主はアブラムに言われた。
「あなたはこのことをよく覚えておきなさい。あなたの子孫は、異国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷として仕え、苦しめられる。
14
 しかし、あなたの子孫を奴隷にするその国民を、私は裁く。その後、彼らは多くの財産を携えてそこから出て来る。
15
 あなた自身は良き晩年を迎えて葬られ、安らかに先祖のもとに行く。
16
 そして、四代目の者たちがここに戻って来る。それまでは、アモリ人の悪が極みに達していないからである。」/
18
 こうしてその日、主はアブラムと契約を結んで言われた。
「あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大河ユーフラテスに至るまで の、19 カイン人〔ケニ人(2017)〕、ケナズ人、カドモニ人、20 ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、ペリジ人、レファイム人、21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を与える。」”(創世記1513-21・聖書協会共同訳)と記されています。

 ノアの箱舟の個所でも、世の人々の悪が満ちたゆえに神ヤハウェ(主)は大洪水によって裁きを行いました。
“神はノアに言われた。「すべての肉なるものの終わりが、私の前に来ている。彼らのゆえに地は暴虐で満ちているからである。今こそ、私は地と共に彼らを滅ぼす。」”(創世記613・聖書協会共同訳)と記されています。

 28.29節には、「イスラエルは安らかに住み、ヤコブの泉だけが涸れない。地には穀物と新しいぶどう酒が溢れ、天も露を滴(したた)らせる。イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。あなたのように主に救われた民があろうか。主はあなたを助ける盾、あなたの威光の剣。敵は あなたに屈服し、あなたは彼らの高き所を踏みつける。」とあります。

 これらの節の預言は、イスラエルが神ヤハウェ(主)の仰せに従った場合に与えられるものです。申命記281-14には次のように記されています。
1 もしあなたがあなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日私が命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを、地上のすべての国民の上に高く上げてくださる。
2
 あなたがあなたの神、主の声に聞き従うとき、これらすべての祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶ。
3
 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。
4
 あなたの胎から生まれた子も、土地の実りも、家畜の産むもの、牛の子も羊の子も祝福される。
5
 あなたの籠もこね鉢も祝福される。
6
 あなたは入るときも祝福され、出るときも祝福される。
7
 主はあなたに立ち向かう敵をあなたの前で打ち負かされる。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前から七つの道へ逃げて行く。
8
 主はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたの手の業に祝福を定められ、あなたの神、主があなたに与えられた地であなたを祝福される。
9
 あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むとき、主はあなたに誓われたとおり、あなたを聖なる民として立てられる。
10
 地のすべての民は、あなたが主の名で呼ばれるのを見て、あなたを恐れる。
11
 主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの胎から生まれた子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かにされる。
12
 主は恵みの倉である天を開いて、あなたの地に季節に応じて雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたは多くの国民に貸すようになるが、借りることはない。
13
 私が今日守り行うように命じる、あなたの神、主の戒めに聞き従うとき、主はあなたを頭として、尾とすることはない。あなたは常に上にあって、下になることはない。
14
 あなたは、今日私が命じるすべての言葉から右にも左にもそれてはならず、他の神々に従って、これに仕えてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 26-29節の本質はそのまま私たちキリスト者にもあてはまります。
私たちキリスト者の神がどの様なお方であるのかということについての一部を今日の個所から見ることができます。

ヤハウェ(文語訳聖書では「エホバ」と表記していました)なる神様は、
①永遠のお方、
②私たちの救い主、助け主、また力、
③私たちを支えて下さるお方、
④私たちをご自身の内に住まわせてくださるお方(ここにはありませんが、主は私たちの内に住んでくださるお方。即ち相互内住です。)
⑤必要を満たしてくださるお方、
⑥民を増やしてくださるお方(キリスト者を増やしてくださるお方)
⑦敵を追い払えと命じ、敵(サタンやその配下の悪しき霊)に勝利させてくださるお方{サタンが完全に対処されるのはヤハウェ(主)によるのであり千年王国の最後においてです}
と記されています。

 現代人の多くは、預金通帳を持っていて、その通帳の中に入っている金額の範囲内で、キャッシュカードを使って現金を引き出す、ということをします。
それと同じようにキリスト者に与えられた天にあるすべての霊的祝福は、表現が良いかどうかはわかりませんが、私たちの霊的な通帳に入っています。与えられたのですから。
エペソ13には“私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と記されています。

 私たちは、キャッシュカードではなく、主の約束の御言葉を信じることによって、その実体を引き出すことができるのです。

コロサイ23.9.10には、「3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。10 あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」(新改訳2017)と記され、
 コロサイ116には、「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。」(新共同訳)と記され、
 黙示録15.6(抜粋)には、「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」(新改訳第三版)と記されています。

私たちは御子の内に置かれ(1コリント130)、御子は私たちの内におられるのです(コロサイ127)。
私たちを命を懸けて愛してくださった主イエス様は私たちの花婿です(エペソ522-32、黙示録197.81コリント112)。
アーメン。ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
限りない祝福を与えて下さり感謝します。
いつも主を愛し、御言葉を信じ、喜びをもって主に従い続ける者であらせてください。
御名を崇め賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月20日 (月)

申命記33:23-25 ナフタリ族、アシェル族への祝福の預言/主に信頼する者を主はいつも祝福してくださる

 申命記3323-25には次のように記されています。
23 ナフタリについて彼は言った。「ナフタリは恵みを豊かに受け、主の祝福に満ち、西と南を所有する。」
24
 アシェルについて彼は言った。「アシェルはどの子よりも祝福される。その兄弟たちに愛され、その足を油に浸す。
25
 あなたのかんぬきは鉄と青銅、あなたの強さはあなたの生きるかぎり続く。」(聖書協会共同訳)とあります。

 23節には、ナフタリについて彼は言った。「ナフタリは恵みを豊かに受け、主の祝福に満ち、西と南を所有する。」(聖書協会共同訳)とあります。

ナフタリの相続地は「西と南」となっています。
「西と南」と訳した日本語訳聖書には、聖書協会共同訳、新改訳、文語訳があり、その箇所を「湖とその南」と訳した聖書には口語訳、新共同訳があります。リビングバイブルは「ガリラヤ湖の西と南」と意訳しています。
「湖」、「西」と訳された語のヘブライ語原語は、「ヤーム」で、その意味は、「海、湖、大きな河、西、南」とStrong辞書にあります。
 地図上で見るナフタリの南北は、ガリラヤ湖(キネレテ湖)の南から、ヘルモン山から流れ出た水が流れ込んでいる上ヨルダン川までで、ナフタリの東側はガリラヤ湖とガリラヤ湖に流れ込む上ヨルダン川の西側であり、ナフタリの西側の境界はおもにアシェルに接しています。
ナフタリの西南地域はゼブルンに接し、南はイッサカルに接しています。
イエス様の時代、この地方はガリラヤ地方の一部をなしていました。
この地方は豊かな土地であり、その上ガリラヤ湖には魚がいます。
23
節に、「ナフタリは恵みを豊かに受け、主の祝福に満ち」とあるように、ナフタリの相続地は水資源に恵まれ、農業、漁業に恵まれていたのです。

 食を得るのに大変な地域を相続地として与えられた人々は、日々の食事について、主への祈りを熱心にすることになるでしょうが、祈らなくても魚は取れるし、地の作物は豊かに実るとなると、主への祈りがおろそかになりやすいものではないかと思います。

 私たちキリスト者も順風満帆なときと試練に次ぐ試練が与えられたときとでは祈りの熱心さが異なるのではないかと思います。
主が与えてくださったものであれば、一般に祝福と思える事柄はもちろん祝福ですが、未信者がキリスト信者に対して「それでも主を信じているの」と揶揄するような試練をキリスト信者が与えられているときも、キリスト信者にとっては大いなる祝福なのです。
試練を通してより豊かな祝福を主からいただけるからです。

 24節には、アシェルについて彼は言った。「アシェルはどの子よりも祝福される。その兄弟たちに愛され、その足を油に浸す。(聖書協会共同訳)とあります。

「その足を油に浸す」とあるようにアシェルの地はオリーブ油の豊かな産地でした。

 25節には、あなたのかんぬきは鉄と青銅、あなたの強さはあなたの生きるかぎり続く。(聖書協会共同訳)とあります。

新改訳2017は、「あなたのかんぬきは鉄と青銅。あなたの力が、生きるかぎり続くように。」と訳しています。

アシェルの相続地は、地中海に面しており、カナンの地へ侵略してくる者の通り道であったのです。それ故、「あなたのかんぬきは鉄と青銅。あなたの力が、生きるかぎり続くように。」とあるのでしょう。
アシェルが律法に従った歩みをしていれば、安全であったのでした。ヤハウェ(主)が守ってくださり、戦う力を与えて下さるからです。

 私たちキリスト者は、主イエス様に信頼していれば勝利です。それどころか、新生した者は、勝利が確定しています。
 使徒ヨハネは、「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。」(1ヨハネ54・口語訳)、「神から生まれた者はみな〔(直訳)神から生まれたすべては(神から生まれたのは霊です){筆者挿入}〕、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」(1ヨハネ54・新改訳2017)と述べています。

 パウロもローマ人への手紙8章に次のように記しています。
35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。/
37
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある
38
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いものも深いものも〔高い所にいるものも、低い所にいるものも(新共同訳)〕、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(口語訳)と述べました。

 パウロは「わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」と述べていますが、同時にその理由を「わたしたちを愛して下さったかたによって」と記しています。

 「世の波風いかにあれて」(聖歌474 聖歌総合版491)の5節に次のような歌詞があります。
「ハレルヤ! 主は 世と悪魔にすでに勝ちを得給えば 我らもまたイェスと共に日々勝ち得て余りあり 主の安き 主の安き 我は内に今持てり 主の安き 主の安き 我は内に今持てり」と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たち新生させて頂いたキリスト者は、既に祝福を与えられていますから感謝します。
サタンに騙されることがありませんように。
誰が見ても豊かな祝福を与えられていると思えるときには、主への感謝と賛美を忘れることなく、試練の中にある時にも、祈りを導いてくださる聖霊によって大いなる感謝と賛美が献げられますように。
私たちを守り、導き、支え、祝福してくださっておられるあなたの御名を崇め、感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月16日 (木)

申命記33:20-22 ガドとダンについての預言/主のみ旨に従って歩むことの大切さ

 申命記3320-22には次のように記されています。
20 ガドについて彼は言った。「ガドを大きくされる方をたたえよ。ガドは雌獅子のように伏し、腕も頭も引き裂く。
21
 彼は自分のために最上のものを選んだ。そこには指揮者〔将軍(口語訳)〕の取り分が置かれていた。彼は民の先頭に立ち、主の正義と公正をイスラエルのために行った。」
22
 ダンについて彼は言った。「ダンは獅子の子、バシャンから躍り出る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 20節の「ガドは雌獅子のように伏し、腕も頭も引き裂く。」という文は、ガド族の強さを表現していますし、21節の「指揮者」や、「民の先頭に立ち」の表現は、軍のリーダーであったことを表しています。

1歴代誌128.14には、“8. ガドびとのうちから荒野の要害に来て、ダビデについた者は皆勇士で、よく戦う軍人、よく盾とやりをつかう者、その顔はししの顔のようで、その速いことは山にいるしかのようであった。”(口語訳)/
14. 彼らは軍の将校で、一番弱い者でも普通の兵士百人に匹敵し、強い者ともなると千人にも匹敵しました。”(リビングバイブル)と記されています。
ダンの人たちは驚くべき強さですね。

21節には、“彼は自分のために最上のものを選んだ。そこには指揮者の取り分が置かれていた。彼は民の先頭に立ち、主の正義と公正をイスラエルのために行った。”とあります。
ダンは自分のために最上のものを選んだ、とあります。
2017
はこの個所を“彼は自分のために最良の地を見つけた。”と訳しています。

民数記321-4には、
1 ルベンとガドの人々はおびただしい数の家畜を持っていた。
彼らがヤゼルとギレアドの地方を見渡すと、そこは家畜を飼うのに適した所であったので、2 モーセと祭司エルアザルおよび共同体の指導者のもとに来て、言った。
3
「アタロト、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオンなど、4 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエルの共同体の前で滅ぼしてくださった土地は、家畜に適した土地であり、僕どもは家畜を持っております。(新共同訳)と記され、

申命記312には、「この地を、私たちは、そのとき、占領した。アルノン川のほとりのアロエルの一部と、ギルアデの山地の半分と、その町々とを私はルベン人とガド人とに与えた。」(新改訳第三版)と記されています。

ガド族は、家畜をたくさん持っており、家畜に適した土地を真っ先に手に入れたのです。それは、ヨルダン川を渡る前、即ち、約束の地を戦い取っていく前のことであったのです。カナンの地を相続地とする人たちからしたら、「ガド族はずるいことをしている」ということになったでしょう。

先に民数記321-4を記しましたが、続く民数記325には、
「それでもし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください。」(口語訳)とガド族は、ぬけぬけといったのですから。(ルベン族も一緒でしたが)

それに対して、モーセは怒りました。モーセは、「同胞が戦いに出ようとするのに、あなたたち〔ガド族とルベン族(筆者挿入)〕は、ここにとどまるつもりなのか。どうしてあなたがたはイスラエルの人々の心をくじいて、主が彼らに与えられる地に渡ることができないようにするのか。」(民数記326.7・口語訳)と言いました。
モーセのことばはさらに続くのですが、モーセのことばを聞いたルベン族とガド族は、
「われわれはこの所に、群れのために羊のおりを建て、また子供たちのために町々を建てようと思います。しかしわたしたちは、武装してイスラエルの人々の先頭に立って進み、彼らをその所に導いて行きます。」(民数記3216.17・口語訳)と答えました。

ガド族は、「わたしたちは、武装してイスラエルの人々の先頭に立って進み、彼らをその所に導いて行きます」と語ったことを実行したのです。

 ヨシュア112-18412221-9には次のように記されています。
112 ヨシュアはまた、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数にこう言った。
13
 「主の僕モーセがあなたがたに命じた言葉を思い起こしなさい。彼はこう言った。あなたがたの神、主はあなたがたのために安息を与え、この地をあなたがたに与えられる。
14
 あなたがたの妻、子ども、家畜は、モーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側〔東側(筆者挿入)〕の地にとどまりなさい。あなたがた、力ある勇士は皆、隊列を組み、同胞の先頭に立って川を渡り、彼らを助けなさい。
15
 主があなたがたと同様に、同胞にも安息を与え、あなたがたの神、主が与える地を彼らに継がせるためである。その後、あなたがたはヨルダン川の東側へ帰り、主の僕モーセがあなたがたに与えた所有地を継ぐことができる。」
 16 彼らはヨシュアに答えた。
「あなたが私たちに命じたことは何でも行います。あなたが私たちを遣わされる所はどこへでも参ります。17 私たちがモーセに聞き従ったように、すべてあなたに聞き従います。ただ、あなたの神、主が、モーセと共におられたように、あなたと共におられますように。18 あなたの命令に逆らい、あなたが命じる言葉に聞き従わない者はすべて死ななければなりません。あなたはただ、強く、雄々しくあってください。」/
 4:12 ルベンの一族とガドの一族、およびマナセ族の半数は、モーセが彼らに告げたとおり、隊列を組んで、イスラエルの人々の先頭に立って渡った。/
 22:1 それからヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数を呼び寄せて、2 言った。
「あなたがたは、主の僕モーセが命じたすべてのことを守り、私が命じたすべてのことについても私の声に聞き従った。3 今日に至るまでの長い間、同胞を見捨てることなく、あなたがたの神、主の命じられた務めを守ってきた。4 今、あなたがたの神、主は、同胞に告げられたとおり、彼らに安住の地をお与えになった。あなたがたも自分の所有地の天幕へ、すなわち主の僕モーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側〔東側(筆者挿入)〕に帰りなさい。5 あなたがたはただ、主の僕モーセが命じた戒めと律法をひたむきに守り行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道を歩み、その戒めを守って 主に付き従い、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい。」
6
 ヨシュアは彼らを祝福して送り出し、その天幕に帰らせた。
7
 マナセ族の半数には、すでにモーセがバシャンの地に所有地を与えていた。残る半数には、ヨシュアが彼らの兄弟と共に、ヨルダン川の西側に所有地を与えた。ヨシュアは彼らもその天幕へと送り出し、祝福して、8 彼らに言った。
「多くの財宝、多数の家畜、銀、金、銅、鉄および数多くの衣服を携え、自分の天幕に帰りなさい。敵からの戦利品は同胞と分け合いなさい。」
9
 ルベンの一族、ガドの一族、およびマナセ族の半数は、こうしてカナンの地にあるシロを去り、イスラエルの人々と別れてギルアドの地へ、すなわち、モーセを通して示された主の命令によって、彼らが取得していた自分の所有地へと帰って行った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 これらのことをモーセは、申命記3320.21に預言しているのだと思います。

22節には、“ダンについて彼は言った。「ダンは獅子の子、バシャンから躍り出る。」”とあります。
ダン族が引いたくじの相続地の割り当ては、ヨシュア1940-46に、
40 七番目のくじはダン部族の諸氏族に当たった。
41
彼らの相続地の領域はツォルア、エシュタオル、イル・シェメシュ、42 シャアラビン、アヤロン、イテラ、43 エロン、ティムナ、エクロン、44 エルテケ、ギベトン、バアラテ、45 エフデ、ベネ・ベラク、ガテ・リンモン、46 メ・ハ・ヤルコン、ラコン、およびヤッファに面する地域である。(新改訳2017)と記されています。

これは現在、テル・アビブと言われている地の方になります。

ダン族の割り当ての地を、ダン族は、十分に獲得できなかったという理由で、ダン族は申命記3222の預言にあるように、「ダンはししの子であって、バシャンからおどりでる。」という行動をとったのだろうと思われます。これによって獲得した地は、「ライシュ(レシェム)」といい、バシャンの北西部の町でした。
ヨシュア1947.48には、“しかし、その中には征服できない地域もあったので、ダン族はレシェムの町と戦って占領し、住みつきました。そして町の名を、先祖にちなんで「ダン」と呼ぶことにしたのです。”(リビングバイブル・意訳)と記されています。
このことに関しては士師記17.18章にやや詳しく記されています。

 やがて、このイスラエル北方のダンの地は、偶像礼拝の中心地の一つとなるのです。
ソロモン王の死後、北イスラエルの王はヤロブアムでした。ヤロブアムは、偶像礼拝を促進したのです。
 1列王記1228-33には、
28 王〔ヤロブアム(筆者挿入)〕は周囲に助言を求めたうえで、二体の金の子牛を造り、そして言った。
「あなたがたがエルサレムに上るのは大変である。イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った神々である。」
29
 彼は一体をベテルに置き、一体をダンに配した。
30
 このことは罪となった。民は一体の金の子牛の前をダンまで行進して行った。
31
 ヤロブアムは高き所を神殿とし、レビ人でない民の中から一部の者を祭司とした。
32
 ヤロブアムはユダでの祭りと同じく、第八の月の十五日〔仮庵の祭りの一か月後(筆者挿入)〕に祭りを執り行った。そして自分が造った子牛にいけにえを献げるため、ベテルに造った祭壇に上った。また、自分が造った高き所のための祭司をベテルで任命した。
33
 彼は、自分が勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇に上った。彼はイスラエルの人々のために祭りを執り行い、香をたくため、祭壇に上った。(聖書協会共同訳)と記されています。

 ダンは、主が割り当てた割り当ての地の一部を獲得することができず、自分勝手に主が割り当てたのではない地を自分たちの地とし、さらには偶像礼拝の中心地ともなったのです。
黙示録7章には、大患難時代に世界宣教に遣わされる144000人が記されていますが、その中にダン族はいません。
 ダン族は、主に割り当てられた相続地を、主に信頼して敵と戦い勝利して獲得するということに失敗し、主が割り当てたのではないライシュの人々を殺して自分たちの地とし、さらには偶像礼拝の地となったという大きな罪を立て続けに犯したのです。
 
しかし、主はご自身の契約と憐みによって、キリストの千年王国時代には、ダン族に割り当ての地を与えます(エゼキエル481)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
たとえ成果を上げることができたとしても、あなたのみ旨に反することをしてしまうことがありませんよう助けてください。
あなたのみ旨と一致する方法で、あなたに在って成果を上げることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月12日 (日)

申命記33:18.19 主イエス様が宣教を開始された地方

 申命記3318.19には次のように記されています。
18 ゼブルンについて彼は言った。
「ゼブルンよ、進み出て喜べ。イッサカルよ、天幕の中で喜べ。
19
 彼らはもろもろの民を山に呼び寄せ、そこで義のいけにえを献げる。彼らは海の豊かさ、砂に隠された宝を手に入れる。」”(聖書協会共同訳)とあります。(聖書協会共同訳)とあります。

 18.19節は、ゼブルンとイッサカルについての祝福の預言です。
この箇所を、イエス様の初臨に関連付けて考えてみたいと思います。

イザヤ91-7には次のような預言が記されています。(新共同訳、聖書協会共同訳は823-96になります)
1 しかし、苦しみのあった所に、闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、辱(はずかし)めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦の民ガリラヤは栄誉を受ける。
2
闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。
3
あなた〔イスラエル(リビングバイブル)〕はその国民をふやし、その喜びをまし加えられる。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。
4
あなた〔神(リビングバイブル)〕が彼が負うくびきと、肩の杖〔肩を打つ杖(筆者挿入)〕、彼を追い立てる者のむちを、ミデヤンの日になされたように打ち砕かれるからだ。
5
まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食(えじき)となる。
6
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の熱心がこれを成し遂げる。2017)とあります。

イエス様の初臨時代のガリラヤ地方は、モーセがヤハウェ(主)から示された12部族への土地の分割を基にすると、ゼブルンの大部分+イッサカルの一部+ナフタリの一部になると思います。

イザヤ91に、「しかし、苦しみのあった所に、闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、辱(はずかし)めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦の民ガリラヤは栄誉を受ける。」と預言されていましたが、イエス様が住んでおられたナザレは、ゼブルンの地にあったのです。「苦しみのあった所」とありますが、ゼブルンの地は、旧約時代のイスラエルの南北分裂後は、北イスラエル王国に属していましたから、アッシリアに攻撃されたとき、アッシリアに敗北したのです(これは背教に対するヤハウェの裁きでした)。

 キリスト者なら、そのほとんどの人が知っているようにイザヤ96.7はイエス様についての預言であると知っていることでしょう。そして、イザヤ91のゼブルンの地にイエス様が過ごされたナザレがあり、イエス様が活動の中心とされたガリラヤは、ゼブルンの大部分+イッサカルの一部+ナフタリの一部を含んでいたのです。イエス様が弟子たちとして召し出した人たちの多くもガリラヤ地方の人たちでした。イスカリオテのユダは、カリオテの人ユダという意味で、カリオテはユダヤ地方でした。

 申命記3318の「天幕」と出エジプト3614の「幕屋の上にかける天幕」の「天幕」の原語は同じ語です。「天幕にいて楽しみを得る」というのは、主の臨在にあって楽しみを得る、とも解釈できるのではないかと思います。

新約的に言うと、イエス様が共におられることによって楽しみを得られるということです。イエス様との交わりがあれば外にいても内にいてもいつも楽しみを得られます。
申命記3318の「ゼブルンよ、あなたは外に出て楽しみを得よ。イッサカルよ、あなたは天幕にいて楽しみを得よ。」(口語訳)の預言に一致します。

 続く19節には、「彼らは国々の民を山に招き、その所で正しい犠牲をささげるであろう。彼らは海の富を吸い、砂に隠れた宝を取るからである。」(口語訳)とあり、
この箇所を新改訳2017は、「彼らはもろもろの民を山に招き、そこで義のいけにえを献げる。彼らが海の富と、砂に隠されている宝で育まれるからである。」と訳し、
新共同訳は、「彼らは諸国の民〔或いは「他の部族」(新共同訳スタディ版)〕を山に招き、そこで正しいいけにえをささげる。彼らは海の富、砂に隠れた宝を手に入れる。」と訳しています。

 敢えて、この聖句を基に、時間軸を超越して考えてみたいと思います。今、私が考えたことなので、読まれる方は、ご自分で取捨選択してください。
 イエス様の福音は、初めユダヤ人に、それから一部の異邦人にも及びました。そして、イエス様のご復活後、弟子たちに、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒18・新共同訳)と語られました。

申命記3319には、「彼らは諸国の民〔或いは「他の部族」(新共同訳スタディ版)〕を山に招き、そこで正しいいけにえをささげる。」(新共同訳)とあります。
 弟子たちが宣教を開始する頃、イスラエルの地にはユダヤ人が多かったのですが、ユダヤ人だけではなく、アッシリアやバビロンに捕囚されなかった人たちの子孫もいました。
北イスラエル王国がアッシリアとの戦いで敗れた(B.C.722年)後、アッシリアが、サマリヤに連れて来た異邦人たち(2列王記1724)と北イスラエルの民との間には雑婚が起こりました。新約聖書にはサマリヤ人として記されています(一例としてヨハネ4章)。
 弟子たちが伝道を開始し、ユダヤ人たちの救いの後、異邦人コルネリオとその家族等が救われていきました(使徒10章)。
 その後、主イエス様は、ユダヤ名でサウロ、ギリシア名でパウロという人を直接救いへと導き、パウロを用いて多くの異邦人即ち諸国の民を救っていかれたのです。
そして時は下り、その救いは私たち日本人にももたらされました。
 まさに、初めはイスラエルの諸部族を「山」(申命記3319)即ち聖地、聖所に招き、さらに、イエスを通して父なる神へと導き、さらに異邦の民(諸国の民)へと福音がもたらされました。
そしてイエス様を受け入れた人たちは、主なる神様を礼拝させていただけるようになったのです。

 また、「彼らは国々の民を山に招き、その所で正しい犠牲をささげるであろう。」とありますが、唯一の「正しい犠牲」とは、十字架上で屠られたイエス・キリスト様でした。イエス様の血が流されることなしに、罪の赦しも、きよめも無かったのです。旧約時代のいけにえの動物は、イエス様を表す予型であったのです。まことの救いを求めた人は、カルバリ山の十字架へと導かれたのです。そして、御霊によって、イエス・キリスト様が流された血潮こそ、私の罪のために流された尊い血潮であると悟らせて頂けたのです。

 19節後半には、「彼らは海〔ガリラヤ湖(筆者挿入)〕の豊かさ、砂に隠れた宝を手に入れる。」(聖書協会共同訳)とあります。

「彼ら」は、セブルンとイッサカルですが、これは後のガリラヤの地を構成する土地の要素であり、その地から、イエス様が登場したのです。そして使徒とされた人たちの大部分もガリラヤの出身でした。そして主イエス様によって育(はぐく)まれた人たちは、宣教へと出て行ったのです。
申命記3319後半には、「彼らが海の富と、砂に隠されている宝で育まれるからである。」と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主はガリラヤ湖(海)の漁師に「あみを捨て置きて我に従え」と言われました。
そのようにして主の宣教が開始され、イスラエルから見たら地の果てにいる私の所へも主の救いがもたらされました。
そして、私も、主を信じさせていただけました。ありがとうございます。
今日もあなたにお従いして歩ませていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主はガリラヤ湖の」(聖歌580 聖歌総合版616 新聖歌395
“1.主は ガリラヤ湖の漁師に告げぬ 「網を捨て置きて我に従え」 また主は 疲れし世人に告げぬ 「罪を振り捨てて我に従え」
2.険しきみやま(深山)の谷間に呼べる 羊飼いの声 友よ聞かずや 「我が羊よ何故 かくさまよえる なが守りてなる我に従え」
3.「罪の世にありて 罪に汚れず 憂いを慰め 疲れをいやし ながそばにありて常にか(勝)たしむ 命の君なる我に従え
4.我が跡を踏みて 右や左に 迷い行くなかれ 道狭くとも 十字架を担い 天(あめ)をのぞみて 常世の朝まで 我に従え」”
<応答>(聖歌571 聖歌総合版617 新聖歌396の折り返し部分)
「いずくまでも行かん いずくまでも行かん いずくまでも行かん 愛する主の後を」
・・・・すべて恵みです・・・・

2023年11月 8日 (水)

申命記33:13-17 豊かな賜物/キリストにある者への祝福

 申命記3313-17には次のように記されています。
13 ヨセフについて彼は言った。
「主の祝福がその地にあるように。天よりの露の賜物、下に横たわる深淵からの賜物、
14
 太陽が産み出す賜物、月が生み出す賜物、
15
 いにしえの山々の頂からの賜物、とこしえの丘の賜物、
16
 地とそれに満ちるものの賜物、柴の中におられた方の恵み。
これらがヨセフの頭に、その兄弟のうちから選ばれた者の頭上に臨むように。
17
 ヨセフの雄牛の初子には威光があり、その角は野牛の角。それによってもろもろの民を突き、共に地の果てまで進む。それはエフライムの幾万の戦士。それはマナセの幾千の戦士。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所をリビングバイブルは次の様に意訳しています。
13 ヨセフ族への祝福のことば。
「その所有地は神様に祝福され、天と地の最良の物に恵まれるように。
14
作物は太陽の恵みによって育ち、月を追うごとに実りを増し、
15
永遠の山と丘が最良の産物におおわれるように。
16
地とそこに満ちるもろもろの物、燃える柴の中に現れる神様の恵み、そのすべてが、兄弟の中の王子、ヨセフにあるように。
17
ヨセフの力と威厳は若い雄牛のようです。頭には野牛の角をいただき、すべての国々を突き倒します。これがエフライムへの祝福、これがマナセへの祝福です。」”と記しています。

 モーセの祝福の言葉はイスラエル(ヤコブ)の各部族に対して述べられたものです。
その観点からいうと、ヨセフ族への言葉の中にベニヤミンとマナセが出てくるのは異例に思われる方もいるでしょう。
ヤコブの子であるヨセフはエジプトの宰相になった人です。
そこでヤコブは、死の床にあって次のように語りました。
「私〔ヤコブ(筆者挿入)〕がエジプトのおまえ〔ヨセフ(筆者挿入)〕のところにやって来る前に、エジプトの地でおまえに生まれた、おまえの二人の子は、今、私の子とする。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように私の子となる。」(創世記4852017)と記されています。
すなわちヨセフの父ヤコブは、ヨセフの二人の息子エフライムとマナセを自分の養子としたのです。

 ヤコブの息子には、シメオンもいますが、モーセの祝福の言葉の中にはシメオン族だけはありません。
余談になりますが、この世の最後の7年間の大患難時代(キリストの花嫁であるキリスト者の総体はこのときには天におり地にはいません)の世界宣教に遣わされる144000人の中には、シメオン族も記されています。しかし、その箇所にはダン族はいません。

 話を戻します。
17
節に「角」という語が出てきますが、聖書で「角」というとき、多くの場合、力を表します。例えば、軍事力、政治力、権威、などのようなものです。
 
 ヨセフ(エフライムとマナセ)が受けた相続地の面積はかなり広大でした。

13-16節には、主の祝福によって、地上の産物がとても豊かであるということが記されています。
17
節には、「ヨセフの雄牛の初子には威光があり、その角は野牛の角。それによってもろもろの民を突き、共に地の果てまで進む。それはエフライムの幾万の戦士。それはマナセの幾千の戦士。」とあります。
 「角」は前述しましたように力を表します。
実際、ヨセフはエジプトの宰相でした。ヨセフの子であるエフライムとマナセも優れていました。エフライムの子孫として、モーセの後継者ヨシュアが生まれ(1歴代誌727)、預言者サムエルが生まれ(1サムエル11.2.20)、北イスラエル(イスラエルの十部族)の初代の王ヤロブアムが生まれました(1列王記11261220)。 

 キリスト者への祝福はもっと偉大です。
ただし、それは、ヨセフのようなこの世のものではなく、天にあるもの、霊的なものです。
キリスト者は天の神の王国の民です。
キリスト者の国籍は天にあるのです(ピリピ320)。
それ故、エペソ13には、“神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。”(新共同訳)とあります。
キリスト者は力を持っていますが、それはこの世のものに対するものではなく、霊的なものです。キリスト者はキリストにあって、悪魔悪霊たちに対して力を行使することができます。
キリスト者は、キリストにあって、悪しき霊を対処できなければ、きよき歩みをしていくことができません。
使徒1915には、悪しき霊の言葉として、「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」(2017)というものがあります。
「お前たちは何者だ」と悪しき霊に言われることなく、「お前は、キリストの御名で我々に向かってくる者であることを知っている」と言われるようでありたいものですね。
キリスト・イエスこそ天においても地においても一切の権威を持っておられる王の王、主の主です(マタイ2818、黙示録1916)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
キリスト者はキリストの内にある者です(1コリント130)から感謝します。
キリスト者の内にはキリストの霊が内住してくださっておられますから感謝します(ローマ89)。
常にキリストにあって歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月 4日 (土)

申命記33:12 主に愛される者

 申命記3312には次のように記されています。
12 ベニヤミンについて彼は言った。
「主に愛される者はその傍らに安らかに住まう。主は日夜盾で彼を守り、彼は主の肩の間に住む。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 12節には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に愛される者〔ここでは「ベニヤミン」(筆者挿入)〕はその傍(かたわ)らに安らかに住まう。主は日夜盾で彼を守り、彼は主の肩の間に住む〔主の背中に負われる(2017)。2017は意訳です(筆者挿入)〕。」(聖書協会共同訳)とあります。

「ヤハウェ(主)に愛される者であるベニヤミンは、ヤハウェ(主)の傍らに安らかに住み、ヤハウェ(主)は一日中ベニヤミンを守り、ベニヤミンはヤハウェ(主)の背中に負われる」とモーセは語りました。
後にエルサレムにソロモンによって神殿が建てられましたが、エルサレムはベニヤミン領に接していました。エルサレムはかつてアブラハムがイサクをささげたモリヤの山でした。

 モリヤの山とエルサレムの関係について聖書辞典は次のように述べています。
“モリヤ (〈ヘ〉moriyah) 〔とは(筆者挿入)〕「ヤハウェが備える地」あるいは「ヤハウェ顕現の地」という意味。アブラハムがイサクをささげるよう命じられた地(創22:2)。「モリヤの地」はベエル・シェバから歩いて3日ほどの道のりにある(創22:4)。神(ヤハウェ)がいけにえの羊を「備えた」こと(創22:8,14)、またアブラハムに「現れた」こと(創22:14の〈ヘ〉イェーラーエ「備えがある」の原意は「現れる」である。70人訳を参照)から名づけられた名前であろう。それがどこであったかということについては説が分れている。
ユダヤ人の伝承では、後にソロモン王が神殿を建てた「エルサレムのモリヤ山上」(Ⅱ歴3:1)だと言う。3:1に「ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現わされた所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった」と記されているが、これはエルサレムの東の丘、シオンの山である。そこはかつて「エブス人オルナンの打ち場」(21:15,Ⅱ3:1サム24:18では「アラウナの打ち場」)であったが、ダビデがここに「イスラエルの全焼のいけにえの祭壇」(22:1)を築くことを決定し、ここに神殿が建設されることとなった。ダビデの後を継いだソロモンがここに神殿を建設したが、その際オルナンの打ち場を囲むように建てたと言われている。伝承では、アブラハムがイサクをささげようとしたのがオルナンの打ち場だと言われ、今日、「聖岩」と呼ばれているものと同一視されている。聖岩は、イスラム教徒が7世紀に建てた「岩のドーム」(オマルのモスク)の中にあり、伝承では、アブラハムがイサクをささげようとしたのはこの聖岩の上だったと言う。イスラム教徒はこの岩を「アブラハムの場所」(マカーム・エル・カリール)と呼び、マホメット昇天の場所〔偽りの父である悪魔の入れ知恵による作り話であったのでしょう。イスラム教ではイエスを神と認めていないのですからマホメットはよみに言っていると思います(筆者挿入)〕と伝えて崇敬している。ヨセフォスも、アブラハムがイサクをささげようとした「まさにその場所に」ダビデが神殿を建てることにしたと言っている(『ユダヤ古代誌』1:13:1,7:13:4)。ヨベル書にも「アブラハムはその場所を『主、見たまえり』と名づけた。これはシオン山のことである」と記されている(18:13)。ヒエロニムスもこの伝承を受け入れている。
・・・略・・・。”とあります。

 新生したキリスト者の内には、主が住んでくださっておられます。
主は天におられるとともに、新生させていただいたキリスト者の霊と主の霊は結ばれている(1コリント617)という幸いな祝福を与えられているのがキリスト者です。キリストの霊と一つにされている霊に魂が従い、体もその聖別された魂の命令に従っている人は、主の輝きを発することでしょう。
ヨハネ737.38の「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」(2017)と語られた主イエス様の御言葉を思い起こすと思います。

 使徒ヨハネは、ヨハネ739に、上記の主イエス様の御言葉の解説を次の様にしています。
「イエスは、ご自分を信じた人々が受けようとしている霊〔the SpiritKJV)〕について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ与えられていなかったからである〔「与えられて」は訳者の挿入で、直訳は、岩波訳のように「霊はまだなかったのである」となります(筆者挿入)〕。(聖書協会共同訳)と記されています。

 主イエス様を信じた者には、主が御父から受けた聖霊を与えられます(ヨハネ1416.17.26)。
新生した者はキリストの霊を持っています(ローマ89、1コリント617)。
キリストの内には御父の霊も内住されています(ヨハネ1410.11)。
これらのことが理屈ではなくて霊的実感として感じられる人は揺るがないでしょう。

 ローマ828を口語訳は、“神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。”と訳しています。
「神を愛する者」=「神のご計画に従って召された者たち」であることがわかります。
そして、詩篇14520には「すべて主を愛する者は主が守られます。」(2017)と記されています。
また聖書には、「わたしを愛する者を、わたしは愛する。」(箴言8172017)と記され、
“イエスは言われた。「神があなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。わたしは神のもとから来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わされたのです。”(ヨハネ8422017)とも記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたから愛されていますことを心から感謝します。
私たちもあなたを愛し、あなたを愛するゆえにあなたの御言葉に従い、あなたとともに歩ませていただけますことを感謝します。
あなたに従えないときは、弱さの故であったり、反抗期の中にあるととらえてください。
実際には霊によって歩めずに肉によって歩んでいる状態ということなのでしょうが。
そのようなときには気づきを与えてくださり、1ヨハネ19の御言葉を適用してすぐに立ち直ることができますように。
とこしえまでも限りなく愛してくださる三一の主なる神様に感謝と賛美をささげつつ私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年10月31日 (火)

申命記33:6-11 ルベン、ユダ、レビへの祝福(預言)

 申命記336-11には次のように記されています。
6 「ルベンを生かし、殺さないでください。その数が少なくなるとしても。」
7
 ユダについて彼は言った。
「主よ、ユダの声を聞き、その民のもとに戻してください。彼は自分の手で戦っています。あなたがその敵からの助けとなってください。」
8
 レビについて彼は言った。
「あなたのトンミムとウリムを、あなたに忠実な者に与えてください。あなたはマサで彼を試み、メリバの水のほとりで彼と争われた。
9
 彼は父と母について、『私は彼らを顧みない』と言い、兄弟も認めず、自分の子さえ無視し、あなたの仰せに従い、契約を守りました。
10
 彼らは、あなたの法をヤコブに、あなたの律法をイスラエルに教え、御前に香をたき、あなたの祭壇に焼き尽くす献げ物を献げる。
11
 主よ、彼の力を祝福し、その手の業を受け入れてください。彼に逆らう者の腰を打ち砕き、憎む者を立ち上がれないようにしてください。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 6節を、口語訳は、「ルベンは生きる、死にはしない。しかし、その人数は少なくなるであろう。」と訳しています。
新共同訳は、「ルベンを生かし、滅ぼさないでください。たとえその数が少なくなるとしても。」と訳しています。
ルベンのこの預言(or祈り)が成就したのはいつでしょうか。
それはヤハウェ(主)がアッシリアを用いて北イスラエルを攻撃させ、北イスラエルが敗北した時のことであろうと思います。
申命記425-27には次のように記されています。
25 もしあなたが子や孫をもうけ、その地で年を取り、堕落してあらゆる形の彫像を造り、あなたの神、主の目に悪とされることを行い、主を怒らせるならば、
26
 私は今日あなたがたに対して、天と地を証人として呼び出す。あなたがたは、ヨルダン川を渡って行って所有する地〔ルベン族はヨルダン川を渡らず、ヨルダン川の東側に所有地を得ましたから、ヨルダン川を渡った部族よりも不忠実であったのです。創世記178、民数記32章参照(筆者挿入)〕から取り去られ、たちまち滅び去る。あなたがたはそこで長く生きることはできない。必ずや滅ぼされる。
27
 主は、あなたがたをもろもろの民の中に散らされる。しかし、主が追いやる先の国々で僅かな者は残される。”(聖書協会共同訳)とあります。

 2列王記1529には、「イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、およびナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った。」(新共同訳)と記されています。
ルベン族は広義で言うギレアドの地にありました。

 7節には、“ユダについて彼は言った。「主よ、ユダの声を聞き、その民のもとに戻してください。彼は自分の手で戦っています。あなたがその敵からの助けとなってください。」”とあります。
 
 ユダ族は実によく戦いました。士師記11-20にユダ族とカナン人との戦いが記されています。時代は下り、ヤハウェ(主)が、ユダ族から王としてダビデを選ばれ、ユダ族を中心とした戦いは続きました。その後、北イスラエルと南イスラエル(ユダ族であるダビデの子孫が王位を継承)の間の戦いや他国との戦いもありました。7節はユダの為のとりなしの祈りとして、事の起こる前にささげられています。

 8-11節は、レビについての預言と祈りが記されています。
8
節には、「あなた〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のトンミムとウリムを、あなたに忠実な者に与えてください。あなたはマサで彼を試み、メリバの水のほとりで彼と争われた。」とあります。

 ウリムとトンミムは、ヤハウェ(主)の御旨を伺うための物でした。ウリムとトンミムは大祭司の胸当てに入れられていました(出エジプト2830)。
参考として、1サムエル1437-43の記事を下記します。
37 そこでサウルは神に伺った、
「わたしはペリシテびとを追って下るべきでしょうか。あなたは彼らをイスラエルの手に渡されるでしょうか」。
しかし神はその日は答えられなかった。
38
そこでサウルは言った、
「民の長たちよ、みなこの所に近よりなさい。あなたがたは、よく見きわめて、きょうのこの罪が起きたわけを知らなければならない。
39
イスラエルを救う主は生きておられる。たとい、それがわたしの子ヨナタンであっても、必ず死ななければならない」。
しかし民のうちにはひとりも、これに答えるものがいなかった。
40
サウルはイスラエルのすべての人に言った、
「あなたがたは向こう側にいなさい。わたしとわたしの子ヨナタンはこちら側にいましょう」。
民はサウルに言った、「良いと思われることをしてください」。
41
そこでサウルは言った、
「イスラエルの神、主よ、あなたはきょう、なにゆえしもべに答えられなかったのですか。もしこの罪がわたしにあるか、またはわたしの子ヨナタンにあるのでしたら、イスラエルの神、主よ、ウリムをお与えください。しかし、もしこの罪が、あなたの民イスラエルにあるのでしたらトンミムをお与えください」。こうしてヨナタンとサウルとが、くじに当り、民はのがれた。
42
サウルは言った、
「わたしか、わたしの子ヨナタンかを決めるために、くじを引きなさい」。
くじはヨナタンに当った。
43
サウルはヨナタンに言った、「あなたがしたことを、わたしに言いなさい」。
ヨナタンは言った、「わたしは確かに手にあったつえの先に少しばかりの蜜をつけて、なめました。わたしはここにいます。死は覚悟しています」。”(口語訳)と記されています。
神意を伺うウリムとトンミムは正しい答えを出しました。主が関与されているからです。

 「くじ」について、聖書辞典は次のように述べています。
“旧約聖書におけるくじ引きは神の意志を見出すために行われた。大祭司が着たエポデの付属品ウリムとトンミム(出28:30,レビ8:8)もそのために用いられた(民27:21,エズ2:63,ネヘ7:65)。”と記されています。

 箴言1633には“くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。”(2017)と記されています。

 8節後半には、「あなたはマサで彼を試み、メリバの水のほとりで彼と争われた。」とあります。
マサ(メリバ)での出来事は、出エジプト171-7、民数記201-13に記されています。

  9節には、「彼は父と母について、『私は彼らを顧みない』と言い、兄弟も認めず、自分の子さえ無視し、あなたの仰せに従い、契約を守りました。」記されています。
 これは、金の子牛事件のときのことです。出エジプト3226-29に記されていますが、出エジプト321から読んでいくとよく分かります。
申命記339をリビングバイブルは、「レビ族は御教えに従いました。大ぜいの悪人を殺し、自分の子ども、兄弟、両親さえも容赦しませんでした。」と訳しています。

 このリビングバイブルの訳を読むと、イエス様が語られた弟子の条件の一部を思い起こします。それは何よりも主イエス様を第一に愛しますか、ということです。マタイ1034-39には次のように記されています。
34 「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35
 私は敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。36 こうして、家族の者が敵となる。
37
 私よりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者も、私にふさわしくない。
38
 また、自分の十字架を取って私に従わない者は、私にふさわしくない。
39
 自分の命を得る者は、それを失い、私のために命を失う者は、それを得るのである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 10節には、「彼らは、あなたの法〔「定め」(2017)、「裁き」(新共同訳)。ヘブライ語原語は「ミシュパート」(筆者挿入)〕をヤコブに、あなたの律法〔「御教え」(2017)。ヘブライ語原語は「トーラー」(筆者挿入)〕をイスラエルに教え、御前に香をたき、あなたの祭壇に焼き尽くす献げ物を献げる。」(聖書協会共同訳)とあります。
これは、レビ族に与えられた職務(宗教教育と祭儀)です。

 11節には、「主よ、彼の力を祝福し、その手の業を受け入れてください。彼に逆らう者の腰を打ち砕き、憎む者を立ち上がれないようにしてください。」とあります。
これはモーセの祈りです。レビ族及び、レビ族に属する祭司、大祭司が、ヤハウェ(主)から命じられたとおりにヤハウェ(主)にお仕えしたら、この祈りは成就することでしょう。

 キリスト者も新約時代の祭司です。
1
ペテロ29には「・・あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」(新改訳2017)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちキリスト者は新約の祭司として立てられています。
あなたを愛し、あなたに忠実に仕える祭司としてご奉仕させていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名でお祈りします。アーメン

2023年10月27日 (金)

申命記33:1-5 主は私たちの王

 申命記331-5を、
聖書協会共同訳は、
1 これは、神の人モーセがその死に臨んで、イスラエルの人々に述べた祝福の言葉である。
2
 「主はシナイから来られ、セイルから彼らのために輝き昇り、パランの山から光を放つ。幾万の聖なる者たちを従えて来られ、その右の手には燃え上がる炎がある。
3
 民を心から愛し、聖なる者をすべて御手の内に置かれる。彼らはあなたの足元に導かれ、あなたの言葉を受ける。
4
 モーセは私たちに律法を命じ、ヤコブの会衆のものとした。
5
 民の頭たちがイスラエルの諸部族と共に集まったとき、主はエシュルンで王となられた。”と訳し、

2017
は、
1 次は神の人モーセが、その死を前にしてイスラエルの子らを祝福した、祝福のことばである。
2
彼は言った。
「主はシナイから来て、セイルから彼らを照らし、パランの山から光を放ち、幾万もの聖なる者のところから近づいて来られる。その右手に彼らの御使いたちを伴って。
3
まことに、あなたはもろもろの民を愛する方、御手のうちにすべての聖なる者がいる。彼らはあなたの足もとにひれ伏し、あなたの御告げを受ける。
4
みおしえはモーセが私たちに命じ、それをヤコブの会衆の所有とした。
5
民のかしらたちがイスラエルの部族とともに集まったとき、主はエシュルンで王となられた。」”と訳し、

リビングバイブルは、
1 次にあげるのは、神に立てられた忠実な指導者モーセが、死を目前にしてイスラエルの人々を祝福した時のことばです。
2
「主はシナイ山でわれわれのところに来られ、セイル山からご自身を現わし、無数の天使に囲まれ、パラン山から光を放たれました。その右手には炎が燃えさかっていました。
3
ああ主は、どんなに深く民を愛しておられることか。聖徒はあなたの腕にしっかりと抱(いだ)かれています。主よ、彼らはあなたの跡(あと)に従い、御告げを受けました。
4
私が伝えたあなたの御教えは、何よりも大切な宝です。
5
主は部族の指導者たちに選ばれ、エルサレム(エシュルン)で王(神)となられました。”と意訳しています。

 1節には、「これは、神の人モーセがその死に臨んで、イスラエルの人々に述べた祝福の言葉である。」(聖書協会共同訳)とあります。
モーセは、33章に記されている祝福の言葉を語り終えると、ネボ山に登り、ピスガの頂からカナンの地を見させてもらった後、地上生涯を終えたのです。
2
節からモーセのことばが始まります。モーセの祝福の言葉の中には、過去のものも未来のものもあります。

 2節を2017は、“彼は言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシナイから来て、セイルから彼らを照らし、パランの山から光を放ち、幾万もの聖なる者のところから近づいて来られる。その右手に彼らの御使いたちを伴って。」”と訳しています。
各聖書で若干の訳の違いがありますが、ポイントは、ヤハウェ(主)が、シナイ山でもセイルでもパランの山でも非常に多くの天使を伴って栄光の輝きの内に現れて下さった、ということであろうと思います。

 シナイ山にヤハウェ(主)が現れた時の様子を、出エジプト1916.18には、“16. ・・、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音(ね)が鳴り響いた・・。18. シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降(くだ)られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。”(新共同訳)と記されています。

 新約時代になって、私たちのところに来てくださった主イエス様は、私たちがビックリしないよう、やさしく私たちの内に来てくださいました。
 とは言うものの、サウロのような場合もありました。
キリスト者を迫害していたサウロ{これはヘブル名(サーウール)ギリシア語ではパウロス}に、主イエス様が現れたときは、太陽よりも強い光でサウロを照らし、雷のような轟の声でサウロに語られたのです。
この時、サウロは倒れたのか腰を抜かしたのか分かりませんが、地に倒れ、かつ失明したのです(使徒93-9226-92613-16)。
私のときには、主がパウロの時のような、或いはシナイ山の時のような現れでなかったので本当に良かったなと思います。

 3.4節には、
“3 民を心から愛し、聖なる者をすべて御手の内に置かれる。彼らはあなたの足元に導かれ、あなたの言葉を受ける。4 モーセは私たちに律法〔ヘブライ語原語は「トーラー」(筆者挿入)〕を命じ、ヤコブの会衆のものとした。”(聖書協会共同訳)とあります。
4節には、“モーセは私たちに律法を命じ、ヤコブの会衆のものとした。”とありますから、3.4節を合わせて考えると、「主はイスラエルの民を心から愛し、聖別し、御手の内に置かれ、律法(トーラー)を与えられた」ということがわかります。
律法(トーラー)はイスラエルに与えられたのです。

 詩篇78篇には次のように記されています。
5 主はヤコブに定めを与え、イスラエルに教え〔別訳「律法」(欄外注)。ヘブライ語原語は「トーラー」(筆者挿入)〕を授け、子孫に知らせるようにと先祖に命じられた。
6
 それは、後の世代、生まれ来る子らがこれを知って奮い立ち、そのまた子らに語り伝えるため
7
 子らが神に信頼を置き、神の業を忘れず、その戒めを守るためである。
8
 また、先祖のようにかたくなで逆らう世代、心が定まらず、霊が神に不誠実な世代にならないためである。”(聖書協会共同訳)とあります。

律法はイスラエルに与えられたものなのです。
では、異邦人はどうであったのでしょうか。
律法の本質は良心に記されていたようです。
ローマ214.15には次のように記されています。
14 律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じることを行う場合は、律法を持たなくても、彼ら自身が自分に対する律法なのです。
15
彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。”(2017)とあります。

 律法の根底について、マタイ2237-40は次のように記しています。
37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし〔あるいは「たましいのすべてをもって」(欄外注)。ギリシア語原語は「プシュケー」(筆者挿入)〕、知性を尽くして、あなたの神、主〔ギリシア語原語は「キュリオス」、ヘブライ語原語は「ヤハウェ」。ユダヤ人は主の御名を言うことを恐れて「アドナイ」と言いました(筆者挿入)〕を愛しなさい。』
38
これが、重要な第一の戒めです。
39
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
40
この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」”(2017)とあります。

 上記のように記されていますから、実際的には、イスラエル人も異邦人も、生まれたときから律法に従うえるはずがありませんでした。それは人間が生まれながらの罪人だからです。生まれながらの人間は自己中心的なのではないでしょうか。
使徒ヨハネは、「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。」(1ヨハネ110・新共同訳)と述べています。

 5節には、「民のかしらたちがイスラエルの部族とともに集まったとき、主はエシュルンで王となられた。」(2017)と記されています。
「エシュルン」とは、「正しい者」の意です。
正しい者とは、ヤハウェ(主)を神として信じる者、ヤハウェ(主)に聞き従う者のことです。
エシュルンは、イスラエルの尊称としても用いられています。
イスラエルの王はヤハウェ(主)です。
キリスト者は、神の王国(御国)の民であり、王とされた者であり、主との愛における関係では花嫁です。黙示録16には、“わたしたちを王〔「御国」(口語訳、聖書協会共同訳)、「王国」(新改訳、岩波訳)。ギリシア語原語は「バシリュース」で王、支配者(筆者挿入)〕とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。”(新共同訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
旧約の時代とは違って、新約のあなたの民、それどころではなく、あなたの子である私たちキリスト者の内に主ご自身が住んでいてくださっておられますことを感謝します。
いつでもあなたと一緒ですからありがとうございます。
あなたとの交わりを途絶えさせてしまうことがありませんように。
主キリスト・イエス様の御名でお祈りします。アーメン

2023年10月23日 (月)

申命記32:48-52、34:1-8 モーセの最後とイスラエル人の服喪/主の栄光を自分のものとしないこと。栄光は主に。

 申命記3248-52には次のように記されています。
48 同じ日に、主はモーセに次のように告げられた。
49
 「エリコの向かいのモアブの地にある、アバリム山地のネボ山に登り、私がイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの地を見渡しなさい。
50
 あなたの兄アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように、あなたも登って行く山で死に、先祖の列に加えられなさい。
51
 あなたがたがツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの水のほとりで私に背き、イスラエルの人々の間で私を聖としなかったからである。
52
 そのため、あなたは私がイスラエルの人々に与える地を望み見るが、そこに入って行くことはできない。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト教辞典はモーセの生涯を極めて簡略に次のようにまとめています。
“モーセ:「引き出す者」を意味する。イスラエルの民をエジプトから導き出した指導者であり、預言者。レビ人の両親から生れたが、エジプトの王パロによる男子の赤子殺害の命令のため、ナイル川の葦の茂みに置かれた。すぐにパロの娘に拾い上げられ、王女の息子としてエジプト人のあらゆる学問を受けて育てられた(出エジプト2:1‐10,使徒7:20‐22)。40歳になった頃、同胞を奴隷の苦しみから救おうと志したが、同国人に受け入れられず、またパロの手を逃れて、ミデヤンの地に行った。そこで祭司の娘と結婚し、男の子を2人もうけた(出エジプト2:11‐22,18:3,4,使徒7:23‐29)。40年後に、主がモーセをイスラエルの指導者として召し出された(出エジプト3,4章)。主はモーセを通してエジプトに10の災害を与え、イスラエルの民をエジプトの苦役から救い出された(同7‐12章)。モーセはシナイ山で十戒(十のことば)を中心とする律法を受けた(同20‐23章)。しかし、出エジプト後12年目にカデシュ・バルネアで民の指導者たちが犯した罪と、同調してつぶやいた悪い会衆の罪のため、民全体が荒野を40年間さまよう旅を余儀なくされた。モーセ自身もメリバで罪を犯したため、ヨシュアとカレブを除くすべての成人男子とともに、約束の地カナンに入ることが許されなかった(民数13,14章、20:1‐13)。死を前にして、ヨシュアを後継者に任命し(同27:15‐23)、120歳でモアブのネボ山で死んだ(申命34章)。”と述べています。

 モーセがイスラエルの地に入れなかった罪について、51節は“あなたがたがツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの水のほとりで私〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に背き、イスラエルの人々の間で私を聖としなかったから”(聖書協会共同訳)と記し、それは、民数記201-13に記されている次のような事柄でした。
1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死に、その地に葬られた。
2
 さて、そこには会衆のための水がなく、彼らはモーセとアロンに詰め寄った。
3
 民はモーセと言い争った。
「私たちの兄弟が主の前で死に絶えたとき、私たちも死に絶えていればよかった。4 なぜ、あなたがたはこんな荒れ野に主の会衆を導き入れたのですか。私たちと家畜をここで死なせるためですか。5 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、こんなひどい所に導き入れたのですか。ここは穀物もいちじくも、ぶどうもざくろもない所で、 飲み水さえもありません。」
6
 モーセとアロンは会衆から離れて会見の幕屋の入り口に行き、ひれ伏した。すると、主の栄光が彼らに現れた。
7
 主はモーセに告げられた。
8
 「杖を取り、あなたと兄アロンは会衆を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたは彼らのために岩から水を出し、会衆と その家畜に水を飲ませなさい。」
9
 モーセは、主が命じられたとおりに、主の前から杖を取り、10 モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。
「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」
11
 モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。
12
 だが、主はモーセとアロンに言われた。
「あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の目の前に、私を聖としなかった。それゆえ、あなたがたは、私が彼らに与えた地にこの会衆を導き入れることはできない。」
13
 これがメリバの水であり、そこでイスラエルの人々が主と争ったが、主は自らが聖なる者であることを彼らのうちに示されたのである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 申命記32章には、「・・、あなた〔モーセ(筆者挿入)〕は私〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエルの人々に与える地を望み見るが、そこに入って行くことはできない。」(52
なぜなら「あなたの兄アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように、あなたも登って行く山で死に、先祖の列に加えられ」る(50)からである。
そのようになった罪は、「あなたがたがツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの水のほとりで私に背き、イスラエルの人々の間で私を聖としなかったからである。」(51)と記されています。

 民数記2012によると、不信の罪と主を聖としない(主に栄光を帰さない)という罪とを犯していることがわかります。
文中には記されていないことについて、モーセの足元にも及ばない私がはなはだ僭越なことを書いてしまいますが、モーセはおそらくイスラエルの民に怒りの感情を持ったのではないかと思います。
心に罪があると100%の信仰には立てないことが多いのではないだろうかと思います。
私の勝手な想像ですが、イスラエルの民に対する一時の悪感情をも主の御前に持ち出すことによって主に心をきよめていただいてから、主の仰せを聞き、民の前に出ていったら、不信の罪や主に栄光を帰さない(主を聖としない)という罪から守られたのではないかと思います。

 モーセについて、ヘブライ(へブル)11章の信仰列伝の個所には次のように記されています。
23 信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。彼らがその子の美しいのを見、また王の命令を恐れなかったからです。
24
 信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの娘の子と言われるのを拒んで、25 罪のはかない楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐げられるほうを選び、26 キリストのゆえに受ける辱めをエジプトの宝にまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。
27
 信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを去りました。目に見えない方を見ているようにして、揺らぐことがなかったからです。
28
 信仰によって、モーセは、滅ぼす者が初子たちに触れることのないように、過越を行い、血を塗りました。
29
 信仰によって、人々は乾いた陸地を通るように紅海を渡りました。同じことを試みたエジプト人たちは、海に呑み込まれてしまいました。”(聖書協会共同訳)とあります。

 神ヤハウェ(主)は、モーセにイスラエルの地を見せてくださったのです(申命記3249.52341-4)。

 申命記341-8には次のように記されています。
1 モーセはモアブの草原からネボ山、すなわち、エリコの向かいにあるピスガの頂に登った。主は彼に次の全地方をお見せになった。ギルアデをダンまで、
2
ナフタリの全土、エフライムとマナセの地、ユダの全土を西の海まで、
3
ネゲブと低地を、すなわち、なつめ椰子の町エリコの平地をツォアルまで。
4
そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」
5
こうしてその場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ。
6
主は彼を、ベテ・ペオルの向かいにあるモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知る者はいない。
7
モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。
8
イスラエルの子らはモアブの草原で三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。こうして、モーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
悪感情が湧いたときには、それが自分自身からの場合であれ、サタンからもたらされたものであれ、そのままにしておくことをせず、すぐに主に申し上げきよめていただいて、いつも御父との関係に隔てを生じることの無いよう助けてください。
そしてあなたが願っておられる歩みをすることができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追記>
親しくさせて頂いていたA.O.という兄弟がいました。
その人は、「自分は怖いものに耐えられないから、主はそれに遭わないようにしてくださる」と言っていましたが、現在の混沌とした状況に至る前に天に召されました。その兄弟が地上にいたときに「栄光は主に、恥はわが身に」と時々言っていたことを今日思い出しました。ハレルヤ!アーメン。
H.O.
姉へ。
このような方があなたの夫であった方です。

2023年10月19日 (木)

申命記32:36-47 まことの神はヤハウェ(主)だけである。主の言葉を守り行いなさい。/キリスト者は御霊によって歩みなさい。

 申命記3236-42には次のように記されています。
36 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の民を裁き、僕らを憐れむ。彼らの力がうせ、つながれた者も自由な者もいないのを御覧になるからである。
37
 主は言われる。
「彼らの神々はどこにいるのか。逃れの岩はどこにあるのか。
38
 彼らはいけにえの脂肪を食べ、供え物のぶどう酒を飲んだではないか。その神々が立ち上がり、あなたがたを助け、あなたがたの隠れ家となればよい。
39
 今こそ見よ、私、私こそそれである。私のほかに神はいない。私は殺し、また生かす。私は傷つけ、また癒やす。私の手から救い出せる者はない。
40
 私は手を天に上げて誓う。
『私はとこしえに生きる。41 私がきらめく剣を研ぎ、手に裁きを握るとき、私の敵に復讐し、私を憎む者に報いる。42 私は矢を血に酔わせ、剣に肉を食らわせる。殺された者と捕らわれた者の血を飲ませ、髪の長い敵の首領の首を食らわせる。』」”(聖書協会共同訳)とあります。

 36節には“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の民を裁き、僕らを憐れむ。彼らの力がうせ、つながれた者〔奴隷(2017)〕も自由な者もいないのを御覧になるからである。”とあります。
36
節をリビングバイブルは“神様はイスラエルをさばき、彼らの失敗をやさしくかばわれる。奴隷も自由人も力が衰えていくのを見て、”と訳し、37節の“こう言われる”へと繋がっています。

 士師記以降を読むと、このことを繰り返したイスラエルの歴史を見ることができます。
すなわち、ヤハウェ(主)から離れ、偶像礼拝に陥ったイスラエルの民をヤハウェ(主)は、裁かれました。しかしイスラエルの民が、悔い改めてヤハウェ(主)に助けを叫ぶと、ヤハウェ(主)はイスラエルを救われたのです。

 37-42節はヤハウェ(主)が語られたことばです。
リビングバイブルは読めばすぐにわかるように意訳されていますので、この個所を下記します。
37 こう言われる。「ほかの神々〔ヤハウェ以外の神々(筆者挿入)〕はどこへ行った。頼みの岩はどうしたのだ。
38
あぶら身やぶどう酒をささげた神々〔偶像の神々(筆者挿入)〕はどうなったのか。さあ、神々〔偶像の神々(筆者挿入)〕を奮い立たせ、助けてもらうがいい。
39
どうだ、よくわかったか。ほんとうの神はわたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕だけなのだ。殺すも生かすも、傷つけるのもいやすも、思いのまま。わたしの手から救い出せる者はいない。
2017は「今、見よ、わたし、わたしこそがそれである。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、また癒やす。わたしの手からは、だれも救い出せない。」と訳しています。(筆者挿入)〕
40.41
手を天に差し伸べ、わたしの存在をかけて誓おう。きらめく剣をとぎすまし、敵に刑罰を下す。
2017は「まことに、わたしは誓って言う。『わたしは永遠に生きる。わたしが、きらめく剣を研ぎ、手にさばきを握るとき、わたしは敵に復讐をし、わたしを憎む者たちに報いる。』」と訳しています。(筆者挿入)〕
42
矢は血に酔いしれ、剣は肉と血をむさぼる。刺し殺され、捕らわれた者の肉と血を。敵の頭は血にまみれる。」”と意訳しています。

 43節には、“国々よ、御民のために〔別訳「とともに」(欄外注)〕喜び歌え。主がご自分のしもべの血に報復し、ご自分の敵に復讐を遂げて、ご自分の民とその地のために宥めを行われる〔その民、その土地を清められる(聖書協会共同訳)〕。”(2017)と記されています。
ローマ1510は、「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」(2017)と、この個所を引用しています。

 ヤハウェ(主)は、御自身の民が悔い改めて主に立ち返ると祝福してくださる方です。
「あなたはわたしから離れたからもうダメ」とは言われないのです。
それは異邦人の信仰者でも同じです。
イスラエルに対するヤハウェ(主)のお取り扱いを見るとき、ヤハウェ(主)の慈しみと忍耐と寛容を見させていただけますが、それは私たちキリスト者に対しても同じです。
罪は犯さないに越したことはありません。
しかし、肉の体を持っている以上、罪を犯してしまうこともあるでしょう。
次のペテロと主イエス様との会話の中に、主の慈しみと忍耐と寛容さを見させていただけます。それには主の十字架と復活の裏付けがあるからです。
 マタイ1821.22には次のように記されています。
21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
22
イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」”(2017)とあります。

 44節には“モーセはヌンの子ヨシュアと共に来て、この歌の言葉をすべて民に語り聞かせた。”(聖書協会共同訳)と記され、
45-47
節には次のようにモーセの最後の勧告が記されています。
45 モーセはイスラエルのすべての人々にこれらの言葉をすべて語り終えると、46 彼らに言った。
「あなたがたは、私が今日あなたがたに証言した言葉をすべて心に留め、子どもたちに命じてこれらの律法の言葉を守り行わせなさい。47 これは、あなたがたにとって空しい言葉ではなく、あなたがたの命だからである。この言葉によって、あなたがたはヨルダン川を渡って行って所有する土地で長く生きることができる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 キリスト者の場合は、御霊に導かれて歩むのです。
ガラテヤ5章には次のように記されています。
16 ・・・。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
24
キリスト・イエスにつく者は〔キリスト・イエスのものとなった人たちは(新共同訳)〕、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
25
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
〔わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。(新共同訳)〕”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
今日も御霊の導きに従って歩ませていただけますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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