箴言

2024年6月20日 (木)

箴言29:7 主に在る正しい識別力

 箴言297を、
リビングバイブルは“正しい人は貧しい人の権利を認めますが、神を信じない者は気にもかけません。”と意訳し、
 2017は“正しい人は弱い者のためのさばきを知っている。悪しき者はそのような知識をわきまえない。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“正しき者は弱い人の訴えを認めるが、悪しき者はその知識を見極められない。”と訳し、
 新共同訳は“神に従う人は弱者の訴えを認める。神に逆らう者はそれを認めず、理解しない。”と訳しています。

 「正しい人」と訳されている語のヘブライ語原語は「ツァディーク」で、正しい、公正な、正しい人(義人)、・・等の意があります。

 新共同訳は、神に対して正しい人の意で、「神に従う人」と訳しているのでしょう。
対神的に正しい人は、結局、神の観点から見て、人に対しても正しいと捉えることができます。

 「貧しい人」(リビングバイブル)、「弱い者」(2017)、「弱い人」(聖書協会共同訳)、「弱者」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ダル」で、貧乏な人、(精神的にor知的にor肉体的にor社会的に)弱い人、・・・・等の意があります。

 「権利」(リビングバイブル)、「さばき」(2017)、「訴え」(聖書協会共同訳、新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ディーン」で、さばき、訴え、・・・・等の意があります。リビングバイブル訳の「権利」は審判してもらう権利のことではないかと思います。

 「神を信じない者」(リビングバイブル)、「悪しき者」(2017、聖書協会共同訳)、「神に逆らう者」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で、悪い人、の意です。

 「知識をわきまえない」と訳されている語のヘブライ語原語は、3単語からなっていて「ロー ビーン ダーアツ」で、2017が訳しているような意になります。
「ダーアツ」には、知識の他、情報、学識、学問、・・・等の意もあります。

 「ロー」はnotです。

 「ビーン」は、分ける、分離する、・・・等の意があります。

 今日の聖句は、約3000年前に記された箴言に、人権についての記述があることを覚えます。
しかし、主なる神様は、これよりも前に、モーセ五書において、人権を認めています。
 出エジプト22章には次のように記されています。
20 寄留者を虐待してはならない。抑圧してはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。
21
 いかなる寡婦も孤児も苦しめてはならない。
22
 あなたが彼らをひどく苦しめ、彼らが私にしきりに叫ぶなら、私は必ずその叫びを聞く。
23
 私の怒りは燃え上がり、あなたがたを剣で殺す。あなたがたの妻は寡婦となり、子どもは孤児となる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 申命記10章には次のように記されています。
17 あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、18 孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である。”(聖書協会共同訳)とあります。

 気を付けなければならないのは、主の主権を度外視して人権を振り回すことです。
主の御教えを度外視して人権を振り回すと、主との関係においては、罪の泥沼にはまることでしょう。 

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
対神的にも、対他的にも、対自的にも、主のみ旨にかなった判断をすることができますように。
また、御霊の導きによって、そのように歩むことができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月16日 (日)

箴言29:5.6 この世の人の声ではなく、主のみ声に従って歩む

 箴言295.6を、
リビングバイブルは“調子のいいお世辞は罠です。悪人はそれに足をとられて転びますが、正しい人は近寄ろうともしないので安全です。”と意訳し、
 2017は“5 隣人にへつらう者は、自分の足もとに網を張る。6 悪人は背きを犯して自分に罠をかける。正しい人は声をあげて喜び歌う。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“5 友人にへつらう者は、自分の足元に網を仕掛ける者。6 悪に捕らわれた者は背きの罠にかかり、正しき者は歓声を上げて喜ぶ。”と訳し、
 新共同訳は“5 友にへつらう者は、彼の一歩一歩に網を仕掛ける者。6 悪を行う者は罪の罠にかかる。神に従う人は喜びの叫びをあげる。”と訳しています。

 「隣人」(2017)、「友人」(聖書協会共同訳)、「友」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「レア」で、パートナー、同僚、仲間、・・等の意があり、兄弟、友人、夫、恋人、愛人、隣人、・・等の意にも訳されます。

 パートナー、同僚、仲間、隣人にへつらうことは良くないことがわかりますし、へつらう人には気を付けたほうが良いことを教えられます。

 「お世辞を言う」(リビングバイブル)、「へつらう」(2017、聖書協会共同訳、新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ハーラク」で、原義は、なめらかな、の意で、おべっかを使う、おもねる、お世辞を言う、・・・・・等の意でも用います。

 リビングバイブルは「調子のいいお世辞は罠です。」と訳していますが、この文を読むと、お世辞やもうけ話等に乗せられて失敗する人を思い浮かべます。
しかし、そのようなことをする人も自分の罠に捕われるという警告です。

 ヤコブ113-15を思い浮かべます。そこには、
13 誘惑に遭うとき、誰も「神から誘惑されている」と言ってはなりません。・・・。
14
 人はそれぞれ、自分の欲望に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
15
 そして、欲望がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生みます。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 また、2テモテ313の“・・、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。”(新改訳初版~第三版)という聖句も思い起こします。

 日本でも、政府自体が、リスクをあまり話さないで、NISAのようなもうけ話を国民にしています。株が暴落したときは責任を取ってくれないでしょう。

 キリスト者は、政府や経済アナリスト、その他、美味しい話をしている人の話を聞くのではなく、主に信頼して歩むことのできる者、主の導きを得て歩むことの出来る者とされていますから感謝です。

 6節を新共同訳は、“悪を行う者は罪の罠にかかる。神に従う人は喜びの叫びをあげる。”と訳しています。

 リビングバイブルは“悪人はそれに足をとられて転びますが、正しい人は近寄ろうともしないので安全です。”と意訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたに信頼し、あなたの導きに従って歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月12日 (水)

箴言29:4 公正と正義によって統治され、繁栄と平和が続く王国

 箴言294を、
聖書協会共同訳は“王は公正によって国を立たせ、貢ぎ物を取り立てる者〔直訳「貢物の人」(欄外注)〕はこれを滅ぼす。”と訳し、
 新共同訳は“王が正しい裁きによって国を安定させても、貢ぎ物を取り立てる者がこれを滅ぼす。”と訳し、
 2017は“正義によって王は国を建てる。重税を取る者は国を壊す。”と訳し、
 リビングバイブルは“正しいことをする王は国をしっかり治め、わいろを要求する王は国を滅ぼします。”と訳しています。

 「公正」(聖書協会共同訳)、「正しい裁き」(新共同訳)、「正義」(2017)、「正しいこと」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ミシュパートゥ」で、裁き、裁く、公正、公平、正しい、正しいこと、神の法、・・等の意があります。

 「立たせ」(聖書協会共同訳)、「安定させる」(新共同訳)、「建てる」(2017)、「治める」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「アーマドゥ」で、立つ、立たせる、設立する、確立する、定着させる、・・・等の意があります。

 前半部分と後半部分の文の間には接続詞「ヴェ」があり、andにもbut、・・等、という意にも用いられます。

 今日の聖句の前半部分を読むと、これが完全に行われるのは、キリストの千年王国における王の王、主の主であるキリスト・イエス様の統治の時代です。
主は、神の法に基づき、地上を統治なさるのです。
私たちに、「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」(マタイ610)と祈り方を教えてくださいましたが、この祈りは、キリストの千年王国時代に成就するのです。
キリスト者の場合、まずはキリスト者の心の中で、この祈りは成就していきます。

 今の時代でも、主が正しいとするあり方で国を治めたら、その国は祝福されることでしょう。
しかし、「重税を取る者は国を壊す。」、「わいろを要求する王〔「王」と訳されている語のヘブライ語原語は「イーシュ」で「人」です(筆者挿入)〕は国を滅ぼします。」(リビングバイブル)、「貢ぎ物を取り立てる者がこれを滅ぼす。」と後半部分にあります。
わいろを取る政治家や役人、わいろを要求する政治家や役人、重税を取る政治家や役人、貢物を要求する政治家や役人が力を持つと、国はどうなるのでしょう。
この聖句は、国が壊される、国が亡びる、と教えています。

 ソロモン王の時代の末期は、おそらく税が重かったのでしょう。その上、ソロモンの子のレハブアムは更に重税を課しました。
その結果、12部族からなるイスラエルは、北イスラエル王国とユダ王国(南イスラエル王国)に分裂したのです。そのいきさつは1列王記121-24に記されています。

 キリスト様が統治する千年王国は、公正と正義によって統治され、繁栄と平和が続く王国です。
イザヤ96.7には次のように記されています。
“・・・。
主権はその〔王の王、主の主であるキリストの(筆者挿入)〕肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
キリストの千年王国まで待たずとも、私たちキリスト者の内にはキリスト様が王として座してくださり、助言を与えてくださり、平安を与えてくださり、霊的力を与えてくださり、主が良しとされるすべての善きものを与えてくださいますからありがとうございます。
常に主キリスト様に心の王座にお座りいただき、歩み続けることができますよう、お導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月 7日 (金)

箴言29:3 慈愛の父

 箴言293を、
新改訳は“知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。”と訳し、
 新共同訳は“知恵を愛する人は父を喜ばせる。遊女を友とする者は財産を失う。”と訳し、
 リビングバイブルは“知恵のある子は父親を幸せにしますが、悪い女とつき合う者は財産を使い果たして、親に恥をかかせます。”と訳しています。

 直訳的には、新改訳や新共同訳のようになります。
リビングバイブル訳の最後の部分の「親に恥をかかせます」という個所は付け足したのでしょう。

 聖書に記されている知恵にはいろいろな分野の知恵があります。
聖書辞典は知恵について次のように記しています。
“ちえ 知恵 このことばは聖書の中でさまざまな知的、技術的能力や、またそれによって生み出された箴言、訓戒などを表すものとして用いられている。知識、英知、訓戒、悟り等、同義に使われていることばも多い。

1.実際的能力としての知恵。幕屋や神殿を建てる時、ウリの子ベツァルエルやツロのヒラムらが、建材や備品、式服などの設計、作製のために与えられていた技術的能力(出31:3,Ⅰ列7:14)や、ソロモン王に与えられた、民を正しくさばき(Ⅰ列3:28)、治め(Ⅰ列5:7)、外交関係を平和に保つ(Ⅰ列5:12)といった統治能力である。同じくソロモン王について言われていることであるが、箴言を語り、歌を作り、植物、動物に関する知識を得る能力(Ⅰ列4:3234)、商いによって財宝を殖やし、金銀を蓄える能力(エゼ28:45)、また目的を達成するために計画し実行する能力(Ⅱサム20:22)なども含まれる。これらはすべて知恵と呼ばれている。

2.人間的賢さとしての知恵。「知恵のある者……自身の悪知恵」(ヨブ5:13)、「ことばの知恵」(Ⅰコリ1:17)、「この世の知恵」(Ⅰコリ1:20)、「すぐれた知恵」(Ⅰコリ2:1)、「人間の知恵」(Ⅰコリ2:5)などと言い表されている知恵は、「はかりごと」(エレ18:18)を与えたり、「説得力のある知恵のことば」(Ⅰコリ2:4)で語らせたりして、人を賢く見せ、誇らせることができる。しかし、この知恵はどこまでも人間の経験や思考から出たものなので、これによって神を知ることはできない(Ⅰコリ1:21)。ヤコブは、心の中のねたみや敵対心を取り去ることのできない知恵について、「地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです」(ヤコ3:15)と言っている。

3.霊的な力としての知恵。「この世の知恵」「人間の知恵」に対比されるのは、「霊的な知恵」(コロ1:9)、「上からの知恵」(ヤコ3:17)である。この知恵について聖書は繰り返し、「主を恐れることは、知恵の初め」(詩111:10,箴9:10等)であると告げ、主に対する信仰こそが、知恵の出発点であり、本質であることを教える。そしてエレミヤは、「見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろう」(エレ8:9)という主のことばを記し、知恵は、神のみことばを尊び、聞き従うところにこそあることを覚えさせる。さらに主イエスは、「知恵の正しいことは、その行ないが証明します」(マタ11:19)と語り、ヤコブも、「その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい」(ヤコ3:13)と勧める。知恵は、倫理的行為においても実を結ばせる力なのである。使徒パウロは、知恵が、キリストのことばに基づいて、互いに教え、互いに戒める力であることをも教えている(コロ3:16)。結局この「上からの知恵」は、神を恐れ、みことばを尊ぶことによって、生活上のすべてのことについて善悪を判断し、処理していくことができるように、神から与えられる能力であると言えよう。

4.伝え得る知識としての知恵。「私の口は知恵を語り」(詩49:3)、「これは、知恵と訓戒とを学び」(箴1:2)というような用法で明らかなように、客体化された知恵もある。これは、知的能力としての知恵による、学びや思考、経験や反省を経て知り得た知識、作られた箴言、生み出された訓戒などである。そして「知恵のある者」たちによって作られ、まとめられた文書は、今日、知恵文学として知られている。聖書中では、ヨブ記、箴言、伝道者の書がその代表的なものである。外典の「ベン・シラの知恵」「ソロモンの知恵」もよく知られている。

5.人格化された知恵。神はその知恵をもって世界を創造されたのであるが(詩104:24)、この知恵が、箴8章などにおいては擬人化されており、「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた」(8:22)、「神が上のほうに大空を固め、……地の基を定められたとき、わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった」(8:2830)と知恵自身が語る形になっている。これを新約聖書の「御子は……造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです」(コロ1:1516)や、ヨハネ1:13などと合せ読む時、この擬人化された知恵に、先在の御子イエスを覚えさせられる。また、Ⅰコリ1:24には、「キリストは神の力、神の知恵なのです」とあって、私たちの救いにかかわる神の知恵が、「十字架につけられたキリスト」(Ⅰコリ1:23)において人格化され、この方によって神の永遠の計画が実現されることを知らされる。

以上のように知恵は、人間の経験と反省によって得られる実際生活上の知恵などというものではなく、どういう意味で用いられている場合にも、神と深くかかわっていることが分る。神の知恵は、十字架のキリストにおいて私たちに永遠の救いを備え、人間に与えられた知恵は、神を恐れ、悪を離れる敬虔な生活を指向させるのである。具体的生活にかかわる訓戒や箴言も、この原則の中で与えられ、これを離れる時愚かなものとなる。(佐竹昌美)”と述べています。

 リビングバイブル訳の付け足しの部分に関連して、父なる神様の愛の心を、イエス様のたとえ話から考えてみます。

 リビングバイブル訳では“悪い女〔「悪い女」と訳されている語のヘブライ語原語は「ザーナー」で売春婦、不倫する者、・・等の意(筆者挿入)〕とつき合う者は財産を使い果たして、親に恥をかかせます。”と意訳されていますが、主イエス様は、父なる神様のもとに戻ってくる者を大喜びで迎えるお方が、あなたがたの父ですよ、と教えてくださっておられます。

 ルカ15章に記されている放蕩息子の兄によれば、この弟は、「遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子」(30節・2017)というような人でした。

 しかし、放蕩息子の父は、放蕩息子が帰って来た時に、「弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」(ルカ15322017)と言われる慈愛に富んだお方であったのです。

 多くの人が、父なる神は厳しい、恐ろしい、と言いますが、そのご性質は主イエス様と同じで、慈しみ深いお方なのです。
まことの神様は、愛なる神様ですが、義なる神様でもありますから、義に基づいたさばきも行われるお方です。

 パウロは次のように記しています。
4 それとも、神の慈しみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その〔神の(筆者挿入)〕豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじるのですか。
5
 あなたは、かたくなで心を改めようとせず、怒りの日、すなわち、神の正しい裁きの現れる日に下される怒りを、自分のために蓄えています。”(ローマ2章・聖書協会共同訳)とあります。

 御父の豊かな慈愛を常に実感できる歩みをしたいものです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは慈愛に富んでおられるお方です。
それをいつも実感できるあなたとの交わりの内を歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年6月 3日 (月)

箴言29:2 主キリスト・イエス様が統治なさる千年王国を早く見てみたいですね

 箴言292を、
2017
は“正しい人が増えると、民は喜び、悪しき者が治めると、民はうめく。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“正しき者が増えれば民は喜び、悪しき者が支配すると民は嘆く。”と訳し、
 新共同訳は“神に従う人が大いになると民は喜び、神に逆らう人が支配すると民は嘆く。”と訳し、
 口語訳は“正しい者が権力を得れば民は喜び、悪しき者が治めるとき、民はうめき苦しむ。”と訳し、
 リビングバイブルは“正しい人が治めると国民は喜び、悪者が権力を握ると嘆きます。”と訳しています。

 「正しい人」(口語訳、新改訳、リビングバイブル)、「正しき者」(聖書協会共同訳)、「神に従う人」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ツァディーク」で、正しい、正しい人、の意です。この文では複数形になっています。

 「民は喜び」と訳されている民という語のヘブライ語原語は「アム」という単語ですが、これには定冠詞がついていますからこの個所では、その民orその氏族orその群れorその国、という意になります。

 主なる神様を信じている民(国or群れ)の場合で「正しい人」といえば、新共同訳のように「神に従う人」という訳にするのも頷けます。

 「増える」(新改訳)、「大いになる」(新共同訳)、「権力を得る」(口語訳)、「治める」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーバー」で、増加する、増大する、栄える、繁栄する、権力を持つ、・・という意があります。

 この聖句の前半部分は、「正しい人が増えると、民は喜ぶ」ということですから、まことの神を信じている群れにあっては、「神を愛し、神に従う人が増えると、神を愛し、神に従う人達の群れは喜ぶ」ということになるでしょう。
また、主なる神を愛して従う人たちは、主なる神を愛して主に従い、主の御声を聞いてor主のみ旨に従って=主の御意志に従って、治める人たちが治めてくれれば喜ぶ、ということでしょう。

 後半部分に入ります。
「治める」(口語訳、新改訳)、「支配する」(新共同訳、聖書協会共同訳)、「権力を握る」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「マーシャル」で、支配する、統治する、決定する、力を得る、・・・等の意があります。

 「悪しき者」(口語訳、2017、聖書協会共同訳)、「悪者」(新改訳初版~第三版、リビングバイブル)、「神に逆らう人」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で、悪、悪人、不敬虔な人、・・・等の意があります。ここでは単数形です。

 「うめく」(口語訳、2017)、「嘆く」(新改訳初版~第三版、新共同訳、聖書協会共同訳、リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「アーナハ」で、(悲しみ、不安、疲れ、苦痛、不幸、重圧、・・等で)うめくor嘆くor悲しむ、・・等の意があります。この文の中では未来形になっています。

 この聖句を私は、「神に従う人が大勢になると神に従う民は喜びor神に従う人たちが支配すると神に従う民は喜び、神に逆らう人が支配すると神に従う民は嘆くようになるだろう。」と捉えました。
「アーナハ」が未来形で書かれているので、おそらく、ソロモンが偶像礼拝を許可する以前に書かれたソロモンによる箴言なのだろうと思います。
ソロモンは、晩年になって主に従わず、偶像礼拝を許可し、イスラエルを堕落させたのです(1列王記114-8)。

 キリストの千年王国においては、王の王として主キリスト・イエス様が統治し、そのもとにあって、多くの王たちが地上を治めることになります。
キリストの千年王国の民は、悪魔悪霊のいない、主の公正と愛と祝福に満ちた世界で生活できるのです。

 最後に千年王国の預言の中から一部分を下記します。
19 私はエルサレムを喜びとし、私の民を楽しみとする。そこに再び、泣き声や叫び声が聞かれることはない。
20
 そこにはもはや、数日の命の乳飲み子も、自らの寿命を満たさない老人もいなくなる。百歳で死ぬ人は若者とされ、百歳にならないで死ぬ者は呪われた者とされる。
21
 彼らは家を建てて住み、ぶどうを植えてその実を食べる。
22
 彼らが建てて別の人が住むことはなく、彼らが植えて別の人が食べることもない。私の民の一生は木の一生のようになり、私が選んだ人々は自分たちの手の業を享受する。
23
 彼らは無駄に労することもなく、産んだ子を災いにさらすこともない。彼らは、主に祝福された者の子孫となり、その末裔も彼らと共にいる。
24
 彼らが呼ぶより先に、私は応え、彼らがまだ語っている間に、私は聞き届ける。
25
 狼と小羊は共に草を食み、獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし、私の聖なる山のどこにおいても、これらは危害を加えることも、滅ぼすこともない。――主は言われる。”(イザヤ書65章・聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
御国が来ますように。
御心が天で行われる如く地でも行われますように。
ハレルヤ
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月30日 (木)

箴言29:1 主に対して不従順であり続けるとある時に滅ぼされる

 箴言291を、
2017
は“叱責されても、なお、うなじを固くする者は、突然打ち砕かれて、癒やされることがない。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“懲らしめを受けてもなおかたくなな者は、突然打ち砕かれ、癒やされることはない。”と訳し、
 フランシスコ会訳は“戒められても、なお頑迷な者は、立ちどころに滅ぼされて、救われることはない。”と訳し、
 リビングバイブルは“何度しかられても言うことを聞かない者は、突然倒れて二度と立ち直れません。”と訳しています。

 「叱責される」(2017)、「懲らしめを受ける」(聖書協会共同訳)、「戒められる」(フランシスコ会訳)、「叱られる」(リビングバイブル)、「懲らしめられる」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「トーカーホート」で、日本語訳各聖書の訳のような意味があります。言葉による戒め、叱責もあれば、せっかん、懲罰のような意もあります。

 「うなじを固くする」(2017)と訳されている個所のヘブライ語原語は2語で「カーシャー オーレフ」です。「オーレフ」はうなじ、首筋、・・等の意です。「カーシャー」は密集した、厳しい、固い、難しい、・・等の意があります。
聖書協会共同訳は「かたくなな」、フランシスコ会訳は「頑迷な」、リビングバイブルは「いうことを聞かない」と訳しています。

 「打ち砕かれ」(2017、聖書協会共同訳)、「滅ぼされ」(フランシスコ会訳)、「倒れて二度と」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「シャーバル」で、破裂する、破壊する、滅ぼす、全滅させる、・・・等の意があります。

 「癒す」(2017、聖書協会共同訳)、「救う」(フランシスコ会訳)、「立ち直る」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「マルペー」で、癒す、救済する、矯正する、改善する、救出、救助、・・等の意があります。

 幾度も忠告されたり、懲らしめを受けたりしても、回心することの無い人(悔い改めることの無い人)は、癒されることなくor救済されることなく滅ぼされますよ、という聖句です。

 典型的な人の例として思い起こすのは、出エジプト記に登場するファラオ(パロ)です。
モーセを通してヤハウェ(主)は、ファラオにいくたびも忠告しましたが、ファラオは聞き従うことはなく、やがて長子を失い、最後には自分の命をも失ったのです。出エジプト記5-14章に記されています。

 ヤハウェ(主)がファラオに行(おこな)ったことを見ていた出エジプトしたイスラエル人たちもまたうなじのこわい民でした。それゆえ、出エジプト時に20歳以上の人の中で、約束の地(カナンの地)に入れた人は、主に対して従順なカレブとヨシュアだけであったのです。

 民数記1420-35には次のように記されています。
20 主は言われた。
「あなた〔モーセ(筆者挿入)〕の言葉のとおり、私は赦そう。21 しかし、私は生きている。主の栄光は全地に満ちている。22 私の栄光と、私がエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度も私を試み、私の声に聞き従わなかった者は誰一人として、23 私が彼らの先祖に誓った地を見ることはない。私を侮る者は誰一人としてそれを見ることはない。24 しかし、私の僕(しもべ)カレブの心だけは別で、私に従い通したので、私は彼が行って来たあの地に、彼を連れて行く。彼の子孫はそれを所有するであろうが、25 今はアマレク人とカナン人とがあの谷に住んでいるので、明日、あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って、荒れ野に向かって進みなさい。」
 26 主はモーセとアロンに告げられた。
27
 「この悪しき会衆は、いつまで、私に対して不平を言うのか。私は、イスラエルの人々が私に対して言い続ける不平を十分聞いた。28 あなたは彼らに言いなさい。私は生きている――主の仰せ。
私は、あなたがたが私の耳に語った〔民数記141-3を参照(筆者挿入)〕とおり、あなたがたに対して行う。
29
 あなたがたの死体はこの荒れ野に倒れるであろう。私に対して不平を言った者、すなわち、あなたがたのうち二十歳以上で、登録をされ、数えられた者は皆、倒れるであろう。30 あなたがたは、私があなたがたを住まわせると誓った地に入ることはない。
ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別である。
31
 あなたがたは『幼子たちが奪われる』と言ったが、私は幼子たちを導き入れる。彼らはあなたがたの拒んだその地を知るようになる。
32
 だが、あなたがたは死体となってこの荒れ野に倒れ、
33
 あなたがたの子どもは、あなたがたの死体が荒れ野で朽ち果てるまで、四十年の間、荒れ野で羊飼いとなってあなたがたの背信の罪を負う。
34
 あなたがたがあの地を偵察した四十日という日数に従い、一日を一年として四十年の間、あなたがたは自分の罪を負い、あなたがたは私に反逆することの意味を知るであろう。
 35 主である私が言う。
私に逆らって集まったこの悪い全会衆に対して、私は必ずこのことを行う。彼らはこの荒れ野で絶え果てて、死ぬ。」」”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト者は、主キリスト・イエス様を信じた(心に受け入れた)ので、約束の地(天国)に入れて頂けるのです。
主イエス様は言われました。
1 「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。
2
 私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。
3
 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。”(ヨハネ14章・聖書協会共同訳)とあります。
ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様を信じることを得させてくださり感謝します。
いつも私たちを愛してくださっておられる主に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月26日 (日)

箴言28:28 悪魔(ザ・サタン)に立ち向かえ

 箴言2828を、
リビングバイブルは“正しい人は、悪人が幅をきかせると隠れ、彼らが滅びると戻って来ます。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“悪しき者が立ち上がると人は隠れ、彼らが滅びると正しき者が増える。”と訳し、
フランシスコ会訳は“悪い者が権力をふるうと、人々は身を隠す。彼らが滅びると、正しい人が増える。”と訳し、
 2017は“悪しき者が勢いを増すと、人は身を隠し、彼らが滅びると、正しい人が増える。”と訳し、
 新共同訳は“神に逆らう者が興ると人は身を隠し、彼らが滅びると神に従う人がふえる。”と訳しています。

 「悪しき者」(聖書協会共同訳、2017)、「悪人」(リビングバイブル)、「悪い者」(フランシスコ会訳)、「神に逆らう者」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で、誤った、不正な、邪悪な、不道徳な、悪い、不敬虔な、不信心な、罪深い、・・・、等の意に使われ、ヘブライ語ではそれに人(者)の意をつけて使いもします。
この個所の単語は複数形です。

 この世のすべての根源はまことの神であるヤハウェ(主)です。
まことの神に対して最も罪深いのは、聖書の三一の神を人間、天使、宇宙を含めた全てのものの創造主とせず、聖なるお方としないことです。
事実、ヤハウェ(主)なる神が、万物を創造されたのですから。
人間は造られたもの、被造物です。
ヤハウェが正しいとすることを正しいと捉え、主が、これが愛である、と言われ、なさることを愛とすることが健全なことですが、それから外れていることは、罪なのです。

 「幅をきかせる」(リビングバイブル)、「立ち上がる」(聖書協会共同訳)、「権力をふるう」(フランシスコ会訳)、「勢いを増す」(2017)、「興る」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「クーム」で、上がる、立ち上がる、増加する、昇る、起こる、等の意があり、留まる、達成する、・・等の意でも使われます。

 「人」(聖書協会共同訳、新共同訳、2017)、「人々」(フランシスコ会訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「アーダーム」(アダム)です。

 文の後半部分に入ります。
「滅びる」と訳されている語のヘブライ語原語は「アーバド」で、死ぬ、滅びる、等の意があり、この語に接尾辞で「彼ら」を意味する語がついています。
この単語には更に接頭前置詞も付いているので、「悪者たちが滅びると」or「不敬虔な者たちが滅びると」と訳せます。

 「正しい人」(リビングバイブル、フランシスコ会訳、2017)、「正しき者」(聖書協会共同訳)、「神に従う人」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ツァディーク」で、正しい、公正な、有徳な、等の意があります。神に対して正しい人は、神に従う人ですから新共同訳は「神に従う人」と訳したのでしょう。
この個所は複数形になっています。

 「戻ってくる」(リビングバイブル)、「増える」(聖書協会共同訳、フランシスコ会訳、2017、新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーバー」で、増加する、増える、・・等の意があります。

 この聖句を新共同訳は、“神に逆らう者が興ると人は身を隠し、彼らが滅びると神に従う人がふえる。”と訳しました。
アダムが堕罪して以降、人々が神に背を向け、サタンに従ったので、この世の神はサタン(悪魔)となりました。
1
ヨハネ519には“・・。わたしたち〔新生したキリスト者(筆者挿入)〕は神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。”(新共同訳)と記されています。

 ノアの時代もひどいものでした。
創世記6章には次のように記されています。
5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。/
8
しかし、ノアは主の心にかなっていた。/
11
地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。”(2017)とあります。
ノアはアダムから10代目の人でした。それでもその当時、悪に満ちていた世界であったのです。

 ノアには3人の息子がいました。その中にハムという人がいました。
ハムにクシュという子が生まれました。そしてクシュはニムロデ(ニムロド)を生んだのです。ヘブライ語は「ニムロード」です。
ニムロデの意味は“「私たちは反逆しよう」という意味であると思われる。”と聖書辞典に記されています。
創世記1010-12には“10 彼〔ニムロド(筆者挿入)〕の王国の初めは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアル〔別称「バビロニア」(筆者挿入)〕の地にあった。11 彼はその地からアッシリアに出て、ニネベ、レホボト・イル、カラ、12 そしてレセンを築いた。レセンはニネベとカラとの間にあり、それは大きな町であった。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 創世記11章にはバベルの塔の記事があります。
バベルの塔について聖書辞典は次のように述べています。
“古代人がバベル(別名バビロン)に建てた巨大な塔を指す。聖書には、ニムロデがバビロニヤ南部シヌアル平野に建設した町に造られた宗教的な意味を持つ建造物の一つとして描かれ(創11:1‐9.参照創10:10)、今日では神に反抗する人間の傲慢と自己栄化を表徴する固有名詞のように言及されることが少なくない(参照黙14:8,16:19)。バベルという地名は元来アッカド語で「神の門」を意味したが、創世記の著者は「混乱させる」(〈ヘ〉バーラル)という動詞との語呂合せをしている。人々は町と塔の建築を始めたが、人の高慢を見られた神の介入によって言語が混乱し、相互理解が妨げられたので、完成できなかった。
 メソポタミヤにおける考古学的発掘調査により、シュメールの複数の町で、最上階に神殿を築いた巨大な方形の塔が見出された。それらは山を模した人工丘で、おもに日干しれんがとアスファルトを使用して作られており、ジッグラトと呼ばれる。バビロンで見つかった粘土板に楔形文字で記された物語によれば、この地の塔の土台は幅と奥行が約90メートル、高さは神殿自体も含めて100メートルほどあった。ある記録には、アッカド王シャル・カリ・シャルリ(前2250年頃)がバビロンの塔を再建したとある。セナケリブ(前704―681年在位)はその破壊をもくろんだ。エサル・ハドン(前681―669年在位)はジッグラトを修築し始めたが、戦争で中断された。再建を果したのはネブカデネザル2世(前605―562年在位)であったと碑文に記されている。ヘロドトスもその塔を目撃した(前460年頃)。”(抜粋)とあります。

 この世の終わりには、獣(反キリスト)をリーダーとした世界の軍勢が、再臨のキリストに戦いを挑むのです。しかしたちまち返り討ちにあうのです。
その後、主キリスト様が統治する1000年間があります。
その時代に生きている人々は、サタン(悪魔)が解放されるまでは、主に従うのです。
そこは、アダムの堕罪前のエデンの園のようです。

 今日の個所である“神に逆らう者が興ると人は身を隠し、彼らが滅びると神に従う人がふえる。”(新共同訳)という聖句を読んだとき、アダムの堕罪以降とキリストの千年王国に思いが行きました。

 私たちキリスト者は、サタン(悪魔)が支配している時代にあっても、サタンや配下の悪霊たちに勝利できる恵みを与えられています。
悪魔の策略に対抗し、日々主に仕えていきたいものです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ヤコブ47には「・・・神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(新改訳初版~第三版)と記されていますから、いつも主を愛し、主に従い、悪魔に立ち向かって勝利しつつ地上生涯を全うさせていただけますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月22日 (水)

箴言28:27 貧しい人への援助

 箴言2827を、
リビングバイブルは“貧しい人を助けておけば、いざという時に困りませんが、見て見ぬふりをすると恨まれます。”と訳し、
新共同訳は“貧しい人に与える人は欠乏することがない。目を覆っている者は多くの呪いを受ける。”と訳し、
2017
は“貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くののろいを受ける。”と訳し、
新改訳初版~第三版は“貧しい者に施す者は不足することがない。しかし目をそむける者は多くののろいを受ける。”と訳し、
フランシスコ会訳は“貧しい者に施す者は、何一つ不足することがない。貧しい者から目をそらす者は、多くの呪いを受ける。”と訳しています。

 「助ける」(リビングバイブル)、「与える」(新共同訳)、「施す」(新改訳、フランシスコ会訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ナータン」で、giveの意です。

 「困る」(リビングバイブル)、「欠乏する」(新共同訳)、「不足する」(新改訳、フランシスコ会訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ルーシュ」で、困窮している、極貧である、欠乏している、・・・等の意があります。

 後半部分には「貧しい者」と訳せる単語はありません。フランシスコ会訳は理解しやすいように「貧しい者から」と加えているのだと思います。
聖句の全体の意味としてはフランシスコ会訳が分かりやすいです。

 箴言1917には“貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。主がその行いに報いてくださる。”(2017)と記されています。

 困っている人に私たちが遭遇した時、困っている人を助けるのと、見て見ぬふりをするのとでは、私たちに対する神さまの態度がまるで違ったものになりますね。

 しかし、助けてもらう方も、援助してもらうことに味をしめて、怠惰になってしまっては困りものです。助けるほうの人も、1テサロニケ4112テサロニケ36-12の聖句もありますので、そのあたりの塩梅を考慮する必要があります。

 経済的な困窮のみならず、霊的な困窮、霊的な欠乏、という面からも考えてみたいと思います。
霊的に、あるいは精神的に困っている人がいたら、この世的な、心理学的な対応ではなく、御霊に導かれた適切な聖句を、その人に提供することができたら幸いですね。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
それぞれの場面で、主に導きを戴いて、適切に対応することができますようお導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月18日 (土)

箴言28:26 主なる神様を除外した人間の知恵ではなく神の知恵に基づいて

 箴言2826を、
リビングバイブルは“自分に頼るのは愚かですが、神の知恵に頼れば安全です。”と訳し、
聖書協会共同訳は“自分の心を信頼する者は愚か。知恵によって歩む人は救われる。”と訳し、
2017
は“自分の心に頼る者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。”と訳しています。

 「心」と訳されている語のヘブライ語原語は「レブ」で、心臓、心、・・等に訳されますが、比喩的に、知性、感情、意志、等の意でも用いられます。
「自分の心」と訳されている「自分の」は、「レブ(こころ)」の接尾辞で、「彼」という意味の語がついています。

 前半部分は「彼の心に頼るのはor信頼するのは愚かな者」となりますが、日本人の感覚では「自分の考えや感情又は意志を信じるのは愚かな者です。」ということになると思います。
 
 箴言が書かれた旧約時代は、主なる神様を信じていても聖霊が心に住んでくださっておられたわけではないので、神の導きからではない、人の考えや感情等に頼って何かを決定してしまうのは、神様の導きによって決定するよりも劣ることは明らかです。

 後半部分の「安全」(リビングバイブル)、「救われる」(聖書協会共同訳、2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「マーラト」で、平らな、平坦な、なめらかな、逃げる、逃れる、脱出する、回避する、救う、救出する、保存する、保護する、・・等の意があります。

 後半部分は「知恵によって歩む人は平たんです(平らかな歩みです)or安全ですor救われます」という意です。

 リビングバイブルは「神の知恵」と訳していますが、ヘブライ語聖書の文には「神の」という単語はありません。
しかし、この聖句全体を読むと、ここに記されている「知恵」は「神の知恵」であると考えることができると思います。

 ごちゃごちゃとどうでもよさそうなことを書いてきましたが、同じようなことを述べている箴言の他の聖句を下記します。
 「4 あなたは神と人の前に好意と良い成果を得る〔神と人との前に好意と聡明を得よ(新改訳初版~第三版)〕。
5
 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼るな。
6
 どのような道を歩むときにも主を知れ。主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
7
 自分を知恵ある者などと思わず、主を畏れ、悪から離れよ。〔神を第一とし、神に従わないことは的外れであり、それは良いことではありません。悪や罪をそのように捉えることも可能でしょう。(筆者挿入)〕
8
 それはあなたの体の癒やしとなり、あなたの骨の潤いとなる。」(箴言3章・聖書協会共同訳)と記されています。

 同じ個所をリビングバイブルは、
4.5 神にも人にも喜ばれ、正しい判断力と英知を得たいなら、とことん主に信頼しなさい。決して自分に頼ってはいけません。
6
何をするにも、主を第一にしなさい。主がどうすればよいか教えてくださり、それを成功させてくださいます。
7.8
自分の知恵を過信してはいけません。むしろ主に信頼して、悪の道から離れなさい。心も体もみずみずしく元気がみなぎります。」と意訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主を愛して、主を第一とし、主に従い続ける歩みをして行けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年5月14日 (火)

箴言28:25 驕る者・貪欲な者は他者をも苦しめ、主に信頼する者は豊かになる

 箴言2825を、
リビングバイブルは“欲張りはけんかばかりしますが、主に頼る人は幸せになります。”と訳し、
2017
は“欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、主に拠り頼む人は豊かにされる。”と訳し、
聖書協会共同訳は“驕(おご)る者はいさかいを引き起こすが、主を信頼する人は豊かになる。”と訳しています。

 「欲張りな」(リビングバイブル)、「欲の深い」(2017)、「貪欲な」(新共同訳)、「驕る」(聖書協会共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーハーブ」です。
「ラーハーブ」の原義は、広い、広々とした、の意ですが、大きい、高慢な、尊大な、・・等の意でも使われます。
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人訳(旧約のギリシア語訳)は、「アルレーストス」という語を用いています。これは「貪欲な」の意です。(十戒の十番目に相当するような不当な欲求が)大きい、ということなのかなと思います。

 この聖句の前半部分は、ヘブライ語聖書を基に訳すと、聖書協会共同訳のように「驕(おご)る者はいさかいを引き起こす」となりますし、ギリシア語訳を基に訳すと、2017訳のように「欲の深い人は争いを引き起こす」となります。

 使徒1726には「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。」(2017)と記されています。

 プライドの高い人は、起こさなくてもよい争いを引き起こしますし、欲の深い人も同じです。
特に戦う欲望の強い人、他の人を人とも思わない貪欲な人は困りますね。
 ヤコブ41.2に次のような聖句があります。
1 あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。2 あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。・・・。”(2017)と記されています。

 人間の間における驕り、高ぶりは困りますが、もっと危険なのは主なる神様に対する高ぶりです。神さまに対して高ぶっている人は、自分が神になっています。しかし、審判の時には、主なる神様が御力を発揮されますから、神様に対しておごり高ぶっている人はひどくみじめなことになります。

 聖書は、主イエス・キリスト様を信じないことは罪である(ヨハネ169)と述べています。主は、御父のひとり子の御子であり、当然のことながら「神」なのです。その神が人の形をも取り、贖いを成し遂げて救い主ともなって下さったのです。

 この世の終わり、すなわち大患難時代の終わりには、主キリストに敵対する人たちがメギドの丘{ハル・メギド(ハルマゲドン)、イズレエルorエスドラエロン}に集合し、その後エルサレムに向かって進み、ユダヤ人たちや、何よりも主キリストに対して戦いを挑むのです(ゼカリヤ122-9、黙示録1911-19)。その結果はどうなるのでしょう。
 黙示録1919-203には次のように記されています。
1919 私は、あの獣〔この時代の世界統治者、the反キリスト(筆者挿入)〕と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方〔王の王、主の主である再臨のキリスト(筆者挿入)〕とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。
20
 しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印〔666(筆者挿入)〕を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池〔=ゲヘナ(筆者挿入)〕に投げ込まれた。
21
 残りの者たちは馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるまで食べた。
20
1 また私は、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖を手にして、天から降って来るのを見た。
2
 この天使は、悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇を捕らえ、千年の間縛って、3 底なしの淵に投げ込み、鍵をかけ、その上に封印をした。千年が終わるまで、もはや諸国の民を惑わさないようにするためである。・・・。”(聖書協会共同訳)とあります。

 箴言2825の後半部分には「主に信頼する者は豊かになる」と記されています。
新約の時代は、「豊かになる」といっても、第一義的には、経済的なことではありません。
エペソ13に、“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と記されています。
キリストに信頼する者は、霊的に豊かになるのです。
とはいえ、主のご計画に従って、経済的に豊かにされる人もいることでしょう。
その人は、「分け与える人は惜しまずに分け与え、・・・、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。」(ローマ1282017)という聖句に該当する人でしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたに対してへりくだり、あなたに信頼して歩む生涯であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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