ミカ書

2020年5月27日 (水)

ミカ7章 ミカの哀歌、希望、祈り/内におられるキリスト

ミカ7章は少しの説明を加えれば、読むだけで理解できる箇所ですので、そのような方針で下記します。

 ミカ71-6
 新改訳2017は、
1 ああ、なんと悲しいことだ。私は夏の果物を集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる時のようになった。食べられる房は一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。2 敬虔な者はこの地から消え失せ、人々の間に、心の直ぐな者は一人もいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。3 彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人もさばき人も賄賂を求める。有力者は自分の欲するままを語り、こうして事をねじ曲げている。4 彼らのうちの善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る。あなたを見張る者の日、あなたの刑罰の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。5 あなたがたは友を信用するな。親しい友も信頼するな。あなたの懐に寝る者からも、あなたの口の戸を守れ。6 子は父を侮り、娘はその母に、嫁はその姑に逆らい、それぞれ自分の家の者を敵とする。”(新改訳2017)と訳し、
 リビングバイブルは、
1.2 ああ、悲しいことだ。正直者を見つけるのが、こんなにも困難だとは。まるで、収穫期を過ぎてから、ぶどうやいちじくの実を見つけるようなものだ。どんなに欲しくても、ぶどう一ふさ、初なりのいちじく一個もない。正しい人は地上から消えてしまった。誠実な人は一人も残っていない。みな人殺しで、自分の兄弟まで手にかけようとしている。3 彼らは、あらゆる手段を用いて、悪事を働いている。しかも、その手口の巧妙なこと。政治家も裁判官も、賄賂を求める。金持ちは彼らを買収し、じゃま者を消す相談をしている。正義はゆがめられてしまった。4 一番ましな者でも、いばらのようにとげとげしい。最もまっすぐな者でも、いばらの垣根よりねじれている。そんなあなたをさばく日が、すぐにやって来る。処罰の時がそこまで来ている。混乱と破滅と恐怖が、あなたに起こる。5 だれも信じるな。親友も、妻でさえも。6 息子は父親をばかにし、娘は母親に逆らい、嫁はしゅうとめをのろう。まさに、敵は自分の家の中にいる。”と意訳しています。

 イザヤも多少の違いはありますが、ユダに遣わされたほぼ同時代の預言者でした。伝承では、イザヤはのこぎりで引かれて殉教した、と新共同訳スタディー版の注にあります。
本当に悲惨な時代でした。
 話は飛びますが、携挙後の世界はもっとひどいことでしょう。悪魔が100%支配する世界になりますから。
主が迎えに来てくださるのを待ち望みます。
ヘブル928には、「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ〔キリストの十字架による贖い(筆者挿入)〕、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れて〔キリストの空中再臨。その時に主の現れを待ち望んでいる人は携挙されます(筆者挿入)〕くださいます。」(新改訳2017)と記されています。

 ミカ77-10
 新改訳2017は、
7 しかし、私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。8 私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私の光だ。9 私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。10 私の敵はこれを見て恥におおわれる。彼らは、私に向かって「あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、どこにいるのか」と言った者たちだ。私の目は、確かに見る。今に、敵は道の泥のように踏みつけられる。”と訳し、
 リビングバイブルは、
7 それでも、私は主に助けを求め、神が私を救い出してくれるのを待ち望む。神は私の言うことを聞いてくださる。8 敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても、また起き上がるからだ。たとえ暗やみの中に座っていても、主が私の光となる。9 主から罰を受けている間、私はじっと耐えていよう。私が主に罪を犯したからだ。そののち、主は私を敵の手から守り、彼らが私にしたすべての悪を罰する。神は私を暗闇から光の中へ連れ出し、私は神のいつくしみを見る。10 その時敵は、神が私の味方であることを認め、「おまえの神はどこにいるのか」とあざけったことを恥じる。今すでに、彼らが道の土のように踏みつけられるさまが見えている。”と意訳しています。

 ミカが主から与えられた幻は、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、ということです(ミカ11)から、B.C.742-686年の間、ということになります。
この間に、イスラエル全土は、アッシリアの攻撃にあいました。主の裁きです(2列王記1529171-6189-17)。しかし、主は、アッシリアの主に対する高慢(2列王記1819-35)のゆえにアッシリアを裁き、エルサレムを救いました(2列王記1932-37)。主からの罰、というのは、主が裁きの為に遣わしたアッシリアの攻撃を指しているのではないかと思います。その渦中にいたミカは、ユダ王国への裁きを自分もその中の一人として述べているのではないかと思います。

 アッシリアの攻撃の中にあったミカと、先の大戦で、信仰を貫いた日本人キリスト者との類似点は、信仰を貫いた日本人キリスト者も、他の日本人たちと同じような食糧難、爆撃、その他にあいましたが、常に主の導き、主との交わり、主からの光を頂きながら歩んだことにおいて似ています。信仰を貫いた日本人キリスト者の中には、殉教した人たちもいましたが、その人たちは大いなる報酬を受けるのです(マタイ5122コリント510)。

 ミカ711-13
 新改訳2017は、
11 あなたの石垣を建て直す日、その日、国境が広げられる。12 その日、アッシリアとエジプトの町々から、エジプトから大河まで、海から海まで、山から山まで、あなたのところに人々がやって来る。13 しかし、その地は、そこに住む者たちのゆえに、彼らの行いの実によって荒れ果てる。”と訳し、
 リビングバイブルは、
11 神の民よ。あなたの町々は建て直され、前よりも大きくなり、繁栄する。12アッシリヤからエジプトまで、エジプトからユーフラテス川まで、海から海まで、遠い山と丘から、多くの国の人々が来て、あなたをほめる。13しかしまず、恐ろしい滅亡がイスラエルに臨む。それはイスラエルの民のはなはだしい悪のためだ。”と意訳しています。

 11.12節は、その内容より、キリストの千年王国時代の預言であろうと思います。
「神の民よ。あなたの町々は建て直され」(11)という箇所だけを見ると、バビロン解放後のこととも考えられましが、それに続く11.12節の内容は、キリストの地上再臨後のことです。

 13節の「しかしまず、恐ろしい滅亡がイスラエルに臨む。それはイスラエルの民のはなはだしい悪のためだ。」(リビングバイブル)という内容は、幾重にも考えられます。
北イスラエル王国の滅亡、ユダ王国の滅亡、A.D.70年のローマによる滅亡、キリストの地上再臨前3年半の間のヤコブ(イスラエル)の試練の時、等です。特に最後の三年半について、イエス様は、「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(マタイ2421・新改訳2017)と語られました。
イエス様が語られたのは携挙後のことで、新生し、主を待ち望んでいるキリスト者は携挙されますからここの主の御言葉に該当する人々ではありません。

 ミカ714-20は、ミカの祈りです。
 新改訳2017は、
 “14 どうか、あなたの杖で、あなたの民を、あなたのゆずりの群れを牧してください。彼らは林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。どうか、彼らが昔の日のように、バシャンとギルアデで草をはむようにしてください〔B.C.733年頃、バシャンやギルアデの住民はアッシリアに捕囚になりました。2列王記15291歴代誌526参照(筆者挿入)〕。15 「あなたがエジプトの地から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼らに見せる。」16 諸国の民は見て、自分たちのすべての力を恥じ、手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなります。17 彼らは、蛇のように、地を這うもののように土をなめ、震えながら自分たちの洞穴から出て来ます。そして、私たちの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のみもとで、おじ惑い、あなたを恐れます。18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。20 昔、私たちの父祖たちに誓われたように、ヤコブにまことを、アブラハムに恵みをお与えください。”と訳し、
 リビングバイブルは、
14 主よ、来て、あなたの民を治めてください。あなたの群れを養い、平和で豊かな生活を送らせてください。昔のように、バシャンとギルアデの肥沃な牧草地を楽しませてください。15 主はこう答えます。「そうしよう。エジプトで奴隷だったあなたを連れ出した時のように、あなたのために力強い奇蹟を行なおう。16 全世界は、わたしのすることに驚き、自分たちの力が取るに足らないものであることを知って困惑する。恐れのあまり口もきけず、周囲のことは何も耳に入らない。」17 彼らは、蛇や穴からはい出す虫けらのように、みじめな自分に気づく。そして、私たちの神、主に会うため、自分たちのとりでから震えながら出て来る。彼らは主を畏れかしこんで、立ち尽くす。18 あなたのような神が、ほかにいるでしょうか。あなたはご自分の民の中で生き残った者の罪を赦してくださいます。あわれみを好み、ご自分のためにいつまでも怒ってはおられません。19 再び、私たちにあわれみをかけてくださいます。私たちの罪を踏みつけ、海の底に投げ込まれます。20 昔ヤコブに約束したように。私たちを祝福してくださいます。先祖アブラハムに約束したように、私たちを愛してくださいます。”と意訳しています。

 15.16節は、ミカの祈りに応えた主の御言葉です。それを基に考えると、この祈りはキリストの地上再臨により成就することが分かります。地上にキリストの王国(御国)が来るのです。
私たちにとっては、まもなくのことであろうと思いますが、ミカの預言からは2700年位たっています。しかし、神にとっては、1000年は1日の如し、です(2ペテロ38)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ミカは、「たとえ暗やみの中に座っていても、主が私の光となる」と証していますが、私たちも同様に、如何に回りが暗くてもあなたの光の内を歩ませて頂けますことを感謝します。
新約の恵みは、主が私たちの内に住んでくださっておられることです。ハレルヤ!
今日も主の導きを頂いて歩ませて頂けますことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年5月26日 (火)

ミカ6:9-16 主の教えに背く罪と罰/主を愛し主に従う歩みの幸い

 ミカ69-12には、
9 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声が都に向かって叫ぶ。──あなたの御名を恐れることは英知だ──「聞け、杖のことを。だれがその都を指定したのか。10 まだ、悪しき者の家には、不正の財宝と、のろわれた升目不足の升があるではないか。11 不正な秤と、欺きの重り石の袋を、誤りなしとすることが、わたしにできるだろうか。12 富む者たちは不法で満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中で舌が欺く。”(新改訳2017)と記されています。

 9節には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声が都に向かって叫ぶ。──あなたの御名を恐れることは英知だ──「聞け、杖のことを。だれがその都を指定したのか。」とあります。
「聞け、杖のことを」とある「杖」と訳された語の原語は「マッテー」で、枝、杖、部族、・・等の意があります。新共同訳は「ユダの部族」と意訳しています。
「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声が都に向かって叫ぶ。だれがその都を指定したのか。」とある文の「都」はエルサレムのことでしょう。

 主は、エルサレムに対して、エルサレムを都としているユダ王国に対して、「不正をするな」という警告を発し、主を畏れることこそ英知である、賢いことである、と語られているひとかたまりの文章であると思います。
 断罪された蓄財方法は、不正なはかりや升でごまかして金を搾取するという方法でした。
不法や嘘は日常のことであったようです。

 主は、1012節で、告発者or検事役として、ユダの罪を並べ立てました。
次の13-16節では、主が判事として、刑罰を宣告しているのです。
これは預言でしたけれども成就したのです。バビロンによってユダ王国は敗れ、その悲惨さは哀歌に記されています。

 ミカ613-16には、
13 わたしも、あなたを打って痛めつけ、あなたの罪のゆえに荒れ果てるままにする。14 あなたは食べても満ち足りず、あなたの腹は飢える。取っておいても保つことはできず、保っていたものは、わたしが剣に渡す。15 種を蒔いても、刈ることがなく、オリーブを搾っても、油を身に塗ることがない。新しいぶどう酒も、それを飲むことがない〔他人の物となってしまうからでしょう(筆者挿入)〕。16 あなたはオムリの掟と、アハブの家のすべての慣わしを守った。あなたがたは、彼らのはかりごとに従って歩んだ。それは、わたしがあなたを恐怖のもととし、住民を嘲りの的とするためだ。あなたがたは、わたしの民へのそしりを負う。」”(新改訳2017)と記されています。

 16節には、「あなたはオムリの掟と、アハブの家のすべての慣わしを守った。」とあります。
オムリに対する、主の見方が、1列王記16章に、「25 オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。」

(新改訳2017)と記されています。即ち、北イスラエルの王であるオムリは、その民に偶像礼拝の罪を犯させたということです。

 ミカ616に「アハブ家」と出てきますが、
アハブは、オムリの子です。
1
列王記16章には、「30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。32 さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行った。」(新改訳2017)と記されています。
 アハブ家ということで言えば、アハブの妻イゼベルは、主(ヤハウェ)の預言者たちを殺しました(1列王記184.13)。
 また、イスラエルの王アハブはナボテのブドウ園を、代替え地あるいはそれ相当の金と引き換えに得ようとしましたが、ナボテは律法に従って土地を手放しませんでした。それで気落ちしているアハブに対し、妻のイゼベルは、アハブをそそのかし、悪を行う人達を利用し、無実のナボテを裁判で有罪とし、石打による死刑にしたのです。そのようにしてイゼベルは、所有者を合法的に殺し、所有者に金を払わずに、アハブの欲しがったブドウ園を手に入れたのです(1列王記211-16)。
この時代に遣わされた預言者がエリヤでした。

 オムリ、アハブはイスラエルの王です。アハブの妻は悪名高きイゼベルです。
ミカ616には、「あなたはオムリの掟と、アハブの家のすべての慣わしを守った。」とありましたが、ユダも同じようなことをした、と主は叱責しているのです。

 2列王記177-18には、北王国イスラエルが、主の裁きによって、アッシリアによって滅ぼされた理由が、
7 ・・・、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。9 イスラエルの子らは、自分たちの神、主に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き〔偶像礼拝所(筆者挿入)〕、10 すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、11 主が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って主の怒りを引き起こした。12 主が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。13 主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダに次のように警告された。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通してあなたがたに伝えた律法全体にしたがって、わたしの命令と掟を守れ。」14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちのように、うなじを固くした。15 彼らは主の掟と、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告を蔑み、空しいものに従って歩んだので、自分たちも空しいものとなり、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民に倣って歩んだ。16 彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、主の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした。18 そのため主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から除かれた。”(新改訳2017)と記されています。

 それに続く2列王記1719.20には、
19 ユダも、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。20 そのため主はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。”(新改訳2017)と記されています。

 使徒ヨハネも、新約の信者たちに、「子どもたち、偶像から自分を守りなさい。」(1ヨハネ521・新改訳2017)とこの手紙の最後に書き記しました。
 また、黙示録の最後の章にも、「15 犬ども〔主の御言葉に敵対する者{マタイ76を参考}(筆者挿入)〕、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。」(新改訳2017)と記されています。

 偶像礼拝は、まことの神様以外のものが、まことの神様以上のものになっているということを表しています。
まことの神様以外のものとは、何かの「像」を拝む、というだけではなく、お金や肩書や権力や人や、~主義、・・・・色々なものです。それらが、まことの神様以上になったら、それは偶像礼拝です。
イエス様は、「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。」(マタイ633・リビングバイブル)と語られました。(原語の直訳は、「しかし、まず神の国と神の義を求めなさい。」です)

<お祈り>
天のお父様。
あなたは、私たちを限りなく愛し、イエス様は、私たちの罪のためにご自身の体を差し出されました。
御父の愛と、イエス様の御業のゆえに、そして聖霊様の働きによって、新生させて頂いた私たちがいます。
御父や御子イエス様が私たちを愛してくださったほどには私たちはあなたを愛することは出来ないかも知れませんが、あなたを愛し、あなたが語られた御言葉に信頼し、日々、感謝しながら歩み続ける者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名によって祈ります。アーメン

2020年5月25日 (月)

ミカ6:1-8 大切なことは主と共に歩むこと

 ミカ61.2には、「1 さあ、主の言われることを聞け。立ち上がれ。山々に訴えよ。もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。2 山々よ、聞け。主の訴えを。変わることのない地の基よ。主がご自分の民を訴え、イスラエルと論争される。」(新改訳2017)と記されています。
主は、法廷闘争のかたちで語り始められます。
山々や丘々は法廷に呼び出された証人です。

 1節の「立ち上がれ。山々に訴えよ。もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。」というのは、主(ヤハウェ)が、ミカに語りかけている言葉です。
ですから、主(ヤハウェ)が、「ミカよ、立ち上がって、山々に訴えなさい。もろもろの丘にあなたの声を聞かせなさい。」と語られているのです。

 1節の「さあ、主の言われることを聞け。」と、2節の「山々よ、聞け。主の訴えを。変わることのない地の基よ。主がご自分の民を訴え、イスラエルと論争される。」という言葉は、ミカの言葉です。

 次に、35節で、イスラエルの民に対する主の訴えが述べられます。
 新改訳2017は、
3 「わたしの民よ、わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにしてあなたを煩わせたというのか。わたしに答えよ。4 わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを贖い出し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリアムを送った。5 わたしの民よ、思い起こせ。モアブの王バラクが何を企んだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは、あなたが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の正しいわざを知るためであった。」”(新改訳2017)と訳し、
 リビングバイブルは、
3 わたしの民よ、なぜ、わたしに背くのか。わたしがどんな悪いことをしたというのだ。なぜ、我慢できなくなったのか。はっきり答えよ。4 わたしはあなたをエジプトから連れ出し、奴隷の鎖を断ち切った〔出エジプト記1-14章参照(筆者挿入)〕。あなたを助けるために、モーセ、アロン、ミリヤムを送ったのだ。5 私の民よ、忘れたのか。モアブの王バラクが、ベオルの子バラムにのろわせて、あなたを滅ぼそうとした時のことを。わたしはバラムに、あなたをのろうどころか、かえって祝福させたのだ〔民数記22-24章参照(筆者挿入)〕。このように幾度も、あなたに好意を示した。シティムやギルガル〔「シティムからギルガルまで」が正しいと思います〕で起こったこと〔民数記25章~ヨシュア記5章参照(筆者挿入)〕も、そこであなたを祝福したことも、みんな忘れてしまったのか。」”と意訳しています。

 主は、主がイスラエルの民を、出エジプトからヨルダン川を渡って約束の地に導き入れたところまでのことをかいつまんで話されました。
そして、「私は、イスラエルの民に、何か悪いことをしたことがあるのか、イスラエルの民に背かれるようなこと、嫌われるようなことをしたことがあるか?」と主は語られたのです(3)。

 ミカ66.7には、
6 何をもって、私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。”(新改訳2017)と記されています。

 どのようにしたら、主(ヤハウェ)に受け入れてもらえるのか?
とイスラエルがミカに質問する形をとっています。
①全焼のささげ物として一歳の子牛をささげることか?
②幾千の雄羊、大量の油をささげることか?
③長子をいけにえとして捧げること(人身御供)か?
というように、エスカレートしています。

 イスラエルが、ミカの時代、如何に律法を知らなかったのか、ということを暴露しています。
ミカは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代の預言者でした(ミカ11)。
アハズ王は、自分の子を人身御供としたのです。
2
列王記163をリビングバイブルは、「それどころか、彼〔アハズ(筆者挿入)〕は、イスラエルの歴代の王のように偶像礼拝を行ない、イスラエルの民がこの地に入った時に主が滅ぼされた国々の異教の風習にならい、焼き尽くすいけにえとしてわが子を神々にささげることまでしました。」と意訳しています。

 ミカは次の8節で、主に受け入れられるためにはどうしたらよいのかということを、「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」(新改訳2017)と語ります。
 
 一言で言えば、ミカは、律法を守りなさい、ということを語ったのです。
主と共に歩む、ということは、主に喜ばれる歩みをする、ということも包含されていると思います。主の嫌がることをしていては、主との間に壁が出来てしまいます。主が嫌がることは「罪」です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
いつもあなたを愛し、あなたに従って歩み続ける者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年5月24日 (日)

ミカ5:7-15 世界の主権者であられる主キリスト・イエス様

 ミカ57-9には、
7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。9 あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。”(新改訳2017)と記されています。

 ミカ55.6の冒頭と最後の部分を、新改訳2017の訳で下記すると、
5 平和は次のようにして来る。・・・。6 ・・・・。彼は、私たちをアッシリアから救い出す。」となります。
ミカ55.6の預言は、歴史上完全に成就したと考えられるものではない、即ち未完了のものなので、アッシリアを終末におけるイスラエルの敵の象徴として捉え、これを終末の出来事として解釈すると、主キリスト・イエス様が、イスラエルをイスラエルの敵から救い出される、ということになり、主キリストの地上再臨を表している預言と考えることが出来ます。

 そして、7-9節へと続きます。
7
節に「ヤコブの残りの者」が登場します。
終末のヤコブの残りの者とは、イェシュア(イエス)をメシア(キリスト)と信じた人達です。
ヤコブの残りの者について7-9節は、
 ①ヤコブの残りの者は、諸国の民に恵みをもたらすものである。
多くの国々の民のただ中で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ(7)。
 ②ヤコブの残りの者は、ただ主だけを頼りとする。
人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない(7)。
 ③{ヤコブ(イスラエル)は、歴史の中で、諸国の民に苦しめられることが多かったが、終末から千年王国にかけての}ヤコブの残りの者は、諸国民の中にあって、また敵対する者の中にあってライオンのように強くされ、無敵である(8.9)。
と述べています。
 ヤコブの残りの者には、主のみにより頼む信仰と、愛と、義(+力)、が与えられるのであろうと思います。
キリストの千年王国時代、イスラエルは、世界の中心となるのです。

 ミカ510-14には、
10 「その日──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはあなたのただ中から、あなたの馬を滅ぼし、戦車を打ち壊し、11 あなたの国の町々を絶ち滅ぼし、要塞をみな破壊する。12 わたしはあなたの手から呪術者を断ち、占い師をあなたのところから絶やす。13 わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱〔ともに偶像(筆者挿入)〕を断ち切る。あなたはもう、自分の手で造った物を拝まない。14 わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こそぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。”(新改訳2017)と記されています。

 主(ヤハウェ)即ちまことの神は、イスラエルの地から、まことの神以外により頼む対象となるものをすべて消し去ります。悪しき霊に関するものだけではなく、軍事関係のものまでも。

 ゼカリヤ149には、「主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。」(新改訳2017)と記されています。

 ミカ515には、「わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。」(新改訳2017)と記されています。
終末及びキリストの千年王国時代、主キリスト・イエス様は、鉄の杖をもって諸国民を統治されます。
黙示録125には、「・・・鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。・・」と記されています。
また、ゼパニヤ3章には、「8 ・・・わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。9 そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。」(新改訳2017)と記されています。

 イスラエル以外の諸国からも偶像は無くなります。なんと気持ちの良いことでしょうか。日本からもなくなるのです。ハレルヤ!
但し、日本列島があるのかないのか、定かではありません。日本列島が島からなっているとしたらの話ですが。
黙示録1620には、「島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。」(口語訳)とあり、
リビングバイブルには、「島々は消え去り、山々は平地に変わりました。」と訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主キリスト・イエス様が誰の目にも主権者であるということを明らかにされる時が早く来ますよ
うに。
そして、主の御名があらゆるところでほめたたえられますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年5月23日 (土)

ミカ5:2-6 主は力ある神、平和の君

 ミカ51-3には、
1 今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」3 それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。”(新改訳2017)と記されています。

 1節の預言は、エルサレムの崩壊でした。
2
節の預言は、主イエス・キリスト様がベツレヘムで誕生し、また、主キリスト・イエス様は、イスラエルを治める者であり、それは永遠の昔からの神様のご計画である、というものでした。
この世においてイエス様がイスラエルを治めるのは、まだ未来のことです。
初臨のイエス様は、特に十字架を経て復活された後、霊的イスラエル、即ちイエス様を主と信じる者たちを治め初め、それは今も継続し、永遠に継続します。
肉におけるイスラエルの人たちを、初臨のイエス様は統治されませんでした。
初代教会時代、アブラハム・イサク・ヤコブの子孫であるイスラエル人であってイエス様の統治を快く受け入れた人たちは、イエス様を主と信じた人達でした。即ち新生した人たちであったのです。私は、新生した人たちの集団をここで霊的イスラエルと述べています。

 そして、3節には、「それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。(新改訳2017)と記されています。

 3節も2節の私の考え方を土台として述べて行きます。
「産婦が子を生む時まで」の「産婦」と訳されている語の原語は、他の訳し方もできます。「産婦」と訳された語の原語は、「ヤーラド」で、産婦、(父親が子を)もうける、助産師、・・等の意があります。
神のひとり子の御子、即ち神であるお方が、肉体をまとって誕生したのは、マリアからでしたが、キリストのよみがえりは神の霊によりました。
ヘブル15に、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」(新改訳2017)とありますが、これは、キリストの復活を指しています。キリストをよみがえらせたのは神です。

 余談になりますが、
ローマ811には、「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊〔「霊」(新改訳、聖書協会共同訳)〕が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊〔「霊」(新改訳、聖書協会共同訳)〕によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」(新改訳2017)と記されています。
神の霊が私たちの内に住んでくださっておられるので、私たちは、キリストの空中再臨の時に霊の体に変えられるのです。

 3節の後半部分には、「そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。」(新改訳2017)と記されています。
「兄弟のほかの者」の「ほかの者」と訳されている語の原語は、「イェテル」で、レムナント(残りの者)の意があります。

 ゼカリヤ138.9には、
8 全地はこうなる──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の神』と言う。」”(新改訳2017)と記されています。

 8節冒頭に、「全地はこうなる」とありますが、新共同訳は「この地のどこでもこうなる」と訳しています。ヘブライ語聖書では、「地」(エレツ)の冒頭に冠詞が付いているので、これはイスラエルの地を指すものと思います。ですから、この箇所は、「イスラエルの地のどこでもこうなる」と訳せると思うのです。ゼカリヤ138.9に出てくる三分の一の人たちは、レムナント(残りの者)で、イエス様が地上に再臨される時、大いなる悔い改めをし、イエス様をお迎えする人たちです。その人たちのことを指して、パウロは、「こうしてイスラエルは皆救われる」(ローマ1126)と述べたのだろうと思います。
この人たちは、ゼカリヤ1210-14に、
10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし〔イエス(筆者挿入)〕を仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き〔イェシュア(イエス)がメシア(キリスト)であったと、泣いて悔い改める(筆者挿入)〕、その妻たちもひとり嘆く。”(新改訳2017)と記されている人たちであると思います。

 また3節の「彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。」とあるのは、どこに行っているのか分からない北イスラエルの十部族の子孫たちがイスラエルの地に帰ることをも意味しているのだろうと思います。これが起こるのは黙示録19章が終わってからだろうと思います。

 ミカ54には、
“彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。”(新改訳2017)と記されています。
主キリスト・イエス様とイエス様に養われている者の関係が記されています。
4
節は、霊的な意味では、主の初臨からとこしえまで続くものです。
但し、旧約時代でもダビデは、主の養いを豊かに経験しました。それが詩篇23篇に記されています。
ダビデの主は、受肉前のイエス様であった可能性があります。
ダビデは、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の主〔アドニ(筆者挿入)〕に言われた。・・・・。」(詩篇1101・新改訳2017)と語っていますから。
4
節が物質界に及ぶのは、キリストの千年王国時代のことです。

 ミカ55.6には、
5 平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。6 彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。”(新改訳2017)と記されています。

 5節冒頭に、「平和は次のようにして来る。」(新改訳2017)と記されていますが、
聖書協会共同訳は、「この方こそ平和である。」と訳し、
リビングバイブルは、「この方は私たちの平和となる。」と訳し、
口語訳は、全くの直訳で、「これ〔原語には「彼」の意もある(筆者挿入)〕は平和である」と訳し、
文語訳は、「彼は平和なり」と訳し、
新共同訳は、「彼こそ、まさしく平和である。」と訳し、
岩波訳は、「これが平和である。」と訳しています。
ヘブライ語聖書は、(接続詞を除くと)ハーヤー(です) ゼ(これ、彼、・・・) シャローム(平和、平安)と書いてあります。

 5.6節をリビングバイブルは、「5 この方は私たちの平和となる。アッシリヤが攻め入り、私たちの領土を踏みにじる時、この方は、七人の牧者と八人の指導者を立てる。6 彼らは抜身の剣でアッシリヤを支配し、ニムロデの地(バビロニヤ)の門に入る。アッシリヤ人が私たちの国に侵入する時、この方が私たちを救い出す。」と訳しています。

この預言のすべてを成就した出来事はありませんが、この預言の一部であれば、B.C.701年、アッシリアによってエルサレムが包囲され、エルサレムは危機的な状態に陥りましたが、主が助けだされたということがありました(2列王記1813-1937)。 
特に、2列王記1935-37には、
35 その夜、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。36 アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。37 彼が自分の神ニスロクの神殿で拝んでいたとき、その息子たち、アデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺した。彼らはアララテの地へ逃れ、彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。”(新改訳2017)と記されています。

 5.6節は、預言されている全てが成就しているわけではないので、5.6節のアッシリアをイスラエルの敵の総称、またニムロデを反キリストの象徴として捉えて、終末に起こる出来事と捉えるのがよいのかも知れませんが、私にはよく分からない所です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
今日の箇所から、イザヤ96の、イエス様を「平和の君」(サル シャローム)「平和の君主」と預言している箇所を思い起こし、また、イエス様が「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ1427・新改訳第三版)と語られた箇所を思い起こしました。
如何なる時にも、主が与えてくださる平安をもって過ごすことが出来ますように。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年5月22日 (金)

ミカ5:1.2 救い主はベツレヘムで生まれるという預言

 ミカ51には、
“今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ〔さあ、軍隊を動員しろ(リビングバイブル)〕。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者〔イスラエルの王(筆者挿入)〕の頬を杖で打つ。”(新改訳2017)と記されています。
 この箇所は、ヘブライ語聖書では、ミカ414となっています。岩波訳、新共同訳、聖書協会共同訳は、ミカ414となっているので、ミカ51は新改訳の52になり、順次ずれています。

 ミカは、南イスラエル(ユダ王国)の王について、イスラエルの王、と述べています。
この預言の成就は、エルサレム陥落の時に成就しました。その時、何が起きたのか、歴史書である列王記Ⅱには、
1 〔ユダの王(筆者挿入)〕ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。2 こうして都〔エルサレム(筆者挿入)〕はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。3 第四の月の九日、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった。4 そのとき、都は破られ、戦士たちはみな夜のうちに、王の園に近い二重の城壁の間にある、門の道から出て行った。カルデア人が都を包囲していたので、王はアラバへの道を進んだ。5 カルデアの軍勢は王の後を追い、エリコの草原で彼に追いついた。すると、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。6 カルデアの軍勢は王を捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところに彼を連れ上り、彼に宣告を下した。7 彼らはゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの目をつぶし〔目をえぐり(口語訳)、両目をえぐりだされ(リビングバイブル)〕、青銅の足かせをはめて、バビロンへ連れて行った。”(25章・新改訳2017)と記されています。

 ミカ51は、ミカが預言してから100年余経ってから成就したのです。
エルサレム陥落後、イスラエルの地に残されたのは貧民の一部でした。あとはバビロンへ連れて行かれたのです。
ミカには、バビロン捕囚からの解放の幻は与えられず、ミカに与えられた幻は、もっと素晴らしい救い主誕生の幻が与えられました。

 ミカ52には、
“「ベツレヘム・エフラテ〔エフラタのベツレヘム(新共同訳・聖書協会共同訳)〕よ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」”(新改訳2017)と記されています。

 ユダヤの祭司長たちや律法学者たちは、メシア即ちキリストがどこで生まれるのかを知っていました。
その時の出来事が、マタイ2章に
1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」”(新改訳2017)と記されています。

 ミカ52に、「ベツレヘム・エフラテ〔エフラタのベツレヘム(新共同訳・聖書協会共同訳)〕よ」(新改訳2017)と記されています。
 ベツレヘムとエフラタについて、岩波訳の注は、 “〔ベツレヘムは(筆者挿入)〕「パンの家」の意。エルサレムから南に九キロの地にあるユダ部族の地(ヨシュア1559)。この地には、ヤコブの妻ラケルの墓があるとされ(創世記3519)、エフラタと同一視されている。ルツがナオミと共にモアブから帰国してきたのはこの地で(ルツ411)、ルツとボアズから生まれたオベドの子孫としてダビデが誕生する(ルツ4171サムエル161.18)。〔エフラタは(筆者挿入)〕「実り多い」の意。しばしばベツレヘムと同義語として用いられているが、「エフラタ」はエフタイムとベニヤミン部族の間の境界地域を言う地名でもあり(創世記3516)、ベツレヘムの父をエフラタとする伝承もあるため(1歴代誌44)、伝承過程で同一視されたものと思われる(エレミヤ3115、詩篇1326、創世記3516.19487参照)。”と述べています。
 上記の説明文の中の「ユダ部族の地(ヨシュア1559)」の「ヨシュア1559」の箇所について、
新改訳2017は、「マアラテ、ベテ・アノテ、エルテコン。六つの町とその村々。」と記し、
新共同訳は、「マアラト、ベト・アノト、エルテコン、以上六つの町とそれに属する村。テコア、エフラタ、すなわちベツレヘム、ペオル、エタム、クロン、タタム、ショレシュ、ケレム、ガリム、ベテル、マノホ、以上十一の町とそれに属する村。」と記しています。
聖書協会共同訳も新共同訳と同じ内容で記されていますが、聖書協会共同訳の欄外に、「テコア」以下はギリシア語聖書による、と注されています。

 ミカ52は、神のひとり子の神であるお方が、肉体をとってベツレヘムに誕生する、という預言ですが、その出現は昔から、永遠の昔から定まっていた〔直訳は「永遠の昔からのもの」〕のです。
 もし、そうでなければ、エペソ14の「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(新共同訳)という御言葉が成り立ちません。
天地創造の前に、キリスト者は選ばれていましたが、それは「キリストにおいて」です。
それは、キリストの出現が、永遠の昔から定まっていたので、可能であったのです。
 また、「キリストにおいてお選びになりました。」(エペソ14)とある聖句で躓く人がいます。
神が人の思いに関係なく、選んだのかというと、そうではありません。
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられるのです(1テモテ24)。
ではなぜ、「選んだ」というのでしょう。
そこには、全能の神の予知があるのです。
神様は、罪を悔い改め、イエス様の十字架上の死は、自分の罪のためであったということを心から受け入れる人を予知することが出来ました。
罪を悔い改めて、イエス様を自分の救い主と信じる人を、神様は予知して、その人をキリストにおいて選んだのだと思います。
使徒ペテロは、「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々」(1ペテロ12・新改訳第三版)と述べました。

 イエス様を信じた人は、自分の意志のみで信じたのでしょうか。
エペソ28には、「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(新共同訳)とあり、信仰も主なる神様からのギフトであると書いてあります。
ですから、私たちが、滅びたくない、地獄に生きたくない、永遠に生きていたい、と思うとき、その救いの方法として、イエス様が示されたら、イエス様を信じて救われたいと願う人達、或いはイエス様を素直に信じるであろう人たちに、イエス・キリストを信じる信仰を与えられたのではないかと思います。
イエス様は、「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ77)と語られました。
ですから、イエス様に救ってくださいと求めれば、救ってくださるのです。

常識で考えたら、何で2000年前のイエス様の十字架が、私と関係があるの?
ということになります。
とても信じることの出来るようなものではありません。
しかし、信じることが出来たのは、主なる神様の恵みです。
特に、このことに労しているのは聖霊なる神様です。
1
コリント123には、「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。」(口語訳)と書いてあります。

私たちは、恵みの上に恵みを与えられ、更に、私たちの「いのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来る」(詩篇236)だけではなく、天に帰ったら、これほどの恵みを・・・・「感謝します」としか言えません。
災いに会うことも恵みです。
詩篇11971には、「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」(新改訳2017)と記されています。
ダビデは、「主よ、あなたの恵みはとこしえにあります」(詩篇1388)と語りました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは、誰が救い主であるのかを教えてくださり、私たちがイエス様を信じて救われるようにして下さいました。
私たちは、あなたの恵みによって生かされています。それも、とこしえに。
ハレルヤ!
恵みの上に恵みを与えてくださるあなたに対して、感謝の上に感謝を重ね、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年5月21日 (木)

ミカ4:6-13 イスラエルに対する主の救いの計画の預言/キリスト者に対する神のご計画

 ミカ46-8には、
6 「その日──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしは足を引きずる者〔足の萎えた者(聖書協会共同訳)〕を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。7 わたしは足を引きずる者〔足の萎えた者(聖書協会共同訳)〕を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。8 あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」”(新改訳2017)と記されています。

 7節後半には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。」とありますから、6節の「その日」は、キリストの千年王国の初めではないかと思います。

 ユダヤ人たちは、ユダヤ教を中心に結束した人たちが多かったようですが、アッシリアによってほかの地に連れて行かれた北の十部族の人たちの子孫は、その後どこに行ったか正確には分からないのですが(多くの推測はありますが)、申命記28章の呪いの条項の中に、「主は地の果てから地の果てまでのあらゆる民の間にあなたを散らす。あなたはそこで、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった、木や石で造られたほかの神々に仕える。」(64節・新改訳2017)という文言がありますから、北イスラエルの子孫たちは偶像を拝む諸外国に住んでいる可能性が大です。

 この人たちの住んでいる偶像礼拝の環境を考えると、霊的には「足の萎えた者」(6.7)という状態です。しかし主は、この人たちを強め、ご自身の民としてイスラエルの地に呼び集めるのです。恐らく、集められた人たちは、どこの部族のものであるのかを明らかにされて、キリストの千年王国における部族ごとのゆずりの地に安住するのではないかと思います{(参考箇所)エゼキエル3716-284713-35}。

 ミカ49.10には、
9 今、なぜあなたは大声で叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの助言者は滅び失せたのか。それで、子を産む女のような激しい痛みがあなたをとらえたのか。10 娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたを敵の手から贖い出される。”(新改訳2017)と記されています。

 この箇所は、ミカに幻が与えられてから100年余経った後のバビロン捕囚と、バビロンからの解放の預言であろうと思います。

 ミカ411-13には、
11 今、多くの国々があなたに敵対して集まり、そして言う。「シオンは汚されるがよい。われわれはこの目でじっとそれを見ていよう」と。12 しかし彼らは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御思いを知らず、その御計らい〔計画(口語訳)〕に気づかない。主は、打ち場の麦束のように彼らを集められたのだ。13 「娘シオンよ、さあ、脱穀せよ。わたしが、あなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国民を粉々に砕き、彼らの不正な利得を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のために、彼らの財宝を全地の主のために聖絶する。」”(新改訳2017)と記されています。

 この箇所の幻は、この世の終わりの最終段階のところの預言ではないかと思います。
この箇所は、ゼカリヤ122-6
2 「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。3 その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。4 その日──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。5 ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕によって私の力となる。』〔それでユダ部族の者は、心の中で『エルサレムの住民は、彼らの力が、彼らの神、天の軍勢の主のうちにあることを知ったのだ』と言うであろう。(リビングバイブル)〕6 その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る〔その日、わたしはユダ部族の者を、森をも焼き払う小さな炎、わらの束を燃やすマッチのようにする。彼らは、右も左も、回りのすべての国々を焼き尽くすが、エルサレムだけはそのまま残る(リビングバイブル)〕。”(新改訳2017)という箇所を思い起こします。

 話は変わりますが、
エペソ1章には、キリスト者に対する神のご計画が記されています。
その箇所をリビングバイブルは、
3主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、天上のあらゆる祝福をもって、私たちを祝福してくださいました。それは、私たちがキリストのものとなっているからです。4神はこの世界をお造りになる前から、私たちを、ご自分のものとして選んでくださいました。そして、神は私たちを、ご自分の目から見て、何一つ欠点のない、きよい者にしようとお定めになりました。5神の御心は、イエス・キリストを遣わし、その死によって、私たちを神の家族の一員として迎えることでした。6神こそ、いっさいの賞賛を受けるべきお方です。神は、驚くばかりの恵みと愛とを豊かに注いでくださいました。それは、私たちが、神の最愛のひとり子につながる者となったからです。7神の愛は、そのひとり子の血を流し、私たちの罪を帳消しにしてくださるほど大きいのです。この愛によって私たちは救われました。8神は私たちに豊かな恵みをあふれるほど注ぎ、私たちをよく理解し、何が最善であるかを考えた上、9キリストを遣わすという御計画を知らせてくださいました。その計画は、はるか昔から神の愛のうちに決定されていたことでした。10それは、時が来れば、天でも地でも、あらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられるということです。11そればかりでなく、神のご計画のままに、神のものとなるように最初から選ばれていた私たちは、神が喜んでくださる存在となっています。12なぜ神は、このようになさったのでしょう。それは、最初からキリストを信じ、望みをおいていた私たちが、こんなにもすばらしい恵みを見て、神をほめたたえるためなのです。13このキリストによって、あなたがたも救いを約束する福音を聞き、キリストを信じるようになりました。そして、キリストに属する者であるという証印を、聖霊によって押していただきました。14私たちのうちに住まわれる聖霊は、神が約束のものをほんとうに与えてくださるという保証です。私たちに押された聖霊の証印は、神がすでに私たちを買い取り、ご自分のもとに引き取ってくださっていることを保証するのです。これが、栄光の神をほめたたえる、もう一つの理由です。”と意訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
日々、あなたに感謝し、あなたをほめたたえつつ歩める恵みを与えられていますことを感謝します。
今日もあなたに感謝をささげつつ歩む1日としてくださいますから感謝します。
この世は、COVID19で大騒ぎをしていますが、私たちには詩篇91篇とヨハネ141-3の約束がありますから感謝します。
どちらの御言葉が成就してもハレルヤ!です。
主の御名の中にあることを感謝し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年5月20日 (水)

ミカ4:1-5 終わりの日及び千年王国の預言

 ミカ41-3には、
1 その終わりの日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。2 多くの国々が来て言う。「さあ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが出るからだ。3 主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。”(新改訳2017)と記されています。

 この箇所は、イザヤ22-4と近似していますが、全く同じというわけではありません。
イザヤ22-4には、
2 終わりの日に、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。3 多くの民族が来て言う。「さあ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが出るからだ。4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。”(新改訳2017)と記されています。

 ミカ41には、「その終わりの日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。」とあります。
 「終わりの日」の「日」と訳されている語の原語は「ヨミーム」で、「ヨム」の複数形です。1日ではなく、「日々」です。
シオンの山は、実際に、非常に高くなるのでしょう。
携挙後の大患難時代から、天変地異は起き始めます。
 まず、黙示録612-14には、「12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。」(新改訳2017)と記されています。
 イエス様の地上再臨時には、
4その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ〔使徒19-12参照(筆者挿入)〕。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。5「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。7 これはただ一つの日であり、その日は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。8 その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海〔死海(筆者挿入)〕に、残りの半分は西の海〔地中海(筆者挿入)〕に向かい、夏にも冬にも、それは流れる〔エゼキエル471-12参照(筆者挿入)〕。9 主は地のすべてを治める王となられる〔「主」の原語は「ヤハウェ」。キリストの千年王国では、主キリスト・イエス様が王の王となって治める(筆者挿入)〕。その日には、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は唯一となられ、御名も唯一となる。10 全土はゲバからエルサレムの南のリンモンまで、アラバのようになる。しかしエルサレムは高くそびえ、ベニヤミンの門から第一の門のところを経て隅の門まで、またハナンエルのやぐらから王家のぶどうの踏み場まで、元の場所にそのまま残る。”(ゼカリヤ14章・新改訳2017)と記されています。

 ミカ41には、「その終わりの日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。」とあります。
 「そこ〔エルサレム(筆者挿入)〕へもろもろの民が流れて来る。」とありますが、この預言の箇所は、主の地上再臨後のことです。
 主が地上に再臨される少し前にも、エルサレムにもろもろの民が流れて来ました(過去形で記していますが未来のことです)。それは、大患難時代の最後の日々で、世界の国々の軍隊が、エルサレムとユダヤ人を滅ぼすために集まって来るのです(ゼカリヤ122.3参照)。それはまた、再臨の主キリスト・イエスと戦うためでもあるのだろうと思います。エルサレムに集まる前にハルマゲドン{(ハル・メギド=メギドの山)黙示録1612-16参照}に、というかそこをも含めて、そこに繋がるエスドラエロン平原(イズレエルの谷のことで、面積約250km²)に、悪の霊の働きによって集合させられるのです。
 余談になりますが、キリスト者は、この少し前、恐らく天において花婿キリストとの婚宴の儀を楽しんでいます(黙示録196-9)。
キリスト者は天のエルサレムの住人です(ガラテヤ426、黙示録219.10参照)。

 ミカ42には、“2 多くの国々が来て言う。「さあ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが出るからだ。”(新改訳2017)と記されています。
 これはキリストの千年王国時代の預言であり、地上のエルサレムのことです。このエルサレムは現在あるエルサレムと同じものではなく、エゼキエル40章以降に預言されているエルサレムのことであろうと思います。

 3節には、「主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」とあります。
 これはキリストの千年王国時代の始まりの頃のことであろうと思います。
キリストの千年王国時代は、キリストの統治により、平和が続きます。
それは、主キリスト・イエス様が統治しておられることと、サタンが獄屋(「底知れぬ所」黙示録203参照)に閉じ込められているからです。

 そして、4節には、その平和な生活の描写が、「彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍の主の御口が告げる。」(新改訳2017)と記されています

 しかし、キリストの千年王国時代の終わりに、その時代に生まれた子孫たちを試すためでしょうか、サタンを獄屋から解き放つのです。すると、サタンにつき従うことを選ぶ人たちがとても多いのです。キリストの千年王国時代、人々は結婚し、子どもを産みますが、この子どもたちは罪をもって生まれてくるのでしょう(詩篇515、ローマ512720)。千年王国時代の地上の人たちは現在私たちが持っている肉体と同じ肉体をもっていますから。
 余談になりますが、キリスト者は、キリストの花嫁であり、霊の体であり、子どもを産むことはありません。地上の連れ合いともう一度結婚したいと思っても、霊の体を持っているキリスト者は、キリストの花嫁であって、地上で連れ合いであった人ともう一度結婚することは出来ないのです。
 キリストの千年王国時代が終わるとサタンが獄屋から地上に解き放たれます。すると、主キリスト・イエス様の統治ではなく、サタンの統治を選ぶ人たちがとても多いことが明らかにされるのです。
 黙示録207-9に、
7 しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、8 地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグ〔エゼキエル38章のゴグとマゴグではありません(筆者挿入)〕を惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである。9 彼らは地の広いところに上って行き、聖徒たちの陣営と、愛された都〔エルサレム(筆者挿入)〕を包囲した。すると天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。”(新改訳2017)と記されています。

 この後、現在の天地は滅びます(黙示録20112ペテロ310)。
そして、最後の審判が開かれます(黙示録2011-15)。
その後、主が、新天新地を創造します(イザヤ6517、黙示録211)。
新天新地においては、戦いはありません。完全な平和の訪れです。

 ミカ45には、「まことに、すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩む。」(新改訳2017)と記されていますが、これは、幻を与えられたミカのその時の言葉であり、未来についての預言ではないと思います。
キリストの千年王国時代が始まると、偶像神は一掃されます。
ゼパニヤ39には、「そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。」(新改訳2017)と記されています。


<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
これから後のことがどうなるのかを、あなたはすでに教えてくださっておられますから感謝します。
あなたが、素晴らしい未来を備えてくださっておられますこと、また、日々守り導いてくださっておられますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年5月19日 (火)

ミカ3章 イスラエル特にユダ王国の罪とその罪に対する裁きの預言/主のみ旨の内を歩む

 ミカ31-4には、
1 私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。2 あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮を剥ぎ、その骨から肉をそぎ取る。3 わたしの民の肉を食らい、皮を剥ぎ取って、骨を打ち砕き、鍋の中のもののように、また大釜の中の肉切れのように、それを切れ切れに裂く。」4 そのため彼らが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に叫んでも、主は彼らに答えない。そのとき、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ。”(新改訳2017)と記されています。

 ミカがこの預言をした時代のイスラエルの指導者層は、主から律法を与えられていたので、何が善いことで、何が悪いことであるかを知っていたはずでしたが、律法に従って歩むことをせず、民からは重税を取り立てていたようです。
そのような指導者層の者たちも、自分たちが困ると、主に助けを叫び求めるというのです。
しかし、主はそのような者たちの嘆願には、決して応えない、と語られました。

 余談になりますが、
以前、「そのままでいいんだよ」という言葉がはやりました。
どのような場合には、「そのままでよくて」、どのような場合には、「そのままではいけないのか」を考えることもせず、罪を犯しながら「しょうがないでしょ、このままでいいんだよ」と語るような人にも会いました。
しかし、蒔いた種は刈り取るのです。
ガラテヤ67に、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」(新改訳2017)と記されています。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(ローマ122・新改訳2017)と記されている御言葉にも目を留めるべきです。

 未信者の人が、自分を良くしてから主イエス様を信じようとしていたら、「あなたのそのままで、イエス様のもとへ行きなさい。」ということは良いことであると思います。
自分で自分を良くすることなど出来ないのですから。ここの「良くする」という用語は、主の観点から見て「良くする」ということを言っています。
主に在って「良い」ということの第一歩は、主を信じないことを悔い改めて、主を信じることです。
主を決して信ぜず、どんなに慈善に励んでも、主の裁きの時には、有罪とされます(ヨハネ169参照)。

 ミカ31-4の箇所から、「義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。」(ヤコブ516・口語訳)という御言葉を思い起こしました。

 ミカ35-7には、
5 預言者たちについて、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」6 それゆえ、あなたがたには、夜にも幻がなく、暗闇にも占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる。7 先見者たちは恥を見、占い師たちは屈辱を味わう。彼らはみな、口ひげをおおう。神の答えがないからだ。”(新改訳2017)と記されています。

 ここに述べられている預言者とは、主に遣われた預言者ではありません。偽予言者のことで、汚れた霊に関係する予言者です。7節には(主の内に無い)先見者、占い師、と言い換えられています。イスラエルの貪欲な指導者層たち、また主に背を向けているイスラエルの民たちは、主の預言者の声に耳を傾けずに、自分たちに都合のいいことを言ってくれる偽予言者たちの予言を受け入れました。そして、不幸を刈り取ったのでした。
偽予言者の予言ははずれるのです。主がそのようにするからです。預言が一つでも外れたらそれは主からの預言ではないのです(申命記1820-22参照)。

 イエス様は偽予言者について、
15 偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。16 あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。17 良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。18 良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。19 良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。20 こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。”(マタイ7章・新改訳2017)と語られました。

 話を元に戻します。
主に遣わされたミカは、「私には力が満ちている。主の霊によって、公正と勇気に満ちている。ヤコブにはその背きを、イスラエルにはその罪を告げる。」(8節・新改訳2017)と自己紹介しています。

 主から遣わされた預言者と主から遣わされたのではない予言者との戦いは、幾度もありました。預言者ミカよりも後の時代の主の預言者エレミヤが、偽予言者と戦った例がエレミヤ28章にも記されています。エレミヤ28章に登場する偽予言者ハナンヤは、主から死の宣告をされ、死にました。その最後のところには、次のように記されています。
15 そこで預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤ、聞きなさい。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたを遣わされていない。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。16 それゆえ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。見よ、わたしはあなたを地の面から追い出す。今年、あなたは死ぬ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への反逆をそそのかしたからだ。」17 預言者ハナンヤは、その年の第七の月に死んだ。”(新改訳2017)とあります。

 ミカ39-12では、イスラエルとりわけユダ王国の罪を明らかにし、その判決を預言しています。
9 これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を忌み嫌い、あらゆる正しいことを曲げている。10 流血でシオンを、不正でエルサレムを建てている。11 そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、祭司たちは代金を取って教え、預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を当てにして、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上に及ばない」と言う。12 それゆえ、あなたがたゆえにシオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。”(新改訳2017)と記されています。

 812節をリビングバイブルは、
8 私〔ミカ(筆者挿入)〕は力に満たされ、主の御霊に満たされて、「神が罪を犯したイスラエルを罰する」と、恐れず告げよう。9イスラエルの指導者たち、私の言うことを聞け。あなたがたは正義を憎み、不正を愛している。10エルサレムに、殺人とあらゆる罪をはびこらせている。11指導者はわいろを取り、祭司と預言者は、金をもらわなければ、教えることも預言することもしない。それでいて、主に依存しきって、「すべて大丈夫。主は私たちとともにおられる。どんな災いもくるばずがない」と言う。12 そんなあなたがたのせいで、エルサレムは畑のように耕され、廃墟となる。神殿が建っている山の頂も藪で覆われる。”と意訳しています。

 12節にエルサレムは廃墟となる、とありますが、ミカがこのように預言してから100年余経って、エルサレムは、主が遣わしたバビロン軍によって廃墟とされました。

 新約時代にあてはめて考えると、自分はクリスチャンだ、主が共にいてくださると聖書に書いてある、と言いながら、罪を示されても悔い改めることもせず、罪に罪を重ねる放縦の生活をしていると、主にこっぴどくお仕置きされますよ、ということでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたに罪を示されたらすぐに悔い改めてあなたのみ旨の内に立ち返り、いつもあなたと良い関係を持ち、あなたを愛し、あなたを敬い、あなたに従い、御霊によって愛の内を歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年5月18日 (月)

ミカ2:12.13 イスラエルの復興の預言/はかり知れない恵みを与えてくださる主

 ミカ212.13には、
12 ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊〔ボツラの羊(欄外注)〕のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。13 打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼らの先頭を進む。」”(新改訳2017)と記されています。

 この二か節は、終末におけるイスラエル復興の預言です。
ユダについてのみ考えれば、バビロンに捕囚になったユダの解放の預言とも取れますが、12節には、「ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。」とありますから、これはユダ王国だけではなく、北イスラエル王国をも含むイスラエルの12部族からなるイスラエルのことです。

 13節を見ると、イスラエルを復興させるのは、人による政治でも、軍事でもなく、主の御業であることが分かります。
「打ち破る者」とは、この節の内容から、主(ヤハウェ)、即ち主キリスト・イエスであることが分かります。そして、キリスト・イエスは王であるということも分かります。
この箇所の主(ヤハウェ)が、イエス(イェシュア)という名であるということは、旧約聖書だけでは分かりません。とはいえ、イエス(イェシュア)という名前は明らかにされていませんが、ゼカリヤ書の預言は、明らかにイエス様を指し示していることが分かります。

 この節に関連すると思われるゼカリヤ12章を下記します。
1 宣告。イスラエルについての主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の告げられたことば。2 「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。3 その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る〔エルサレムを攻撃する前にハルマゲドン(ハル・メギドを目指して世界の軍隊が集結します。黙示録1612-16参照)(筆者挿入)〕。4 その日──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。5 ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕によって私の力となる。』6 その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす〔ユダの首長たちは主によって信じられないほどに強くされ、敵を打ち破る(筆者挿入)〕。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。8 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いのようになる。9 その日、わたし〔ヤハウェ。ヤハウェ一には「自存にして永遠」の意がある(筆者挿入)〕はエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕を仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。〔11-14節は「残りの者(残された者・レムナント)」が悔い改めてイェシュア(イエス)をメシア(キリスト)と信じて救われる情景であり、レビ記2327-32の贖罪の日が予表したことの実体です。(筆者挿入)〕。”(新改訳2017)と記されています。

 「打ち破る者」=「王」=「主」〔(ヤハウェ)=主キリスト・イエス(筆者挿入)〕は、サタン(悪魔、獣)とサタンに従う者を打ち破るのです。
 黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔主キリスト・イエス様(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた〔裁きの言葉を象徴しているのだと思います。主は言葉によって万物を創造されました。主は言葉によって滅ぼすこともできます(筆者挿入)〕。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である〔キリストが、義をもってキリストの千年王国を統治するということを述べているのだと思います(筆者挿入)〕。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」19 また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。”(新改訳2017)と記されています。
これはキリストの地上再臨の時のことです。

 ミカ212には、「ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊〔ボツラの羊(欄外注)〕のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。」とあります。

 「残りの者」と訳された語の原語は「シェ―リート」で、「残りの者」について、聖書辞典は、
“神のさばきに耐えて残り,国民の霊的な核として,新しい神の民を形成するもととなり(イザ10211111),繁栄し(ゼカ812),神の律法に従って生き,聖なる者となり(ゼパ313),ヤハウェなる神を自らの神として認めるに至る者という意味に用いられるようになった.こうした選民に対する配慮は,神のあわれみによるのである.”(抜粋)と述べています。

 エゼキエル3715-23には、
15 次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが私にあった。16 「人の子よ。あなたは一本の杖を取り、その上に『ユダと、それにつくイスラエルの人々のために』と書き記せ。もう一本の杖を取り、その上に『エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために』と書き記せ。17 その両方をつなぎ、一本の杖とし、あなたの手の中で一つとなるようにせよ。18 あなたの民の者たちがあなたに向かって、『これがあなたにとって何を意味するのか、私たちに説明してくれませんか』と言うとき、19 彼らに告げよ。『神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族を取り、それらをユダの杖に合わせて一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。』〔イスラエルの12部族を一つにするということ(筆者挿入)〕20 あなたが書き記した杖を、彼らの見ている前で手に取り、21 彼らに告げよ。『神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。見よ。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の間から取り、四方から集めて彼らの地に導いて行く。22 わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で一つの国とするとき、一人の王が彼ら全体の王となる。彼らは再び二つの国となることはなく、決して再び二つの王国に分かれることはない。23 彼らは再び、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆる背きによって身を汚すことはない。わたしは、彼らがかつて罪に陥ることになった背信から彼らを救い、彼らをきよめる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。”(新改訳2017)と記されています。
 このエゼキエルの預言は、この世が終わり、キリストの千年王国が始まるときに成就するのだと思います。尚、キリストの千年王国と新天新地は別のもので、キリストの千年王国は、この地球が用いられます。故に、この世の終わりといっても、地球がなくなるわけではありません。
 新天新地が始まる前には、この宇宙は滅びます。
また、新天新地が創造される前に最後の審判が行われます。
その後、主が新しい天と新しい地を創造します。

 「わたしは彼らを、囲いの中の羊〔ボツラの羊(欄外注)〕のように」とありますが、大患難時代の中間点で、獣{(政治における世界的支配者)黙示録13章参照}が、エルサレム第三神殿(恐らく携挙の後に建てられる?)の聖所に立ちます。そのことはダニエル927に預言され、イエス様は、それを指して、「15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」(マタイ24章・新改訳2017)と語られました。

 「山へ逃げなさい」と言われた「山」とはセイルの山(エドムの地)のことであろうと思います。そこにはボツラがあります。
黙示録19章に、「13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。/15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。」とありました。

 イザヤ631-6には、
1 「エドムから来るこの方はだれだろう〔主キリスト・イエス様(筆者挿入)〕。ボツラから深紅の衣を着て来る方は。その装いには威光があり、大いなる力をもって進んで来る。」「わたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者。」2 「なぜ、あなたの装いは赤く、衣はぶどう踏みをする者のようなのですか。」3 「わたしはひとりでぶどう踏みをした。諸国の民のうちで、事をともにする者はだれもいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。彼らの血の滴りはわたしの衣にはねかかり、わたしの装いをすっかり汚してしまった。4 復讐の日がわたしの心のうちにあり、わたしの贖いの年が来たからだ。5 見回しても、助ける者はだれもなく、支える者がだれもいないことに唖然とした。それで、わたしの腕がわたしの救いとなり、わたしの憤り、それがわたしの支えとなった。6 わたしは怒って諸国の民を踏みつけ、わたしの憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血の滴りを地に流れさせた。」”(新改訳2017)と記されています。

 主が残りの者をボツラに逃がす時の情景を、黙示録12章に、「6 女〔残りの者(筆者挿入)〕は荒野に逃れた。そこには、千二百六十日の間、人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。/14 ・・、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた〔早く逃げることが出来る何かの物(筆者挿入)〕。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇〔サタン(筆者挿入)〕の前から逃れて養われるためであった。15 すると蛇〔サタン(筆者挿入)〕はその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした〔大軍勢で殺そうとしたことの比喩か、大洪水のようなものかもしれません(筆者挿入)〕。16 しかし、地は女〔残りの者(筆者挿入)〕を助け、その口を開けて〔地が裂けて(民数記1631.32参照)(筆者挿入)〕、竜〔サタン(筆者挿入)〕が口から吐き出した川〔大軍か大水(筆者挿入)〕を飲み干した。」(新改訳2017)と記されています。

 残りの者とは、イスラエルの民に関するもので、まことのキリスト者は、キリスト者とさせて頂く時に、既に新しい霊の誕生をし、その霊は永遠です。それだけではなく、主の霊と結びついて一つ霊とされている(霊における結婚)のです(1コリント117、エペソ522-32参照)。

 そして主は、イスラエル12部族に、イスラエルの地を新たに割り当てて住まわせるのです(エゼキエル4713-4835)。

私たちキリスト者の住まいは、主が用意してくださっています。
イエス様は、
1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。”(新改訳2017)と語られました。
 
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは私たちに恵みの上に恵みを増し加えてくださりありがとうございます。
いつもあなたに感謝し、あなたを愛し、あなたから力を頂いて、あなたに従って行く者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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