ゼパニヤ書

2020年6月 5日 (金)

ゼパニヤ3:14-20 エルサレムと(南)イスラエルの喜びと回復

 ゼパニヤ314-20には、
14 娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。15 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたへのさばきを取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。16 その日、エルサレムは次のように言われる。「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。17 あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。18 「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたから離れていた。そしりがシオンへの重荷であった。19 見よ。わたしはそのとき、あなたを苦しめたすべての者を罰する。わたしは足を引きずる者を救い、散らされた者を集め、彼らの恥を全地で栄誉ある名に変える。20 そのとき、わたしはあなたがたを連れ帰る。そのとき、わたしはあなたがたを集める。まことに、あなたがたの目の前でわたしがあなたがたを元どおりにするとき、わたしは、地のあらゆる民の間であなたがたに栄誉ある名を与える。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。」”(新改訳2017)と記されています。

 14節には、「娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。」とあります。
「娘シオン」は、シオンの娘とも訳せます。「娘」と訳された語の原語は「バト」で、娘の他に、町、村の意にも使われます。「シオンの娘」の原語は、「バト ツィヨン」でシオンの町とも訳せますが、日本語訳聖書は、「娘シオン」or「シオンの娘」と訳しています。
「娘エルサレム」と訳された語の原語は「バト イェルシャライム」でエルサレムの町とも訳せます。日本語訳聖書は、「娘エルサレム」or「エルサレムの娘」と訳しています。

 15-17節には、「15 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたへのさばきを取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。16 その日、エルサレムは次のように言われる。「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。17 あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。」とあります。

 前586年にバビロンによって、エルサレムは陥落し、火で燃やされました。主の聖なる多くの物はバビロンに運び去られ、また殺されなかった者たちは奴隷とされました(2歴代誌3617-20)。
 主は、捕囚民イスラエルの解放とエルサレムの回復にキュロスを用いました。主がキュロスを用いることは、キュロスが産まれる前から主が決めていました(2歴代誌3622.23、エズラ1章、イザヤ451-5)。

主なる神の都エルサレムが回復されたことを主はどれほど喜ばれたことでしょうか。
主(ヤハウェ)が、高らかに歌ってあなた(エルサレム)のことを喜ばれる、と書いてあります。

 余談になりますが、イスラエルには、表にキュロスとエルサレムをイスラエルのものであるとしてアメリカ大使館をエルサレムに移したトランプを重ねて刻印し、裏には第三神殿を刻印した硬貨が出来ているそうです。

 18節には、「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなた〔エルサレム(筆者挿入)〕から離れていた。そしり〔恥辱(岩波訳)〕がシオンへの重荷であった。」とあります。

 詩篇137篇には、バビロンに捕囚となった人の詩が載っています。その中の16節には、
1 バビロンの川のほとりそこに私たちは座りシオンを思い出して泣いた。2 街中の柳の木々に私たちは竪琴を掛けた。3 それは私たちを捕らえて来た者たちがそこで私たちに歌を求め私たちを苦しめる者たちが余興に「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。4 どうして私たちが異国の地で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の歌を歌えるだろうか。5 エルサレムよもしも私があなたを忘れてしまうならこの右手もその巧みさを忘れるがよい。6 もしも私があなたを思い出さずエルサレムを至上の喜びとしないなら私の舌は上あごについてしまえばよい。”(新改訳2017)とあります。

 主は、上記のような「例祭から離れて悲しむ者たちを・・集める」(18)のです。エルサレムに帰還させるのです。
ゼカリヤは未来のことを預言しましたが、私たちは、その実現を歴史書から知ることが出来ます。

 19.20節には、“19 見よ。わたしはそのとき、あなたを苦しめたすべての者を罰する〔ダニエル5章(筆者挿入)〕。わたしは足を引きずる者を救い、散らされた者を集め、彼らの恥を全地で栄誉ある名に変える。20 そのとき、わたしはあなたがたを連れ帰る。そのとき、わたしはあなたがたを集める。まことに、あなたがたの目の前でわたしがあなたがたを元どおりにするとき、わたしは、地のあらゆる民の間であなたがたに栄誉ある名を与える。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。」”(新改訳2017)と記されています。

 エズラ1章には、
1 ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが成就するために、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。2 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。3 あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。4 あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」5 そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。6 彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた。7 キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して、自分の神々の宮に置いていた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の器を運び出させた。8 ペルシアの王キュロスは財務官ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を確かめさせ、ユダの首長シェシュバツァルに渡した。9 その数は次のとおりであった。金の皿三十、銀の皿一千、香炉二十九、10 金の鉢三十、予備の銀の鉢四百十、その他の器一千。11 金や銀の用具は全部で五千四百あった。捕囚の民がバビロンからエルサレムに上ることを許されたとき、シェシュバツァルはこれらの物をみな一緒に携えて上った。”(新改訳2017)と記され、
 紆余曲折の後神殿は完成します。エズラ6章には、
14 ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、〔神殿(筆者挿入)〕建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、またキュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、建築を終えた。15 こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。16 イスラエルの子ら、すなわち、祭司、レビ人、そのほかの捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った。17 彼らはこの神の宮の奉献式のために、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百匹を献げた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、全イスラエルのために罪のきよめのささげ物として、雄やぎ十二匹を献げた。18 また彼らは、エルサレムでの神への奉仕のため、祭司をその区分にしたがって、レビ人をその組にしたがってそれぞれ任命した。モーセの書に記されているとおりである。19 捕囚から帰って来た人々は、第一の月の十四日に過越を祝った。20 祭司とレビ人たちは一人残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、捕囚から帰って来たすべての人々のため、彼らの同胞の祭司たちのため、また彼ら自身のために、過越のいけにえを屠った。21 捕囚から戻って来たイスラエル人はこれを食べた。イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たちもみなそうした。22 そして彼らは七日間、喜びをもって種なしパンの祭りを守った。”(新改訳2017)と記されています。

 15節に、「こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」とあります。
エルサレム神殿は、前515年のアダルの月(12月、太陽暦では2-3月)の三日に完成したのです。キュロス王による解放令は、前538年でした。(神殿建設の途中で邪魔が入り中断させられていた期間がありました。)
 エズラ616以降を読むと、主を愛する者たちの喜びが伝わってきます。

 付け足しになりますが、 
キリストの千年王国には神殿がありますが、新天新地を主が創造された後には、神殿はなくなります。黙示録2122には、「私は、この都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。」(新改訳2017)と記されています。
新天新地の時代、私たちは、主と共に新エルサレムに住んでいます。ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたを愛する者たちと共にあなたを喜びあなたを賛美することはすばらしいことです。
ハレルヤ!
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年6月 4日 (木)

ゼパニヤ3:9-13 主を信じる者が祝福を受ける

 ゼパニヤ38-10には、
8 それゆえ、わたしを待て。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。9 そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。10 クシュの川の向こうから、わたしに願い事をする者、わたしに散らされた者たちがわたしへの贈り物を携えて来る。”(新改訳2017)と記されています。

 9.10節を終末の出来事として捉えることもできると思いますが、ここでは、8-10節を一つのまとまりとして捉えて考えてみたいと思います。その理由は、9節の「諸国の民」と訳されている語の原語が、アム{民が原義で、(イスラエルの部族のような)部族、家族、群れ、国民、の意}の複数形の「アミーム」で、「諸国の民の唇を変えて清くする」という箇所を「(イスラエル)各部族のくちびるを変えて清くする」と訳せると思うからです。岩波訳の注には、“マソラ本文の校訂者は「わが民」と読むべきと示唆”とあります。

 8節には、「それゆえ、わたしを待て。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。」とあります。

この箇所については昨日のブログで述べましたが、「わたしは諸国の民を集め、」以下は、バビロンの王ネブカドネツァルの軍隊、即ちバビロン軍だけというのではなく、バビロン帝国に属する国々の民が、ユダ王国と首都のエルサレムを攻撃し、ユダ王国を敗北させるという預言であることを述べました。それは主(ヤハウェ)から出たことで、主(ヤハウェ)に背き続けたエルサレムに対し、主(ヤハウェ)が、ネブカドネツァルを用いてさばきを行ったということです。

 9節を口語訳は、「その時わたしはもろもろの民〔わが民(マソラ本文校訂者)〕に清きくちびるを与え、すべて彼らに主の名を呼ばせ、心を一つにして主に仕えさせる。」と訳しています。
「その時」をどう理解するかによって、それ以降の解釈が変わります。
この世の終わりの時と捉えることも出来ます。
また、主がバビロンを用いてユダを裁かれた時、殺されずに捕囚となった人たち、また貧民でユダの地に残された人たちの時代と考えることもできます。
その人たちの中には、罪を悔い改めた人たちがいたのです。
罪を悔い改めた人たちやその子孫は、やがて捕囚から解放された後、「心を一つにして主に仕え」とあるように、神殿建設へと向かっていきました(エズラ書)。

 10節を新共同訳は、「クシュの川の向こうから、わたしを礼拝する者、かつてわたしが散らした民が、わたしのもとに献げ物を携えて来る。」と訳しています。
「クシュ」について、新共同訳スタディー版の注は、「クシュは、エジプトの南部、現在のエチオピアとスーダンを含む地域。」と述べています。
 ユダ王国が滅亡した後、殺されず、捕囚にもあわなかった人々の内、エジプト方面に下って行った人々がいました。エレミヤ書4144章を読むと分かりますが、エジプトに下って行ったユダヤ人の内、生きてユダヤに戻った人やその子孫は僅かでした。エレミヤ4428には、「剣を逃れる少数の者だけが、エジプトの地からユダの地に帰る。こうして、エジプトの地に来て寄留しているユダの残りの者たちはみな、わたしのことばと彼らのことばの、どちらが成就するかを知る。」(新改訳2017)と記されています。

 ゼパニヤ311-13には、
11 その日、あなたはわたしに背いて行ったすべての行いのことで、恥を見ることはない。そのとき、わたしがあなたのただ中から、おごり高ぶる者どもを取り除くからだ。あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。12 わたしはあなたのただ中に、へりくだった、貧しい民を残す。彼らは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名に身を避ける。13 イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを言わない。その口の中に欺きの舌は見つからない。まことに彼らは草を食べて伏す。彼らを脅かす者はいない。」”(新改訳2017)と記されています。
 「その日」とは、いつを指すのでしょうか?
11-13
節の内容は、読むだけで理解できると思います。
ここに記されている内容が、完全に成就するのは、キリストの千年王国時代のことだろうと思います。キリストの千年王国時代になるまでは、13節の最後の部分の、「彼らを脅かす者はいない。」という状態にはならないからです。
 但し、11.12節に関しては、バビロン捕囚からエルサレムに帰還した人たちにあてはまると思います。それは終末の時にも当てはまります。

 ローマ1125.26aには、
25兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、26こうして、イスラエルはみな救われるのです。”(新改訳2017)と記されています。
が、ゼカリヤ書にはもう少し詳しく預言されています。
ゼカリヤ13章には、「8全地〔ここの「地」の原語は「ハアレツ」で「エレツ」(地)に冠詞の「ハ」(その)がついて「ハアレツ」になっています。ですから「全地」とはイスラエル全地を指すものと思います(筆者挿入)〕はこうなる──主のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。9わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。」(新改訳2017)と記されています。
 終末の時、イスラエルは皆救われるとありますが、それはゼカリヤ書の「三分の一」と記されている人々であろうと思います。その人たちは主を信じる者たちです。即ちイエシュア(イエス)がキリスト(メシア)であると信じる人です。イエシュアは、ヤハウェの救いorヤハウェは救う、の意です。全能の神の救い、それがイエスの救いです。

 イスラエル人でも異邦人でも、主を信じる者、主に信頼する者がアブラハムの子孫なのです。
ガラテヤ36-9には、
6 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。7 ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。9 ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。”(新改訳2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。

あなたの御名を崇めます。
ダビデは、「私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。」と詩篇341に記しました。
私たちも、いつも主に信頼して、あなたを賛美しつつ歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年6月 3日 (水)

ゼパニヤ3:6-8 エルサレムの滅びの預言/いつも主に思いを向けて

 ゼパニヤ36-8は、解釈の仕方によって、各聖書の翻訳に違いがあります。
 口語訳は、
6 「わたしは諸国民を滅ぼした。そのやぐらは荒れはてた。わたしはそのちまたを荒したので、ちまたを行き来する者もない。その町々は荒れすたれて、人の姿もなく、住む者もない。7 わたしは言った、『これは必ずわたしを恐れ、懲らしめを受ける。これはわたしが命じたすべての事を見失わない』と。しかし彼らはしきりに自分の行状を乱した」。8 主は言われる、「それゆえ、あなたがたは、わたしが立って、証言する日を待て。わたしの決意は諸国民をよせ集め、もろもろの国を集めて、わが憤り、わが激しい怒りをことごとくその上に注ぐことであって、全地は、ねたむわたしの怒りの火に焼き滅ぼされるからである。”と訳し、

 新共同訳は、
6 わたしは諸国の民を滅ぼした。彼らの城壁の塔は破壊された。わたしは彼らの街路を荒れるにまかせた。もはや、通り過ぎる者もない。彼らの町々は捨てられ、人影もなく、住む者もない。7 わたしは思った。「必ず、お前はわたしを畏れ、戒めを受け入れる。わたしがどんなに罰してもその住む所が断たれることはない。」しかし、彼らはますます堕落を重ねあらゆる悪事を行った。8 それゆえ、お前たちはわたしが獲物に向かって立ち上がる日を待つがよい、と主は言われる。なぜなら、わたしは諸国の民を集めもろもろの王国を呼び寄せ彼らの上に、憤りと激しい怒りを注ぐことを定めたからだ。必ず、地上はくまなくわたしの熱情の火に焼き尽くされる。”と訳し、
 リビングバイブルは、
6 「わたしは多くの国を切り捨て、その全領地を荒廃させた。通りは荒れ果てて静まり返り、町には住む人もない。昔の繁栄をしのばせるものは何もない。7 わたしは思った。『今度こそ、彼らはわたしの言うことを聞くだろう。わたしの警告に耳を傾けるから、二度と、懲らしめることもあるまい』と。ところが、そうではなかった。どんなに罰しても、朝から晩まで、いや夕方から明け方まで、悪事を犯し続けている。」8 それでも、神様はこうお語りになる。「もう少しのがまんだ。悪に染まった国々の罪を告発するために、わたしが立ち上がる時が、すぐに来る。わたしは地上の国々を一つに集め、激しい怒りと憤りを下すことにしている。全地は、わたしのねたみの炎で焼き尽くされてしまう。”と訳し、
 新改訳2017は、
6 「わたしは諸国の民を断ち切った。その四隅の塔は荒れ果てた。わたしは彼らの通りを廃墟とした。通り過ぎる者はだれもいない。彼らの町々は荒れすたれた。人は一人もおらず、住む者もいない。7 わたしは言った。『あなたはただ、わたしを恐れ、戒めを受け入れよ。そうすれば、わたしがこの都をどれほど罰しても、その住まいは断ち切られない。確かに彼らは、繰り返してあらゆる悪事を行ったが。』8 それゆえ、わたしを待て。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。”と訳しています。

 以上、それぞれの解釈に基づいた訳し方です。

 6節には、「わたしは諸国民を滅ぼした。そのやぐらは荒れはてた。わたしはそのちまたを荒したので、ちまたを行き来する者もない。その町々は荒れすたれて、人の姿もなく、住む者もない。」(新共同訳)とあります。
 ゼパニヤはヨシヤ王の時代に預言した預言者です、ヨシヤ王の治世は、前640-609年でした。
 ゼパニヤ213-15
13 主は手を北に向けて伸ばし、アッシリアを滅ぼし〔前609年滅亡(筆者挿入)〕、ニネベを荒れ果てた地とし〔ニネベの滅亡は前612年(筆者挿入)〕、荒野のようにし、砂漠とされる。14 その中に、獣の群れが、あらゆる地の獣が伏す。ふくろうと針ねずみは、その柱頭をねぐらとし、その鳴き声は窓に響き渡り、荒廃は敷居に及ぶ。まことに、その杉材が剥がされる。15 これが、安心して過ごし、「私だけは特別だ」と心の中で言っていた、あのおごった都〔ニネベ(筆者挿入)〕だ。ああ、その都は荒れ果て、動物の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、嘲って手を振る。”(新改訳2017)と記されている、アッシリアの首都ニネベ及びアッシリア滅亡の預言は、前612年以前のものであろうと思います。

 ゼパニヤ36の冒頭は、「わたしは諸国民を滅ぼした。」と完了形で記されていますが、恐らく預言的完了形すなわち主の御言葉は必ず成就するので、未完了状態のものであっても完了形で預言しているのだろうと思います。あるいはニネベが陥落してから書いたのかも知れません。
アッシリアは帝国でしたからいくつかの国を従えていました。それで「諸国民を滅ぼした。」と述べられているのだと思います。

 「わたしは諸国民を滅ぼした。」という諸国民を、エルサレムに攻めてきた諸国民、として捉え、バビロン(前586年)、ローマ(70年)、更には、大患難時代の最後の時(未来)のことと考えると、その後に続く文章に合致しなくなるのではないかと思い、滅ぼされた「諸国民」をアッシリアと捉えます。

 一応、ゼパニヤ36の「わたしは諸国民を滅ぼした。そのやぐらは荒れはてた。わたしはそのちまたを荒したので、ちまたを行き来する者もない。その町々は荒れすたれて、人の姿もなく、住む者もない。」(新共同訳)という文は、アッシリア滅亡の預言としておきます。

 7節を、新改訳2017は、「わたしは言った。『あなたはただ、わたしを恐れ、戒めを受け入れよ。そうすれば、わたしがこの都をどれほど罰しても、その住まいは断ち切られない。確かに彼らは、繰り返してあらゆる悪事を行ったが。』」と訳しています。
 「わたしがこの都をどれほど罰しても」の「都」はエルサレムと解釈します。
ゼパニヤの預言の後、前586年にエルサレムは陥落しました。
しかし、ユダ王国には、バビロン軍によって殺されもせず、捕囚にもされなかったエレミヤやバルクまたユダ王国の貧しい者たちが残されました。ユダの地に残されたといっても、ユダの地に残された者たちの悲惨さは、哀歌を読めば分かります。

 8節には、「それゆえ、わたしを待て。──主のことば──わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。」(新改訳2017)と記されています。
 「それゆえ、わたしを待て。」と主は言われますが、だれに対して語っておられるのでしょうか?
おそらく主を信じている者に対してであろうと思います。主に裁かれるほどに堕落したユダ王国の中にも、主を信じ、エルサレムの罪に心を痛めていた人たちもいたのです。

 8節の最後の部分には、「全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。」とあります。
「全地」の「地」のヘブライ語聖書の原語には、冠詞が付いていますから、文脈からいって「全地」とは、エルサレムを含むユダヤ全土ということであろうと思います。また、そのことは、「わたしのねたみの火」という箇所からも分かります。愛していなければ妬みもしません。ユダの民を主(ヤハウェ)はどれほど愛したことでしょうか。それなのに、ユダの民の多くは主に背を向け偶像に走ったのです。

 ユダ王国は、ネブカドネツァルを王とするバビロン帝国によって滅ぼされました。
ネブカドネツァル王は、主に立てられた主の裁き人でした。
主は巨大な像の夢をネブカドネツァル王に見させ、一方、主はネブカドネツァル王の夢の内容の解き明かしをダニエルに与えました。
ダニエルは、ネブカドネツァル王に「37 王の王である王よ。天の神はあなたに国と権威と力と栄誉を授け、38 また人の子ら、野の生き物、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとくあなたの手に与えて、治めさせられました。」(ダニエル2章・新改訳2017)と主に教えられたとおりに答えました。前603年のことでした。
この時既に、ユダ王国もネブカドネツァル王に与えられていたのです。

 余談になりますが、ダニエルは最初に捕囚となったグループの人で、前606年に、ユダの王エホヤキムと一緒にバビロンに連れて行かれた人です。そして、バビロンで3年間の教育を受けた(ダニエル15)後、王に仕えました。それから間もなく、ネブカドネツァルの夢を説きあかし、王はダニエルをバビロン帝国の高官に就けました(ダニエル248)。ダニエルと共に捕囚となったハナンヤ、ミシャエル、アザルヤも信仰深い人達でした。この三人もバビロン帝国の役人になりました。主は信仰深い人達をエルサレム崩壊前に他の場所に移し、主のあかしをさせたのです。
主を待ち望んでいる新生したキリスト者も、この世界への主の裁きの前に天に引き上げられるのです。 

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ヘブル122には、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」とありますが、いつも主イエス様から思いを離すことなく、常にイエス様と共に歩み続ける者であらせてください。
あなたの御名を賛美し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年6月 2日 (火)

ゼパニヤ3:1-5 エルサレムの高位高官の罪/栄光から栄光へと

 ゼパニヤ31-4には、
1 わざわいだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都〔エルサレム(筆者挿入)〕。2 呼びかけを聞こうともせず、戒めを受け入れようともせず、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に拠り頼まず、神に近づこうともしない。3 その都の高官たちは都の中で吼えたける雄獅子。その都をさばく者たちは夕暮れの狼。朝まで骨をかじってはいない〔朝までに獲物を食い尽くした(聖書協会共同訳)〕。4 預言者たちは、ふしだらで裏切る者。祭司たちは聖なるものを冒して、みおしえ〔原語は「トーラー」で、律法(筆者挿入)〕を冒瀆する。”(新改訳2017)と記されています。

 14節には、ユダ王国の首都エルサレムに見られる罪が列挙されています。
1
節には、「わざわいだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都〔エルサレム(筆者挿入)〕。」とあります。
「反逆」とは、主(ヤハウェ)に対する反逆です。
「汚れに満ち」とは、エルサレムは汚れ切っていると、主(ヤハウェ)が見ていることです。
「暴虐」とは、強い者が弱い者を暴力的に抑圧搾取することです。
1
節は24節の総論のようなものです。
もはやエルサレムは悪の都の観を呈しています。

 脱線しますが、
ゼパニヤの預言活動は、ヨシヤ王の時代(前640-609年)です。
ヨシヤ王の没後、3年経つとダニエルたちが捕囚となりました(前606年)。
それから9年後にはエゼキエルたちが捕囚となりました(前597年)。
それから11年後エルサレムは滅びました(前586年)。

 2節には、「呼びかけを聞こうともせず、戒め〔懲らしめ(聖書協会共同訳)〕を受け入れようともせず、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に拠り頼まず〔信頼せず(聖書協会共同訳)〕、神に近づこうともしない。」とあります。
①「呼びかけを聞こうともせず」
「呼びかけ」とは、主が預言者を用いてイスラエルの人々に語りかけることであろうと思います。ですから、主(ヤハウェ)が、預言者を遣わして、いくら語りかけても聞こうともしない、ということでしょう。
②「懲らしめを受け入れようともせず」とありますが、主が懲らしめても、主との関わりがなくなるとor希薄になると、懲らしめられているというよりも、ただ災いに会っている、としか思えなくなるのかも知れません。
 ―余談になりますが、日本人で聖書の内容を良く知り、かつ信じている人は極めて少ないので、様々な災害に会う時、それが主からの警告とか、懲らしめ、とか何かのサインと考える人は僅かです。主とイスラエルの間で結ばれた呪いと祝福の契約(申命記28.29章)は、異邦人であっても参考になるのではないかと思うのです。
そこには、主の御教えに従えば祝福が与えられ、主に背けば呪いが与えられるとありますが、呪いの条項の中には、疫病、水不足、飢饉(異常気象やイナゴの害など)、戦いで負ける、気がおかしくなる、etc.とあります。―
③「主に信頼しない」
④「神に近づこうともしない」
神の都エルサレムに住んでいる人たちが、2節に書いてあるような状態に陥っているというのです。

 3節を
 新改訳2017は、「その都の高官たちは都の中で吼えたける雄獅子。その都をさばく者たちは夕暮れの狼。朝まで骨をかじってはいない。」と訳し、
 リビングバイブルは、「エルサレムの指導者たちは、獲物を求めてほえるライオンのようだ。手に入れることができるなら、どんなものでもねらっている。裁判官は、日暮れの飢えた狼のようだ。明け方には、獲物の痕跡を残さない。」と意訳しています。
エルサレムの指導者たちや裁判官たちの極悪非道ぶりが描かれています。まさに暴虐です。

 4節を
 新改訳2017は、「預言者たちは、ふしだらで裏切る者。祭司たちは聖なるものを冒(おか)して、みおしえ〔原語は「トーラー」で、律法(筆者挿入)〕を冒瀆する。」と訳し、
 聖書協会共同訳は、「その預言者たちは気まぐれで偽る者。祭司たちは聖なるものを汚し、律法を踏みにじった。」と訳し、
 リビングバイブルは、「預言者はうそつきで、自分の利得しか考えない。祭司は神様のおきてに背いて、神殿を汚している。」と意訳しています。
この節にある預言者は、偽予言者です。
祭司もひどいものですね。主なる神を神とも思わず、敬虔を利得の手段としているのです。
このような状態で、主なる神様の裁きを免れようとしてもそれは無理というものです。

 そして、続く5節を、
 新改訳2017は、「主は、そのただ中にあって正しく、決して不正を行われない。ご自分の公正を、朝ごとにくまなく照らす光とされる。しかし、不正を働く者は恥を知らない。」と訳し、
 新共同訳は、「主は、都の中にいまして正しく、決して不正を行われない。朝ごとに裁きを与え、それを光とし、誤りをなさることはない。不正を行う者は恥を知らない。」と訳し、
 リビングバイブルは、「しかし、主はそんな町の中にいても不正を行なわない。日に日に神の正義が明らかになる。ところが、だれも注意を払わない。悪者たちは恥知らずだ。」と意訳しています。

 主に遣わされたバビロンによってエルサレムが滅ぼされる時まで、主は預言者たちを遣わして主の言葉を述べさせ、また、様々な災いにもあわせなさいましたが、高位高官たちは、それらに注意を払いませんでした。
結局主に聞き従わなかった人々は、殺されたり、捕囚の憂き目にあったのです。

 ここに記されている人達とは異なり、もし、主に従う生活を送ったとしたら、主はどのような祝福を与えられたのでしょうか。
 申命記281-13には、
1 もし、あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。2 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。3 あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。4 あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。6 あなたは入るときにも祝福され、出て行くときにも祝福される。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたに向かい立つ敵どもをあなたの前で敗走させる。彼らは一つの道からあなたを攻めて来るが、あなたの前で七つの道に逃げ去る。8 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。9 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令を守り主の道を歩むなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。10 地上のあらゆる民はあなたに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えるとあなたの父祖たちに誓われたその地で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに恵んでくださる。12 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すが、借りることはない。13 私が今日あなたに命じる、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令に聞き従い、守り行うなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。”(新改訳2017)と記されています。
イスラエルは祝福される道を歩むこともできたのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたの恩に感謝し、あなたの愛にこたえて、あなたを愛し、あなたに従う生活を送ることの重要性を覚えます。
私たち、キリスト者は、イエス様を信じたことによってというか信じさせて頂いたことによって、罪を赦され、罪を赦されただけではなく新生させて頂いたあなたの子どもです。
あなたの子としてふさわしい歩みをすることが出来ますよう、あなたの霊により、日々、栄光から栄光へと主イエス様に似た者となるようにつくり変えてください。そのようにしてくださる約束を与えられていますから感謝します。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年6月 1日 (月)

ゼパニヤ2:4-15 主に対して高慢な国や民は滅びる

 ゼパニヤ24-15は、ユダと関係のある諸国民への主の裁きが記されています。

 4-7節には、「4 まことに、ガザは捨てられ、アシュケロンは荒れ果てる。アシュドデは真昼に追い払われ、エクロンは根こそぎにされる。5 わざわいだ、海辺に住む者たち、クレタ人の国。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばはおまえたちに向けられている。「ペリシテ人の地、カナンよ。わたしはおまえを消し去って、住む者がいないようにする。」6 海辺よ。おまえは牧場となり、牧者たちの牧草地となり、羊の囲い場となる。7 海辺はユダの家の残りの者の所有となる。彼らは海辺で羊を飼い、日が暮れると、アシュケロンの家々で横になる。彼らの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼らを顧みて、彼らを元どおりにされるからだ。」(新改訳2017)と記されています。

 ペリシテの主要5都市は、4節に記されているガザ、アシュケロン、アシュドデ、エクロンと預言された時点では滅ぼされていたガトでした。
5
節の、海辺に住む者たち、クレタ人の国とはペリシテ人のことを言っています。
 
 4.5節は、ペリシテ人の国の滅亡についての預言です。
ペリシテの国の滅亡に関して、新聖書注解は、
“ペリシテは、前712年のサルゴン二世によるアッシリア軍侵攻の頃は、ユダ、エドム、モアブと同盟してこれと戦ったが敗れ、前701年のセナケリブ侵攻の時は、アシュドデ、エクロン、ゲゼルのペリシテ諸都市はアッシリアに忠誠を誓い、報奨としてユダの領土を掠(かす)めたものを与えられた。この時ユダヤ人の捕虜を奴隷として売り渡し、ユダヤ側の悪感情を燃え立たせた(→ヨエル34.6)。エサル・ハドン、アシュール・バーン・アプリの時代のアッシリアに対してもペリシテは忠実な部下であって、アッシリアのエジプト侵攻に協力した。アッシリアの衰退後はエジプトの圧迫を受け、恐らくゼパニヤの預言の後、スクテヤ人の侵略、次いでネコ2世によるエジプト軍の侵略を受け、ガザはこの時に(恐らく前609年頃)征服された。こうして、ネブカデレザル〔ネブカドネツァルに同じ(筆者挿入)〕によって国としては全く滅ぼされてしまった。”と述べています。

 6.7節は、ペリシテ滅亡の後、ペリシテ人の住んでいた地は、ユダの残りの者たちが羊を飼う場所となるという預言です。
 7節には、「海辺はユダの家の残りの者の所有となる。彼らは海辺で羊を飼い、日が暮れると、アシュケロンの家々で横になる。彼らの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼らを顧みて、彼らを元どおりにされるからだ。」とあります。
「海辺はユダの家の残りの者の所有となる。」とありますが、「残りの者」とは、主に守られて、ユダ王国がバビロンから攻撃を受けた時、殺されることなく、捕囚として連れて行かれることもなかった人たちです。
 ゼパニヤ23には、「すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。そうすれば、主の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。」とありましたが、残りの者は、主の怒りの日に、かくまってもらえた人といえると思います。

 ゼパニヤ28-11には、
8 「わたしはモアブのそしりと、アンモン人の、ののしりを聞いた。彼らはわたしの民をそしり、自分の領土のことで高ぶった。9 わたしは生きている。──イスラエルの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──それゆえ、モアブは必ずソドムのようになり、アンモン人はゴモラのようになり、いらくさの茂る所、塩の穴、とこしえに荒れ果てた地となる。わたしの民の残りの者が、そこをかすめ奪う。わたしの国民の生き残りが、そこを受け継ぐ。」10 これは彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への恐れが彼らに下る。主が地のすべての神々を消し去られるからだ。人々はそれぞれ、自分のところで主を礼拝する。異国のすべての島々も。”(新改訳2017)と記されています。

 モアブとアンモンは、ロトの子孫でした。
「モアブは、ソドムのようになり、アンモン人はゴモラのようになり、いらくさの茂る所、塩の穴、とこしえに荒れ果てた地となる。」(9)と預言されています。
そのようになる理由は、「自分の領土のことで高ぶった」こと(8)、モアブとアンモンの高慢すなわち「主の民をそしり、これに向かって高ぶった」こと(10)と述べられています。
モアブ人やアンモン人がいなくなった地は、ユダの「残りの民」が所有するのです(9)。

 11節の「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への恐れが彼らに下る。主が地のすべての神々を消し去られるからだ。人々はそれぞれ、自分のところで主を礼拝する。異国のすべての島々も。」という預言は、大患難時代を経過し、キリストの千年王国時代に成就する内容であると思います。それは、「主が地のすべての神々を消し去られるからだ。人々はそれぞれ、自分のところで主を礼拝する。異国のすべての島々も。」という箇所から明らかです。

 ゼパニヤ212には、「あなたがた、クシュ人も、わたしの剣で刺し殺される。」(新改訳2017)と記されています。
この箇所は、クシュの国が滅ぼされると預言されているのではなく、「クシュ人も」と預言されています。クシュ人の国は今もあります。
新共同訳スタディー版の注は、
“クシュはエジプトの南部、現在のエチオピアとスーダンを含む地域。クシュの王がエジプトを支配していた時期もあったので、エジプトを指してクシュと言っているのであろう。”と述べています。
古代エジプト王朝の歴史を調べて頂くと上記の説明がよく分かります。

 ゼパニヤ213-15には、
13 主は手を北に向けて伸ばし、アッシリアを滅ぼし、ニネベを荒れ果てた地とし、荒野のようにし、砂漠とされる。14 その中に、獣の群れが、あらゆる地の獣が伏す。ふくろうと針ねずみは、その柱頭をねぐらとし、その鳴き声は窓に響き渡り、荒廃は敷居に及ぶ。まことに、その杉材が剥がされる。15 これが、安心して過ごし、「私だけは特別だ」と心の中で言っていた、あのおごった都〔ニネベ(筆者挿入)〕だ。ああ、その都は荒れ果て、動物の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、嘲って手を振る。”(新改訳2017)と記されています。

 アッシリアの首都ニネベとアッシリア滅亡の預言です。
アッシリアの滅亡についてウィキペディアは、
“紀元前612年に新バビロニアやメディアの攻撃を受けて首都ニネヴェが陥落した。〔アッシリアの(筆者挿入)〕亡命政権がハランに誕生し、アッシュール・ウバリト二世が即位、エジプト王ネコ2世と同盟を結んで新バビロニアと抗戦するも紀元前609年にはこれも崩壊し、アッシリアは滅亡した。”と述べています。

 主(ヤハウェ)に対して驕り高ぶる国々や民族そして個人は、必ず主の裁きを受けます。
三一の主である神が、万物を創造され、それを保持しておられるのです。その主に感謝もせず、主に対して高慢な態度をとっていたとしたら良いことはありません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたを信じない人、聖書を信じない人は、あなたよりも自分を高く置いています。
全てが何かの偶然で出来たと考えているようです。
私たちはあなたを信じ、聖書に書かれてあることを信じ、あなたに感謝し、あなたを崇めます。
今日もあなたの御手の中にあって歩ませて頂けますことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年5月31日 (日)

ゼパニヤ1:1-2:3 裁きの預言と裁かれないようにしなさいという預言

 ゼパニヤ11には、
“ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼパニヤにあった主のことば。クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒゼキヤの子である。”(新改訳2017)と記されています。
 ゼパニヤは、ユダのヒゼキヤ王の4代目の人です。
ゼパニヤの活動は、ユダの16代目の王ヨシヤの時代ですからB.C.640-609年の間ということになります。(B.C.606年には、ダニエルがバビロンに捕囚となっています)
ゼパニヤ213の預言は、アッシリアの首都ニネベが陥落する前の預言です。ニネベが陥落したのはB.C.612年です。ですからゼパニヤの預言は、それ以前であったのだろうと思われます。
ゼパニア(新改訳、口語訳)、ゼファニヤ(新共同訳、聖書協会共同訳)と訳されている名のヘブライ語の原語は、「ツェファンヤ」です。

 ゼパニア12-18は、ユダ王国(首都はエルサレム)への主(ヤハウェ)の審判の預言が、
2 「わたしは必ず、すべてのものを大地の面から取り除く。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──3 わたしは人と獣を取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。悪者どもをつまずかせ、人を大地の面から断ち切る。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──4 わたしは手をユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。その場所からバアルの残りを、偶像の祭司たちの名を、その祭司らとともに断つ。5 そして、屋上で天の万象を拝む者どもを、また、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者どもを、6 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に従うことをやめた者ども、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を尋ねず求めない者どもを断ち切る。」7 口をつぐめ。神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日は近い。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はいけにえを備え、招いた者たちを聖別されたからだ。8 「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であるわたしが獣を屠る日に、わたしは首長たち、王子たち、すべて外国の服をまとった者たちを罰する。9 その日、わたしは罰する。すべて神殿の敷居を跳び越える者、主人の家を暴虐と欺きで満たす者どもを。10 その日には──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──魚の門から叫び声が、第二区から嘆きの声が、もろもろの丘から大いなる破滅の響きが起こる。11 泣き叫べ、マクテシュ区に住む者どもよ。商人はみな滅び失せ、すべて銀を量る者は断ち切られるからだ。12 そのときわたしは、ともしびをかざしてエルサレム中を捜す。そして、ぶどう酒のかすの上によどみつつ、心の中で『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は良いことも、悪いこともしない』と言っている者どもを罰する。13 彼らの財産は略奪され、家は荒れ果てる。家を建てても、そこに住めず、ぶどう畑を作っても、ぶどう酒を飲めない。」14 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の大いなる日は近い。それは近く、すぐにも来る。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日に声がする。勇士の悲痛な叫び声が。15 その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日、16 角笛と、ときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。17 「わたしが人を苦しめるので、人々は目の見えない人のように歩く。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に対して罪を犯したからだ。彼らの血は、ちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。18 彼らの銀も、彼らの金も、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼし尽くすからだ。」”(新改訳2017)と記されています。

 2節には、「すべてのものを大地の面から取り除く。」とありますが、これは「エルサレムのすべてのものを大地の面から取り除く。」という意であろうと歴史より思います。
エルサレムが陥落したのはB.C.586年です。

 主がユダ王国を裁かれる理由は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に対して罪を犯したから(17)であると述べられています。
主に対する罪の中心は、主に背を向け、偶像に仕えたこと、或いは、主にのみ仕えるのではなく、他の偶像の神にも仕える、というものでした。
主に背を向けていれば、律法も気になりません。平気で暴虐、不正をも行ったのです。
 この箇所に記されている偶像は、
①バアル
②ミルコム(別名:モレク)
③太陽、月、星
などです。
 また、9節には、「・・・。彼らの主〔なる神(訳者挿入)〕の家を暴虐と欺きで満たす者たちを処罰する。」(岩波訳)とあるように、主の家を利得の場にしていた祭司長や祭司たちが横行していたのだろうと思われます。
イエス様も2回宮きよめを行いました(ヨハネ213-25、マタイ2112-17)。

6
節には、「そして、以前は主を礼拝していたのに、今は礼拝していない者や、主を愛したことも愛そうと思ったこともない者を滅ぼす。」(リビングバイブル)とあり、兎に角、主を礼拝しない者は滅ぼされるのです。
ヨハネ169の「罪とはわたしを信じないことです。」(リビングバイブル)というイエス様の御言葉を思い起こします。
これとは逆に、「主の御名を呼び求める者はだれでも救われる」のです(ローマ1013)、という御言葉もあります。
主の救いを難しくする必要はありません。主の御名を呼び求める者はだれでも救われるのです。

 また、いつの世にもお金が偶像になっている人たちがいます。
11
節をリビングバイブルは、「エルサレムの住民よ、泣き悲しめ。町の貪欲な商売人、高利貸しは一人残らず死ぬのだ。」と訳しています。

 14節には、「その恐るべき日は近い。急ぎ足でやって来る。」(リビングバイブル)とありますが、恐らくゼパニヤが預言して30年位で預言が成就したのかも知れませんね(私の推測です)。

 主は、エルサレムを裁くためにバビロン軍を用いました。それがその時の主の審判です。
その時の悲惨さをリビングバイブルは、14c-18節に預言として、
14 ・・。・・。その日には、勇士たちも泣きくずれる。15それは神の怒りが注ぎ出される日、恐ろしい苦悩と苦痛の日、崩壊と荒廃の日、暗やみと陰鬱、暗雲と暗黒の日。16角笛が吹き鳴らされ、ときの声が上がる。城壁で囲まれた町と、最も強固な城壁が崩れ落ちる。17わたしは彼らを、目が見えずに手探りで道を捜し回る人のように無力にする。主に罪を犯したからだ。それで、彼らの血はちりの中に注ぎだされ、死体は地面に置かれたまま朽ち果てる。」18 あなたがたの金銀も、主の怒りの日には役に立たない。そんなもので自分の身代金を払うことはできない。神のねたみの炎が、全地をなめ尽くすからだ。神はユダの民すべてをたちまちのうちに取り除く。”と記しています。

 審判の預言がなされただけではなく、主は、その審判にあわないようにと、悔い改めを勧め、また、主に従おうとしてきた人たち、主に仕えてきた人たちに対しては、主は救いの道を示し、主は救おうとされます。

 ゼパニヤ21-3には、
1 ともに集まれ、集まれ。恥知らずの国民よ。2 御定めが行われて、その日が籾殻のように過ぎ去らないうちに。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。3 すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。そうすれば、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。”(新改訳2017)と記されています。

 このような状況下においても、主は一人一人に目を留められていたのです。
最後に、バルクについての預言を記しておきます。
エレミヤ45章には、
1 ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年に、ネリヤの子バルクが、エレミヤの口述によってこれらのことばを書物に書いたとき、預言者エレミヤが彼に語ったことばは、こうである。

45:2 「バルクよ、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたについてこう言われる。3 『あなたは言った。ああ、私はわざわいだ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない、と。』」4 「エレミヤよ、あなたは彼にこう言え。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。見よ。わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く。この全土をそうする。5 あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下そうとしているからだ──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。しかしわたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。』」”(新改訳2017)と記されています。
主は、バルクに、如何なる厳しい状況にあっても、バルクの命を守ると約束されたのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
詩篇43に、「主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ」とありますからありがとうございます。
今日も、あなたに守られ、支えられて歩ませて頂けますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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