ハガイ書

2020年6月 9日 (火)

ハガイ2:10-23 主に聞き従うことの大切さ/御言葉に従う

 ハガイ210-19には、
10 ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。11 「万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。律法について、祭司たちに尋ねよ。12 人が聖なる肉を自分の衣の裾に入れて運び、その裾がパンや煮物、ぶどう酒や油、またはどんな食物にでも触れた場合、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは「否」と答えた。13 そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれかに触れたら、それは汚れるか。」祭司たちは「汚れる」と答えた。14 それに応じてハガイは言った。「この民も、この国も、わたしにとってはそれと同じ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──彼らの手が作ったすべての物もそれと同じ。そこで彼らが献げる物も汚れている。15 さあ今、あなたがたは、今日から後のことをよく考えよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿で石が積み重ねられる前、16 あなたがたはどうであったか。二十の麦束が積んであるところに行っても、あるのは十束。ぶどう酒五十杯を汲もうと石がめに行っても、あるのは二十杯。17 わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。しかし、だれ一人わたしに帰って来なかった。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──18 さあ、あなたがたは今日から後のことをよく考えよ。第九の月の二十四日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の基が据えられた日から後のことをよく考えよ。19 種はまだ穀物倉にあるのか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないのか。今日から後、わたしは祝福する。」”(新改訳2017)と記されています。

 10節には、「ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。」とあります。
「ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日」という日付ついて、新共同訳スタディー版の注は、「B.C.5201218日にあたる。」と、太陽暦に換算した場合の年月日を述べています。
ハガイ21-9の主の御言葉は、約二ヵ月前でした。
第九の月(キスレウの月)の二十四日頃の状況について、新聖書注解は、「冬小麦の種まきも終わり、新しい年の収穫について期待と不安の入り混じった状況の中に民はあった。」と述べています。
民は不安であったでしょう。神殿建設に取り掛かる前は、不作が続いたのですから。それは16節に記されています。
また、一方で、主に従えば、主が祝福してくださるかもしれないという期待もあったことと思います(ハガイ11-69-11、→7.8参照)。

 12節には、“「人が聖なる肉を自分の衣の裾に入れて運び、その裾がパンや煮物、ぶどう酒や油、またはどんな食物にでも触れた場合、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは「否」と答えた。”とあります。
「聖なる肉」とは、神にささげられた肉のことです。
「聖なる肉」の扱い方には規定がありました(レビ記17章、参照)。

 13節には、“そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれかに触れたら、それは汚れるか。」祭司たちは「汚れる」と答えた。”とあります。
民数記1911には、「どのような人の死体であれ、それに触れた者は七日の間汚れる。」(新共同訳)とあり、民数記1922には、「汚れた者が触れるものは、すべて汚れる。」(新改訳2017)とあります。

 14節には、“それに応じてハガイは言った。「この民も、この国も、わたしにとってはそれと同じ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──彼らの手が作ったすべての物もそれと同じ。そこで彼らが献げる物も汚れている。”とあります。
12.13
節の例をまず挙げて、主は、「この民も、この国も、わたしにとっては」汚れている、と述べ、そして、汚れた者の手が作ったすべての物は汚れているし、当然、汚れた者が献げる物も汚れている、という主の見方を教えました。

 新約聖書の テトス115には、「きよい人たちには、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく、その知性も良心も汚れています。」(新改訳2017)と記されています。

 1517節には、“15 さあ今、あなたがたは、今日から後のことをよく考えよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿で石が積み重ねられる前、16 あなたがたはどうであったか。二十の麦束が積んであるところに行っても、あるのは十束。ぶどう酒五十杯を汲もうと石がめに行っても、あるのは二十杯。17 わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。しかし、だれ一人わたしに帰って来なかった。”とあります。

 主に従う前は、主の祝福ではなく、呪い下に置かれたでしょ、ということが述べられています。
主は、主とイスラエルの間で結ばれた契約を守るお方です。
17
節には、「わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。」とあります。

 申命記28章には、
15 ・・、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。22 ・・・。また干ばつ、立ち枯れ、黒穂病であなたを打つ。・・・。38 畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。・・・。”(新改訳2017)と記されています。

 18節には、「さあ、あなたがたは今日から後のことをよく考えよ。第九の月の二十四日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の基が据えられた日から後のことをよく考えよ。」とあります。
主のみ声を聞き、主に従った後のことを考えなさい、と言われています。
主のみ旨に従ったのですから、契約に基づいて祝福されます。主は義なるお方ですから、契約を守るのです。

 申命記28章の祝福の項には、
1 もし、あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。2 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。3 あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。4 あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。6 あなたは入るときにも祝福され、出て行くときにも祝福される。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたに向かい立つ敵どもをあなたの前で敗走させる。彼らは一つの道からあなたを攻めて来るが、あなたの前で七つの道に逃げ去る。8 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。9 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令を守り主の道を歩むなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。10 地上のあらゆる民はあなたに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えるとあなたの父祖たちに誓われたその地で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに恵んでくださる。12 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すが、借りることはない。13 私が今日あなたに命じる、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令に聞き従い、守り行うなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。”(新改訳2017)と記されています。

 ハガイ219には、以前の主に従わなかったときにはみじめな結果でしたが、今や、あなたがたは主に従ったので、主であるわたしは、これからは祝福しますよ、と主がハガイを通して語られた内容が記されています。
19
節には、「種はまだ穀物倉にあるのか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないのか。今日から後、わたしは祝福する。」とあります。

 新生したキリスト者は呪いを受けることがありません。
何故なら、ガラテヤ313に、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。」(新改訳2017)とあるからです。
キリスト者が、自分は呪われているのではないだろうか、と思うときには、
①矯正(ヘブル125-11)や
②主の栄光が表されるため(使徒1616-39、マタイ510-12
というような場合があると思います。

 ハガイ220-23には、
20 その月の二十四日、ハガイに再び次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。21 「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。『わたしは天と地を揺り動かし、22 もろもろの王国の王座を倒し、異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手をくつがえす。馬とその乗り手は味方の剣によって倒れる。23 その日、──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。』」”(新改訳2017)と記されています。

 21節の内容は、終末時(黙示録612-14、他)の事柄であり、
22
節は、再臨のキリストによって為される事柄です。
この個所の預言のゼルバベルはキリストの予表です。ゼルバベルの時代に22節の預言は成就していません。

 マタイ1章にイエス・キリストの系図が記されています。
マタイ1章には、“1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、6 エッサイがダビデ王を生んだ。ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、12 バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。”(新改訳2017)と記されています。
マタイ1章はマリアの夫ヨセフの系図です。
ルカ3章はマリアの系図です。
ヨセフの実の父はヤコブで、ヨセフの義父(岳父)はマリアの父エリです(ルカ323)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが約束してくださった御言葉を信じ、あなたに従い続ける者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年6月 8日 (月)

ハガイ1:15b―2:9 主は契約を履行されるお方/主は共におられる

 ハガイ115b-29には、
115b ダレイオス王の第二年、2:1 第七の月の二十一日〔{太陽暦では(筆者挿入)}B.C.5201017日と考えられる(新共同訳聖書スタディー版の注)〕に、預言者ハガイを通して、次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。2 「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者に次のように言え。3 『あなたがたの中で、かつての栄光に輝くこの宮を見たことがある、生き残りの者はだれか。あなたがたは今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。4 しかし今、ゼルバベルよ、強くあれ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ、強くあれ。この国のすべての民よ、強くあれ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている。恐れるな。』6 まことに、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『間もなく、もう一度、わたしは天と地、海と陸を揺り動かす。7 わたしはすべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──9 この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──この場所にわたしは平和を与える。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。』」”(新改訳2017)と記されています。

 ハガイ21-3の時期について、歴史書でもあるエズラ3章には、
1 イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来た。2 そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおりに全焼のささげ物を献げるため、イスラエルの神の祭壇を築いた。3 彼らは、周りの国々の民を恐れていたので、祭壇を所定の場所に設けた。彼らはその上で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に全焼のささげ物、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のささげ物を献げた。4 彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のささげ物を献げた。5 それから、常供の全焼のささげ物、新月の祭りやすべての聖別された主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の例祭のためのささげ物、そして一人ひとりが進んで献げるものを、喜んで主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に献げた。6 彼らは第七の月の一日から全焼のささげ物を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に献げ始めたが、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の礎はまだ据えられていなかった。7 彼らは石切り工や大工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシアの王キュロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤッファに杉材を運んでもらうためであった。8 彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いて二年目の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、そのほかの同僚の祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて、工事を始めた。9 こうして、ヨシュアと、その息子たち、その兄弟たち、カデミエルとその息子たち、ユダの息子たちは一致して立ち、神の宮の工事に当たる者たちを指揮した。ヘナダデの息子たちと孫たち、そのレビ人の兄弟たちもそうした。10 建築する者たちが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。11 そして彼らは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の礎が据えられたので、民はみな主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を賛美して大声で叫んだ。12 しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。13 そのため、喜びの叫び声と民の泣き声をだれも区別できなかった。民が大声をあげて叫んだので、その声は遠いところまで聞こえた。”(新改訳2017)と記されています。

  3節には、「あなたがたの中で、かつての栄光に輝くこの宮を見たことがある、生き残りの者はだれか。あなたがたは今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。」とあります。

 神殿を建てる作業は、ダレイオス王の第二年の624日後(ハガイ115)で、エズラ31によると恐らく7月の初めでした。
ハガイ23の箇所は、ダレイオス王の第二年の721日(ハガイ115b-21)ですから、3節の主の御言葉は、完成した神殿を見て言っているのではないことは確かです。
エズラ615によると、神殿の完成は、ダレイオス王の第6年アダルの月(ユダヤ歴の12月)の3日です。(アダルの月は太陽暦では2-3月です)

 3節のハガイを通して語られた主の御言葉は、エズラ312の、「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。」とある状態を主がご覧になって語られたのではないかと想像します。

 神殿の基礎が据えられたとき、かつてのソロモンの神殿に比し、かなり小さかったので泣いたことが分かります。

 続く4.5節には、「4 しかし今、ゼルバベルよ、強くあれ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ、強くあれ。この国のすべての民よ、強くあれ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている。恐れるな。」とあります。

 5節には、「あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている。恐れるな。」とあって、主は契約をどこまでも守られるお方であることが分かります。
北イスラエルが裁かれたのも南イスラエル(ユダ王国)が裁かれたのも、主が契約を守られたからです(申命記2830章)。
2
テモテ213の「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。」(新改訳2017)という御言葉を、
また、ヘブル138の「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(新共同訳)という御言葉を思い浮かべます。
主が、「わたしはあなたと共にいる」(ハガイ24、マタイ2820)と語られたら、それは1日だけor一時だけのことではないのです。

 私たちキリスト者の場合は、主が私たちの内におられるのです。
コロサイ126.27には、「26 世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。 27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」(新共同訳)と記されています。
この霊的感覚の実感は、たましいの聖さと関係するのではないかと思います。魂が肉の思い(ガラテヤ519-21a参照)に満たされてしまうと、「あれ、イエス様はどこへ行ってしまったのだろう」ということになります。

 ハガイ26-8には、
6 まことに、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『間もなく、もう一度、わたしは天と地、海と陸を揺り動かす。7 わたしはすべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──”(新改訳2017)とあります。
神殿建設にあずかっている民たちは貧しかったのです。
自分たちが持っている財産だけで神殿をたてることが出来れば、主はこのようには言われませんし、また、主の出る幕もありません。
民たちに財産がないからこそ、民たちが、主に信頼して主に従えば、主の栄光を見るのです。
民たちに財産が山ほどあったら主の栄光を見損なったかもしれません。
主を信じる信仰によって、貧しいことも幸い、病んでいることも幸い、苦難、艱難も幸い、ということがあるのです。私は、この中の「病んでいることも幸い」の人です。
それ故に、「生きることはキリスト。死ぬことは益。」「生きるにも死ぬるにもわが身によりてキリストのすばらしが表されることを切に願う」というパウロが語った言葉(ピリピ120.21)に同感できるのです。パウロの場合は艱難によるものでした。

9
節には、「この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──この場所にわたしは平和を与える。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」とあります。

 ソロモンの神殿はすばらしいものであったのだろうと推測できます。
ソロモンの神殿が完成し、神殿を主にささげ、主にソロモンが祈りをささげ終わった後、主の栄光が臨みました。
2
歴代誌71-3には、
1 ソロモンが祈り終えると、天から火が下って来て、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の栄光がこの宮に満ちた。2 祭司たちは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮に入ることができなかった。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の栄光が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮に満ちたからである。3 イスラエルのすべての人々は、火が下り、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の栄光がこの宮の上に現れたのを見て、膝をかがめて顔を地面の敷石に付け、伏し拝んで、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕をほめたたえた。”(新改訳2017)と記されています。

 ところが、ハガイ29で主は、「この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる」と語られ、また、「この場所にわたしは平和を与える」と語られたのです。
この宮はヘロデ大王によって壮麗に改築されましたが、9節で主が語られているのは、建物の荘厳さのことではなく、霊的なことでしょう。
神殿に、主イエス・キリスト様が現れたことを指すのだと思います。主イエス(アドナイ・イェシュア)こそ、平和の君{(サル シャローム)新改訳ではイザヤ96、ヘブライ語聖書・新共同訳。聖書協会共同訳は、95}です。
ハガイの時代の神殿はヘロデ大王によって拡張されましたが、A.D.70年にローマ軍によって滅ぼされたのです。
主イエス様は、そのことも預言されました。マタイ241.2には、
1 イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。2 すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」”(新改訳2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主はいつも私たちの内に住んでくださっておられますから感謝します。
今日も内におられる主の導きと助けを頂きながら歩ませてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年6月 7日 (日)

ハガイ1:12-15 主が共にいてくださる幸い

 ハガイ1112-15aには、
12 シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者すべては、彼らの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が預言者ハガイを遣わされたとき、彼らの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声と、ハガイのことばに聞き従った。民は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で恐れた〔民は主を畏れ敬った(新共同訳)〕。13 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使者ハガイは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使命を受けて、民にこう言った。「わたしは、あなたがたとともにいる──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」14 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの霊と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの霊と、民の残りの者すべての霊を奮い立たせたので、彼らは自分たちの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮に行き、仕事に取りかかった。15 それは第六の月の二十四日〔B.C.520921日と考えられる(新共同訳スタディー版の注)〕のことであった。”(新改訳2017)と記されています。

 12節を新共同訳は、“シャルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者は皆、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼の言葉を通して、彼らの神、主の御声に耳を傾けた。民は主を畏れ敬った。”と訳しています。

 「民の残りの者」とありますが、「残りの者」とはヘブライ語で「シェエリート」で、remnant です。この人たちは、「主を畏れ敬」う人達です。主は、主を畏れ敬う人々を残しておかれます。
預言者エレミヤに従っていたバルクもそのような人でした。
主はエレミヤを通して、バルクに、「あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。」(エレミヤ455・新改訳2017)と語られました。

 主(ヤハウェ)が初めに預言者ハガイを遣わしたのは、ダレイオス王の第二年、第六の月の一日でした。
そして、第六の月の二十四日、彼らは自分たちの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮に行き、仕事に取りかかった(14)、とあるので、その間、木を伐(き)りだしたりして準備したのであろうと思われます。
ハガイ17.8には、“万軍の主はこう言われる。「・・・。山に登り、木を運んで来て、・・・。」”(新改訳2017)とありますから。

 13節には、“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使者ハガイは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使命を受けて、民にこう言った。「わたしは、あなたがたとともにいる──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」”とあります。
 主が共にいてくださることほど心強いことはありません。
しかし、そのように言われても、その御言葉を信じな人には、実体化されません。
主の御言葉は、信じる者に実体化されるのです。
余談になりますが、イエス様は、主に対する信仰のない人達には、御業を行いませんでした。
マタイ1358には、「そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさらなかった。」(新改訳2017)と記されています。

 マタイ2818-20        に、「18 ・・・わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(新改訳2017)という主イエス様の御言葉が記されています。
どんどん脱線しますが、「父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」と訳されている語の原文は、「父と子と聖霊の名の中へと彼らを浸し」とも訳せます。これは霊的な奥義でしょう。

 主イエス様は、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」と語られましたが、新約聖書のいくつかの手紙では、奥義がどんどん開示されていきます。
 主イエス様が天に帰られる前に、弟子たちに、イエス様は、「あなたがたとともにいます」と語られ、更に、主イエス様は、パウロに、「主と交わる者は〔原語を直訳すると、「主と膠でぴったりくっつけられた者は」(筆者挿入)〕、主と一つの霊になるのです。」(1コリント617・新改訳2017)と明らかにされ、パウロは、更に、「キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ220・新改訳2017)とあかしし、コロサイ127では、「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト・・です」(新改訳2017)と述べました。
 主と一つ心となることの大切さは、旧約聖書にも出てきます。
2
歴代誌169には、「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(新改訳2017)と記されています。
そして、キリスト者の中に住んでおられる主は、天地において、いっさいの権威を持っておられるお方です。

 14節には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの霊と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの霊と、民の残りの者すべての霊を奮い立たせたので、彼らは自分たちの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮に行き、仕事に取りかかった。」と記されています。
 主は、「全員の霊を奮い立たせた」、とあります。
人から霊が抜けると、肉体は死にます(ルカ855、ヤコブ226)。
新改訳第三版は、ヤコブ226を、「たましいを離れたからだが、死んだものである」と訳していますが、原語は「魂」ではなく「霊」です。新改訳2017は、「からだが霊を欠いては死んでいる」と訳しています。
 14節には、「主が・・・霊を奮い立たせたので」とあります。
霊を奮い立たされたすべての人は、心身ともに力を得たのでしょう。
皆仕事に取り掛かりました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちキリスト者は、1コリント130によると、キリストの内に置かれ、また、コロサイ127によると、私たちキリスト者の内にキリストが内住されているという、相互内住の関係の恵みを与えられていますことを感謝します。
その恵みを無駄にすることなく、主と一つ心とされて歩み続ける者とさせてください。
天地の主権者であられる我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年6月 6日 (土)

ハガイ1:1-11 神殿再建を促す預言/神の国と神の義を第一に求めること

 ハガイ書の背景
586年にエルサレムは陥落しました。エルサレムの城壁は崩され、神殿には火が放たれました。
エルサレムの王や高官たち上層部の者たちは、捕囚としてバビロンに連れて行かれました。恐らくエルサレムを再建させないためです。
539年、ペルシアの王キュロスがバビロンを滅ぼしました。
538年にペルシアの王キュロスの勅令によってバビロンの地からエルサレムに帰還したユダヤ人たちは、直ちに神殿再建に取り掛かりました。ところが土着民や周辺諸国民の反対により神殿再建工事は十数年間停滞したままでした。

 ハガイ11には、“ダレイオス王の第二年、第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアに、主のことばがあった。”(新改訳2017)と記されています。

 神殿再建は、頓挫していました。そこで主は、神殿再建を推し進めるために、預言者ハガイとゼカリヤをたてました。
「シェアルティエル」は、バビロンに捕囚となった王エコンヤ(別名:エホヤキン)の子です(1歴代誌317)。
「ゼルバベル」は、シェアルティエルの子とありますが、1歴代誌319には、ペダヤの子であると記されています。単純に考えるとゼルバベルはシェアルティエルの甥になります。
しかしイスラエルには、主のご命令によって「レビラト婚」の定めがありました。その箇所は、
申命記255.6で、「5 兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、彼に息子がいない場合、死んだ者の妻は家族以外のほかの男に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女のところに入り、これを妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。6 そして彼女が産む最初の男子が、死んだ兄弟の名を継ぎ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。」(新改訳2017)と記されています。
ゼルバベルがシェアルティエルの子と言われるのは、レビラト婚によるのかも知れない、と考える人もいます。
 「ダレイオス王の第二年、第六の月の一日」について、新共同訳スタディー版の注は、「〔大陽暦では(筆者挿入)〕前520829日」と述べています。
 ペルシアの王キュロスは、前529年に死去。次の王カンピュセス2世は前522年に死去。次の王がダリヨス(ダレイオス1世)です。

 2節には、“万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。」”(新改訳2017)と記されています。

 神殿建設は中断していたのです。
エルサレムに帰還した民の言い訳は、①貧しいから ②妨害者がいるから、というものでした。
そのどちらも大きな問題でした。
主はそのどちらにも答えをくださいました。
貧しいから神殿再建どころではない、ということに対して、貧困は本末転倒のゆえであると教えられました。

 ハガイ13-11には、
3 すると預言者ハガイを通して、次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。4 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」5 今、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。6 多くの種を蒔いても収穫はわずか。食べても満ち足りることがなく、飲んでも酔うことがなく、衣を着ても温まることがない。金を稼ぐ者が稼いでも、穴の開いた袋に入れるだけ。」7 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──9 あなたがたは多くを期待したが、見よ、得た物はわずか。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがそれぞれ、自分の家のために走り回っていたからだ。10 それゆえ、あなたがたゆえに、天は露を滴(したた)らすのをやめ、地はその産物を出すのをやめた。11 わたしはまた、日照りを呼び寄せた。地にも山々にも、穀物にも新しいぶどう酒にも油にも、地が産み出す物にも、また人にも家畜にも、手によるすべての労苦の実にも。」”(新改訳2017)と記されています。

 主は、帰還民がしなければならないことを、
7 ・・。「あなたがたの歩みをよく考えよ。8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す。・・」”(新改訳2017)と語られました。

 余談になりますが、新約における宮とは、キリスト者一人一人であり、またその集合体です。
そのようなわけで、私たち一人一人が主の宮(神殿)としてふさわしく整えられる必要があることを教えてくれています。
パウロは、「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(新改訳2017)と述べました。
実際には、整えられると、主ご自身が輝き出てくださいます。ハガイ17.8に、「宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す。」とある通りです。

リビングバイブルは、3-11節を、
3.4 そのような人々に主はこう答えます。「では、神殿が荒れはてたままなのに、あなたがたはぜいたくな家に住むのにふさわしい時なのだろうか。5 その結果を見よ。6 たくさん種をまいても、ほとんど収穫がない。飲み食いにも事欠き、寒さを防ぐ衣服も十分にない。収入は、穴の開いた財布に入れるようにすぐになくなる。」7 全能の主はさらに言います。「自分たちがどのようなことをしてきたか、その結果どうなったかをよく考えなさい。8 そして、山に登り、材木を切り出して、わたしの神殿を再建するのだ。わたしは喜んで受け入れ、わたしの栄光をそこに現そう。9 あなたがたは多くを望んでも、少ししか得られない。それを家に持ち帰っても、わたしが吹き飛ばす。結局続かないのだ。なぜか。わたしの神殿が廃墟のままなのに、気にかけないからだ。自分たちのりっぱな家にばかり気を配っている。10 それゆえ、わたしは天から雨を降らせず、わずかな収穫しか与えない。11 事実、平地にも高地にも、日照りを呼び寄せた。麦もぶどうもオリーブも他の穀物も、みな干からび、人も家畜も飢えに苦しむ。いくら仕事に精を出しても、すべては水の泡だ。」”と意訳しています。

 主(ヤハウェ)を神としない、それどころか敵対する人達の中にも大富豪はいます。
「敵対する者」のことをサタンといいます。
サタンの国(サタンが支配しサタンの支配下にある人々の国)は、サタンの法則で豊かになれるでしょう。
しかし、主なる神の国の住人、即ち新生したキリスト者は、主なる神様が教えてくださった方法によらなければ祝福されないのです。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ633・新改訳2017)と主イエス様が語られた御言葉を思い起こします。
マタイ633をリビングバイブルは、「神を第一とし、神が望まれる通りの生活をしなさい。そうすれば、必要な物は、神が与えてくださいます。」と意訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが教えてくださった法則に従って生きる者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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