1列王記

2020年12月27日 (日)

1列王記22:41-53 ユダの王ヨシャファテ、イスラエルの王アハズヤ/主を信じることが基本

 41-50節には、ユダの王ヨシャファテの治世期間や特筆事項が簡略に次のように記されています。
“41 アサの子ヨシャファテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。42 ヨシャファテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。
43 彼はその父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目にかなうことを行った。しかし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。
44 ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。
45 ヨシャファテについてのその他の事柄、彼が立てた功績とその戦績、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。
46 彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。
47 そのころ、エドムには王がなく、守護が王であった。
48 ヨシャファテはタルシシュの船団をつくり、金を得るためにオフィルに行こうとしたが、行けなかった。船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。
49 そのとき、アハブの子アハズヤはヨシャファテに、「私の家来をあなたの家来と一緒に船で行かせましょう」と言ったが、ヨシャファテは同意しなかった。
50 ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。”(2017)とあります。

 ヨシャファテは、王国分裂後、ユダ王国の四代目の王になります。
ヨシャファテが王であった期間、イスラエルの王は、アハブ(イスラエル七代目の王)、アハズヤ(イスラエルの八代目の王)、ヨラム(イスラエルの九代目の王)がいました。

 42節に“ヨシャファテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。”とありますが、その治世年代はB.C.873-849年(注解付新改訳聖書の注)です。

 43節には、“彼はその父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目にかなうことを行った。”と記されていますから、善王として数えられています。ヤハウェ(主)が、人を良しとする基準の基本は、主をまことの神と信じ、主に従うことです。ヤハウェ(主)がまことの神であると知っていてもそれに従わない生き物がいます。それが悪魔{(サタン)元大天使(ヘ)ヘイレル、(英)ルシファー}とそれにつく霊的存在者たちです(イザヤ14:12-15、ヤコブ2:19)。

 46節には、“彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。”とあり、ヨシャファテは、更に主に喜ばれることを行っています。

 45節には、“ヨシャファテについてのその他の事柄、彼が立てた功績とその戦績、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。”と記されています。
列王記にはなく、歴代誌に記されているものとして、①領土の拡大{このことが出来たのはヤハウェ(主)がヨシャファテと共におられたから(2歴代誌17:3.4)}、②司法制度の拡充(2歴代誌19:5-11)とがあります。

 47節には、“そのころ、エドムには王がなく、守護が王であった。”とあります。
この解説を注解付新改訳聖書の注は、“ダビデ以来、エドムはユダに隷属していた。ユダはエドム全土に守備隊を置いて統治し、王を持つことを許さなかった。”と記しています。

 48節には、“ヨシャファテはタルシシュの船団をつくり、金を得るためにオフィルに行こうとしたが、行けなかった。船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。”とあります。
このことに関して2歴代誌20:35-37は、
“35 その後、ユダの王ヨシャファテは、イスラエルの王アハズヤと同盟を結んだ。アハズヤは悪事を行った。36 ヨシャファテはタルシシュへ行く船団をつくるために、アハズヤと同盟を結んだ。そして、彼らはエツヨン・ゲベルで船団をつくった。37 マレシャ出身のドダワフの子エリエゼルがヨシャファテに向かって次のように預言した。「あなたがアハズヤと同盟を結んだので、主はあなたが造ったものを打ち壊されます。」すると、船は難破し、タルシシュへ行くことができなくなった。”と述べています。

 49節に、“そのとき、アハブの子アハズヤはヨシャファテに、「私の家来をあなたの家来と一緒に船で行かせましょう」と言ったが、ヨシャファテは同意しなかった。”とありますが、ヨシャファテがイスラエルの王アハズヤに同意しなかった理由は、2歴代誌20:37のヤハウェ(主)の預言者の言葉があったからではないかと思います。ヤハウェ(主)は、ヤハウェ(主)を愛さない者との同盟を嫌いました。

 50節には、“ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。”とあります。
 ユダ王国の第五代目の王はヨラムとあります。
まぎらわしいことに、イスラエル王国の王にもヨラム(イスラエルの九代目の王)がいます。その上、治世期間が一部重なるので、ボーっと聖書を読んでいるとどちらか分からなくなります。2列王記1-9章は、ヨラムがどちらのヨラムか、気を付けて読む必要があります。

 イスラエルの王アハズヤについて、51-53節には次のように記されています。
“51 アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファテの第十七年にサマリアでイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。52 彼は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだ。53 彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りを引き起こした。”(2017)とあります。

 聖書辞典は、イスラエルの王アハズヤについて次のようにまとめています。
サマリヤで前853年頃即位。彼は南王国ユダの王ヨシャパテと同盟を結び(2歴代誌20:35),金を得るため船団をオフィルに差し向けたが難船して失敗した(1列王記22:48)。父アハブの死後,モアブ人が背いたが,それに対して彼は特に何もできなかったようである(2列王記1:1,3:5)。彼はサマリヤの王宮で欄干から落ちた時,ペリシテ人の町エクロンの神バアル・ゼブブに使者を遣わして病気が直るかどうかうかがいを立てさせた(2列王記1:2)。その使者は途中で預言者エリヤに出会い,神のさばきで王が死ぬことを宣告された。王はエリヤを捕えようと50人から成る軍隊を3度も派遣したが失敗し,在位わずか2年にしてエリヤの預言通り死んだ(2列王記1:3‐18)。”と述べています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが「良し」と認めてくれる基本的な条件は、ヤハウェ(主)を信じヤハウェ(主)に従うことである、とこの箇所からまた旧約聖書の多くの聖句から教えて頂けて感謝です。
新約の時代の私たちは、主イエス様を信じることがあなたに認められる基本的な条件であることを覚えます。
あなたは、倫理道徳的に比較的良き歩みをしても、主イエス様を信じない者、認めない者に対して、「良し」とは言われません。
主イエス様を信じることこそ、先ず基本であることを覚えます。
あなたの恵みによって、イエス・キリスト様を救い主と信じ、主と信じさせて頂けましたことを感謝します。
主を愛し、主に従う者として更にお整え下さい。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その方〔聖霊(筆者挿入)〕が来られると、世の人に誤りを認めさせます。罪、心の正しさ、神との正しい関係、さばきからの救いについて、人々は考え違いをしているのです。 まず、罪とはわたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を信じないことです。」(ヨハネ16:8.9・リビングバイブル)

2020年12月26日 (土)

1列王記22:1-40 罪の刈り取りをしたアハブ/霊的真理を信じることが出来るのは主の恵みです

 1-4節には、
“1 アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎた。2 しかし、三年目になって、ユダの王ヨシャファテがイスラエルの王〔アハブ(筆者挿入)〕のところに下って来ると、3 イスラエルの王は自分の家来たちに言った。「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」4 そして、彼はヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャファテ〔ユダの王(筆者挿入)〕はイスラエルの王〔アハブ(筆者挿入)〕に言った。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」”(2017)とあります。

 3節に「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」というイスラエルの王アハブの言葉があります。
ラモテ・ギルアデは、 ベテ・シャンの東約50kmにあり、ソロモンの時代、ソロモンはラモテ・ギルアデにゲベルの子を守護として配置したのです。
1列王記4:13には、“ラモテ・ギルアデにはゲベルの子。彼はギルアデにあるマナセの子ヤイルの町々と、バシャンにあるアルゴブの地域で、城壁と青銅のかんぬきを備えた六十の大きな町を任されていた。”(2017)と記されています。

 聖書には記されていないのでいつの時代かは分かりませんが、ラモテ・ギルアデはアラムに支配されるようになっていたのです。
しかし3年前のアフェクの戦い(1列王記20:26-30)でイスラエルがアラムに勝利した後、アラムの王ベン・ハダドは、イスラエルの王アハブ(治世はB.C.874―853年)に、「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。」(1列王記20:34・2017)と約束しました。この約束したアラムの王はベン・ハダド2世(治世はB.C.860―843年頃)と呼ばれる人です。
 ベン・ハダド1世(治世はB.C.900―860年頃)の時代、ユダの王アサの要請で、アラムがイスラエル北部を攻撃したことがありました。
1列王記15:20には、“ベン・ハダドはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の軍の高官たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、およびキネレテ全域とナフタリの全土を攻撃した。”(2017)と記されています。
この文には、ラモテ・ギルアデは入っていませんが、このときのことと関係していたのだとすると、イスラエルの王アハブが、アラムの王ベン・ハダド2世はまだ返還していない、と言ってもおかしくはないと思います。聖書からはこれ以上のことは分かりません。

 あるいは、この戦いは1列王記20:42の預言に関係して起こったものかもしれません。その場合には、アハブの考えでアハブがこの戦いを起こしたように見えますが、霊の世界では、アハブにその思いが入れられた(ヨハネ13:2参考)、ということも考えられます(これは私の想像で、確かなことではありません)。
1列王記20:42には、“彼〔預言者(筆者挿入)〕は王〔アハブ(筆者挿入)〕に言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者〔ベン・ハダド(筆者挿入)〕をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」”(2017)と記されています。

 4節に、“そして、彼はヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャファテ〔ユダの王(筆者挿入)〕はイスラエルの王〔アハブ(筆者挿入)〕に言った。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」”(2017)とありますが、ヨシャファテがアハブに上記のように言うことはヤハウェ(主)のみ旨に反することでした。
ヨシャファテが、アハブと一緒に戦いに出たことについて、ヤハウェ(主)からの叱責がありました。
2歴代誌19:1.2には、
“1 ユダの王ヨシャファテは、無事にエルサレムの自分の家に帰った。2 ハナニの子、先見者エフーが、ヨシャファテ王の前に進み出て言った。「悪者を助け、主を憎む者を愛するというのですか。このことのゆえに、あなたの上に、主の前から怒りが下ります。”(2017)と記されています。
ヨシャファテの治世はB.C.870-848年でした。

 ヤハウェ(主)の預言者ミカヤと偽予言者の攻防が5‐28節に次のように記されています。
“5 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばを伺ってください。」
6 イスラエルの王は約四百人の預言者を集めて、彼らに尋ねた。「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼らは答えた。「あなたは攻め上ってください。主は王様の手にこれを渡されます。」
7 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。
8 イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」
ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」
9 イスラエルの王は一人の宦官を呼び、「急いでイムラの子ミカヤを連れて来い」と命じた。
10 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、それぞれ王服をまとって、サマリアの門の入り口にある打ち場の王の座に着いていた。
預言者はみな、彼らの前で預言していた。
11 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」
12 預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は王の手にこれを渡されます。」
13 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」
14 ミカヤは答えた。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私に告げられることを、そのまま述べよう。」
15 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ、われわれはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼は王に答えた。「あなたは攻め上って勝利を得なさい。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は王の手にこれを渡されます。」
16 王は彼に言った。「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」
17 彼〔ミカヤ(筆者挿入)〕は答えた。「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。
そのとき主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」
18 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「あなたに言ったではありませんか。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言すると。」
19 ミカヤは言った。「それゆえ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばを聞きなさい。私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。20 そして、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われました。『アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』
すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。21 ひとりの霊が進み出て、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。
22 彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』
主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。
23 今ご覧のとおり、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はここにいるあなたのすべての預言者の口に、偽りを言う霊を授けられました。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」
24 ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬を殴りつけて言った。「どのようにして、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の霊が私を離れ、おまえに語ったというのか。」
25 ミカヤは答えた。「あなたが奥の間に入って身を隠すその日に、あなたは思い知ることになる。」
26 イスラエルの王は言った。「ミカヤを捕らえよ。町の長アモンと王の子ヨアシュのもとに連れて行き、
27 王がこう命じたと言え。『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰るまで、わずかなパンと、わずかな水だけ与えておけ。』」
28 ミカヤは言った。「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私によって語られなかったということです。」そして、「すべての民よ、聞きなさい」と言った。”(2017)とあります。

 アハブの預言者たちは、主に召された預言者ではありませんでした。アハブのお抱えの預言者であったようです。ですからいつもアハブの気に入るように預言したのでしょう。
ユダの王ヨシャファテは、アハブの預言者たちに違和感を覚え、アハブに対して、「ここには、われわれがみこころを求めることのできるヤハウェ(主)の預言者が、ほかにいないのですか」(7)と聞いたのです。

 ヤハウェ(主)の預言者ミカヤの預言は、
“17 「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき主はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」 /19‐23 「それゆえ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばを聞きなさい。私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。そして、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われました。『アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。ひとりの霊が進み出て、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。今ご覧のとおり、ヤハウェ(主)はここにいるあなたのすべての預言者の口に、偽りを言う霊を授けられました。ヤハウェ(主)はあなた〔アハブ(筆者挿入)〕に下るわざわいを告げられたのです。」”(2017)と記されています。

 ヤハウェ(主)の預言者ミカヤに、アハブは、アラムとの戦争で無事に帰還することが出来ないと言われたのです。
その預言は的中しイスラエルの王アハブは戦死しました。それは29-40節に次のように記されています。
“29 イスラエルの王〔アハブ(筆者挿入)〕とユダの王ヨシャファテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。
30 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは自分の王服を着ていてください。」イスラエルの王は変装して戦いに行った。
31 アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たち三十二人に次のように命じた。「兵とも将軍とも戦うな。ただイスラエルの王だけを狙って戦え。」
32 戦車隊長たちはヨシャファテを見つけたとき、「きっと、あれがイスラエルの王に違いない」と思ったので、彼の方に向きを変え、戦おうとした。
ヨシャファテは助けを叫び求めた。
33 戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知り、彼を追うことをやめて引き返した。34 そのとき、ある一人の兵士が何気なく弓を引くと、イスラエルの王の胸当てと草摺〔剣道の防具の「垂れ」の部分(筆者挿入)〕の間を射抜いた〔下腹部を射抜かれたのでしょう(筆者挿入)〕。
王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を陣営から出させてくれ。傷を負ってしまったから。」
35 その日、戦いは激しくなった。
王はアラムに向かって、戦車の中で立っていたが、夕方になって死んだ。傷から出た血が戦車のくぼみに流れた〔下腹部の動脈を損傷されたのだろうと思います(筆者挿入)〕。
36 日没のころ、陣営の中に「それぞれ自分の町、自分の国へ帰れ」という叫び声が伝わった。
37 王は死んでサマリアに運ばれた。人々はサマリアで王を葬った。38 それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が語られたことばのとおりであった。
39 アハブについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。
40 アハブは先祖とともに眠りにつき、その子アハズヤが代わって王となった。”(2017)とあります。

 38節の、“それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が語られたことばのとおりであった。”とある預言は、エリヤが語った預言でした。
1列王記21章には、
“17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。
18 「さあ、サマリアにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。19 彼にこう言え。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。あなたは人殺しをしたうえに、奪い取ったのか。』また、彼に言え。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる。』」”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
人は自分の信じたいものを信じる傾向があります。アハブはその代表でした。
私たちは、あなたの恵みによって、真理を信じることを得させて頂けました。
これは私にとっては奇跡です。
聖書を信じ、イエス様を信じることは、両親から生まれただけの人間にとってはとても高いハードルです。
救い主にして主であるイエス・キリスト様を信じさせて頂けたことを感謝し、御名によって祈ります。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・
わたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕が道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6・2017)
求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7.8・2017)
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物〔ギフト(筆者挿入)〕です。」(エペソ2:8・新共同訳)

2020年12月25日 (金)

1列王記21章 ナボテのブドウ園(アハブの妻イゼベルの陰謀)/ヤハウェ(主)からの預言は必ず成就する

 イズレエル人ナボテに、アハブ王がナボテの土地を売ってくれるように頼んだが、断られた様子が1-4節に次のように記されています。
“1 これらのことがあった後のことである。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。
2 アハブはナボテに次のように頼んだ。「おまえのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の宮殿のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑を与えよう。もしおまえが良いと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」
3 ナボテはアハブに言った。「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲るなど、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕にかけてあり得ないことです。」
4 アハブは不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に入った。イズレエル人ナボテが彼に「私の先祖のゆずりの地はあなたに譲れません」と言ったからである。アハブは寝台に横になり、顔を背けて食事もしようとしなかった。”(2017)とあります。

 1列王記20章は、ヤハウェ(主)が、アハブに勝利を与えてくれたことが記され、1列王記21:1は、「これらのことがあった後のことである。」で始まり、1列王記22:1は、「アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎた。」(2017)で始まりますが、戦争が起き、1列王記20:42において預言された通りアハブは死ぬのです(1列王記22:37)。
ということで、21章はアハブの晩年の記事であると考えられます。

 1節に、「イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。」とあります。
イズレエルは、カルメル山の南東約27km、ギルボア山のふもとにある町です。
サマリアとナボテのぶどう畑は大分離れています。ここでいうアハブの宮殿とは、ナボテのぶどう畑の近くに建てられていた離宮です。

 アハブ王はナボテに畑を売ってくれるように願いましたが、断られました(2.3)。
ナボテが土地を売らないと断った理由は、「譲りの地」即ち主から与えられた相続地であったからです。土地は元来主のものです。
レビ記25章には、
“23 土地は、買い戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたは、わたしのもとに在住している寄留者だからである。24 あなたがたの所有するどの土地においても、土地を買い戻す権利を認めなければならない。25 もしあなたの兄弟が落ちぶれて、その所有地を売ったときは、買い戻しの権利のある近親者が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。26 その人に買い戻しの権利のある親類がいないときは、彼の暮らし向きが良くなり、それを買い戻す余裕ができたなら、27 売ってからの年数を計算し、なお残る分を買い主に返し、自分の所有地に帰ることができる。28 もしその人に返す余裕がないなら、その売ったものはヨベルの年まで買い主の手にとどまる。しかし、ヨベルの年にはその手を離れ、彼は自分の所有地に帰ることができる。31 周りに城壁のない村々の家は、その土地の畑と見なされて買い戻すことができ、ヨベルの年に彼〔本来の所有者からその所有地を買った者(筆者挿入)〕の手を離れる。”と記されています。

 ナボテに3節に記されているように言われたアハブ王は、ヤハウェ(主)の律法に阻まれて、ナボテのぶどう畑を手に入れることが出来ず、不機嫌になったのです(4)。

 5-7節には、
“5 彼の妻イゼベルは彼のもとに来て言った。「どうしてそんなに不機嫌で、食事もなさらないのですか。」
6 そこで、アハブは彼女に言った。「私がイズレエル人ナボテに『金を払うから、おまえのぶどう畑を譲ってほしい。あるいは、おまえが望むなら、代わりのぶどう畑をやってもよい』と言ったのに、彼は『私のぶどう畑はあなたに譲れません』と答えたからだ。」
7 妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権を得ています。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑を、あなたのために手に入れてあげましょう。」”(2017)とあります。

 ナボテに断られたアハブ王は、食事もしないほどに不機嫌になりました。
その状態を見た妻のイゼベルは、ナボテのぶどう畑を手に入れてあげるから、起きて食事をし、元気を出してください、とアハブ王に言ったのです。
イゼベルはヤハウェ(主)の律法に重きを置いていない異邦人でした。イゼベルはシドン人の王エテバアルの娘であったのです。イゼベルは熱心なバアルの信奉者であり、バアルの預言者400人とアシェラの預言者450人をかかえていたこともありました(1列王記18:19参照)。

 8-16節には、イゼベルの陰謀とナボテの死について次のように記されています。
“8 彼女〔イゼベル(筆者挿入)〕はアハブの名で手紙を書き、彼の印で封印し、ナボテの町に住む長老たちとおもだった人々にその手紙を送った。9 彼女は手紙にこう書いた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出して座らせ、10 彼の前に二人のよこしまな者を座らせて、彼らに『おまえは神と王を呪った』と証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」
11 そこで、その町の人々、その町に住んでいる長老たちとおもだった人々は、イゼベルが彼らに言ってよこしたとおり、彼女が手紙に書き送ったとおりに行った。12 彼らは断食を布告し、ナボテを民の前に引き出して座らせた。13 そこに、二人のよこしまな者が入って来て、彼の前に座った。よこしまな者たちは民の前で、「ナボテは神と王を呪った」と証言した。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石打ちにして殺した。
14 こうして、彼らはイゼベルに「ナボテは石打ちにされて死にました」と言ってよこした。
15 イゼベルはナボテが石打ちにされて殺されたことを聞くとすぐ、アハブに言った。「起きて、イズレエル人ナボテが代金と引き替えで譲ることを拒んだ、あのぶどう畑を取り上げなさい。もうナボテは生きていません。死んだのです。」
16 アハブはナボテが死んだと聞いてすぐ、立って、イズレエル人ナボテのぶどう畑を取り上げようと下って行った。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)の律法に従って正しいことをしたナボテは、イゼベルの悪しき策略通りに行動したその町に住む長老たちとおもだった人々、及び二人の偽りの証言者によって死刑にされ殺されてしまいました。ナボテが死んだことを知らされたアハブ王は、イズレエル人ナボテのぶどう畑を取り上げようと下って行ったのです。

 10節に、「彼の前に二人のよこしまな者を座らせて、彼らに『おまえは神と王を呪った』と証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」というイゼベルの悪しき策略が記されています。
「呪った」と訳されているこの箇所のヘブライ語聖書の語は「バーラク」という語で「祝福する」という意です。ヘブライ語で「呪う、ののしる」は「カーラル」という語になります。
レビ24:14には、「あの、ののしった者〔のろった者(新改訳第三版)、原語は「カーラル」(筆者挿入)〕〕を宿営の外に連れ出し、それを聞いたすべての人がその人の頭に手を置き、全会衆が彼に石を投げて殺すようにしなさい。」(2017)とあります。
このことについて、新聖書注解は、“ヘブル語本文で「のろう」という語は神について使用すべきではないという伝統的敬虔主義の立場から「祝福する」(バーラク)という語に置き換えられているくらいである(13節も同じ。このようなユダヤ的敬虔主義の伝統のティクネ・ソーフェリームの習慣について詳しくは→E・ヴェルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』139頁)。”と述べています。

 この箇所ではナボテの死しか記されていませんが、この時、ナボテの子どもたちも殺されたのです(2列王記9:26参照)。

 預言者エリヤによるアハブの家とイゼベルに対する裁きの預言が17-24節に次のように記されています。
“17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。
18 「さあ、サマリアにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。19 彼にこう言え。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。あなたは人殺しをしたうえに、奪い取ったのか。』また、彼に言え。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる。』」
20 アハブがエリヤに「おまえは私を見つけたのか、わが敵よ」と言うと、
エリヤは答えた。「そうだ。あなたが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行うことに身を任せたので、見つけたのだ。21 『今わたしは、あなたにわざわいをもたらす。わたしはあなたの子孫を除き去り、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまで絶ち滅ぼし、22 あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにする。それは、あなたが引き起こしたわたしの怒りのゆえであり、あなたがイスラエルに罪を犯させたためだ。』23 また、イゼベルについても主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『犬がイズレエルの領地でイゼベルを食らう。24 アハブに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。』」”(2017)とあります。

 アハブに対してエリヤは、「犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる。」(19)と預言します。
この預言の成就については、1列王記22:37.38に、
“37 王〔アハブ(筆者挿入)〕は死んでサマリアに運ばれた。人々はサマリアで王を葬った。38 それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が語られたことばのとおりであった。”(2017)と記されています。

 23節には、“また、イゼベルについても主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『犬がイズレエルの領地でイゼベルを食らう。”(2017)とあります。
この預言の成就については、2列王記9:33-35に、
“33 彼〔エフ―(筆者挿入)〕が「その女〔イゼベル(筆者挿入)〕を突き落とせ」と言うと、
彼らは〔イゼベルのそばにいた宦官たち(筆者挿入)〕彼女〔イゼベル(筆者挿入)〕を突き落とし、彼女の血が壁や馬にはねかかった。
エフーは彼女を踏みつけた。34 彼は中に入って食べたり飲んだりし、それから言った。「あののろわれた女の世話をしてやれ。彼女を葬ってやれ。あれは王の娘だから。」
5 彼らが彼女を葬りに行ってみると、彼女の頭蓋骨と両足と両手首しか残っていなかったので、36 帰って来てエフーにこのことを知らせた。
するとエフーは言った。「これは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、37 イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれもこれがイゼベルだと言えなくなる。』」”(2017)と記されています。

 22節には、“あなたの家〔アハブ家(筆者挿入)〕をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにする。それは、あなたが引き起こしたわたしの怒りのゆえであり、あなたがイスラエルに罪を犯させたためだ。”(2017)とありますが、この預言の成就は、アハブの第二子(ヨラム)の代に成就しました。アハブの死から約12年後のことでした。
2列王記9章に
“24 エフーは力いっぱい弓を引き絞り、ヨラム〔アハブの第二子(筆者挿入)〕の胸を射た。矢は彼の心臓を射抜いたので、彼は戦車の中に崩れ落ちた。25 エフーは侍従のビデカルに命じた。「彼を運んで、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。思い起こすがよい。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブの後に並んで従って行ったときに、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼についてこの宣告を下されたことを。26 『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。わたしは、この地所であなたに報復する──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。』それで今、彼を運んで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」”(2017)と記されています。

 アハブの罪について25.26節は次のように記されています。
“25 アハブのように、自らを裏切って主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行った者は、だれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。26 彼は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエル人の前から追い払われたアモリ人がしたのと全く同じように、偶像につき従い、非常に忌まわしいことを行った。”(2017)とあります。


 アハブの悔い改めとヤハウェ(主)の対応について、27-29節には次のように記されています。
“27 アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食をした。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた。
28 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。29 「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」”(2017)とあります。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
今日の箇所から、あなたは、罪を必ず裁かれるお方であるということを教えられますし、また悔い改めたら赦してくださるお方であることも教えてくださっておられます。
また、あなたの御言葉は地に落ちることは無く、必ず成就することを覚え御名を崇めます。
私たちに対する素晴らしいお約束もすべて成就しますから御名を崇めて感謝します。
イエス様は、私たちがイエス様を信じたので、父なる神様は、イエス様を信じた私たちを愛してくださっておられる、と語られました。
イエス・キリストの父なる神様は、私たちが御子イエス様を信じたので、とこしえに愛してくださいますから嬉しいかぎりです。
私たちの心の思いや行動や言葉で判断されたら誰も祝福されません。
イエス様が「父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。」(ヨハネ16:27・2017)と御父の心を教えてくださいましたことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年12月24日 (木)

1列王記20:22-43 イスラエルとアラムの戦い2/主のみ旨を第一にする

 22節には、“その後、あの預言者がイスラエルの王〔アハブ(筆者挿入)〕に近寄って言った。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをよく考えなさい。来年の今ごろ〔年が改まるころ(新共同訳)、来年の春には(口語訳)〕、アラムの王があなたを攻めに上って来るからです。」”(2017)とあり、ヤハウェ(主)の預言者がイスラエルの王アハブに、来年の今頃、再度アラムの王が攻め上ってくると預言しました。

 新改訳が「来年の今ごろ」と訳した箇所を、新共同訳は「年が改まるころ」と訳していますが、原語をみるとどちらにも訳せます。口語訳は意訳しています。
新共同訳と岩波訳は「年が改まるころ」と訳し、
新共同訳スタディー版の注は、
“春に雨期が終われば、足場も良くなり、収穫も終わって食料と男手に余裕ができてから出陣するのが常であったとされる。”と述べ、
岩波訳の注は、“春。雨季が終わって地面が乾き固まり戦車の使用が容易になり、・・。”と述べています。

 ヤハウェ(主)は、アラムの侵略に対して預言者を遣わし、イスラエルを守ってくれました(1列王記20:1-21)が、イスラエルが勝利した後に再度預言者を遣わし、年が改まる頃アラムの王が再度イスラエルに侵攻してくるので、それに対し準備しなさいとアハブに語ったのです。

 その頃のアラムの様子が23-25節に次のように記されています。
“23 そのころ、アラムの王の家来たちは王〔ベン・ハダド(筆者挿入)〕に言った。「彼ら〔イスラエル(筆者挿入)〕の神々は山の神です。だから、彼らは私たちより強いのです。しかし、私たちが平地で彼らと戦うなら、きっと私たちのほうが彼らより強いでしょう。24 このようにしてください。王たちをそれぞれ、その地位から退かせ、王たちの代わりに総督を任命し、25 あなたは失っただけの軍勢と馬と戦車を補充してください。彼らと平地で戦うなら、きっと私たちのほうが彼らより強いでしょう。」
王は彼らの言うことを聞き入れて、そのようにした。”(2017)とあります。

 アラムの王ベン・ハダドの家来たちは、敗戦の理由を、ヤハウェ(主)が山の神であるからとしました。
サマリアは山です。ベン・ハダドの家来たちは、平地において戦車で戦ったら勝利できるとベン・ハダドに進言したのです。
岩波訳の注は、“先の戦いが行われたサマリアの山岳地域では、アラム人が得意とする戦車の威力が十分に発揮できなかったこと。”と述べています。

 ヤハウェ(主)の預言者の預言が成就し、アラムとイスラエルは戦うことになりました。その経緯と結果が26-30節に記されています。
“26 年が改まると、ベン・ハダドはアラム人を召集し、イスラエルと戦うためにアフェクに上って来た。
27 一方、イスラエル人も召集され、食糧を受けて、彼らを迎え撃つために出て行った。イスラエル人は彼らと向かい合って、二つの小さなやぎの群れのように陣を敷いたが、
アラム人はその地に満ちていた。
28 ときに、一人の神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。
「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『アラム人が、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなたの手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしこそ主〔原語は「アニー ヤハウェ」で私は(が)ヤハウェ(筆者挿入)〕であることを知る。』」
29 両軍は互いに向かい合って、七日間、陣を敷いていた。七日目になって戦いに臨んだが、イスラエル人は一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した。30 生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その生き残った二万七千人の上に城壁が崩れ落ちた。ベン・ハダドは逃げて町に入り、奥の間に入った。”(2017)とあります。

 この戦いもヤハウェ(主)の名にかけたヤハウェ(主)の戦いでした。
ヤハウェ(主)は、戦いの前にイスラエルに預言者によって、「アラム人が、ヤハウェは山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなた(イスラエルの王アハブ)の手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしがヤハウェであることを知る。」と語りました。
ヤハウェ(主)は自存にして永遠(出エジプト3:14)なる万物の創造者です(イザヤ40:28、43:1.7、ヨブ38章、etc.)
29節には、「イスラエル人は一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した」とあります。
これは主がイスラエル人に力を与えられたからです(レビ26:7.8参照)。
また、主は直接、アフェクの町の城壁を崩壊させて27000人を殺したのです。アラムの兵の内の27000人は崩壊した城壁の下敷きになったのです。
しかし、アラムの王ベン・ハダドはアフェクの町に逃げ込んだのです。

 イスラエルの兵員数は少なく(二つの小さなやぎの群れのよう)、アラムの兵員数はとても多かった(アラム人はその地に満ちていた)のですが、この戦いは、主の戦いなので、イスラエルが勝利したのです。

 ヤハウェ(主)は、折々にご自身の御名の偉大さを証明なさいます。
私たちキリスト者の霊の父は、「アニー ヤハウェ」と仰せられるお方です。キリスト者はそのお方を「父」と呼び、キリスト・イエス様の御名によって(御名の中で)祈ることが出来るのです。本当に言葉では言い表せないほどにすごいことだと思います。
私たちの主イエス様について、コロサイ1:16は、「事実、キリスト様は、すべてのものの創造者なのです。天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも見えないものも、霊の世界の王座や主権や支配や権威もすべて、この方がご自分の目的と栄光のために、お造りになったのです。」(リビングバイブル)と述べています。
キリスト者は何と大いなる特権を与えられていることでしょうか。
祈らないと損です。
主は、絶えず(漏れなく)祈りなさい(1テサロニケ5:17)、と言われます。
まさしく愛なる主の恵みであると思います。

 ベン・ハダドの降伏、ベン・ハダドに対するアハブの寛大な措置、両者間の契約について31-34節に次のように記されています。
“31 家来〔ベン・ハダドの家来(筆者挿入)〕たちは彼〔ベン・ハダド(筆者挿入)〕に言った。「イスラエルの家の王たちは恵み深い王である、と聞いています。それで、私たちの腰に粗布をまとい、首に縄をかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」32 こうして彼らは腰に粗布をまとい、首に縄をかけ、イスラエルの王のもとに行って願った。「あなたのしもべ、ベン・ハダドが『どうか私のいのちを助けてください』と申しています。」
するとアハブは言った。「彼はまだ生きているのか。彼は私の兄弟だ。」
33 この人々は、これは吉兆だと見て、すぐにそのことばにより事が決まったと思い、「ベン・ハダドはあなたの兄弟です」と言った。
王〔アハブ(筆者挿入)〕は言った。「行って、彼を連れて来なさい。」
ベン・ハダドが王のところに出て来ると、王〔アハブ(筆者挿入)〕は彼を戦車に乗せた。
34 ベン・ハダドは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリアにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」
「では、契約を結んで、あなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。”(2017)とあります。

 アハブは、アハブのとった行動によって、人間的には、心の広い人と思われるかもしれません。
しかしアハブは、ヤハウェのみ旨から逸脱したのです。

 35.36節には、
“35 預言者の仲間の一人が、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばにしたがって、自分の仲間に「私を打ってくれ」と言った。
しかし、その人は彼を打つことを拒んだ。
36 そこで彼はその人に言った。「あなたは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従わなかったので、あなたが私のところから出て行くと、すぐ獅子があなたを殺す。」
その人が彼のそばから立ち去ると、獅子がその人を見つけて殺した。”(2017)と記されています。

 ヤハウェよりも人を重視すれば、獅子に殺された預言者のようになります。
対人的関係よりも対神的関係を重視することの重要性を教えられます。
イエス様も同じような内容のことを述べています。
「37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。38 自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。39 自分のいのち〔原語は「プシュケー」で命の他に魂の意あり(筆者挿入)〕を得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのち〔原語は「プシュケー」(筆者挿入)〕を失う者は、それを得るのです。」(マタイ10章・2017)とあります。

 余談になりますが、
自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。」(マタイ10:39)の「いのち」を「肉体の命」と捉えると、「自分の肉体の命を得る者はそれを失い、わたしのために自分の肉体の命を失う者は、それ(霊の体)を得るのです。」と殉教の場面と復活の場面を指しているように取れますし、
「いのち」と訳された語の原語である「プシュケー」を「魂」と捉えると、「自分の生まれながらの魂を得る者(ネイチャーの魂のままでいる者)はそれを失い、自分の生まれながらの魂を失うものは救われた魂を得るのです。」というようにも捉えることが出来るのではないかと勝手に考えています。
創世記2:7を2017は、「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」と訳していますが、KJVは、“And the LORD God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living soul.”と訳しています。KJV的に捉えれば、主が体を造り、いのちの息(霊)を吹き込んだら生きる魂となった、となります。
生まれながらの魂は、主に敵対するものです。主の恵みによって、主を受け入れ、霊の新生を得ると(ヨハネ3:3.6)、魂も主を喜ぶ魂となるのです(1ペテロ1:9)。創世記2:7の聖句から考えるとその様に私には思えるのです。
(この余談の箇所は、聞き流しておいてください。確かなことは分からないのですから)

 話を元に戻します。
 37節には、“彼はもう一人の人に会ったので、「私を打ってくれ」と頼んだ。
すると、その人は彼を打って傷を負わせた。”(2017)とあります。

 「もう一人の人」というのも預言者であろうと思います。その人はヤハウェに忠実に従ったのでしょう。
もし、「もう一人の人」が主の預言者でない人なら、「私を打ってくれ」と頼まれたからといって傷を負わせるほどに打つのは少しひどすぎるのではないでしょうか。

 目に包帯をした預言者がアハブ王にアハブの死を預言したことが38-43節に次のように記されています。
“38 それから、その預言者は行って、道端で王を待っていた。彼は目の上に包帯をして、だれだか分からないようにしていた。
39 王が通りかかったとき、彼は王に叫んで言った。「しもべが戦場に出て行くと、ちょうどそこに、ある人が一人の者を連れてやって来て、こう言いました。『この者を見張れ。もし、この者を逃がしでもしたら、この者のいのちの代わりにおまえのいのちを取るか、または、銀一タラントを払わせるぞ。』40 ところが、しもべがあれやこれやしているうちに、その人はいなくなってしまいました。」
すると、イスラエルの王は彼に言った。「おまえは、そのとおりにさばかれる。おまえ自身が決めたとおりに。」
41 彼は急いで目から包帯を取った。
そのとき、イスラエルの王は彼が預言者の一人であることに気づいた。
42 彼は王に言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」
43 イスラエルの王は不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に戻って行き、サマリアに着いた。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
黙示録2:10に「死に至るまで忠実でありなさい。」(2017)と記されています。
あなたに忠実に従う歩みをし続けることが出来ますよう祝福してください。
しかし、あなたへの愛を伴わない忠実さは、何の益にもなりませんから、あなたを愛する愛の故に喜びをもってあなたに従う者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

・・・・・・・・・・・・・・・
“1 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。2 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。3 たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。”(1コリント13章・2017)

2020年12月23日 (水)

1列王記20:1-21 イスラエルとアラムの戦い1/戦いで勝利を与えてくださるのは主

 アハブがイスラエルの王であった時代、アラムの王ベン・ハダドが、イスラエルを侵略した様子が1-12節に次のように記されています。
“1 アラムの王ベン・ハダドは彼の全軍勢を集めた。彼には三十二人の王〔ここでの王とはベン・ハダドが支配している各都市の首長たちのこと(筆者挿入)〕と、馬と戦車があった。彼はサマリア〔この時代のイスラエルの首都(筆者挿入)〕に上り、これを包囲して攻め、2 町に使者たちを遣わして、イスラエルの王アハブに3 こう言った。「ベン・ハダドはこう言われる。『おまえの銀と金は私のもの。おまえの妻たちや子どもたちの、最も美しい者も私のものだ。』」
4 イスラエルの王は答えた。「王よ、仰せのとおりです。この私、および、私に属するものはすべてあなたのものです。」
5 使者たちは再び戻って来て言った。「ベン・ハダドはこう言われる。『私はおまえに人を遣わし、おまえの銀と金、および、おまえの妻たちや子どもたちを私に与えよ、と言った。6 明日の今ごろ、私の家来たちを遣わす。彼らは、おまえの家とおまえの家来たちの家の中を探し、たとえ、おまえが一番大事にしているものさえ、手をかけて奪い取るだろう。』」
7 イスラエルの王は国のすべての長老たちを呼び寄せて言った。「あの男が、こんなにひどいことを要求しているのを知ってほしい。彼は人を遣わして、私の妻たちや子どもたち、および、私の銀や金を求めたが、私はそれを断りきれなかった。」
8 すると長老たちや民はみな、彼に言った。「聞かないでください。承諾しないでください。」
9 そこで、彼〔イスラエルの王アハブ(筆者挿入)〕はベン・ハダドの使者たちに言った。「王に言ってくれ。『初めにあなたがこのしもべにお求めになったことは、すべてそのようにいたしますが、このたびのことはできません。』」
使者たちは帰って行って、このことを報告した。
10 するとベン・ハダドは、彼のところに人を遣わして言った。「サマリアのちりが私に従うすべての民の手を満たすほどでもあったら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
11 イスラエルの王は答えた。「こう伝えてくれ。『武装しようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない。』」
12 ベン・ハダドは、このことばを聞いたとき、王たちと仮小屋で酒を飲んでいたが、家来たちに「配置につけ」と命じたので、彼らはこの町に向かう配置についた。”(2017)とあります。

 アラムは、イスラエルの北の国でした。アラム軍は、イスラエルに侵攻し、イスラエルの首都サマリアを包囲したと1節に記されています。
 サマリアを包囲したアラムの王ベン・ハダドの要求は、イスラエルの王アハブ所有の良きものをみな差し出せ、というものでした。
3節には、「おまえの銀と金は私のもの。おまえの妻たちや子どもたちの、最も美しい者も私のものだ。」と記されています。

 イスラエルの首都サマリアを包囲されたイスラエルの王アハブは、アラムの王ベン・ハダドの要求を受け入れました。
4節には、「王〔ベン・ハダド(筆者挿入)〕よ、仰せのとおりです。この私〔アハブ(筆者挿入)〕、および、私に属するものはすべてあなたのものです。」 と記されています。

 ベン・ハダドの使者は、明日それを執行する、と言ってきたのです。
5.6節にベン・ハダドの使者の言葉が次のように記されています。
「ベン・ハダドはこう言われる。『私はおまえに人を遣わし、おまえの銀と金、および、おまえの妻たちや子どもたちを私に与えよ、と言った。明日の今ごろ、私の家来たちを遣わす。彼らは、おまえの家とおまえの家来たちの家の中を探し、たとえ、おまえが一番大事にしているものさえ、手をかけて奪い取るだろう。』」とあります。

 いよいよ、良き物のすべてを、明日、奪われるという状況になったとき、イスラエルの王アハブはイスラエルの長老たちを呼び集め、現状を報告しました。
 7節には、“イスラエルの王は国のすべての長老たちを呼び寄せて言った。「あの男が、こんなにひどいことを要求しているのを知ってほしい。彼は人を遣わして、私の妻たちや子どもたち、および、私の銀や金を求めたが、私はそれを断りきれなかった。」”と記されています。

 アハブからアラムの要求を聞いたイスラエルの首長たちやイスラエルの民たちは、アハブ王に、要求をのまないでください、と言いました(8)。

 アハブ王は、アラムの要求を受け入れないことにしたので、いよいよイスラエルの首都サマリアの攻防の戦いへと突入していく、という状況になっていったのです。そのことは9-12節に記されています。

 このような危機的状況の時、ヤハウェ(主)は、一人の預言者をアハブのもとに遣わしました。預言者とアハブ王のやり取りが、13.14節に次のように記されています。
“13 ちょうどそのころ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。
「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ、わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であることを知る。』」
14 アハブが「それは、だれによってでしょうか」と尋ねると、
その預言者は言った。
「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『諸州の首長に属する若い者たちによって。』」
アハブが「だれが戦いを仕掛けるのでしょうか」と尋ねると、
「あなたです」と答えた。
”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)は、ヤハウェ(主)がイスラエルの諸州の首長に属する若い者たちを用いて 、アハブ王に勝利を与えると語られたのです。
その後のいきさつと戦いの結果は15-21節に次のように記されています。
“15 彼〔アハブ王(筆者挿入)〕が諸州の首長に属する若い者たちを調べてみると、二百三十二人いた。そのほか、すべての兵、すべてのイスラエル人を調べたところ、七千人いた。16 彼らは真昼ごろ出陣した。
そのとき、ベン・ハダドは味方の三十二人の王と仮小屋で酒を飲んで酔っていた。
17 諸州の首長に属する若い者たちが最初に出陣した。
ベン・ハダドが人を遣わすと、彼は「人々がサマリアから出て来ています」との報告を受けた。
18 彼〔ベン・ハダド(筆者挿入)〕は言った。「和平のために出て来ても生け捕りにし、戦うために出て来ても生け捕りにせよ。」
19 町〔サマリア(筆者挿入)〕から出て来たのは、諸州の首長に属する若い者たちと、これに続く軍勢であった。20 彼らはそれぞれ相手に打ち勝ったので、アラム人は逃げ、イスラエル人は追った。
アラムの王ベン・ハダドは馬に乗り、騎兵たちと一緒に逃れた。
21 イスラエルの王も出陣し、馬と戦車を討ち、アラム人を討って大損害を与えた。”(2017)とあります。

 人の目に見えるところでは、イスラエルの王アハブの勝利、ということですが、アハブに勝利を与えたのはヤハウェ(主)です。

 私たちキリスト者も様々な戦い(他国との戦争でなくても、霊的な戦いや物質的・経済的な戦い、対人的な困難、今年はウィルスとの戦い、etc.)に巻き込まれます。私たちは戦いを避けることは出来ません。イエス様が、私たちキリスト者に、「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33・2017)と語られたからです。
私たちが苦難に見舞われても、私たちの主キリスト・イエス様は、天においても地においても一切の権威を持っておられる方であることを覚えていつも主に信頼していれば大丈夫です。その上、キリスト者は永遠を生きているのですから。主イエス様は、「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25.26抜粋・2017)と語られたのです。新生し、霊的な歩みをしている人は、このことを霊の中で確信しているでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
永遠のいのちが与えられていることの確信を与えられ、天地万物の主権者であられるイエス様にこの上なく愛され、イエス様のものとされておりますことを心より感謝します。
移りゆくものに心を奪われることなく、悪魔の働きに騙されることなく、いつも御父と主イエス様を愛し、お従いする者であらせてください。
究極の勝利、節目節目の勝利は常に主にあることを覚え、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年12月22日 (火)

1列王記19章 エリヤからエリシャへ/キリスト者は絶えず主と交わりを持ち続けることが出来る

 疲れ、信仰に立てず、イゼベルの脅しに怯えて逃げたエリヤと、エリヤを叱責せずエリヤに食物を与えエリヤを励ます主の使いについて、1-8節に次のように記されています。
“1 アハブ〔イスラエルの王(筆者挿入)〕は、エリヤ〔ヤハウェの預言者(筆者挿入)〕がしたことと、預言者たち〔バアルの預言者たち(筆者挿入)〕を剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベル〔アハブの妻で強力な偶像推進者(筆者挿入)〕に告げた。
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たち〔殺されたバアルの預言者たち(筆者挿入)〕の一人のいのちのようにしなかったなら、神々〔原語は「エロヒーム」(筆者挿入)〕がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、
見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
8 彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。”(2017)とあります。

 2節で、「神々〔原語は「エロヒーム」(筆者挿入)〕がこの私を幾重にも罰せられるように。」とイゼベルが言っていますが、イゼベルは、バアルやアシェラ等の偶像神にかけて誓っている、というスタイルをとっているのだと思います。

 イゼベルは、使者をエリヤのところに遣わして、「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々〔原語は「エロヒーム」(筆者挿入)〕がこの私を幾重にも罰せられるように。」と言っていますが、エリヤを殺すつもりなら、密かに刺客を送り暗殺すればよいのであって、この言い回しは、エリヤを遠くに追い払うための脅しであったと思います。
エロヒームは、ヤハウェだけに使われているのではありません。

 このような脅しを受けたエリヤは祈らなかったのでしょうか?
聖書からは分かりません。
3節を読むと、祈るより先に逃げだしたようにも思えます。あるいは祈っても答えがなかったのでしょうか?
いずれにしてもエリヤは、疲れが出て、ヤハウェ(主)に、「もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」と祈ったのです(4)。

 この時、エリヤの上にヤハウェ(主)の霊は豊かに臨んではいなかったのかも知れません。
神の人も、主の霊によってでなければ、強くあることは出来ないのです。というか、肉の人でないからこそ、主の霊によってでなければ、力が出て来ないのではないかと思います。

 心身ともに疲れているエリヤに対して、ヤハウェ(主)は、叱咤激励しませんでした。
ヤハウェ(主)は、一人の御使いに、エリヤのために、「焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺」を用意させました。そして御使いはエリヤに、「起きて食べなさい」と言ったのです。
エリヤはよっぽど疲れていたのでしょう。エリヤは、パン菓子を食べて水を飲み、再び横になったのです(6)。
6節の「横になった」と訳されている語の原語は「シャカブ」で、横になって休息をとるの意もありますが、眠るの意もあります。

 ヤハウェ(主)の使いは、エリヤに、いつまで寝ているのだとは言わず、しばらくたってからまたやって来て、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言ったのです。
ヤハウェ(主)の使いが、「旅の道のりはまだ長いのだから」と言っているのですから、ヤハウェ(主)は、エリヤに行くべき場所を指定していた可能性があると思います。
8節には、“彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。”と記されていますから。

 主は弱っている者に鞭をふるうことをしないお方です。
イエス様は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28・2017)と語られ、また、疲れている弟子たちに、「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」(マルコ6:31・2017)と語られるお方です。

 ホレブに到着し、そこの洞くつで夜を過ごしていたエリヤに、ヤハウェ(主)の語りかけがありました。その時のヤハウェ(主)とエリヤの会話が9-18節に次のように記されています。
“9 彼〔エリヤ(筆者挿入)〕はそこ〔ホレブの山(筆者挿入)〕にある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。
すると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
11 主は言われた。「外に出て、山の上で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に立て。」
するとそのとき、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が通り過ぎた。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はおられなかった。12 地震の後に火があったが、火の中にも主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。
13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。
すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
14 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
15 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は彼に言われた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油を注いで、アラムの王とせよ。16 また、ニムシの子エフーに油を注いで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラ出身のシャファテの子エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ。17 ハザエルの剣を逃れる者をエフーが殺し、エフーの剣を逃れる者をエリシャが殺す。18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残している。これらの者はみな、バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである。」”(2017)とあります。

 暴風や地震や火は、出エジプト19章のホレブの山での出来事を思い起こさせます。しかし、エリヤとヤハウェ(主)の会話は、新約時代のキリスト者と主との会話に似ています(11.12)。主は、「かすかな細い声」(新改訳)、「静かにささやく声」(新共同訳)、「静かな細い声」(口語訳)と表現されるような声でエリヤと話されたのです。

 エリヤがホレブに到着した時には、エリヤはまだ被害妄想的なところがありました(10.14)。
しかしヤハウェ(主)は、それを頭から否定するのではなく、エリヤに、ご自身の力を少しだけ体験させ(11.12)、更に、「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油を注いで、アラムの王とせよ。また、ニムシの子エフーに油を注いで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラ出身のシャファテの子エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣を逃れる者をエフーが殺し、エフーの剣を逃れる者をエリシャが殺す。しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残している。これらの者はみな、バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである。」(15-18)と語ることによって、エリヤの心を変え、エリヤを立ち上がらせて、ヤハウェ(主)の任務を遂行させていったのです。

 主はこの箇所でエリヤに命じた内容と励ましは、
➀ダマスコのハザエルに油を注いで、アラムの王とせよ
②エリシャをエリヤの後継者とせよ
③エフ―をイスラエルの王とせよ
④わたしはイスラエルの中に七千人を残している。これらの者はみな、バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである。
という内容でした。
➀について、エリヤは実行することが出来ず、その任をエリシャが成し遂げました(2列王記8:7-15)。
②については、1列王記19:19-21、2列王記2:9.15に記されています。
③については、2列王記9:1-6に記され、エリシャの時代に成就しました。
ですから、エリヤは、②のことをした後、生きたまま天に帰りました。
➀と③は、エリヤの後継者エリシャの時代に、ことがなされたのです。

 1列王記19:19-21には次のように記されています。
“19 エリヤはそこを去って、シャファテの子エリシャを見つけた。エリシャは、十二くびきの牛を先に立て、その十二番目のくびきのそばで耕していた。エリヤが彼のところを通り過ぎるとき自分の外套を彼に掛けたので、
20 エリシャは牛を放って、エリヤの後を追いかけて言った。「私の父と母に口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。」
エリヤは彼に言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたか。」
21 エリシャは引き返して、一くびきの牛を取り、それを殺して、牛の用具でその肉を調理し、人々に与えてそれを食べさせた。それから彼は立ってエリヤについて行き、彼に仕えた。”(2017)

 19節に、「エリヤが彼のところを通り過ぎるとき自分の外套を彼(エリシャ)に掛けた」とありますが、この行為についてウェスレアン聖書注解は、“指導的立場と奉仕を移譲することの象徴として両者に理解されたのである。”と述べています。
 20節のエリシャの「私の父と母に口づけさせてください。。」という行為は、別れの挨拶のこと。

 20節のエリヤはエリシャに言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたか。」というくだりについて、
新聖書注解は、二つの説を載せていますが、その内の一つを紹介します。
“ヘブル語の表現として<行ってきなさい>は、「行け、帰って来い」であって、そのニュアンスとしては「あなたが求めたようにして来なさい。しかし、私があなたにしたこと、すなわち外套を掛け、預言者として召したことが何であるかを忘れないで帰って来なさい」であるとの理解。”と述べています。
 20節の“エリヤは彼に言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたか。」”(2017)の箇所を
岩波訳は、“エリヤフは彼に言った、「帰りなさい。私があなたに何をしただろうか」。”と訳し、
「帰りなさい」について岩波訳の注は、“字義通りには「行け、帰れ」。”と記し、「私があなたに何をしただろうか」については、“あなたが納得のいくようにしなさい。といった意味。”と述べています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは、絶えず祈りなさい、と私たちにありがたいお言葉をくださっておられます。
どのような時にも、時には夢の中でもあなたに祈りながら歩む者であらせてください。
かくも幸いな交わりを与えてくださっておられますこと、それだけではなく、霊においては主と結ばれていることを覚え心から感謝します。
あなたの御名を賛美しつつ、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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主と交わる者は、主と一つの霊となるのです。」(1コリント6:17・聖書協会共同訳)
「だれでもわたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。 」(ヨハネ14:23・2017)

2020年12月21日 (月)

1列王記18:16-46 エリヤとバアルの預言者の対決

 16節には、“オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。”(2017)とあります。

 アハブはイスラエルの王でありながら偶像礼拝者でした。ところがアハブの宮廷長官は、ヤハウェ(主)を畏れ敬うオバデヤでした。
預言者エリヤは、ヤハウェ(主)からアハブに会うように命じられ(1)、オバデヤに先ず会い、オバデヤに「エリヤが~にいる」と言わせたのです(8.15)。恐らくカルメル山にいたのでしょう(19)。
それで、アハブはエリヤに会うためにやって来たのでした。

 17節には、“アハブがエリヤを見るやいなや、アハブは彼に言った。「おまえか、イスラエルにわざわいをもたらす者は。」”(2017)とあり、アハブが如何に困っているか、また如何にエリヤに腹を立てているかがよく分かります。
アハブは、エリヤが雨を降らせないようにした、と考えていたからなのでしょう。
1列王記17:1には、
ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」”(2017)と記されていました。

 しかしこの様に宣告された理由は、アハブのヤハウェ(主)に従わない罪の故なのです。
申命記28章には、
“14 私が今日あなたがたに命じるこのすべてのことばから右や左に外れ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。15 しかし、もしあなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。(16節から22節までも呪いの言葉)
23 あなたの頭上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる〔雨が降らないので土が固くなってしまう(筆者挿入)〕。24 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたの地に降る雨をほこりに変え、天から砂ぼこりが降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。”(2017)と記されています。

 ここからヤハウェ(主)の預言者エリヤと、バアルの預言者450人+アシェラの預言者400人の対決が始まります。そしてその対決のいきさつと結果が18-40節に次のように記されています。
“18 エリヤは言った。「私はイスラエルにわざわいをもたらしてはいない。あなた〔アハブ(筆者挿入)〕とあなたの父〔オムリ(筆者挿入)〕の家こそ、そうだ。現に、あなたがたは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令を捨て、あなたはバアルの神々〔「バアルの神々」と訳された語の原語は単にバアルの複数形の「バアリーム」です(筆者挿入)〕に従っている。19 今、人を遣わして、カルメル山の私のところに、全イスラエル、ならびにイゼベルの食卓に着く、四百五十人のバアルの預言者と四百人のアシェラの預言者を集めなさい。」
20 そこで、アハブはイスラエルのすべての人々に使者を遣わして、預言者たちをカルメル山に集めた。
21 エリヤは皆〔イスラエルの民のこと(筆者挿入)〕の前に進み出て言った。「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が神であれば、主に従い、もしバアルが神であれば、バアルに従え。」
しかし、民は一言も彼に答えなかった〔イスラエルの民は霊的確信が無いので答えられなかったのだろうと思います(筆者挿入)〕。
22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私一人が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の預言者として残っている。バアルの預言者は四百五十人だ。23 私たちのために、彼らに二頭の雄牛を用意させよ。
彼ら〔バアルの預言者(筆者挿入)〕に、自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂いて薪の上に載せるようにさせよ。火をつけてはならない。
私は、もう一頭の雄牛を同じようにし、薪の上に載せて、火をつけずにおく。
24 おまえたち〔バアルの預言者たち(筆者挿入)〕は自分たちの神の名を呼べ。
私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名を呼ぶ。
そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」
民はみな答えて、「それがよい」と言った。
25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「おまえたちで一頭の雄牛を選び、おまえたちのほうから、まず始めよ。人数が多いのだから。おまえたちの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」
26 そこで彼らは、与えられた雄牛を取って、それを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んだ。「バアルよ、私たちに答えてください。」
しかし何の声もなく、答える者もなかった。
そこで彼らは、自分たちが造った祭壇のあたりで踊り回った。
27 真昼になると、エリヤは彼らを嘲って言った。「もっと大声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席を外しているか、旅に出ているのだろう。もしかすると寝ているのかもしれないから、起こしたらよいだろう。」
28 彼ら〔バアルの預言者たち(筆者挿入)〕はますます大声で叫び、彼らの慣わしによって、剣や槍で、血を流すまで自分たちの身を傷つけた。29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物を献げる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。
30 エリヤが民全体に「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄って来た。
彼は、壊れていた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の祭壇を築き直した。31 エリヤは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がかつて「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子たちの部族の数にしたがって、十二の石を取った。32 その石で、彼は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の周りに、二セア〔15.2ℓ(筆者挿入)〕の種が入るほどの溝を掘った。33 それから彼は薪を並べ、一頭の雄牛を切り裂いて薪の上に載せ、34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のささげ物と薪の上に注げ」と命じた。それから「もう一度それをせよ」と言ったので、彼らはもう一度そうした。さらに、彼が「三度目をせよ」と言ったので、彼らは三度目をした。35 水は祭壇の周りに流れ出した。彼は溝にも水を満たした。
36 ささげ物を献げるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行ったということが、今日、明らかになりますように。37 私に答えてください。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私に答えてください。そうすればこの民は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」
38 すると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。
39 民はみな、これを見てひれ伏し、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕こそ神です。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕こそ神です」と言った。
40 そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕らえよ。一人も逃すな。」
彼らがバアルの預言者たちを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)は、エリヤを用いて、ご自身の証を立てました。
そして、イスラエルの民たちは、皆ひれ伏し、「ヤハウェこそ神です。ヤハウェこそ神です。」と言ったのです(39)。
イスラエルの民がヤハウェを信じ、御前にひれ伏したので、ヤハウェ(主)は、雨を降らせました。
エリヤも一生懸命に祈りましたが、ヤハウェ(主)が雨を降らせることは、これらの事を予知していた全能の神のご計画でした。
 1列王記17:1には、
ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」”(2017)とあり、
 1列王記18:1には、
かなりの日数を経て、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地の上に雨を降らせよう。」 ”(2017)とあり、
 1列王記18:41-46には、
“41 エリヤはアハブに言った。「上って行って、食べたり飲んだりしなさい。激しい大雨の音がするから。」
42 そこで、アハブは食べたり飲んだりするために上って行った。
エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。
43 彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」
若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。
するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
44 七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。
エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
45 しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。
アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
46 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イスラエルの国王アハブ及びバアルとアシェラの預言者850人と対峙したエリヤの信仰と勇気に感銘を受けます。
エリヤにそのような信仰を与えたのはあなたです。
私にはそのような信仰はありませんが、私は私で良いと思っています。
ローマ12:3には、「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。」(2017)と記されていますから。
私はこの箇所からあなたの摂理を学びます。
聖なるあなたが、愛と義に基づいて私たちを導いてくださいますことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

・・・・・・・・・・・
<摂理>神が究極因としてだけではなく動力因としても,世界全体と個々の存在,特に個々の人間の出来事に介入してこれらを神自身のほうに効果的に導くこと。 (コトバンクーブリタニカ国際大百科事典小項目辞典の解説の抜粋)

2020年12月20日 (日)

1列王記18:1-15 干ばつにあえぐイスラエル、エリヤとオバデヤの対面/艱難の中にあって主に仕える

 1.2節には次のように記されています。
“1 かなりの日数を経て、三年目に、次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地の上に雨を降らせよう。」2 そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。
そのころ、サマリアでは飢饉がひどかった。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)が雨をとどめて3年目になり、イスラエル(北イスラエル王国)の首都サマリアの食糧事情は悲惨な状態にありました。
その様な時、ヤハウェ(主)は預言者エリヤに、雨を降らせるのでアハブに会いに行けと命じられました。

 3.4節には次のように記されています。
“3 アハブは宮廷長官オバデヤを呼び寄せた。オバデヤは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を深く恐れていた〔オバデヤは心から主を畏れ敬う人で(新共同訳)〕。4 かつてイゼベルが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の預言者たちを殺したときに、オバデヤは百人の預言者たちを救い出し、五十人ずつ洞穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養ったのである。”(2017)とあります。

 オバデヤは、ヤハウェ(主)を畏れ敬う人でしたが、ヤハウェ(主)を畏れ敬わないアハブ王によって宮廷長官という、王の近くで王に仕える役人とし任命され、ヤハウェ(主)に仕え、その範囲の中で王アハブに仕えていた人のようです。
 4節には、“かつてイゼベルが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の預言者たちを殺したときに、オバデヤは百人の預言者たちを救い出し、五十人ずつ洞穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養ったのである。”とありますから、イゼベル王妃によるヤハウェ(主)の預言者集団への大迫害があったことが分かります。その時、主を畏れ敬うオバデヤは命がけでヤハウェ(主)の預言者を100人ほどかくまったのです。毎日100人分のパンと水を調達することは大変なことであったことでしょう。

 アハブについて、新共同訳スタディー版の注は、
“〔アハブが(筆者挿入)〕フェニキア人の王女イゼベルと結婚したことでイスラエルには経済的、政治的な利益がもたらされた。例えば、シドン経由の新しい交易路やフェニキアからの侵略の不安がなくなることなどである。しかし、王の重要な使命は神への従順へと民を導くことであった。”と述べています。

 イゼベルについて聖書辞典は、
この〔イゼベルの(筆者挿入)〕名はおそらく,バアルの栄誉を表すフェニキヤ名をヘブル化したものと思われる.アグネスのように「貞淑な」という意味とする見方もある〔辞書によると「イゼベル」には貞淑な、の意あり(筆者挿入)〕。ツロとシドンの祭司である王エテバアルの娘で,政治的同盟のため,アハブと結婚した(1列王記16:31)。彼女はバアルの信奉者として,450人のバアルの預言者と,400人のアシェラの預言者を抱えており(1列王記18:19)、主の預言者たちを迫害して殺した(1列王記18:4)。カルメル山で主が栄光を表され,バアルのむなしさを明らかにした時にも,イゼベルのバアルへの熱心は変らなかった.さらに,彼女は異邦の絶対王権の考え方でナボテを謀殺し,そのぶどう畑を取り上げた(1列王記21:1‐16)。主はエフーの手により,イゼベルに血の報復をした(2列王記9:7、30‐37)。”と述べています。

 5.6節には次のように記されています。
“5 アハブはオバデヤに言った。「国内のすべての水の泉や、すべての川に行ってみよ。馬とらばを生かしておく草が見つかり、家畜を絶やさないですむかもしれない。」6 二人はこの国を分けて巡り歩くことにし、アハブは一人で一つの道を行き、オバデヤは一人で別の道を行った。”(2017)とあります。

 5節の内容について、新聖書注解は、
“・・・。あるいは、王家に属する牧草地があって、そこに水がなくなり、牧草がなくなったので、他の地域に牧草を探し出そうとすることかもしれない。いずれにしろ、イスラエルの国において、王の家畜のためには特権が与えられていたと思われる。アモス7:1では、「二番草」は王の刈った後の草であるとされている。アハブ王は悪王であるから、ここで言及されている家畜は国民の所有物でなく、国民のことを考えてのことではないようである。むしろ、彼自身の所有を指しているのであろう。スロトゥキなどは、これらの家畜はアハブの軍備力に不可欠のものであると理解している。”(抜粋)と述べています。

 6節には、“二人はこの国を分けて〔二分して(新改訳第三版)〕巡り歩くことにし、アハブは一人で一つの道を行き、オバデヤは一人で別の道を行った。”(2017)とあります。
アハブ王と宮廷長官オバデヤの「二人は」とありますが、個人単独で行動するわけではないので、部下たちも共に行動しているのです。

 7-15節には、オバデヤとエリヤの対面、及び二人の会話が次のように記されています。
“7 オバデヤがその道にいたところ〔道を歩いていると(新共同訳)〕、エリヤが彼に会いに来た。オバデヤにはそれがエリヤだと分かったので、ひれ伏して言った。「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」
8 エリヤは彼に答えた。「そうです。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」
9 すると、オバデヤは言った。「私にどんな罪があると言うのですか。あなたがこのしもべをアハブの手に渡し、殺そうとされるとは〔殺そうとなさるのですか(新共同訳)〕。10 あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられます。私の主人があなたを捜すために人を遣わさなかった民や王国は一つもありません。その王国や民が、あなたはいないと言うと、主人は彼らに、あなたが見つからないという誓いをさせています。11 今、あなたは『行って、エリヤがここにいるとあなたの主人に言え』と言われます。12 私があなたから離れて行っている間に、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の霊はあなたを私の知らないところに連れて行くでしょう。私はアハブに知らせに行きますが、あなたを見つけられなければ、彼は私を殺すでしょう。しもべは子どものころから主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を恐れています。13 あなたには、イゼベルが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の預言者たちを殺したとき、私のしたことが知らされていないのですか。私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の預言者百人を五十人ずつ洞穴に隠し、パンと水で彼らを養ったのです。14 今、あなたは『行って、エリヤがここにいるとあなたの主人に言え』と言われます。彼は私を殺すでしょう。」
15 すると、エリヤは言った。「私が仕えている万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられます。私は必ず、今日、アハブの前に出ます。」”(2017)とあります。

 預言者エリヤは、ヤハウェ(主)に、アハブに会いに行け、と命じられたので(1)、先ずは宮廷長官のオバデヤに会いに行ったのです(7)。
7節には、エリヤに対するオバデヤの言葉が「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」とあります。
「私の主人」と訳されている語の原語は、「アドナイ」です。
オバデヤは、霊的な意味で、「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」と言ったのだろうと思います。

 それに対してエリヤはアドニヤに、「そうです。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」といったのです。
ここの「主人」の原語も「アドナイ」で、語末に「ハ」(あなたの)の語がついています。
アドニヤのこの世の主人はアハブでした。

 9節にはオバデヤの言葉が、「わたしにどんな罪があって、あなたは僕をアハブの手に渡し、殺そうとなさるのですか。」(新共同訳)と記されています。
このオバデヤの言葉から、アハブ王がどの様な人なのか、またオバデヤがアハブ王に大いなる恐怖心をもって仕えていたかが分かります。しかしオバデヤはアハブ王に対する恐怖心以上に主を畏れ敬っていたので主の預言者を100人も助けたのです。

 エリヤは、10-13節のこれまでの出来事をアドニヤから聞き、14節のアドニヤの恐怖の思い(感情)を聞いた後、「私が仕えている万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられます。私は必ず、今日、アハブの前に出ます。」と答えました。

<お祈り>
天のお父様。
日本でも、キリシタン禁令がでた時代、また第二次世界大戦下での迫害など、大変な時期がありました。
世界を見渡すと、現代でも迫害に苦しんでいる兄姉たちがいます。
どうか、格別に祝福し、助けてあげてください。
また将来起こる大患難時代にも、その時代の異邦人の聖徒たちは、殉教して天に帰って来ると書かれています。
その兄姉たちをあなたは艱難の中にあって支えてくださいますから御名を崇めて賛美します。
願わくは、私たちが祈っている未信者の人達が現代の恵みの時代の内に救いにあずかることが出来ますようにお願いします。
お祈りさせて頂けますことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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これらのこと〔ヨハネ13-16章(筆者挿入)〕をあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ6:33・2017)

2020年12月19日 (土)

1列王記17章 エリヤを通して全知全能の主権者であることを証したヤハウェ(主)

 1節には、“ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」”(2017)と記されています。

 聖書における預言者エリヤの言及の最初の箇所です。
エリヤは、イスラエルの王アハブに、「私が仕えているイスラエルの神、ヤハウェは生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」と言いました。
「私のことばによるのでなければ」というのは、「{私がヤハウェ(主)の言葉を受けて}私がヤハウェ(主)ことばを語ってからでなくては」の意です。

 ギルアデ(ギルアド)の住民ティシュべ人について、新共同訳スタディー版の注は、
“ギレアドはヨルダン川東岸で、ヤボク川を南境、ヤルムク川を北境とする地域〔もっと広い範囲をギルアデとする場合もあります(筆者挿入)〕。ティシュべはギレアドにあったこと以外は不明。”と述べています。

 ヤハウェ(主)は、どうしてイスラエルに干ばつをもたらすのでしょうか?
➀レビ記26章及び申命記28章に記されている呪い(矯正)の条文の一つとして(偶像礼拝を悔い改めさせるため)
②まことの神は、ヤハウェ(主)であることを示すため(アハブの時代の偶像礼拝は甚だしいものがありましたから)
などがおもだったところだと思います。

 アハブの時代の偶像は、ヤロブアムが導入した金の子牛、バアル、アシェラでした。
アシェラについて聖書辞典は、
“〔アシェラは(筆者挿入)〕アシュタロテと共にカナン宗教の肥沃祭儀の礼拝の対象とされていた女神で,古代オリエント全域で信奉されていた.アシェラはイスラエルにおいて,唯一の真の神ヤハウェに対する信仰が自然および自然の力を信奉する宗教に堕落する時には,必ず入り込んできた.そして至高神の妻として崇拝される偶像となった.アシェラはこのようにアシュタロテ,アナテと共に有力な女神とされ,それらの相手になる男神としては一般的にバアルがあげられている.その祭は農業宗教的要素を持ち,きわめて官能的,性的傾向に走った.後にエルサレムの神殿にアシェラ像が立ち,神殿男娼の部屋が設けられ,その像に掛ける幕を織る女たちがいたことが記されている(2列王記23:7)。
モーセの律法では,「彼らの石柱を打ち砕き,アシェラ像を切り倒さなければならない」と命じられている(出エジプト34:13、申命記7:5、16:21)。しかし士師時代にはすでにイスラエルの国中に雑草のごとくはびこり始めたので,主はギデオンに対してバアルの祭壇のそばに立っているアシェラ像を切り倒すように命じられた(参照士師記6:25‐30)。アシェラは「憎むべき像」(1列王記15:13)と言われたにもかかわらず,ヤロブアム王もレハブアム王も共にこの像を南北両王国内に導入して崇拝した(1列王記14:15,23)。
アシェラということばは前述のように第1に女神であり,第2に女神の彫像を指す.南ユダの王マナセは,エルサレム神殿の中にまでこの彫像を安置した(2列王記21:7)。北王国のアハブがサマリヤのバアル神殿に立てたのもアシェラの彫像であった(1列王記16:32-33)。しかし第3に,アシェラということばはほとんどの場合,女神の象徴として立てられた木柱を意味した。それは枝が切り取られたまっすぐの棒状の柱であった。この木柱がイスラエル,ユダ両国の山々,高き所の至る所に立てられ礼拝されたのである。このような木柱が考古学的遺物として出土した例はまれであるが,アイにおいて早期青銅器時代の聖所跡で香壇の間から出土した長さ1メートルくらいの炭化した木片がアシェラの木柱であったと思われる。
預言者エリヤがカルメル山上で偶像に仕える預言者たちと対決した時,アシェラの預言者が400人も集められたことを見ても(1列王記18:19)、いかにアシェラ礼拝がはびこっていたかが推察できる。アシェラ礼拝は北王国オムリ,アハブ王時代に最高潮に達した.そしてこの「憎むべき像」は預言者たちの熱心な譴責にもかかわらず,南北両王国の最後まで礼拝の対象となり(参照イザヤ17:8,27:9,ミカ5:14),王国滅亡の原因となった。”と述べています。

 ヤハウェ(主)はエリヤにケリテ側のほとりに身を隠すようにと言いました。2-7節には次のように記されています。
“2 それから、エリヤに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。3 「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。4 あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
5 そこでエリヤは行って、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばどおりにした。彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。6 何羽かの烏が、朝、彼のところにパンと肉を、また夕方にパンと肉を運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。
7 しかし、しばらくすると、その川が涸れた。その地方に雨が降らなかったからである。”(2017)とあります。

 エリヤの場合、ヤハウェ(主)は、天からマナを降らせて食物を与えたのではなく、食物係にカラスを用いました。
どうでもよいのですが、カラスはどこからパンと肉を持ってきたのでしょう。
カラスはどうしてパンと肉を自分で食べなかったのでしょう。あるいは仲間を集めて食べなかったのでしょう。
主の主権はどこにでも及んでいることを覚えます。
 申命記10:14には、「見よ。天と、もろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。」(2017)とあり、
 詩篇24:1には、「地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの。」(2017)とあり、
 主イエス様が十字架を経て復活なさった後に、主キリスト・イエス様は、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(マタイ28:17・2017)と語られたのです。

 因みに、ヤハウェ(主)は、キリスト者をとこしえに養ってくださいます。というか携挙後に与えられる祝福は信じがたいほどに大いなるものです。

 さて、ケリテ川の水は枯れ、エリヤの飲む水がなくなりました。するとヤハウェ(主)は、エリヤに異邦人の地、偶像崇拝の地である地中海沿いにあるシドンのツァレファテに行くように命じました。そこでの出来事を含め8-16節には次のように記されています。
“8 すると、彼〔エリヤ(筆者挿入)〕に次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。
9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、薪を拾い集めている一人のやもめがいた。
そこで、エリヤは彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
11 彼女が取りに行こうとすると、
エリヤは彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」
12 彼女は答えた。「あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられます。私には焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」
13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。14 イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、こう言われるからです。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」
15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。
彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。16 エリヤを通して言われた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。”(2017)とあります。

 主は、エリヤがツァレファテに行く前に、「ツァレファテの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」(9)というのです。
異邦人のやもめ女に、主が臨まれるのです。そして上記本文にあるようなことが起きていくのです。

 主は全知全能であられ、愛をもって私たちを導き、養い、助け、支えてくださるお方です。私たちの必要を満たしてくださるお方です(ピリピ4:19)。
私たちに必要なことは、主の御言葉を単純に信じることです。

 ツァレファテの女の息子が病気になり、死に、死んだ後に生きかえらせてもらった、という記事が17-24節に次のように記されています。
“17 これらのことの後、この家の女主人の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。
18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはいったい私に何をしようとされるのですか。あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」
19 彼は「あなたの息子を渡しなさい」と彼女に言って、その子を彼女の懐から受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋に抱えて上がり、その子を自分の寝床の上に寝かせた。
20 彼は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に叫んで祈った。「私の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」
21 そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に叫んで祈った。「私の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。どうか、この子のいのち〔原語は(へ)ネフェシュで、魂、息の意もある(筆者挿入)、「魂」(口語訳、文語訳)〕をこの子のうちに戻してください。」
22 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。
23 エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に下りて、その子の母親に渡した。エリヤは言った。「ご覧なさい。あなたの息子は生きています。」
24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが真実であることを知りました。」”(2017)とあります。

 罪によって死んだ者を、主が生きかえらせることの型のようにも思えます。
生きかえらせていただく前には、罪の告白があります。やもめの女は、自分に咎があることをエリヤに告げています。

 1列王記17章で、
主は、罪を裁かれるお方ですが、
①天候を支配されておられるお方、
②必要を備えてくださるお方、
③いのちを与えてくださるお方、
であることを教えてくださっていると思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが語りだされた御言葉は、実現しますから御名を賛美します。
あなたの御言葉を、単純に信じて歩み続ける者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・
それ神の言〔(ギ)「レーマ」(筆者挿入)〕には能はぬ所なし」(ルカ1:37・文語訳)
「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」(フィリピ4:19・新共同訳)
「1 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、2 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。3 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」(エペソ2:1-5・2017)

2020年12月18日 (金)

1列王記16:23-34 イスラエルの第6代目の王オムリと第7代目の王アハブ/世での成功を求めるのではなく主と共に歩むことが大切

 イスラエルの今までの王よりもヤハウェ(主)の目に悪を行ったイスラエルの第六代目の王オムリについて23-28節に次のように記されています(サマリアを築いた王)。
“23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。
24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリアの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリアと呼んだ。
25 オムリは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りを引き起こした。
27 オムリが行ったその他の事柄、彼が立てた功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。
28 オムリは先祖とともに眠りにつき、サマリアに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。”(2017)とあります。

 イスラエルの第六代目の王であるオムリの在位は、B.C.885-874年の12年間でした。
オムリは、最初の6年間はティルツァを首都としていました。しかしその後、サマリアを首都としたのです。サマリアを首都とするために、オムリは、シェメルから山を銀2タラント(68kg)で買い、この山に町を築き、シェメルの名にちなみ、この町をサマリアと名づけたのでした。

 サマリアについて、新共同訳スタディー版の注は、
“エルサレムの北約65kmにあり、ヨルダン川と地中海の間のほぼ中間に位置する。周囲から約90mも高くなっている丘に築かれており、防備の堅い街であった。後にイスラエルの王たちが埋葬される場となった(1列王記16:28、22:37、2列王記10:35、13:13)。”と簡略に述べています。

 オムリは、これまでのイスラエルの王たちよりもヤハウェ(主)に対して悪を行った(25)王です。それは彼の政治的成功の中に見られると思われます。
オムリのこの世における成功について、新共同訳スタディー版の注は、
“〔オムリは(筆者挿入)〕列王記に記されている以上に実際には王として成功を収めた。モアブを支配し、息子の婚姻を通してシドンと同盟を結び(16:31)、・・・”と述べています。
モアブは死海の東側の地域です。オムリはモアブを征服して支配し、2列王記3:4によると、子羊100000匹、雄羊100000匹分の羊毛を納めさせた、とあります。

 オムリは息子の妃に、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを迎えたのです(31)。このことは政治的には成功に見えたことでしょうが、バアル礼拝をイスラエルにもたらすことになったのです。恐らく、それ故に、“オムリは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。”(25)と記されているのだと思います。

 政治的、経済的成功よりも主との関係が大切なのです。
現代においても、キリスト者が気を付けなければいけないポイントです。
地上の成功が、主の祝福とは限らないのです。
主を第一とし、その結果、主が祝福してくださって、地上における成功をつかんだとしたら、それはそれでよいことですが、そこにもまた一つの落とし穴があります。そのすべての栄光を主に帰するか否かということです。自分の努力が、自分の能力が、自分の手腕が、その他自分の何かが成功の理由であった、と考えるようになったら、罪の深みにはまっているのです。まんまとサタンの罠にはまってしまったのです。
 パウロはテモテに、
金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。」(1テモテ6:9-11・2017)と述べました。
 ヘブル人への手紙を記した著者は、
金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。」(ヘブル13:5・2017)と述べています。

 この世で成功したいということの動機な何なのか、が問われます。
自分はクリスチャンだと思っていっても、この世で成功するためにイエス様を利用しようとしていたら、それは本末転倒です。

 イスラエル最悪の王である第7代目の王アハブとその悪妻イゼベルについて、29-33節には、次のように記されています。
“29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。
30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行った。31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。32 さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りを引き起こすようなことを行った。”(2017)とあります。

 アハブの在位は、B.C.874-853年の22年間です。
アハブが王位についた時も、ユダの王はアサでした。アサは王国分裂後のユダ王国の王としては3代目の王であり、ヤハウェ(主)に従った王でした。一方イスラエルの王はアハブが7代目です。イスラエルの王はすべてが偶像礼拝者で、オムリ、アハブといった王は、ますますサタンの深みにはまって行った王なのです。

 次の1列王記17章からは、エリヤが登場します。ヤハウェ(主)がエリヤを立てた背景をアハブについて多少知る必要があるので、聖書辞典のアハブの項を引用して下記します。
“〔アハブは(筆者挿入)〕オムリの子で,その後を継いだ.北王国イスラエルの第7代の王として22年間(前874―853年)王位にあった(1列王記16:29)。彼はアシュタロテの祭司であるシドンの王エテバアルの娘イゼベルと結婚した(1列王記16:31)。アハブはイスラエルにいくつかの町を建て(1列王記16:34、22:39),父オムリによって着手された首都サマリヤの建設を続行した(1列王記16:24.32)。彼の宮殿は象牙で建てられ,その富と力を誇示した(1列王記22:39、参照アモス3:15)。彼の治世を通じて,アラム(シリヤ)との戦争が頻発したらしい(参照1列王記22:1)。彼がイゼベルとの結婚でフェニキヤと同盟を結んだのも,対アラム政策のためであった。アラムの王ベン・ハダデが同盟軍と共に大軍をもってサマリヤを包囲したが,アハブはこれを撃退して彼らに大損害を与えた(1列王記20:1‐21)。その後,再び攻めてきたベン・ハダデの大軍とアフェクで戦って大勝したが,アハブはベン・ハダデの生命を助けた.その代償として,サマリヤでアラムの商人に与えられているのと同様の特権をダマスコでイスラエルの商人に与えることを承認させ,休戦の契約を結んだ(1列王記20:26‐34)。このように経済的利益を優先させるアハブの姿勢は預言者の非難を買った(1列王記20:35‐43)。アッシリヤの年代記によると,前853年,オロンテス川に面したカルカルの戦闘において,アハブは戦車2千,歩兵1万の援軍をもってベン・ハダデを助け,アッシリヤ王シャルマヌエセル3世の南下を阻止することに成功したようである.このアハブの対アッシリヤ戦介入が,後にイスラエルがアッシリヤの侵攻を受ける理由の一つになった。イスラエルがアラムとの戦いに追われている間に,アハブに隷属していたモアブの王メシャが反旗を翻した.アハブは晩年に,ユダの王ヨシャパテと同盟して,またもアラムと対戦した(1列王記22:3)。この戦いでアハブは預言者ミカヤの警告を無視してラモテ・ギルアデの戦場に赴き,流れ矢に当って深手を負い,それがもとで死んだ(1列王記22:5‐35)。アハブの死体はサマリヤに運ばれて葬られ,その子アハズヤが王位を継いだ(1列王記22:37‐40)。アハブの治世の代表的預言者はエリヤであった.アハブは妻イゼベルの影響でサマリヤにバアル礼拝のための神殿を建てることを許し,そこにアシェラ像まで造らせた(1列王記16:32‐33)。イゼベルは主の預言者たちを殺したが,100人の預言者がアハブに仕える主のしもべオバデヤによってかくまわれた(1列王記18:3‐4)。エリヤはカルメル山でバアルの預言者たちと対決し,勝利を得た(1列王記18:19‐46)。アハブがイスラエルの法と公義を踏みにじった例は,イゼベルがイズレエルにある彼の宮殿に隣接するぶどう畑を所有していたナボテを欺き,殺してしまった事件に見られる(1列王記21:1‐16)。エリヤはアハブの不正を激しく責め,彼とその妻と彼の王朝の末路を預言した(1列王記21:20-24)。偶像礼拝とイゼベルの悪影響に彩られたアハブの治世は(1列王記21:25‐26)、後々まで覚えられ、預言者ミカ(ミカ6:16)の非難を受けている。”とあります。

 34節には、“彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えたとき長子アビラムを失い、門を建てたとき末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばのとおりであった。”(2017)とあります。

 “ヌンの子ヨシュアを通して語られた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばのとおりであった。”とありますが、これはエリコ聖絶後のヨシュアの言葉で、ヨシュアを通してヤハウェ(主)が語られた言葉のことです。
ヨシュア6:26には、“ヨシュアは、そのとき誓った。「この町エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」”(2017)と記されています。
34節は、この預言が成就し、ベテル人ヒエルがエリコを再建したのですが、ヒエルがエリコの礎を据えたとき長子アビラムが死に、エリコの門を建てたとき末の子セグブが死んだのです。これはアハブの治世に起きたことです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様は、「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(マタイ5:18・2017)と語られました。
またあなたはイザヤを通して、「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」(イザヤ55:10.11・2017)と語られました。
世の中にはあなたの御言葉を信じることのできない人たちが大勢います。その中にあって、私たちに、あなたの御言葉を信じることが出来るようにさせてくださいましたことを感謝します。
この地上に置かれている間は、見えるものにではなく、あなたの御言葉に100%の信を置いて歩み続ける者であらせてください。
あなたが祝福してくださることを感謝し我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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