エステル記

2021年10月12日 (火)

エステル記9:1-10:3 ユダヤ人の復讐、プリムの祭、モルデカイの栄誉

 アダルの月の13日に、ユダヤ人たちは自己防衛のために、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったこと、及び宰相モルデカイへの恐れの故に諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援したことが1-4節に次のように記されています。
“1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。
2 ユダヤ人たちは、自分たちに害を加えようとする者たちを手にかけようと、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。彼らへの恐れが、すべての民族に下ったからである。
3 諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援した。モルデカイへの恐れが彼らに下ったからである。
4 実際、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっていた。実に、この人物モルデカイは、ますます勢力を伸ばしたのであった。”(2017)とあります。

 ハマンが王の名で発布したアダルの月の13日に関する法令の内容は、「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」(エステル3:13・2017)というものでした。
 それに対して、エステルとモルデカイが王の名で発布したアダルの月の13日に関する法令の内容は、「どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許す。このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うように。」(エステル8:11.12・2017)というものでした。

 エステルが王妃であり、モルデカイが宰相であるとはいえ、反ユダヤ、反モルデカイの人たちもいたのでしょう。ユダヤ人の敵を処分した様子が5-10節に次のように記されています。
“5 ユダヤ人たちは彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。
6 ユダヤ人はスサの城でも五百人を殺して滅ぼし、7 また、パルシャンダタ、ダルフォン、アスパタ、8 ポラタ、アダルヤ、アリダタ、9 パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタを、10 すなわち、ハメダタの子でユダヤ人を迫害する者ハマンの子、十人を虐殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。”(2017)とあります。

 10節に、“略奪品には手を出さなかった”と記されていることがらに関する理由を注解付新改訳聖書の注は、“この戦いは正当防衛であり、略奪を目的としたものではないことを示している。”と述べています。

 王妃エステルによる王への報告とエステルのさらなる願いが11-13節に次のように記されています。
“11 その日、スサの城で殺された者の数が王に報告されると、
12 王は王妃エステルに言った。
「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。それをかなえてやろう。」
13 エステルは答えた。
「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」”(2017)とあります。

 クセルクセス王はエステルの願いを受け入れました。それ故すでに発布されていた法令を超えて、14日にも反ユダヤである敵を滅ぼしたことが14.15節に次のように記されています。
“14 そこで王は、そのように実施するように命じた。法令がスサで布告され、ハマンの息子十人は柱にかけられた。
15 スサ〔ペルシア帝国の首都(筆者挿入)〕にいるユダヤ人はアダルの月の十四日にも集まって、スサで三百人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。”(2017)とあります。

 ペルシア帝国の諸州にいるユダヤ人たちは、13日のみ敵対者を殺し、14日には休んで祝宴と喜びの日としたことが16.17節に次のように記されています。
“16 王の諸州にいる残りのユダヤ人たちも団結して、自分たちのいのちを守り、敵からの安息を得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。
17 これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。”(2017)とあります。

 18.19節には、祝宴と喜びの日について次のように記されています。
“18 しかし、スサにいるユダヤ人たちは、その月の十三日にも十四日にも集まり、十五日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。
19 それで、城壁のない村に住む田舎のユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の祝日とし、互いにごちそうを贈り交わす日としている。”(2017)とあります。

 新聖書注解は、“後にはシュシャン〔スサ(2017)〕以外でも、14日と15日の両日を祝うようになった。”と記しています。

 プリムの祭の制定について20-32節には次のように記されています。
“20 モルデカイはこれらのことを書いて、クセルクセス王のすべての州の、近い所や遠い所にいる、すべてのユダヤ人に書簡を送った。
21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、22 自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。
23 ユダヤ人は、すでに守り始めていたことであるが、モルデカイが彼らに書き送ったことを受け入れた。
24 実に、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、
25 そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのであった。
26 こういうわけで、ユダヤ人はプル〔「くじ」の意(筆者挿入)〕の名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、
27 ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。
28 また、この両日は代々にわたり、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした。
29 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。
30 この書簡は、平和と誠実のことばをもって、クセルクセスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、
31 ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。
32 エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。”(2017)とあります。

 イスラエルでは現代でもプリムの祭が祝われています。
「シオンとの架け橋」というホームページの中に、現代のプリムの祭について、次のように記されています。
旧約聖書エステル記に書かれた物語をもとにしており、ユダヤ人が奇跡的に救われたことを記念する祭です。
ペルシャ帝国の時代、悪大臣ハマンがユダヤ人の絶滅を計画しますが、王妃であったユダヤ人のエステルが、 王にその計画を取りやめるよう直訴し、悪大臣ハマンの謀略は失敗に終わり、ハマンは処刑されました。
祭では、このエステルの知恵と勇気の活躍を描くエステル記がシナゴグで子供たちと一緒に朗読され、 音の出るオモチャを持った子供たちは、悪大臣ハマンの名前が読まれるとハマンの名前が聞こえないように騒ぎたてます。
プリムの祭は、子どもたちが仮装をしたり、街ではパレードをしたりと、大変陽気に楽しみます。
この日には、商店や食堂、銀行など接客業の人々の中には、頭に飾りをつけたり、顔に何かを描いたりして、仮装をする人々もいます。
また「ハマンは呪われよ」と「モルデカイに祝福を」が聞き分けられなくなるまでお酒を飲まなければいけないと言われているため、 超正統派の人々は「律法の行い」として、完全に酔いつぶれています。
また、城壁に囲まれた町では1日遅れて祝う「シュシャン・プリム」という風習がありますが、現代ではこの規定はエルサレムだけに適用されます。”とあります。

 歴史を眺めると、サタンは様々な人を使ってイスラエルの抹殺を試みましたが、常にヤハウェ(主)が介入され、絶滅されることを防ぎました。そして、キリストの千年王国では、世界の中心はイスラエルでありイザヤ2章には次のように記されています。
“2 終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
5 ヤコブの家よ、さあ、私たちも主の光のうちを歩もう。”(2017)と預言されています。

 またキリストの千年王国におけるイスラエル部族の相続地及び聖域については、エゼキエル47:13-48章に記されています。
ヤハウェ(主)は、アブラハムとの契約を履行されるのです。
同じように私たちキリスト者に対する契約も主イエス・キリストの故に履行されるのです。
パウロは、「私たちが真実〔誠実(新共同訳)〕でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2017)とテモテに書き送りました。
旧約聖書のマラキ書3:6には、万軍の主の御言葉として、「主であるわたしは変わることがない。」(2017)と記されています。
1ペテロ1:24.25には、
人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ”と記されています。
イエス様は、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35・新共同訳)と語られました。
私たちキリスト者は、主の御言葉を信じて生きる者です。

 エステル記10章2.3節にはモルデカイが実在したこととモルデカイの人柄について書かれています。エステル記10章1-3節には次のように記されています。
“1 クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。
2 彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。
3 実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは私たちに変わることのない約束の御言葉をたくさん与えてくださっておられますからありがとうございます。
あなたの御言葉を100%信じて歩み続ける者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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粗雑な文章の連続でしたが、一応、聖書66巻について、簡略ではありますが、書き終わりました。
翌日からは書きたいことを書いていきます。

2021年10月11日 (月)

エステル記8章 ユダヤ人を救済するための勅令の発布

 王妃エステルとモルデカイに対する王の対応が1.2節に次のように記されています。
“1 その日、クセルクセス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分とモデルカイとの関係を明かしたからである。
2 王はハマンから取り返した自分の指輪を外して、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた。”(2017)とあります。

 クセルクセス王は王妃エステルに、ハマンの家を与え、エステルはハマンの家の管理をモルデカイに任せました。
またクセルクセス王は、モルデカイを宰相の座に就かせました。

 ハマンは処刑され、モルデカイが宰相になりましたが、ユダヤ人殲滅の勅令はそのままです。
エステルはクセルクセス王に、ユダヤ人殲滅の勅令を取り消してくださるようにと嘆願しました。3-6節には次のように記されています。
“3 エステルは再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対して企んだ、わざわいとその計略を取り除いていただきたいと、泣きながら嘆願した。
4 王がエステルに金の笏を差し伸ばしたので、
エステルは身を起こし、王の前に立って、5 言った。
「もしも王様がよろしければ、また私が王様のご好意を受けることができ、このことを王様がもっともだとお思いになり、私のことがお気に召すなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いた、あのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。6 どうして私は、自分の民族に降りかかるわざわいを見て我慢していられるでしょう。また、どうして、私の同族が滅びるのを見て我慢していられるでしょう。」”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、エステルに、王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないので、別の方法でユダヤ人を救う方法を考え、それを王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、それを発布するように、と言ってくれました。7-14節には次のように記されています。
“7 クセルクセス王は、王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。
「見よ。ハマンの家を私はエステルに与え、彼は柱にかけられた。ハマンがユダヤ人たちに手を下そうとしたからである。8 あなたがたは、ユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができない。」
9 そのとき、王の書記官たちが召集された。それは第三の月、すなわちシワンの月の二十三日であった。
そして、すべてモルデカイが命じたとおりに、ユダヤ人と、太守、総督たち、およびインドからクシュまで百二十七州の首長たちに、詔書が書き送られた。各州にその文字で、各民族にはその言語で、ユダヤ人にはその文字と言語で書き送られた。
10 モルデカイはクセルクセス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その書簡を、御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。
11 その中で王は、どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許した。
12 このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うようにということであった。
13 各州に法令として発布される、この文書の写しが、すべての民族に公示された。それは、ユダヤ人が自分たちの敵に復讐するこの日に備えるためであった。
14 御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせき立てられて、急いで出て行った。この法令はスサの城で発布された。”(2017)とあります。

 モルデカイが王の宰相として正式に民衆の前に姿を現したので、民衆は喜び、特にユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張って、祝日とした、ということが15-17節に次のように記されています。
“15 モルデカイは青色と白色の王服を着て、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。すると、スサの都は喜びの声にあふれた。
16 ユダヤ人にとって、それは光と喜び、歓喜と栄誉であった。17 王の命令と法令が届いたところは、どの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この地の諸民族の中で大勢の者が、自分はユダヤ人であると宣言した。それはユダヤ人への恐れが彼らに下ったからである。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
モルデカイが王から宰相に任命されてから民衆の前に宰相の姿で登場するまでの間には時間差があったことを覚えます。
私たちもそれと同じで、霊においてキリストの花嫁とされてから霊の体を頂いて天において婚礼の義がもたれるまでには時間差があることを覚えます。
しかし、すでに主と一つ霊としての交わりを持たせていただけておりますことを感謝します。
あなたの御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(1コリント6:17・2017)
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。”(創世記2:24・口語訳)
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。”(エペソ5:32・2017)
“6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
9 御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。”(黙示録19章・2017)

2021年10月10日 (日)

エステル記7章 ハマンの失脚

 エステル主催の宴会の2日目が始まり、この日もまたクセルクセス王はエステルに「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」と言いました。それを受けて、今回エステルは自分と自分の民族の民にいのちを与えてくださるようにと願ったのです。1-4節には次のように記されています。
“1 王とハマンは王妃エステルの宴会にやって来た。
2 この酒宴の二日目にも、王はエステルに尋ねた。
「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
3 王妃エステルは答えた。
「王様。もしも私があなた様のご好意を受けることができ、また王様がよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください〔直訳は、「私の民を私にお与えください」(筆者挿入)〕。4 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされようとしています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょうが、そうはいきません。その迫害する者は、王のお受けになる損失を償うことはできないのですから。」”(2017)とあります。

 エステルは自分がどの民族に属するものかを語ったことがありませんでしたが、この時には自分がイスラエル人であることを公言しました。
エステルもモルデカイもベニヤミン族に属する者でした。
この時代、カナンの地はペルシア帝国の属州であり、カナンの地で暮らしているユダ族やベニヤミン族は、ペルシア帝国のユダ州で暮らしていたのです。
エステルやモルデカイのようにエルサレムやユダの地には帰還せず、捕囚の地に住みついていた者たちも多くいました。

 5節には、“クセルクセス王は王妃エステルに言った。
「そんなことをしようと心に企んでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、ユダヤ人殲滅(せんめつ=皆殺し)の勅令について覚えていないのです。
その勅令が発せられたときの様子は、エステル記3章に次のように記されていました。
“8 ハマンはクセルクセス王に言った。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。
9 王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」
10 王は自分の手から指輪を外して、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。
11 王はハマンに言った。「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」
12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官たちが召集され、ハマンが、王の太守、各州を治めている総督、各民族の首長たちに命じたことがすべて、各州にその文字で、各民族にはその言語で記された。それは、クセルクセスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。
13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。
14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。
15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、ハマンの言葉を信じて、ハマンに言われたことを再調査することなく、ハマンの言うがままに了承したのです。「おまえの好きなようにするがよい。」と。ですから、クセルクセス王は、ユダヤ人殲滅の勅令を覚えていなかったのだろうと思います。

 クセルクセス王がエステルに、「そんなことをしようと〔愛するエステルを含めたユダヤ人をせん滅しようと(筆者挿入)〕心に企んでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」と聞いたことに対して、エステルは「それはハマンです」と言いました。その後、ハマンがどの様になったのかということが、6-10節に次のように記されています。
“6 エステルは言った。
「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです。」
ハマンは王と王妃の前で震え上がった。
7 王は憤って酒宴の席を立ち、宮殿の園に出て行った。
ハマンは王妃エステルにいのち乞いをしようとしてとどまった。
王が彼にわざわいを下す決心をしたことが分かったからである。
8 王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。
「私の前で、この家の中で王妃までも辱めようとするのか。」
このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔は青ざめた。
9 そのとき、王の前にいた宦官の一人ハルボナが言った。
「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのためにハマンが用意した、高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」
すると王は命じた。
「彼をそれにかけよ。」
10 こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、ハマンが、愛するエステルを殺すのだ、ということで憤って酒宴の席を立ち、宮殿の園に出て行きました(7)。
これは、クセルクセス王が、ハマンを処刑することに決めたからです。
ハマンはそのことを理解していました。
それ故ハマンは、王妃エステルに命乞いをしたのです(7.8)。
ハマンがエステルに命乞いをしていた動作、すなわち、エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏していたことを、自分が席をはずしていた間の経緯を知らないクセルクセス王は、勘違いして、「「私の前で、この家の中で王妃までも辱めようとするのか。」と怒ったのでした(8)。

 結局、ハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられたのです(10)。
これによってサタン(悪魔)のユダヤ人殲滅計画はつぶされたのです。
その次にサタンが行ったのは、イエス様を殺すことでした。
まずは、ヘロデ大王を用いて、次にはイスカリオテのユダを利用して。
最近ではヒットラーを用いて、そして最後には反キリストを用いて。
しかし、ヤハウェ(主)は勝利するのです。当たり前のことですが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この世全体は、悪い者の支配下にありますが、悪い者即ちサタンの上部にあって、今の時代、天及び地における権威を持っておられるのは私たちの主キリスト・イエス様ですから御名を賛美します。
これからの未来も、あなたはすでに終わっている未来として私たちに見せてくださっておられますから感謝します。
悪が栄えるようなときがあっても、必ずあなたが勝利を取られますからありがとうございます。
御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 9日 (土)

エステル記6章 王から栄誉を受けたモルデカイ

 1節には、“その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。”(2017)と記されています。

 王宮の中庭において、エステルは王から、「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」(5:3)と言われ、エステルは王をエステル主催の宴会に招きました(5:4)。
宴会1日目の酒宴の席上、王は再度エステルに、「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」(5:6)と言いました。ところがエステルは、2日目にも宴会を催すので、その時に自分の願いを王に申し上げますからもう一度宴会に来てください、と申し上げたのです。
そのようにエステルに言われたクセルクセス王は、その夜眠れなくなり、過去の記録を記してある年代記を持って来させ、それを読ませました。
1ー4節までを読むと、ハマンが夜中に王を尋ねて来ることはないので、クセルクセス王は朝まで眠れなかったようです。

 年代記の中には、モルデカイが王に善行を行ったことが記されていました。2.3節には次のように記されています。
“2 その中に、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。
3 そこで王は尋ねた。
「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか。」
王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」”(2017)とあります。

 2.3節に関し、新聖書注解は次のように述べています。
“以前モルデカイが立てた功績(2:21-23)は王の年代記に記録されたにもかかわらず、いまだ恩賞が与えられていなかった。ペルシアでは王の命を救う手柄を立てた人は特に「オロサンガイ」と呼ばれ、ほうびを賜ることになっていた(ヘロドトス『歴史』Ⅷ85)。モルデカイは何のほうびももらってはいなかったが、それを不満に思って王に催促したりはしなかった。モルデカイは無欲の人であり、ハマンの貪欲とは対照的である。しかし神はこのことを決して忘れたもうことなく、絶好の機会に王の記憶を呼び起こすことによって、ハマンを屈辱に陥れ、神の民を救われたのである。”とあります。

 翌朝になって、モルデカイを殺したいハマンが王宮の外庭にやってきました。王はハマンを王のもとに通すように侍従たちに言いました。4.5節には次のように記されています。
“4 王は言った。
「庭にだれがいるのか。」
ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。
5 王に仕える侍従たちは王に言った。
「庭のあそこにハマンがいます。」
王は言った。
「ここに通せ。」”(2017)とあります。

 王とハマンの劇的な会話が6-10節に次のように記されています。
“6 ハマンが入って来ると、王は彼に言った。
「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」
ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」
7 そこでハマンは王に言った。
「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、8 王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。9 その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」
10 すると、王はハマンに言った。
「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」”(2017)とあります。

 ハマンのうぬぼれは頂点に達していました。ハマンは、「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」(6)と思っていたのです。神様の嫌われる考え方です。

 ハマンは自分に栄誉が与えられるものと考え、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」(6)という王の問いかけに対して、「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」(7-9)と答えたのでした。
この発想は、イザヤ14:13.14に記されているサタンの思いに通じるものがあります。

 ハマンの有頂天はここまででした。
つぎの10節には、「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」という王の言葉があります。

 11-13節には、ハマンとモルデカイの大逆転劇が次のように記されています。
“11 ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。
12 それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆き悲しんで頭をおおい、急いで家に帰った。
13 ハマンは自分の身に起こったことの一部始終を、妻ゼレシュと彼のすべての友人たちに話した。
すると、知恵のある者たちと妻ゼレシュは彼に言った。
「あなたはモルデカイに敗れかけていますが、このモルデカイがユダヤ民族の一人であるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。必ずやあなたは敗れるでしょう。」”(2017)とあります。
 
 6章の一連の出来事は、目には見ええませんが、ヤハウェ(主)の関与を推測することができると思います。

 そして14節には、“彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせて、エステルの設けた宴会に連れて行った。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは目には見えませんが、いつも私たちキリスト者を御心に留めてくださっておられますからありがとうございます。
何かが起こった時でも、私たちの主イエス様は、天においても地においても一切の権威を持っておられるお方ですから感謝します。
いつも御父と御子に信頼しきって歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この箇所を読んでいる時に「マリアの賛歌」(マグニフィカート)を思い起こしましたので下記します。
“46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、50 主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
52 権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」”(ルカ1章・2017)

2021年10月 8日 (金)

エステル記5章 エステルが王とハマンをエステル主催の宴会招待したこと及びハマンのモルデカイへの怒り

 1.2節には、“1 三日目になり、エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。
王は王室の入り口の正面にある王宮の玉座に座っていた。
2 王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。
王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。
エステルは近寄って、その笏の先に触れた。”(2017)とあります。

 1節の、“三日目になり”という「三日」は、4章の断食祈祷のことではないかと思われます。
4:16.17には次のように記されています。
“16 エステルはモルデカイに返事を送って言った。17 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」”(2017)とありました。

 1.2節を理解する上で、前章においてエステルが述べている事柄が参考になります。
4:11にはエステルのことばとして、“王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。”(2017)とありました。

 エステルは呼び出されたわけではないのに、王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立ったのでした。
王は金の笏を伸ばしてくれただけではなく、3節には、“王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」”(2017)と言ってくれたのです。

 「王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」という王の言葉について、新聖書注解は次のように述べています。
“古代の王は宴会などの席ではよくこのようなことを言った(→マルコ6:23、ヘロドトス『歴史Ⅸ109』)。こうした時に、王には相当のほうびを出す意思があっても、受け取る側としては過分のお願いはしないという美徳も必要であったに違いない。”とあります。

 エステルはクセルクセス王に対して次のように答えました。4節には次のように記されています。
“エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、今日、私が王様のために設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください。」”(2017)とあります。

 「今日、私が王様のために設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください。」の文ですが、ヘブライ語聖書の語順では、お越しください 王様 そしてハマン 今日、という順になっています。この4単語の頭文字を合わせると「ヤハウェ」になります。その後、~に 宴会、ところの わたしが設ける、と続きます。 
新聖書注解は、“直訳「今日、王様とハマンはお越しください」は原語四単語の頭文字を合わせれば、神名「ヤハウェ」となり、そのことを指摘するため大文字で書かれた少数の写本がある。”と記しています。

 エステルは1日目の宴会の中ではユダヤ人絶滅の勅令に関しての話を出すことなく、2日目も宴会を催すのでもう一度来てくださいということを王に願いました。5-8節には次のように記されています。
“5 すると王は「ハマンを急いで来させて、エステルの言ったようにしよう」と言った。
王とハマンはエステルが設けた宴会にやって来た。
6 その酒宴の席上、王はエステルに尋ねた。
「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
7 エステルは答えて言った。
「私が願い、望んでいることは、8 もしも私が王様のご好意を受けることができ、また王様がよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、もう一度ハマンとご一緒にお越しください。そうすれば、明日、私は王様のおっしゃったとおりにいたします。」”(2017)とあります。

 王は、エステルが何を望んでいるのか、益々興味がわいたことでしょう。
エステルが1日目に、ユダヤ人絶滅の勅令に関しての話を出すことが出来なかったのは気後れしたからでしょうか?それとも作戦があったのでしょうか?
私には分かりません。

 しかし、5章には記されていませんが、王はエステルに、エステルの要求を1日延ばされたことによって、1日目の夜は眠れなくなってしまったのです。そして、ヤハウェ(主)は、その夜クセルクセス王に働かれたのです。このことは次の6章に記されています。

 ハマンの上機嫌になった様子、その気持ちを打ち砕くモルデカイの態度が9節に次のように記されています。
“9 ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った。ところが、ハマンは、王の門〔王宮の門(新共同訳)〕のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、身動きもしないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。”(2017)とあります。

 モルデカイからすれば、エステル王妃に招かれたのは、王様の他には自分一人しかいないのですから、有頂天になってもおかしくはありませんでした。ハマンが上機嫌で王宮の門の所まで来た時、そこにモルデカイがおり、モルデカイは立ち上がろうともせず、身動きもしないのです。モルデカイ以外の者であれば、みな平伏するのです。ハマンはモルデカイに対し憤りに満たされました。しかしハマンは我慢して家に帰った(10節前半)のです。

 ハマンの自慢話とモデルカイに対する復讐の準備について10-14節には次のように記されています。
“10 しかし、ハマンは我慢して家に帰り、人を送って、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。
11 ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。
12 ハマンは言った。
「しかも王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている。13 しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない。」
14 すると、彼の妻ゼレシュと彼の友人たちはみな彼に言った。
「高さ五十キュビト〔約22m~22.5m(筆者挿入)〕の柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい。」
ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた。”(2017)とあります。

 木にかける処刑について、新共同訳スタディ版の注は次のように述べています。
“古代ペルシアの一般的な処刑法は木につるすことであった。受刑者を杭に突き刺すか、あるいは木に釘で打ちつけてつるし、放置した。その方法は十字架刑に似ていた。”とあります。

 高さ50キュビトの柱について、注解付新改訳聖書の注は次のように述べています。
“このような高い柱を立てたのは、王妃の宴会の席からも見えるように、との意図もあったであろう。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたを肉の目で見ることは出来ませんが、ここぞという大切な時に働いてくださっておられるご様子をエステル記から見させて頂くことです。
また肉の目では見えない霊の世界では、サタンとの戦いが繰り広げられていることが分かります。
あなたはサタンなど一声で抹殺することがお出来になりますが、あなたの深いお考えのもと、時が来るまで一定の働きを許されていることを覚えます。
サタンの最後は火と硫黄の池ですが、私たちキリスト者は、サタンの誘惑や敵対の故にあなたによって信仰を成長させて頂ける一面もあることを覚えます。
常に御父と御子に心を留め、与えて下さっておられる多くの御言葉をしっかり信じて歩み続けることができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 7日 (木)

エステル記4章 命を懸けると意志したエステル/大患難時代の前半の一部

 ユダヤ人絶滅の勅令が発せられ、それがユダヤ人にも知れ渡ったとき、ユダヤ人は大きな悲しみに包まれたということが1-3節に次のように記されています。
“1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。モルデカイは衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行った。
2 そして王の門の前のところまで来た。王の門の中には、粗布をまとったままでは入ることができなかったのである。
3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人の間には大きな悲しみがあり、断食と泣き声と嘆きが起こり、多くの人たちは粗布をまとって灰の上に座った。”(2017)とあります。

 “粗布をまとって灰の上に座った”(3)について、新共同訳スタディ版の注は、次のように述べています。
“粗布はヤギやラクダの毛で粗く織った暗色の布で穀物を入れる袋などに使われた。悔い改めや悲しみなどを表すとき、粗布を身にまとって塵や灰の中に座った。粗布を着た人は汚れていると見なされ、町の門(ここでは王宮の門)より先には入れなかった。深い悲しみのときや危機に直面したときには断食して祈った。”とあります。

 4節には、“エステルの侍女たちとその宦官たちが入って来て、彼女にこのことを告げたので、王妃は非常に痛み苦しんだ。彼女はモルデカイに衣服を送り、それを着せて、粗布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。”(2017)とあります。

 エステルにはユダヤ人殲滅の勅令は届いていなかったようです。
エステルは、モルデカイが粗布を着て灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行き、そして王の門の前のところまで来てはいても中に入らない、というようなことをしているということを知りませんでした。モルデカイがそのようにしているということを、エステルはエステルの侍女たちや宦官たちの知らせで知ったのです。
話のいきさつからすると、侍女や宦官たちは、エステルとモルデカイの関係を知っていた可能性が十分あると思います。恐らくエステルがモルデカイは自分の養父であるということを話したことがあったのではないかと想像します。

 エステルがモルデカイに衣服を送ったにもかかわらず、モルデカイは衣服を受け取りませんでした。
エステルは理由を知りたくて宦官ハタクをモルデカイのもとに遣わしました。
モルデカイは衣服を受け取らなかった理由をハタクに告げ、
ハタクはモルデカイの語った内容をエステルに伝え、またモルデカイから受け取ったところのユダヤ人を絶滅するという法令の文書をエステルに渡しました。5-9節には次のように記されています。
“5 エステルは、王の宦官の一人で、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
6 ハタクは王の門の前の、町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
7 モルデカイは自分の身に起こったことをすべて彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために王の宝物庫に納めると約束した、正確な金額も告げた。8 また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに告げた。”(2017)とあります。

 8節より、モデルカイの最大の意図は、エステルが王に面会し、ユダヤ人せん滅命令を取り下げてくださるようにと願い求めよ、というところにあったのです。
8節の最後の箇所を見ると、これはモルデカイからエステルへの命令であったことが分かります。

 モルデカイからの伝言をハタクはエステルに伝えました。
それを聞いたエステルはモルデカイに自分の立場と王との関係をハタクに伝えてもらいました。10.11節には次のように記されています。
“10 エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
11 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」”(2017)とあります。

 エステルの返答に対して、モルデカイは次のような言葉をエステルに送りました。12-14節には次のように記されています。
“12 彼〔ハタク(筆者挿入)〕がエステルのことばをモルデカイに告げると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。
「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。14 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから〔神からの意(注解付新改訳聖書の注)〕助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」”(2017)とあります。

 モルデカイはエステルに、エステルがユダヤ人であることが知れたらエステルも殺されるということを語りました。
エステルは既に侍女たちや宦官たちにユダヤ人であることが知られてしまっています。そして、それは周りに広がっていたことでしょう。

 モルデカイからの返事を聞いたエステルはモルデカイに、ユダヤ人たちに断食祈祷をさせるようにと依頼しました。エステルは自分の命を賭して王の前に出るとモルデカイに返事を送りました。15-17節には次のように記されています。
“15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
17 モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。”(2017)とあります。

 エステルは、「法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」というエステルの言葉を、すごいことだと驚嘆するように、言う人たちもいますが、前述したように、ユダヤ人殲滅の命令が出ており、そのことは日を定めて実行されるのですから、エステルの覚悟が格別すごいことではないのです。

 余談になりますが、キリストの空中再臨に伴う携挙後の大患難時代には、携挙されずに残った人々の中でイエス様を信じた者は殉教していくのです。その時代にイエス様を信じた人はまさに命を賭して信仰を守るのです。その人たちは、天で次のように言われています。
“9 その後、私は見た。すると見よ。
すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。10 彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」
11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。
12 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」
13 すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。
14 そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、
長老は私に言った。
「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。15 それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。17 御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」”(黙示録7章・2017)と記されています。

 上記の文章は黙示録7章ですが、その前の章の6章の中の一部を省略しつつその内容を簡略にまとめると次のようになります。
第二の封印が解かれると、地上に平和がなくなり人々が殺し合うようになるとあります。
第三の封印が解かれると、大人が1日働いて得る給与で、1日分の主食しか買えなくなるという状態になっています。
第四の封印が解かれると、地上の4分の1が死ぬのです。死の原因は剣(戦争か個人的殺し合い)と飢饉による飢死(うえじに)、死(リビングバイブルは「疫病」)、獣です。
第五の封印は省略します。
そして第六の封印が開かれるとどうなるのでしょうか?
黙示録6:12-17には次のように記されています。
“12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。
14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。
15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。
16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。
17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」”(2017)とあります。

 黙示録7章に記されていた殉教者たちは、携挙後から第六の封印の終わりまでのどこかでイエス様を信じたことによって殉教した人たちであろうと思います。この人たちは艱難時代の聖徒たちです。携挙されたキリスト者は恵みの時代の聖徒であり、1テサロニケ4:14-17に属する人たちはエクレシア(呼び出された者たち、すなわち教会)であり、キリストの花嫁です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが、あなたの義による裁きをキリストによって執行される前に、すなわち恵みの時代にイエス様を信じさせて頂けましたことを感謝します。
救われてほしいと願いつつ数十年にわたって祈り続けていても未だに救われない人々がいます。
憐れんでくださり、キリストの空中再臨までにはその人たちが主キリスト・イエス様を信じること、すなわち心に受け入れることができますようにお願いします。
もしもそれがかないませんでしたら、その人たちが、殉教して天に帰ってくることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 6日 (水)

エステル記3章 ハマンの陰謀によるユダヤ人を絶滅せよとの布告/サタンについて

 クセルクセス王の次の地位を得たハマンについて、1-2節bには次のように記されています。
“1 これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
2 それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。”(2017)とあります。

 ハマンの先祖については二つの見解がありますが、その大勢は次のようなものです。
新共同訳スタディ版の注は次のように述べています。
“ハマンの先祖はイスラエルの敵アマレク人であった。アガクはエステルの時代よりはるか昔にイスラエルと戦ったアマレク人の王のこと。モルデカイはかつてそのアマレク人を打ち破ったイスラエルの初代の王サウルの子孫である(2:5)。”(抜粋)とあります。
<聖書参考箇所>出エジプト17:8-16、申命記25:17-19、サムエル15:1-33

 宰相ハマンに対して膝をかがめてひれ伏せ、というのが王の命令でした(2)。

 ハマンにひれ伏さないモルデカイに立腹したハマンがすべてのユダヤ人を抹殺しようという思いを持ったことが2節c-6節に次のように記されています。“2 ・・・。・・・。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった。
3 王の門のところにいる王の家来たちは、モルデカイに「あなたはなぜ、王の命令に背くのか」と言った。
4 彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかった。
それで、モルデカイのしていることが続けられてよいものかどうかを確かめようと、これをハマンに告げた。モルデカイが、自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。
5 ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。
6 しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。”(2017)とあります。

 モルデカイは門番でした(2:19.21)。
モルデカイ以外の門番たちは、ハマンが門を通過する時には、皆ハマンに対して膝をかがめてひれ伏したのです(2)。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかったのです(2)。
 続く3.4節をリビングバイブルは次のように意訳しています。
周囲の者たちは、来る日も来る日も、「どうして王の言いつけに背くのだ」と言いますが、それでも彼は頑として聞こうとしません。そこでついに人々は、モルデカイだけに勝手なまねをさせてはならないと、そのことをハマンに告げたのです。モルデカイは人々に、自分はユダヤ人だから別だと主張していたからです。 ”とあります。

 宰相となったハマンが、クセルクセス王を言葉巧みに言いくるめ、ユダヤ人絶滅計画の法令を発布するに至った経緯が7-15節に次のように記されています。
“7 クセルクセス王の第十二年〔B.C.474年(筆者挿入)〕の第一の月〔太陽暦では3-4月(筆者挿入)〕、すなわちニサンの月に、日と月を決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられた。くじ〔ユダヤ人を抹殺するためのくじ(筆者挿入)〕は第十二の月〔太陽暦では2-3月(筆者挿入)〕、すなわちアダルの月に当たった。
8 ハマンはクセルクセス王に言った。
「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。9 王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラント〔430000kg=430トン(筆者挿入)〕を量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」
10 王は自分の手から指輪を外して、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。
11 王はハマンに言った。
「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」
12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官たちが召集され、ハマンが、王の太守、各州を治めている総督、各民族の首長たちに命じたことがすべて、各州にその文字で、各民族にはその言語で記された。それは、クセルクセスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。
13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。
14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。
15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。”(2017)とあります。

 ユダヤ人絶滅計画は、ハマンに悪魔(サタン)がそのような思いを入れたのだと思います。
 サタンは、ユダヤ人を抹殺したいという願いを持っています。
 サタンは神に、大いに良くして頂いた(エゼキエル28:12c-15)存在であるにもかかわらず、神に対して高ぶり(イザヤ14:13.14、エゼキエル28:16-17a)、その結果、よみに落とされ穴の底に落とされるのです(黙示録20:3.4)。
 サタンは、神と直接戦っても勝てないので、神が愛する者を攻撃するのです。それがイスラエルであり、キリスト者です。
 サタンはエデンの園で、エバをだまし、人祖アダムを堕罪させました(創世記3:1-6)。
 罪があると神との関係が途絶えます。罪が神と人との間の壁となるのです。
 サタンは、神から「わたしは敵意を、おまえ〔サタン(筆者挿入)〕と女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:15・2017)と言われました。
 サタンは、神に喜ばれたアベルをカインによって殺しました。恐らく「彼はおまえの頭を打ち」といわれた「彼」はアベルではないかと思ったのではないかと思います。
 その後、神はアブラハムを選び、イスラエルをご自分の民としました。
サタンはイスラエルを抹殺すること、罪の誘惑でイスラエルを罪の中に陥れること、等を実行していきました。
そして、この時代になって、サタンはハマンを用いたのです。それはハマンの心がサタンととても同調しやすかったからであろうと思います。
 私たちキリスト者は、神様から語りかけを頂きます。一方、サタンの思いと同調する人はサタンからの声を聞いたり、聞くという感覚はなくてもサタンの願う思いを持たされるのです。コロサイ2:8には、“あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊〔サタンや配下の悪しき霊(筆者挿入)〕によるものであり、キリストによるものではありません。”(2017)と記されています。
サタンは神のまねを至る所で行います。
神様は愛と義から行ってくださいますが、サタンは悪から、己の欲望から、神に対する敵対的な思いからことを行っていくのです。
サタンは12使徒のひとりであったイスカリオテのユダにも働きかけました(ヨハネ13:2)。ユダに対してはユダの中に入ることまで成功しました(ヨハネ13:27)。そして、イエス様は逮捕されたのです(イエス様の御意志でもありましたが)。
この世は悪魔(サタン)が支配しています(1ヨハネ5:19、エペソ2:1-3、ルカ4:6b)。
しかし、悪魔の活動範囲は、神に許可された範囲内でしか行為を行うことができないのです(ヨブ1:10-12、2:4-6)。
一方、キリスト者は、神に属しています(1ヨハネ5:19)。
キリスト者の霊にサタンは手を触れることができません(1ヨハネ5:18)。
1ヨハネ5:18の「神から生まれた者は」(2017)とありますが、この「者」は「霊」です。
イエス様は、ヨハネ3章で、「3 人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。6 霊から生まれたものは霊である。」(新共同訳)と語られました。
1ペテロ1:3には、「神は・・・、私たちを新しく生まれさせ・・・てくださいました。」(2017)と述べています。
新しく生まれさせて頂いたのは霊であり、サタンはキリスト者の霊には触れることができないのです(1ヨハネ5:18)。キリスト者の霊は神から生まれた神の子どもです。キリスト者は、やがては天的な霊の体(1コリント15:40.44.46・新共同訳)を頂けますから、そのようになったときには、被造物は、神の子どもたちが出現したのを見ることになるのです。
キリスト者のたましいと肉体は、悪魔(サタン)から攻撃されうるのです。
使徒パウロもサタンから肉体を打たれました。
2コリント12:7には、“その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。”(2017)と記されています。
肉体を打たれることも幸いなことがあります。それは私も経験していますが、パウロは、「主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(2コリント12:9・2017)と語っています。
ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたはすべてを見通したうえで、あなたの良いと思われることを行ってくださいますから感謝します。
あなたは、聖であられ、義であられると共に愛なるお方です。
私たちは、あなたに愛され、あなたは、私たちには想像できないほどの豊かさで私たちを愛してくださっておられますから感謝します。
あなたの御名の中で生かされていることを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 5日 (火)

エステル記2章 王妃に選ばれたエステル

 1節には、“これらの出来事の後、クセルクセス王の憤りが収まると、王はワシュティのこと、彼女のしたこと、彼女について決められたことを思い出した。”(2017)と記されています。

 1節について、新聖書注解は、次のように述べています。
“〔「これらの出来事の後」とは、(筆者挿入)〕クセルクセス1世がギリシア遠征に失敗し、失意のうちに帰国した年(前479年)と考えられる。ワシュティを離別し、ギリシア軍に敗れ、理性を取り戻してから考えると、すべてにおいてやりすぎであったという反省の気持ちが強くなったのであろう。そこで、もう一度、ワシュティを連れ戻したいと願ったが、それはもはや不可能なことであった(1:19-21)。”とあります。

 王の寂しさを紛らわすための侍従たちの進言、及びその進言に王が同意したことが2-4節に次のように記されています。
“2 王に仕える侍従たちは言った。「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを探しましょう。3 王は王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、スサの城の後宮〔王のハレム(筆者挿入)〕に集めて、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧品を彼女たちに与えるようにしてください。4 そして、王のお心にかなう娘を、ワシュティの代わりに王妃としてください。」
このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。”(2017)とあります。

 5-7節には、モデルカイとハダサ(エステル)の紹介が次のように記されています。
“5 スサの城に一人のユダヤ人がいて、その名をモルデカイといった。この人はヤイルの子で、ヤイルはシムイの子、シムイはベニヤミン人キシュの子であった。6 このキシュは、ユダの王エコンヤと一緒に捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。エコンヤはバビロンの王ネブカドネツァルが捕らえ移したのであった。7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわちエステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。この娘は姿も美しく、顔だちも良かった。モルデカイは、彼女の父と母が死んだとき、彼女を引き取って自分の娘としていた。”(2017)とあります。

 モルデカイもエステルもエルサレムに帰還せずペルシアの当時の首都であるスサに残留した人たちでした。
モルデカイは、B.C.597年ユダの王エコンヤ(別称:エホヤキン)と一緒にバビロンに捕囚となったキシュの子孫でした。キシュはベニヤミン族の出でした。エホヤキン時代のバビロン捕囚のことは2列王記24:8-16に記されています。
エステルの父母が死んだ後、モデルカイがエステルの養育をしていましたが、モデルカイとエステルはいとこでした。
エステルは容姿端麗の娘でした。

 8節には、“王の命令〔容姿の美しい未婚の娘たちをみな、スサの城の後宮に集めること(筆者挿入)〕、すなわちその法令が伝えられて、多くの娘たちがスサの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。”(2017)と記されています。

 “アラム語訳第二タルグム〔「タルグム」は翻訳、解釈の意(筆者挿入)〕によると、「モルデカイは、エステルを王宮に取られるのを恐れて、彼女を隠した。その間、異教徒の娘たちは、王宮に行きたいばかりに、王の家来たちの前で踊をおどったりして媚を打っていた。しかし結局、乙女たちを隠す者は死刑に処するという命令が出たため、モルデカイはやむなく、エステルを差し出したのであった」。”(新聖書注解)と記されています。

 9節には、“この娘〔エステル(筆者挿入)〕はヘガイの目〔心(第三版)〕にかない、彼の好意を得た。彼は急いで化粧品とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女に付けた。また、ヘガイは彼女とその侍女たちを、後宮の最も良いところに移した。”(2017)とあります。

 「ヘガイの心にかない」について、注解付新改訳聖書の注は、“ヘガイはエステルこそ王妃になるに違いないと直感し、好意を示したのであろう。”と述べています。

 10節には、“エステルは自分の民族も、自分の生まれも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはいけないと彼女に命じておいたからである。”(2017)と記されています。

 10節に関して、新聖書注解は次のように述べています。
“エステルは自分がユダヤ人であることを故意に隠していた。モルデカイが固く口留めしたからである。〔ダニエルはエステルとは異なり、初めから信仰を表明していました(ダニエル1:8){筆者挿入}〕。私たちキリスト者も、ダニエルのように旗印を鮮明にすべきであるが、ある特定の場合には、聖霊の導きを受けながら、身を隠さなければならないときもある。”(抜粋)とあります。

 11節には、“モルデカイは毎日、後宮〔ハレム(筆者挿入)〕の庭の前を行き来し、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。”(2017)と記されています。

 ハレムには普通宦官以外は入れません。それに対し、注解付新改訳聖書の注は、“モルデカイは城門の門番であり、比較的自由に行動することが出来たと思われる。”と述べています。
 
 王の前に出るまでの彼女たちの準備とその期間、王の前に出るときの彼女たちの権利、王と関係を持った女性に対する王の評価とその後の扱いについて12-14節に次のように記されています。
“12 娘たちは、女たちの規則にしたがって、十二か月の期間が終わった後、一人ずつ順番にクセルクセス王のところに入って行くことになっていた。準備の期間は、六か月は没薬の香油を、次の六か月は香料と女たちのための化粧品を用いて化粧することで、完了するのであった。
13 このようにして、娘が王のところに入って行くとき、その娘の願うものはみな与えられ、それを携えて後宮から王宮に行くことができた。
14 娘は夕方入って行き、朝になると第二の後宮に帰ることになっていた。そこは、側女たちの監督官である、王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王が気に入って指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。”(2017)とあります。

 衣食住は満たされていたでしょうが、飼い殺しのようにされてしまった女性たちはみじめなものだと思います。

 エステルが王妃に選ばれていった状況が15-18節に次のように記されています。
“15 さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。
こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。
16 エステルが王宮のクセルクセス王のもとに召し入れられたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。
17 王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
18 それから、王はすべての首長と家臣たちのために大宴会、すなわちエステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った。”(2017)とあります。

 女たちの監督官ヘガイとエステルの関係は、9節に、“この娘はヘガイの目にかない、彼の好意を得た。彼は急いで化粧品とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女に付けた。また、ヘガイは彼女とその侍女たちを、後宮の最も良いところに移した。”と記されていました。
ヘガイは女たちの監督官を王から任されている人ですから、王の好みもよく知っていたことでしょう。
エステルの賢さは、ヘガイに従ったところにありました。
15節に、“エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。”と記されています。
エステルが王のもとに召されたのは、王の治世の第七年の第十の月(2:16)でした。

 17節には、“王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。”と記されています。
女たちの監督官ヘガイの目は高かったのでした。またヘガイは王の好みを知っていた人でもあったでしょう。

 クセルクセス王が如何にエステルを気に入ったかは、18節に、“王はすべての首長と家臣たちのために大宴会、すなわちエステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った。”と記されているところからよく分かります。

 好色家クセルクセスとクセルクセスを殺すたくらみをしていた者たちをモデルカイが発見し、そのことを知らせたモデルカイとエステルの話が19-23節に次のように記されています。
“19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところに座っていた。
20 エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。
21 そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
22 このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。”(2017)とあります。

 18節と19節の間には、相当の期間が経過していたと思われる、と新聖書注解は述べています。
王に対する謀反人たちをモルデカイが発見し、そのことが年代記に記録されたことは主の摂理なのでしょう。
それは後になって明らかになります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
エステルは、モルデカイの教えによく聞き従い、またヘガイの教えによく聞き従いました。
私たちは、私たちの主イエス様の教えによく聞き従って歩むことができますよう助け導いてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“「24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」
28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。29 イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。”(マタイ7章・2017)

2021年10月 4日 (月)

エステル記1章 王妃ワシュティの失脚

 1節には、“クセルクセスの時代、クセルクセスが、インドからクシュまで百二十七州を治めていた時のことである。”(2017)と記されています。

 クセルクセスを、ヘブライ語聖書は、アハシュヴェロースと記しています。
第三版、口語訳は、アハシュエロスと表記しています。
 聖書辞典は、アハシュエロスについて、“ペルシヤ語ではクシャヤルシャで,「偉大な人」という意味。1.エステル記に登場する王(エステル1:1)。ペルシヤの碑文にはクシャヤルシャと刻まれており,ギリシヤ名ではクセルクセス(1世)として知られていた。彼は前486年ダリヨス1世に次いで王に即位した。即位後2年目にエジプトを平定。3年目にはインドからエチオピヤまでの広大な地域を127州に分けて統治している(エステル1:1)。4年の準備期間をおいて前480年,ギリシヤ侵略を試みたが,サラミスの海戦で敗北,ギリシヤ征服を断念した。前465年,彼は2人の侍臣に殺された。エズラ4:6は、捕囚期間中パレスチナに居住していた人々が,神殿再建に反対して彼のもとに告訴状を届けたと報じている。”と記しています。

 聖書辞典にあるようにクセルクセス王の統治年代は、B.C.486-465年です。
エステル記の出来事は、クセルクセス王の統治年代に起こった事柄であり、注解付新改訳聖書の緒論は、“エズラ記では6章と7章の間に当たる時代と考えられる。”と述べています。

 180日に及ぶ宴会の中で領土拡大のためのギリシア遠征会議がもたれたことが2-4節に次のように記されています。
“2 クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、
3 その治世の第三年〔B.C.483年(筆者挿入)〕に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。
4 王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。”(2017)とあります。

 この宴会に出席したのは、すべての首長と家臣たち、即ちペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちでした。
この長期間の宴会の性質について、新聖書注解は次のような見解を述べています。
“古代の王は自分の権威を示すためにあらゆる方法を用いた〔バビロンのネブカドネツァル王は120日の宴会を催したという記載が旧約続編ユディト書1:16にあります。{ユディト書は架空の信仰物語です}(筆者挿入)〕が、ペルシア王はその最たるものであった。〔・・・中略・・・(筆者挿入)〕この宴会はギリシア遠征に関係があった。ヘロドトス〔古代ギリシアの歴史家(筆者挿入)〕は、〔クセルクセスが、(筆者挿入)〕即位の翌年エジプトを従えた後、ギリシア遠征に備える会議を開いたことを伝えている。「ペルシア人には、きわめて重要な事柄を、酒を飲みながら相談する習慣がある。その相談で皆が賛成したことを、相談会の会場になった家の主人が、翌日しらふでいる一同に提起し、しらふの時にも賛成ということになれば採用し、そうでなければ廃案にする。またしらふで予備相談したことは、酒の席で改めて決定するのである。」(『歴史』Ⅰ133)。しかし、このような酒飲み会議の連続で決定したギリシア遠征は、やがて完全な失敗に終わるのである。”とあります。

 5-8節には、おそらくギリシア遠征を決定した後の宴会の様子と思われるものが次のように記されています。
“5 この期間が終わると〔会議付きの宴会が終了した後(筆者挿入)〕、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。
6 白綿布や青色の布が、白や紫色の細ひもで大理石の柱の銀の輪に結び付けられ、金と銀でできた長椅子が、緑色石、白大理石、真珠貝や黒大理石のモザイクの床の上に置かれていた。
7 金の杯で酒がふるまわれたが、その杯は一つ一つ種類が違っていた。王室のぶどう酒は、王にふさわしく豊かにあった。
8 しかし飲酒は、「強要しないこと」という法に従っていた。だれでもそれぞれ自分の思いのままにさせるようにと、王が宮廷のすべての長に命じていたからである。”(2017)とあります。

 “ギリシア遠征遠征を前にして国民を欺く手段に過ぎなかったであろう。”と新聖書注解は、解説しています。

 9節には、“王妃ワシュティも、クセルクセス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。”(2017)とあります。

 新聖書注解は、“ペルシアの宴会には、普通妻や妾たちも出席した。しかし、この時は、一応会議目的の宴会のため、王妃は女官たちを集めて、別の部屋で集まりを持っていた。”と述べています。

 王妃ワシュティがクセルクセス王の命令に従わなかったことに対し、クセルクセス王の怒りが燃え上がった様子が10-12節に次のように記されています。
“10 七日目に、クセルクセス王はぶどう酒で心が陽気になり、王に仕える七人の宦官〔王とハレムの間の連絡を受け持つ役目を果たしたが、仕事の性質上去勢されていた。(新聖書注解)〕メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じ、11 王妃ワシュティに王冠をかぶらせて、王の前に連れて来るようにと言った。
彼女の容姿がすばらしかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。
12 しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒み、来ようとはしなかった。
そのため王は激しく怒り、その憤りは彼のうちで燃え立った。”(2017)とあります。

 王妃ワシュティが王妃の位から退位させられた経緯が13-22節に次のように記されています。
“13 そこで王は時を熟知している、知恵のある者たちに言った
──このように、法令と裁判に詳しいすべての者に諮るのが、王の慣わしであった。14 王の側近はペルシアとメディアの七人の首長たち、カルシェナ、シェタル、アデマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンで、彼らは王の面前に控えながら、王国の最高の地位に就いていた──
15 「王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたクセルクセス王の命令に従わなかった。法令にしたがって、彼女をどう処分すべきか。」
16 メムカンは王と首長たちの前で答えた。
「王妃ワシュティは王一人だけではなく、クセルクセス王のすべての州の全首長と全住民にも悪いことをしました。17 王妃のことが女たちみなに知れ渡り、『クセルクセス王が王妃ワシュティに、王の前に来るように命じたのに、来なかった』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。18 今日にでも、王妃のことを聞いたペルシアとメディアの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちにこのことを言って、並々ならぬ軽蔑と怒りが起こることでしょう〔今晩にも、国中の役人の妻たちは、夫たちに口答えすることでしょう。そうなれば、領地内はくまなく軽蔑や怒りであふれます(リビングバイブル)〕。
19 もし王がおよろしければ、ワシュティはクセルクセス王の前に出てはならない、という勅令をご自分でお出しになり、ペルシアとメディアの法令の中に書き入れて、変更することのないようにされてはいかがでしょうか。王妃の位は、彼女よりももっとすぐれた者にお授けください。20 王が出される詔勅がこの大きな王国の隅々まで告げ知らされれば、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を敬うようになるでしょう。」
21 この進言は王と首長たちの心にかなったので、王はメムカンの言ったとおりにした。
22 王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはその言語で書簡を送り、男子はみな一家の主人となること、また自分の民族の言語で話すことを命じた〔外国人妻も夫の国の原語で話すようにという命令(筆者挿入)〕。”(2017)とあります。

 現代の女性はメムカンの進言とそれに基づく王の決定に怒りを覚えるか、呆れることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様が女性に取った行動は一人一人を大切にするものでした。
キリスト者はキリストの花嫁です。
キリストの花嫁は、この上なく大切に扱われていますから感謝します。
やがての時には、イエス様のような霊の体、永遠の体、光り輝く美しい体、を与えられますから感謝します。
御父、御子、聖霊なる三位一体の神に感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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