日ごとの恵み

2021年12月 4日 (土)

キリスト者に与えられた恵み12/栄化

 栄化について聖書辞典は次のように述べています(抜粋)。
〔栄化とは、(筆者挿入)〕贖いの適用における最終段階を指す神学用語。有効召命に始まる贖いの信仰者への適用が、キリストの再臨〔空中再臨(筆者挿入)〕に際して、信仰者がキリストの復活のからだに似た栄光あるからだによみがえることにより、あるいは、変えられることにより、完成に至ることを言う。”とあります。

 次に栄化に関連するいくつかの聖句を下記します。
 1テサロニケ416.17には、
“16
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主〔キリスト(筆者挿入)〕ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。2017)と記されています。

 ピリピ320.21には、
“20
しかし、私たちの国籍〔本国(新共同訳)〕は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる〔万物をご自身に従わせうる(口語訳)〕御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。2017)と記されています。

 ローマ830には、
神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。2017)と記されています。
「栄光をお与えになりました。」と記されているのは、神様の中では、完了している事実だからです。必ずそうなるからです。黙示録の中の未来に起こる預言なども同じ書き方です。

 神であるヤハウェ(主)は次のように言われます。
「わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。」(イザヤ4610・新共同訳)と。また、
8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。9 天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。10 雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それ〔わたしが語ったことば(筆者挿入)〕はわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55章・新共同訳)とも記されています。
天使ガブリエルは、主の近くで主を見てきました。次は天使ガブリエルのことばです。
「それ神のことばにはあたわぬところなし」(ルカ137・文語訳)とあります。
天使ガブリエルは、神様が語りだされた御言葉は必ず成就する、ということを見てきたのです。

 1コリント15章をリビングバイブルは次のように意訳しています。
“42
・・、死んだら朽ち果てる、私たちの地上の体は、復活の時に与えられる体とは異なったものです。復活の体は決して死にません。43 今持っている体は、病気や死で私たちを悩ませます。しかし復活の時には、それは栄光に満ちたものとなるのです。確かに、今は死ぬべき弱い体ですが、復活の時には力にあふれた体となるのです。44 そして、今は死ぬべき人間の肉体にすぎませんが、復活の時には、神から与えられる霊の体になります・・・。48 人間はだれでも、アダムと同じ土の体を持っています。しかし、キリストのものとなった人はみな、キリストと同じ、天から与えられる体を持つようになるのです。49 今アダムと同じ体を持っている私たちは、そのように、いつの日かキリストと同じ体を持つのです。51 ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。私たちはみな、新しい栄光の体を頂くのです。52 終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、たちまち朽ちない新しい体に復活します。次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちに奥義を理解する力を与えてくださってありがとうございます。
キリストの空中再臨の時に、私たちに霊の体を与えてくださいますから感謝します。
その後、キリストの裁きの座で、報酬を与えてくださいますから感謝します。
更にその後、花婿キリストと、花嫁すなわちキリスト者の総体である教会の婚礼の儀を用意してくださっておられますことを感謝します。
「義に飢え乾く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」とイエス様は語られましたが、黙示録198には、“花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。”とありますからありがとうございます。
更に私たちを聖なる都、新しいエルサレムに、御父と私たちの主キリスト・イエス様と共に住まわせてくださいますからありがとうございます。
永遠の都、新しいエルサレムを外側から眺めたとき、その美しさは驚嘆すべきものです。
あなたのすばらしいご計画を賛美すると共に、そのご計画を成就してくださる三一の神様をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コロサイ31.2
こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。2017

2021年12月 1日 (水)

キリスト者に与えられた恵み11/聖化4

 今日アップされた箇所は、12/1-3(水~金)分になります。 
昨日は漸次的聖化について述べました。
今日はハードルが少し高いのですが、瞬時的聖化について述べていきます。
(瞬時的聖化という表現が良いかどうかはいったん脇に置いてください。)

 ローマ6章について、新改訳2017訳とリビングバイブル訳を併記していきます。
 1
 2017 それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。”
 リビングバイブル では、神がますます私たちを恵み、赦し続けることができるように、私たちは罪を犯し続けるほうがよいのでしょうか。

 2.3
 2017 “2 決してそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
 リビングバイブル もちろん、絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだのに、どうしてなお罪の中に生きていられるでしょうか。私たちがバプテスマ(洗礼)を受けてキリスト・イエスに結び合わされた時、罪の支配力は打ち破られてしまったのです。

 4
 2017
 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られた〔生まれながらの古い人はキリストとともに葬られた(筆者挿入)〕のです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
 リビングバイブル すなわち、罪を愛する古い性質は、キリストの死によって、キリストと共に葬り去られました。そして、父なる神が、栄光の力でキリストを復活させてくださった時、私たちはキリストの新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました。

 5
 2017 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
 リビングバイブル 私たちがキリストに結び合わされて、キリストといっしょに死んだのなら、やがてキリストと同じように復活するのです。

 6
 2017
 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは罪のからだ〔この体は肉体ではありません。古い人(筆者挿入)〕が滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
 リビングバイブル 私たちの中にある古い性質の自分が、キリスト共に十字架につけられたのは、罪を愛する体〔古い人(筆者挿入)〕が砕かれ、もはや罪の支配を受けず、二度と罪の奴隷にならないためです。

 7
 2017
 死んだ者〔古い人が死んだ人(筆者挿入)〕は、罪から解放されているのです。
 リビングバイブル 罪に対して死んだ者は、どんな罪の誘惑や力からも自由にされるのです。

 8
 2017
 私たち〔私たちの古い人(筆者挿入)〕がキリストとともに死んだのならキリストとともに生きる〔私たちの新しい人はキリスト共に生きる(筆者挿入)〕ことにもなる、と私たちは信じています。
 リビングバイブル 罪を愛する古い性質がキリストと共に死んだのですから、確かに私たちは、キリストの新しいいのちを共有しているのです。

 9
 2017
 私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。
 リビングバイブル  キリストは死者の中から復活されたので、もう二度と死ぬことはありません。死には、もはやキリストを支配する力がないのです。

 10
 2017
 “なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。”
 リビングバイブル キリストは、罪の力にとどめを刺すために、ただ一度死なれました。しかし今では、神との絶えることのない交わりの中に生きておられます。

 11
 2017
 同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。
 リビングバイブル ですから、あなたがたの古い罪の性質も、罪に対して死んだもの、反応しなくなったものとみなしなさい。そして、その代わりに、私たちの主イエス・キリストに結ばれ、神に対して生きる者、神の御声に敏感に応答する者となりなさい。

 12
 2017 ですから、あなたがたの死ぬべきからだ〔肉体(筆者挿入)〕を罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。
 リビングバイブル これからはもう、あなたがたの死ぬべき体を罪の支配にゆだねて、その欲望に従ってはいけません。

 13
 2017
 また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。
 リビングバイブル 体のどんな部分をも、罪を犯す道具にしてはいけません。むしろ、自分自身を神にささげなさい。あなたがたは、死者の中から生かされた者であり、神に使っていただく良い道具として役立つ者となりなさい。

 14
 2017
 罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。
 リビングバイブル 罪は、二度とあなたがたを支配しません。なぜなら、あなたがたはもう律法に束縛されてはおらず、恵みの中にあって、自由の身となっているからです。

 15
 2017
 では、どうなのでしょう。私たちは律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。決してそんなことはありません。”
 リビングバイブル それでは、どうなのでしょう。律法を守ることによってではなく、恵みを受けることによって救われるのであれば、「罪を犯してもかまわないのだ」ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

 16
 2017
 あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。”
 リビングバイブル 知らないのですか。自分の主人は自分で選べるのです。死に至る罪を選ぶこともできれば、義(正しさ)に至る従順を選ぶこともできます。だれかに自分をささげれば、その相手があなたがたの主人となり、あなたがたはその奴隷となるのです。

 17.18
 2017
 “17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、18罪から解放されて、義の奴隷となりました。
 リビングバイブル “17神に感謝すべきことに、あなたがたは、以前は罪の奴隷になる生き方を選んでいましたが、18今は、罪という古い主人から解放されて、義という新しい主人の奴隷になっているのです。

 19
 2017
 あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。
 リビングバイブル このように奴隷と主人にたとえてわかりやすく言うのですが、あなたがたはかつて、あらゆる罪の奴隷でしたが、今は、あらゆる正しいこと、きよいことに仕える奴隷とならなければなりません。

 20
 2017
 あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。
 リビングバイブル あなたがたは、罪の奴隷であった時には、良いことについては無関心でした。

 21
 2017
 ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。
 リビングバイブル その結果はどうだったでしょうか。自分がしていたことを考えるだけでも、恥ずかしくなるはずです。その行き着くところは、永遠の滅びでした。

 22
 2017
 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。
 リビングバイブル しかし今は、罪の力から解放されて、神に仕える者となりました。
そして、神があなたがたに下さる恵みによってきよくされ、永遠のいのちが与えられているのです。

 23
 2017
 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
リビングバイブル 罪の支払う報酬は死です。しかし、神が下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。

 下線部分を信仰によって受け取れ、実体化されると、そのとき瞬時的聖化が起こるのです。
信仰が働かないときには先延ばしにしてください。
無理やり思い込んでも信仰がついて行きません。
また、悪魔悪霊の誘惑を見破り、敵である悪魔悪霊を排除することができないと、長続きしないのです。長続きしないと、この聖句は不可能だと考えかねないのです。
主は、キリスト者を信仰から信仰へと進ませてくださいます(ローマ117)。
主の御業に期待してください。
ローマ117には、福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。2017)と記されています。
初めの「信仰」のギリシア語原語による前置詞は「エク」で「~から、from」の意です。次の「信仰」ギリシア語原語による前置詞は「イース」で「~の中へ、into」の意です。
三番目の「信仰」のギリシア語原語による前置詞は「エン」で「~中で、in」の意です。

 ガラテヤ516-25には次のように記されています。いくつかの日本語訳聖書を下記します。
 聖書協会共同訳(2018版)は以下の様に記しています。
“16
私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません
17
肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。この二つは互いに対立し、そのために、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。
18
霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。
19
19-21節は肉の行いのリスト(筆者挿入)〕肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、21 妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ〔別訳「酒宴」(欄外注)〕、その他このたぐいのものです。以前も言ったように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。
22
これに対して、霊の結ぶ実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、節制であり、これらを否定する律法はありません。
24
キリスト・イエスに属する者は、肉を欲情と欲望とともに十字架につけたのです
25
私たちは、霊によって〔「霊の人」という表現については、口語訳・新共同訳・聖書協会共同訳・前田訳・塚本訳・フランシスコ会訳の1コリント21531を参照(筆者挿入)〕生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。

 新改訳2017は以下のように記しています。
“16
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
17
肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。
18
御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
19
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
22
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
24
キリスト・イエスにつく者〔キリストのもの{ガラテヤ329参照}(筆者挿入)〕は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
25
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。

 この箇所で「御霊」と訳している日本語訳聖書は、新改訳、口語訳、文語訳です。リビングバイブルは聖霊と訳しています。
ギリシア語原語は、単に「霊」です。
「御霊」ではなく「霊」と訳している日本語訳聖書は、口語訳、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳、フランシスコ会訳、前田訳、塚本訳です。

 1コリント617には、・・、主と交わる者は、主と一つの霊となるのです。(聖書協会共同訳)
岩波訳は、主に接合させられる者はしかし、〔主と〕一つの霊なのである。と訳し、
新共同訳は、・・、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。と訳しています。
ここの「主」とは、復活のキリストです。

 ガラテヤ219.20.21aの聖句に対する日本語訳聖書を三つ下記します。
 新改訳2017は次のように記しています。
“19
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました〔十字架につけられてしまっている(岩波訳)〕。20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。21 私は神の恵みを無にはしません。

 前田訳は次のように記しています。
“19
わたしは神に生きるために律法によって律法に死にました。わたしはキリストとともに十字架につけられました。20 わたしはもはや生きているのでなく、わがうちにあるキリストが生きているのです。 今わたしが肉にあって生きているのは、神の子のまことによって生きている のです。 彼はわたしを愛してわたしのために自らをおささげでした。21 私は神の恩恵を無にしません。

 
聖書協会共同訳は次のように記しています。
“19
私は神に生きるために、律法によって律法によって死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。20 生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の御子の真実〔別訳「神の子への信仰」(欄外注)〕によるものです。21 私は神の恵みを無駄にはしません。

 20節の私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の御子の真実〔別訳「神の子への信仰」(欄外注)〕によるものです(聖書協会共同訳)という聖句箇所について、他の聖句から考察できる箇所の一つを下記します。

 イエス様が十字架にかかられる前の最後の晩餐での祈りです。
イエス様は次のように祈られました。
6 あなた〔御父(筆者挿入)〕が世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名〔御父ご自身がどの様な方であるかということ(筆者挿入)〕を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました〔イエスがキリストであるということを信じ通しました{ヨハネ628.29参照}(筆者挿入)〕。7 あなたがわたしに下さったものはすべて、あなたから出ていることを、今彼らは知っています8 あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった人たちのためにお願いします。彼らはあなたのものですから。10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。12 彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって、彼らを守りました。わたしが彼らを保ったので、彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためでした。13 わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。15 わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。17 真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。19 わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」(ヨハネ17章・2017

 まさしくイエス様の信仰によって、イエス様の真実によって、私たちは生かされていることを知ります。

 またヨハネ10章には次のようなイエス様の御言葉があります。
27 わたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕の羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません29 わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません30 わたしと父とは一つです。」
誠実なる御父と御子の御力によって私たちは守られているのです。
これまでの一連の文章で述べている「信仰」「真実」「誠実」等の言葉のギリシア語は「ピスティス」です。

 ガラテヤ219.20を、聖書協会共同訳を基にして自分流に解釈訳を試みてみます。
“19
私は神に生きるために、律法によって律法に死にました。生まれながらの古い私はキリストと共に十字架につけられました。20 生きているのは、もはや新生前の古い私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、原子によって構成されている肉体の中にあって生きている新生後の私は、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の御子の真実によるものです。

 ガラテヤ524の「キリスト・イエスにつく者〔キリストのもの{ガラテヤ329参照}(筆者挿入)〕は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。」という聖句や
ローマ66の「・・。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。」(口語訳)などの聖句の内容を信じ切ることが出来たとき、このことは自分のものとして実体化されるでしょう。
その後は、霊によって生きるのです。

 しかし、信じたと思っても、直ちに悪魔悪霊は、そうはさせまいと活動するのです。
即ち、悪魔悪霊は、罪を犯させようと誘惑しますし、悪魔悪霊の誘惑の段階において、その誘惑はあたかもその人自身の肉から出ていると思わせたりするのです。
そのようにして、「お前はまだきよめられていない」とたたみかけて、ガラテヤ524やローマ66の「ピスティス」から引きずり降ろそうとするのです。
これらの聖句を信じ続け、霊にあってor霊の人として歩み続けるためには、悪魔悪霊の様々な偽りや誘惑に対処していく必要があるのです。悪魔悪霊は多くの手口を用います。
それゆえ、霊を見分ける賜物の必要と、悪魔悪霊の手口を見破り、彼らを敗退させる霊的方法を自分のものとする必要があるのです。

それらを継続しないと、瞬時的聖化も継続しないでしょう。
また、瞬時的聖化にあずかっても、その後成熟を目指すのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたから遣わされた天使は、「きよい者はますますきよくなるのです。」(黙示録2211・リビングバイブル訳)と語りました。
瞬時的聖化にあずかれる人は少ないでしょうが、いずれにしても聖き歩みの継続こそ大切であり、いつも主と共に歩んでいけば、主は必ずそのようにしてくださいますから御名を賛美します。
栄光から栄光へと主と同じ姿へと変えてくださる主の御名を崇め、感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
救いと聖化を混同しないようにお願いします。
救いは、キリスト・イエス様を信じるだけ(心にお迎えするだけ)で成就します。
救われたら永遠のいのちを持っています。
聖化は、救われた後の歩みと関係するものです。

2021年11月30日 (火)

キリスト者に与えられた恵み10/聖化3

 聖化とは何なのでしょうか?

キリスト者が「聖化される」というのは、キリストと似た者とされていくこと、を言うものと思います。
 1ヨハネ31-3には次のように記されています。
“1
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
2
愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします2017)とあります。

 次に、エフェソの信徒(エペソ人)への手紙4章に記されている箇所を抜粋しながら下記します。
“1
そこで、主に結ばれて囚人となっているわたし〔パウロ(筆者挿入)〕はあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み
:2
一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい愛をもって互いに忍耐し
3
平和のきずなで結ばれて、霊〔「御霊」(新改訳)、「聖霊」(口語訳)〕による一致を保つように努めなさい
4
体〔キリストの体。{1コリント1227、エペソ123参照}(筆者挿入)〕は一つ、霊〔「御霊」(口語訳・新改訳)〕は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望〔栄光の望み=栄化(筆者挿入)〕にあずかるようにと招かれているのと同じです。
5
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、〔“one Lord, one faith, one baptism”(NKJV)〕
6
すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。/
13
ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです
14
こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、
15
むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます
16
キリストにより、体〔キリストの体=教会(筆者挿入)〕全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分〔個々人のキリスト者(筆者挿入)〕は分に応じて働いて体〔キリストの体=教会(筆者挿入)〕を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
17
そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、18 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。19 そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。
20
しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。/
22
だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
23
心の底から新たにされて、〔直訳は「心の霊において新しくされ」。「心」と訳されている語のギリシア語原語は、「ヌース」で、心、知性、理解、理解力etc.の意があります。理解力の霊によって新しくされ、とも読めます。「真理の御霊によって新しくされ」ということかもしれません。(筆者挿入)〕
24
神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません
25
だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
26
怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません
27
悪魔にすきを与えてはなりません
28
盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得困っている人々に分け与えるようにしなさい。
29
悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい
30
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
31
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい
32
互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい(新共同訳)とあります。

 回心したばかりのキリスト者が、一瞬の内に主なる神様が願っているような心の状態を持ち、かつ歩むということは、普通は無理なことです。
聖書を読みながら、一つ一つ、主に示されたことを悔い改め、主に変えていただき続けるという漸次的聖化の歩みをするのが一般的でしょう。

 神の御旨を歩むことが出来るように変えていただく歩み、それは聖化されていく歩みです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この世にも、「這(は)えば立て、立てば歩めの親心」などという言葉がありますが、キリスト者に対して、あなたは、主を信じて救われたら、聖化されてキリストの姿に似た者とされていくことをお求めであることを聖書から教えられます。少しずつでもキリストに似た者とさせて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月29日 (月)

キリスト者に与えられた恵み9/聖化2

4.良心のきよめ
 ヘブライ(ヘブル)914には次のように記されています。
 新共同訳は、・・、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業(わざ)から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。と訳し、
 2017は、・・、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。と訳し、
 聖書協会共同訳は、・・、永遠の霊によってご自身を傷のない者として神に献げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ行いから清め、生ける神に仕える者としないでしょうかと訳しています。

 ヘブル(ヘブライ)1022を諸日本語訳聖書は次のように記しています。
 口語訳は、心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。と訳し、
 新共同訳は、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。と訳し、
 聖書協会共同訳は、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって〔別訳「全き信仰をもって」(欄外注)〕、真心から神に〔「神に」は補足(欄外注)〕近づこうではありませんか。と訳し、
 2017は、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。と訳しています。

 ヘブル914より、良心をきよめるのはキリストの血であることが分かります。
ヘブル1022の聖句をギリシア語聖書(TR)で見ると、2017の「血が振りかけられて」という言葉がありませんが、2017の底本にはあるのかor訳者により補足されているのか分かりませんが、ヘブル1019からの文脈やヘブル914の聖句からみて、もし「血が振りかけられて」という語が訳者の補足であったとしてもそれは妥当であり、理解しやすくなっていると思います。

 キリストの血は、良心をきよめるのです。

 良心とは、善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き。とデジタル大辞泉に記されています。

 良心をキリストの血によってきよめられた人とそうでない人の大きな違いは何でしょうか?
良心をキリストの血によってきよめられた人は、「キリストを信じないことは罪である」(ヨハネ169)と言うでしょう。
良心をキリストの血によってきよめられた人は、キリストは神でありまた人ともなられたお方、また神の御子であるお方、唯一の救い主であるお方と信じることに何の疑問もないでしょうし、またキリストのことばを正しいことばであると受け入れることができるでしょう。
 それでは、イスラム教の人はどうでしょうか?
イスラム教徒の親の中には、自分の子どもがキリストを信じたらイスラム教の良心に照らして、子どもを殺すということをする人もいます。
これはヤハウェ(主)からすると汚れた良心です。
 共産主義思想100%の人がいたとします。
その人は無神論です。神を信じるというのは邪道であり罪です。
これも汚れた良心でしょう。
 第二次大戦時、思想の問題によって捕らえられたキリスト者たちがいました。
その時の尋問の中に、「天皇とキリストとどちらが偉いか」というものがあったそうです。
「キリストです。」と答えると有罪です。
有罪宣告した人の良心は、汚れた良心です。

 聖書的倫理観を間違っているとする良心は汚れた良心です。
心にキリストの血の注ぎを受けると、良心がきよめられ、聖書に記されていることを正しいと考えることが出来るようになるのです。

 パウロは幾度もキリスト信仰の故に逮捕されました。
パウロは法廷で、「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって〔全くきよい良心をもって(新改訳第三版)〕、神の前に生きてきました。」(使徒2312017)と証言しています。
それに対して大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じたのです(使徒232)。
大祭司アナニヤは、キリストが神の子であり、救い主であるということを信じていないのです。アナニヤは、ユダヤ教の大祭司でありながら、そしてパウロと同じ聖書(当時は今でいう旧約聖書)を持っていながら、キリストの血の注ぎを受けていないために、聖書を正しく読むことが出来ず、キリストが神の子であり、救い主である、と信じることの出来ない穢れた良心を持っていたのです。その点において、大祭司アナニヤは、善を悪としている汚れた良心の持ち主であることを明らかにしています。

 唯一の真の神であり三一の神であるお方が善とすることを善とすることができるためにはキリストの血の注ぎを受けて良心をきよめて頂く必要があるのです。
 良心がキリストの血によってきよめられると、まことの神の御目から見て正しい善悪の判断が出来るようになるのです。そして、神が「善」とすることを正しいこととし、神が「悪」とすることを悪いことと判断することが出来るようになるのです。
 ヒューマニズム的に生きている人は、聖書の中には善いことも書いてあるけれども、受け入れられないことも書いてあると言うでしょう。それはその人の良心がキリストの血によってきよめられていないからです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
キリストの血によって良心がきよめられないと、聖書を読んでも、あなたの御命令に従って歩むということができないことは当然のことであることを教えてくださっておられますから感謝します。
パウロの様に「私は今日まで、あくまでもきよい良心にしたがって、神の前に生きてきました。」と言える可能性を与えてくださっておられますことを感謝します。
パウロのように言えるためには、自分自身を聖別し、毎瞬毎瞬聖霊によって歩む必要を覚えます。
常に聖霊に満たされて歩むことができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

明日に続く

2021年11月28日 (日)

キリスト者に与えられた恵み8/聖化1

 聖化の定義は諸説ありますが、聖化については、聖別、聖、聖化の過程、・・、等について分けながら見ていくと分かり易いのではないかと思います。
表題にあるように、キリスト者に与えられた恵み、という観点で述べていきます。

1.聖別
 1コリント11.2には、
“1
神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、
2
コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。(新共同訳)

 新共同訳が、「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と訳した箇所を、
 2017は、「キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ」と訳し、
 口語訳は、「キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ」と訳しています。

 コリント教会は、様々な種類の罪の故に、パウロからきびしい指導を受けた教会です。
パウロは、その手紙の冒頭で、「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と記しているのです。
コリント教会の人々の中には、キリスト・イエスを信じた後でも、キリスト・イエスを信じていない人たちよりも行いが悪かった人たちがいたのです。
パウロは、その人たちに対しても、「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と記しているのです。
この人達は、この時点で、行いがきよくあったというのではなく、神のものとして聖別されている、ということをパウロは述べているのです。

 神様は如何なる方法で私たちを聖別したのでしょうか?
ヘブライ(ヘブル)1010.14には次のように記されています。
“10
・・、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。/14 実に、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者としてくださったのです。(聖書協会共同訳)

 神様は、神である御子が、人間の肉体を纏い、キリストの肉体において罪の贖いを成し遂げ、キリストを信じた者(キリストを心にお迎えした者)を神のものへと聖別してくださったのです。これは回心のときに神様がなさってくださったことです。それ故、キリスト様を心にお迎えした者(キリストを信じた者)は、神へと聖別されているのです。

 ヘブル1010の聖句によって、心の思い、意思、感情と行いとが、瞬時的に全く聖とされるというのは間違った捕らえ方ではないかと思います。この聖句は、キリスト者の立場について述べているものであると私は考えます。

2.神は聖です。
 「神は聖」という項目は、聖化の中に入るわけではありませんが、「神は聖である」という概念が分からないと聖化もわからないのではないかと思い、ここに入れることにします。
 聖書辞典は、
「聖」を表す〈ヘ〉コーデシュの原意は「分離」であり、「聖」とは,ある二者の間に分離がある状態を指している。聖が神の属性として用いられる時、神がすべての被造物から隔絶していること、悪や罪からも全く分離していることを指す。聖はまた神の栄光(レビ10:3)や正義とさばき(詩篇99:3)と関係づけて用いられている。(抜粋)と述べています。

 レビ103に、ヤハウェ(主)ご自身が、「私は聖なるもの」と出て来ますが、更に理解しやすいためにレビ101-3を下記します。
“1
さて、アロンの子ナダブとアビフはそれぞれ自分の火皿を取り、中に火を入れ、上に香を盛って、主が彼らに命じたものではない異なる火を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に献げた。
2
すると火が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前から出て来て、彼らを焼き尽くした。それで彼らは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で死んだ。
3
モーセはアロンに言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がお告げになったことはこうだ。『わたしに近くある者たちによって、わたしは自分が聖であることを示し、民全体に向けてわたしは自分の栄光を現す。』」アロンは黙っていた。2017)とあります。
 3節の『 』内を聖書協会共同訳は、『私に近づく者によって、私が聖なる者であることを示し、民全体の前に栄光を現す。』と訳しています。

 詩篇993は次のように記されています。
 2017は、大いなる恐れ多い御名をほめたたえよ。主は聖なる方2017)と訳し、
 新共同訳は、御名の大いなること、畏るべきことを告白せよ。主は聖なる方。と訳し、
 口語訳は、彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名をほめたたえるであろう。主は聖でいらせられると訳しています。

3.キリストがキリスト者の「聖」となってくださったということ
 1コリント130には次のように記されています。
 新改訳第三版は、・・あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。と訳し、
 口語訳は、あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。と訳し、
 新共同訳は、神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。と訳し、
 新改訳2017は、・・、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。と訳し、
 聖書協会共同訳は、あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。と訳しています。

 驚くべきことに、というか大いなる感謝というべきか、この聖句は、御父が、キリスト者をキリストの内に置いた、ということです。それ故、御父はキリストを通してキリスト者を見てくださるということです。
別の言い方をすると、キリストの義、キリストの聖が、キリスト者に転嫁された、ということになります。
キリスト者は、キリスト者の実際の心のありようとか行いには関係なく、キリストの内に置かれている故に聖であると見なされているのです。

 今日の箇所は、神が聖であられ、絶対的主権者であられるヤハウェ(主)というお名前の唯一の神が、キリスト者を聖別した、ということを中心に述べました。
明日に続く

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
キリスト・イエス様を信じさせて頂けて感謝します。
キリスト・イエス様を信じた時に、あなたのものとして聖別してくださり、キリストの内に置いて下さり、キリストの聖を転嫁してくださいましたことを感謝します。
あなたの御厚意にふさわしい歩みをしていくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<転嫁>について
転嫁というと、この世で多く用いられるのは、「責任の転嫁」という言葉で、「自分の罪・責任などを他になすりつけること」ですが、今日の箇所は、私たちにとって素晴らしく良いものである転嫁です。
 聖書辞典は次のように述べています。
〔転嫁とは、(筆者挿入)〕何かをある者に「帰する」ことや他のものと「見なす」こと(レビ253117:4)を意味するものと考えられるが、最も重要な概念はキリストの義を人間のものと見なす神の行為に関する表現としてである。これは原罪、贖い、義認の3つの聖書の教理の背後にあるものであり、第1はアダムの罪の子孫への転嫁であり、創3章とそれに続く人類の堕落の歴史に示されている。次は信じる者の罪がキリストに転嫁されることで、旧約のいけにえの制度は新約のキリストにおける贖いの予型であった(イザヤ536.11)。人間は本来罪人であり、義とはなり得ない者であるが、神の義がキリストの十字架の贖いにより人間に転嫁されて、罪人であるが、義と「見なされる」のである。さらに信じる者に対するキリストの義の転嫁があり、義認は行いによらず価なしに与えられる(ローマ3245:15、ガラテヤ216)。この概念はプロテスタント教会の特質であって、ローマ・カトリック教会の言う義の注入(義が一つの実体としてとらえられ、それが神から人間へと注入されることによって人間が義となるという説)による成義(義化)とは異なる。とあります。
〔義が注入されたら、正しい思い、正しい行動を取ることができるでしょう。しかし、無意識のうちに正しい行動をとることができるようにして頂けるのは、時間軸でいうと、黙示録198まで待つ必要があると私は考えています。(筆者挿入)〕

2021年11月27日 (土)

キリスト者に与えられた恵み7/永遠のいのち

 永遠のいのちに関するいくつかの聖句を列挙します。
「永遠」のギリシア語原語は「アイオーニオス」、「いのち」のギリシア語原語は「ゾーエー」です。

1.ヨハネ3:15.16
 “15 それは、信じる者〔彼を信じる者(口語訳)〕がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”(2017)

 15節の「人の子にあって」の「あって」のギリシア語原語は「イース」で“into, in”の意です。15.16節の「彼(御子)を信じる」の原語を直訳すると「彼(御子)の中へと信じる」となります。御子の中に入り込むイメージです。知的に「私は、あなたが神の御子であることに同意します。」というのとは違うのです。

2.ヨハネ3:36
 “御子を信じる者は永遠のいのちを持っている”(2017)

 「御子を信じる」と訳されている語のギリシア語原語の元々の意味は、ヨハネ3:15.16と同じです。

 信じるということについて、ヨハネ1:12は、「受け入れる」ということと同じであることを教えてくれています。それはまた、イエス様ご自身が、ヨハネ6:54に記されている御言葉で明らかにしていることです。

3.ヨハネ5:24
 “まことに、まことに〔「まことに」のギリシア語原語は「アーメン」(筆者挿入)〕、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。”(2017)

4.ヨハネ6:39.40
 “わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」”(2017)

5.ヨハネ6:54
 “わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。”(2017)

6.ヨハネ10:27-30
 “27わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。29 わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。30 わたしと父とは一つです。」”(2017) 

7.ヨハネ17:2.3
 “あなた〔御父(筆者挿入)〕は子〔御子イエス・キリスト(筆者挿入)〕に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。”(2017)

 「イエス・キリストを知ることです」の「知る」という語のギリシア語原語は「ギノースコー」で「(知的に)知る、理解する」の意もありますが、聖書で「知る」と表現するときには、「(男女の関係の中で)知る、すなわち肉体関係を持つ」、の意にも使われています。」
キリストとキリスト者の関係は霊的なものですから、1コリント6:17の「・・主と交わる者は、主と一つの霊となるのです。」(聖書協会共同訳)ということを指しているのではないかと思います。

8.1ヨハネ5:10-13、20
 “10 神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。神を信じない者は、神を偽り者としています。神が御子について証しされた証言を信じていないからです。11 その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。13 神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。/20 また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。”(2017)

 11節に、永遠のいのちは「御子の内にある」と記されています。三一の神は永遠のお方です。ですから、御父のみならず御子の内にも永遠のいのちがあるのです。その御子の霊と私たちの新生させて頂いた霊が「一つの霊となる」(1コリント6:17)のですから、キリスト者の霊は永遠のいのちをキリストにあって、また神から生まれた即ち新生した霊(ヨハネ3:3.6、ヤコブ1:18、1ペテロ1:3.23、ヨハネ6:63)として持っているのだろうと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
イエス様を知ることを得させてくださり、永遠のいのちを与えてくださいましたことを感謝します。
今は霊において、主と一つ霊とされ、霊において永遠のいのちを与えられ、主の中で安息していますが、やがてキリストの空中再臨の折には、永遠に滅びることなく栄光に輝く霊の体をも与えてくださいますからありがとうございます。
限りないあなたの御愛、御恵みの故にあなたの御名をほめたたえ、感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月26日 (金)

キリスト者に与えられた恵み6/三一の神とキリスト者の霊の関係を中心として

 三一の神とキリスト者の霊の関係を中心としていくつかの聖句を列挙します。

 A.キリスト者はキリストの内に(in)在るといういくつかの聖句
1.ヨハネ14:20
 “その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。”(2017)
“At that day you will know that I am in My Father, and you in Me, and I in you.”(NKJV)
2.ローマ6:11
 “同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。”(2017)
“Likewise you also, reckon yourselves to be dead indeed to sin, but alive to God in Christ Jesus our Lord.”
3.ローマ8:1
 “こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。”(2017)
“There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus,”(NKJV)
4.1コリント1:30
“しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。”(2017)
“But of Him you are in Christ Jesus, who became for us wisdom from God-and righteousness and sanctification and redemption-”(NKJV)
5.2コリント5:17
 “ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。”(2017)
“Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; old things have passed away; behold, all things have become new.”(NKJV)
6.エペソ1:4
 “すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。”(2017)〔この方とはキリスト(筆者挿入)〕
“just as He chose us in Him before the foundation of the world, that we should be holy and without blame before Him in love,”(NKJV)
7.コロサイ2:10
 “あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。”(2017)
 “and you are complete in Him, who is the head of all principality and power.”(NKJV)

 B.キリスト、或いは聖霊、或いは父なる神がキリスト者の内に(in)おられるといういくつかの聖句
1.ヨハネ14:20
 “その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。”(2017)
“At that day you will know that I am in My Father, and you in Me, and I in you.”(NKJV)
2.ローマ8:10
 “もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。”(口語訳)
“But if Christ is in you, your body is dead because of sin, yet your spirit is alive because of righteousness.”(NIV)
3.ガラテヤ2:20
 “もはや私〔生まれながらの私(筆者挿入)〕が生きているのではなく、キリストが私の〔新生した私の霊の(筆者挿入)〕うちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのち〔「肉体の中で生きている命」すなわち霊(筆者挿入)〕は、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰〔直訳は「御子の信仰」(筆者挿入)〕によるのです。”(2017)〔この箇所の筆者挿入の解釈は筆者のものですのでそのまま信じずにご勘案ください(筆者挿入)〕
“I have been crucified with Christ; it is no longer I who live, but Christ lives in me; and the life which I now live in the flesh I live by faith in the Son of God, who loved me and gave Himself for me.”(NKJV)
4.コロサイ1:27
 “この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。”(2017)
“To them God willed to make known what are the riches of the glory of this mystery among the Gentiles: which is Christ in you, the hope of glory.”(NKJV)
5.1コリント13:5
 “あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。あなたがたが不適格な者なら別ですが。”(2017)
“Examine yourselves as to whether you are in the faith. Test yourselves. Do you not know yourselves, that Jesus Christ is in you?-unless indeed you are disqualified.”(NKJV)
6.ガラテヤ4:6
 “このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。”(口語訳)
“Because you are sons, God sent the Spirit of his Son into our hearts, the Spirit who calls out, <"Abba>,”(NIV)
7.1ヨハネ4:13 神と人との相互内住
 “神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。”(新共同訳)
“By this we know that we abide in Him, and He in us, because He has given us of His Spirit.”(NKJV)
8.ヨハネ14:23
 “イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたち〔御父と御子(筆者挿入)〕はその人のところに来て、その人とともに住みます。”(2017)
“Jesus answered and said to him, "If anyone loves Me, he will keep My word; and My Father will love him, and We will come to him and make Our home with him.”(NKJV)
9.1コリント6:19
 “知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。”(新共同訳)
“Or do you not know that your body is the temple of the Holy Spirit who is in you, whom you have from God, and you are not your own?”(NKJV)
10.1コリント3:16
 “あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。”(新共同訳)
“Do you not know that you are the temple of God and that the Spirit of God dwells in you?”(NKJV)

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私たちキリスト者は主の内に置かれ、主の霊が私たちの内に住んでくださっておられますことを感謝します。
1コリント6:19.20に、「・・。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(新共同訳)と記されているように、神の栄光を現すような歩みをすることができますよう助けてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月25日 (木)

キリスト者に与えられた恵み5/キリストとの結合

 キリストとキリスト者の結合について

 三一の神とキリスト者の結合的関わりについて、聖書は、色々な表現で語っておられます。
ぶどうの木と枝、キリストの体とその肢体、土台と建物、頭と体、夫と妻等です。

 ここでは夫と妻の関係を取り上げます。
キリストとキリスト者の結合とは、霊におけるものです。
 1コリント6:17には、
“主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(2017)と記されています。
新共同訳は、“主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。”と訳しています。

 結びつきは、霊におけるものであり、魂において一つとか、肉体において一つなどとは書かれていません。魂がきよめられていかないと、霊において一つということがなかなか理解できません。
キリストの救いにあずかった時に、魂は救われます(1ペテロ1:9)が、救われた当初から霊の人になるわけではなく、救われた初期の頃のたましいは、私の体験上では肉の支配下にあることの方が圧倒的に多いのです。

 少し脱線しますが 
新共同訳の表現に基づく、➀霊の人、➁肉の人(新生していても魂が肉に支配されている人)、③ただの人(新生していない人、生まれながらの人間)について記されている箇所を下記します。
 1コリント2:6-3:3には次のように記されています。
“2:6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。
7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
8 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
9 しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。 2:10 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
〔新共同訳の“霊”という表記について:新共同訳の凡例の箇所に、底本の字義通り『霊』と訳した箇所のうち、『聖霊』あるいは『神の霊』『主の霊』が意味されている場合には、“霊”とした、という意が述べられています。(筆者挿入)〕
11 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
13 そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。
14 自然の人〔新生していない人(筆者挿入)〕は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。
15 霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
16 「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。
3:1 兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。
2 わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。
3 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。”
〔肉の人とは、魂が救われたとはいえ、その性質の変化がわずかで生まれながらの性向を有している人のことであると筆者は考えています。参考箇所ガラテヤ5:19-23(筆者挿入)〕

 本論に戻ります。
次に結婚について、主は次のように語られました。
“・・・。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。”(マタイ19:4.5・2017)と記されています。
これは、体についてのことですが、キリストとキリスト者とは、霊において一つになる、というものです。

 パウロは、夫と妻のありようについて語っている中で、キリストとキリスト者(新生した者)の総体(エクレシア、教会)について次のように述べています。
 “21 キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
22 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
23 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。
24 また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
25 夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
26 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、
27 しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。
28 そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。
29 わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。
30 わたしたちは、キリストの体の一部なのです。
31 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」
32 この神秘〔「奥義」(新改訳、口語訳)〕は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。”(エペソ5章・新共同訳)

 結婚の奥義とは、キリストとキリスト者の総体(新生した者たちの集まりであるエクレシア)のことを指し示している、というのです。
それが見える形で実現するときのことが、黙示録19章に次のように記されています。
“6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。私たちの神である主〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕、全能者が王となられた。
7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊〔御子キリスト(筆者挿入)〕の婚礼の時が来て、花嫁〔エクレシア(筆者挿入)〕は用意ができたのだから。
8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
9 御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。”(2017)とあります。

 この情景は、終わりのラッパ(1コリント15:52)即ち神のラッパ(1テサロニケ4:16)が吹かれた時に霊の体を与えられたキリスト者が天に引き上げられた後、数年たってからの出来事です。

 神のラッパ(終わりのラッパ)が吹かれる以前、特に、まだ地上に置かれている(遣わされている)キリスト者にとってのキリストとの結びつきの関係は、霊におけるものです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇め賛美します。
あなたの子どもとしてふさわしく歩むことができますようお整え下さい。
現在は霊においてですが、キリスト様と結ばれていることを感謝します。
キリスト・イエス様を愛し、お従いし続ける者としてお整え下さい。
やがて霊の体を与えられ、旧約の聖徒たちや天使たちに祝福されながら花婿キリスト様と婚礼の儀を持たせて頂けますことを感謝します。
この驚くべき恵みに何と感謝したらよいのでしょう。
地上に遣わされている間、できる限り、主を愛して主に従い続けて歩むことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月24日 (水)

キリスト者に与えられた恵み4/神の子ども3

 「神の子ども」という表現を時間軸上で考えてみます。

1.天地創造の前から、神である主は、キリスト者を神の子どもとすることにしていました。
エペソ14.5には、
“4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。(新共同訳)と記されています。
5
節には、「神の子にする」(フュイオセシア)とあります。
人がどうのこうのではなく、神である主のご計画です。
人の側からすると、神から与えられた恵みです。神からの一方的なgiftです。

2.個人の経験としては、キリスト・イエス様を信じた時に、新生{神の霊からの誕生(ヨハネ33.61ペテロ13、ヤコブ118)}させて頂けたことによって、神から霊の誕生をしたのです。
そしてそれは、キリスト・イエス様を信じた時(心に受け入れたとき)に経験したのです(ガラテヤ326)。

 上記の聖句を下記します。 
 ヨハネ33.6 “3イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」6肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。(新共同訳) 
 ➁1ペテロ13 “・・・。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。”(2017) 
 ③ヤコブ118 御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさる為です。(新共同訳)
 ④ガラテヤ326 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。(口語訳)
〔「あなたがたは皆、キリストイエスの中にある信仰を通して、神の子なのです。」(筆者直訳)。そして、ヨハネ629には、「イエス答へて言ひたまふ『神の業はその遣し給へる者を信ずる是なり』」(文語訳)とあります。文語訳の文体を基に直訳すると、「イエスは答えて言われた。『神の行為とは、神が遣わした者(イエス・キリスト)の中へと(ギリシア語原語は、エイス)あなたが信じることです。』」(筆者直訳)〕

 普通、人は幼少の頃から、親が「良し」とすることを行うことによって、親に認めてもらおうとするのではないかと思います。親がそのように育てるからなのか、生まれながらのさがなのかは分かりませんが。
 ところが、キリスト・イエスによる救いは、神の業なのです。
という私も、自分が信じたのだ、と思ったものです。
ヨハネ629の聖句のみならず、
エペソ28-10には、“:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物gift)です。9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。10 実に、私たちは神の作品であって、・・・。2017)と記されています。

 恵みの上に恵みを与えられた者(ヨハネ116)、それがキリスト者です。
それ故、キリスト者は自然と主を賛美するのです(エペソ16.12.14、新共同訳の詩篇10219b)。そして主を賛美することは喜びなのです。
行いによって救われようとするのはサタンの罠(入れ知恵)ではないかとさえ私は思います。
コロサイ28に、“あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。”(2017)と記されていますから。

 注意:神の子どもが良い行いをすることは神のみ旨に叶うことです(マタイ5:48)。神の子どもでない人でもヒューマニズム的に良き行いをすることは出来ますが、神の子どもでない人が、神のみ旨に叶う良い行いをすることは出来ません(ローマ14:17、詩篇29:1、イザヤ42:8、etc.)。

3.「神の子ども」としての完成
 霊は新生によって神から誕生しましたが、キリスト者の体が、肉の体から霊の体に変えられる時は、キリストの空中再臨の時です。
関連聖句を列挙します。
 ➀1コリント15
“42
死人の復活も、また同様である。朽ちるもの〔肉の体(筆者挿入)〕でまかれ、朽ちないもの〔霊の体(筆者挿入)〕によみがえり、
43
卑しいもの〔肉の体(筆者挿入)〕でまかれ、栄光あるもの〔霊の体(筆者挿入)〕によみがえり、弱いもの〔肉の体(筆者挿入)〕でまかれ、強いもの〔霊の体(筆者挿入)〕によみがえり、
44
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
45
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダム〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕は命を与える霊となった。
46
最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。
47
第一の人〔アダム(筆者挿入)〕は地から出て土に属し、第二の人〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕は天から来る。
48
この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。
49
すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。
50
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは〔肉の体(筆者挿入)〕神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
51
ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる1テサロニケ416.17参照)。
52
というのは、ラッパ〔「神のラッパ」(1テサロニケ416)〕が響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
53
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。(口語訳)
 ➁1テサロニケ416.17
“16
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
17
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。2017
 ③ピリピ320.21
“20
しかし、私たちの国籍〔「本国」(新共同訳)〕は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21
キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだ〔肉の体(筆者挿入)〕を、ご自分の栄光に輝くからだ〔霊の体(筆者挿入)〕と同じ姿に変えてくださいます。2017

ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇め、感謝し、賛美します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名によって、アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。」(ヘブル1315・新共同訳)
「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。」(コロサイ31.2・口語訳)

2021年11月23日 (火)

キリスト者に与えられた恵み4/神の子ども2

1ヨハネ2:28-3:10及び1ヨハネ5:1.2の昨日のブログを再掲します。

 1ヨハネ2:28-3:10
“2:28 さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません。
29 あなたがたは、神が正しい方であると知っているなら、義を行う者もみな神から生まれたことが分かるはずです。
3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。
4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
5 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。
6 キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません。
7 幼子たち、だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しい方であるように、正しい人です。
8 罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました。
9 神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。
10 このことによって、神の子どもと悪魔の子どもの区別がはっきりします。義を行わない者はだれであれ、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。”(2017)
 1.2.10節の「神の子ども」の「子ども」のギリシア語原語は、「テクノン」です。
8節の「神の御子」の「子」は「フュイオス」です。

9.1ヨハネ5:1-3
“1 イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。
2 このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。
3 神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。”(2017)
“1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。
3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。”(新共同訳)
 2節の「神の子ども」の「子ども」と訳されている語のギリシア語原語は、「テクノン」です。
 ところが、1節には、「イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。」(2017)と記されています。

 次に昨日upしたガラテヤ4:4-7を再掲します。
“4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさる〔「子としての身分を授ける」(聖書協会共同訳)〕ためでした。
6 あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。”(新共同訳)
 5節の「子」に関連したギリシア語原語は「ヒュイオセシア」という語で、「子(実子)の立場に置く」ということですから、養子ということでしょう。6.7節の「子」は「フュイオス」です。 
聖書協会共同訳は5節の「子としての身分」と訳した箇所の「子」の欄外注に「直訳(養子)」と記しています。
 6節の「御子」の「子」は「フュイオス」です。
6節の「あなたがたが子であることは」の「子」は、「フュイオス」です。
「フュイオス」は御子に使われ、実子に使われているように思えます。キリストの霊はキリスト者の霊と結ばれました(1コリント6:17)。キリスト者の霊についてこの箇所では「子」(フュイオス)という単語を使っているのではないかと私は推測します。「霊から生まれたものは霊です」から(ヨハネ3:6・口語訳、新共同訳、聖書協会共同訳)。

 私の見解ですが、「子」について、簡単に言うと、
➀キリスト者の霊は、神の霊から生まれたので、霊については「フュイオス」です。
➁キリスト者の体は、肉の両親から生まれたもので、肉です。
③キリスト者の魂は、救われた(1ペテロ1:9)とはいえ、神の霊から生まれたものではありません。
それ故、キリスト者全体としては、「テクノン」(養子)ということになるのではないかと思います。
霊において、主と交わっているときには、まさに実子そのものです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
実子であろうと養子であろうと、あなたとの聖なる交わりを与えられておりますことを感謝します。
日々、あなたとの間に壁を作ってしまうことなく、いつも豊かな交わりを持ち続けて行くことができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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