日ごとの恵みⅫ

2023年5月18日 (木)

箴言22:15 愛に基づく教えと訓練

 箴言2215を、
2017
は、“愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。”と訳し、
新共同訳は、“若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭。”と訳し、
リビングバイブルは、“若者は反抗心でいっぱいですが、正しく罰すれば素直になります。”と訳しています。

 「子ども」、「若者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ナアル」で、少年、少女、子ども、若者、召使い、等の意があります。

 後半部分の「むち」と訳されている語のヘブライ語原語は「シェベト」で、原義は、「切り離された枝」で、子孫、接ぎ木の若枝、棒、木製の鞭、木の枝、細長い棒、・・等の意があります。

 箴言2215の新共同訳の前半部分には、若者の心には無知がつきもの。”と記されています。
私は、後期高齢者になっていますが、未だに知らないことだらけです。

 最初にBIBLE naviの適用注解の個所を転記します。
“幼い子どもは、何が起こるかを理解していないので、愚かで危険なことをする。知恵と一般常識は、親の良い模範だけでは伝わらない。私たちが良くなるよう神が私たちを訓練し、叱責なさるように、親は、子どもが善と悪の違いを学べるように、彼らを懲らしめなければならない。神がどのように私たちを叱責されるかについては、31112を読もう。”と記しています。
とのことですので、箴言311.12の聖句と、その箇所の適用注解をも下記します。

 箴言311.12には、
11 わが子よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。
12
父がいとしい子を叱るように、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は愛する者を叱る。”(2017)と記されています。

 BIBLE vaviの適用注解は次のように述べています。
“「懲らしめ」とは、「教え、訓練すること」を意味する。「懲らしめ」が多くの人にとって否定的な響きを持つのは、懲らしめる者たちに愛がなかったからだ。だが、神はすべての愛の源であられる。神が私たちを罰するのは、痛みを与えることを楽しむためではなく、私たちの成長に深く配慮しておられるゆえである。神は、私たちが道徳的に強く良い状態になるためには、善と悪の違いを学ばなければならないことを知っておられる。私たちはそのことを神の愛ある懲らしめによって学ぶことが出来るのだ。
 状況を後で振り返るまで、神がいつ懲らしめておられるのかを知るのは困難である。もちろん、すべての災難が直接神から来るのではない。しかし、もし私たちが神に反逆し、生活の中の罪を神が明らかにされるとき悔い改めることを拒むなら、神は私たちをご自身のもとに引き戻すために、罪悪感や危機や悪い経験を用いられる可能性がある。だが、時に、ひどい罪を犯していないときでも困難が訪れることがある。その場合は、私たちは忍耐と誠実をもって反応するべきであり、何をするべきかを神が示してくださると確信を持つべきである。”と記しています。

 BIBLE vaviの適用注解に記されている、“「懲らしめ」とは、「教え、訓練すること」を意味する。・・・・神は・・・愛の源であられる。”という個所がありますが、この個所を書きながら、エペソ51.2の個所に関する私の体験を思い起こしました。
その証は、2013811 ()付の、「トミーの聖書理解」に次のようにあります。
その時のお祈りをも含めて転記します。

“エペソ5:1.2
5:1こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。5:2また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(口語訳)

 私にとってこの箇所は思い出深い箇所です。

この箇所は読めば誰でも理解できる内容です。しかし、実行となるとこれまた自分の力で出来るわけはないのです。

信仰を持たせて頂いて数年が経過した頃、この箇所を読んでいたときであったと思いますが、主が優しく包み込むように御声をかけてくださったのです。

「私は、あなたを愛しているよ。あなたも愛のうちに歩みなさい。」と

私は、それによって確かに変えられました。
主のみ言葉が生きて働いてくださったのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたは偉大な方です。
あなたは御声をかけてくださり、そのおことばは、私を変えてくださいます。
あなたのお言葉は、私達の内で生きて働きます。
みことばを用いて御霊が働いてくださるのでしょう。
ありがとうございます。
主の御名によってお祈りします。アーメン”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何ゆえ御神は」(聖歌450 聖歌総合版462 新聖歌357
“1.何ゆえ御神は かかる身をも 神の子とせしか 知るを得ねど
(折り返し)* わがより頼む主は 委(ゆだ)ねたる身と魂(たま)を 守り得給(えたも)うと 確信するなり
2.何ゆえ御言葉 信ぜし時に 安きを得たるか 知るを得ねど *
3.何ゆえ主イエスを 救い主と 信じ救われしか 知るを得ねど *”

本当に大感謝です。ハレルヤ!

2023年5月17日 (水)

詩篇68:33-36 主に栄光を帰し、主を賛美せよ

詩篇6833-36には次のように記されています。
33 地にある王国よ、神〔エロヒーム(筆者挿入)〕に向かって歌え。わが主〔アドナイ(筆者挿入)〕にほめ歌を歌え〔セラ
34
 いにしえよりの天の天を駆って進む方に〔いにしえから、天の天を御される方に(2017)〕。神は声を、力強い声を発せられる。
35
 力を神〔エロヒーム(筆者挿入)〕に帰せよ。その威光はイスラエルの上に。その力は雲のかなたにある〔御力は雲の中にある(2017)〕。
36
 聖所におられる神〔エロヒーム(筆者挿入)〕こそ畏れられる方。イスラエルの神は民に力と権威を授ける方。神をたたえよ。”(聖書協会共同訳)とあります。
(新改訳、口語訳、リビングバイブルは、この個所を32-35節としています。)

 文章を書こうとする前に、以前この個所を扱った「トミーの聖書理解」{詩篇68:32-35 やがてイスラエルは高くあげられる}(2015/2/19)のところを読んでみました。
その結果、今の私は、それにあまり付け加えることがないと思い、それに加筆あるいは訂正してupしようと思いました。そのようなわけですがよろしくお願いします。

 “68:32地のもろもろの国よ、神にむかって歌え、主をほめうたえ。〔セラ
68:33
いにしえからの天の天に乗られる主にむかってほめうたえ。見よ、主はみ声を出し、力あるみ声を出される。
68:34
力を神に帰せよ。その威光はイスラエルの上にあり、その力は雲の中にある。
68:35
神はその聖所で恐るべく、イスラエルの神はその民に力と勢いとを与えられる。神はほむべきかな。(口語訳)

32節において、「地のもろもろの国よ、神にむかって歌え、主をほめうたえ。」という勧めをしています。

ダビデの時代は、イスラエル周辺のイスラエルに屈服した国々を「もろもろの国よ」と言ったかも知れません。しかし、やがて本当に全世界の国々が神に服し、神にほめ歌を歌う時が来ます。

旧約聖書のイザヤ4522-25には、
22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
23
わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。
すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い、24 わたしについて、『ただ、主にだけ、正義と力がある』と言う。
主に向かっていきりたつ者はみな、主のもとに来て恥じ入る。
25
イスラエルの子孫はみな、主によって義とされ、誇る。」(新改訳第二版)と記されています。

新約聖書のピリピ210.11には、「・・イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(新改訳第二版)と記されています。

33節の「天の天に乗られる主」を、新共同訳は、「高い天を駆って進む方」と訳しています。岩波訳は、「天なる天を駈ける方」と訳しています。

また、「主はみ声を出し、力あるみ声を出される。」とあります。

主は細き御声を出されること(1列王記1912)もあれば、神様の御声を聞くことの出来ない人にとっては、雷鳴のようにも聞こえる場合(ヨハネ1229)もあります。

34節に、「力を神に帰せよ。」とありますが、人間は、力を持てばすぐに自分が力を持った、と自分に帰してしまうのです。人間は、元来、神様が造られなかったら存在しなかった存在であるにもかかわらず、罪の中にある人間は、神様を度外視して偉くなったり、落ち込んだりするのです。

ほめたたえられる方は、万物を造られ、保持されている神様だけなのです。
神様は、万物を造られただけではなく、万物を保持することもしています。
へブル12.3には、
“・・・。神は・・・、御子によって世界を造られました。御子は・・・、その力あるみことばによって万物を保っておられます〔万物をその力ある言葉によって支えておられます(聖書協会共同訳)〕。”(2017)と記されています。

 余談になりますが、この御子は、次の様にも語りました。
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(マタイ2435、マルコ1331、ルカ21332017)と記されています。
今の天地を神様が崩壊させた後には、神様は、新天新地を創造されます。(2ペテロ310、黙示録2011、イザヤ6517、黙示録211等を参照)

話しを元に戻します。
「その威光はイスラエルの上にあり」とありますが、イスラエルが神様に従っていた時には、神様の威光はイスラエルの上にいつも輝いていました。イスラエルが神様に背いていた時は、裁きという形で、神様の栄光はイスラエルの上に輝いていました。それはこれからも同じです。

また、イエス・キリスト様の十字架と復活の故に、キリスト者の上にも神様の御栄光は輝いています。キリスト者自身はあまり気付きません。例えば、私が救われた時に、天使たちに喜びが湧き起って(ルカ157.10)、天使たちが神様をほめたたえ、神様に栄光を帰したことを私は知りませんでした(参考:黙示録512)。また、私のために祈って労してきた人たちは、その人達の内におられる神である聖霊と共に喜んだことでしょう。その時、霊的赤子である私はそれに気付きませんでした。私は救われたわずか数ヵ月後に、私が救われたのは、聖書をよく探求したからだとごう慢になりました。その瞬間、みことばを信じることが出来なくなり、救いの確信を失ったのです。その時の恐怖感は大きいものでした。私は地獄へ行ってしまうと大いなる恐怖を覚え、みことばを信じることが出来るようにと必死に祈りました。そして、信仰は主が与えてくださったものであることをその時悟らせて頂きました。その時間は短い時間でしたが、「サタンが、あなたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」(ルカ2231.32)というイエス様のおことばを聞いたのです。高慢になった瞬間に神様の許しのもと、サタンが来たのです。しかし、主イエス様のとりなし(ローマ834の最終部分)によって直ちに回復されたのです。

エペソ28.9に「・・あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」(新共同訳)とありますが、このおことばを実体験してしまったのです。今から34年前の出来事です(現在は42年くらい前になると思います)。

栄光は元々神様のものです。人が受けることは的外れであり、神様の栄光を横取りすることになります。

詩篇291.2には、“力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。聖なる装いをして主にひれ伏せ。”(2017)と記され、
詩篇1151には、「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」(新改訳第二版)と記されています。

イザヤ4811で、「わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」(新改訳)と主ご自身が語っておられます。

34節に、「その力は雲の中にある」と記されています。岩波訳の注に、この「雲」は「天」と同義とあります。新改訳第二版は、「雲の上にある」と訳しています。新共同訳は、「神の威力は雲の彼方にある」と訳しています。

「雲の中にある」という訳からは、出エジプト時の「雲の柱、火の柱」を連想しますし、また、シナイにおいての出来事、出エジプト1916-19の「三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。角笛の音が、いよいよ高くなった。モーセは語り、神は声を出して、彼に答えられた。」(新改訳第二版)という箇所を思い浮かべます。

この主が、私たちの内にもいてくださるのですから驚きです。その上、私たちは主の愛に包まれて歩ませて頂いているのですから大感謝です。もし、恐怖を携えて、主が出て来られたら、たまったものではありません。

35節に、「神はその聖所で恐るべく、イスラエルの神はその民に力と勢いとを与えられる。神はほむべきかな。」とあります。

新改訳第二版は、「神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。」と訳し、
 新共同訳は、「神よ、あなたは聖所にいまし、恐るべき方。イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る。神をたたえよ。」と訳し、
 聖書協会共同訳は、「聖所におられる神〔エロヒーム(筆者挿入)〕こそ畏れられる方。イスラエルの神は民に力と権威を授ける方。神をたたえよ。」と訳しています。

イスラエルは、世の終わりに、それまで経験したことのない様な大患難を経験します(マタイ2421.22)が、キリストの再臨後は、地上のどの諸国よりも高く上げられるのです(イザヤ21-4)。

キリスト者の総体である教会は、この時は、既に天においてキリストとの結婚式と婚宴を終了しています(黙示録196-9)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イスラエル民族は、キリストの1000年王国において、高くあげられますが、その前には神様から練られる(ダニエル1210)ことが聖書に記されています。
私達キリスト者に対しては、主は、神のみこころはあなた方がきよくなることですよ(1テサロニケ43)とお声をかけていて下さいますから感謝します。
強制的に練られるのではなく、自発的にきよくされることを求め、主の御前に立つことが出来ますよう助けていて下さい。
立場的、法的には、イエス・キリスト様の血潮によって、聖なる者とされていますことを感謝します(へブル1010)。実質的にも、練られて、それに見合った者とされていきますように(1ペテロ115)。
黙示録198には、義の衣を与えてくだるとありますから、ありがとうございます。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年5月16日 (火)

申命記13:2-6 神ヤハウェ(主)以外の預言者や夢占いをする者に従ってはならない

 申命記132-6には次のように記されています。
2 あなたの中に預言者や夢占いをする者〔「夢見る者」(2017)〕が現れ、しるしや奇跡を示し、3 その者が告げたしるしや奇跡が実現して、
「さあ、あなたの知らない他の神々に従い、仕えようではないか」と言っても、
4
 あなたは預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたがたの神、主はあなたがたを試し、あなたがたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたがたの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。
5
 あなたがたの神、主に従って歩み、主を畏れ、その戒めを守り、その声を聞いて、主に仕え、主に付き従わなければならない。
6
 預言者や夢占いをする者は、死ななければならない。そのような者は、あなたがたをエジプトの地から導き出したあなたがたの神、主に背くように語り、あなたを奴隷の家から贖い出したあなたの神、主が歩むように命じられた道から外れるようにあなたを仕向けるからである。あなたは こうして、あなたの中から悪を取り除きなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳、リビングバイブルは、1-5節となっています。)

 「預言者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ナービー」です。
主の預言者であっても、主からの御言葉を預言する者ではなくても、預言者は「ナービー」というようです。
 申命記18章に、
15 あなたの神、主は、あなたの中から、あなたの同胞の中から、私のような預言者をあなたのために立てられる。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。
16
 これは、あなたが集会の日にホレブで、あなたの神、主に
「私が死ぬことがないよう、私の神、主の声を二度と聞かず、また、この大いなる火を再び見ることのないようにしてください」
と言って求めたことによるものである。
17
 その時、主は私に言われた。
「彼らの言うことはもっともである。18 私は彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立て、その口に私の言葉を授ける。彼は私が命じるすべてのことを彼らに告げる。19 彼が私の名によって語る私の言葉に聞き従わない者がいれば、私はその責任を追及する。20 ただし、預言者が傲慢にも、私の命じていないことを私の名によって語ったり、他の神々の名によって語ったりするならば、その預言者は死ななければならない。」
21
 もしあなたが心の中で、「私たちは、その言葉が主の語られた言葉ではないことを、どのように知りえようか」と考える場合、
22
 その預言者が主の名によって語っていても、その言葉が起こらず、実現しないならば、それは主が語られた言葉ではない。預言者が傲慢さのゆえに語ったもので、恐れることはない。”(聖書協会共同訳)と記されていますが、この聖句に記されている「預言者」のヘブライ語原語は、全て「ナービー」です。

 2.3節には、“2 あなたの中に預言者や夢占いをする者が現れ、しるしや奇跡を示し、3 その者が告げたしるしや奇跡が実現して、・・・”と記されています。
その上、神ヤハウェ(主)の預言者ではなくても預言を当て、奇跡を起こすこともある、ということが、続く3節後半部分の、“「さあ、あなたの知らない他の神々に従い、仕えようではないか」と言っても、”という個所から分かります。

 神は唯一であり、三一の神以外の神と言われるものは悪魔悪霊であると聖書は教えています。
1コリント84-6には、
4 そこで、偶像に献げた肉を食べることについてですが、この世に偶像の神などはなく、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、私たちは知っています。
5
 現に多くの神々や多くの主なるものがあるように、神々と呼ばれるものが天や地にあるとしても、6 私たちには、唯一の父なる神がおられ、万物はこの神から出、私たちもこの神へと向かっています。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在しています。”(聖書協会共同訳)とあり、
 また、1コリント1019-21には、
19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像に献げた肉とは何であるとか、偶像とは何であるとか、言おうとしているのでしょうか。
20
 そうではなく、彼らが偶像に献げる物は、神ではなく悪霊に献げている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってほしくありません。
21
 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方にあずかることもできません。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 まことの神ヤハウェ(主)の預言者は、神から受けたものを人々に伝える役目であり、預言の内容はすでに語られたものもあれば、未来に起こる内容のものもあります。預言者とは、とにかく神から受けたものを語る者のことです。

 一方、神ヤハウェ(主)の預言者ではない預言者は、悪しき霊に教えられたことを語る場合もあれば、悪しき霊に憑依されて語る場合もあれば、自分の思考等の精神活動で得たもの、思いついたものを語る場合もあります。

 偽預言者について、エレミヤ23章には次のように記されています。
25 〔神ヤハウェ(主)がまことの預言者エレミヤを通して語っている個所です(筆者挿入)〕私の名で偽りを預言する預言者たちが、「私は夢を見た、私は夢を見た」と言うのを、私は聞いた。
26
 偽りを預言する預言者たちの心に、いつまで偽りがあるのだろうか。彼らは自分の心の欺き〔「心の偽りごと」(2017)、「自分で考えだしたこと」(リビングバイブル)〕を預言する者だ。
27
 彼らの先祖がバアルのゆえに私の名を忘れたように、彼らは互いに自分の夢を語って、私の民に私の名を忘れさせようともくろんでいるのだ。
28
 夢を見た預言者は夢を語るがよい。私の言葉を受けた者は私の言葉を真実をもって語らなければならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 夢占いは、占いの一種です。
ヨセフ(創世記37.39-48.50章)は、神ヤハウェ(主)からの夢を見た人です。
ダニエルは、神の霊によって、夢の解き明かしをしました。
新約時代になっても、預言の賜物を受けた人はいました。その一人にアガボという人がいました(使徒1127.28)。

しかし、聖書が完結した後には、主なる神様は、主にひたすら信頼することを求めています。
キリストの内に知恵と知識の宝のすべてが隠されているのです。
コロサイ2章には、
3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。
4
私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、だれもあなたがたを惑わすことのないようにするためです。
9
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
10
あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
多くの人は、未来について不安がある場合や将来における成功等のために預言を求めたり、占いに頼ったりすることが良くあります。
しかし、あなたは主に信頼しなさい、と教えてくださっておられますから感謝します。
いついかなる時にも、愛をもって最善を為してくださる主に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 主に信頼し、善を行え。地に住み、真実を育め。4 主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。5 あなたの道を主に任せよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。”(詩篇37篇・聖書協会共同訳)
“神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて〔別訳「神が共に働いて万事において」、「霊が共に働いて万事において」(欄外注)〕益となるということを、私たちは知っています。”(ローマ828・聖書協会共同訳)

2023年5月15日 (月)

マタイ21:33-46 神の国は神の国にふさわしいものに与えられる

 マタイ2133-46には次のように記されています。
33 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を造り、垣を巡らし、その中に搾(しぼ)り場を掘り、見張りのやぐらを建て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
34
 収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕(しもべ)たちを農夫のところへ送った。
35
 ところが、農夫たちはその僕たちを捕(つか)まえ、一人を袋叩きにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。
36
 また、前よりも多くの僕たちを送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。
37
 そこで最後に、『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。
38
 農夫たちはその息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、その財産を手に入れよう。』
39
 そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。
40
 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」
41
 彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸し出すに違いありません。」
42
 イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石。これが隅の親石となった。これは 主がなさったことで、私たちの目には不思議なこと。』
43
 だから、言っておくが、神の国はあなたがたから取り上げられ、御国にふさわしい実を結ぶ民に与えられる。
44
 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石が落ちて来た者は、押し潰される。」
45
 祭司長たちとファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気付き、46 イエスを捕(と)らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 とてもわかり易い譬えなので読んだだけで理解する人が多いのではないでしょうか。
まだ旧新約聖書を通読していない人のために、解釈を加えた訳の様にして下記してみます。

 33 父なる神様は、地上の神の国の中心地としてエルサレムを建てました。地上の神の国の人々を神の国の民としてふさわしくするようにと、その民を指導する宗教指導者も立て、彼らに神の国の民を委ねました。

 34 宗教指導者たちの指導によって、神の国の民が整えられていることを期待できるような時期に、預言者を使わしました。預言者とは、神の御言葉を預かり、神の御言葉を語る者です。

 35.36 ところがどうでしょう。王や宗教指導者たちは、預言者を迫害し、危害を加え、預言者によっては殺される者も出るという始末です。
預言者が迫害された例を少し述べてみましょう。
 2歴代誌24章には次のように記されています。
15 ヨヤダ〔エホヤダ(口語訳、新改訳)〕は年老い、生涯を全うして死んだ。百三十歳であった。16 彼は王たちと共にダビデの町に葬られた。イスラエルにおいて神とその神殿のために良いことを行ったからである。
17
 ところがヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した。その時、王は彼らの言うことを聞き入れた。
18
 彼らは先祖の神、主の神殿を捨て、アシェラと偶像に仕えた。この罪責のため、ユダとエルサレムに怒りが下った。
19
 彼らを主に立ち帰らせるため、預言者が遣わされた。預言者たちが厳しく命じても、彼らは耳を貸さなかった
20
 祭司ヨヤダの子ゼカルヤ〔ゼカリヤ(口語訳、新改訳)〕は神の霊に包まれた。彼は民を見下ろして立ち、こう言った。
「神はこう言われる。『なぜ、あなたがたは主の戒めを破るのか。あなたがたは栄えない。あなたがたが主を捨てたから、主もあなたがたを捨てる。』」21 だが、ゼカルヤに対する陰謀が企てられ、彼は王の命令により主の神殿の庭で石で打ち殺された22 ヨアシュ王は、彼の父ヨヤダが示した慈しみを思い起こさず、その息子を殺したのである。ゼカルヤは死の間際に言った。「主が御覧になり、この血の責任を追及されますように。」”(聖書協会共同訳)とあります。
 預言者エレミヤも迫害を受けました。
エレミヤ3715.16には次のように記されています。
15 高官たちはエレミヤに激怒し、彼を打ち叩き、書記官ヨナタンの家にある部屋に入れた。そこが牢獄として使われていたからである。
16
 エレミヤは丸天井のある地下牢に入れられ、長期間そこにとどまった。”(聖書協会共同訳)とあります。
 またエレミヤ386には、“そこで、彼らはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ放り込んだ。彼らはエレミヤを綱でつり降ろしたが、水溜めには水がなく泥が溜まっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。”(聖書協会共同訳)と記されています。
 アサ王は、最初の頃は預言者に従いましたが、晩年には、預言者を迫害しました。
2
歴代誌1610には、“アサは先見者〔預言者の別称(筆者挿入)〕に対して怒り、彼を獄に投じた。このことで、彼に激しい怒りを覚えたからである。この時、アサは民の中のある者たちを虐げた。”

 テキストに戻ります。
 37 そこで最後に、父なる神様は、「私の息子なら敬ってくれるだろう」と言って、自分の息子を送ったのです。それがイェシュア(イエス)でした。

 38.39 ところが、時の宗教指導者たちは、自分たちの権益を守ることと、主イエス様への妬みや憎しみのゆえに、主イエス様を十字架につけて殺したのです。
イエス様が十字架につけられたのは、エルサレムの都の外でした。

 40 裁きの時になったらどうなるのでしょう。

 41 父なる神様はエルサレムと宗教指導者たちを裁かれました。
A.D.70
年に父なる神様は、エルサレムがローマ軍に滅ぼされることを許可したのです。

 以上、イエス様のたとえ話をわかり易く書いてみました。

 42-44節には、主イエス様のまとめの御言葉が次のように記されています。
42 イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石。これが隅の親石となった。これは主がなさったことで、私たちの目には不思議なこと。』
43
 だから、言っておくが、神の国はあなたがたから取り上げられ、御国にふさわしい実を結ぶ民に与えられる。
44
 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石が落ちて来た者は、押し潰される。」”とあります。

 主イエス様こそ神の家の土台であり、上の部分を支える隅の親石であるのですが、生ける神の家を建てなければならなかった宗教指導者たちは、神のひとり子の御子であり主であるイエス様を捨てたのです。すなわち十字架につけたのです。
それ故、神の国は、神の国にふさわしい者たちに与えられました。

 44節をリビングバイブルは、“また、この真理の石につまずく者は打ち砕かれ、この石が落ちてくると、粉みじんにされます。”と意訳しています。
44
節は、キリストによる裁きを現わしているでしょう(ヨハネ522.27)。
ユダヤの宗教指導者たちは、真理を語られた主イエス様に躓(つまず)いたのです。
 また、教会時代に主イエス様を受け入れない国々、すなわち天の御国{呼び出された者たち(エクレシア)の国}以外の国々は粉みじんにされるのです。
 ダニエル2章の幻とダニエル7章の幻に記されています。
ダニエル2章には次のように記されています。
44 この王たちの時代に、天の神は永遠に滅ぼされることのない王国を興されます。その王国は、他の民に渡されることはなく、かえってこれらの王国をすべて粉砕して滅ぼし、永遠に立ち続けます。45 一つの石が人手によらずに山から切り出され、鉄と青銅と陶土と銀と金を粉砕したのを御覧になりましたが、それによって、大いなる神は、この後に何が起こるかを王様に示されたのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
 ダニエル7章には次のように記されています。
26 しかし、裁きが行われ、彼の支配権は奪われ、破壊され、滅ぼされて終わる。27 王国と支配権、天の下の国々の権威は、いと高き方の聖なる民に与えられる。その王国は永遠の王国であり、すべての支配者は彼らに仕え、服従する。”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ2145.46には次のように記されています。
45 祭司長たちとファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気付き、46 イエスを捕(と)らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。(聖書協会共同訳)とあります。

 祭司長たちとファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、語られた意味をある程度理解したたようですが、悔い改めることはなく、かえって主イエス様を殺そうとしているのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
主イエス様の御言葉を聞いて信じる者の幸いを覚えます。
主に信頼し続け、主を賛美しながら、この世の旅路を歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年5月14日 (日)

箴言22:14 主の忠告に背を向けた者に下る災い/主に従い続ける

 箴言2214を、
聖書協会共同訳は、“よその女の口は深い穴。主の憤りに触れた者はそこへと落ちる。”と訳し、
新改訳第三版は、“他国の女の口車は深い穴のようだ。主の憤りに触れた者がそこに落ち込む。”と訳しています。

 冒頭に「よその女」(聖書協会共同訳)、「他国の女」(新改訳第三版)とありますが、このように訳されている語のヘブライ語原語は、「ズールト」で、「ズール」は、(滞在場所のために)「向きを変える」というのが原義のようで、外国人、見なれない、神聖を汚す、不敬の、口汚い、ばちあたりな、世俗的な、卑俗な、娼婦、・・等の意があります。

 リビングバイブルは、“娼婦は危険な罠、主にのろわれた者は、その罠に簡単に引っかかります。”と訳しています。

 主に背を向け、主の教えを踏みにじる歩みをする人に対し、主は怒ります。その人は主と断絶しているので、簡単に、主が、「してはいけない」と言われる罠に陥り、抜け出せなくなる、というような感じの聖句でしょう。

 イスラエルは、地上の神の国でしたから、全てのイスラエル人は、地上における神の民でした。ですから、この聖句は、リビングバイブル訳の様に考えられていたのかもしれません。

 この「他国の女の口は深い穴のようだ。主の憤りに触れた者がそこに落ち込む。」という聖句は、ソロモンの箴言と言われていますが、ソロモン自身が、この聖句を実演してしまったのです。
 1列王記11章には次のように記されています。
1 ソロモン王はファラオの娘をはじめとして、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。
2
 これらの国民について、主はかつてイスラエルの人々に、
「あなたがたは彼らと結婚してはならない。また彼らもあなたがたと結婚してはならない。 さもなければ、必ずやこれらの国民が、あなたがたの心をその神々へと向けさせるだろう」と言われた。〔申命記72-5、出エジプト2331-33、出エジプト3412-16等を参照(筆者挿入)〕
だがそれにもかかわらず、ソロモンはこうした者たちを愛して離れることがなかった。
3
 彼には多くの妻、すなわち、七百人の王妃と三百人の側室がいた。この女たちが彼の心を誤らせたのである。
4
 ソロモンが年老いたとき、女たちは彼の心を、他の神々へと向けさせた。彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主に対して誠実ではなかった。
5
 ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべきものミルコムに付き従って行った。
6
 ソロモンは、主の目に悪とされることを行い、父ダビデと異なり、主に従い通すことはなかった。〔ソロモンは、主の教えに背き、さらに偶像礼拝をおこない、よりによって人身御供迄も許可したのです。(筆者挿入)〕
7
 その頃ソロモンは、モアブの憎むべきものケモシュと、アンモン人の憎むべきものモレクのために、エルサレムに面した山に高き所を設けていた。
8
 また、あらゆる外国の女たちのためにも同じようなことをしたので、彼女たちは自分の神々に香をたき、いけにえを献げていた。
9
 ソロモンの心がイスラエルの神、主から離れて行ってしまったので、主はソロモンに怒りを発せられた。主はかつて二度ソロモンに現れ〔1列王記3592(筆者挿入)〕、10 このことについて、「他の神々に従ってはならない」と命じられていた。しかし彼は主が命じられたことを守らなかったのである。
11
 そこで主はソロモンに言われた。
「あなたはこのようなことをして、私が命じた契約と掟を守らなかった。それゆえ私は、必ずあなたの王国を引き裂き、あなたの家臣に分け与える。
12
 ただ、あなたが生きている間は、あなたの父ダビデに免じてそうしないでおく。私が王国を引き裂くのは、あなたの息子の代である。
13
 ただし、王国すべてを引き裂くというのではない。わが僕ダビデに免じ、また私が選んだエルサレムに免じて、あなたの息子には一つの部族を与えることにする。」
 14 主はソロモンに敵対する者として、エドム人ハダドを起こされた。彼はエドムの王家の血筋を引く者であった。/
23
 また、神はソロモンに敵対する者として、エルヤダの子レゾンを起こされた。彼は自分の主君、ツォバの王ハダドエゼルから逃げ出した者で、24 ダビデがツォバの人々を殺害したとき、自分のもとに人々を集めて、一群の長となった者である。彼らはダマスコに行ってそこに住み、ダマスコを支配した。25 レゾンは、ソロモンが生きている間中、絶えずイスラエルに敵対し、ハダドと同じように災いをもたらし、イスラエルを憎んだ。彼はまたアラムを支配した。
 26 ネバトの子ヤロブアムはエフライム人で、ツェレダの出身であった。母はすでに夫を亡くしており、名をツェルアと言った。彼はソロモンに仕えていたが、やがて王に反逆することになった。/
40
 ソロモンはヤロブアムを殺そうとしたが、ヤロブアムは直ちにエジプトに逃げた。エジプトの王シシャクのもとに逃げ、ソロモンが死ぬまでエジプトにとどまった〔ヤロブアムは、ソロモンの子レハブアムの時代に、10部族からなる北イスラエルの初代の王となりました(筆者挿入)〕。”(聖書協会共同訳)と記されています。

2コリント614-16には次のように記されています。
14 あなたがたは、不信者と、釣り合わない軛を共にしてはなりません。正義と不法とにどんな関わりがありますか。光と闇とにどんな交わりがありますか。
15
 キリストとベリアルとにどんな調和がありますか。信者と不信者とにどんな関係がありますか。
16
 神の神殿と偶像とにどんな一致がありますか。私たちは生ける神の神殿なのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
神の神殿としてふさわしく歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
コリント6章には、“18 淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、淫らな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯すのです。
19
 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
20
 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。”(聖書協会共同訳)と記されています。

2023年5月13日 (土)

詩篇68:19-22 日々、私たちを担ってくださる神

 詩篇6819-22には次のように記されています。
19 あなたは高い天に上り、捕らえた者を引いて行き、人々を貢ぎ物として、背く者さえも貢ぎ物として取られる。神である主がそこに住まわれるために。
20
 わが主をたたえよ。我らの救いの神は、日々、私たちを担ってくださる。〔セラ
21
 我らの神は救いの神。わが主は死から逃れさせてくださる神。
22
 神は必ずその敵の頭を打ち砕き、罪の内に歩む者の、髪に覆われた頭を打ち砕かれる。”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳、リビングバイブルは、聖書協会共同訳、新共同訳、フランシスコ会訳の19節が18節というように、節が1節ずつずれています。)

 20節を、
聖書協会共同訳は、“わが主をたたえよ。我らの救いの神は、日々、私たちを担ってくださる。”と訳し、
新改訳2017は、“ほむべきかな 主〔アドナイ(筆者挿入)〕。日々、私たちの重荷を担われる方。この神こそ、私たちの救い。”と訳し、
文語訳は、“日々にわれらの荷をおひたまふ主われらのすくひの神はほむべきかな”と訳しています。

 ヘブライ語聖書の語順どおりに和訳して記すと、「ほむべきかな アドナイ(主) 日々 私たちの重荷を担う 私たちの為に 神 救う(or救い)」となっています。 
それ故、新生させていただき、神の子とされた者として、親しい関係をもって関わることのできる者として訳すと、「我が主よ、日ごとに、私たちの為に、私たちの重荷を負ってくださる私たちの救いの神様。御名をほめたたえます。」(私訳)としても良いのではないかと思います。
文語訳や聖書協会共同訳が「私たちの救いの神」と訳している中核の語は、「イェシュア」(イエス)です。

 イエス様が、「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。29 私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。30 私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイ1128-30・聖書協会共同訳)と語られた御言葉の詩篇版というような個所です。

 21節には、“我らの神〔エル(筆者挿入)〕は救いの神〔エル(筆者挿入)〕。わが主〔アドナイ(筆者挿入)〕は死から逃れさせてくださる神〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。”とあります。
20
節と合わせて意味深いですね。

 マタイ1章に次のような箇所があります。
20 ・・・、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」”(聖書協会共同訳)と記されています。
 ルカ1章には次のような箇所があります。
26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27
 ダビデ家のヨセフと言う人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアと言った。
28
 天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
29
 マリアはこの言葉にひどく戸惑って、これは一体何の挨拶かと考え込んだ。
30
 すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 22節には、“神は必ずその敵の頭を打ち砕き、罪の内に歩む者の、髪に覆われた頭を打ち砕かれる。”と記されています。
前半部分に「神は必ずその敵の頭を打ち砕き」とありますが、主なる神様が、蛇に次のように言いました。
創世記315後半部分に、「彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ヘビはサタンの象徴です。
主はサタンに勝利しました。それは十字架と復活によってです。
それ故、詩篇6819を、リビングバイブルは次のように意訳しています。
“大勢の捕虜を率いて、高い所へ登っていきます。神が受ける貢物の中には、かつての反逆者からささげられたものもあります。神である主は私たちのただ中に住んでくださるのです。”(リビングバイブルは、18節)とあります。

 パウロは、詩篇6819を引用してエフェソ(エペソ)4章に次のように記しました。
7 しかし、私たち一人一人に、キリストの賜物の秤に従って、恵みが与えられています。
8
 そこで、こう言われています。
「高い所に昇るとき、捕らえた者を引いて行き、人々に贈り物を分け与えられた。」
9
 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか〔つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか(2017)〕。
10
 この降りて来られた方ご自身が、すべてのものを満たすために、あらゆる天よりもさらに高く昇られたのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 リビングバイブルはこの個所を次のように意訳しています。
7 けれども、キリストは私たち一人一人に、それぞれ賜物を与えてくださいました。ご自分の豊かな賜物の宝庫から、お心のままに与えてくださったのです。
8
聖書の詩篇の作者は、こう言っています。
「(キリストは)復活してサタンに打ち勝ち、勝利を得て天に帰られた時、人々に惜しみなく賜物をお与えになった。」(詩篇6818
9
ここで、キリストが「天に帰られた」という点に注意してください。つまり、最初は天の一番高い所におられたのに、地の一番低い所に下られたことを意味します。
10
この下って来られた方が、天に帰られたのです。それは、キリストが、底辺から頂点に至るまで、あらゆる点であらゆるものを満たすためなのです。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
主イエス様は、日々、私たちの為に、私たちの重荷を負ってくださる私たちの救いの神ですからありがとうございます。
讃美歌72節に、“委(ゆだ)ねまつる 我(わ)が重荷を 主は代りて 負い給う 悩み多き 世の旅路も 主のいませば 安けし”とありますが、日々、主は、重荷を負ってくださいますから感謝します。
1日、1日、あなたから力を与えられて歩み続けることが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
讃美歌7番は新聖歌でも7番です。

2023年5月12日 (金)

申命記12:29-13:1 サタンの罠に陥らないように/主の霊によって歩む

 申命記1229-131には次のように記されています。
29 あなたが行って追い払おうとしている国々の民を、あなたの神、主が絶やされ、あなたがその領土を得て、そこに住むようになるならば、30 注意して、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らに従って罠に陥らないようにしなさい。
すなわち、「これらの国々の民はどのように神々に仕えていたのだろう。わたしも同じようにしよう」と言って、彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい。
31
あなたの神、主に対しては彼らと同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。
1
 私があなたがたに命じる言葉を、すべて守り行いなさい。それに付け加えたり減らしたりしてはならない。〔文語訳、口語訳、新改訳、リビングバイブルは、この個所を申命記1232としています(筆者挿入)〕”(新共同訳)とあります。

 日本には八百万の神(やおよろずの神)がいると言われています。世界を見渡しても色々な神と呼ばれるものがいます。
しかし、神は唯一であると聖書は教えてくれています。
 1コリント84-6には、“・・、「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」ことを私たちは知っています。というのは、多くの神々や多くの主があるとされているように、たとえ、神々と呼ばれるものが天にも地にもあったとしても、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、この神からすべてのものは発し、この神に私たちは至るからです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、この主によってすべてのものは存在し、この主によって私たちも存在するからです。”(2017)と記され、
 1コリント1019-21には、“私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。”(新改訳第三版)と記されています。

 世の中には、キリスト者に対して、一神教に立っているから戦争が起こる、と意見する人もいますが、主イエス様の御言葉を知らない人の言葉です。
主イエス様は、「剣を取る者はみな剣で滅びます。」「剣をもとに納めなさい。」(マタイ2652)と語られました。
十字軍も間違っているし、主イエスの名による人と人の戦いは間違っているのです。
キリスト者の戦いは、悪魔悪霊との戦いであり、その戦い方も、エペソ610-18に記されています(ここに記されている以外の戦い方もありますが)。

 申命記1231には、“あなたの神、主に対しては彼らと同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。”と記されています。

 カナンの地に住んでいた民は、主がいとわれ、憎まれるあらゆることを偶像の神々、すなわち悪しき霊たちに行い、その息子、娘さえも火に投じて偽りの神々にささげたのです。

 ソロモン王は、申命記1231の教えを破りました(1列王記111-11参照)。
人身御供について、モレクの項を聖書辞典から引用します。
“モレク (〈ヘ〉molek) ヘブル語の「王」(〈ヘ〉メレク)に、「恥ずべきもの」(〈ヘ〉ボーシェス)の母音をつけて発音させたもの。偶像の総称で、「恥ずべき王」という意味かと思われる。特に、アモン人の神(11:7)を指す。ミルコムとも(11:33)、モロクとも呼ばれた(使7:43)。モレクの神殿は、エルサレムの南西にあるベン・ヒノムの谷(エレ32:35)の、トフェテ(エレ7:31)に築かれていた。それはソロモンによって建てられたもので、異教徒の妻たちのために建てられたのかもしれない(11:8)。具体的には、オリーブ山の南端と考えられ、それは「破壊の山」とも呼ばれた(Ⅰ列11:7,Ⅱ23:13)。そこに雄牛の頭を持った青銅の像が、手を突き出して立っており、モレクの信者たちは、その手の上に子供をのせ、下から火をたいていけにえとした(レビ18:21)。モレクの祭司たちは、太鼓をたたき続けて、子供の叫び声を消し、両親の悲しみを和らげたと言う。レビ記は、はっきりとモレク礼拝を禁じ、小児のいけにえを禁じているが(レビ20:2‐5)、偶像礼拝と共に受け継がれ、ユダの王ヨシヤの宗教改革で排除されるまで続けられた。イスラエルはその歴史の中で、この小児人身犠牲という、きわめて異教的で、罪悪的、非人道的儀式を何回も取り入れた。聖書の中ではユダの王アハズによって行われ(Ⅱ列16:3)、その後、マナセ王も父ヒゼキヤ王が取り壊した高き所を築き直し、ベン・ヒノムの谷で、この悪習慣を繰り返した(21:6)ことが記されている。彼らは、神が「わたしの子どもたち」と言われる幼児たちを、偶像モレクにいけにえとしてささげて「食べさせた」のである(エゼ16:20‐21)。
 北王国イスラエルの滅亡後サマリヤに移住させられたセファルワイム人の神々として、アデラメレクとアナメレクの名があげられている(Ⅱ列17:31)が、アナメレクの「アナ」は「アヌ」に通じ、バビロンの空の神と考えられ、アデラメレクの「アデラ」も「主人」の意味を持つと思われ、どちらも子供を火で焼いて、人身犠牲をするところから、「メレク」は「モレク」の変形とされ、何らかの関係があるものと考えられている。”(聖書辞典)と記されています。

 サタン(悪魔)は、神ヤハウェ(主)のようになりたい存在者です(イザヤ1412-14)。サタン(「敵対者」の意)となる前は、神ヤハウェ(主)に仕える大天使ヘイレル{ヘブライ語(英語では「ルシファー」)}であったのです。
元大天使ヘイレルが神ヤハウェ(主)に背き、サタンとなった後、ヤハウェ(主)は、彼に、「お前は穴の底に落とされる」と語られました(イザヤ1415)。このことが実現するのは、黙示録201-3に記されている時なので、大患難時代がキリストの地上再臨によって終わる時です。

 サタンは、人が罪を犯したり、神ヤハウェ(主)を罵(のの)しるようにさせたくてたまらないのです。

 神ヤハウェ(主)が、ヨブについて、「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」、とサタンに語られたとき、サタンは、神ヤハウェ(主)に何と答えたでしょうか?
サタンは、「ヨブが理由なしに神を畏れるでしょうか。あなたは彼のために、その家のために、また彼のすべての所有物のために周りに垣根を巡らしているではありませんか。あなたが彼の手の業(わざ)を祝福するので、彼の家畜は地に溢れています。しかし、あなたの手を伸ばして、彼のすべての所有物を打ってごらんなさい。彼は必ずや面と向かって、あなたを呪うに違いありません。」(ヨブ19-11・聖書協会共同訳)と語った、と記されています。
そして、サタンは悪行を働くことの許可を受け、悪行を働くのです。

 幸いなことに、新生したキリスト者は、主と結ばれた霊or主と一つとされた霊(1コリント6.17)に従って生きることの出来る恵みを与えられています。
主と一つとされた霊に従って生きるとき、どのような状態に置かれても主を畏れ敬い、主を愛し、主に従って生きることが出来るのです。
新生したキリスト者は、主イエス様が、「生きていてわたし(主イエス)を信じる者は、決して死ぬことがない。」(ヨハネ1126)ということを霊において体験しているからです。
(新生していてもこのことがよくわからない人もいますが、肉に従って歩むのではなく、霊に従って歩むようになるとよくわかるようになります。)

 新生した霊(ヨハネ33.61ペテロ13)と救われた魂(1ペテロ18.9)を持っている人は幸いです。その人は肉体の滅びやこの世のものに囚われずに生きることが出来るからです。救われたてでは無理かもしれませんが、霊に在って歩んでいくと可能になっていくでしょう。
肉体に関しては、「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ1482017)とパウロのように言うことが出来るでしょう。
主と一つとされた霊に従って生きていれば。よりどころが主の内に在れば。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
人は、何かに従って生きていきます。
つくづくあなたに従って歩ませていただける恵みをありがたく思います。
肉的な欲ではなく、あなたと共にある幸いを覚えつつ歩める恵みを与えてくださいますことを感謝します。
今日も主との相互内住の中にあって一歩一歩、歩んでいけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年5月11日 (木)

マタイ21:28-32 神の御言葉を信じ神の御意志を行う者の幸い/罪を悔い改めることの重要性

 主イエス様が語られた寓話であるマタイ2128-32を、聖書協会共同訳、新改訳2017、フランシスコ会訳、岩波訳、新共同訳、塚本訳等は、同じような訳し方をしています。ここでは、もっとも最近に発行された聖書協会共同訳2018の訳文を下記します。
 「28 ところで、あなたがたはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
29
 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
30
 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『はい、お父さん』と答えたが、出かけなかった。
31
 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄のほうです」と言うと、イエスは言われた。「よく言っておく。徴税人や娼婦たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入る。
32
 なぜなら、ヨハネが来て、義の道を示したのに、あなたがたは彼を信じず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたがたはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」と記されています。

 一方、文語訳、口語訳、新改訳初版~第三版、リビングバイブル、前田訳等は、聖書協会共同訳等とは異なる底本を用いて訳しています。代表として口語訳聖書のマタイ2128-32を下記します。
28 あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
29
すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
30
また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
31
このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
32
というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。」

 二種類のタイプの訳文において、異なる個所は、29節と30節の個所です。

 今日は、どちらの訳し方でも構わないテーマをこの個所から学ぼうと思います。
テキストとしてリビングバイブル2016版を用います。リビングバイブルは、次のように意訳しています。
28 ところで、次のような話をどう思いますか。ある人に息子が二人いました。兄のほうに『今日、農場で働いてくれ』と言うと、
29
『はい、行きます』と答えたのに、実際には行きませんでした。
30
次に、弟のほうに、『おまえも行きなさい』と言いました。弟は『いやです』と答えましたが、あとで悪かったと思い直し、農場へ出かけました。
31
二人のうち、どちらが父親の言うことを聞いたのでしょう。」
「もちろん、弟です。」彼らは答えました。
 イエスは言われました。
「確かに、悪人や売春婦たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入ります。
32
なぜなら、バプテスマのヨハネが来て、悔い改めて神に立ち返れと言った時、あなたがたはその忠告を無視しました。しかし、悪人や売春婦たちは言われたとおりにしました。あなたがたは、それを目(ま)のあたりにしながら、なお罪を捨てようとしませんでした。ですから、信じることができなかったのです。”と記しています。

 この寓話を聞いていたのは、祭司長たちや民の長老たち、パリサイ人と群衆とイエス様の弟子たちでした(マタイ212345.46参照)。

 バプテスマのヨハネが遣わされた目的とバプテスマのヨハネの言葉と、バプテスマのヨハネについての旧約聖書の預言について、マルコ11-8は次のように記しています。
1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
2
 預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、私〔父なる神(筆者挿入)〕はあなた〔御子イエス・キリスト(筆者挿入)〕より先に使者〔バプテスマのヨハネ(筆者挿入)〕を遣わす。彼はあなたの道を整える。3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣(の)べ伝えた。
5
 そこで、ユダヤの全地方とエルサレムの全住民は、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼(バプテスマ)を受けた。
6
 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、ばったと野蜜を食べていた。
7
 彼はこう宣べ伝えた。
「私よりも力のある方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8 私は水であなたがたに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は聖霊で洗礼(バプテスマ)をお授けになる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 バプテスマのヨハネについて、天使がヨハネの父親であるザカリアに語ったことばがルカ113-17に次のように記されています。
“天使は言った。
「恐れることはない。ザカリア、あなたの祈りは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。14 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。15 彼は主の前に偉大な人になり、ぶどう酒も麦の酒も飲まず、すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされ、16 イスラエルの多くの子らをその神である主に立ち帰らせる。17 彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 17節をリビングバイブルは、“「昔の預言者(神に託されたことばを伝える人)エリヤのように、たくましい霊と力にあふれて、メシヤ(ヘブル語で、救い主)の来られる前ぶれをし、人々にメシヤを迎える準備をさせます。大人には子供のような素直な心を呼び覚(さ)まし、逆らう者には信仰心を起こさせるのです。」”と意訳しています。

 マタイ2131後半~32のリビングバイブル訳(意訳)には、
“イエスは言われました。
「確かに、悪人や売春婦たちのほうが、あなたがた〔祭司長たちや民の長老たち(筆者挿入)〕より先に神の国に入ります。
32
なぜなら、バプテスマのヨハネが来て、悔い改めて神に立ち返れと言った時、あなたがたはその忠告を無視しました。しかし、悪人や売春婦たちは言われたとおりにしました。あなたがたは、それを目(ま)のあたりにしながら、なお罪を捨てようとしませんでした。ですから、信じることができなかったのです。”と記されています。

 罪を捨てようとしないと、キリスト・イエス様を心にお迎えすることが難しいことを教えてくれています。

 マルコ1章には次のように記されています。
9 その頃、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられた。
10
 そしてすぐ、水から上がっているとき、天が裂けて、霊〔「聖霊」。原語はπνευματι αγιω(筆者挿入)〕が鳩のようにご自分の中へ降って来るのを御覧になった。
11
 すると、
「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」
と言う声が、天から聞こえた。
12
 それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった。
13
 イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。
14
 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
15
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と言われた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 福音について聖書辞典は次のように述べています。
“・・・・・・・・。福音とは「良い知らせ」という意味であるが、それは神からの賜物〔贈り物(筆者挿入)〕である。それは罪の赦しと、イエス・キリストを通して買い戻されて神の子としての身分にあずかる救いである。すなわち罪の赦しと神との和解の知らせである。この意味で新約聖書に75回以上この語が使われている。
 イエスや使徒たちは福音についてさまざまな表現をしている。すなわち、「神の福音」(ロ-マ1:1,Ⅰテサ2:2,9)、「キリストの福音」(マコ1:1,ロ-マ15:19,Ⅰコリ9:12,ガラ1:7)、「神の恵みの福音」(使20:24)、「平和の福音」(エペ6:15)、「救いの福音」(エペ1:13)、「キリストの栄光にかかわる福音」(コリ4:4)などである。福音とはキリストそのものであるキリストが主であり、キリストが目的であり、キリストがそのいのちである。そのようにこの福音を主御自身が語り(マタ4:23,11:5,マコ1:14,ルカ4:18)、使徒たちも語り(使16:10,ロ-マ1:15,Ⅰコリ9:16)、そして伝道者たちも語った(使8:5)。・・・・・・・・。”(抜粋)

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
「悔い改めて、福音を信じなさい。」と主イエス様は語られました。
私が最初に改めたのは、イエス様を信じないことから信じることにしたことです。
その頃は、イエス様を信じないことが罪だとは夢にも思っていませんでした。
イエス様を信じた途端に、私の心に平安が与えられたのです。
感謝します。
それからというもの、あなたには、この罪がある、またこの罪もある、と罪をたくさん示してくださり、整えていってくださいました。
人によって救われ方は異なりますが、悔い改めて、イエス様を信じること、すなわち心にお迎えすることが、はじめの一歩であることを、この文章を読んでくださっておられる未信者の方々に届きますように。
また、主にある兄弟姉妹たちにとっては、自分の救いを思い起こし主を賛美するときでありますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
「この安きを受けし時に雨雲は晴れたり」{「心にあるこの安きを」(聖歌560、聖歌総合版584、新聖歌254)の2節の冒頭部分}

2023年5月10日 (水)

箴言22:13 主により頼み、主から力をいただいて前に進もう

 箴言2213には、“怠け者は言う。「獅子が通りにいる。私は広場で殺される」と。”(2017)とあります。
この個所をリビングバイブルは、“怠け者は、「仕事になんかとても行けない。外に出たらライオンに食い殺されるかもしれない」と言いわけします。”と意訳しています。

 似たような箴言が他にも記されています。
箴言2613には、“怠け者は「道に獅子がいる。広場に雄獅子がいる」と言う。”(2017)とあります。

 また、怠け者の生活の結果について、箴言2430-34は、
30 私は怠け者の畑のそばを、良識のない者のぶどう畑のそばを通った。
31
見よ。茨が一面に生え、いらくさが地面をおおい、その石垣は壊れていた。
32
私はこれを見て心に留め、これを見て戒めを受けた。
33
少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで横になる。
34
すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る。”(2017)と記しています。

 この個所をリビングバイブルは、
30.31 怠け者の畑のそばを通ったら、いばらと雑草だらけで柵もこわれています。
32.33
これを見て学びました。「もうちょっと眠り、もうちょっと昼寝し、もうちょっと休もう。」
34
こんな生活をしていると、どんどん貧しくなり、どうにもならなくなるということです。”と意訳しています。

 怠け者と疲れているものに対する主イエス様のお取り扱いは異なります。
疲れている人にイエス様は次のように語りました。
マルコ6章には次のように記されています。
30 さて、使徒たちはイエスのもとに集まり、自分たちがしたこと、教えたことを、残らずイエスに報告した。
31
するとイエスは彼らに言われた。
「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」
出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。”(2017)とあります。
 また、マタイ11章には次のように記されています。
28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
30
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。”(2017)とあります。

 タラントの譬えでは、主から報酬を受ける人と叱責と損害を受ける人が記されています。マタイ25章には次のように記されています。
14 天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。
15
彼はそれぞれその能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。
するとすぐに、16 五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。
17
同じように、二タラント預かった者もほかに二タラントをもうけた。
18
一方、一タラント預かった者は出て行って地面に穴を掘り、主人の金を隠した。
 19 さて、かなり時がたってから、しもべたちの主人が帰って来て彼らと清算をした。
20
すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラントを差し出して言った。『ご主人様。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、私はほかに五タラントをもうけました。』
21
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
22
二タラントの者も進み出て言った。『ご主人様。私に二タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、ほかに二タラントをもうけました。』
23
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
24
一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。25 それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください、これがあなた様の物です。』
26
しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。27 それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。28     だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。
29
だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。30 この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』”(2017)とあります。

 主に言われたことや、なさねばならないことをする気力がないときや体力のないときもあります。
その時には、主のお約束に従って力を求めるとよいのです。
使徒18には、“聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。”(2017)とあります。
また、エペソ610には、“主にあって、その大能の力によって強められなさい。”(2017)と記されています。
「主にあって」と訳されているギリシア語原語の分は、εν κυριωで、英語にすると、in the Lordとなります。
また、2テモテ21には、“・・・キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。”(2017)とあります。
「キリスト・イエスにある」という訳のギリシア語原語を英語にすると、in Christ Jesusとなります。

 私たちキリスト者の力の源泉は、主です。
「霊に燃え主に仕えよ。」(ローマ1211)とありますが、霊は燃えていても、肉(ギリシア語原語は「サルクス」)は弱いのです(マタイ2641)、とイエス様は言われました。
またパウロは、「・・・私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2017)と述べています。
この個所をリビングバイブルは、“肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなってゆきます。”と訳しています。
「衰える」と訳されているギリシア語原語は、「ディアフセイロー」で、滅びる、死ぬ、の意があります。
私の体の部品も、あちらこちらと壊れてきています。
しかし、霊は別物で永遠です。魂は、霊に従うか、肉に引きずられるかで、ありようが変わってきます。
祈りや賛美の御奉仕は、寝たきりになっても続けられます。霊の中で行えることだからです。

 いずれにしても、強くされるように主に祈り求め、主が与えてくださる中で、すなわち「主に在って」励んでいきたいものです。
主は言われます。「死に至るまで忠実なれ」(黙示録210)と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
地上に在っては、肉体の死に至るまで、主に在って忠実に歩み、天に在っては、疲れを知らない霊の体を与えられていますから、私たちを愛し続けてくださる主イエス様に、とこしえの愛をもってお従いする歩みをし続けていく者であらせてください。
父なる神、御子、御霊に、代々、御稜威(みいつ)と御栄(みさかえ)がありますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年5月 9日 (火)

詩篇68:8-12a 備えてくださる主なる神様

 詩篇688-12aには次のように記されています。
8 神よ、あなたが民に先立って出て、荒れ果てた地を行進されたとき〔セラ
9
 地は震え、天は雨を滴らせた。神、シナイの神の前に。神、イスラエルの神の前に。
10
 神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、衰え果てたご自分の民を回復させ、11 あなたの群れはその地に住む。神よ、あなたは恵み深く、苦しむ人のために備えてくださる。
12a
 わが主〔アドナイ(筆者挿入)〕が言葉を与えられる〔主はみことばを与えてくださる(2017)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳の節は、n-1節になります。)

 8.9節は、出エジプト後のこと、荒野の旅、シナイでのことを述べています。
8
節に“神よ、あなたが民に先立って出て、荒れ果てた地を行進された”とありますが、出エジプト1317-22を抜粋すると、
17 さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。18 それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。21 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。”(2017)と記されています。

 9節には、“地は震え、天は雨を滴らせた。神、シナイの神の前に。神、イスラエルの神の前に。”とありますが、出エジプト1916-18には、
16 三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。17 モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。18 シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。”(2017)と記されています。

 余談になりますが、シナイ山をホレブ山とも言います(申命記410-14参照)。
また、神ヤハウェ(主)が、モーセに現れ、エジプトからカナンの地へと導くように仰せられたのも神の山ホレブでした(出エジプト31-10)。

 私たちにあてはめて考えると、主なる神は、この世という荒野においても、歩み方を教え、先立って歩んでくださり、また、「わたしが神である主だ、私はあなたと共にいる」、と教えてくださるお方だと思います。
 主は、上におられ、前におられ、後におられ、傍らにおられ、下から支え、また、内に住んでくださっておられます。神様は霊ですから、人が理解しやすい物質世界とは異なります。

 10.11節を、聖書協会共同訳は、
10 神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、衰え果てたご自分の民を回復させ、11 あなたの群れはその地に住む。神よ、あなたは恵み深く、苦しむ人のために備えてくださる。”と訳し、
 2017は、“9 神よ、あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れたあなたのゆずりの地を堅く立てられました。10 あなたの群れはその地に住みました。神よ、あなたはいつくしみをもって苦しむ者のために備えをされました。”と訳しています。
 これはカナンの地におけることを語っているのでしょう。
主は、必要の備えをしてくださる神です。
少数の例をあげると、人を創造する前に、神様は、人に必要な物を備えられたことが創世記1章から分かります。
離散したイスラエルの民がイスラエルに戻ってくる前に、主はイスラエルの地を生活できるように準備していきました(エゼキエル36章)等があります。

 私たちキリスト者に対して主イエス様は、「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生きなさい。」(マタイ633.34・リビングバイブル)と語られました。
 パウロは自分の体験もかねてであろうと思いますが、「また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4192017)と述べています。

 12aには、“わが主〔アドナイ(筆者挿入)〕が言葉を与えられる。”(聖書協会共同訳)とあります。
2017
は、“主はみことばを与えてくださる”と訳しています。

 私たちは、肉体を養うパンだけではなく、神のことばによって生きるのです。
申命記82.3には、“あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。”(2017)と記され、
 またイエス様は、「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネ6632017)と語られ、
 使徒パウロは、“聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。”(2テモテ3162017)と手紙に書きました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの恵みを感謝します。
日々あなたの御言葉を頂けますことを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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