日ごとの恵みXⅢ

2023年7月 4日 (火)

詩篇73:1-12 まことの神を信じていない者でもこの世で成功し、主を信じる者たちを見下している者は大勢いる/キリスト者は霊的祝福に目を向ける

 詩篇731-3には次のように記されています。
1 賛歌。アサフの詩。
神はなんと恵み深いことか、イスラエルに、心の清い者たちに。
2
 それなのに私は、危うく足を滑らせ、今にも歩みを踏み誤るところだった。
3
 悪しき者の安泰を見て、驕り高ぶる者を妬んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 3節を新共同訳は、“神に逆らう者の安泰〔原語は「シャローム」(筆者挿入)〕を見て、わたしは驕る者をうらやんだ。”と訳しています。

 アサフ及びアサフ族について、聖書辞典から抜粋すると次のように記されています。
“〔アサフは(筆者挿入)〕レビ人ゲルショム族でベレクヤの子(Ⅰ歴6:39)。ダビデ時代、神の箱がオベデ・エドムの家からダビデの町に運び込まれた時、歌うたいとして抜擢された(15:19)。先見者とも呼ばれている(29:30)。
 彼の子孫はアサフ族と呼ばれ、神殿礼拝における賛美の職務を継承した(35:15,ネヘ11:22)。
 バビロン捕囚からの帰還者リストにはアサフ族の歌うたいとして128人が登録されている(エズ2:41)。事実、神殿再建の際には、民の先頭に立って賛美の務めを果した(エズ3:10‐11)。
 詩50,78‐83篇題目に「アサフの賛歌」とつけられているのは、彼らに起源があるものと思われる。これらの詩篇ではヤハウェではなく、エローヒームが神名として使われているのが特徴的である。”と述べています。

 1節に、“神はなんと恵み深いことか、イスラエルに、心の清い者たちに。”とあります。
人はどのような事柄を体験して、「神は恵み深い」と思うのでしょうか。
ある人は、財産に恵まれ、健康に恵まれ、自分の望むことを達成し、社会的に高い地位を得、この世で成功者となったことを体験して、神は恵み深い、と考えるかもしれません。
 しかし、主は、主を信じない人に対して、「たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。」(詩編4918-20・新共同訳)と語られることでしょう。
 また主イエス様は、聖書に記されている主の御言葉を信じることが出来ずに死んだ裕福な人の例を語られました。それはルカ1619-31に記されています。よみの苦しみの場所に行った金持ちは律法に記されていることを心に留めることの出来ない人でした(ルカ1627-31)。

 まことの神を信じないで成功した悪しき者についての記述が、詩篇734-12に次のように記されています。
4 彼〔「悪しき者」(聖書協会共同訳)、「神に逆らう者」(新共同訳)〕らには苦しみがなく〔別訳「死ぬまで苦しみがなく」(欄外注)〕、体も肥えて健やかである。
5
 人間の負うべき労苦もなく、人々のように打たれることもない。
6
 それゆえ、高慢が首を飾り、暴虐の衣が彼らを包む。
7
 過ちは脂肪の中からにじみ出て、悪だくみは心に溢れている。
8
 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高飛車に暴言を吐く。
9
 彼らは口を天に置き、舌は地を這(は)う。
10
 それゆえ、民はここに帰り、彼らの言葉を水のように貪る。
11
 彼らは言う。「神がどうして知っていようか。いと高き方に何の知識があろうか。」
12
 見よ、これが悪しき者。とこしえに安穏に財をなしてゆく。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「悪しき者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で「悪しき者」ですが、神ヤハウェ(主)に対する悪しき者の基本は、神ヤハウェ(主)を、まことの神と認めず、信じない者のことですから、「神に逆らう者」と新共同訳のように訳すのもありだと思います。

 この世の支配権は悪魔(サタン)が持っています。
おそらく、それは、堕罪した人たちが、まことの神である主を信ぜず、すなわち主の御言葉を信ぜず、サタンの言うことを信じるからでしょう。
1
ヨハネ519には、「私たちは〔キリスト者は(筆者挿入)〕神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にある・・。」(2017)と記されていることに合致します。
サタンについて、主イエス様は、「この世を支配する者」(ヨハネ1231)と語っておられます。サタンが逮捕されてサタンの牢に入れられるのは黙示録202.3の個所ですからキリストの地上再臨後になります。

 サタン(悪魔)は人を豊かにすることが出来ます。
サタンは、イエス様に、“・・・、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。”(マタイ48.9・新共同訳)のです。

 4-12節には、神ヤハウェ(主)を信ぜずとも、この世で財を成し、健康にも恵まれ、権力をほしいままにしているような人が描写されています。

 今まで幾度となく述べてきましたが、キリスト者に与えられた祝福は霊的なものです。
エペソ13には、“神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(新改訳第二版)と記されています。
キリスト者は、神の御性質に〔神の本性(新共同訳)〕あずかる者とされ(2ペテロ142017)、永遠の命を与えられ(ヨハネ336)、神の子どもとされているのです(1ヨハネ32)。神の子どもですから、神様は地上の必要も満たしてくださるのです(ピリピ419)。
そしてやがては、天においてキリストとの結婚式を迎えるのです。ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
常にあなたを畏れ敬い、あなたを愛し、あなたがキリスト者に対して与えて下さった約束を信じて歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月28日 (水)

マタイ23:37-39 エルサレムに対する裁きの預言と嘆き

 マタイ2337-39には次のように記されています。
37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
38
 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
39
 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うまで、今から後、決して私を見ることはない。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 37節に、「めんどりが雛を羽の下に集めるように」とありますが、主なる神様は、似たような表現をもちいます。
 申命記3210-12には、“10 主は荒れ野で、獣のほえる不毛の地で彼を見つけ、彼を抱き、いたわり、ご自分の瞳のように守られた。11 鷲がその巣を揺り動かし、雛の上を舞い、羽を広げて雛を取り、翼に乗せて運ぶように、12 ただ主だけが彼を導き、異国の神は共にいなかった。”(聖書協会共同訳)とあり、
 詩篇914には、“主はご自分の羽であなたをおおい、あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦。”(2017)と記され、
 イザヤ315には、“万軍の主は、舞い飛ぶ鳥のように、エルサレムを守る。これを守って救い出し、これを助けて解放する。”と記されています。

 上記の聖句を考え合わせると、主イエス様は、神のひとり子の御子として、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」(37)と語られたのではないかと思います。

 また37節に、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、・・・」とありますが、サンヘドリン(最高法院)で福音を証言したステパノは、その町の外に追い出され、石で打ち殺されたのでした(使徒68-760)。

 エルサレムの人々は、預言者たちを殺し、主イエス様さえも殺しました。
それは、神から託された預言者たちの神の言葉も、主イエス様をも自分たちには必要がない、ということでした。
神様は、必要がないのならば、すなわち、神様を捨てるのならば、私も同じようにしよう、ということになるのでしょう。
38
節には、「見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。」と預言されています。
「お前たちの家」とある「家」は単数形です。神殿を指しているのではないかと思います。
神様は、ご自身の家であるエルサレム神殿さえも見捨てる、と言われたのでしょう。
マルコ131.2には、
1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
2
すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」”(2017)とありますが、エルサレムは、ティトゥス率いるローマ軍によってA.D.70年に陥落したのでした。

 39節には、「言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うまで、今から後、決して私を見ることはない。」とあります。

 これは主キリスト・イエス様の地上再臨の預言でしょう。
 イザヤ5915b-21には、
15b主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。
16
主は人ひとりいないのを見、執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により、主を支えるのは主の恵みの御業。
17
主は恵みの御業を鎧としてまとい、救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい、熱情を上着として身を包まれた。
〔主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。(新改訳)〕
18
主は人の業に従って報い、刃向かう者の仇に憤りを表し、敵に報い、島々に報いを返される。
〔主は彼らの仕打ちに応じて報い、はむかう者に憤り、敵に報復し、島々にも報復をされる。(2017)〕
19
西では主の御名を畏れ、東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのように臨み、主の霊がその上を吹く。
20
主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると主は言われる。
21
これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると、主は言われる。あなたの上にあるわたしの霊、あなたの口においたわたしの言葉は、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、あなたの子孫の子孫の口からも、今も、そしてとこしえに、離れることはない、と主は言われる。”(新共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
詩篇91篇には、“1 いと高き方の隠れ場に住む者、その人は全能者の陰に宿る。
2
私は主に申し上げよう。「私の避け所私の砦、私が信頼する私の神」と。
4
主はご自分の羽であなたをおおい、あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦。”(2017)と記されていますが、三一の主なる神様を信じさせていただける恵みを心から感謝します。
主の羽の内にとどまるということは、主の御言葉の内にとどまるということにも通じるところがあることを覚えます。
いつもあなたを愛し、あなたに信頼し、あなたのみ旨の内を歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月27日 (火)

箴言23:12 御言葉を読み続け、聴き続けよう

 箴言2312には、“あなたは訓戒に心を用い、知識のことばに耳を傾けよ。”(2017)と記されています。

 BIBLE naviはこの聖句に関して次のように適用注解しています。
“知恵を得る可能性が最も高い人たちとは、聴く気のある人たちである。他者が言うことに注意を払うことは、弱さではなく強さのしるしである。聴くことに熱心な人たちは、学び続け、人生を通して成長し続ける。考えが凝り固まってしまうことを拒否するならば、私たちは常に知識の限度の幅を広げることが出来る。”と述べています。

 世の人は、訓戒や知識というと、この世の人が提供してくれているもののことを考えるのではないかと思います。
この世の人が提供してくれているものが、主の御教えに対して矛盾していなければよいのですが、この世が提供してくれるものはサタンからきているものが多いのではないかと思います。
コロサイ28には、“あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。”(2017)と記されています。
同じ個所を、
口語訳は、“あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基(もとづ)くものにすぎない。”と訳し、
新共同訳は、“人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。”と訳しています。

 また、1ヨハネ519には、“この世全体が悪い者〔悪魔(リビングバイブル)〕の支配下にあるのです。”(新共同訳)と記されています。
この個所を、口語訳は、“全世界は悪しき者の配下にある”と訳しています。

 一方、詩篇19篇には、
7 主のおしえは完全でたましいを生き返らせ、主の証しは確かで浅はかな者を賢くする。
8
主の戒めは真っ直ぐで人の心を喜ばせ、主の仰せは清らかで人の目を明るくする。
9
主からの恐れはきよくとこしえまでも変わらない。主のさばきはまことでありことごとく正しい。
10
それらは金よりも多くの純金よりも慕わしく、蜜よりも蜜蜂の巣の滴りよりも甘い。
11
あなたのしもべもそれらにより戒めを受け、それを守れば大きな報いがあります。”(2017)と記されています。
(新共同訳、聖書協会共同訳、フランシスコ会訳は、8-12節になります。)

 2コリント318には、“わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。”(新共同訳)と記されているように、キリスト者は、一人一人が変えられていきます。
 さらにキリスト者の総体であるキリストのからだは、キリストの身の丈を目指して成長していくのです。
エペソ4章には次のように記されています。
11 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
12
それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、13 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。
14
こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教(おしえ)の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
16
また、キリストを基(もとい)として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだ〔キリストのからだ(筆者挿入)〕を成長させ、 愛のうちに育てられていくのである。”(口語訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの御言葉を食し、あなたの御言葉を聴き、御言葉と共に働く御聖霊によってお整えをいただいて、日々を過ごしていく者であり続けさせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月25日 (日)

申命記16:21ー17:7 正しい礼拝/神が憎悪されるもの

 申命記1621-177には次のように記されています。
1621 あなたは、自ら造った、あなたの神、主の祭壇の傍らに、いかなるアシェラの木像も立ててはならない。
22
 あなたは、あなたの神、主が憎まれる石柱を立ててはならない。
17
1 あなたは、いかなる欠点であれ、欠陥のある牛や羊を、あなたの神、主に、いけにえとして献げてはならない。それはあなたの神、主が忌み嫌われることである。
2
 もし、あなたの中に、あなたの神、主が与える町で、男であれ女であれ、あなたの神、主の目に悪とされることを行い、契約に背き、3 他の神々のもとに行って仕え、その神々や、私が命じたこともない太陽や月や天の万象などにひれ伏す者がいて、4 そのことが伝えられ、それを聞いたならば、よく調べなさい。もしそれが確かな事実であり、忌むべきことがイスラエルの中で行われたのだとしたら、5 あなたはその悪事を行った男か女を町の門のところに引き出し、その者たちを石で打ちなさい。彼らは死ななければならない。
6
 死刑にするには、二人または三人の証人の証言によらなければならない。一人の証人の証言によって死刑にしてはならない。
7
 死刑にするにあたっては、最初に証人たちが手を下し、それからすべての民が手を下す。あなたはこうして、あなたの中から悪を除き去りなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1621には、“あなたは、自ら造った、あなたの神、主の祭壇の傍らに、いかなるアシェラの木像も立ててはならない。”とあります。

 アシェラについて聖書辞典は、“アシェラ (〈ヘ〉aserah aserah) アシュタロテと共にカナン宗教の肥沃祭儀の礼拝の対象とされていた女神で、古代オリエント全域で信奉されていた。アシェラはイスラエルにおいて、唯一の真の神ヤハウェに対する信仰が自然および自然の力を信奉する宗教に堕落する時には、必ず入り込んできた。そして至高神の妻として崇拝される偶像となった。アシェラはこのようにアシュタロテ、アナテと共に有力な女神とされ、それらの相手になる男神としては一般的にバアルがあげられている。その祭は農業宗教的要素を持ち、きわめて官能的、性的傾向に走った。後にエルサレムの神殿にアシェラ像が立ち、神殿男娼の部屋が設けられ、その像に掛ける幕を織る女たちがいたことが記されている(Ⅱ列23:7)。
モーセの律法では、「彼らの石柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒さなければならない」と命じられている(出34:13,7:5,16:21)。しかし士師時代にはすでにイスラエルの国中に雑草のごとくはびこり始めたので、主はギデオンに対してバアルの祭壇のそばに立っているアシェラ像を切り倒すように命じられた(参照士6:25‐30)。アシェラは「憎むべき像」(15:13)と言われたにもかかわらず、ヤロブアム王もレハブアム王も共にこの像を南北両王国内に導入して崇拝した(14:15,23)。”と述べています。

 22節には、“あなたは、あなたの神、主が憎まれる石柱を立ててはならない。”とあります。

 「石の柱」(石柱)について、聖書辞典は次のように述べています。
“石の柱 石の柱(〈ヘ〉マッツェーバー)は昔、さまざまな用途があった。契約を結んだ時の記念として、あるいは、しるしとして(創31:45)、記念すべき出来事を覚えるために(創31:46,ヨシ4:5‐9)、神が現れた場所の記念として等、石の柱を立てて神を礼拝した(創28:18,31:13,35:14)。ところがイスラエル人がカナンの地に定住するようになってから、石の柱はまことの神を礼拝するためにではなく、カナンのバアル神礼拝のために用いられるようになった。石の柱はバアル〔バアルは男神(筆者挿入)〕礼拝をささげる「高き所」と呼ばれる聖所に立てられ、偶像神の顕現の場所として偶像礼拝の対象とされたのである(Ⅰ列14:23)。それゆえ石の柱はバアル礼拝を意味するようになり、預言者たちによって憎むべき対象とされ、取り壊すよう命じられた(3:2,10:26‐27,18:4,23:14,Ⅱ31:1.参照出23:24,34:13,7:5,16:22)。”とあります。

 マッツェーバーには、何か置かれた物、円柱、偶像、(立っている)像、柱、等の意があります。

 申命記1621.22は、偶像礼拝を禁止する、ということです。
申命記172-7は、偶像礼拝をした者に対する処罰規定とその処刑に至る工程をどのように行うのかということが記されています。

 申命記171には、“あなたは、いかなる欠点であれ、欠陥のある牛や羊を、あなたの神、主に、いけにえとして献げてはならない。それはあなたの神、主が忌み嫌われることである。”と記されています。
 
 この聖句に関して、BIBLE naviは次の様な適用注解をしています。
“この命令があるということは、イスラエルの民の中に、そのような動物を献げる者がいたということだろう。当時も今と同じように、最も良い物を神に献げることは難しく、犠牲が大きいのだ。私たちは、ばれなければよいと思っているので、神に少なく献げるという誘惑にかられる。ささげ物は、優先順位を著している。神に残り物を献げるなら、主が私たちの人生の中心ではないことが明らかになる。給料も時間も才能も、まず最初に神に献げ、神に栄光を帰そう。”とあります。

 いけにえは、キリストの予型でした。
コロサイ216.17をリビングバイブルは次のように意訳しています。
“・・・、食べ物や飲み物のことで、あるいはユダヤ教の祭り、新月の儀式、安息日の決まりを守らないなどという問題で、だれにも批評させてはいけません。それらは、キリストが来られる前にだけ有効であった、一時的な存在にすぎないからです。つまり、キリストという本体の影でしかなかったのです。”と記しています。

 キリストに傷があれば、すなわち罪があれば、私たちの罪のためのいけにえにはなれなかったのです。罪があれば、罪を持っている自分自身のために死ぬ、ということになるからです。

 1ペテロ222-24aには、
22 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
23
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
24
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
まことの神である三一の神が、この宇宙を創り、私たちが生存できるような環境を造り、そして、私たち人間を造ってくださったお方ですから御名を賛美します。
まことの神ではない、この世の神々と言われる者たちは、あなたの栄光を横取りしようとし、人々を自分たちの方へと導きます。
ただあなただけを崇めて歩みつづける生涯であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月24日 (土)

マタイ23:29-36 「災いあれ」の8/イエス様を信じる者は救われる

 マタイ2329-36には次のように記されています。
29 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしている。
30
 そして、『もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう』などと言う。
31
 こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫だと、自ら証明している。
32
 あなたがたも、先祖たちが犯した罪の升目を満たすがよい。
33
 蛇よ、毒蛇の子らよ、どうしてあなたがたはゲヘナの裁きを免れることができようか。
34
 だから、私は預言者、知者、学者をあなたがたに遣わすが、あなたがたはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと迫害して行くであろう。
35
 こうして、正しい人アベルの血から、あなたがたが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血がことごとく、あなたがたに降りかかってくる。
36
 よく〔原語は「アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。これらの報いはみな、今の時代に降りかかってくる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 29.30節には、“29 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしている。30 そして、『もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう』などと言う。”と主イエス様は語られました。

 預言者とは、神の御言葉を預かって語る者のことです。
イエス様こそ預言の集大成をしたお方です。キリストは「神のことば」(黙示録1913)と呼ばれているお方です。
 へブル111.2には次のように記されています。
1 神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、2 この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。・・。”(2017)とあります。
 また黙示録には、“イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。/それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。”(黙示録11.2.192017)と記され、黙示録も、主キリスト・イエス様が御父から与えられ、それを使徒ヨハネに書かせたものであることがわかります。

 主イエス様の伝道に反対し続けたのは、祭司長たちや律法学者たち、ファリサイ派の人たちでした。そして、イエス・キリストを殺そうと計画し、イエス様を殺すためにローマを用いたのは祭司長たちと民の長老たちでした。
マタイ263.4には、“そのころ、祭司長たちや民の長老たちはカヤパという大祭司の邸宅に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。”(2017)と記されています。
 長老に関して、聖書辞典は、“町の長老たちは、日常の民事上、宗教上の事件を処理した(ルツ4:2‐11,エズ10:14)。これはローマ時代まで続いた(マタ21:23,26:3,47)。”と述べ、
 律法学者について、聖書辞典は、“新約聖書の中に現れる律法学者(〈ギ〉グラムマテュース)は多くの場合、祭司長やパリサイ人と並んで記されている(マタ12:38,15:1,マコ14:53)。当時のユダヤ人社会は、祭司長の属するサドカイ人と、律法学者、パリサイ人によって指導されていた。/ギリシヤ時代に入ると、祭司は異教文化にひかれ、先祖の伝えた律法に対する関心が薄らいだ。逆に学者が台頭し始めた。彼らは祭司よりも伝承に対して熱心だったので、民衆に受け入れられて教師となった。キリストの時代には、これら2つの階級の区別が明確になっていた。律法の量はしだいに膨大なものとなり、その研究と解釈は重要な仕事と見なされるようになった。また、サドカイ派とパリサイ派の分立により、律法学者はパリサイ派に属するようになった。こうして律法学者は律法を解釈し、教え、民衆に生活の規範を与えたが、イエスは律法学者やパリサイ人をきびしく告発し、彼らを公然と非難した。彼らが律法の真意を見失っていたからである(ルカ6:6‐11等)。”と述べています。

 ここで脱線しますが、大切なことを記しておきます。
イエス様は、祭司長たちや長老たちが、ご自分を十字架につけて殺そうと謀(はか)っても、十字架にかからないようにすることも出来ました。
しかし、イエス様は、ご自分から十字架にかかられたのです。
ヨハネ1018には、「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

 主イエス様は、私たちの罪の負い目を完済するために(贖うために)十字架にかかられたのですが、祭司長や民の長老たちは、それとは関係なく、自分たちの利益を守るために主イエス様を殺したのでした。

 主イエス様は、律法学者たちやファリサイ派の人々に、「あなたがたも、先祖たちが犯した罪の升目を満たすがよい。蛇よ、毒蛇の子らよ、どうしてあなたがたはゲヘナの裁きを免れることができようか。」(マタイ2332.33)と語られました。
「蛇よ、毒蛇の子らよ」というのは、悪魔(サタン)の子らよ、の意です(ヨハネ812-47参照)。

 34節には、“だから、私〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕は預言者、知者、学者をあなたがたに遣わすが、あなたがたはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと迫害して行くであろう。”と記されています。

 パウロも主の救いにあずかる前は、主イエス様を信じる者たちを迫害していく人でした。
パウロ自身が、「実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、祭司長たちから権限を受けて、多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、それに賛成の票を投じました。11 また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。」(使徒269-11・聖書協会共同訳)と証言しています。

 また、使徒68-81にはステパノ(ステファノ)の殉教のいきさつ、使徒12章には使徒ヤコブの死、ペトロ(ペテロ)への迫害等の記事が記されています。

 35.36節には、「こうして、正しい人アベルの血から、あなたがたが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血がことごとく、あなたがたに降りかかってくる。よく〔原語は「アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。これらの報いはみな、今の時代に降りかかってくる。」というイエス様の預言が記されています。

 A.D.70年には、ローマ軍によって攻められ、エルサレムは崩壊し神殿は見る影もなく無残にされたのです。
そのことは、マタイ242のイエス様の預言でも語られています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イエス様が私を贖ってくださったことを信じることが出来る祝福を与えてくださいましたことを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「われ贖われて」(聖歌463 聖歌総合版476 新聖歌264)の3
“負い目は払われ 重荷はなし きよめの血潮に 日々洗(あら)わる 贖い 贖い 我は歌わん ハレルヤ! ときわに 我は歌わん”

2023年6月23日 (金)

箴言23:10.11 主は私たちの贖い主

 箴言2310.11には次のように記されています。
10 昔からの地境を移すな。みなしごの畑を侵すな。
11
 彼らを贖う方は強い。その方が彼らに代わってあなたと争うだろう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 11節に、「贖う方」(聖書協会共同訳)とありますが、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳は「贖い主」、新共同訳は「贖う神」、と訳しています。ヘブライ語原語の語根は、「ガーアル」で、ガーアルは、英語ではredeemと訳され、弁済する、償還する、請け出す、(努力して)取り返す、(努力して)名誉などを挽回する、(身代金・賠償金を払って)身請けする、救出する、救う、贖(あがな)う、(…)補う、等の意があります。Redeemerは、贖い主、救い主、キリスト、を意味します。

 贖い主について、聖書辞典は次のように記しています。
“あがないぬし 贖い主 〈ヘ〉ゴーエール。「買い戻す者」という意味の〈ヘ〉ガーアルの分詞形。旧約聖書ではいろいろな意味で用いられている。兄弟の売った土地を買い戻す(レビ25:25)、奴隷に売られた兄弟を買い戻す(レビ25:48)、血の復讐をするものとなる(民35:19)、親戚であるやもめを買い戻す(ルツ3:13)といった近親者の義務に関係することから、みなしごの財産の保護者(箴23:10‐11)といった隣人の義務に関すること、さらには、イスラエルのヤハウェに対する関係を示して、イスラエルをエジプトから救い出すことに関して(出6:6)、捕囚から解放して帰還させることに関して(イザ43:1,44:6,24,48:20,52:9)の贖い主に用いられる。ヤハウェとの個人の関係において、悩みや敵や死から救い出すことについての用法を見ることもできる(ヨブ19:25,103:4)。”とあります。

 10節には、“昔からの地境を移すな。”とあります。
それについては、箴言2228、“昔からの地境を移してはならない。先祖の定めたものなのだから。”(2017)という個所で大意を扱いました。

 11節には、“彼らを贖う方は強い。その方が彼らに代わってあなたと争うだろう。”とあります。
 この節には、「贖う方」とありますので、「私たちを贖う方」について、少しの事柄だけですけれど、新約的に考えてみます。

 「私たちを贖う方」は、イエス・キリストです。
ローマ324には、“神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。”(2017)、と記され、
エペソ17には、“このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。”(2017)と記されています。

 贖われた人には、聖霊が与えられています。
ヨハネ14章には次のように記されています。
15 もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
16
 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
17
この方は真理の御霊です。”(2017)と記され、
真理の御霊は、聖霊であると、ヨハネ1426に、“・・、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。”(2017)と記されています。

 エペソ114には、“聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。”(2017)と記されているとともに、聖霊が与えられている人は、花婿キリストが迎えに来た時に花婿の所に連れて行ってもらえると書いてあります。
 マタイ25章には次のように記されています。
1 「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたちは、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
5
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。
6
 真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
7
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯を整えた。
8
 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。私たちの灯は消えそうです。』
9
 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
10
 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。
11
 その後で、ほかのおとめたちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
12
 しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。
13
 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」”(聖書協会共同訳)とあります。
このたとえ話の油とは聖霊のことです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
救い主イエス様に贖われ、聖霊に満たされて歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月22日 (木)

詩篇71:16-18 神の力による前進

 詩篇7116-18には次のように記されています。
16 わが主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私はあなたの力によって進みます。主よ、ひたすらあなたの正義だけをほめたたえます。
17
 神よ、若い時からあなたが教えてくださったので、今に至るまで私は奇しき業を語ってきました。
18
 神よ、私が老いて白髪になってもどうか捨て去らないでください。あなたの腕の業を、力強い業を。来るべきあらゆる代に語り伝えるその時まで。”(聖書協会共同訳)とあります。

 16節前半を2017は、“神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私はあなたの力とともに行きます。”と訳しています。

 私は、今朝は体が重くてなかなか起きることが出来ませんでした。私の心臓は、陳旧性心不全と狭心症に加齢が加わって心不全と不整脈になっていますが、このようなことは今朝に限らずよくあることです。心臓に対する治療は、西洋医学的にも漢方医学的にもしっかりと行っていますが、このような状態によくなります。
このようなときは、16節前半の、「わが主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私はあなたの力によって進みます。」(2017)という詩聖の祈りと同じ意味合いの祈りをして主から力をいただいて起き上がります。
私の場合は、主イエス様が、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒182017)と語られた聖句と、ローマ811の「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」(2017)の御言葉により頼むのです。
御聖霊は、すでに私の内に住んでくださっておられますが、御聖霊がどのように働いてくださるかは、御聖霊の自由意思です。ヨハネ38には、「プニューマ(風、霊、・・等の意)は思いのままに・・」とあるますように。

 それゆえこのようなときには、笹尾鉄三郎牧師の「今日まで守られ」の歌詞の2番と1番を混ぜ合わせた、「か弱き者をも顧みたもう 我が主の恵みはこの身に足れり いかなる折にも 愛なる神は すべてのことをば よきにし給わん」という歌詞が心を行き廻ります。

 16節後半を2017は、「あなたのただあなたの義だけを心に留めて。」と訳しています。
1
コリント130後半には、「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(新改訳初版~第三版)とあります。
そして前半部分には、「・・あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。」(新改訳初版~第三版)とあります。

 詩聖は、「あなたのただあなたの義だけを心に留めて。」と語っていますが、キリスト者は神の恵みによって、何と多くのもの、というか天にあるすべての霊的祝福(エペソ13)を受けたことでしょうか。

 それもあってか、私の心には、頻繁にA.B.Simpsonの「ただ主を」の賛美が出てきます。
“1.ただ主を崇めて ただ主に仕えん ただ主を頼りて ただ主を仰がん
(折り返し) * たたえよ ただ主を 主は 救い主 きよめ主 癒し主 王の王 主の主
2.主こそ救い主 神の子羊 我が義 我がきよき 我が力なれ *
3.主こそきよめ主 我が内きよめ 御霊の御神の住まいとし給う *
4.主こそ癒し主 主を生かしたる霊をもて 死ぬべき我が身を生かす *
5.主こそ来るべき王の王 主の主 我が花婿なれ 我は恋い慕う *”と。 

 18節には、「神よ、私が老いて白髪になってもどうか捨て去らないでください。あなたの腕の業を、力強い業を。来るべきあらゆる代に語り伝えるその時まで。」とあります。
キリスト者はなんという恵みを受けていることでしょうか。
私たちがどうであるかではなく、神様は、ご自身の御愛と、キリストの御業のゆえに、私たちキリストを信じる者たちを捨て去らないのです。
キリストを信じることが出来るのも神の恵みです。
エペソ28を口語訳は、“あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。”と訳し、
リビングバイブルは、“あなたがたは、恵みにより、キリストを信じることによって救われたのです。しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神からの賜物(贈り物)です。”と意訳しています。

 パウロは言いました。
「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。」(ローマ3362017)と。

 17.18節には、“17 神よ、若い時からあなたが教えてくださったので、今に至るまで私は奇しき業を語ってきました。18 神よ、私が老いて白髪になってもどうか捨て去らないでください。あなたの腕の業を、力強い業を。来るべきあらゆる代に語り伝えるその時まで。”と記されています。

 私も、主がその任務を与えてくださっておられる間は、主がどのようなお方であるのかを証しすることと、聖徒のための祈りを続けていきたいと願います。そのことさえも、出来るか否かは、主のみ旨にかかっていることです。

 「主が私の手を」という歌詞の中に、「いつまで歩くか どこまで行くのか 主がそのみ旨を なし給うままです」という個所があります。
地に在っても、天に移されても、主のみ旨のままに、ということです。
地に在っても天に在っても愛なる主とともにいるのです。

 今日あげた賛美は、全部YouTubeで見る(聞く)ことが出来ますよ。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
今日の個所を書きながら、今日はどうしてこんなにも体が重いのかという理由がわかりました。
感謝します。
もともと、あなたの恵みによって、この地上に置かれ、日々過ごさせていただいている身ですが、つくづくあなたのみ旨一つであることを実感させていただけます。
感謝と賛美をささげつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月20日 (火)

マタイ23:16-28 「災いあれ」の4-7/私たちをきよくしてくださる主

 マタイ2316-21には次のように記されています。
16 ものの見えない案内人、あなたがたに災いあれ。あなたがたは、『神殿にかけて誓っても、それに縛られることはない。だが、神殿の黄金にかけて 誓ったら、それを果たさねばならない』と言う。
17
 愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を聖別する神殿と、どちらが尊いか。
18
 また、『祭壇にかけて誓っても、それに縛られることはない。だが、その上の供え物にかけて誓ったら、それは果たさねばならない』と言う。
19
 ものの見えない者たち、供え物と、供え物を聖別する祭壇と、どちらが尊いか。
20
 だから、祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。
21
 神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのである。
22 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主が厳しいお言葉を投げかけている宗教指導者たちが、神との交わりを持っていなかったことがよくわかります。何がより尊いのかということも理解していなかったようです。

 マタイ2323.24には次のように記されています。
23 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、ミント、ディル、クミンの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な公正、慈悲、誠実をないがしろにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一の献げ物もないがしろにはできないが。
24
 ものの見えない案内人たち、あなたがたは、ぶよは漉して除くが、らくだは呑み込んでいる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主イエス様は、律法で規定された十分の一の献げ物を否定したのではなく、十分の一の献げ物も大切だけれども、律法の根幹である神と隣人への愛(マタイ2236-40参照)、その表れとしての公正、慈悲、誠実といった律法が教えている大切なことをないがしろにしてはいけませんよ、と教えてくださったのだと思います。

 マタイ2325-28には次のように記されています。
25 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、杯や皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちている。
26
 ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる。
27
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
28
 このようにあなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法とでいっぱいである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 人は、アダムの堕罪により罪(罪の性質)をもって生まれてくるようになりました(ローマ512)。人は生まれながらの罪人なのです。それ故、人は、「きよくなれ」と言われても、自分で自分をきよくすることなどできないのです。
神様は、人に、「きよくなりなさい」と言われますが、人にできることは、神様に、「私をきよくしてください」と自分を差し出すことだけです。
 1ペトロ(ペテロ)115.16には、
15 あなたがたを召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のあらゆる面で聖なる者となりなさい。16 「聖なる者となりなさい。私が聖なる者だからである」と書いてあるからです。”(聖書協会共同訳)と記され、
 ローマ122には、
“あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ローマ122を新改訳2017は、「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」と訳しています。

 自分で自分をきよくしようとする人は、できないことをしようとしているのですから、まじめな人ほど苦しむことになるでしょう。

 2コリント318には、“私たちは皆、顔の覆いを除かれて、主の栄光を鏡に映すように見つつ〔別訳「鏡のように映し出しながら」(欄外注)〕、栄光から栄光へと、主と同じかたち〔あるいは「像」(欄外注)〕に変えられていきます。これは主の霊の働きによるのです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 主イエス様を信じている者、すなわち心にお迎えしている者は、天に迎え入れていただける前に、主が全くきよくしてくだざいます。
 1テサロニケ523.24には次のように記されています。
:23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊と心と体とを完全に守り、私たちの主イエス・キリストが来られるとき、非の打ちどころのない者としてくださいますように。
24
 あなたがたをお招きになった方は、真実な方で、必ずそのとおりにしてくださいます。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
キリスト者は、キリストの血のゆえに、地位的にはすでに聖なる者とされています(へブル1010)が、実質的にも、主の霊によってお整えを頂けます(2コリント318)からありがとうございます。
神に愛されている子どもらしく、神に倣う者となり、愛の内を歩む者としてお整えください(エペソ51.2)。
私たちを通しても、あなたの御名が崇められますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月17日 (土)

申命記16:1-17 三大祝祭日/聖い心と聖霊の力によって

 申命記161-17には次のように記されています。
1 アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月の夜に、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出したからである。
2
 主がその名を置くために選ぶ場所で、羊、あるいは牛を過越のいけにえとして、あなたの神、主に屠りなさい。
3
 それを、種入りパンと共に食べてはならない。七日間は、種なしパン、苦しみのパンと共に食べなさい。あなたがエジプトの地を急いで出たからである。こうして、エジプトの地を出た日を、生涯にわたって思い起こしなさい。
4
 七日間、あなたの領地のどこにもパン種があってはならない。最初の日の夕方に屠った肉を朝まで残しておいてはならない。
5
 あなたの神、主があなたに与えるどの町においても、過越のいけにえを屠ってはならない。
6
 あなたの神、主がその名を置くために選ぶ場所で、夕方、日の沈む頃、あなたがエジプトを出た時刻に、過越のいけにえを屠らなければならない。
7
 あなたの神、主が選ぶ場所でそれを煮て食べ、朝になったら自分の天幕に帰りなさい。
8
 六日間、あなたは種なしパンを食べ、七日目にはあなたの神、主のために終わりの集いを開き、仕事をしてはならない。
 9 あなたは、七週を数えなければならない。麦畑に鎌を入れる時から始めて、七週を数えなさい。
10
 そして、あなたはあなたの神、主のために七週祭を祝い、あなたの神、主の祝福に応じて、あなたが献げることのできる、手ずからの自発の献げ物を献げなさい。
11
 こうしてあなたは、息子や娘、男女の奴隷、町の中にいるレビ人、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦と共に、あなたの神、主の前、すなわち あなたの神、主がその名を置くために選ぶ場所で楽しみなさい。
12
 あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を守り行いなさい。
 13 麦打ち場と搾り場からの収穫が済んだなら、七日間、仮庵祭を祝いなさい。
14
 息子や娘、男女の奴隷、町の中にいるレビ人や寄留者、孤児、寡婦と共に、この祭りの時を楽しみなさい。
15
 七日間、主が選ぶ場所で、あなたの神、主のために祭りを祝いなさい。あなたの神、主が、あなたの収穫とあなたの手の業すべてを祝福されるのだから、あなたは心から喜びなさい。
16
 年に三度、男子は皆、除酵祭と七週祭と仮庵祭のときに、主が選ぶ場所で、あなたの神、主の前に出なければならない。主の前に何も持たずに出てはならない。
17
 あなたの神、主があなたに与えられた祝福に応じて、おのおの手ずからの贈り物をしなければならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主が定めた中央の聖所での3大例祭の規定が記されています。
イスラエルについていえば次の様になります。
1,過越しの祭りと種無しパンの祭りを祝う理由は、3節に記されています。詳しくは、出エジプト121-1316に記されています。
2.七週の祭り:七週の祭りの祝い方と理由は9-12節に記されています。これは小麦の初穂の刈り入れの祭りである(レビ2316)と共に、律法を与えられた日でもあります(出エジプト1912411)。
3.仮庵の祭り:仮庵の祭りは、出エジプト後の荒野の生活を思い起こし、主の御業を思い出して感謝するとともに、秋の収穫の感謝でもありました。

 キリスト及びキリスト者と三大祭との関係
1.過越しの祭り:キリストの十字架。キリスト者はキリストの十字架の贖いのゆえに罪を赦されたのです。それに続く種なしパンを食べることは、キリストに混ぜものをしたものを食べてはならないということでした。

 イエス様は次のように語られました。ヨハネ6章には次のように記されています。
53 イエスは言われた。「よくよく〔「まことに、まことに」(2017)。原語は「アーメン、アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
54
 私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。
55
 私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。
56
 私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私の内にとどまり、私もまたその人の内にとどまる。
57
 生ける父が私をお遣わしになり、私が父によって生きるように、私を食べる者も私によって生きる。
58
 これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
59
 これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 新生している人には説明する必要のない事柄です。それは体験しているからです。

2.七週の祭り(ペンテコステ):これは聖霊降臨の日でした。その日にはだれの目にも明らかなように教会が誕生したのです。使徒21-41に記されています。

 余談になりますが、弟子たちが聖霊を受けたのは、主イエス様のご復活の日の夕方でした。ヨハネ20章には次のように記されています。
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20
 そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21
 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」
22
 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい23 誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

3.仮庵の祭り:これはキリストの千年王国の予表でしょう。
キリストの千年王国の後に、仮庵ではない新天新地を神ヤハウェ(主)が創造なさるのです(イザヤ6517、黙示録211-4)。そしてそれは永遠に続くのです(イザヤ6518)。
キリストの千年王国は地球が使われます。ただし、今の地球のままというわけではなく、山や島が移動したり(黙示録614)島々が消えたり、山々が平地{あるいは「丘」(ミカ41)}になり(黙示録1620・リビングバイブル)、エルサレムがとても高くなったり(イザヤ22、ミカ41)と色々なことが起こるのです。

 余談になりますが、そしてあくまでも想像ですが、キリストの降誕は、仮庵の祭りの頃であったかもしれません。その理由は、キリストの公生涯は三年半と言われていること、また、ヨハネ114aを聖書協会共同訳は、“言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿った〔直訳「幕屋を張った」(欄外注)〕。”と記していることです。岩波訳は、“ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。”と訳しています。{岩波訳の〔 〕内は訳者挿入です。}
とはいえ、私は、救われる人が起こされやすい現在のクリスマスの節季を大切にしています。それはまだ救われていない人の為です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
1
コリント57.8には、「新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。」(2017)と勧められているように、誠実と真実をもって主を礼拝し、主に仕え、また、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒182017)とあるように、聖霊の力によって歩み続ける者であらせてください。
肉体は衰えますが(2コリント416)、霊的にはますます強められて日々歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月16日 (金)

マタイ23:13-15 「災いあれ」の1-3/天国に入る方法は主イエス・キリストを信じることのみ

 マタイ2313-15には次のように記されています。
13 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
14
(底本に節が欠落 異本訳)律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。だからあなたたちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。
15
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。”(新共同訳)とあります。

 この個所をリビングバイブルは次のように意訳しています。
13 ああ、いまわしいパリサイ人、ユダヤ教の指導者たち。あなたがたは偽善者です。神の国に入ろうとしている人たちのじゃまをし、自分でも入ろうとはしないのです。
14
町の大通りで、見栄(みえ)のための長い祈りをし、聖者のようなふりをしながら、未亡人の家を食いものにしています。偽善者たち。
15
そうです。あなたがたのような偽善者こそいまわしいものです。たった一人の改宗者(ユダヤ教に転向する人)をつくるために、どんな遠くへでもせっせと出かけて行くが、結局その人を、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうのです。”とあります。

 13aに、“律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。”(聖書協会共同訳)とあります。
「不幸」(新共同訳、フランシスコ会訳)と訳されているギリシア語原は「ウーアイ」で、悲哀、苦悩、悲痛、悩み、災い、災難、悲痛な事柄等の意があります。
口語訳、新改訳、聖書協会共同訳は、「わざわい」と訳しています。
マタイ53-12には、8つの「幸い」が記されていましたが、マタイ2313-36には8つの「不幸orわざわい」が記されています。
8
つのわざわい(不幸)と言っても、14節は、古い写本には記されていません。
ここでは、14節も一つのわざわいとして記しておきます。

 13節を、聖書協会共同訳は、“律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、人々の前で天の国を閉ざしている。自分が入らないばかりか、 入ろうとする人をも入らせない。”と訳し、
 新改訳2017は、“わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。”と訳しています。

 律法学者たちとファリサイ派の人々が、主イエス様に、「災いあれ」と言われた内容の第一は、人々が天国に入れないように活動しているということでした。

 天国に入れる方法には、二つの方法がありました。
一つは、律法をすべて守ることでした。どの程度守ればよいのでしょう。
程度問題ではなく、完璧に守る必要があったのです。
このことは、罪の性質をもって生まれた人間にはできないことでした。そのことをパウロはローマ7章で語り、また、ローマ512には、“・・、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。”(新共同訳)と記されています。

 天国に入るもう一つの方法は、主イエス様を信じることでした。
救いは、主イエス様を信じること、ただそれだけです。
ところがこれが結構難しいのです。
多くの人は、何らかの行いに頼ろうとします。
たとえ、赤子のイエス様を出産したマリアでさえ、主イエス様を、主として信じなければ、救われないのです。
 マルコ3章には次のように記されています。
20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
21
 身内の人たちはイエスのことを聞いて、取り押さえに来た。「気が変になっている」と思ったからである。/
31
 イエスの母ときょうだいたちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
32
 時に、群衆がイエスの周りに座っていた。「御覧なさい。お母様と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、33 イエスは、「私の母、私のきょうだいとは誰か」と答え、34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここに私の母、私のきょうだいがいる。
35
 神の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 35節に、「神の御心を行う人」とありますが、その第一歩は、御子であり、主であり、救い主であるイエス・キリスト様を信じることです。主イエス・キリスト様を信じれば、永遠の命が与えられるのです。
 主イエス様は、「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(ヨハネ6.402017)と語られたと記されています。

 律法学者やファリサイ派の人々(パリサイ人たち)は、イエスが御子であり、キリストであり、救い主であることを否定し、自分たちが教える教えを強要したのです。
同じことは、教会歴史の中でも繰り返し見られたものです。
免罪符を買えば、罪が赦される、とか、山上の垂訓を守らなくては救われない、とか、その他色々あります。
それでは、主イエス様が十字架上で流された血は、価値のないものになってしまいます。

 イエス様の贖いは完了したのです。イエス様の贖いは成し遂げられたのです。それはヨハネ1930に記されています。
エペソ17には、“わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。”(新共同訳)と記されている通りです。

 神様が望んでおられる善き行いは、イエス・キリスト様の救いにあずからないと行えないのです。
エペソ28-10には次のように記されています。
:8 あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物です。
9
 行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためです。
10
 私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私たちも間違ったことを教えて、「災いだ」と言われないようお守りください。
あなたの御言葉から外れたことを言ってしまいませんように。
また主の恵みによって御言葉を実行するものとしてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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