日ごとの恵みⅩⅢ

2023年7月 5日 (水)

箴言23:17.18 人をうらやむな、キリスト者の将来には驚くべき祝福が待っている

 箴言2317.18には次のように記されています。
17 心で罪人を妬むことなどせず、日夜、主を畏れよ。18 そうすれば、未来もあり、希望が絶たれることもない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 BIBLE naviはこの個所の適用注解として、
“神の律法に対する責任に妨げられずに成功している者たちに嫉妬することはたやすい。ある期間、彼らは、神が望んでおられることには何の注意も払わずに栄えているように思えるが、彼らに未来はないのだ。神に従う者たちには、神は希望と素晴らしい未来を約束してくださる。たとえ地上でそれが達成できなくても。”と述べています。

 主なる神様が、キリスト者に最終的に用意して下さったものとは、今の世界、今の宇宙が主によって滅ぼされ、新天新地においてとこしえに主と共に生活するということです。

 将来、キリスト者(新生している人)に主が用意しておられる内容は、
1.キリストの空中再臨に伴う携挙{(突然のことなのでいつ起こるかわかりません。この時に霊のからだを頂けます。)マタイ24361コリント1552、1テサロニケ413-17
2.天におけるキリストの裁きの座における裁き{(キリスト者の救い、永遠の命は確定しています。報いのための裁定)2コリント510、マタイ2514-30、ルカ1911-27、ヨハネ3361126
3.花婿キリストと花嫁教会(恵みの時代に新生させていただいたキリスト者の総体)との婚礼、それに続く婚宴(黙示録196-9
4.キリストに従って地上再臨する(黙示録1914、ユダ14.15節)
5.キリストの千年王国時代が始まり、キリストと共に1000年間統治する(マタイ13432テモテ212a、黙示録2226.273211テサロニケ417b
6.現在の宇宙の崩壊とその後の新天新地の創造(2ペテロ3713、イザヤ65176622a、マタイ2435a、黙示録211
7.新天新地における聖なる都エルサレムにおいて御父及び御子と共にとこしえに住む(黙示録211-225

 キリスト者は、この世にあっては旅人であり寄留者です。
1
ペテロ211には、“愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。”(2017)と記されています。
また、へブル1222には、“ ・・あなたがたは、シオンの山に近づいているのです。そこは生ける神の都、天にあるエルサレムであり、無数の天使たちが楽しげに集う所です。”(リビングバイブル)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私たちキリスト者にとっての地上生活は、寄留者としての生活であり、私たちの永遠の住まいは、イエス様が、「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ142.32017)と語られたように天のエルサレムですから感謝します。
いつも主イエス様に心を留めながら地上の日々を歩みつづけていけますように。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(へブル122a2017)と勧められているように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 3日 (月)

申命記18:1-8 レビ人と祭司に関する規定

 申命記181-8には次のように記されています。
1 レビ人である祭司、レビ族のすべての者には、イスラエルのような割り当て地や相続地がない。それで、彼らは主への火による献げ物を相続分として食べることができる。
2
 同胞の中には、彼の相続地はない。主の語られたとおり、主が彼の相続地である。
3
 祭司が民から、牛でも羊でも、いけにえを屠る民から受け取ることのできるものは次のとおりである。肩と両頬と胃は祭司に与えられる。
4
 穀物、新しいぶどう酒、新しいオリーブ油の初物、および羊毛の初物も、彼に与えられる。
5
 あなたの神、主が全部族の中から彼を選び、彼とその子らを主の名によっていつまでも仕えるようにと立てられたからである。
6
 レビ人は望むままに、彼が寄留している、イスラエルのすべての人々のどの町からもやって来て、主が選ぶ場所に移ることができる。
7
 彼は、主の前に立っているレビ人、すなわち自分のすべての兄弟と同じように、彼の神、主の名によって仕えることができる。
8
 先祖の財産を売って得たものとは別に、取り分は取り分として、彼らは食べることができる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1.2節には、“レビ人である祭司、レビ族のすべての者には、イスラエルのような割り当て地や相続地がない。それで、彼らは主への火による献げ物を相続分として食べることができる。
2
 同胞の中には、彼の相続地はない。主の語られたとおり、主が彼の相続地である。”とあります。

ヤコブ(父はイサク、祖父はアブラハム)の子の内には12人の男子がいました。12人の内の一人にレビがいました。そのレビを祖とするのがレビ部族です。レビ部族には、カナンの地における割り当ての地が与えられませんでした。土地が与えられれば、与えられた地からの産物で生活することができますが、レビ部族の人はそのような方法で生きていくことは出来なかったのです。

 レビ人はどうなってしまうのでしょうか。
2
節の後半部分に記されているように、ヤハウェ(主)がレビ人の相続地であったのです。それゆえ1節の後半部分には、“彼らは主への火による献げ物を相続分として食べることができる。”と記されています。

リビングバイブルは、2節を、“主のものはみな頂けるのですから、相続地を受ける必要はありません。それが主の御約束です。”と訳しています。

どうしてレビ人は神様のものを頂けるのでしょうか。

5節をリビングバイブルは、“主はすべての部族の中からレビ人を、代々主に仕える者としてお選びになったのです。”と記しています。

 3.4節には、祭司〔レビ人である祭司(1節)〕、がいただける分を次のように記しています。
3 祭司が民から、牛でも羊でも、いけにえを屠る民から受け取ることのできるものは次のとおりである。肩と両頬と胃は祭司に与えられる。
4
 穀物、新しいぶどう酒、新しいオリーブ油の初物、および羊毛の初物も、彼に与えられる。”とあります。

6-8節をリビングバイブルは、“レビ人はイスラエルのどこに住んでいようと、いつでも聖所に来てかまいません。そこで仕えているほかのレビ人と全く同様に、彼らの神、主の御名によって仕事ができます。そして同じように、いけにえやささげ物の分配も受けられます。貧しいからではなく、受ける権利があるからです。”と訳しています。

新約の時代になって、パウロは、1コリント913.14に、「あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。」(新共同訳)と記しました。

教会時代においては、福音を宣べ伝える人たちは、教会員が主なる神様に捧げた物の中から生活の資を受ける権利があると、パウロは述べています。

 新約聖書では、キリスト者は全員が祭司であると次の様に記されています。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司〔王である祭司(2017)〕、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現〔栄誉(2017)〕を、あなたがたが広く伝えるためです。」(1ペトロ29・聖書協会共同訳)とあります。

 余談になりますが、キリスト者は、全員が祭司の働きをします。
少なくともとりなしの祈りをし、福音を伝えるでしょう。
新約のキリスト者は明確に主を相続したのです。主がその人の内に住んでくださっておられるのですから。
キリストの内にはすべての霊的な知恵と知識の宝が隠されているのです(コロサイ23)。
キリスト者とは、新生したものです。新生は霊における話です(ヨハネ33.61ペテロ13、ヤコブ118)。
新生した人の魂は、新しく生まれたのではなく救われたのです(1ペテロ18.9
キリスト者がまとっている肉体は、何も新しくなっていませんし、救われてもいません。体は、キリストの現われの時(空中再臨の時)に霊のからだとして頂けるのです。
地上のからだは衰えるのです(2コリント416)。

 教職者は、主に在って教会に仕えて、主から肉の糧を頂きますが、一般信徒は祭司でもありますが、主に在って主に導かれた仕事をすることによって肉の糧を頂きます(1テサロニケ411.122テサロニケ310)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのみ旨に従って生活する者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 2日 (日)

マタイ24:1.2 神殿崩壊の予告/キリスト者は主の宮

 マタイ241.2には次のように記されています。
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
2
 イエスは言われた。「このすべての物に見とれているのか。よく〔原語は「アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所の並行個所であるマルコの福音書にはこの質問をしたのは一人の人だと記されています。
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんと見事な石、なんと立派な建物でしょう。」
2
 イエスは言われた。「この大きな建物に見とれているのか。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(マルコ13章・聖書協会共同訳)とあります。

 神殿崩壊の原因は628日のブログに記しましたが、再度述べますと、それは御子であるイエス様をユダヤ人たちが受け入れなかったからです。マタイ2337-39を塚本訳は次のように訳しています。〔( )内は訳者の挿入です〕
37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。
38
そら、『お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。』
39
お前たちに言っておく、お前たちが(わたしを迎えて)、『主の御名にて来られる方に祝福あれ。』と言う時まで、わたしを見ることは今後決してないであろう。」”と記されています。

 エルサレム神殿の崩壊は、ユダヤ人の多くが神のことばであるキリスト、神のひとり子であるキリスト、すなわち神を受け入れなかったからですが、人間の目にはどのように映るのでしょう。

 ウィキペディアは「エルサレム攻囲戦」について次のように記しています。
“エルサレム攻囲戦(エルサレムこういせん、英語: Siege of Jerusalem)は、西暦70年にエルサレムを巡って起こった攻城戦。ユダヤ属州のユダヤ人とローマ帝国の間に起こったユダヤ戦争(第一次ユダヤ戦争)の決戦になった。この戦いでローマ軍は、ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て籠もっていたエルサレムを陥落させ、市街のほか、聖地であるエルサレム神殿も破壊された。一部のユダヤ人はマサダ砦に逃れ、73年に玉砕するまで戦い続けた。
 エルサレムの喪失で本拠地を失ったユダヤ民族は各地に離散した。神殿の崩壊した日は民族の悲劇の日とされ、今でもティシュアー・ベ=アーブと呼ばれる悲しみの記念日とされている。神殿の破壊を描いた絵画や、題材にした文学も現代まで数多く創作された。”とあり、

 また、「エルサレム攻囲戦」についてもう少し詳しく次のように記しています。
“過越の祭の数日前である70年の414日に、ティトゥス率いるローマ軍のエルサレム攻囲戦が開始された。ティトゥスは第5軍団マケドニカ、第12軍団フルミナタ、第15軍団アポリナリスの3つの軍団を市の西面に、第10軍団フレテンシスを市の東のオリーブ山に配置し、エルサレムを包囲していた。ティトゥスはエルサレムに対し水と食糧の供給を絶つ兵糧攻めを行った。ティトゥスは過越の祭でエルサレムに来る巡礼には入市を認めたが、一方で彼らが市から出ることは認めなかったため、市内の人口は増え続け食糧不足は深刻になった。
 ユダヤ人は当初は有利に戦ったが、エルサレム市内ではシカリウス派を率いるシモン・バル・ギオラ、熱心党を率いるエルアザル・ベン・シモン、ギスカラのヨハネといった指導者が並立して争いを繰り広げ、一つにまとまることがなかった。またユダヤ人側には規律、訓練、戦いの準備が欠けていたことも攻囲戦にあたっての弱みになった。

ユダヤ人の反撃でローマ軍に多数の死者が出ると、ティトゥスはユダヤ人の元指導者で歴史家のヨセフス・ベン・マタティア(フラウィウス・ヨセフス)をエルサレムを守るユダヤ人たちの元へ送り交渉を行わせた。しかしユダヤ人らは矢を放って交渉人たちを追い払い、さらに反撃を行った。ティトゥスはこの際の奇襲攻撃によりすんでのところで捕まるところであった。
 5月半ば、ティトゥスは新たに築かれた第3城壁を破城槌で破壊し始め、第2城壁同様に突破口を開いた。その後、攻撃を神殿の丘のすぐ北にあるアントニウス要塞へと向けた。ローマ兵は市街地に入り、熱心党らユダヤ人と戦いながら町の通りで戦った。熱心党には犠牲者を多く出さないよう神殿への退却が命令された。この戦いの後、フラウィウス・ヨセフスは交渉に再度失敗し、ローマ軍もアントニウス要塞攻略のための攻城塔建設に失敗している。市内の水や食糧など必要物資はますます少なくなったが、食糧徴発部隊が市の内外をこっそり行き来して物資を運んでおり、途中でローマ軍に対する攻撃も行った。彼らの出入りを阻止するため、ティトゥスは新たな壁の建設を始め、攻城塔の建設も再開させた。
 その後ローマ軍は何度もアントニウス要塞の城壁に突破口を開けようとしたが失敗し、最後には夜間の奇襲攻撃を行って眠る守備兵を倒し、ついに要塞を陥落させた。要塞は神殿を見下ろすように建っており、神殿攻撃の絶好の地点であった。破城槌による城壁攻撃は進まなかったが、戦闘中にローマ兵が燃える棒を神殿の城壁の上にばら撒いたことにより、城壁自体が炎上した。
 ヘロデ大王が築いた巨大なエルサレム神殿(第二神殿)をどうするかについては、フラウィウス・ヨセフスによればティトゥスには当初破壊する意思はなく、そのままローマ皇帝やローマの諸神に捧げる神殿へと作り変えるつもりだったと考えられている。しかし神殿に移り始めた火の勢いは留まることを知らず、8月末に完全に倒壊した。この日は奇しくも、ソロモン王の建てた最初のエルサレム神殿が破壊されたティシュアー・ベ=アーブの日であった。このとき焼け残った神殿の壁の一部が、現代ユダヤ人にとっても聖地の「嘆きの壁」である。
 火はさらに住宅地区へも燃え広がった。ローマ兵は市街地でのユダヤ人たちの抵抗を抑えていった。ユダヤ人たちのうち一部は秘密のトンネルで市内を脱出し、一部はさらに市街地の城壁で囲まれた一角に立て篭もった。この抵抗によりローマ軍の勢いは停止し、また攻城塔を造る羽目になった。
 エルサレム市をローマ軍が完全に制圧したのは97日のことであった。ユダヤ戦争はこの後、エルサレムから逃亡したユダヤ人勢力を各地でローマ軍が掃討する段階に入った。”とあります。

 余談になりますが、第一神殿であるソロモンの神殿が主に捨てられた時の、主に捨てられた原因と神殿破壊について2歴代誌3611-20は次のように記しています。
11 ゼデキヤは二十一歳で王位につき、十一年間エルサレムで統治した。
12
 彼は自分の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪とされることを行い、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。
13
 彼はまた、神にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になってその心をかたくなにし、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に立ち帰らなかった。
14
 祭司長たちと民のすべても諸国民のあらゆる忌むべきことに倣って背信の罪を重ね、エルサレムで主が聖別された神殿を汚した。
15
 先祖の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその民と住まいを憐れみ、彼らに御使い〔「使者」(2017)〕を日々繰り返し遣わされたが、16 民は神の使いを弄(もてあそ)び、その言葉を侮り、預言者を嘲笑した。それゆえ、民に対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の憤りは、もはやとどめようがなくなるまでになった。
17
 主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め上らせた。王は若者たちを聖所の中で剣にかけて殺し、若者もおとめも、弱った老人も容赦しなかった。 主はすべての者を彼の手に渡された。
18
 彼は神殿の大小のあらゆる祭具、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の宝物、王とその高官たちの宝物、それらすべてをバビロンに運び去った。
19
 カルデア人は、神殿を火で焼き、エルサレムの城壁を破壊し、宮殿を焼き払い、貴重な器すべてを粉々にした。
20
 彼はまた、剣を免(まぬが)れた生き残りの者をバビロンに連れ去った。この人々は、ペルシアの王国が統治するようになるまで、バビロンの王とその息子たちの僕となった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 エルサレムの崩壊は、地上の神の民が主を捨てたからでした。
レビ26章には次のように記されています。
14 しかし私に聞き従わず、これらの戒めをすべて守らないなら、15 しかも、私の掟をないがしろにし、私の法を心から嫌い、私の戒めをすべて守らず、私の契約を破るなら、/
27
 それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら、28 私は激しい憤りであなたがたに逆らって歩み、その罪に七倍の懲らしめを加える。
29
 あなたがたは自分の息子の肉を食らい、娘の肉を食(は)む。
30
 私はあなたがたの高き所を破壊し、香の祭壇を倒す。あなたがたの偶像の残骸の上にあなたがたの死骸を置き、私はあなたがたを忌み嫌う。
31
 あなたがたの町を廃虚とし、聖所を荒らし、宥めの香りを嗅ぐことはない。
32
 私が地を荒らすと、そこにいるあなたがたの敵はそれを見て驚く。
33
 私はあなたがたを諸国民の中に追い散らし、背後で剣を抜く。地は荒れ果て、町は廃虚と化す。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨハネ169には、“罪とは私〔キリスト(筆者挿入)〕を信じないことです。”(リビングバイブル)と記されています。
そして、ローマ95には、“キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
神の民が神様を捨てたことによって、神様は、神様が民と交わるために建てさせた神殿をも棄てられたことを覚えます。
キリスト者の場合は、キリスト者自身が神の神殿です。
私たちキリスト者を神様が住みやすいようにきよめてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主(しゅ)を崇めて」(聖歌520 聖歌総合版538 新聖歌427)の3節には次のようにあります。
“主(しゅ)こそ きよめ主(ぬし) わが内(うち)きよめ 御霊の御神の住まいとし給う たたえよ ただ主(しゅ)を 主(しゅ)は救い主(ぬし) きよめ主(ぬし) 癒し主(ぬし) 王の王 主(しゅ)の主(しゅ)”

2023年7月 1日 (土)

箴言23:13-16 苦しみにあったことは私にとって幸いでした

 箴言2313-16
 2017
は、
13 子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。
14
あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる。
15
わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、
16
あなたの唇が公正を語るなら、私の心は喜びに躍る。”と訳し、
 聖書協会共同訳は、
13 若者を諭すことをためらってはならない。杖(つえ)で打っても死にはしない。
14
 あなたが彼を杖で打てば、その魂は陰府から助け出される。
15
 子よ、あなたの心が知恵を得れば、私の心も喜ぶだろう。
16
 あなたの唇が公平なことを語れば、私のはらわたは喜び躍る。”と訳しています。

 この個所が、子育てに関連したことを記していることは、だれの目にも明らかだと思いますが、現代の先進国と言われる国々においては、杖や鞭で打つと、幼児虐待、児童虐待、ということになるでしょう。

 新約聖書によると、
エペソ64には、“父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。”(2017)と記され、
コロサイ321には、“父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです。”(2017)と記されています。

 霊の父は、霊の子どもたちをどのように扱うのでしょうか。
このことについては、今までにいくたびも書いてきているので、今回は少し異なる観点から書くことにします。
 1コリント11章には、主のみからだをわきまえないで主の晩餐にあずかる信者はどうなるのかということについての記述が次のように記されています。
27 従って、ふさわしくないしかたで、主のパンを食べ、主の杯を飲む者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
28
 人は自分を吟味したうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
29
 主の体をわきまえないで食べて飲む者は、自分に対する裁きを食べて飲むことになるのです。
30
 あなたがたの間に、弱い者や病人が大勢おり、また死んだ者も少なくないのは、そのためです。
31
 もし私たちが、自分をわきまえていれば、裁かれることはなかったでしょう。
32
 しかし、私たちが裁かれているのは、主によって懲らしめを受け、この世と共に罪に定められることがないためなのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所を読むと、主の厳しさと主の慈しみの両方を心に留めることが出来ます。

 マタイ7章には、主の御教えに従う人の堅固さと主の御教えを聞いてもそれを行わない人の危うさについて次の様に記されています。
24 「そこで、私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
25
 雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
26
 私のこれらの言葉を聞いても行わない者は皆、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に似ている。
27
 雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」”(聖書協会共同訳)とあります。
主の御教えに従っている人は、この世の嵐に遭遇したとしても安定しているが、主の御教えに従っていない人は、この世の嵐に遭遇した時に打倒されてしまうことがあると教えてくれています。

 詩篇119篇を書いた詩聖は次のように、証しを含めつつ祈りをささげたことを記しています。
71 苦しみに遭ったのは私には良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした。
72
 あなたの口から出る律法は私には良いもの。幾千の金や銀にまさります。
73
 御手が私を造り、堅く立ててくださいました。私に悟らせ、あなたの戒めを学ばせてください。
74
 あなたを畏れる人たちは私を見て喜びます。あなたの言葉を私が待ち望んでいるからです。
75
 主よ、私は知っています。あなたの裁きは正しく、真実のうちに私を苦しめたことを。
76
 あなたの僕への仰せのとおり、どうか、あなたの慈しみが私の慰めとなりますように。
77
 あなたの憐れみが私を訪れ、私を生かしてくださいますように。あなたの律法は私の喜びです。
78
 傲慢な者らが恥じ入りますように。彼らは偽りによって私を迷わせました。しかし、私はあなたの諭しに思いを巡らします。”(聖書協会共同訳)とあります。

 また、主は主の御言葉に忠実なものを喜んでくださいます。
マタイ2521.23には、“主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」”(2017)と記されています。

<お祈り>
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの御訓練は、あなたの愛の現れであることをも学ばせていただけますことを感謝します。
できるだけあなたの御心を痛ませないですむように整えてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神の子なるイェス」(聖歌592 聖歌総合版630 新聖歌342)の34節の歌詞は次の様になっています。
“3.されどいくたびも 主を苦しめ 畏(かし)こき御旨(みむね) 我は裂(さ)きぬ
4.すべて主は赦し 前の如く 御胸に抱き愛したもう
(折り返し部分)
わが内に主はいます くすしくも妙なり わが内にいます主は 来るべき王なり”

2023年6月30日 (金)

詩編72篇 ダビデがソロモンを思って祈った祈り/聖霊に導かれた祈り

 詩篇721-7には次のように記されています。
1 ソロモンの詩〔ソロモンのために(2017)〕。
神よ、あなたの公正〔「さばき」(2017)、あるいは「統治」(2017欄外注)〕を王に、あなたの正義を王の子にお授けください。
2
 彼が正義によってあなたの民を、公正によって苦しむ人を裁きますように。
3
 山々が民に平和を、丘が正義をもたらしますように。
4
 王が民の中の苦しむ人を裁き、貧しい人の子らを救い、虐げる者を砕きますように。
5
 王が、太陽と月のあるかぎり〔直訳「太陽と共に、そして月の前で」(欄外注)〕、代々にわたってあなたを畏れますように。
6
 王が、刈り入れ後の牧草に降る雨のように、地を潤す豊かな雨のようになりますように〔直訳「下ってきますように」(欄外注)〕。
7
 王の治世に正しき人が栄え、月の失われるときまで平和が豊かにありますように。”(聖書協会共同訳)とあります。

 冒頭に、“ソロモンの詩”とありますが、詩編7220には、“エッサイの子ダビデの祈りの終わり。”とあり、また、ヘブライ語原語は「レシェロモー」と、日本語訳のソロモンの接頭前置詞が「レ」で、~に、~のために、という意味ですから、2017訳のように「ソロモンのために」とした方が良いのではないかと思います。

 ヤハウェ(主)は、預言者ナタンに、ダビデとダビデ家の将来について、次のような預言を与えました。2サムエル記には次にように記されています。
8 今、私の僕ダビデに告げなさい。
『万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。牧場で羊の群れの後ろにいたあなたを取って、私の民イスラエルの指導者としたのは私だ。
9
 あなたがどこに行こうと、私は共にいて、あなたの前から敵をことごとく絶ち、地上の大いなる者の名に等しい名をあなたのものとする。
10
 私の民イスラエルには一つの所を定め、そこに彼らを植える。彼らは敵に代わって根を下ろし、もはや恐れおののくことはない。初めの頃のように、 不正を働く者が民を苦しめることはもうない。
11
 昔、私の民イスラエルの上に士師を立てた頃のように、私はあなたの敵をことごとく退け、あなたに休息を与える。主は告げられる。主があなたのために家を興す。
12
 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの末裔、あなたの身から出る者を後(あと)に立たせ、その王国を揺るぎないものとする。
13
 その者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
14
 私は彼の父となり、彼は私の子となる。彼が過ちを犯すときは、私は人の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。
15
 私はあなたの前からサウルを退けたが、サウルから取り去ったように、その者から慈しみを取り去ることはしない。
16
 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえに続く。あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。』」
17
 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに語った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 詩篇72篇の祈りは、ダビデが神ヤハウェ(主)から与えられた上記の約束を土台にしているように私には思えます。
ダビデの次の王として立てられたソロモンについて、そして、さらに最終的な王の王であるところのイエス・キリストについての預言に呼応した祈りまでも詩篇72篇に記されています。
イエス・キリストは、肉の血統においてはダビデの子孫として生まれました。
神は霊であり(ヨハネ424)、神のひとり子の御子も霊です。イエス・キリストは、神のひとり子の御子が人の肉体をまとって誕生されたのです。
キリストが復活した後のからだは、霊のからだです(ヨハネ2019、使徒19、1コリント1540.42.-44)。

 ダビデによるソロモンへの教育とソロモンのための祈りは、若い頃のソロモンの心に深く根付いたのではないかと想像します。ソロモンはダビデの死後夢を見ましたが、それはヤハウェ(主)が夢の中に現れ、主と交わりを持たせていただいた夢でした。
 1列王記3章には次のように記されています。
4 王〔ソロモン(筆者挿入)〕はいけにえを献げるためにギブオンへと行った。そこには最も重要な高き所があったからである。ソロモンはその祭壇の上で、一千頭の焼き尽くすいけにえを献げた。
5
 その夜ギブオンで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は夢の中でソロモンに現れた。
「願い事があれば、言いなさい。かなえてあげよう」と神は言われた。
6
 ソロモンは答えた。
「あなたは、あなたの僕(しもべ)である父ダビデに、大いなる慈しみを示されました。彼が真実と正義と正直な心をもって御前を歩んだからです。あなたはこの大いなる慈しみを守り続け、今日、その座に着く子を与えられました。
7
 わが神、主よ。この度、あなたは父ダビデに代わって、この僕を王とされました。しかし、私は未熟な若者で、どのように振る舞えばよいのか分かりません。
8
 僕(しもべ)はあなたがお選びになった民の中の一人ですが、民は多く、その多さのゆえに数えることも調べることもできません。
9
 どうか、この僕に聞き分ける心を与え、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください。そうでなければ、誰がこの数多くのあなたの民を治めることができるでしょうか。」
10
 ソロモンが願ったことは、主の目に適(かな)う良いことであった。
11
 神は言われた。
「あなたが願ったのは、自分のために長寿を求めることでもなく、富を求めることでもなく、また敵の命を求めることでもなかった。 あなたが願ったのは、訴えを聞き分ける分別であった。12 それゆえ、あなたの言うとおりに、知恵に満ちた聡明な心をあなたに与える。あなたのような者は、前にはいなかったし、この後にも出ないであろう。
13
 私はまた、あなたが求めなかったもの、富も栄誉も与えよう。生涯にわたり、王の中であなたに並び立つような者は一人もいない。
14
 父ダビデが歩んだように、あなたが私の掟と戒めを守り、私の道を歩むなら、私はあなたに長寿を与えよう。」
15
 ソロモンが目を覚ましてみると、それは夢であった。ソロモンはエルサレムに戻り、主の契約の箱の前に立ち、焼き尽くすいけにえと会食のいけにえを献げ、すべての家臣のために宴会を開いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ソロモンの願いとヤハウェ(主)の応答の前には、ダビデが主の導きによって祈らせていただいた詩篇72篇の内容があったのではないかと私は想像したくなるのです。
詩篇721-19には次のように記されています。
1 ソロモンの詩〔ソロモンのために(2017)、for SolomonKJV)〕。
神よ、あなたの公正を王に、あなたの正義を王の子にお授けください。
2
 彼が正義によってあなたの民を、公正によって苦しむ人を裁きますように。
3
 山々が民に平和を、丘が正義をもたらしますように。
4
 王が民の中の苦しむ人を裁き〔弁護し(2017)〕、貧しい人の子らを救い、虐げる者を砕きますように。
5
 王が、太陽と月のあるかぎり、代々にわたってあなたを畏れますように。
6
 王が、刈り入れ後の牧草に降る雨のように、地を潤す豊かな雨のようになりますように。
7
 王の治世に正しき人が栄え、月の失われるときまで平和が豊かにありますように。
8
 海から海まで、川から地の果てまで、王が支配しますように。
9
 砂漠に住む者が王の前に身をかがめ、敵が塵をなめますように。
10
 タルシシュと島々の王たちは献げ物を携え、シェバやセバの王たちが貢ぎ物を納めますように。
11
 すべての王が彼の前にひれ伏し、すべての国が彼に仕えますように。
12
 王が、叫び声を上げる貧しい人を、助ける者もない苦しむ人を救い出しますように。
13
 弱い人、貧しい人を憐れみ、貧しい人の命を救い、14 虐げと暴力からその命を贖い、王の目にその人たちの血が、貴いものでありますように。
15
 王が命を得、シェバの黄金を受けますように〔ヘブライ語は「彼に与えますように」(欄外注)、「彼にシェバの黄金が献げられますように(2017)〕。人々が王のために絶えず祈り、日夜、王を祝福しますように。
16
 地には一面の麦、その実りはレバノンのように、山々の頂まで豊かに波打ち、町には人が地の青草のように栄えますように。
17
 王の名がとこしえに続き、その名が太陽のあるかぎり栄えますように。すべての国民が彼によって祝福を受け、彼を幸いな人と呼びますように。
18
 神である主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕をたたえよ、イスラエルの神を、ただひとり奇しき業(わざ)を行う方を。
19
 栄光に輝く主の名をとこしえにたたえよ。栄光が全地を満たしますように。アーメン、アーメン。”(聖書協会共同訳)とあります。
そして最後の20節は、“エッサイの子ダビデの祈りの終わり。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
「どんなときにも御霊によって祈りなさい。」(エペソ618・新改訳)と勧められているように、いつも主の霊の導きに従って祈ることが出来ますよう祝福して下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」(ローマ8262017

2023年6月29日 (木)

申命記17:14ー20 王に関する規定/教会のかしらはキリスト・イエスです

 申命記1714-20には次のように記されています。
14 あなたが、あなたの神、主が与える地に入り、それを所有してそこに住み、「周りにいるすべての国民のように、私の上に王を立てよう」と考えるなら、15 必ず、あなたの神、主が選ぶ者を王としなければならない。
同胞の中から、あなたを治める王を立てなさい。同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。
16
 ただし、王は自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすためだと言って、民をエジプトに再び帰らせてはならない。主は、「あなたがたはこの道を二度と帰ってはならない」と言われたからである。
17
 また、妻を多くめとって、心を惑わしてはならない。自分のために銀と金を大量に蓄えてはならない。
18
 王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、19 傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。それは、王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶため、20 また、王の心が同胞に対して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれないためである。
そうすれば王もその子孫も、イスラエルの中で王位を長く保つことができる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 14.15節には、
14 あなたが、あなたの神、主が与える地に入り、それを所有してそこに住み、「周りにいるすべての国民のように、私の上に王を立てよう」と考えるなら、15 必ず、あなたの神、主が選ぶ者を王としなければならない。
同胞の中から、あなたを治める王を立てなさい。同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。”と記されています。

 イスラエルが、他の国々のように「王が欲しい」と言い出したのは、預言者であり士師であったサムエルが老年になったときでした。サムエルは、士師として不適な息子たちをイスラエルの裁き司としたのです。
サムエルの息子たちは、主を畏れず、その行為はイスラエルの一般の民よりもひどいものでした。それに業を煮やしたイスラエルの民は王を求めたのです。詳しくは1サムエル8章に記されています。

 ヨシュアは、モーセの子どもではありませんでしたが、モーセに従い続け、主に対するモーセのありようを見続け、また主もヨシュアをお取り扱いくださり、イスラエルを導く者とされました。
もし、サムエルもその様な弟子がいたならば、サムエルの時代にイスラエルの民が王を求めることはなかったのではないかと思います。

 神ヤハウェ(主)は、イスラエルの民の求めに応じて、サウルを王として立てました。
神ヤハウェ(主)は、サウルが主の命令に従わなかったことを理由に、サウルを排してダビデを王と立てました。

 ダビデの次に王になったのはソロモンでした。
申命記1716.17には、
16 ただし、王は自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすためだと言って、民をエジプトに再び帰らせてはならない。主は、「あなたがたはこの道を二度と帰ってはならない」と言われたからである。
17
 また、妻を多くめとって、心を惑わしてはならない。自分のために銀と金を大量に蓄えてはならない。”と記されています。

 イスラエルの三代目の王ソロモンは、多くの妻をめとりました。おそらく政略結婚と肉性の情欲からでしょう。
1
列王記11章には、
1 ソロモン王はファラオの娘をはじめとして、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。
2
 これらの国民について、主はかつてイスラエルの人々に、「あなたがたは彼らと結婚してはならない。また彼らもあなたがたと結婚してはならない。 さもなければ、必ずやこれらの国民が、あなたがたの心をその神々〔神々の実質は「悪しき霊」です。1コリント1019-22参照(筆者挿入)〕へと向けさせるだろう」と言われた。だがそれにもかかわらず、ソロモンはこうした者たちを愛して離れることがなかった。
3
 彼には多くの妻、すなわち、七百人の王妃と三百人の側室がいた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 知恵があっても情欲、肉欲にはなかなか勝てないものです。
主イエス様は、このための解決方法与えてくださいました。
それは、ガラテヤ524に、“キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまった〔アオリスト時制(筆者挿入)〕のである。”(口語訳)と記されています。
主と結ばれているキリスト者は、上記の聖句を信じることによって自分のものとして実体化させて頂けばよいのです。

 16節に、「王は自分のために馬を増やしてはならない。」とありますが、1列王記1026には、“ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百台と騎兵一万二千人を所有した。彼はこれらを戦車の町々、およびエルサレムの王のもとに配置した。”(2017)と記されています。

 17節に、「自分のために銀と金を大量に蓄えてはならない。」とありますが、1列王記10章には、
14 一年間にソロモンのもとに入って来る金の重量は、六百六十六キカル〔タラント(口語訳、新改訳)〕であった。15 そのほかに、行商人、貿易商、アラビアのすべての王、地方総督からの収入があった。
16
 ソロモン王は延金で大盾を二百枚作ったが、一つの大盾に貼り付けた金は六百シェケルであった。
17
 また、延金で小盾を三百枚作ったが、一つの小盾に貼り付けた金は三マネ〔ミナ(新改訳、口語訳)〕であった。王はこれらの盾を「レバノンの森の家」〔レバノンの森の宮殿(2017)。レバノン山の森から切り出した杉材で建てられた豪華な建物(筆者挿入)〕に置いた。
18
 王はさらに象牙の大きな玉座を作り、精錬された金で覆った。19 玉座には六つの段があり、背もたれの上部は丸く、座席の両側には肘掛けがあり、肘掛けの脇には二頭の獅子の像が据えられていた。20 また、六つの段の両側には、十二頭の獅子の像が据えられていた。このようなものは、他のどこの王国でも造られたことがなかった。21 ソロモン王の杯はすべて金であり、「レバノンの森の家」の器はすべて純金で、銀のものはなかった。ソロモンの時代には、銀は価値あるものとは 見なされていなかったのである。
22
 海には、王のタルシシュの船団がヒラムの船団と共にあった。三年に一度、タルシシュの船団は、金や銀、象牙、ひひや猿を運んで来た。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 財産、武力、名声等が豊かになるほどに、この世においては、主により頼まなくても快適に生活することが出来るようになるでしょう。そうなるとそのような環境の中で、常に主を第一として主によりすがって歩んでいくのが難しくなるのです。

 イエス様は、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」(マルコ10252017)と語られ、また、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのち〔原語は「プシュケー」で「魂」(筆者挿入)〕を失ったら、何の益があるでしょうか。」(マルコ8362017)とも語られました。

 申命記1718-20には、
18 王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、19 傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。それは、王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶため、20 また、王の心が同胞に対して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれないためである。そうすれば王もその子孫も、イスラエルの中で王位を長く保つことができる。”と記されています。

 主は極めて大切なことを教えてくださっていたのです。
イスラエルの歴代の王が、毎日律法の書を読んでいたならば、イスラエルの歴史は変わっていたでしょう。
私たちキリスト者も、毎日、聖書を読み、ただ読むだけではなく、御言葉に従った生活をするように聖霊に助けられつつ歩めば、主の御目には良きものと映ることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
聖書を与えてくださいましたことを感謝します。
日々、聖書の御言葉に接し、主のみ旨に従う生き方をさせていただくことが出来ますようお導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月26日 (月)

詩篇71:19-24 主を信じる信仰者は主から訓練を受け主を賛美するようになる

 詩篇7119-24には次のように記されています。
19 神よ、あなたの正義は高い天にまで至ります。あなたは大いなる業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。
20
 あなたは多くの苦しみと災いを私に思い知らせましたが、再び命を与えてくださいます。地の深い淵から再び引き上げてくださいます。
21
 私を大いなるものとし、慰めを与えてくださいます。
22
 わが神よ、私もまた竪琴に合わせてあなたのまことに感謝を献げます。イスラエルの聖なる方よ、琴に合わせてあなたをほめ歌います。
23
 私の唇は喜び歌い、あなたに贖われた私の魂はあなたをほめ歌います。
24
 私の舌も日夜あなたの正義を唱えます。私の災いを望む者が恥を受け、辱められた、と。”(聖書協会共同訳)とあります。

 19節には、“神よ、あなたの正義は高い天にまで至ります。あなたは大いなる業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。”とあります。

 「神よ、あなたの正義は」(2017)と訳されている中の「正義」の訳ですが、新改訳、フランシスコ会訳、口語訳、文語訳は「義」と訳し、新共同訳は「恵みの御業」と訳し、リビングバイブルは「恵み」と訳しています。ヘブライ語原語は「ツェダーカー」で、正しさ、公正、正義、義、厳正、正直、(倫理的な)美徳、(比喩的に)繁栄、等の意があります。

 神様は、折々に義を執行なさいます。
神に反逆した天使すなわちサタン(悪魔)について、イザヤ14章には次のように記されています。
12 ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地へと切り倒された。諸国民を打ち倒した者よ。13 お前は心の中で言った。『私は天に上り、神の星々より上に王座を高く据えよう。そして、北の果てにある集会の山に座し、14 雲の頂に登り、いと高き方のようになろう』と。
15
 しかし、お前は陰府へと、その穴の底へと落とされる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イザヤ1415は、黙示録201-3の個所にも次の様に記されています。
1 また私は、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖を手にして、天から降って来るのを見た。
2
 この天使は、悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇を捕らえ、千年の間縛って、3 底なしの淵に投げ込み、鍵をかけ、その上に封印をした。千年が終わるまで、もはや諸国の民を惑わさないようにするためである。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになっている。”(聖書協会共同訳)とあります。

 またサタンに従って堕罪した天使たちも多くいましたが、この堕天使たちの裁きについて、ユダの手紙6節をリビングバイブルは、“また、もう一つ、心にとめてほしいことがあります。それは、かつては汚れなく、きよい存在であったにもかかわらず、罪に堕落していった、あの天使たちのことです。神は、彼らを審判の日まで鎖につなぎ、暗黒の牢獄に閉じ込めてしまわれました。”と意訳しています。

 24節には、“・・・。私の災いを望む者が恥を受け、辱められた”とありますが、主を信じる信仰者の災いを望む者たち、すなわち悪魔悪霊を主は裁いてくださいます。

 神様は、人間社会に対しても折々に義を執行されてきたことが旧約聖書を読むとわかりますし、新約の時代の歴史を眺めていると、ここで介入されたのではないだろうかということが、あちらこちらで分かります。

 詩聖は、詩篇7119-21で、
19 神よ、あなたの正義は高い天にまで至ります。あなたは大いなる業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。
20
あなたは多くの苦しみと災いを私に思い知らせましたが、再び命を与えてくださいます。地の深い淵から再び引き上げてくださいます。
21
 私を大いなるものとし、慰めを与えてくださいます。”と述べています。

 神様は、神ヤハウェ(主)を信じる信仰者に対しては、矯正こそすれ滅ぼすことはせず、かえってお整え下さいます。ヘブライ(へブル)12章には次のように記されています。
4 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
5
また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない6 なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
7
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
8
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子〔私生児(2017)〕であって、実の子ではありません。
9
更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
10
肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を 結ばせるのです。”(新共同訳)とあります。

 ペトロ(ペテロ)は、2ペトロ(ペテロ)14に、“この栄光と力ある顕現によって、私たちには尊く大いなる約束が与えられています。それは、あなたがたがこの約束によって、世の欲にまみれた腐敗を 免れ、神の本性〔「神のご性質」(新改訳)〕にあずかる者となるためです。”(聖書協会共同訳)と記しています。

 まことの神である主を信じる者たちは、多かれ少なかれ、主の御性質にあずからせていただくために訓練された(訓練されている)ことと思います。

 22.23節には、“わが神よ、私もまた竪琴に合わせてあなたのまことに感謝を献げます。イスラエルの聖なる方よ、琴に合わせてあなたをほめ歌います。私の唇は喜び歌い、あなたに贖われた私の魂はあなたをほめ歌います。”とありますが、主の恵みを受けたものは、主を賛美するのです。

 へブル1315には、“だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。”(口語訳)と記され、
詩篇223には、“・・あなたは聖なる方、御座に着いておられる方、イスラエルの賛美です。”(2017)と記されています。

 詩篇150篇には、
1 ハレルヤ。主の聖所で神を賛美せよ。主の力の溢れる大空で神を賛美せよ。
2
 力強い御業のゆえに神を賛美せよ。そのすぐれた偉大さにふさわしく神を賛美せよ。
3
 角笛を吹いて神を賛美せよ。竪琴と琴を奏でて神を賛美せよ。
4
 タンバリンに合わせて踊りながら神を賛美せよ。弦をかき鳴らし、笛を吹いて神を賛美せよ。
5
 シンバルを鳴らして神を賛美せよ。シンバルを高らかに響かせて神を賛美せよ。
6
 息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたからの御訓練を頂くときもありますが、いつも主を賛美しながら歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月21日 (水)

申命記16:18-20、17:8-13 裁判官の任命と上告の規定/キリスト・イエスを信じる信仰による救い

 申命記1618-20には次のように記されています。
18 あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべての町に裁き人〔裁判官(リビングバイブル)〕と役人〔「つかさたち」(2017)、「行政官」(リビングバイブル)〕を立てなさい。彼らは民を正しく裁いて治めなければならない。
19
 あなたは裁きを曲げてはならない。人を偏り見てはならない。賄賂を受け取ってはならない。賄賂は知恵ある者の目をくらまし、正しき者の言い分をゆがめるからである。
20
 あなたは、ただ正義のみを追い求めなさい。そうすれば、あなたは命を得、あなたの神、主が与える地を所有することができる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 18節には、主が与えてくださる約束の地のすべての町々に、裁判官と行政官をおいて、裁かねばならないことを正しく裁き、そして正しく治めなさい、ということが記されています。

 19.20節には、約束の地において公正を保つように、ということが記されています。
19
節に、「賄賂を受け取ってはならない。」とありますが、日本を含め、行政の現場では時々賄賂問題が取り上げられていることをニュースなどで見ますね。

 申命記178-13は、上告についての規定と、判決に従わない者に対する対処方法が次のように記されています。
8 あなたの町の中で起きた訴訟や流血事件、権利争いや傷害に関わるもので、判断の難しいものは、直ちに、あなたの神、主が選ぶ場所に上り、9 レビ人である祭司、およびその時、任に就いている裁き人のところに行って尋ねなさい。彼らはあなたに判決の言葉を告げるだろう。
10
 あなたは、主が選ぶ場所から彼らが告げる言葉のとおりに実行しなさい。すべて彼らがあなたに教えたように守り行わなければならない。11 彼らがあなたに教える指示のとおりに、また彼らが告げる判決に基づいて、あなたは行わなければならない。彼らが告げる言葉から、右にも左にもそれてはならない。
11節をリビングバイブルは、“彼らの判決に従って、完全に実行しなさい。”と意訳しています。(筆者挿入)〕
12
 あなたの神、主に仕えるために立っている祭司、あるいは裁き人の言うことを聞かずに、傲慢に振る舞う者は、死ななければならない。こうしてあなたはイスラエルから悪を取り除きなさい。
13
 民は皆、聞いて恐れ、二度と傲慢な振る舞いをすることはないであろう。
13節をリビングバイブルは、“きびしい罰を加えるのは、法廷を侮辱してはならないことを教えるためです。”と意訳しています。(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)とあります。

 律法はモーセの時代に与えられましたが、それ以前の法律として、ハンムラビ法典(B.C.1750年頃)、またそれ以前の法律としては、ウル・ナンム法典(B.C.2100年頃)というのがあったそうです。
律法が、ハンムラビ法典やウル・ナンム法典と違うところは、律法は、神ヤハウェ(主)がイスラエルに与えたものだということです。

 今日の申命記の主題から離れた内容を記していきます。
律法は、まことの神様が与えたものですから不変でした。
主イエス様は次のように語っておられます。
17 「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
18
 よく〔原語は「アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。天地が消えうせ、すべてが実現するまでは、律法から一点一画も消えうせることはない。
19
 だから、これらの最も小さな戒めを一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれる。しかし、これを守り、また、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
20
 言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」”(マタイ5章・聖書協会共同訳)と記されています。

 神様は、律法を与えてくださいましたが、守れた人はいませんでした。
そこで、神様は、ひとり子の御子であるイエス様を私たちの罪の贖いのために遣わしてくださいました。

キリスト者ならば、誰でも知っており、体験している内容を下記します。ローマ321-26をリビングバイブルは次の様に訳しています。
21.22 しかし今、神は、別の救いの道を示してくださいました。その新しい道は、「善人になる」とか、律法を守ろうと努力するような道ではありません。神は今、「もしあなたがたがイエス・キリストを信じるなら、あなたがたを受け入れ、罪のない者と宣言する」と言われます。どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じるという、この方法によって救われるのです。
23
すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。
24
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。
25
神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償(つぐな)いをさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。たとえ、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神は完全に公正であられるのです。キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神は待ち望んでおられました。
26
そして今日も、神はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。イエスが彼らを、義と認めてくださるためです。しかし、このように罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神の公正なやり方に反するのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。なぜなら彼らが、自分の罪を帳消しにしてくださったイエスを信じたという事実に基づいて、神はそうなさるからです。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは、律法という善きものを与えてくださいましたが、私たち人間は、それに基づいて歩むことはできませんでした。
私たち人間は、御怒りにあって当然のものでしたが、あなたは救い主イエス様を遣わしてくださり、イエス様の贖いを通して、そして信仰によって救ってくださいました。
ありがとうございます。
先に救われた私たち一人一人に、福音を語る対象者をお与え下さいますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年6月19日 (月)

箴言23:9 イエス様は相手によって話し方が異なりました

 箴言239を、
2017は、“愚かな者に話しかけるな。彼はあなたの思慮深いことばを蔑むからだ。”と訳し、
口語訳は、“愚かな者の耳に語ってはならない、彼はあなたの言葉が示す知恵をいやしめるからだ。”と訳し、
リビングバイブルは、“忠告に逆らう者に言い聞かせてもむだです。どんなにためになることを言っても、顔をそむけるだけです。”と意訳しています。

 主イエス様は、「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(マタイ24352017)と語られ、また、
「あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。」(ヨハネ14242017)と語られ、また、
「わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです。」(ヨハネ8262017)とも語られました。

 神ヤハウェ(主)が、人間に与えられた御言葉は、もっとも大切な言葉なのだとわかります。

 「思慮深い言葉」(2017)、「言葉が示す知恵」(口語訳)、「見識ある語りかけ」(聖書協会共同訳)、「見識ある言葉」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は2語からなっていって、「セケル ミルラ(言葉)」で、各日本語訳聖書の様に訳せるのでしょう。

 “神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。”(2017)とへブル11.2に記されています。

 預言者のことばを聞いて悔い改めた人もあれば、預言者のことばを聞かないどころか、預言者を殺してしまった人たちもいました。

 主イエス様は、公生涯の初めから神のことばを語りました。
イエス様のお話を聞いて、イエス様が語られた内容を理解しようとする人もいましたが、その反対に、イエス様の御言葉に怒りを燃やす人たちもいました。また、聞いてはいても悟らない人たちもいました。

 イエス様は、ときに、お言葉を語った後に、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。

 イエス様は、いつまでも語ってくれたわけではありませんでした。ヘロデ王の質問に対しては、答えなかったのです。
ルカ238.9には次のように記されています。
“ヘロデはイエスを見ると、非常に喜んだ。イエスのことを聞いていて、ずっと前から会いたいと思い、またイエスが行うしるしを何か見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと質問したが、イエスは何もお答えにならなかった。”(2017)と記されています。

 しかしポンテオ・ピラトの質問には答えました。ヨハネ18章には次のように記されています。
33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前はユダヤ人の王なのか」と言った。
34
 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのか。それとも、ほかの者が私について、あなたにそう言ったのか。」
35
 ピラトは答えた。「私はユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前を私に引き渡したのだ。一体、何をしたのか。」
36
 イエスはお答えになった。「私の国は、この世のものではない。もし、この世のものであれば、私をユダヤ人に引き渡さないように、部下が戦ったことだろう。しかし実際、私の国はこの世のものではない。」
37
 ピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「私が王だとは、あなたが言っていることだ。私は、真理について 証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声を聞く。」
38
 ピラトは言った。「真理とは何か。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ピラトは、裁判の席についているときに、自分の妻からイエス様に関して次のようなことを言われていました。
「あの正しい人と関わらないでください。あの人のことで、私は今日、夢でたいへん苦しい目にあいましたから。」(マタイ27192017)記されています。

 天国に行ってから出ないとわかりませんが、ピラトの妻は、天国にいるのでしょうか、いないのでしょうか。

 イエス様は、聞く耳のある弟子たちには、懇切丁寧に語りました。
イエス様は、持っているものはさらに豊かに与えられるとも語られましたが、持たない者は持っているものまでも取り上げられる、とも語られたのです(マタイ2529、ルカ1926)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの御言葉に心を閉ざすことなく、どのような御言葉に対しても心の耳でよく聞く者であらせてください。
あなたは沈黙の神ではなく、語ってくださる神ですから御名を崇めて感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
“主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。
主の戒めは真っ直ぐで、人の心を喜ばせ、主の仰せは清らかで、人の目を明るくする。
主からの恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
それらは金よりも多くの純金よりも慕わしく、蜜よりも蜜蜂の巣の滴りよりも甘い。”(詩編197-102017
「あなたのみことばは真理です。」(ヨハネ17172017
「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」(1ペテロ1232017

2023年6月18日 (日)

詩篇71:10-15 困難の中にあっても主に信頼し、主に希望を置き、主を賛美しよう

 詩篇7110-15には次のように記されています。
10 敵が私についてたくらみ、私の魂を見張る者が共に謀り、
11
 「神が彼を捨て去った。追い詰めて捕らえよう。彼を助け出す者はもういない」と言っています。
12
 神よ、私から遠く離れないでください。わが神よ、私を助けるために急いでください。
13
 私の魂に敵対する者が恥を受け、滅ぼされますように。私の災いを望む者が嘲りと辱めに包まれますように。
14
 私は絶えず待ち望み、繰り返し、あなたを賛美します。
15
 日夜、私の口はあなたの正義を、あなたの救いを語り継ぎます。しかし決して語り尽くすことができません。”(聖書協会共同訳)とあります。

この詩の表題には、ダビデによる詩、とは記されていませんが、私は、この詩を読んでいるとダビデが書いたのかな、と思えてしまいます。様々な節が個々人の信仰者に当てはまるとは思いますが、22節に、“私もまた琴であなたをほめたたえます。わが神よ、あなたの真実を。私は竪琴に合わせてあなたにほめ歌を歌います。イスラエルの聖なる方よ。”(2017)という個所やその他の個所を読むと、ダビデは武人であり、王として油注がれた者であり、音楽家でもあり、信仰を鼓舞する教育者でもありましたから。

 10節には、“敵が私についてたくらみ、私の魂を見張る者が共に謀り、”とあります。
ダビデが、サウルから逃れていたときには、幾度となくこのような目に遭っていました。
その中から、代表的なものを一つ下記しておきます。1サムエル23章には次のように記されています。
1 ペリシテ人がケイラを襲い、麦打ち場を略奪している、という知らせがあったので、2 ダビデは主に託宣を求めた。
「行って、このペリシテ人を討つべきでしょうか。」
主はダビデに言われた。「行け、ペリシテ人を討って、ケイラを救え。」
3
だが、ダビデの兵は言った。「我々はここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラまで行ってペリシテ人の戦列と相対したらどうなるでしょうか。」
4
ダビデは再び主に託宣を求めた。主は答えられた。「立て、ケイラに下って行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す。」
5
ダビデとその兵はケイラに行ってペリシテ軍と戦い、その家畜を奪い、彼らに大打撃を与え、ケイラの住民を救った。
6
アヒメレクの子アビアタルが、ケイラのダビデのもとに逃げて来たとき、彼はエフォドを携えていた。
7
ダビデがケイラに来たと知らされたサウルは、「神がダビデをわたしの手に渡されたのだ。彼は、扉とかんぬきのある町に入って、自分を閉じ込めてしまったのだ」と言った。
8
彼は兵士全員を戦いに向けて召集し、ケイラに下ってダビデとその兵を包囲しようとした。
9
ダビデはサウルが自分に危害を加えようと計画しているのを知って、祭司アビアタルに、エフォドを持って来るように頼んだ。
10
ダビデは主に尋ねた。「イスラエルの神、主よ、サウルがケイラに進んで来て、わたしゆえにこの町を滅ぼそうとしていることを僕は確かに知りました。11 ケイラの有力者らは、サウルの手にわたしを引き渡すでしょうか。僕が聞いているように、サウルはケイラに下って来るでしょうか。イスラエルの神、主よ、どうか僕にお示しください。」
主は「彼は下って来る」と言われた。
12
ダビデが、「ケイラの有力者らは、わたしと兵をサウルの手に引き渡すでしょうか」と尋ねると、主は「引き渡す」と言われた。
13
ダビデとその兵およそ六百人は立ち上がって、ケイラを去り、あちこちをさまよった。サウルはダビデがケイラから避難したと知らされて、出陣するのをやめた。
14
ダビデは荒れ野のあちこちの要害にとどまり、またジフの荒れ野の山地にとどまった。サウルは絶え間なくダビデをねらったが、神は彼をサウルの手に渡されなかった。
15
ジフの荒れ野のホレシャにとどまっていたダビデは、サウルが自分の命をねらって出陣したことを知った。/
19
ジフの人々は、ギブアに上ってサウルに報告した。「ダビデは我々のもとに隠れており、砂漠の南方、ハキラの丘にあるホレシャの要害にいます。
20
王〔サウル(筆者挿入)〕が下って行くことをお望みなら、今おいでください。王の手に彼を引き渡すのは我々の仕事です。」
21
サウルは答えた。「主の祝福があるように。あなたたちはわたしを思ってくれた。22 戻って、更に確かめてくれ。ダビデが足をとどめている場所と誰がそこで彼を見たかをはっきり調べてくれ。彼は非常に賢い。23 彼が隠れた場所をことごとく調べ上げて、確かな情報を持って来てくれれば、あなたたちと共に出て行こう。この地にいるのであれば、ユダの全氏族の中から彼を捜し出す。」
24
人々はサウルに先立ってジフに戻って行った。ダビデとその兵は砂漠の南方、アラバのマオンの荒れ野にいた。
25
サウルとその兵はダビデをねらって出て来たが、ダビデはその知らせを受けると、マオンの荒れ野の岩場に行き、そこにとどまった。サウルはそのことを聞き込み、マオンの荒れ野にダビデを追跡した。26 サウルは山の片側を行き、ダビデとその兵は山の反対側に行った。ダビデはサウルを引き離そうと急いだが、サウルとその兵は、ダビデとその兵を捕らえようと、周囲から迫って来た。”(新共同訳)とあります。

 詩篇7110.11には、
10 敵が私についてたくらみ、私の魂を見張る者が共に謀り、11 「神が彼を捨て去った。追い詰めて捕らえよう。彼を助け出す者はもういない」と言っています。”と記していますが、1サムエル23章に記されているような個所は、まさしくそのような箇所の一つでしょう。

 そのような時、ダビデは、心の中であるいはまた声に出して、時には叫ぶように祈っていたことでしょう。詩編7112-14には次のように記されています。
「神よ、私から遠く離れないでください。
わが神よ、私を助けるために急いでください。
私の魂に敵対する者が恥を受け、滅ぼされますように。
私の災いを望む者が嘲りと辱めに包まれますように。
私は絶えず待ち望み、繰り返し、あなたを賛美します。」と。

 先ほど、1サムエル2326までを記しました。
ダビデの祈りに応えて、神ヤハウェ(主)は何をしてくださったのでしょう。
なんと、イスラエルの敵を用いてダビデを助けたのです。
1
サムエル2327.28には次のように記されています。
27 そのとき、使者がサウルのもとに来て、「急いでお帰りください。ペリシテ人が国に侵入しました」と言った。
28
サウルはダビデを追うことをやめて、ペリシテ人の方に向かった。・・・。”(新共同訳)とあります。

 サウル王は、この戦いではありませんが、結局ペリシテとの戦いで死ぬのです。サウルは敵に矢を撃ち込まれ、自害したのでした。(1サムエル311-6

 キリスト者も、自分の罪の結果ではないのに、ダビデの様に、妬みや、他の人々の利益追求、権益追求のために、同じような目に合う場合はあります。

 主イエス様は言われました。
「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16332017)と、また、
「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」(マタイ10282017)と、また、
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」(マタイ510-122017)と。

 パウロは自分の体験をもとにして次のように証ししました。
35 我等をキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ、患難か、苦難か、迫害か、飢か、裸か、危險か、劍か。/
37
されど凡(すべ)てこれらの事の中にありても、我らを愛したまふ者に頼り、勝ち得て餘(あまり)あり。38 われ確(かた)く信ず、死も生命も、御使(みつかい)も、權威ある者も、今ある者も後あらん者も、力ある者も、39 高きも深きも、此の他の造られたるものも、我らの主キリスト・イエスにある神の愛より、我らを離れしむるを得ざることを。」(ローマ8章・文語訳)と。

 三谷種吉愛兄は賛美しました。
「ハレルヤ! 主は 世と悪魔に すでに勝ちを得給えば 我らもまた イェスと共に 日々勝ち得て 余りあり 主の安き 主の安き 我は内に今もてり 主の安き 主の安き 我は内に今もてり」(「世の波風いかに荒れて」の5節・聖歌474 聖歌総合版491)と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
折々に主が助けを与えてくださいますから感謝します。
絶えず祈り、全てのことを感謝しながら、主にゆだね切って歩みつづけることが出来ますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Ⅰヨハネの手紙 Ⅰ歴代誌 Ⅱ歴代誌 アモス書 イエス・キリストのことば イザヤ書 ウェブログ・ココログ関連 エステル記 エズラ記 エゼキエル書 エフェソの信徒への手紙 エペソ人への手紙 エレミヤ書 オバデヤ書 ガラテヤ コロサイ コロサイ人への手紙 ゼカリヤ書 ゼパニヤ書 ダニエル書 テトスへの手紙 テモテへの手紙Ⅰ テモテへの手紙2 ナホム書 ネヘミヤ記 ハガイ書 ハバクク書 ピリピ人への手紙 ピレモンへの手紙 ヘブル ヘブル人への手紙 ペット ペテロの手紙Ⅰ ペテロの手紙2 ホセア書 マタイによる福音書 マラキ書 ミカ書 ヤコブの手紙 ユダの手紙 ヨエル書 ヨシュア記 ヨナ書 ヨハネの手紙Ⅱ ヨハネの手紙Ⅲ ヨハネの福音書 ヨブ記 ルカ ルツ記 レビ記 ローマ人への手紙 伝道者の書 使徒の働き 信仰 共観福音書 出エジプト記 創世記 哀歌 士師記 平安 悪しき霊 救い 救いと裁き 救いの確かさ 救い・救われたい方へ 日ごとの恵み 日ごとの恵みXⅢ 日ごとの恵みⅡ 日ごとの恵みⅢ 日ごとの恵みⅣ 日ごとの恵みⅤ 日ごとの恵みⅥ 日ごとの恵みⅦ 日ごとの恵みⅧ 日ごとの恵みⅨ 日ごとの恵みⅩ 日ごとの恵みⅩⅢ 日ごとの恵みⅩⅣ 日ごとの恵みⅪ 日ごとの恵みⅫ 日毎の恵み15 日毎の恵み16 日毎の恵み17 日毎の恵み18 日毎の恵み19 日記・コラム・つぶやき 民数記 申命記 箴言 終末 終末預言 経済・政治・国際 聖化 詩編 趣味 雅歌 黙示録 黙示録(2回目) 1コリント 1サムエル記 1テサロニケ 1列王記 2コリント 2サムエル記 2テサロニケ 2列王記

カテゴリー

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ