日ごとの恵みⅩⅣ

2023年8月23日 (水)

マタイ25:1-13 聖霊内住の人が携挙される

 マタイ251-13には次のように記されています。
1 「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたち〔思慮の浅い者たち(口語訳)〕は、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたち〔思慮深い者たち(口語訳)〕は、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
5
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。
6
 真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
7
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯を整えた。
8
 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。私たちの灯は消えそうです。』
9
 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
10
 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。
11
 その後で、ほかのおとめたちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
12
 しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。
13
 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この譬えは、主の空中再臨は何時だかわからないのですから、霊的な意味で、目を覚ましていなさいというものでしょう。主の空中再臨に限らず、いつ地上の命が召されても良いような信仰生活を送りなさい、と応用することも出来ます。
余談になりますが、主の地上再臨は、主の地上再臨の7年前からは分かるようになります。

イエス様がこの譬えを語られた当時のこのような状況を知っておいた方が良いと思い、新聖書注解からユダヤの婚礼に関する記述を転記させていただきます。
 “このたとえに登場するのは、「それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘」である。「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」(2)。「賢い人」と「愚かな人」の対比という点で、この「十人の娘のたとえ」は、「岩の上に建てた家のたとえ」(マタイ724-27)と似ている。
 「十人の娘」は「花婿を出迎える」花嫁の友たちである。ここに見られるユダヤの婚礼は、婚約して約一年後、法的に既に夫婦となっていた両人の夫婦生活が始まることを祝う喜びの祝宴である。
 その婚宴は花婿の家で開かれるのが普通で、花婿は夕方になってから花婿の友と一緒に、花嫁の家に花嫁を迎えに行く。花婿の友が音頭を取り、花嫁の友が美しく着飾り、二人を婚宴の席に導き、盛大な祝宴が開かれる。
 しかし、この譬えでは、花婿の到着が夜中になっており(6)、花婿の到着と同時に「婚礼の祝宴が始まっているので(10)、花嫁の家で婚礼が行われたと思われる(榊原)。
 現在でもパレスチナの婚宴では、この譬えに描かれていることが行われている。
花婿は「花嫁の友」たちが眠っている時に、不意をついてやって来たりする。
その時、先ぶれの男が「そら、花婿だ」と叫ぶことになっている。
しかしその時がいつであるかわからないので、「花嫁の友」たちは何時でも用意していなければならない。
そして、花婿が到着すると戸は閉められ、遅れてきた者は婚宴に出られない(バークレー)。”とあります。

 新聖書注解はバークレーの本から上記の内容を記したのでしょう。
上記の説明について、私はいくつかの疑問を持ちます。
黙示録196-9には次のように記されています。
6 また私は、大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。全能者である神、主が王となられた。7 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁〔原語は「グーネー」で直訳すると「妻」(筆者挿入)〕は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった〔直訳「与えられた」。フランシスコ会訳と塚本訳は「与えられた」(筆者挿入)。〕。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録197の「婚礼」と訳されている語のギリシア語原語は「ガモス」で、nuptials(結婚式や結婚に関することを意味する語)、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)の意とStrong辞書にあります。
黙示録199の「婚礼の祝宴」と訳されている語の「婚礼」という語のギリシア語原語は「ガモス」です。「祝宴」と訳されている語のギリシア語原語は「ディプノン」です。

 マタイ2510の「祝宴」(聖書協会共同訳)、「婚礼の祝宴」(2017)と訳されている語は、ギリシア語では「ガモス」となっています。ガモスは、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)のです。

 上記のバークレーの説明では、乙女たちは、花嫁の友達であるとしています。
キリストの花嫁とは、教会であり、教会とは、多くのキリスト者の集合体です。
それ故、私は、このマタイ25章の個所の乙女は、教会を構成するキリスト者を指しているのではないかと思います。

1-4節には、「1 そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたちは、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。」とあります。

 天の国〔天の御国(新改訳)、the kingdom of heavenNKJV)〕というのは、神様が支配されている国と捉えることが出来ますから、地上に在っては教会を指しているとも言えます。

教会の中には、油を用意している人即ち聖霊を宿している人と、油を用意していない人即ち聖霊を宿していないか聖霊を消してしまっている人(1テサロニケ519)がいるとも取れるたとえです。

イエス様は、「あなた方は世の光である」(マタイ514・口語訳)、すなわち「あなた方は世にあってキリストが語られた言動をする人である」(筆者の解釈)と語られましたが、聖霊によって光を輝かしている人と、聖霊によってではなく、肉の努力によって光らしいものを輝かしている人とがいるのかも知れません。救われていなくても、ともしびすなわち神のことば(詩篇119:105参照)を知っている人は多くいます。

「思慮の浅い者たち」と「思慮深い者たち」を分けたものは、油(聖霊)を持っているかどうかでした。更に油(聖霊)が容器〔キリスト者のからだ(筆者の解釈)〕にいっぱいに満たされていれば幸いなことです。

5節には、「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。」とあります。

私たちの時代は、イエス様が再臨について語られてから、すでに2000年近くになります。

世界の教会内を見渡すと、再臨があると信じている人たちと、再臨はないと考えている人たちがいることが分かります。中には、黙示録の出来事の多くはすでに終わっていると考えている人たちもいます。

また、再臨は信じているが、イエス様がなかなか来ないということで、キリストの再臨と言われてもピンとこない人や、まだまだ来ないのではないかという人もいることでしょう。

ところが、イエス様の空中再臨は神のラッパの響きと共に突然起こるのです(1テサロニケ416)。ラッパは、6節の「そら、花婿だ。迎えに出よ」と呼ぶ声に似ています。しかし、油を用意しておかなかった人たちは間に合いませんでした。

油に喩えられている聖霊は、人から分けてもらうことは出来ないのです。
聖霊は新生したときに与えられ、聖霊は内住してくださるものだからです。
旧約時代は、預言者であっても、聖霊は内住するのではなく、その人の上にとどまったのです。新約の恵みの大きさに驚嘆します。

10節には、「愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。」とあります。

イエス様の空中再臨の時、用意のできていた人は携挙されるのですが、聖霊が内住してくださっておられない人は携挙されないのです。そして、携挙は一度しかないのです。
携挙の前の神のラッパの響きの時に、肉の体から霊の体に変えられます。その奇跡をなさるのは聖霊です。
ローマ811には、“もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊〔御霊(口語訳、新改訳)〕によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。”(新共同訳)と記され、
 1コリント1552には、“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017)と記されています。

「ご主人様、ご主人様、開けてください。」(11)即ち、「イエス様、イエス様、私も入れてください。」と言っても、「わたしはお前たちを知らない。」(12)と言われている人もいます。

この譬えで主イエス様が語りたかったことは、10人の乙女が花嫁か花嫁の友かについてではなく、油を準備して光を灯し続け(内住の御霊に導かれた歩みをして)いつ主が迎えに来られてもよいように準備していなさいということだと思います。

イエス様を信じた人に関して言えば、両親から受け継いだ古き人はキリスト共に十字架につけられたのです{ローマ63.4、ガラテヤ219又は20(聖書によって節が異なります)}。そして、復活のキリストに合され新しい人とされたのです(ローマ64.5.11、コロサイ39.10)。命の観点からいえば、神の霊によって霊を誕生させて頂いたのです(ヨハネ36)。そして更に1コリント617には、“主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(2017)と記されています。
また、その人の内には聖霊が遣わされ(ヨハネ1416.17)、聖霊が住んでくださっておられるのです。即ち油を持っているのです。キリストをよみがえらせた方の霊が住んでいる人は、キリストの空中再臨の時、死ぬべき体をも栄光の且つ永遠の体に変えて頂けるのです(ローマ811)。それも一瞬のうちにです(1コリント1551.52)。それはマタイ172のイエス様の変貌のようにでしょう。御霊を持っている者はキリストの空中再臨時の神のラッパが鳴った時、キリストに似たものに変えられるのです(1ヨハネ32)。
 1ヨハネ32.3には次のように記されています。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも聖霊に満たされた歩みをさせていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月22日 (火)

箴言24:13.14 知恵を食した人の望みは絶たれない

 箴言2413.14には次のように記されています。
13 わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。
14
知恵もあなたのたましい〔ネフェシュ(筆者挿入)〕には同じだと知れ。それを見つけるなら、あなたには将来があり、あなたの望みが断たれることはない。”(2017)とあります。

 13節の、「おいしい」(2017)と訳されている語を、聖書協会共同訳は「実に良い」と訳し、口語訳は「良い」と訳しています。
このように訳されているヘブライ語原語は「トーブ」で、英語では、goodで、「良い」を始めとして、それに属する多くの意味に用いられています。

 14節の「知恵」と訳されている語のヘブライ語原語は「ホクマー」です。
「知恵の意味と用法」についてキリスト教辞典は次の様に述べています。
“「知恵」の辞典的意味は、「物事の理を悟り適切に処理する能力」である。ヘブル人にとっての知恵は、“すぐれた知的能力”“特殊な技能”の意味で、理論的なものというより実践的知識や能力を指す。それは実効的技術、問題を解決する方法や物事を秩序立てて正しい計画を立て、統制する能力である。従って、特に宗教的倫理的なものに限られない。 (1旧約聖書の中で「知恵」と訳されている名詞〈ヘ〉ホクマーは150回ほど出てくるが、それは一般的、包括的知恵の意味である。動詞(〈ヘ〉ハーカム)は「賢い」「賢く行動する」の意味で、生活経験から来る態度や考え方を表している(箴言9:9「知恵を得る」)。幕屋の建築ですぐれた能力を発揮したベツァルエルは「知恵のある者」であり(出エジプト28:3,31:3,6)、偶像製造者の知恵(イザヤ40:20「巧みな」)、泣き女の知恵(エレミヤ9:17「巧みな」)、航海者(詩篇107:27「分別」)や指導者(申命34:9)の知恵もある。巧みな知恵は、ずる賢さとして神から厳しくとがめられている場合もある(エゼキエル28:17)。またヨナダブの巧みな助言(サムエル13:3)も知恵であった。知恵は、経験や訓練を通して、あるいは神の啓示によって与えられた、特別な知識または能力(士師5:29でもある。 (2)「知恵」の類似語としては、(a)「知識」(〈ヘ〉ダアス)経験を通して得られた生活に役立つ知識(出エジプト31:3)、(b)「悟り」(〈ヘ〉ビーナー、テブーナー)洞察する力(イザヤ11:2)、(c)「訓戒」(〈ヘ〉ムーサール)自発的服従を求める注意や警告(箴言1:2)、(d)「分別」(〈ヘ〉オルマー)、「思慮」(〈ヘ〉メジッマー)利口で、よく考えて計画工夫する能力(箴言1:4「分別」、22:3「利口な」)、(e)「理解」(〈ヘ〉レカフ)真理を把握する知力(箴言1:5)、(f)「思慮」(〈ヘ〉ハスケール)賢く振舞う実践的な知恵(箴言1:3)、(g)「正義」(〈ヘ〉ツェデク)法廷的な意味での正しい行動(箴言1:3)、(h)「公義」(〈ヘ〉ミシュパートゥ)倫理的意味でのおきて(箴言1:3)、(i)「指導」(〈ヘ〉タフブロートゥ)軍事的統率力(箴言1:5)、などがある。”と記されています。

 旧約聖書には、「知恵」を擬人化して御子を暗示したものとして記している箴言8章のような個所があります。
 また、新約聖書の1コリント1章には次のような箇所があります。
18 十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。
19
 それは、こう書いてあるからです。「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを退ける。」〔イザヤ2914からの引用(筆者挿入)〕
20
 知恵ある者はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
21
 世は神の知恵を示されていながら、知恵によって神を認めるには至らなかったので、神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになりました。
22
 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、23 私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
25
 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
30
 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
〔しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにありますキリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。(2017)〕”(聖書協会共同訳)と記されています。

 今回は、知恵を、神の知恵であるキリストと捉えて考えたいと思います。
キリストを心にお迎えし、キリストに愛され、キリストを愛する人にとって、キリストはこの上なく良いものであり、主キリストと一つ霊とされている霊(1コリント617)は永遠であり(ヨハネ1126)、その人には未来があり、その人の希望(福音が与える希望)は断たれることはないのです(箴言2414)。
「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ637・新改訳初版~第三版)と語られたお方は神なのです{ヨエル232の「主」は「ヤハウェ」(新改訳、口語訳/新共同訳は35)→使徒221、ローマ109}。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
御子であり、救い主であり、主であるキリスト・イエス様を心にお迎えさせて頂けた恵みを心から感謝します。
御名をほめたたえつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月21日 (月)

詩篇90 永遠なる神とはかない人間の肉体/永遠の命と第二の死

 詩篇90篇には次のように記されています。
1 祈り。神の人モーセの詩。
わが主〔アドナイ(筆者挿入)〕よ、あなたは代々に我らの住まい。
2
 山々がまだ生まれず、あなたが地と世界を生み出される前から、いにしえからとこしえまであなたは神。
3
 「人の子らよ、帰れ」とあなたは言い、人を塵に帰らせる。
4
 まことに、あなたの目には、千年といえど過ぎ去った一日のよう。夜回りの一時にすぎない。
5
 あなたは人を死の眠りに落とされる。人は朝に萌え出づる草のよう。
6
 朝には咲き誇り、なお萌え出づるが、夕べにはしおれ、枯れ果てる。
7 あなたの怒りに私たちは消え入り、あなたの憤りに恐れおののく。
8
 あなたは私たちの過ちを御前に、隠れた行いを御顔の光にあらわにされる。
9
 私たちの日々はあなたの激しい怒りに、ことごとく過ぎ去り、私たちは吐息のように年月を終える。
10
 私たちのよわいは七十年、健やかであっても八十年。誇れるものは労苦と災い。瞬く間に時は過ぎ去り、私たちは飛び去る。
11
 あなたの怒りの力を誰が知りえよう。あなたを畏れるほどに、その激しい怒りを知っていようか。
12
 残りの日々を数えるすべを教え、知恵ある心を私たちに与えてください。
13
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、帰って来てください。いつまでなのですか。あなたの僕らを憐れんでください。
14
 朝には、あなたの慈しみに満たされ、すべての日々を楽しみ、喜ぶことができますように。
15
 あなたが私たちを苦しめた日々と、私たちが災いを見た歳月に応じて、私たちを喜ばせてください。
16
 あなたの業があなたの僕らに、輝きがその子らに現れますように。
17
 我らの神、わが主の麗しさが、私たちの上にありますように。私たちの手の働きを私たちの上に確かなものにしてください。私たちの手の働きを力あるものにしてください。”(聖書協会共同訳)とあります。

 2-6.10節をリビングバイブルは次の様に訳しています。
2 大地が造られ、山が生まれる前から、あなたは神であられました。あなたには初めも終わりもないのです。
3
あなたのひと言で、人は土に帰ります。
4
千年の昔も、あなたにとっては昨日のことにすぎず、ほんのひと時のようです。
5.6
私たちは流れの速い潮に乗って、見る間に過ぎ去り、一夜の夢のように、あわただしく消えていきます。朝のうちは青々と生い茂っていても、夕暮れには刈られてしおれる草のようです。
10
人生は七十年、中には八十まで生きる人もいるでしょう。しかし、一番良い時期でも、人生はむなしく、苦しみに満ちています。しかも、月日は矢のように過ぎて、私たちは、たちまち帰らぬ身となるのです。”とあります。

 永遠なる神とはかない人の一生の対比を読むことが出来ます。
「ヤハウェ(主)」(詩篇9013)には、永遠にして自存、の意があります(出エジプト313-15)。
青少年~熟年の世代で、充実した生活を送ることの出来ている人々は、一部の人たちを除いて5.6節のように感じる人はいないでしょう。
というか、そのように考えなくてよいように生きてきたのではないかと思います。

 しかし、キリスト者の中には、幼少のころから、人は死んだらどうなるのだろう、と真剣に考えさせたれた人も結構います。「考えさせられた」と書いたのは、私の発想では、主がそのような思いを持たせてくださったのではないかと考えるからです。

 「人生は七十年、中には八十まで生きる人もいるでしょう。」と10節にありますが、日本人の感覚では、1970年から1980年の頃であればモーセのように感じたことでしょう。平均寿命は時代によって変化しています。2022年に75歳の人に平均余命を加えた年数を厚労省の表で見ると、男性は約87.5歳、女性は約91歳となっています。
ただし健康寿命(2021年版)は、男性72.6歳、女性75.5歳となっています。
今のような医療のなかったモーセの時代で考えると、モーセの詩は健康寿命を考えると現代でも当てはまります。
(健康寿命の定義は「健康上の問題により、日常生活を制限されることなく暮らせる期間」のことを指します。日常生活を制限されることのない状態は、「介護が必要な状態にならないこと」と「自分の身の世話は、自分ですることができる」といった内容です。)
平均すると上記のような統計になります。

 一般的には、老年期に入り、体のあちらこちらが不具合になり、診察を受けると、その原因は「加齢でしょう」と言われるようになると、目の前に「死」が垂れ下がってきます。それを打ち消すべく旅行に行ったり、運動をしたり、カラオケに行ったり、というような人もいることでしょう。
しかし、また、死の恐怖が襲ってくるのです。

 伝道者の書(コヘレトの言葉)117-121.6-8をリビングバイブルには次のように訳しています。
117 生きていることは実にすばらしいことです。
8
長生きしている人は、一日一日を存分に楽しみなさい。ただし永遠と比べたら、地上のことはみな空しいことを覚えておきなさい。
9
若い人よ。若いことは実に素晴らしいことです。若い日を存分に楽しみなさい。したいことは何でもしなさい。欲しいものは何でも手に入れなさい。しかし、自分のしたことはみな、神の前で申し開きをしなければならないことを覚えておきなさい。
10
だから、悲しみと痛みとを取り除きなさい。しかし、これから長い人生が待ち受けている若い日にも、人は過ちを犯してしまうことを忘れてはいけません。
12
1 若い日を夢中で楽しむあまり、あなたの造り主を忘れてはいけません。生きていることを楽しむ余裕などない逆境の時がくる前に、神を信じなさい。
6
もう一度いいます。あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えなさい。銀色のいのちのひもが切れ、金の器が壊(こわ)れ、水がめが泉のそばで壊れ、滑車が井戸のそばで壊れてしまう前に。
7
やがて、ちりは元の地に帰り、たましい〔ヘブライ語原語は「ルーアハ」で霊{ここではいのちの息、の意でしょう}(筆者挿入)〕は、これを授けてくださった神のもとに帰ります。〔イエス・キリストを信じていない人の魂は「よみ」に行きます。新約時代、新生した人の霊と魂は「天」の主の元にいきます。旧約時代、神ヤハウェ(主)を信じて従った人の魂は黄泉の良い所{(アブラハムの懐)ルカ1622}に行ったのです。(筆者挿入)〕
8
伝道者は言います。すべて何もかもむなしい、と。”とあります。

 しかし、新約時代に入ると、キリストの十字架と復活が完了していますから、イエス・キリストを信じた人には永遠の命が与えられます(ヨハネ316.36640)。
永遠の命を与えられた人は、第二の死(黙示録2011-156参照)を受けることはありません。

 主イエス様は言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ1125.262017)と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様に大感謝をささげます。
父御子御霊に代々御稜威(みいつ)と御栄とがありますように。
ハレルヤ!
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月20日 (日)

申命記28:1-14 イスラエルが主に従った場合のイスラエルへの祝福/キリスト者の祝福は?

 申命記281-14には次のように記されています。
1 もしあなたがあなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日私が命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを、地上のすべての国民の上に高く上げてくださる。
2
 あなたがあなたの神、主の声に聞き従うとき、これらすべての祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶ。
3
 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。
4
 あなたの胎から生まれた子も、土地の実りも、家畜の産むもの、牛の子も羊の子も祝福される。
5
 あなたの籠もこね鉢も祝福される。
6
 あなたは入るときも祝福され、出るときも祝福される。
7
 主はあなたに立ち向かう敵をあなたの前で打ち負かされる。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前から七つの道へ逃げて行く。
8
 主はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたの手の業に祝福を定められ、あなたの神、主があなたに与えられた地であなたを祝福される。
9
 あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むとき、主はあなたに誓われたとおり、あなたを聖なる民として立てられる。
10
 地のすべての民は、あなたが主の名で呼ばれるのを見て、あなたを恐れる。
11
 主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの胎から生まれた子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かにされる。
12
 主は恵みの倉である天を開いて、あなたの地に季節に応じて雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたは多くの国民に貸すようになるが、借りることはない。
13
 私が今日守り行うように命じる、あなたの神、主の戒めに聞き従うとき、主はあなたを頭として、尾とすることはない。あなたは常に上にあって、下になることはない。
14
 あなたは、今日私が命じるすべての言葉から右にも左にもそれてはならず、他の神々に従って、これに仕えてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 一読すればわかるように、イスラエルが主に従った場合のイスラエルへの祝福は地上的なものです。

 キリスト者への祝福について考えてみます。
キリスト者は、主を愛し主に従った歩みをしたからと言って、物質的に豊かな祝福を必ずしも受けるとは限りません。
多くの苦難の中で、キリストを信じたテサロニケの信徒たちについて、パウロは次のように記しています。
1
テサロニケ16には、“あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。”(2017)と記され、
2
テサロニケ14には、“ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。”(2017)とあります。
キリストに従い続けたパウロはどうであったでしょうか?
2
コリント1224-27には、
24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。”(2017)と記されています。

 キリスト者が主から祝福を受けるということは、必ずしも旧約時代のように、物質的なものではないということがわかります。
パウロは、同じ手紙の中で、次の様にも書いています。
“私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。”(2コリント4172017)と。
私にとっては、パウロの受けた苦難は、耐えられないほどのものですが、パウロは、「私たちの一時の軽い苦難」と言っています。
さらにパウロは、「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」(2コリント4182017)と語りました。

 キリスト者が与えられた祝福は、天にあるものです。
エペソ13には、“・・・。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
教会に来る方の中には、この世の祝福のみを求めてくる方もいますが、そのような求め方をしていると、やがて絶望することになる場合もあることを覚えます。
この世の祝福を求めてきた方が、霊的な祝福を求めるように変えられていきますように。
また、そのような方の旧約聖書の読み方を変えていただけますように。
これからは食料品の値段がさらに高くなっていく時代です。
この世のことだけに目を留めているクリスチャンは、失望してしまうかもしれません。
この世のことだけに心を用いるクリスチャンの霊的な目が開かれ、明確に新生させていただいて、天上にあるものを求めて歩ませていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 主イエスは、ご自身の神としての力によって、命と敬虔とに関わるすべてのものを、私たちに与えてくださいました。それは、私たちをご自身の栄光と力ある顕現とで召された方を、私たちが〔「私たちが」は補足(欄外注)〕知ることによるのです。
〔私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。(2017)〕
4
 この栄光と力ある顕現によって、私たちには尊く大いなる約束が与えられています。それは、あなたがたがこの約束によって、世の欲にまみれた腐敗を免れ、神の本性〔神のご性質(新改訳)〕にあずかる者となるためです。
5
 こういうわけで、あなたがたは力を尽くして、信仰には徳を、徳には知識を、6 知識には節制を、節制には忍耐を、忍耐には敬虔を、7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
8
 これらのものが備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、怠惰な者、実を結ばない者とはならず、私たちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
9
 これらを備えていない者は、目が塞がれ、近くのものしか見えず、自分が以前の罪から清められたことを忘れているのです。
10
 ですから、きょうだいたち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするようにいっそう努めなさい。これらのことを行っているなら、 決して過ちを犯すことはありません。
11
 こうして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるのです。”(2ペトロ1章・聖書協会共同訳)

2023年8月19日 (土)

マタイ24:45-51 忠実な僕と不忠実な僕/常に心の目を覚まして主に仕えよう

 マタイ2445-51には次のように記されています。
45 「主人から、時に応じて食べ物を与えるようにと、家の使用人たちを任された忠実で賢い僕は、一体誰であろうか。
46
 主人が帰って来たとき、そのように働いているのを見られる僕は幸いである。
47
 よく言っておくが、主人は彼に全財産を任せるに違いない。
 48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅れると思い、49 仲間を叩き始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
50
 もしそうなら、その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 並行記事であるルカ1241-48には次のように記されています。
41 そこでペトロが、「主よ、このたとえは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
42
 主は言われた。
「主人から、時に応じて穀物を配分するようにと、召し使いたちを任された忠実で賢い管理人は、一体誰であろうか。43 主人が帰って来たとき、そのように働いているのを見られる僕は幸いである。44 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を任せるに違いない。
45
 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、男女の召し使いを叩いたり、食べたり飲んだり、酔ったりし始めるならば、46 その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。47 主人の思いを知りながらそのとおりに用意もせず、働きもしなかった僕は、ひどく叩かれる。48 しかし、知らずにいて打たれるような働きをした者は、叩かれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 またマルコ1333-37には次のように記されています。
33 「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたは知らないからである。34 それはちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに責任を与えてそれぞれに仕事を託し、門番には目を覚ましているようにと、言いつけるようなものである。35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴く頃か、明け方か、あなたがたには分からないからである。36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
37
 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」”(聖書協会共同訳)とあります。

「主よ、このたとえは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」(ルカ1241)とペテロはイエス様に質問しました。マルコの福音書の方では、はっきりと「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ1337)と記されています。

主イエス様とキリスト者の関係は、愛においては夫と妻との関係を持ちつつ、働きに関しては主人としもべの関係です。主は忠実なしもべを喜ばれます(マタイ2521.23、ルカ1917)。

愛の観点からいえば、主を愛しているならば、愛の故に夫である主に対して忠実であろうと思います。愛する人の為に忠実であることは苦痛ではありません。

主イエス様という夫は、妻であるキリスト者に対していつも愛にあふれた忠実さを示しています。

イエス様は、マタイ2445-51&ルカ1241-48の中で、ペテロの質問に答えて、上に立てられている者たちに対する報いと警告を語られました。
①主に忠実なものは、忠実であった故に、良き報酬を受ける(マタイ2442-44)。
②主に不忠実であり、主にゆだねられた主のしもべたちを主のみ旨とは反対に、肉に属し悪霊に属するようなあり方で好き勝手に扱うようなしもべは、報酬としてお仕置きを受ける(マタイ2445-48)、というものです。

 今日の個所は、一見すると上に立てられた者に対することだけのように読んでしまいますが、キリスト者は全員が天においてキリストの裁きの座に立たされます(2コリント510)。ですから、全てのキリスト者が主に対して忠実であるか不忠実であるかを問われるのです。
私は、何をしたらよいのかわからない、という方もいるかもしれません。
少しの助けになるかもしれませんので、ローマ12章の聖句を記しておきます。
3 ・・・、あなたがた一人一人に言います。分を越えて思い上がることなく、神が各自に分け与えてくださった信仰の秤〔直訳「物差し」(欄外注)〕に従って、慎み深く思うべきです。
4
 一つの体の中に多くの部分があっても、みな同じ働きをしているわけではありません。
それと同じように、5 私たちも数は多いが、キリストにあって一つの体であり、一人一人が互いに部分なのです。
6
 私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、7 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に、教える人は教えに、8 勧める人は勧めに専念しなさい。分け与える人は惜しみなく分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 それでも、自分がどうしたらよいのか、よくわからないという方のために、すこし加筆します。
キリスト者は、主を賛美するご奉仕が出来ます(エペソ16.12.14)。
キリスト者はとりなしの祈りをする祭司の働きが出来ます。
主と兄姉に仕えることは奉仕です。
使徒9章に記されているドルカスは、奉仕をしなければならない、と考えたのではなく、姉妹たちを愛する愛のゆえに、自分の出来ることをしたのです(使徒936-41)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主を愛し、主を愛する故に主にお従いし、主に仕える者であらせてください。
そのような日々を送らせていただきつつ、主が迎えに来てくださる日を待つ者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月18日 (金)

箴言24:11.12 主の福音を語ろう

 箴言2411.12には次のように記されています。
11 死に渡されるために捕らえられた者を救い出し、殺されようとしてよろめき歩く者を助け出せ。
12
あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それをご存じないだろうか。人の行いに応じて、報いをされないだろうか。”(2017)とあります。

 箴言2411.12をリビングバイブルは「無実の罪で死刑を宣告された人を助けなさい。その人が殺されるのを、黙って眺めてはいけません。『全く知らなかった』ととぼけても、神の目はごまかせません。神はそれぞれの行いにふさわしく報いるのです。」と意訳しています。

 リビングバイブルの訳は、裁判における場合を言っているのだろうと思います。
冤罪(無実の罪)によって罰せられることがないように、捜査機関も裁判関係者も裁判に呼ばれた証人も神ヤハウェ(主)の御前に正しく歩むべきことを教えているように思います。

 真実を知っているのに、その真実を述べないと、真実を知っている人が主に裁かれることになるのでしょう。
良いことでも悪いことでも蒔いたものは刈り取るor報いを受けることになるのですから(ガラテヤ672コリント510)。

 聖書協会共同訳は“11 死に捕らえられた人を助け出せ。殺戮を前におびえる人への〔助けを(訳者補足)〕惜しむなら、12 たとえ『知らなかった』と言っても、心を見極める方はそれを調べる。あなたの魂を見守る方は知っていて、人間の行いに応じて報い返されるだろう。”と訳しています。

 口語訳聖書は、“11 死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。12 あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、心をはかる者はそれを悟らないであろうか。あなたの魂を守る者はそれを知らないであろうか。彼はおのおのの行いにより、人に報いないであろうか。”と訳しています。

 魂的に捉えると、福音を知らずに滅びに向かっている人に福音を提供しなさい、と言われているようにも思えます。
新約聖書の中には次のような聖句があります。
 マタイ28章には、
16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。
17
 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
18
 イエスは、近寄って来て言われた。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。19 だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、20 あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 パウロは、弟子のテモテに次のように語りました。2テモテ4章には、
1 神の前で、そして生きている者と死んだ者とを裁かれるキリスト・イエスの前で、その出現と御国とを思い、私は厳かに命じます。
2
 御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい。忍耐と教えを尽くして、とがめ、戒め、勧めなさい。
3
 誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は耳触りのよい話を聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、4 真理から耳を背け、作り話へとそれて行くようになります。5 しかしあなたは、何事にも身を慎み、苦しみに耐え、福音宣教者の働きをなし、自分の務めを全うしなさい。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ペテロ(ペトロ)は、全てのキリスト者に向けて次のように語りました。1ペテロ3章に、
14 たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。
15
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」(2017)と記されています。

 キリスト者は、最低限、証しすることが求められているように思えます。
一方、強迫的に魂を救わなければならない、となってしまっている人もいます。
主イエス様でも、全ての魂を救えたわけではないのです。
神様は、人に、自由意思を与えたからです。
神様は、最後の最後は、天使をも用いて、永遠の福音をすべての人に伝えるのです(黙示録146.7)。
キリスト者は、イエス・キリストの福音を伝えます。
天使の語る福音には、イエス・キリストによる贖いが入っていません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
個人的になりますが、主の導きに従って、福音を語る者であらせてください。
主が、福音を語る対象者を与えてくださいますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月17日 (木)

詩篇87篇 永遠の神の都とキリスト者

 詩篇87篇には次のように記されています。
1 コラの子たちの詩。賛歌。歌。
主が礎を築いた都は聖なる山々の上にある。
2
 主はヤコブのすべての住まいにまさってシオンの門を愛される。
3
 神の都よ、あなたの栄光が語られる。〔セラ
4
 「私はラハブとバビロンを、私を知る者として挙げる。見よ、クシュと共に、ペリシテとティルスも。この者はそこで生まれたと。」
5
 シオンについては、「この者もあの者もそこで生まれた」と言われる。これを堅く据えるのはいと高き方。
6
 主はもろもろの民を数え上げる。「この者はそこで生まれた」と記すときに。〔セラ
7
 歌う者も踊る者も言う。「私の泉〔源(みなもと){新共同訳}〕はすべてあなたの内にある」と。”(聖書協会共同訳)とあります。

 201544日の小生のブログには、以下のように記しました。
“この詩は預言詩であると思います。
ダビデが攻め取ったシオンの要害は、エブス人の町でした。そして、ダビデは、シオンをダビデの町としました。(2サムエル56.7
シオンはエルサレムの別名としても使われています。
ダビデの時代に、神の箱はダビデの町シオンにおかれたのです。

その後、エルサレムと呼ばれる地域は拡大しました。
ソロモンの神殿は、ダビデの町の北側にあったアラウナの打ち場(ダビデが買い取っていた)に建てられました。
イエス様が地上におられた時代のエルサレムは、その時よりも広い地域になっていました。
 やがて、キリストの1000年王国が訪れます。
その時代のイスラエルの土地や聖所、神殿はエゼキエル40章以降に記されています。
また、ゼカリヤ1416には、「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」(新改訳)と記されています。
その時代、教えはシオンから出るのです。(イザヤ21-3
そして1000年間の平和が訪れます。(イザヤ24

 千年王国の後、天のエルサレムが地に降りて来ます。(黙示録211.2
この新エルサレムの門は12の門からなっています。(黙示録2112
新エルサレムの大きさは、12000スタディオン、注解付新改訳の注によると2220kmの立方体になります。(黙示録2116
 新エルサレムはキリストの花嫁であり(黙示録219.10)、高価な宝石のように美しく、かつ透き通っているのです(黙示録2111)。また、光り輝いています。光の源は、父なる神様と御子なのです(黙示録2122.23)。

ペテロは、1ペテロ24.5で「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(新改訳)と記しています。

アダムは土で造られました。キリスト者は、生ける石、と呼ばれています。やがて天のエルサレムで見るキリスト者は神の光をよく通す宝石の様な石となっていると喩えられています。

地上にあっても、魂がきよめられると、霊の内におられる主の光が透過していくことでしょう。そして霊的には美しく見えることでしょう。”と。

 今回は、この文章に少し付け加えたいと思います。
5-7
節を2017は次のように訳しています。
5 しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。
6
主が「この者はこの都で生まれた」と記して、国々の民を登録される。セラ
7
歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります〔わたしの源はすべてあなたの中にある(新共同訳)〕」と言う。”と。

 新生したキリスト者の霊の源と天のシオンの関係について、ガラテヤ426-31には次のように記されています。
26 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です
27
なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、喜びの声をあげて叫べ、産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、多くの子を産むから。」
28
ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。
29
けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、〔神の霊(筆者挿入)〕によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。
30
しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になっては ならないからである」と書いてあります。
31
要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。”(新共同訳)とあります。

 ヨハネ33には、「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。
「新しく」と訳されている語のギリシア語原語は「アノーセン」という語で、上から、第一から、新たに再び、等の意があります。

 詩篇875.6を読むと、へブル1222-24を思い出す人も多いのではないかと思います。へブル12:12-14には、
12 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、13 天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、14 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
天のエルサレムでの生活を待ち望んでいます。
その時まで、与えられた地上での歩みを主に在って1日1日有意義に過ごしていくことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月16日 (水)

申命記27:9.10 主の民と律法

 申命記279.10には次のように記されています。
9 ついで、モーセとレビ人の祭司たちとは、すべてのイスラエル人に告げて言った。静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。きょう、あなたは、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の民となった。
10
あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主の命令と掟を行いなさい。”(2017)とあります。

 少し前の申命記2617-19には次のように記されています。
16 今日、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、これらの掟(おきて)と法(ほう)を行うように、あなたに命じておられる。あなたはそれを、心を尽くし、魂を尽くして守り行わなければ ならない。
17
 今日あなたは、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を神とし、主の道を歩み、その掟と戒めと法を守り、その声に聞き従います」と明言したので、
18
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕も、今日あなたに向かってこう宣言された。「あなたに告げたように、あなたは主の宝の民となり、すべての戒めを守る。
19
 主はあなたに賛美と名声と誉れを与えて、主が造られたすべての国民の上に高く上げる。あなたは、主があなたに告げたように、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の聖なる民となる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 申命記2617によると、旧約の民は、「ヤハウェを神とし、主の道を歩み、その掟と戒めと法を守り、その声に聞き従います」と明言〔誓約(2017)〕した、とあります。
 それを受けて、“モーセとレビ人の祭司たちとは、すべてのイスラエル人に告げて言った。静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。きょう、あなたは、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の民となった。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主の命令と掟を行いなさい。”(申命記279.10)と語ったのです。

 しかし旧約の民は、これらの律法を完全には守り行うことが出来なかったのです。
旧約の民は、自力で、律法を守ることが出来ると考えたのではないかと思います。
人は、堕罪したアダムのゆえに生まれながらに罪の性質を持って生まれてきているということを考えもしなかったのではないかと思います。

 パウロは、ローマ7章で次のように述べています。
5 私たちが肉にあったときは、律法による罪の欲情が五体の内に働き、死に至る実を結んでいました。/
7
 では、何と言うべきでしょうか。律法は罪なのか。決してそうではない。だが、律法によらなければ、私は罪を知らなかったでしょう。律法が「貪るな」と言わなかったら、私は貪りを知らなかったでしょう。
8
 しかし、罪は戒めによって機会を捉え、私の内にあらゆる貪りを起こしました。律法がなければ罪は死んでいたのです。
9
 私は、かつては律法なしに生きていました。しかし、戒めが来たとき、罪が生き返り、
10
 私は死にました。命に導くはずの戒めが、私にとっては死に導くものとなりました。
11
 罪が戒めによって機会を捉え、私を欺き、その戒めによって私を殺したのです。
12
 実際、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖なるもの、正しいもの、善いものです。
13
 それでは、善いものが私に死をもたらすものとなったのでしょうか。決してそうではない。罪は罪として現れるために、善いものによって私に死をもたらしました。こうして、罪は戒めによってますます罪深いものとなりました。”(聖書協会共同訳)とあります。
パウロに限らず、アダムの末裔である私たち人間は、一人として律法を守り切ることなどできません。

 パウロは律法の役割についてどのように述べたのでしょう。
聖書辞典の律法の項の担当執筆者は、J.マーレイの書を基に次のように記しています。
 律法とは、
A.罪を知らせる(ロマ3:20,7:7)。
B
.罪を増し加える(ロマ5:20)。
C
.霊的なものである(ロマ7:14)。
D
.行う義務がある(ガラ5:3)。
E
.人をのろいのもとにおく(ガラ3:10,13)。
F
.義とすることはできない(ガラ3:11)。
G
.キリストに導く養育係である(ガラ3:24)。
したがって律法はキリストにおける究極的完成を目標としている。すなわち人間に代って律法の命じるすべてのことをなし遂げたキリストは、律法ののろいからすべての人を解放したのである(ロマ5:19,ガラ3:11,13)。
キリストを信じる者は義とされて律法に死に、律法は彼に対して死んだものとなる(ガラ2:19)。
信者〔キリスト者(筆者挿入)〕は御霊によって律法ののろいから自由にされる(ガラ5:1)が、それは無律法主義者となることではない。
彼ら〔キリスト者(筆者挿入)〕はモーセの律法にではなく、キリストの律法に支配される(コリ7:19,ガラ6:2)。
彼ら〔キリスト者(筆者挿入)〕は愛のゆえに命令を守り、キリストを通して隣人を愛するのである(ロマ13:9.参照ヨハ3:16)。
信者〔キリスト者(筆者挿入)〕はキリストと霊的に一体とされ、律法を実現する(ロマ3:31)。
したがって、律法を支持し、キリストの律法に服することは信者の義務である。「義認の賜物は服従の使命にかりたてる」”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
恵みによって救われる道を備えてくださいましたことを感謝します。
エペソ28には、“あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。”(新改訳初版~第三版)とありますが、何とか救われたいと願ったときに、信仰も与えられたのだなー、とつくづく思います。
感謝しつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月15日 (火)

マタイ24:31.36-44 終末と満了14/キリストの空中再臨と携挙

 マタイ2431.36-44には次のように記されています。
31 人の子は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わし、天の果てから果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める。/
36
 「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
37
 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。
40
 その時、畑に二人の人がいれば、一人は取られ、一人は残される。
41
 二人の女が臼を挽いていれば、一人は取られ、一人は残される。
42
 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が来られるのか、あなたがたには分からないからである。
43
 このことをわきまえていなさい。家の主人は、盗人が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に忍び込ませたりはしないだろう。
44
 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 31節をリビングバイブルは、“ラッパが高らかに鳴り響く中で、わたしは天使たちを遣わします。天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。”と意訳しています。

 天と地の両方から選びの民が集められるのはキリストの空中再臨に伴う携挙の時です。
まず御父は、御子であり、主であるキリスト・イエス様に、キリストの空中再臨の時が来たことを知らせるのでしょう。
私たちの主であるキリスト・イエス様は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わすのです。そして、天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。

 1コリント1551-54には、
50 きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐこともありません。
51
 ここで、あなたがたに秘義〔奥義(口語訳、新改訳)〕を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。
52
 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます〔霊のからだを与えられます(筆者挿入)〕。
53
 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになるからです。
54
 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利に呑み込まれた。」〔イザヤ258、ホセア1314参照(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)と記され、
 1テサロニケ414-17には、
14 私たちは、イエスが死んで復活されたことを確かなことと信じています。ですから、イエスが帰って来られる時、すでに死んで世を去ったすべてのクリスチャンを、神が共に連れて来てくださると信じてよいのです。
15
私は主から直接聞いたとおりを伝えるのですが、主が再び来られる時、私たちがまだ生きていたとしても、すでに墓の中にいる人たちをさしおいて主にお会いすることは、断じてありません。
16
主は、大号令と、天使長の声〔天使長は天使たちに命令を発するのでしょう(筆者挿入)〕と、神の召集ラッパの響きと共に、天から下って来られます。その時、まず最初に復活して〔霊のからだが与えられて(筆者挿入)〕主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。
17
それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。”(リビングバイブル)と記されています。
 脱線しますが、続く1テサロニケ418には、“ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。”(2017)と記されています。

 携挙は、携挙の準備が整うと起こるのです。
マタイ2437-39には、
37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ノアの箱舟に、入るべき人や動物が入った後、神様が箱舟の戸を閉めたのです。
創世記7章には次のように記されています。
13 まさにその日、ノアは、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、そして息子たちの三人の妻と一緒に箱舟に入った。
14
 彼らと共に、それぞれの種類のあらゆる獣、それぞれの種類のあらゆる家畜、それぞれの種類のあらゆる地を這うもの、それぞれの種類のあらゆる鳥、あらゆる小鳥、あらゆる翼あるもの、15 すなわち、命の息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ、ノアのもとに来て箱舟に入った。
16
 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。神がノアに命じられたとおりであった。そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ルカ17章では、ノアのときだけではなく、ロトの時のことも次の様に記されています。
26 ノアの時にあったようなことが、人の子の時にも起こるだろう。
27
 ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が来て、一人残らず滅ぼしてしまった。
28
 ロトの時にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、29 ロトがソドムから出て行った日に、火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ロトの話を詳しく知るためには、創世記1816-1929を読む必要があります。
ロトの場合も、主の御言葉を信じた3人の者だけが助かったのです。
ロトの奥さんは、世に未練があったために滅びました(創世記1926)。
ロトの二人の娘を娶(めと)る婿たちは、神のことばを信じなかったので滅びました(創世記1914)。

 主の御怒りの日が始まる前に、キリストの空中再臨があります。
そして、キリストの空中再臨の時に携挙されるのです。
地上に残される人は、これらのことを見ることが出来ません。
携挙された人の服を見ることはできるでしょうが(このように推測できるのはヨハネ205-7によります)。

 黙示録3102017は、“あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。”と訳していますが、
直訳すると、前田訳のように、
“なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。”と訳すことが出来ます。

 前田訳の様に訳せる理由は、1テサロニケ415-59を読めばわかります。
特に、1テサロニケ59には、
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)と記されています。
神の御怒りは、黙示録6.8.9.16章、1919-203.7-10に記されています。そしてその後今の天地は滅ぼされ、最後の審判に移るのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
イエス・キリスト様の十字架と復活を感謝します。
イエス・キリスト様の贖いの血潮に感謝します。
携挙していただけますことを感謝します。
あなたの御名が崇められ、賛美されますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月14日 (月)

マタイ24:29.28 終末と満了13 キリストの再臨2

 マタイ2429には、
“「それらの日に起こる苦難の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の諸力〔別訳「万象」(欄外注)、「諸力」と訳されている語のギリシア語原語は「デュナミス」(力)の複数形です。〕は揺り動かされる。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 このような預言は、旧約聖書にも記されており、ヨエル2章には、
10 地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。/
31
主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。”(2017)とあります。

 黙示録612-17の第6の封印が開かれた個所には次のように記されています。
12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり〔太陽は黒布で覆われたように暗くなり(リビングバイブル)〕、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった〔そして、星が地上に落ちたのです。まるで、いちじくの青い実が、大風にばらばらと振り落とされるようでした(リビングバイブル)、多くの隕石が落ちてきたのかもしれません(筆者挿入)〕。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者〔身分の高い人(リビングバイブル)〕、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。16 そして、山と岩に向かって言った。
「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ2429の中には、“星は天から落ち”とありますが、
黙示録613にも、“天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。”(聖書協会共同訳)とあり、
黙示録810.11の第3のラッパの災いの時には、
10 第三の御使いがラッパを吹いた。すると、天から、たいまつのように燃えている大きな星が落ちて来て、川の三分の一とその水源の上に落ちた。
11
この星の名は「苦よもぎ」と呼ばれ、水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。”(2017)と記されています。

 また、マタイ2429の中には、“たちまち太陽は暗くなり”ともありますが、
黙示録612以外にも、黙示録1610.11には、
10 第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
11
そして、その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。”(2017)と記されています。

 また、マタイ2429の中には、“天の諸力は揺り動かされる”とありますが、天の諸力を堕天使集団と仮定すると、黙示録127-9には、
7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜〔悪魔{サタン}(筆者挿入)〕に戦いを挑んだのである。竜とその使いたち〔堕天使集団(筆者挿入)〕もこれに応戦したが、8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
9
 この巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 イザヤ24章には次のように記されています。
17 地に住む者よ。恐怖と落とし穴と罠があなたに臨む。
18
 恐怖の叫びから逃れる者は落とし穴に落ちる。落とし穴の中から這い上がる者は罠に捕らえられる。天の水門は開かれ、地の基は震え動く。
19
 地は裂けに裂け、地は破れに破れ、地は揺れに揺れる。
20
 地は酔いどれのようによろめき、仮小屋のように揺れ動く。地の背きは地の上に重く、地は倒れて再び起き上がることはない。〔地のそむきの罪と大地震との関連性を想起させます(筆者挿入)〕
21
 その日になると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は罰する。天上では天上の軍勢を、大地の上では大地の王たちを。
22
 彼らは、囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、長い月日がたった後、罰せられる。
23
 月は辱められ、太陽は恥じる。シオンの山において、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が王となられ、エルサレムにおいて、長老たちの前にその栄光を現されるからだ〔キリストの千年王国時代のことでしょう(筆者挿入)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。

マタイ24:28には、“屍〔「死体」(口語訳、新改訳)〕のある所には、禿鷲が集まるものだ。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所を読むと、黙示録19章を思い浮かべます。黙示録19章には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
〔この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。(2017)〕
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。
17
 また私は、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った
さあ、神の大宴会に集まれ18 王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」
19
 私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。
20
 しかし、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。
21
 残りの者たちは馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるまで食べた。”(聖書協会共同訳)とあります。
17.18.21
節には、鳥が死体を食べることが預言されています。この戦いはエルサレムを中心とするユダヤの地で行われます(ゼカリヤ12章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを崇めます。
あなたは罪が満ちたときには、その裁きをなさるお方です。
しかし、あなたは愛のお方であられ、決定的な裁きをなさる前に、救いの道をイエス・キリスト様によって開いてくださいました。
見ずに信じる者は幸いである、と言われている時代に救いにあずからせていただきました恵みを感謝します。
神の子どもとして、キリストの花嫁として、ふさわしくお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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