日毎の恵み16

2023年11月23日 (木)

マタイ28:1-10 イエス・キリストの復活/とこしえに主と共に

 マタイ281-10には次のように記されています。
1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
2
 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。
3
 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
4
 見張りの者たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
5
 天使は女たちに言った。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこで お目にかかれる。』あなたがたにこれを伝えます。」
8
 女たちは、恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
9
 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、女たち〔マグダラのマリアともう一人のマリア(筆者挿入)〕は近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
10
 イエスは言われた。
「恐れることはない。行って、きょうだいたちにガリラヤへ行くように告げなさい。そこで私に会えるだろう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリストの復活に関連する記述は他の福音書にも記されていますが、多少の違いのある個所もあります。
正確を期すためには、もっと多くの字数を用いて時系列的に、書いてくれたらよかったのにと思いますが、このときの弟子たちは気が動転していた時であったので仕方がなかったのかもしれません。

 1節には、“さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。”とありますが、
ルカ2410には、“それは、マグダラのマリア、ヨハナ〔ヨハンナ(口語訳、新改訳)〕、ヤコブの母マリア、そして一緒にいたほかの女たちであった。女たちはこれらのことを使徒たちに話した。”(聖書協会共同訳)と記されています。
ルカ:2410には“一緒にいた他の女たち”という記述もありますが、その女たちの中にはサロメがいました。 
 マルコ161.2には“安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日、朝ごく早く、日の出とともに墓に行った。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 サロメについて聖書辞典は“ゼベダイの妻で、ヤコブとヨハネの母。マコ15:40によれば、イエスの十字架を遠くから見ていた女たちの中に、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤ、そしてサロメがいた。またマコ16:1では、イエスのからだに油を塗りに行ったのは、マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメとなっている。さらにマタ27:56には、十字架を遠くから眺めていた女たちの中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた、とある。これらのことから、サロメはゼベダイの子らの母であったと思われる。他方ヨハ19:25には、イエスの十字架のそばに立っていた女性として、イエスの母、母の姉妹、クロパの妻のマリヤ、マグダラのマリヤの4人があげられている。そこでサロメはイエスの母マリヤの姉妹であり、したがってヤコブとヨセフはイエスのいとこであったという仮説がある。もしそうであれば、十字架上のイエスが、母マリヤをヨハネに託したのもうなずける。しかしマコ15:41によれば、十字架を目撃した女性はこのほかにも多くいたから、マグダラのマリヤは別として、ヨハネは共観福音書と全く別の人名をあげたという可能性もあり、定かでない。”と述べています。

 ヨハンナについて聖書辞典は“イエスによって悪霊や病気をいやされた女たちの一人で、イエスの旅行の手助けをした(ルカ8:2.3)。彼女の夫は、ヘロデ・アンテパスの執事クーザであったが、彼が具体的にどのような役割を担っていたのかは不明である。ヨハンナは、イエスの埋葬のために、週の初めの日の明け方早く墓に出かけ、イエスの復活を11人の弟子に報告した女性の一人である(ルカ24:1‐10)。ルカだけがヨハンナと何人かの女性たちの名をあげているが、それは、ルカが彼女たちと知り合いで、彼女たちから情報を得ていたためであると考えられる。”と述べています。{文中の(ルカ83)を(ルカ82.3)と変えさせていただきました}

 ルカ2355-244には次のように記されています。
23:55 イエスと一緒にガリラヤから来た女たちは、ヨセフの後に付いて行き、墓と、イエスの遺体が納められる様子とを見届け、56 家に帰って、香料と香油を準備した。
56
 女たちは、安息日には戒めに従って休んだ。
24
1 そして、週の初めの日、明け方早く、準備をしておいた香料を携えて墓に行った。
2
 すると、石が墓から転がしてあり、3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに立った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ここに登場する香料を携えて墓に行った女性たちは、墓の石を動かす力が無かったので、墓石を動かしてくれる人が誰かいて欲しいな、と思っていました。
 ルカ241に「・・、週の初めの日、明け方早く、準備をしておいた香料を携えて墓に行った。」とありますが、墓に到着する前に、一つの心配事がありました。それは、「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」(マルコ163・聖書協会共同訳)という女性たちの会話からわかります。
また、マルコは、この女性たちが、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメであると記しています(マルコ161)。

ルカ242には、「すると、石が墓から転がしてあり」とありますが、マタイはこのところを詳しく、「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。」(マタイ282)と記し、石をわきにころがしたのは天使であると記しています。

脱線しますが、
私たちも、「あの問題、どうしよう。この問題、どうしよう。」と悩むときがあります。自分ではどうすることもできない問題についての話です。
しかし、そのことを祈り、その祈りの答えを知って(or見てor体験して)、「エッ、そんなふうに解決したの、それは主が働いてくれたのだ。」と思うようなことがあると思います。
主が生きて働いておられることを体験しているに人に対しては、主イエス様の復活の真実を理論的に説明する必要もありません。
主が今生きて働いていてくださっておられること、また、いつも主と交わりをもって生活しているという実感を持っていること、主が自分の内におられること等を体験しているからです。

話を元に戻しますが、天使が現れた時の番兵の様子がマタイ282-4に、「2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。4 見張りの者たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」と記されています。

ルカ242.3には、女性たちの見たこととその後の行動について「すると、石が墓から転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」と記されています。

女性たちが天使にあったのはそのあとでした。次の4節には、「そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに立った。」とあります。

この天使は、青年のような若さに見えたのでした(マルコ165.6)。

主イエス様の弟子たちや主イエス様を愛していた婦人たちは誰も墓石が動かされたところを見ませんでした。
しかし、墓の石を開ける者がないように、墓石に封印をし、番をしていたローマの兵士は、天使が天から降りてきて墓石をわきにころがして、墓石の上に座ったのを見たのです。
その時に地が震えたのです。ローマ軍の兵士は恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったのです。
そのときの様子が、マタイ282-4に「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。見張りの者たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」と記されています。

 女性たちは、天使たちの言葉を聴いた後、復活されたキリスト・イエス様にお会いしたのです。再掲しますが、マタイ285-9には次のように記されています。
5 天使は女たちに言った。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこで お目にかかれる。』あなたがたにこれを伝えます。」
8
 女たちは、恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
9
 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、女たち〔マグダラのマリアともう一人のマリア(筆者挿入)〕は近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。”とあります。

 主イエス様は、女性たちがびっくりしないお姿で現れてくださいました。
その後の弟子たちにも、主イエス様は、驚かせないような姿で現れてくださいました。

 主キリスト・イエス様は、昇天後、御父の右の座に着座されました。そして天地の主権者となられたのです(マタイ2818)。
天の神の王国は、三権分立ではありません。
法はすでに定まっています。
主イエス様は、天においても地においても一切の権威を持たれたのです。
司法と政治、軍事について、権威を持たれているのです。
黙示録1章を見ると、主キリスト・イエス様を見た使徒ヨハネ(最後の晩餐では主の胸に寄りかかっていた人です)はビックリして死人のようになったのです。

 黙示録112-18には次のように記されています。
12 私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、13 燭台の間には人の子のような方〔主キリスト・イエス様(筆者挿入)〕がおり、足元まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めていた。
14
 その方の頭髪は白い羊毛に似て雪のように白く、目は燃え上がる炎、15 足は燃えている炉から注ぎ出される青銅〔真鍮(口語訳、新改訳、新共同訳)〕のよう〔おそらく金に似た輝きであったのでしょう(筆者挿入)〕であり、声は大水のとどろきのようであった。
16
 また、右手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が突き出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
17
 この方を見たとき、私は死人のようにその足元に倒れた。すると、その方は右手を私の上に置いて言われた。「恐れてはならない。私は最初の者であり最後の者、18 また、生きている者である。ひとたび死んだが、見よ、世々限りなく生きており、死と陰府の鍵を持っている。”(聖書協会共同訳)とあります。

 また黙示録1911-16には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 私たちは、どのイエス様を信じて生活しているのでしょうか。
赤子のイエス様をいつも見て、地上の母であったマリアさんの方を大きく見て生活しているでしょうか。
それとも優しいイエス様でしょうか。
それともいつも十字架にかかっておられるイエス様でしょうか。
それとも天の御座に座しておられる主権者としてのイエス様でしょうか。
主イエス様をどのように認識して生活するかによっても信仰生活はだいぶ変わってくることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私は日常においては、いつも愛してくださる優しいイエス様と一緒に生活させて頂けていますことを感謝します。
罪を示されたときには、十字架上で血を流されたイエス様を思います。
しかし、悪しき霊と対決するときには、天地万物の主権者であられる主イエス様の権威に基づき対決させていただけますから感謝します。
主を重んじる者を主は重んじられるお方(1サムエル230)であられ、主を愛する者を主は愛されるお方であられ(箴言817、ヨハネ1421)、主を愛している者を助けてくださるお方であられ(詩編9114)、主を愛している者に現れてくださるお方です(ヨハネ1421)から御名を崇め、賛美し、感謝します。
代々いついつまでも主を愛し、主にお従いして歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月22日 (水)

箴言26:18.19 永遠の愛の中で

 箴言2618.19を、
2017
は“18 気がふれた者は、燃え木を死の矢として投げるが、19 隣人をだましながら、「ただ、戯れただけではないか」と言う者も、それと同じ。”と訳し、

聖書協会共同訳は“18 我を失った者は、火矢を、矢を、死を放つ。19 そして友人をだまして言う。「笑わせようとしただけではないか」と。”と訳し、

リビングバイブルは“18.19 人をだましておきながら、「ちょっとからかっただけだ」としらばくれる者は、手当たりしだい物を投げつける気がおかしくなった人のように危険です。”と意訳しています。

 「気がふれた者」(2017)、「我を失った者」(聖書協会共同訳)、「気がおかしくなった人」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーハハ」という語で、燃える、焼く、狂暴である、狂気じみている、気の狂った、ばかげた、無謀な、無分別な、・・等の意があります。

 「燃え木」(2017)、「火矢」(聖書協会共同訳)と訳されているヘブライ語原語は「ジークの複数形のジーキム」で、火矢、燃え木、たいまつ、閃光、・・・等の意があります。

 「矢」と訳されているヘブライ語原語は「ヘーツの複数形のへ―ツィム」です。

 18節を直訳すると、「我を失った者or気がふれた者は、火矢or燃え木、矢、そして死を投げるor放つ」と記されています。そして「火矢」や「矢」を投げるのは1回ではすみません。

 余談になりますが、私がかかわった人の中には、内に住み着いた悪しき霊から親に向かって「包丁を投げろ」と幾度も脅迫された人がいました。
この人は、このような自分から解放されたいと願っていました。
それ故、主の御名によって悪霊を追い出し、その後、この人は主を信じて笑顔を見せてくれるようになりました。もう数十年前の話なので、この人は今どうしていることでしょう。天国で再会できたら嬉しいです。

 上記のような人に限らず、このような人の目は悪しき霊に取り憑かれているような異常な目つきをしているように思います(私の経験では)。私の場合は、このような人と対峙した場合、背筋がゾッとします。そして直ちに主の霊に満たされるための祈りを心の中でしてから対処します。

 19節の「隣人」(2017)、「友人」(聖書協会共同訳)と訳されているヘブライ語原語は「レーア」で、仲間、隣人、夫、友人、恋人、愛人・・等の意があります。

 「だます」と訳されているヘブライ語原語は「ラーマー」で、だます、欺く、強く投げる、投げつける、・・・等の意があります。

 19節は、「それから(orちょうど~と同じ)、仲間(or友人or隣人oror恋人or愛人)をだまして(or欺いて)言う{(ヘ)レーアに投げつけて言う}。『ただ、戯れただけではないか』(or『冗談、冗談』)と。」

 このような人には近づきたくないですね。
しかし、当人は苦しんでいる場合もあるのです。
配偶者の関係であれば、まさしくDVですね。

 ユダの手紙の一部を抜粋すると次のようになる聖句があります。
「あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。火の中からつかみ出して救いなさい。」(20.21.23抜粋・2017

 話しは変わりますが、キリスト者のとこしえの配偶者は主キリスト様です。ハレルヤ!
主は、全き愛をもって愛してくださり、偽りを言うことなく、導き支えてくださいます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
御父と御子イエス様と御聖霊に愛され、永遠を過ごすことの出来る幸いを感謝します。
あなたの愛が私たちからもあふれ出て、アガペーの愛で愛し合いながら世々限りなく愛にあふれた豊かな生活をしていくことができますように。
あなたがそのようにしてくださいますから感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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ユダの手紙24.25
「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。」

2023年11月21日 (火)

詩篇104:5-9 地と海の創造/新天新地の創造は見ることができるかもしれない

 詩篇1045-9には次のように記されています。
5 主は地をその基の上に据え、代々とこしえに揺らぐことのないようにされた。
6
 深淵が衣のように地を覆い、水が山々の上にとどまっていた。
7
 あなたの叱咤(しった)によって水は逃げ去り、あなたの雷鳴によって逃げ惑った。
8
 水は山々を上り、谷間を下り、あなたが礎を築いた所に向かった。
9
 あなたは境を置き、水が越えて、再び地を覆うことのないようにされた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この箇所は、神様の創造の御業のうち、地と海に関することが記されています。

創世記12を新共同訳は“「地は混沌であって、闇が深淵〔ヘブライ語原語は「テホーム」でその意は、深淵、淵、深い穴や谷底、深海、地獄(筆者挿入)〕の面にあり、神〔ヘブライ語原語は「エロヒーム」で神「エル」の複数形(筆者挿入)〕の霊が水の面を動いていた。”(新共同訳)と訳し、
2017
は“地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。”と訳し、
聖書協会共同訳は“地は混沌として〔別訳「形なく、空しく」(欄外注)〕、闇が深淵の面(おもて)にあり、神の霊が水の面を動いていた。”と訳しています。
 
 創世記19.10には、神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。(新共同訳)とあります。

 ヨブ381-11には次のように記されています。
1 主は嵐の中からヨブに答えられた。
2
 知識もないまま言葉を重ね、主の計画を暗くするこの者は誰か。
3
 あなたは勇者らしく腰に帯を締めよ。あなたに尋ねる、私に答えてみよ。
4
 私が地の基を据えたとき、あなたはどこにいたのか。それを知っているなら、告げよ。
5
 あなたは知っているのか。誰がその広さを決め、誰がその上に測り縄を張ったのかを。
6
 地の基は何の上に沈められたのか〔その台座は何の上にはめ込まれたのか(2017)〕。誰が隅の親石を据えたのか。
7
 夜明けの星々がこぞって歌い、神の子らが皆、喜び叫んだときに。
8
 海がその胎内からほとばしり出たとき、誰が海の扉を閉じたのか。
9
 私が雲をその上着とし、密雲をその産着としたときに。
10
 私は海のために境を定め、かんぬきと扉を設けた。
11
 私は言った。「ここまでは来てもよいが、越えてはならない。あなたの高ぶる波はここで止められる」と。(聖書協会共同訳)とあります。

箴言827-30には、
27 神が天を堅く立てられたとき、わたしはそこにいた。深淵の面(おもて)に円を描かれたとき、28上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定められたとき、29 海にその境界を置き、その水が主の仰せ〔あるいは「その端」。直訳「その口」(欄外注)〕を越えないようにし、地の基を定められたとき、30 わたしは神の傍(かたわ)らで、これを組み立てる者であった。2017)記されています。

 

詩篇1045-9の箇所は、地と海の創造の御業を記していますが、ここに記されてあることの一部はノアの大洪水の後にも再度起こったのかもしれないと想像させられます。
それは新改訳初版~第三版の訳で6-9節を読んだ場合で、次のように記されています。
6 あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。水は、山々の上にとどまっていました。
7
水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。
8
山は上がり、谷は沈みました〔「水は山々を上り、谷間を下り」(聖書協会共同訳)〕。あなたが定めたその場所へと。
9
あなたは境を定め、水がそれを越えないようにされました。水が再び地をおおうことのないようにされました。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主がヨブに「私が地の基を据えたとき、あなたはどこにいたのか。」という場面がありますが、私もヨブと同じで、その時にはまだ存在していなかったのです。
聖書の聖句から、色々なことを想像できても、直接見たわけでもなく、正しい答えを主に答えるなどということは全くできない者です。
ただ、主が新天新地を創造なさる時には、それを見ることができるのかもしれないと心躍らせる者です。
主が新天新地を創造なさる時のすばらしさ、その力を見させていただいて、心躍らせ、大喜びで主を賛美するのではないかと思います。
全き愛をお持ちであり、創造主であられるあなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イザヤ6517.18a“見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。”(2017

2023年11月20日 (月)

申命記33:23-25 ナフタリ族、アシェル族への祝福の預言/主に信頼する者を主はいつも祝福してくださる

 申命記3323-25には次のように記されています。
23 ナフタリについて彼は言った。「ナフタリは恵みを豊かに受け、主の祝福に満ち、西と南を所有する。」
24
 アシェルについて彼は言った。「アシェルはどの子よりも祝福される。その兄弟たちに愛され、その足を油に浸す。
25
 あなたのかんぬきは鉄と青銅、あなたの強さはあなたの生きるかぎり続く。」(聖書協会共同訳)とあります。

 23節には、ナフタリについて彼は言った。「ナフタリは恵みを豊かに受け、主の祝福に満ち、西と南を所有する。」(聖書協会共同訳)とあります。

ナフタリの相続地は「西と南」となっています。
「西と南」と訳した日本語訳聖書には、聖書協会共同訳、新改訳、文語訳があり、その箇所を「湖とその南」と訳した聖書には口語訳、新共同訳があります。リビングバイブルは「ガリラヤ湖の西と南」と意訳しています。
「湖」、「西」と訳された語のヘブライ語原語は、「ヤーム」で、その意味は、「海、湖、大きな河、西、南」とStrong辞書にあります。
 地図上で見るナフタリの南北は、ガリラヤ湖(キネレテ湖)の南から、ヘルモン山から流れ出た水が流れ込んでいる上ヨルダン川までで、ナフタリの東側はガリラヤ湖とガリラヤ湖に流れ込む上ヨルダン川の西側であり、ナフタリの西側の境界はおもにアシェルに接しています。
ナフタリの西南地域はゼブルンに接し、南はイッサカルに接しています。
イエス様の時代、この地方はガリラヤ地方の一部をなしていました。
この地方は豊かな土地であり、その上ガリラヤ湖には魚がいます。
23
節に、「ナフタリは恵みを豊かに受け、主の祝福に満ち」とあるように、ナフタリの相続地は水資源に恵まれ、農業、漁業に恵まれていたのです。

 食を得るのに大変な地域を相続地として与えられた人々は、日々の食事について、主への祈りを熱心にすることになるでしょうが、祈らなくても魚は取れるし、地の作物は豊かに実るとなると、主への祈りがおろそかになりやすいものではないかと思います。

 私たちキリスト者も順風満帆なときと試練に次ぐ試練が与えられたときとでは祈りの熱心さが異なるのではないかと思います。
主が与えてくださったものであれば、一般に祝福と思える事柄はもちろん祝福ですが、未信者がキリスト信者に対して「それでも主を信じているの」と揶揄するような試練をキリスト信者が与えられているときも、キリスト信者にとっては大いなる祝福なのです。
試練を通してより豊かな祝福を主からいただけるからです。

 24節には、アシェルについて彼は言った。「アシェルはどの子よりも祝福される。その兄弟たちに愛され、その足を油に浸す。(聖書協会共同訳)とあります。

「その足を油に浸す」とあるようにアシェルの地はオリーブ油の豊かな産地でした。

 25節には、あなたのかんぬきは鉄と青銅、あなたの強さはあなたの生きるかぎり続く。(聖書協会共同訳)とあります。

新改訳2017は、「あなたのかんぬきは鉄と青銅。あなたの力が、生きるかぎり続くように。」と訳しています。

アシェルの相続地は、地中海に面しており、カナンの地へ侵略してくる者の通り道であったのです。それ故、「あなたのかんぬきは鉄と青銅。あなたの力が、生きるかぎり続くように。」とあるのでしょう。
アシェルが律法に従った歩みをしていれば、安全であったのでした。ヤハウェ(主)が守ってくださり、戦う力を与えて下さるからです。

 私たちキリスト者は、主イエス様に信頼していれば勝利です。それどころか、新生した者は、勝利が確定しています。
 使徒ヨハネは、「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。」(1ヨハネ54・口語訳)、「神から生まれた者はみな〔(直訳)神から生まれたすべては(神から生まれたのは霊です){筆者挿入}〕、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」(1ヨハネ54・新改訳2017)と述べています。

 パウロもローマ人への手紙8章に次のように記しています。
35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。/
37
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある
38
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いものも深いものも〔高い所にいるものも、低い所にいるものも(新共同訳)〕、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(口語訳)と述べました。

 パウロは「わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」と述べていますが、同時にその理由を「わたしたちを愛して下さったかたによって」と記しています。

 「世の波風いかにあれて」(聖歌474 聖歌総合版491)の5節に次のような歌詞があります。
「ハレルヤ! 主は 世と悪魔にすでに勝ちを得給えば 我らもまたイェスと共に日々勝ち得て余りあり 主の安き 主の安き 我は内に今持てり 主の安き 主の安き 我は内に今持てり」と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たち新生させて頂いたキリスト者は、既に祝福を与えられていますから感謝します。
サタンに騙されることがありませんように。
誰が見ても豊かな祝福を与えられていると思えるときには、主への感謝と賛美を忘れることなく、試練の中にある時にも、祈りを導いてくださる聖霊によって大いなる感謝と賛美が献げられますように。
私たちを守り、導き、支え、祝福してくださっておられるあなたの御名を崇め、感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月19日 (日)

マタイ27:62-66、28:2-4、11-15 イエス・キリストを埋葬した墓と墓を見張ることに関係した人々

 マタイ2762-66には次のように記されています。
2762 明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、63 こう言った。
「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを思い出しました。64 ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』と 民衆に言い触らすかもしれません。そうなると、人々は前よりも、もっとひどくだまされることになります。」
65
 ピラトは言った。
「番兵を出してやるから、行って、思うとおりに見張らせるがよい。」
66
 そこで、彼らは行って石に封印をし、番兵と共に墓を見張った。”(聖書協会共同訳)とあります。
この箇所の記事内容はマタイだけが記しています。

62節に、“明くる日、すなわち、準備の日の翌日”とあります。
その日は安息日でした。即ち、安息日に、“祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって”とあるように、祭司長たちとファリサイ派の人々の自己矛盾は甚だしいものがあります。
イエス様が、安息日に病人を癒したときには猛烈に非難したにもかかわらず、祭司長やパリサイ人たちは、安息日に行動しているのです(そのように行動しても良い内容であったということなのかもしれませんが)。

 主イエス様が安息日に病人をいやしたことについてユダヤの指導者たちは批判していたのです。一例としてヨハネ51-16には次のように記されています。
1 その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。
2
 エルサレムには羊の門のそばに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。
3
 その回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。〔新共同訳は異本訳として53b-4として「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」と記しています(筆者挿入)〕
5
 さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。
6
 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
7
 病人は答えた。「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が行く間に、ほかの人が先に降りてしまうのです。」
8
 イエスは言われた。「起きて、床を担(かつ)いで歩きなさい。」
9
すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
10
 そこで、ユダヤ人たちは病気を癒やしていただいた人に言った。
今日は安息日だ。床を担ぐことは許されていない。」
11
 しかし、その人は、「私を治してくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。
12
 彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのは誰だ」と尋ねた。
13
 しかし、病気を治していただいた人は、それが誰であるか知らなかった。群衆がその場にいたので、イエスはそっと立ち去られたからである。
14
 その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」
15
 この人は立ち去って、自分を治したのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。
16
 そのため、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

祭司長やファリサイ派の人たちは、ピラトに、「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』と 民衆に言い触らすかもしれません。そうなると、人々は前よりも、もっとひどくだまされることになります。」(63.64)。と語ったのです。

 はたして弟子たちに主イエス様を墓から盗み出すというような勇気はあったのでしょうか。
その頃、弟子たちは、恐れに満たされていました。安息日の翌日(日曜日)に、イエス様が復活されたということを、マグダラのマリアや他の女性から、恐らく朝の内に(ヨハネ2011-18、マタイ288)聞いた弟子たちでしたが、それでもユダヤ人たちを恐れていたのです。それは次の聖句によって分かります。

ヨハネ2018.19には、マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(聖書協会共同訳)とあります。

弟子たちは恐れていましたから、イエス様の死体を盗み出すどころではなかったのです。
しかし、祭司長やパリサイ人たちがとった行動は、イエス様の復活を信じることが難しい者にとって役に立ちました。

何故なら、墓石はしっかりと閉められ、石には封印が張られ、かつローマ兵に墓の番をさせたのですから。

 しかし主イエス様は復活されました。ローマ兵たちは、地震が起こったこと。天使が現れ墓の入り口を閉じている大きな石を天使が転がしたこと。天使の姿が光り輝き、その衣が雪のように白かったこと等を見て体が固まってしまったのです。
 マタイ282-4には次のように記されています。
2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。4 見張りの者たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ローマ兵たちは職務を遂行できなかったので罰を恐れて恐怖を覚えていました。ローマ兵たちはピラトのもとに帰ることもできず、祭司長たちの所へ行ったのです。祭司長たちは何と言ったのでしょうか?

マタイ2811-15aには次のように記されています。
11 女たちが弟子たちのところに向かっている間に、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。
12
 そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、13 言った。
「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。14 もしこのことが総督の耳に入ったとしても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」
15
 兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主イエス様を信じる前の私は、イエス・キリストの復活は本当か嘘か、ということについて状況証拠を分析したものです。
しかし、主イエス様を信じさせていただいて、日々主イエス様と交わりを持てるようになると、論理的なことはどうでもよく、復活された主イエス様がおられることは至極当然のようになっています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
日々、主イエス様との交わりの内に歩ませていただけますことを感謝します。
恵み深き主に感謝しつつ私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月18日 (土)

箴言26:17 争いを見たらまず祈ろう

 箴言2617には、“自分に関係のない争いにいきり立つ者は、通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。”と訳しています。

 BIBLE naviはこの個所の適用注解として次の様に述べています。
“犬の耳をつかむのは、犬に噛まれるには良い方法であり、争いに干渉するのは、傷つけられるには良い方法である。多くの場合、争う者たちの両方が干渉する者を攻撃する。あなたに関係のない争いから離れるのが最善である。もし関与しなければならないのであれば、争う者たちが戦うのをやめて少し落ち着くまで待つようにしよう。それから、彼らの違いと関係を修繕できるかもしれない。”と。

 争いについて、今私が思い浮かぶところでは、人の肉からくるもの、肉と霊の戦いからくるもの、神の霊と悪しき霊の戦いからくるものなどがあります。

 肉から生じる争いについての聖句を下記します。
(ここでいう「肉」とは単なる人間のことではなく、罪の奴隷となり、本能的欲望のままに生きる人間のことを指しています)
ヤコブ41-2bには“1 あなたがたの中の戦いや争いは、どこから起こるのですか。あなたがたの体の中でうごめく〔直訳「進軍する」(欄外注)〕欲望から起こるのではありませんか。
2
 あなたがたは、欲しがっても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。”(聖書協会共同訳)とあり、
 ガラテヤ519-21aには“19 肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、21 妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 肉と霊の戦いからくるものに関する聖句を下記します。
ガラテヤ5章には次のように記されています(一部前述と重複します)。
16 私は言います。霊〔神の霊(筆者挿入)〕によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
17
 肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。この二つは互いに対立し、そのため、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。
〔リビングバイブルは次のように意訳しています。
「私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行ないたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。」(筆者挿入)〕
18
 霊に導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
〔しかし、本来聖霊に導かれているあなたがたは、もう自分を律法に従わせる必要がありません。(リビングバイブル)〕
19
 肉の行いは〔生まれながらの悪い性質、つまり肉に従った結果がもたらすものは(リビングバイブル)〕明白です。淫行、汚れ、放蕩、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、21 妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。以前も言ったように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。
22
 これに対し、霊の結ぶ実は、〔しかし、聖霊が生活を支配してくださる時、私たちのうちに、次のような実を結びます(リビングバイブル)〕愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、節制〔自制(新改訳)〕であり、これらを否定する律法はありません。
24
 キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。
25
 私たちは霊〔神の霊(筆者挿入)〕によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。
26
 思い上がって、互いに挑み合ったり、妬み合ったりするのはやめましょう。”(聖書協会共同訳)と記され、

 ローマ81-10には次のように記されています。
聖書協会共同訳は、
1 従って、今や、キリスト・イエスにある者は罪に定められることはありません。
2
 キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
3
 律法が肉により弱くなっていたためになしえなかったことを、神はしてくださいました。つまり、神は御子を、罪のために、罪深い肉と同じ姿で世に遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
4
 それは、肉ではなく霊に従って歩む私たちの内に、律法の要求が満たされるためです。
5
 肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思います
6
 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和です。
7
 なぜなら、肉の思いは神に敵対し、神の律法に従わないからです。従いえないのです。
8
 肉の内にある者は、神に喜ばれることができません。
9
 しかし、神の霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の内にではなく、霊の内にあります。キリストの霊を持たない者は、キリストに属 していません。
10
 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、霊は義によって命となっています。”と訳し、

 同じ個所をリビングバイブルは次のように意訳しています。
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が、罪の宣告を受けることはありません。
2
なぜなら、いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。
3
律法を知っているだけでは、罪の支配からは救い出されません。私たちはそれを守ることもできないし、実際守ってもいないからです。ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。すなわち、神のひとり子を、私たちと同じ体を持つ者として――ただ、私たちのような罪の性質を持たない点では異なりますが――世にお遣わしになったのです。そして彼を、私たちの罪のためのいけにえとして、私たちをがんじがらめにする罪の支配を打ち破られたのです。
4
ですから今、私たちは聖霊に従って歩むなら、律法に従うことができるのです。そしてもはや、古い罪の性質の言いなりになることはありません。
5
罪の性質に従っている人は自分を喜ばせようとしますが、聖霊に従って歩む人は、神に喜んでいただこうとします。
6
聖霊に従って歩むならいのちと平安があり、古い罪の性質に従って歩むなら死が待っています。
7
古い罪の性質は神に敵対するからです。古い性質が律法に従ったことは一度もなかったし、これからも決してありません。
8
ですから、なおも古い自我に支配されて欲望に従い続ける者は、決して神をお喜ばせすることができないのです。
9
しかし、あなたがたはそうではありません。もし神の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、新しい性質に支配されているのです。もしその人のうちにキリストの御霊が住んでおられないなら、その人はクリスチャンではありません。
10
もしキリストがうちに住んでおられるなら、古い自分は罪のために死んでも、キリストにあって新しい自分が生きるのです。”と記しています。

 聖霊に従って歩むキリスト者とこの世の霊に従って歩む生まれながらの人の間には越えがたい溝があることがわかります。
現在のイスラエルとハマスの間の闘争を報道している報道関係者の多くは、この世の霊{悪魔悪霊(1ヨハネ519)}に従って歩む生まれながらの人(肉の性質のみの人)ですから正しい報道をすることができないのです。
日本人キリスト者で、イスラエルの地に住み、イスラエルのニュースを発信してくださっておられる人に石堂ゆみ姉がいます。その人は「オリーブ山通信」というイスラエルを中心とした中東・世界のニュースをエルサレムから発信してくれています。ご存知ない方は参考にするとよいと思います。

 争いの根本的な問題は、悪魔(サタン)の野望からくるものです。
悪魔悪霊は、常に神に対して、イスラエルに対して、キリスト者に対して戦いを挑んできます。
サタン(悪魔)は、創世記315に記されている神ヤハウェ(主)の宣告を聞いた後から、キリストの贖いが成就するまでの間、救い主を誕生させるイスラエルを、サタンの思いに同調する人々を用いて滅亡させようとして来たのです。
またサタンは、イエスが誕生した直後には、ヘロデを用いて直接イエスを殺そうとしたのです。
 悪魔悪霊は、キリスト者を攻撃します。
新生したキリスト者で、霊の世界の分かる人は、よく理解できることと思います。
悪魔悪霊は、自己保身のため、1948年のイスラエル建国後からは、イスラエルを折に触れて抹殺しようとしています。
イスラエルが存在しなくなれば、キリスト・イエスの再臨の必要がなくなり、自分たちは永遠の裁きから免れる、と考えているのでしょう。

 反イスラエルの霊が世界を席巻しています。
詩篇834.5には“彼ら〔反イスラエルの霊に支配されている人たちや国々(筆者挿入)〕は言っています。
「さあ彼らの国〔イスラエル(筆者挿入)〕を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」
彼らは心を一つにして悪を企み、あなたに逆らって盟約を結んでいます。”(2017)と記されています。
このような思いを持つ者は創造主なるまことの神ヤハウェ(主)に敵対しているのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主キリスト・イエス様の再臨迄、この地上にまことの平和が来ることはないことを聖書から教えて頂いています。
キリストの空中再臨に伴う携挙が起こり、イスラエルの主に従う人たちが救われるために必要な大患難時代が終わり、キリストの千年王国時代が始まることを待ち望みます。
主が地上のすべてを支配なさるときは何と素晴らしいときでしょうか。
またその後、神である主が、新天新地を創造してくださり、私たちを新エルサレムに住まわせてくださいますことを待ち望みます。
ハレルヤ!
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月17日 (金)

詩篇104:1-4 主は大いなる方、大いにほめたたえられるべきお方/主なる神の威光

 詩篇1041-4には次のように記されています。
1 私の魂よ、主をたたえよ。わが神、主よ、あなたは大いなる方。威厳と輝きで身を包む。
2
 光を衣のようにまとい、幕のように天を張る。
3
 水の中に自らの高殿を建て、雲を乗り物とし、風の翼で行き巡る。
4
 風を使いとし、燃える火を従者とする。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1.2節を2017は“1 わがたましいよ、主をほめたたえよ。わが神、主よ、あなたはまことに大いなる方。あなたは威厳と威光を身にまとっておられます。
2
あなたは光を衣のようにまとい、天を幕のように張られます。”と訳し、

 リビングバイブルは、1.2節をまとめて“主はすばらしいお方です。栄誉と尊厳をまとったそのお姿は、なんと威光に満ちていることでしょう。あなたは、天には星をちりばめ、”と意訳しています。

 モーセと神ヤハウェ(主)の会話が出エジプト3318-20に次のように記されています。
18 モーセが、「どうかあなたの栄光を私にお示しください〔「見せてください」(新改訳)。ヘブライ語原語は「ラーアー」で原義は「見る」(筆者挿入)〕と言うと、
19
 主は言われた。「私は良いものすべてをあなたの前に通らせ、あなたの前で主の名によって宣言する。私は恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
20
 さらに言われた。「あなたは私の顔を見ることはできない。人は私を見て、なお生きていることはできないからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 神ヤハウェ(主)のモーセへのことばですから、神ヤハウェ(主)が如何に威光に富んでおられるのかがわかります。
主なる神様は、驚くべきエネルギーを持っておられるのだと思います。
その御言葉によって天地万物を創造されたのですから。
言葉は波動(波)です。電子レンジで食物を調理できるのは、電磁波(波、波動)の故です。神様の発する波動は驚くべきエネルギーなのではないかと想像することしかできません。

 余談になりますが、
主イエス様と弟子たちがガリラヤ湖で船に乗っていた時に、弟子たちは死ぬのではないかと思う経験をしたことがありました。マルコ435-41には次のように記されています。
35 さて、その日の夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
36
 そこで、彼らは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
37
 すると、激しい突風が起こり、波が舟の中まで入り込み、舟は水浸しになった。
38
 しかし、イエス自身は、艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスを起こして、「先生、私たちが溺れ死んでも、かまわないのですか」と言った。
39
 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。
40
 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか。」
41
 弟子たちは非常に恐れて、「一体この方はどなたなのだろう。風も湖さえも従うではないか」と互いに言った”(聖書協会共同訳)とあります。

 この話は、主イエス様が神であることを明かにしている個所です。
主イエス様は、神のひとり子、すなわち神ですから、主イエス様の御言葉の権威とエネルギーは驚くべきものがあるのです。
現代人は、いくら科学が発展したからといっても、自然界の脅威にオロオロしているのが現状です。
もし主イエス様が、大雨が降りだしたときに「雨よ、やめ。」と言えば、止むのです。
主イエス様は、神ですから。
 ヨハネ1114には次のように記されています。
1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。/
14
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。”(2017)とあります。
また、ローマ95には“・・・。キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。アーメン。”(2017)とあります。
 神の御子であり、主であるイェシュア(イエス)・ハマシアハ(キリスト)がご自身の栄光を少し表して人間に現れたら大変なことになるのです。
 黙示録112-17には次のように記されています。
12 私〔使徒ヨハネ(筆者挿入)〕は、語りかける声の主(ぬし)を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、13 燭台の間には人の子のような方がおり、足元まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めていた。
14
 その方の頭髪は白い羊毛に似て雪のように白く、目は燃え上がる炎、15 足は燃えている炉から注ぎ出される青銅のようであり、声は大水のとどろきのようであった。
16
 また、右手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が突き出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。17 この方を見たとき、私は死人のようにその足元に倒れた。”(聖書協会共同訳)とあります。
使徒ヨハネは、「主に愛された者」でした(ヨハネ1323)が、主が威光をもって現れたときには、死人のようにその足元に倒れてしまったのです。

 キリストが再臨なさる時には、キリストのことばによって獣(反キリスト)の軍勢は簡単にやられてしまうのです(黙示録191519-21)。

 話を元に戻します。
御父と御子は神であり、光を発します。
黙示録2122-24には新天新地の都(新エルサレム)の明かりについて次のように記されています。
22 私は、この都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが神殿だからである。
23
 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからである。
24
 諸国の民は、都の光の中を歩き、・・・。”(聖書協会共同訳)とあります。

 3節前半部分には“水の中に自らの高殿を建て、”とあります。
創世記16-8aには次のように記されています。
6 神は言われた。「水の中に大空があり、水と水を分けるようになれ。」
7
 神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを分けられた。そのようになった。
8
 神は大空を天と呼ばれた。”(聖書協会共同訳)とあります。
 “水の中に自らの高殿を建て、”と記されている「水」とは大空の上の水のことでしょう。

 3節後半部分と4節をリビングバイブルは“雲の馬車に乗り、風〔ヘブライ語原語は「ルーアハ」で風の他「霊」の意もあります(筆者挿入)〕の翼でかけ抜けます。その前ぶれを務める天使は、風のように速い、炎の使者です。”と意訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは至高の神です。
そのあなたが、私たち、あなたが造られた人間と交わりをもって生活していきたいと思ってくださるのですから、ありがとうございます。
肉体を持っている私たちに対しては、私たちがあなたの威光に触れて滅んでしまわないようにご配慮くださって、交わりを持ってくださいますからありがとうございます。
三一の主の霊を私たちの内に住まわせてくださって、いつでもどこでもあなたとの交わりに事欠かないようにしてくださっておられますことを感謝します。
あなたの御名が崇められますように。
今日もあなたとの親しい交わりの内に歩んでいく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月16日 (木)

申命記33:20-22 ガドとダンについての預言/主のみ旨に従って歩むことの大切さ

 申命記3320-22には次のように記されています。
20 ガドについて彼は言った。「ガドを大きくされる方をたたえよ。ガドは雌獅子のように伏し、腕も頭も引き裂く。
21
 彼は自分のために最上のものを選んだ。そこには指揮者〔将軍(口語訳)〕の取り分が置かれていた。彼は民の先頭に立ち、主の正義と公正をイスラエルのために行った。」
22
 ダンについて彼は言った。「ダンは獅子の子、バシャンから躍り出る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 20節の「ガドは雌獅子のように伏し、腕も頭も引き裂く。」という文は、ガド族の強さを表現していますし、21節の「指揮者」や、「民の先頭に立ち」の表現は、軍のリーダーであったことを表しています。

1歴代誌128.14には、“8. ガドびとのうちから荒野の要害に来て、ダビデについた者は皆勇士で、よく戦う軍人、よく盾とやりをつかう者、その顔はししの顔のようで、その速いことは山にいるしかのようであった。”(口語訳)/
14. 彼らは軍の将校で、一番弱い者でも普通の兵士百人に匹敵し、強い者ともなると千人にも匹敵しました。”(リビングバイブル)と記されています。
ダンの人たちは驚くべき強さですね。

21節には、“彼は自分のために最上のものを選んだ。そこには指揮者の取り分が置かれていた。彼は民の先頭に立ち、主の正義と公正をイスラエルのために行った。”とあります。
ダンは自分のために最上のものを選んだ、とあります。
2017
はこの個所を“彼は自分のために最良の地を見つけた。”と訳しています。

民数記321-4には、
1 ルベンとガドの人々はおびただしい数の家畜を持っていた。
彼らがヤゼルとギレアドの地方を見渡すと、そこは家畜を飼うのに適した所であったので、2 モーセと祭司エルアザルおよび共同体の指導者のもとに来て、言った。
3
「アタロト、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオンなど、4 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエルの共同体の前で滅ぼしてくださった土地は、家畜に適した土地であり、僕どもは家畜を持っております。(新共同訳)と記され、

申命記312には、「この地を、私たちは、そのとき、占領した。アルノン川のほとりのアロエルの一部と、ギルアデの山地の半分と、その町々とを私はルベン人とガド人とに与えた。」(新改訳第三版)と記されています。

ガド族は、家畜をたくさん持っており、家畜に適した土地を真っ先に手に入れたのです。それは、ヨルダン川を渡る前、即ち、約束の地を戦い取っていく前のことであったのです。カナンの地を相続地とする人たちからしたら、「ガド族はずるいことをしている」ということになったでしょう。

先に民数記321-4を記しましたが、続く民数記325には、
「それでもし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください。」(口語訳)とガド族は、ぬけぬけといったのですから。(ルベン族も一緒でしたが)

それに対して、モーセは怒りました。モーセは、「同胞が戦いに出ようとするのに、あなたたち〔ガド族とルベン族(筆者挿入)〕は、ここにとどまるつもりなのか。どうしてあなたがたはイスラエルの人々の心をくじいて、主が彼らに与えられる地に渡ることができないようにするのか。」(民数記326.7・口語訳)と言いました。
モーセのことばはさらに続くのですが、モーセのことばを聞いたルベン族とガド族は、
「われわれはこの所に、群れのために羊のおりを建て、また子供たちのために町々を建てようと思います。しかしわたしたちは、武装してイスラエルの人々の先頭に立って進み、彼らをその所に導いて行きます。」(民数記3216.17・口語訳)と答えました。

ガド族は、「わたしたちは、武装してイスラエルの人々の先頭に立って進み、彼らをその所に導いて行きます」と語ったことを実行したのです。

 ヨシュア112-18412221-9には次のように記されています。
112 ヨシュアはまた、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数にこう言った。
13
 「主の僕モーセがあなたがたに命じた言葉を思い起こしなさい。彼はこう言った。あなたがたの神、主はあなたがたのために安息を与え、この地をあなたがたに与えられる。
14
 あなたがたの妻、子ども、家畜は、モーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側〔東側(筆者挿入)〕の地にとどまりなさい。あなたがた、力ある勇士は皆、隊列を組み、同胞の先頭に立って川を渡り、彼らを助けなさい。
15
 主があなたがたと同様に、同胞にも安息を与え、あなたがたの神、主が与える地を彼らに継がせるためである。その後、あなたがたはヨルダン川の東側へ帰り、主の僕モーセがあなたがたに与えた所有地を継ぐことができる。」
 16 彼らはヨシュアに答えた。
「あなたが私たちに命じたことは何でも行います。あなたが私たちを遣わされる所はどこへでも参ります。17 私たちがモーセに聞き従ったように、すべてあなたに聞き従います。ただ、あなたの神、主が、モーセと共におられたように、あなたと共におられますように。18 あなたの命令に逆らい、あなたが命じる言葉に聞き従わない者はすべて死ななければなりません。あなたはただ、強く、雄々しくあってください。」/
 4:12 ルベンの一族とガドの一族、およびマナセ族の半数は、モーセが彼らに告げたとおり、隊列を組んで、イスラエルの人々の先頭に立って渡った。/
 22:1 それからヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセ族の半数を呼び寄せて、2 言った。
「あなたがたは、主の僕モーセが命じたすべてのことを守り、私が命じたすべてのことについても私の声に聞き従った。3 今日に至るまでの長い間、同胞を見捨てることなく、あなたがたの神、主の命じられた務めを守ってきた。4 今、あなたがたの神、主は、同胞に告げられたとおり、彼らに安住の地をお与えになった。あなたがたも自分の所有地の天幕へ、すなわち主の僕モーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側〔東側(筆者挿入)〕に帰りなさい。5 あなたがたはただ、主の僕モーセが命じた戒めと律法をひたむきに守り行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道を歩み、その戒めを守って 主に付き従い、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい。」
6
 ヨシュアは彼らを祝福して送り出し、その天幕に帰らせた。
7
 マナセ族の半数には、すでにモーセがバシャンの地に所有地を与えていた。残る半数には、ヨシュアが彼らの兄弟と共に、ヨルダン川の西側に所有地を与えた。ヨシュアは彼らもその天幕へと送り出し、祝福して、8 彼らに言った。
「多くの財宝、多数の家畜、銀、金、銅、鉄および数多くの衣服を携え、自分の天幕に帰りなさい。敵からの戦利品は同胞と分け合いなさい。」
9
 ルベンの一族、ガドの一族、およびマナセ族の半数は、こうしてカナンの地にあるシロを去り、イスラエルの人々と別れてギルアドの地へ、すなわち、モーセを通して示された主の命令によって、彼らが取得していた自分の所有地へと帰って行った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 これらのことをモーセは、申命記3320.21に預言しているのだと思います。

22節には、“ダンについて彼は言った。「ダンは獅子の子、バシャンから躍り出る。」”とあります。
ダン族が引いたくじの相続地の割り当ては、ヨシュア1940-46に、
40 七番目のくじはダン部族の諸氏族に当たった。
41
彼らの相続地の領域はツォルア、エシュタオル、イル・シェメシュ、42 シャアラビン、アヤロン、イテラ、43 エロン、ティムナ、エクロン、44 エルテケ、ギベトン、バアラテ、45 エフデ、ベネ・ベラク、ガテ・リンモン、46 メ・ハ・ヤルコン、ラコン、およびヤッファに面する地域である。(新改訳2017)と記されています。

これは現在、テル・アビブと言われている地の方になります。

ダン族の割り当ての地を、ダン族は、十分に獲得できなかったという理由で、ダン族は申命記3222の預言にあるように、「ダンはししの子であって、バシャンからおどりでる。」という行動をとったのだろうと思われます。これによって獲得した地は、「ライシュ(レシェム)」といい、バシャンの北西部の町でした。
ヨシュア1947.48には、“しかし、その中には征服できない地域もあったので、ダン族はレシェムの町と戦って占領し、住みつきました。そして町の名を、先祖にちなんで「ダン」と呼ぶことにしたのです。”(リビングバイブル・意訳)と記されています。
このことに関しては士師記17.18章にやや詳しく記されています。

 やがて、このイスラエル北方のダンの地は、偶像礼拝の中心地の一つとなるのです。
ソロモン王の死後、北イスラエルの王はヤロブアムでした。ヤロブアムは、偶像礼拝を促進したのです。
 1列王記1228-33には、
28 王〔ヤロブアム(筆者挿入)〕は周囲に助言を求めたうえで、二体の金の子牛を造り、そして言った。
「あなたがたがエルサレムに上るのは大変である。イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った神々である。」
29
 彼は一体をベテルに置き、一体をダンに配した。
30
 このことは罪となった。民は一体の金の子牛の前をダンまで行進して行った。
31
 ヤロブアムは高き所を神殿とし、レビ人でない民の中から一部の者を祭司とした。
32
 ヤロブアムはユダでの祭りと同じく、第八の月の十五日〔仮庵の祭りの一か月後(筆者挿入)〕に祭りを執り行った。そして自分が造った子牛にいけにえを献げるため、ベテルに造った祭壇に上った。また、自分が造った高き所のための祭司をベテルで任命した。
33
 彼は、自分が勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇に上った。彼はイスラエルの人々のために祭りを執り行い、香をたくため、祭壇に上った。(聖書協会共同訳)と記されています。

 ダンは、主が割り当てた割り当ての地の一部を獲得することができず、自分勝手に主が割り当てたのではない地を自分たちの地とし、さらには偶像礼拝の中心地ともなったのです。
黙示録7章には、大患難時代に世界宣教に遣わされる144000人が記されていますが、その中にダン族はいません。
 ダン族は、主に割り当てられた相続地を、主に信頼して敵と戦い勝利して獲得するということに失敗し、主が割り当てたのではないライシュの人々を殺して自分たちの地とし、さらには偶像礼拝の地となったという大きな罪を立て続けに犯したのです。
 
しかし、主はご自身の契約と憐みによって、キリストの千年王国時代には、ダン族に割り当ての地を与えます(エゼキエル481)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
たとえ成果を上げることができたとしても、あなたのみ旨に反することをしてしまうことがありませんよう助けてください。
あなたのみ旨と一致する方法で、あなたに在って成果を上げることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年11月15日 (水)

マタイ27:57-61 イエス様の埋葬と埋葬に関わった人たち

 マタイ2757-61には次のように記されています。
57 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフと言う人が来た。この人もイエスの弟子であった。
58
 彼はピラトのところに行って、イエスの遺体の引き取りを願い出た。そこでピラトは、渡すように命じた。
59
 ヨセフは遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、60 岩に掘った自分の新しい墓に納めた。そして、墓の入り口に大きな石を転がしてから立ち去った。
61
 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓に向かって座っていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所の並行個所であるマルコ1542-47には次のように記されています。
42 すでに夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、43 アリマタヤ出身のヨセフが、思い切ってピラトのもとへ行き、イエスの遺体の引き取りを願い出た。この人は高名な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人であった。
44
 ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、すでに死んだかどうかを尋ねた。
45
 そして、百人隊長に確かめたうえで、遺体をヨセフに下げ渡した。
46
 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入り口に石を転がしておいた。
47
 マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの納められた場所を見届けた。(聖書協会共同訳)とあります。

「アリマタヤのヨセフ」は、地位の高い議員即ちサンヘドリンの議員でした。アリマタヤは、“「高い所」を意味するヘブル語の複数形〈ヘ〉ラーマータイムに定冠詞がついた語形をギリシヤ語に音訳した地名。預言者サムエルの故郷ラマタイム・ツォフィム(ラマ)と同一視され(参照Ⅰサム1:1,19,2:11,7:17等)、エフライム山地の西部、ルダの東北東約15キロの所にある現在のレンティスと同定される。”(聖書辞典抜粋)とあります。

ルカはアリマタヤのヨセフの人となりについて次のように記しています。
「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。」(ルカ2350.51・新共同訳)と。

ルカは、アリマタヤのヨセフについて、イエス様を有罪死刑とすることに同意しなかった善良で正しい人、というところに目を留めています。

ヨハネは、アリマタヤのヨセフについて、ヨハネ1938で、「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、その〔イエスの弟子ある(筆者挿入)〕ことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。」(新共同訳)と記しています。

アリマタヤのヨセフはイエス様の弟子であった人であると、使徒ヨハネは、はっきりと記しています。

マルコは、というよりも三度もイエス様を知らないと言ってしまったシモン・ペテロの感じ方でしょうが、マルコ1543には、「アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。」(口語訳)とあります。
{マルコの福音書について、“ヒエラポリスのパピアスが(140年頃)、ペテロの通訳者となっていたマルコが、ペテロから聞いたイエスの言行を、順序正しくではないが、記憶しているかぎり正確に書き記したと言っているように(エウセビオス『教会史』)、彼がマルコの福音書の著者であると考えられている。”(聖書辞典抜粋)と記されています。}

イエス様の弟子ではあったのですが、かつては12弟子には入っていなかったアリマタヤのヨセフの言動を見て、主イエス様を3度も否んでしまったペテロにとって、アリマタヤのヨセフは、よくも大胆なことが出来るなー、という感じであったのだろうと思います。

また、ヨハネ1939には、「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラ〔約33kg(筆者挿入)〕ばかり持って来た。」(新共同訳)とあります。ニコデモは、ヨハネ31では、ファリサイ派に属するユダヤ人たちの議員(新共同訳)と紹介されています。

このニコデモは、イエス様に対する祭司長たちや議員たちの主張に対して、それを真っ向から否定することは出来なかったとしても、やんわりとあなた方は間違っているのではないですか、と言ったことがあります。しかし、直ちに却下されましたが。それはヨハネ7章に記されています。これは恐らく過越しの祭りの約半年前の仮庵の祭りの時でした。

その時、ニコデモが議員たちに語った内容は、「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」(ヨハネ751・新共同訳)というものでした。祭司長たちや議員たちは、すでに仮庵の祭りの頃にはイエス様を捕らえたかったのです(ヨハネ732.45)。

しかし、仮庵の祭りにイエス様が捕らえられることは決してなかったのです。

仮庵の祭りは、キリストの1000年王国の予表であり、過越しの祭りがキリストの十字架による贖いの予表であったからです。

マルコ1544には、「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、すでに死んだかどうかを尋ねた。」(聖書協会共同訳)とあります。

イエス様の左右にいた強盗は、イエス様が息を引き取られた時、まだ生きていたので足のすねを折られて、早く死ぬようにされたのです。十字架刑では死ぬまでにもっと多くの時間を要するのが一般的であったことがピラトの言葉からわかります。

イエス様は、人によって十字架につけられたから命を落とした、というのではなく、ヨハネ1930に「完了した。」(新改訳)「成し遂げられた。」(新共同訳)とあるように、贖いをなし終えたので、父なる神様に「わが霊を御手にゆだねます。」(ルカ2346)とご自分の意思によって霊を御父にゆだね、肉体の死を迎えたのだと思います。

ヨハネ1017.18には、「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟(おきて)である。」(新共同訳)とありますから。

イエス様を納めた墓についてですが、マタイ2757-60には、
57 夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。
58
この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。
59
ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、60 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。そして墓の入口に大きな石を転がしておいて、立ち去った。2017)と記されていて、マタイの福音書からは、アリマタヤのヨセフは、金持ちであり、イエス様を納めた墓は、アリマタヤのヨセフが自分の為に造った{だれも葬られたことの無い(ヨハネ1961)}新しい墓であったことが分かります。

埋葬の仕方については、ヨハネ1939.40に、
39 以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。
40
彼ら〔アリマタヤのヨセフとニコデモ(筆者挿入)〕はイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料と一緒に亜麻布で巻いた。2017)とあります。

マルコ1546.47には、「墓の入口に石をころがしておいた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけた。」とあります。
マタイはこのところを、「墓の入口に大きな石をころがしておいて、立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアはそこにいて、墓の方を向いて座っていた。」(マタイ2760.612017)と記しました。

またルカは、「この日は備え日で、安息日が始まろうとしていた。イエスとともにガリラヤから来ていた女たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスのからだが納められる様子を見届けた。それから、戻って香料と香油を用意した。そして安息日には、戒めにしたがって休んだ。」(ルカ2354-562017)と記しました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
イエス様を十字架から取り下ろし、埋葬するときには、使徒たちを用いられたのではなく、アリマタヤのヨセフを用いられました。
あなたは、しかるべき時のために、しかるべき人を備えてくださっておられることが分かります。
埋葬に関して手際よく事を行ったのは、アリマタヤのヨセフとニコデモでした。
私たち人間には、未来は隠されているので、それを予想したり、心配したりしますが、あなたは私たちの未来についても配慮してくださっておられる方ですから感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2023年11月14日 (火)

箴言26:13-16 自分の生活を担保するために働ける心身を持っている人は働こう

 箴言2613-16には次のように記されています。
13 怠け者は言う。「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。
14
 扉はちょうつがいで回転、怠け者は寝床で回転。
15
 怠け者は手を平鍋に入れるが、その手を口に返すことを煩わしく思う。
16
 怠け者は聡明な答えを出す七人にもまさって、自分を知恵ある者だと思い込む。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所をリビングバイブルは次のように意訳しています。
13 怠け者は仕事にも出かけず、「外にライオンがいるかもしれないから」と言いわけします。
14
彼はちょうど扉がちょうつがいで回るように、寝床でごろごろしています。
15
皿から口に食べ物を運ぶことさえ面倒くさがります。
16
それでいて自分は、知恵ある人を七人束にしたより利口だとうぬぼれるのです。”とあります。

 14.15節を読むと、このような人はうつ病や病名不明の極度の倦怠感、体力の低下、気力の低下という機能的、あるいはミクロ的には細胞レベルの器質的異常が発生しているのかもしれません。
うつ病の診断基準に合致していればまずは治療をして効果があるかどうかを観察してみる必要があるでしょう。

 ここ数年コロナウィルス感染症の後遺症が問題になっています。
感染者の中には呼吸器の症状や筋肉関節痛等の症状がたいしたことがないのに、さらにほとんど発熱もしないのに、倦怠感が強く、依然活発であったことが嘘のように不活発になってしまったという人もいます。このような人の場合は、多くの人がコロナウィルスで攻撃された細胞グループ(器官)と異なる細胞のグループを攻撃されたか、自己免疫の何らかの異常で自己を攻撃したのかは分かりませんが、そのようなことがあったことも考えられるのではないかと想像します。

 うつ状態にある人や何らかの原因で怠けているのではないのに気力も湧かず、体がだるく、またすぐに疲れる、というような場合は、今日の聖書個所の怠け者には該当しません。

 中には罪責感が強く、そのゆえに心身ともに不調になっている人もいるかもしれません。
そのような場合には、正しい聖書理解に基づく罪責感からの解放が必要でしょう。

 さて、本当の怠け者の場合、あるいはわがままな人の場合で、自分の気に入らない仕事には着きたくない、と考えている人もいるかもしれません。
自分の好きなことをして生活が成り立つ人は問題がないのですが、そのような人の割合はどのくらいなのでしょう。
中には、自分のしたい仕事がやってくるまでは仕事をしたくないと考えている人もいるかもしれません。
あるいはまた、自分のプライドのために、自分が決めた一定以下の仕事はしたくない、と頑なになっている人もいるかもしれません。

 主が喜ばれない仕事ではない限り、主に在って、仕事に貴賤の別はありません。
どのような仕事でも主に対してするようにすれば良いのです。
 コロサイ323.24には次のように記されています。
“何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐ〔あなたがたは、相続にあずかるという報いを主から受ける(聖書協会共同訳)〕ことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。”(2017)とあります。

 聖書が教えてくれているのは、自分の生活は自分で担保しなさい、という方針です。
自分の好みではないのです。
また、就きたくないなと思っていた仕事でも、仕事をしているうちに興味を覚える、あるいは充実感を覚えるという人もいます。やってみなければわからないのです。

 聖書は何と言っているのでしょう。
2
テサロニケ36-12には次のように記されています。
6 きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、私たちから受けた教えに従わないすべてのきょうだいを避けなさい。
7
 どのように私たちを見習うべきかは、あなたがた自身がよく知っています。私たちは、あなたがたの間で、怠惰な生活を送りませんでした。
8
 また、誰からもパンをただでもらって食べたりしませんでした。むしろ、誰にも負担をかけまいと、労苦し骨折って、夜も昼も働いたのです。
9
 私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。
10
 実際、あなたがたのもとにいたとき、私たちは、「働こうとしない者は、食べてはならない」と命じていました。
11
 ところが、聞くところでは、あなたがたの中には、怠惰な生活を送り、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。
12
 そのような者たちに、主イエス・キリストにあって命じ、勧めます。落ち着いて働き、自分で得たパンを食べなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
働ける間は、その時点で与えられている気力体力に応じ、また主からの助けを頂いて、何かしらの働きをしていける者であらせていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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