黙示録(2回目)

2024年3月 3日 (日)

黙示録20:1-3 悪魔(サタン)が悪魔の獄に入れられ、悪魔のいない世界が用意される/サタンとは

 黙示録201-3には次のように記されています。
1 また私は、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖を手にして、天から降(くだ)って来るのを見た。
2
 この天使は、悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇を捕らえ、千年の間縛って、3 底なしの淵に投げ込み、鍵をかけ、その上に封印をした。
千年が終わるまで、もはや諸国の民を惑わさないようにするためである。
その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになっている。”(聖書協会共同訳)とあります。

 サタンは大天使として造られた(エゼキエル2812c-15)にもかかわらず、神ヤハウェ(主)に、自由意思によって反逆し(イザヤ1413.14、エゼキエル2816.17a)たのです。堕罪前のサタンは、ヘブライ語で「ヘイレル」(「明けの明星」、英語で「ルシファー」)と呼ばれていたようです(イザヤ1412)。
サタンは、神様が造られた人類の始祖アダムとエバを堕罪へと導き、神に対して不従順になるという悪を人類に導入しました。
その結果、私たち全員は、罪の性質(原罪)をもって生まれるようになり、罪の性質を持っているゆえに、罪(複数形)を犯すことが当たり前のことになったのです(ローマ512)。
 
 余談になりますが、
人は罪の性質を持って生まれてきたゆえに、生まれながらの人(新生していない人)は、創造主なる神様を畏れ敬い、主なる神様に従うということを無意識のうちに嫌っています。
 新生していない人が、悪魔悪霊の支配している偽りの神を信じることは、比較的簡単です。
そして、そのような偽りの神を信じて、自分は信心深いと思っているのです。
 サタンは、無神論や、進化論も導入しました。
自分は頭が良いから、偶像などは信じない、という人もサタンにまんまとやられて、唯物論、進化論を信じるのです。
 新生していない人は、道徳的、倫理的な事柄についても、主なる神様が与えてくださった神のことばである聖書をそのまま信じることをせず、ヒューマニズムに基づいて判断したり、孔子、孟子、釈迦、その他の思想家等の教えを取り入れる人もいます。
 また新生していない人は、神のひとり子であり、救い主であり、創造主であり、万物を保持しているお方であり、万物の主であるお方であるイエス・キリストを信じない(信頼しない)のです(へブル12.3、コロサイ116.17、エペソ21-3、ヨハネ1691ペテロ221-24、ピリピ26-8、マタイ2818.etc.)。
 それだけではなく、生まれながらの人の内には罪が住んでいるので、霊的には暗闇で、サタンに従うことが自然のこととなっているのです(ローマ718.201ヨハネ519)。

 話を元に戻します。
神様は、天使を遣わして、いとも簡単に、サタンをサタンの獄に入れてしまわれます。それ故、主イエス様が統治なさる千年間、悪魔が人々を困らせることがなくなります。
神様はその時まで、どうして悪魔悪霊を野放しにしておいたのでしょうか。
その要因のいくつかは、悪魔悪霊の働きを用いて、人の心をより明らかにすることや、主なる神様を信じる者を霊的に成長させる一助とするためであったのではないか、また、主なる神様のすばらしさをより詳しく知るため、また自分自身をよく知るため、その他のため、であると思います。
 
 聖書辞典は、悪魔(サタン)について、次のように述べています。
“サタン (〈ヘ〉satan、〈ギ〉Satanas
元来は「敵対者」という意味。
 旧約聖書においてサタンへの言及はまれであるが、
ヨブ1‐2章では「神の子ら」と共に、神の前に姿を現す。そこからしばしばサタンが特別な悪としてではなく、単に御使いの一人として考えられることもあるが、サタンの活動がヨブに対して敵対するものであることは明らかである。
 彼〔サタン(筆者挿入)〕はダビデに人口調査をするように仕向け(21:1)、
大祭司ヨシュアを訴えるためにその右手に立ち(ゼカ3:1)、結局「サタンよ。主がおまえをとがめている」と言われている(ゼカ3:2)。
 また詩人はサタンが人の右手に立つことを悲惨なことと解釈し、これを報復の表現として用いている(詩109:6「なじる者」)。
 ヨハネは「悪魔は初めから罪を犯している」(Iヨハ3:8)と言っているが、旧約聖書もこれを支持している。

サタンに関する資料のほとんどは新約聖書による。
新約聖書では彼を悪魔(マタ4:1,ルカ4:3,ヨハネ8:44,使10:38等)、試みる者(マタ4:3)、誘惑者(テサ3:5)、悪い者(マタ13:19)、告発者(黙12:10)、敵(マタ13:39,ルカ10:19)、悪霊どものかしら(マタ9:34,マコ3:22)などと呼んでいる。他の表現では「この世を支配する者」(ヨハネ12:31)、「空中の権威を持つ支配者」(エペ2:2)、「ベルゼブル」(マタ10:25)などがある。

サタンは常に神への敵対者(ルカ22:3)、また神の計画を破壊する者として描かれている(マコ4:15)。
 マタイとルカはイエスの働きの初めに、そのわざをむなしいものとしようとして悪魔が誘惑したことを記す(マタ4:1‐11,ルカ4:1‐13)。悪魔の誘惑が退けられた時、「悪魔はしばらくの間イエスから離れた」(ルカ4:13)。これは後になって争いが再開されるであろうことを示唆している。
 彼〔サタン(筆者挿入)〕は悪霊に命じて人の心に住まわせ(マタ12:22‐29,マコ3:22‐27)、
イエスの弟子たちに働きかけ(マタ16:23)、
主の受難においてはサタンがユダに入ったと言われている(ルカ22:3,ヨハネ13:27)。
またアナニヤ、サッピラの心を奪い(使5:3)、宣教を妨害するなど(テサ2:18)、巧妙で活動的存在としてキリスト者のあり方に公然と敵対している(使13:10)。
 人間はサタンに自らを明け渡すことができるので、その結果サタンに属する者となり「悪魔の子ども」と呼ばれる(ヨハ3:10)。
 こうして私たちは「サタンの会衆」、「サタンの王座がある」所に住む人々について新約聖書から知ることができるのである(黙2:9,13)。

イエスがこの世に来られた明白な目的は、まさに「悪魔のしわざを打ちこわすため」にほかならなかった(Ⅰヨハ3:8.参照ヘブ2:14)。
 新約聖書の至る所で、神および善の力とサタンに導かれた悪の力との大きな戦いがあることが示されている(エペ6:12,Ⅰペテ5:8‐9)。
この戦いが激しいものであることを、ペテロは「悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」と表現し(ペテ5:8)、
パウロは悪魔の巧妙さに注目して「サタンさえ光の御使いに変装する」と指摘している(コリ11:14)。

ゆえにキリスト者は悪魔の策略に対抗できるために、神のすべての武具を身につけることが勧められる(エペ6:11,ヤコ4:7)。
 サタンが、さまざまな「欺き」「策略」(コリ2:11)、「わな」(テモ3:7)をもって戦いを挑んでくるとはいえ、聖書は私たちが二元論に陥ることのないように留意している(参照ヨブ1:6‐12)。
 サタンは、イエスの十字架と復活によって一度打ち破られた以上、すでに敗北者なのである。
ゆえに新約聖書は、神の計画を初め、主イエス・キリスト、信仰者に敵対するサタンの姿を明らかにしつつ、同時に彼の限界と敗北を主張している。すなわち彼の力は派生的であり(ルカ4:6)、その活動は神が許された範囲でしか行えない(ヨブ1:12,2:6)。
 イエスは70人の弟子たちによる伝道の際に、勝利の予告をかいま見られた(ルカ10:18)。またサタンが「追い出される」(ヨハネ12:31)、「さばかれた」(ヨハネ16:11)と言い、サタンに対する勝利を明らかに示している。
 悪魔と堕落した御使いたちのために備えられている「永遠の火」についても語られ(マタ25:41)、ヨハネはそれが世の終りに実現する幻を見て「彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた」(黙20:10)と表現している。

宣教者の働きは人を「サタンの支配から神に立ち返らせる」ことである(使26:18)。
パウロは、イエスの勝利と、
耐えることのできないような試練にあわせることはしない神の真実と(コリ10:13)、
サタンの策略についての認識のゆえに(コリ2:11)、
信仰をもって「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」と言い得たのである(ロマ16:20)。

このように新約聖書におけるサタンに関する証言は明白であり、
サタンは悪意をもって常に神とその民に敵対する現実的存在である。
しかし、サタンはキリストの生涯と死、そしてよみがえりにおいてすでに敗北した者であり、この敗北は世の終りに決定的に明らかになり、御国は完成されるのである(Ⅰコリ15:24)。” (井出定治)と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
サタンなんかいなければよいのに、と思う人も多いでしょうが、あなたは、人の思いをはるかに超えて、最善をなさるお方ですから御名を崇めます。
悪魔悪霊がいるおかげで、私たちは、自分の心がどのような状態であるのかをより詳しく知ることができるようにされました。
エペソ26の聖句にあるように、今や私たちの霊は、サタンの居場所よりも高い所に置かれていますことを感謝します。
悪魔悪霊の策略にごまかされることなく、常に主にあって勝利しながら歩み続けることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月28日 (水)

黙示録19:17-21 キリストの地上再臨に伴う裁き/キリストに付き従うキリストの花嫁はこの状況を見ます・救いは恵みと信仰による

 黙示録1917-21には次のように記されています。
17 また私は、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。
18
 王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」
19
 私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。
20
 しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。
21
 残りの者たちは馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるまで食べた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 19節に“私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。”とありますが、主に敵対する王たちの軍勢は、第6の鉢が注がれたことに伴って集められた軍勢です。

 黙示録1612-16には次のように記されています。
12 第六の天使が、その鉢の中身を大河ユーフラテスに注ぐと、水が涸れ、日の昇る方角からやって来る王たちの道ができた。
13
 また私は、竜の口から、獣の口から、そして偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。
14
 これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。/
16
 汚れた三つの霊は、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に王たちを集めた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 悪の三位一体からなるサタン及び反キリストと偽預言者は、もとより神であられ、そして人ともなられた御子キリストと戦うために、世界の王たちとその全軍をメギドの丘{ハル(丘)・メギドーンorメギドー}に招集したのです。全人類の神への敵対はここに極まるのです。
 脱線しますが、
おそらく、ハルマゲドン(エスドラエロンorイズレエルの谷)からエルサレムに向けて進軍するのだろうと思います(ゼカリヤ122-9)。
エスドラエロンについて、聖書辞典は次の様に述べています。
“エスドラエロン 聖書の「イズレエルの谷」のことで、ヘブル語イズレエルから出たギリシヤ名であり、旧約外典のユデト書1:8,3:9,4:6,7:3に出てくる。
 エスドラエロンはヨルダン峡谷に次ぐ大平原で、カルメル山脈を底辺とし、タボル山を頂点とする一辺およそ33キロの正三角形の平野である。面積はおよそ250平方キロメートルで、キション川によってうるおされている豊かな地域である。イズレエルとは、「神が種を蒔いてくださる」という意味である。イズレエルの町とメギドの町とが、キション川をはさんであり、聖書ではイズレエルの谷(ヨシ17:16)ともメギドの平地(35:22)とも呼ばれている。
 ヨシ17:16によれば、ここはイスラエル人が侵入した当時は、鉄の戦車を持ったカナン人の領地であった。この地はマナセ族の領地とされたが、占領できず、カナン人はそこに住み通した(士1:27)。キションの谷でのデボラとシセラとの戦いの結果、パレスチナの北側はイスラエルのものとなった(士4‐5章)。ギデオンの活躍によって、この地の東の端に陣取っていたミデヤン軍は敗走し、平野の東側が確保された(士7章。ペリシテ人がサウルの王国を二分させようとしてシュネムに陣を敷いた時(サム28:4)、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた(Ⅰサム29:1)。サウルの死後も、この地はイスラエル人の領地として残った。ティグラテ・ピレセル3世の遠征(前734―732年)の結果、イズレエル平野はアッシリヤの支配下に入り、メギドが首都とされた。アッシリヤの衰退後、前609年、ヨシヤ王はメギドでパロ・ネコを迎え撃とうとして戦死した(23:29)。バビロニヤおよびペルシヤ時代の状況は明白ではない。マカベア12:49には、「大平野」と記されている。新約聖書では、ハルマゲドン(「メギドの山」の意味)という名で、この地域のことが記されている(黙16:16)。”とあります。

 話を元に戻します。
しかし、主キリスト様の力あることばによって主に敵対する王たちと全軍は滅ぼされてしまいます。
主なる神のことばは生きていて力があり、両刃の剣よりも鋭(するど)いのです(黙示録1915、へブル412)。

 主の裁きのことばによって殺された人たちの肉は、鳥たちの大宴会のための御馳走となります。

17.18節には、
“・・、一人の天使が太陽〔光(リビングバイブル)。ギリシア語原語は「へ―リオス」で、太陽、光、の意があります(筆者挿入)〕の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った。
「さあ、神の大宴会に集まれ。王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」”と記されています。

 主の来臨はどのようにしてわかるのかということを、ユダヤ人たちに教えるために、主はオリーブ山の説教では、次のように語られました。
23 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業(わざ)を行い、できれば、選ばれた人たち〔イスラエルの残りの者(筆者挿入)〕をも惑わそうとするからである。
25
 あなたがたには前もって言っておく。
26
 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、出て行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
27
 稲妻が東から西へひらめき渡るように〔「突然、一瞬のうちに」の意でしょう(筆者挿入)〕、人の子もそのように来るからである。
28
 屍〔再臨のキリスト様に敵対した軍隊の屍(筆者挿入)〕のある所には、禿鷲(はげわし)が集まるものだ。」”(マタイ2423-28・聖書協会共同訳)と記されています。

 第一の獣(黙示録131-8)と言われる反キリスト、第二の獣(黙示録1311-16)と言われる偽予言者は、禿鷲の餌になるのではなく、別の裁かれ方をします。
 20節には“・・、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。”と記されています。

 これをもって、「神がいるなら、悪人たちを地上から除いてみろ。」と言う人たちの要求は満たされるのです。
しかし、そのように主なる神様に挑発的に語った人たち自身が、神の目から見ると悪人であったということが明らかになるのです。
まことの神を敬わないこと、まことの神を礼拝しないことが罪であり、キリストを信じないことが罪だからです(黙示録147、ヨハネ169)。

 実は、新生させていただいた私たちキリスト者も、新生させていただく前は、神に敵対して歩んでいたのです。
 ローマ5章には次のように記されています。
6 キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました
7
 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。
8
 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。
9
 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10
 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11
 それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
罪人であった私たち、不敬虔な者であった私たち、あなたに敵対していた私たちの為に、主イエス・キリスト様は、私たち罪人のすべての罪を身代わりに負ってくださり、義なる神の裁きを私たちに代わって受けてくださいました。
まことに感謝にたえません。
主イエス様の十字架と復活のゆえに、主イエス様を信じさせていただけた私たちは、罪を赦され、義とされ、神の子どもとされ、永遠の命を与えられて、歩ませて頂けていますことを感謝します。
キリストの空中再臨の時には、肉の体から霊の体に変えられて天に引き上げていただけますからありがとうございます。
三一の主なる神様に感謝し、御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月24日 (土)

黙示録19:11-16 世から悪を取り除く再臨のキリスト/天上の体を戴いているキリスト者は主に従っていく

 黙示録1911-16には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イエス・キリスト様がこの世に肉体を持って現れたとき、初めはバプテスマのヨハネによって「世の罪を取り除く神の子羊」と紹介されました(ヨハネ129)。

 次に、イエス・キリスト様の地上生涯の最終局面の初めにおいて(十字架にかかられる週の日曜日)、主イエス様は、柔和な王として子ろばに乗ってエルサレムに入場され、宮に入られました(マルコ111-1-11)。
これはゼカリヤ99の預言の成就であるとマタイ214.5に次のように記されています。
4 それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。
5
 「シオンの娘に告げよ。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。へりくだって、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録1911-16に記されている御方は、再臨のキリストです。
再臨のキリストは、子羊としてではなく、ころばに乗った柔和で平和なイエス・キリストとしてでもなく、裁き主として白馬に乗って登場されるのです。

 裁きについて、主イエス様は、何度か語られましたが、その中の一つであるヨハネ1248には、「わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

 再臨のキリスト・イエス様の裁きは、主の御口から出る裁きの言葉です(黙示録1915)。
主はことばによって、無から有を作りました(創世記1章)。そして主は、ことばによって万物を保ってor支えておられます(へブル13)。
神のことばには力があるのです(へブル412)。
主キリスト様が、裁くために発することばは、何と強力なことでしょうか。
主に敵対する諸国の民は、主のことばで打ち倒されるのです(黙示録1915)。

 11-16節には、主がどのような御方であるかが、次のように記されています。
忠実な御方(11)、真実な御方(11)、正義をもって裁かれ、戦われる御方(11)、神のことばと呼ばれる御方(13)、王の王、主の主という立場の御方(16)、その他、他者に知られていない本性をお持ちの御方(12)、とあります。

 話を変えますが、
聖書の神様を信じようとしない人の中には、「神がいるなら、なぜこの世の悪を終わらすことができないのだ。」とか、「神がいるならこの戦争をすぐに終わらせることもできるはずだ。」という人がいます。

 このように言われる人が、ビックリするようなことが起こるのです。
それは、そのような時が来るからです。
主イエス様は、一瞬にして悪者どもを裁かれます。
もし、今現在、主が裁かれるとしたら、地上にいるキリスト者の肉体も直ちに死ぬのです。
肉体の中に罪が宿っているからです{ローマ718-20、詩篇515(新改訳、口語訳、新共同訳は7節)}。
キリストの地上再臨の裁きは、キリスト者が霊の体を頂いた後に行われるのです。
神様は英知をもって、裁きの時を定めておられるのです。

 「神がいるなら、この世の悪を終わらせてみよ。」と言っている人は、裁かれてしまうのです。
創造主なる神を認めず、救い主なる神を心にお迎えしなかったからです。
キリストを信じないことは罪なのです(ヨハネ169)。
未だキリストを信じていな人は、自分の救いのためにキリストを求め、キリストを信じて、罪を赦され、永遠の命を頂いてほしいと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様の救いにあずからせていただけましたことを感謝します。
まだ主イエス様の救いにあずかっていない人が大勢いますが、願わくは、その人たちがへりくだって罪を認め、主イエス様を心にお迎えすることができますように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バプテスマのヨハネの証言(ヨハネ331-36・リビングバイブル)
31 あの方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は天から来られた方で、ほかのだれよりも偉大なお方です。地から出た者は、地上のことしかわかりません。
32
あの方は、見たこと聞いたことをあかしされますが、それを信じる人はなんと少ないことでしょう。
33
そのあかしを信じれば、神が真理の源であることがわかります。
34
神から遣わされたあの方は、神のことばをお話しになります。神の御霊が無限に注がれているからです。
35
父なる神はこの方を愛し、万物をこの方にお与えになりました。
36
この方は神の御子なのです。この方に救っていただけると信じる者はだれでも、永遠のいのちを得ます。しかし、この方に従わない者は、天国を見ることはできないばかりか、神の怒りがその人の上にとどまるのです。」

2024年2月20日 (火)

黙示録19:5-9 子羊である花婿キリストと花嫁教会との婚礼と婚宴

 黙示録195-9には次のように記されています。
5 また、玉座から声がして、こう言った。
「すべて神の僕たちよ。神を畏れる者たちよ。小さな者も大きな者も、私たちの神をたたえよ。」
6
 また私は、大群衆の声〔大群衆の声のような(2017)〕、大水のとどろき〔大水のとどろきのような(2017)〕、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。全能者である神、主が王となられた。
7
 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。
小羊の婚礼〔ギリシア語原語は「ガモス」(筆者挿入)〕の日が来て、花嫁〔ギリシア語原語は「グネー」で妻の意もあり(筆者挿入)〕は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴〔ギリシア語原語は「デイプノン(祝宴) ガモス」(筆者挿入)〕に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙から結婚式までには約7年あるのではないかと思います。
その理由の一部として次のようなことをあげておきます。
①キリストの千年王国における祭司としての働きの整えのための準備期間
レビ833には、“また、あなたがたの任職の期間が終了する日までの七日間〔7のヨミーム。「ヨミーム」は「ヨーム」の複数形(筆者挿入)〕は、会見の天幕の入り口から出てはならない。あなたがたを祭司職に任命するには七日を要するからである。”(2017)と記されていますから。〔「七日」の「日」と訳されている語のヘブライ語原語「ヨーム」は、「日」の他「年」という意で訳される場合もあります。
②大患難時代は前半の三年半(1260日)+後半の三年半(1260日、一時と二時と半時)という前半と後半の7年間からなっています(黙示録113126、ダニエル725、ダニエル127、黙示録1214)。
③ダニエル927 「一週」〔「一週」は「七年」とも訳せます。Strong辞書に「シャーバー」は、“literally sevened, that is, a week (specifically of years): - seven, week.”とあります(筆者挿入)〕
④携挙された人は地上における7年間の御怒り(神の怒り、天罰)の期間(7つの封印がしてある巻物の裁きの期間)を地上で生活しません。携挙された人は、大患難時代を天で過ごします。
1
テサロニケ59には“神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)とあり、
1
テサロニケ110をリビングバイブルは“・・・この神の子こそ、神が死者の中から復活させたイエスであり、罪に対する神の恐るべき怒りから救い出してくださる、唯一の救い主なのです。”と意訳しています。

 キリストの花嫁とは霊的な教会です。
エペソ522-33には夫と妻の在り方について述べていますが、その本質は花婿キリストと花嫁教会のことを次の様に言っています。
24 教会がキリストに従うように、妻〔ギリシア語原語は「グネー」(筆者挿入)〕もすべてにおいて夫に従いなさい。
25
・・・キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をささげられたように・・・妻を愛しなさい。/
32
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。”(2017)と記されています。

 バプテスマのヨハネの言葉に次のようなものがあります。
「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。」(ヨハネ3292017

 婚礼について、聖書辞典には次のような記述があります。
“婚礼 〈ギ〉ガモス。ヨハ2:1‐2で「婚礼」と訳されている。ほかに「結婚」(ヘブ13:4)、「婚姻」(黙19:7)とも訳される。聖書には、ユダヤで結婚式がどのような内容で、どう運ばれたかという記述はきわめて少ない。
 一般にユダヤでは結婚式は春の麦刈り後と秋のぶどうの収穫の後に行われた。挙式当日の夕刻、花婿は冠をいただき、盛装し、贈物を持って友人や兄弟が打ち鳴らす太鼓や楽器と共に花嫁の家に行く(雅3:11,イザ61:10)。花嫁も盛装し、友人に取り巻かれ、迎えに来た花婿と共に、行列の到着を待ち受ける花婿の実家に向かう。婚宴は盛大に、普通1週間続き、ある場合は2週間に及ぶこともあった。婚宴に招待されることは名誉であり、これを拒絶することは非常に失礼なことであった。名士や友人、隣人だけでなく、貧しい人々を招待する場合もあった(マタ22:3‐9)。”とあります。

 9節には“それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴〔ギリシア語原語は「デイプノン(祝宴) ガモス」(筆者挿入)〕に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とありますが、花嫁は、婚宴に人々を招く側です。
艱難時代の聖徒の中には、私たちが携挙される前に祈り続けて来た人たちもいると思います。おそらくその人たちも婚礼の祝宴にお招きできるのでしょう。そのように思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは恵みの上に恵みを、祝福の上に祝福を与えてくださっておられるお方です。
いくら感謝しても感謝しきれません。
ハレルヤ
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月16日 (金)

黙示録19:1-4 主の僕らの殉教時に流された血に対する主の復讐に対して天では賛美が湧き起る

 黙示録191-4には次のように記されています。
1 その後、私は、大群衆のどよめきのようなものが、天でこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。2 その裁きは真実で正しい。神は、淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、僕たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。」
3
 また、こうも言った。
「ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」
4
 そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座におられる神を礼拝して言った。
「アーメン、ハレルヤ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙されたキリスト者は、黙示録6-18章には出てきません。
その間、携挙されたキリスト者は天の神の王国にいるのです。
イザヤ2620には「さあ、私の民よ。あなたの部屋に入り、うしろの戸を閉じよ。憤りが過ぎるまで、ほんのしばらく身を隠せ。」(2017)と記されています。

 イザヤ2620.21には次のように預言されています。
20 さあ、私の民よ、自分の部屋に入れ。背後の戸を閉めて、しばらくの間、隠れよ。憤りが過ぎ去るまで。
21
 見よ、主はその住まいを出て、その地に住む者の悪を罰せられる。地はそこで流された血をあらわにし、もはやそこで殺された者を隠そうとはしない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 天にいる大群衆は、「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。2 その裁きは真実で正しい。神は、淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、僕(しもべ)たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。
ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」と賛美するのです。

 長老たちとは、携挙されたキリスト者の代表たちであろうと想像します。
おそらく携挙された者たちは、艱難時代の聖徒の賛美を、天の四つの生き物と共に聞くのです。
そして、玉座におられる神に「アーメン、ハレルヤ。」と言って、礼拝するのです。


 ここに登場する大群衆は、大患難時代に殉教した人たちであると思います。
黙示録79-17には、この個所の大群衆と思われる人々について、次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」/
14
〔白い衣を身にまとった(筆者挿入)〕「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所に登場する「長老たち」とはキリスト者の代表ではないかと想像します。

 黙示録192に記されている「大淫婦」とは、大患難時代前半に力を振るう、世界統一宗教のリーダーであろうと思います。
この者は、イエスがキリストであると信じ告白する者の血を流して、それに酔いしれているのです(黙示録176)。
脱線しますが、少し前のこと、ISISは、キリスト者の首を切って、血を流していたのを映像で見ました。大淫婦もそのようなことをするのでしょう。
艱難時代の聖徒は、非常に多いですから、大淫婦は、ギロチンのようなもので、次々と主イエスの証人を殺すのかもしれません。想像ですが。

 黙示録171-6には、大淫婦についての説明が次のように記されています。
1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語りかけた。
「ここへ来なさい。大水〔異邦人世界(筆者挿入)〕の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
2
 地上の王たちは、この女と淫らなことをし、地上に住む人々は、彼女の淫行のぶどう酒に酔いしれている。」
3
 それから天使は、霊に満たされた私を荒れ野に連れて行った。すると私は、深紅の獣〔世界統治者(筆者挿入)〕の上に座っている一人の女〔大淫婦、すなわち全世界の宗教指導者(筆者挿入)〕を見た。この獣は、神を冒瀆する数々の名で覆われ、七つの頭と十本の角を持っていた〔世界を支配していた(筆者挿入)〕。
4
 女〔大淫婦。時の宗教界のリーダー(筆者挿入)〕は紫と深紅の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分の淫行の汚れに満ちた金の杯を手に持っていた。5 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たち〔偶像礼拝者たち(筆者挿入)〕の母」という名である。
6
 私は、この女〔大淫婦(筆者挿入)〕が聖なる者の血と、イエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見て、私は非常に驚いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 霊的な姦淫とは、本来はキリストやキリストの父なる神を崇拝していたものが、他の神々すなわち悪しき霊たちと交わりを持つ、ということです。
 使徒ヨハネは、何故、大淫婦を見て驚いたのでしょうか。
おそらく、元キリスト教会のトップの座にあったような人が大患難時代の世界統一宗教のリーダーになり、その上、イエス様を信じる者の血を流し、その血に酔いしれていたからかも知れません。

 大淫婦と呼ばれていますから、この者は、使徒412の「この方〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(2017)というような聖句を捨て去っているのです。
ヨハネ169には、罪とは、キリスト・イエスを信じないことですよ、と記されています。
しかし、これを霊的に理解し、信じることができるのは聖霊によるのです(ヨハネ1681コリント123)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは私達新生したキリスト者を携挙してくださり、また、携挙された者たちは、大患難時代を体験しませんが、大患難時代にもあなたを証しする数多くの人々を備えておられることを覚えます。
常に、主の御名が崇められますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月12日 (月)

黙示録5:6-14 御父と御子への礼拝/地上の大患難時代、携挙された人たちは天で色々な準備があることでしょう

 黙示録56-14には次のように記されています。
6 また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7
 小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。
8
 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老はおのおの、竪琴と、香で満たされた金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。
9
 そして、彼らは新しい歌を歌った。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のために、あらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」
11
 また、私は見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は千の幾千倍、万の幾万倍であった。
12
 天使は大声でこう言った。
「屠られた小羊こそ、力、富、知恵、権威、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
13
 また私は、天と地、地の下と海にいるすべての造られたもの、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
「玉座に座っておられる方と小羊に、賛美、誉れ、栄光、そして力が世々限りなくありますように。」
14
 四つの生き物は「アーメン」と唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録5章前半部分には次のように記されていました。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえ〔「ダビデの根」(2017)、「ひこばえ」は若枝(筆者挿入)〕が勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」”(聖書協会共同訳)と。

 7つの封印のある巻物を開くことの出来る者を使徒ヨハネは見つけることができませんでした。
しかし、9.10節には、7つの封印のある巻物を開くことの出来る資格が次の様に記されています。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のために、あらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」とあります。
というわけで、7つの封印のある巻物を開くことができるお方は、ただ一人イエス・キリスト様だけであったのです。

 11-14節には天での礼拝のみならず地と地の下と海にいるすべての造られた者の礼拝の風景が、リビングバイブルには次のように記されています。 
11 それからまた、私は幻によって、王座と生き物と長老たちとの回りで歌う、数えきれない天使たちの声を聞きました。
12
彼らは大声で、「小羊こそ、ささげられるためにふさわしい方。殺された小羊こそ、力と、富と、知恵と、強さと、誉れと、栄光と、祝福とを受けるにふさわしい方」と歌っていました。
13
それからまた、私は、天地のすべての者、地下や海中に眠る死者全員の叫び声を聞きました。
「祝福と誉れと栄光と力とが、王座に座っておられる方と小羊とに、永遠にありますように。」
14
すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、二十四人の長老はひれ伏して礼拝しました。”とあります。

 フィリピ(ピリピ)2章にも次のような聖句がありました。
6 キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず
7
 かえって自分を無にして、僕(しもべ)の形をとり、人間と同じ者になられました〔人間と同じようになられました(2017)。姿が人間と同じようであっても罪の性質(原罪)を持っていませんでした(筆者挿入)〕。
人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
9
 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10
 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ、11 すべての舌が、
「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められるためです
。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 携挙された人たちが黙示録の中で、次に登場する章は19章になります。
黙示録6章からは、封印の巻物が開かれ、神の御怒りが注ぎだされていきます。
また、大患難時代は、主なる神様が、サタンの働きを大いに許可されるので悪魔的な時代になります。

 次に携挙されたキリスト者が黙示録に登場するのは、19章の花婿キリストとの婚姻の場面です。
そして、それに続く場面は、キリストの地上再臨において、キリストの後ろについて行く場面になります。
 
 その間には何があるのでしょう。
おそらくキリストの裁きの座における報酬の裁定があります(2コリント5101コリント310-151コリント45参照)。

 想像ですが、地上での大患難時代の7年間は、天上では、キリストの地上再臨後についての様々なレクチャーや私たちの整えの時でもあるのではないかと思います(レビ833は予表ではないかと思います)。
 レビ833には“また、あなたがたの任職の期間が終了する日までの七日間は、会見の天幕の入り口から出てはならない。あなたがたを祭司職に任命するには七日を要するからである。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは私たちの為に良きご計画をたててくださっておられますからありがとうございます。
地上にあっては、あなたが、天に召してくださるまでの間、あなたに従って歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月 8日 (木)

黙示録5:1-7 御怒りが記されている巻物を開くのにふさわしいお方

 黙示録51-7には次のように記されています。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」
6
 また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7
 小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節の「玉座に座っておられる方」とは父なる神です。
内側にも外側にも文字が書き記され、かつ七つの封印のある巻物は、大患難時代に開かれていく巻物で、その巻物の中には、おもに神の裁き(御怒り)が記されています。

 一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んだのですが、この巻物を開く資格を持っている者を使徒ヨハネは見ることができませんでした(2.3)。
巻物を開くことの出来る者がいなかったので、使徒ヨハネは激しく泣きました(4)。

 一人の長老が、ヨハネに次の様に語り掛けました。
「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」と(5)。

「ひこばえ」(新共同訳、聖書協会共同訳)と訳されている単語を、岩波訳、新改訳、塚本訳は「根」と訳しています。
口語訳は「若枝」と訳しています。
「ひこばえ」とは、(根・茎の基部から出る)芽や若枝のことです。
人としてのイエス・キリストはダビデの子孫ですから、ダビデのひこばえor若枝です。
その観点から、マタイ11は“アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。”(2017)と記しています。またこのことは創世記やサムエル記に約束されていたことでした。
またイザヤ111.2には、“エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。”(2017)と預言されていました。
エッサイはダビデの父でした。

「ダビデの根」としての神の御子は、ダビデの創造者です。
私の参考にしているギリシア語聖書は「リザ」となっていて、「根」です。

 主イエス様は次の様に言われたこともありました。
41 ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
42
 「あなたがたはメシアのことをどう思うか。誰の子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、
43
 イエスは言われた。「では、どうしてダビデが、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのか。
44
 『主は、私の主に言われた。「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』〔詩篇1101からの引用(筆者挿入)〕
45
 このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
46
 これには誰一人、言葉を返すことができず、その日からは、もはや、あえて質問する者はなかった。”(マタイ22章・聖書協会共同訳)と記されています。

 御子イエス・キリストは、神としては根であり、肉の体の系図(マリアの系図、ヨセフの系図)としてはひこばえです。
 黙示録2216には、主イエス様の御言葉として「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(2017)と記されています。

この巻物を開くことができる資格を持っている者は、罪の世界に来て罪を犯すことなく歩み、さらに、ご自身の肉において全世界の罪の贖いを成し遂げ、死んで葬られ、しかし、死に打ち勝ち、悪に打ち勝って復活されたイエス・キリストしかいませんでした。なぜなら、巻き物に記されている多くの内容は、罪に対する神のさばき(御怒り)であったからです。罪に対して憐れみを示し、その罪を贖い、罪を犯したことのない者だけが罪を裁くことができるのではないかと思います。

アダムの子孫として生まれた私たちは、マタイ71-4の、
次の主イエス様の御言葉を心に留めなければならない者だからです。
1 人を裁くな。裁かれないためである。
2
 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。
3
 きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。
4
 きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。
5
 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 しかし私たちキリスト者もやがてさばきの座に着いて裁きを行うときが来るのです。
本当に厳粛なことです。

さて、5節には「ユダ族の獅子」とあります。
ユダ族の獅子はキリストの表徴であり、敵に対する強力な武者であるキリストを描写しています。
ヨシュア515に記されている「主(ヤハウェ)の軍の将」と自己紹介されたお方は御子ではないかと思います。
 
 1ヨハネ22には“彼〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。”(口語訳)と記されています。
 黙示録56.7では、罪の贖いを成し遂げられた子羊(イエス・キリスト)だけが、巻物を受け取るのにふさわしいお方であると次の様に記されています。
“また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたの御愛と主イエス様の贖いと聖霊様の交わりを感謝し、とこしえに父、御子、御霊に御栄がありますようにと祈ります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主を崇めて」(聖歌520 聖歌総合版538
“2.主こそ救い主 神の子羊 わが義 わが聖き わが力なれ 
*(折り返し) たたえよ ただ主を 主は救い主 きよめ主 癒し主 王の王 主の主
5.主こそ来るべき 王の王 主の主 我が花婿なれ 我はこいしとう *”

2024年2月 4日 (日)

黙示録4章 天上における礼拝2/主への賛美と感謝

 黙示録4章には、
“1
その後、私が見ていると、開かれた扉が天にあった。そして、先にラッパのような声で私に語りかけた、あの最初の声が言った。
「ここへ上って来なさい。そうすれば、この後必ず起こることをあなたに示そう。」
2
私は、たちまち霊に満たされた。すると、天に玉座があり、そこに座っている方がおられた。
3
その座っている方は、碧玉や赤めのうのように見え、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
4
また、玉座の周りに二十四の座があり、それらの座には白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
5
玉座からは、稲妻、轟音、雷鳴が起こった。また、玉座の前には、七つの松明(たいまつ)が燃えていた。これは神の七つの霊である。
6
また、玉座の前には、水晶に似たガラスの海のようなものがあった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
7
第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
8
 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その表にも裏にも一面に目があった。それらは、昼も夜も絶え間なく唱(とな)え続けた。「聖なるかな、 聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主〔ギリシア語原語は、キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者){筆者挿入}〕。かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
9
これらの生き物が、玉座に座り、世々限りなく生きておられる方に、栄光と誉れと感謝とを献げる度に、10 二十四人の長老は、玉座に座っている方の前にひれ伏し、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、その冠を玉座の前に投げ出して言った。
11
「私たちの主、また神よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、万物はあなたの御心によって存在し、また造られたからです。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 使徒ヨハネが見た天上のものは、地上で見たことのないものでした。したがってヨハネは、地上の似たものを用いて、~のようなor~ように、という表現を用いました。
ヨハネは、「碧玉や赤めのうのように見え」(3)、「エメラルドのような虹」(3)、「水晶に似たガラスの海のような」(6)、「獅子のようであり」(7)、「若い雄牛のようで」(7)、「人間のような顔を持ち」(7)、「鷲のよう」(7)などという表現をしています。

 天上で礼拝しているものたちを、ヨハネはこの4章においては、「24人の長老」(4)、「四つの生き物」(6-8)と記しています。
24
人の長老や四つの生き物が何を意味しているのかについての解釈は幾通りもあります。

 24人の長老について、ある研究者たちは天上のキリスト者だと言い、またある研究者たちは旧約の聖徒と新約の聖徒だと言い、またある研究者たちは旧約の聖徒たちと使徒たちだと言い、またある研究者たちは天使ではないだろうか、などと言っています。
私は、自分が天国に入れて頂いてから、それが誰を指していたのかがわかればよいと思っています。
私は、すでに天にいる旧約の聖徒も新約のキリスト者も天使たちも天で神ヤハウェ(主)を礼拝していること、それが重要だろうと思います。
 
 四つの生き物についてもいくつかの想像が提示されています。
ある研究者たちはケルビムやセラフィムだと考えています。
ケルビムはケルブの複数形です。
ケルビムは聖書のいくつかの個所に記されていますが、エゼキエル書の中からいくつかの聖句を下記します。
1:3 カルデア人の地、ケバル川のほとりで、祭司ブジの子エゼキエルに主の言葉が臨み、主の手が彼の上に臨んだ。
4
 私が見ていると、激しい風が北から吹いて来た。大きな雲と燃え続ける火とその周りに輝きがあり、その中に琥珀金のきらめきのようなものが見えた。
5
 また、その中には四つの生き物のようなものがあった。その姿は人のようであった。
6
 それぞれに四つの顔があり、四つの翼があった。
7
 その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、磨かれた青銅のように輝いていた。
8
 また、その翼の下には、四つの方向に人の手があった。四つの生き物には顔と翼があり、9 翼は互いに触れ合い、進むときは向きを変えず、それぞれ前方に進んだ。
10
 顔のようなものは人の顔であり、四つとも右に獅子の顔、四つとも左に雄牛の顔、四つとも後ろには鷲の顔があった。
11
 顔はそのようであった。翼は上方に広げられ、一対は互いに触れ合い、一対はその体を覆っていた。
12
 それらはそれぞれ前方に進み、霊の行く所に行き、進むときその向きを変えなかった。
13
 生き物の間に炭火のような姿が見え、生き物の間を行き来する松明の姿のようであった。火は輝き、その火から稲妻が出ていた。
14
 生き物は、稲妻のひらめきのように、行ったり来たりしていた。/
10:18
 そして、主の栄光が神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。
19
 ケルビムは翼を上げて、私の目の前で地から上った。彼らが出て行くとき、車輪もこれと共にあり、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラ エルの神の栄光が高くその上にあった。
20
 それは、ケバル川のほとりで私がイスラエルの神のもとに見た生き物であった私は、それらがケルビムであることを知った
21
 それぞれには四つの顔があり、それぞれには四つの翼があった。その翼の下には、人の手のようなものがあった。
22
 その顔のようなものは、私がケバル川のほとりで見た顔と同じであった。彼らはそれぞれ前の方にまっすぐ進んで行った。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 セラフィム(複数形)についてイザヤ6章には次のように記されています。
1 ウジヤ王が死んだ年、私は、高く上げられた玉座に主〔アドナイ(筆者挿入)〕が座っておられるのを見た。その衣の裾は聖所を満たしていた。
2
 上の方にはセラフィムが控えていて、それぞれ六つの翼を持ち、二つの翼で顔を覆い、二つの翼で足を覆い、二つの翼で飛んでいた。
3
 そして互いに呼び交わして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。その栄光は全地に満ちる。」
4
 その呼びかける声によって敷居の基が揺れ動き、神殿は煙で満ちた。”(聖書協会共同訳)とあります。
「サーラフ」には、燃える、の意があり、セラフィムは熾(し)天使とも言われるようです。熾天使とは、神への愛と情熱で体が燃えていることを表しているのでしょう。

 また別の研究者たちは、四つの生き物に対する解釈を、別の解釈でまとめていますが省略します。

 わたしの心に留まったことは、天の神様の前で礼拝している者たちの賛美の内容です。何と賛美しているでしょうか。
「聖なるかな、 聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主〔ギリシア語原語は、キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者){筆者挿入}〕。かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
「私たちの主、また神よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、万物はあなたの御心によって存在し、また造られたからです。」と賛美していたのです。
キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者)という語はギリシア語ですが、ヘブライ語でしたら何というのでしょう。
ヤハウェ(主)エロヒーム(神)アービールorシャダイ(全能者)というのでしょうか。
ヘブライ語と英語の対訳聖書では「ヤハウェ エローヘー ツェバーオート」(万軍の神である主)となっています。
ヨブ402では、ヤハウェ(主)ご自身がヨブに「非難する者が全能者〔ヘブライ語原語「シャダイ」(筆者挿入)〕と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。」(2017)と語られています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが地上に置かれている間も、へブル1315に「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」(2017)と勧められているように、あなたを賛美しながら歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。

2024年1月31日 (水)

黙示録4章 天上における礼拝1/ここに上れ

 黙示録4章には次のように記されています。
1 その後、私が見ていると、開かれた扉が天にあった。そして、先にラッパのような声で私に語りかけた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来なさい。そうすれば、この後必ず起こることをあなたに示そう。2 私は、たちまち霊に満たされた。すると、天に玉座があり、そこに座っている方がおられた。
3
 その座っている方は、碧玉や赤めのうのように見え、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。           4 また、玉座の周りに二十四の座があり、それらの座には白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
5
 玉座からは、稲妻、轟音、雷鳴が起こった。また、玉座の前には、七つの松明(たいまつ)が燃えていた。これは神の七つの霊である。
6
 また、玉座の前には、水晶に似たガラスの海のようなものがあった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
7
 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
8
 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その表にも裏にも一面に目があった。それらは、昼も夜も絶え間なく唱(とな)え続けた。「聖なるかな、 聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主〔ギリシア語原語は「キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者)。かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
9
 これらの生き物が、玉座に座り、世々限りなく生きておられる方に、栄光と誉れと感謝とを献げる度に、10 二十四人の長老は、玉座に座っている方の前にひれ伏し、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、その冠を玉座の前に投げ出して言った。
11
 「私たちの主、また神よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、万物はあなたの御心によって存在し、また造られたからです。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 天における礼拝の光景が記されています。
すでに天に帰られた兄弟姉妹たちは、天で主なる神様を天使たちと共に礼拝しているのだろうと思います。地上にいる私たちの場合は、聖書に記されている文章を基に、天での礼拝を垣間見させていただくのみです。

 1節をリビングバイブルは、“それから、私が見ていると、天にある開かれた門が見えました。すると、聞き覚えのある、あの大きなラッパの響きのような声がして、こう語りかけました。「さあ、ここに上って来なさい。将来、必ず起こることを見せてあげましょう。」”と訳しています。

 「ラッパの響きのような声」を発したのは誰でしょう。
それは、天におられる御子キリスト・イエス様でした。
黙示録110-18には次のように記されています。
10 主の日、私は霊に満たされ、後ろの方でラッパのような大きな声を聞いた。
11
 その声は言った。「あなたが見ていることを巻物に記し、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」
12
 私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、13 燭台の間には人の子のような方がおり、足元まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めていた。
14
 その方の頭髪は白い羊毛に似て雪のように白く、目は燃え上がる炎、15 足は燃えている炉から注ぎ出される青銅のようであり、声は大水のとどろきのようであった。
16
 また、右手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が突き出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
17
 この方を見たとき、私は死人のようにその足元に倒れた。すると、その方は右手を私の上に置いて言われた。「恐れてはならない。私は最初の者であり最後の者、18 また、生きている者である。ひとたび死んだが、見よ、世々限りなく生きており、死と陰府の鍵を持っている。”(聖書協会共同訳)とあります。

 2節をリビングバイブルは、“あっという間に私は、聖霊によって天に引き上げられました。そこで目にしたものは、王座とそこに座っておられる方でしたが、私はその栄光に圧倒されてしまいました。”と訳しています。

 2aを、2017は“たちまち私は御霊に捕らえられた。”と訳し、
聖書協会共同訳は“私は、たちまち霊に満たされた。”と訳し
リビングバイブルは“あっという間に私は、聖霊によって天に引き上げられました。”と訳しています。
ギリシア語聖書を直訳すると、「そして、直ちに、霊の中にいた」となります。
岩波訳は“私はたちまち霊に満たされた。”と訳し、欄外注に「ヨハネが天上界に引き上げられたことを意味する。」と述べています。

 この個所を読むと、携挙を指しているとは言えませんが、キリストの空中再臨に伴う携挙を思い起こします。
あっという間に天に引き上げられた」(リビングバイブ)という個所にフォーカスすると携挙の時を思い浮かべるのです。
 1コリント1552には“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”とあり、
 1テサロニケ416.17の新改訳初版~第三版訳には、“すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”と訳されています。

 携挙についても記しましたが、黙示録41が携挙を表しているというわけではありません。
地から天に移されたのが「あっという間」である、というところを書いたのみです。
黙示録には、「刈り入れの時」(黙示録1415)という記述はありますが、携挙についての記述はありません。
しかし、黙示録3章の終わりからと4章初めの間に携挙があるのかもしれません。
いずれにしても早く引き上げていただきたいなと思います。

 世の終わりの始まりのしるしとして主イエス様が語られたことを再度岩波訳で読みたいと思います。マタイ243-8には次のように記されています。
3また彼{「イエス」のこと(筆者挿入)}がオリーブ山の上で座っていた時、弟子たちが彼らだけで彼のところへやって来て言った、「私たちに教えて下さい、それらのことはいつ起こるのですか。また、あなたの来臨とこの世の終りの際(さい)の徴は、何なのですか」。{質問に来た弟子は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレであったと、マルコ133に記されています。(筆者挿入)}
4
そこでイエスは答えて彼らに言った、「誰もあなたたちをだますことのないように、警戒せよ。
5
なぜなら、多くの者が私の名においてやって来て、『私こそキリストだ』と言い、多くの者を惑わすだろうからだ。
6
また、あなたたちはやがて戦争のことを聞き、戦争の風説を聞くだろう。〔よく(訳者挿入)〕見よ、動転するな。なぜなら、〔これらのことは(訳者挿入)〕起こらなければならない{岩波訳欄外注に「神的必然性を示す」とあります(筆者挿入)}。しかしまだ〔世の〕終末が来たわけではない。
7
すなわち、民族が民族に対して、王国が王国に対して、起こされるだろう。また、そこかしこに飢饉があり、地震があるだろう。
8
しかしこれらすべては、産みの苦しみの始まりだ。/
12また、不法がはびこることにより、多くの人々の愛が冷えきるであろう。”とあります。

 すでに地震や飢饉や戦争や偽キリスト等が発生、多発していますし、人々の間には信頼が減少し、愛がなくなってきつつありますが、「これらすべては、産みの苦しみの始まりだ」とありますから、世の終わりの困難さ、苦痛はどんどん激しくなり、間隔も狭まっていくのでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様が事前に、世の終わりの兆候を教えてくださっておられますから感謝します。
いつも主を見上げ、主に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年1月27日 (土)

黙示録に「教会」という語が記されていない章/艱難前携挙説

 黙示録1-3章には「教会」という語が19回出てきますが、4章から21章までは「教会」という語が出てきません。
黙示録2216の「教会」という語の出てくる聖句は、ある意味黙示録11.11で述べている内容の繰り返しになります(特に前半部分)。

 黙示録2216には、
「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(2017)と記されています。

 黙示録11には、
“イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わし2216では「イエスは御使いを遣わし」(筆者挿入)〕て、これをしもべヨハネに告げられた。”(2017)と記され、
 黙示録111には、
“その声はこう言った。「あなたが見たことを巻物に記して、七つの教会2216では「諸教会」{2017}。ギリシア語原語はエクレシアの複数形。(筆者挿入)〕、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアに送りなさい。」”(2017)と記されています。

 黙示録2216の後半部分は、「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」と記され、イエス・キリストの自己紹介です。

 まことの霊的教会は、新生した人たちの総体です。
2
コリント112には、「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。」(新共同訳)と記され、
 エフェソ(エペソ)5章には、
25 ・・・、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになった・・、・・。
26
キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、
27
しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。/
31
「・・、人は父と母を離れてその妻〔ギリシア語原語は「グネー」(筆者挿入)〕と結ばれ、二人は一体となる。」
32
この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。”(新共同訳)と記されています。

 新生した人たちの総体はキリストの花嫁であり、黙示録では、黙示録19章に、子羊(キリスト)の花嫁として登場します。
 黙示録196-9には次のように記されています。
6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。
7
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁〔ギリシア語原語は「グネー」(筆者挿入)〕は用意ができたのだから。
8
花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
7.8節を聖書協会共同訳は“7 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。”と訳しています。ギリシア語聖書には「グネー」は1回しか出てきません。(筆者挿入)〕
9
御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。”(2017)とあります。

 妻、花嫁と日本語訳聖書に訳されている語のギリシア語原語は「グネー」で、Strong辞書には〝a woman; specifically a wife″と記されています。

 キリストとキリストの花嫁の婚礼の後にはキリスト地上再臨があります。
キリストの地上再臨によって、キリストの支配を喜ばず、悪魔(サタン)の支配下にあることを選んだ人たちは一掃されるのです。そしてその後、キリストの千年王国が始まり、キリストが王の王として千年の間地上を統治するのです。これらのことは、黙示録1911-206に記されています。

 黙示録4-18章には教会が登場しませんが、そこには何が記されているのでしょう。
黙示録4.5章は天における情景が記されています。
この中の天における情景の礼拝の中には、携挙された人たちも礼拝に加わっていることと思います。

 黙示録6-18章には、
1.父なる神と子羊の御怒り(キリストを信じない人たちへの裁き、地と地にあるものへの裁き、海と海の中の生物への裁き、空中と空中に住む者たちへのへの裁き、
2.7年間地上を治める獣(偽キリスト=反キリスト)、及び、世界統一宗教の悪行、反キリストとは別の第二の獣である預言者、彼らに殺される艱難時代の聖徒たち、
3.全世界への福音宣教、
4.艱難時代に殉教した人たちの天における賛美、
等が記されています。

 携挙された人たちの、この7年間は天での生活であろうと思います。
その間には、主への礼拝や親しかった者たちですでに先に天に帰った者たちとの再会と喜びやキリストの裁きの座での報酬の決定(2コリント5101コリント314)やキリストの千年王国時代に向けての準備(レビ833を予型として参照)、前述したキリストと花嫁との婚礼、etc.があるものと思います。

 天の神の王国には、悪魔悪霊はいませんし、イエス様を主としない者はいません。天の王国にいるすべての者は御父を敬愛し、キリストを敬愛し、御父がそこの支配者であることを喜ぶ者たちだけです。

 1テサロニケ413-511には次のように記されています。
4:13 きょうだいたち、眠りに就いた人たち〔すでに肉体が死んで霊と魂が天に帰った人たち(筆者挿入)〕については、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
14
 イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます。
15
 主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
16
 すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます〔キリストの空中再臨(筆者挿入)〕。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活〔体が天上の体{1コリント1540.42-44}である霊の体として復活(筆者挿入)〕し、17 続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ〔携挙(筆者挿入)〕、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります
18
 ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。
5
1 きょうだいたち、そ〔キリストの空中再臨に伴う携挙(筆者挿入)〕の時と時期がいつなのかは、あなたがたに書く必要はありません。
2
 主の日〔主の空中再臨の日、及びその後の主の封印の裁きの始まる日{おそらく同時ではなく一定の期間がある可能性があると思います。これはわかりません。}(筆者挿入)〕は、盗人が夜来るように来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
〔リビングバイブルは、“その時を言い当てることができる人などいないことは、よくご存じのはずです。主の日は、夜中にこっそり忍び込む盗人のように、思いがけない時に来ます。”と意訳しています。(筆者挿入)〕
3
 〔黙示録の7つの封印の裁きの巻物が開かれて(筆者挿入)〕人々が「平和だ。安全だ」と言っている〔第一の封印が開かれた状態の(筆者挿入)〕ときに、ちょうど妊婦に産みの苦しみが訪れるように、突如として滅びが襲って来るのです〔巻物の第2の封印が開かれる。巻物の2-4の封印が開かれることによって地上の人口の1/4が死にます(筆者挿入)〕。決して逃れることはできません。
4
 しかし、きょうだいたち、あなたがたは闇の中にいるのではありません。ですから、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5
 あなたがたは皆、光の子、昼の子だからです。私たちは、夜にも闇にも属していません。
6
 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
7
 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔います。
8
 しかし、私たちは昼に属していますから、信仰と愛の胸当てを着け、救いの希望の兜をかぶり、身を慎んでいましょう。
9
 なぜなら、神は、私たちを怒り〔封印の巻物に記されている裁き(筆者挿入)〕に遭わせるように定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたからです。
10
 主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです
11
 ですから、あなたがたは、今そうしているように、互いに励まし合い、互いを造り上げるようにしなさい〔お互いの向上に心がけなさい(新共同訳)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたを愛し、主イエス様を愛し、主の空中再臨を待ち望みます。
それまでの間、日々、主の導きに従い、御聖霊の助けを頂きつつ励んでいくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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