日毎の恵み18

2024年2月16日 (金)

黙示録19:1-4 主の僕らの殉教時に流された血に対する主の復讐に対して天では賛美が湧き起る

 黙示録191-4には次のように記されています。
1 その後、私は、大群衆のどよめきのようなものが、天でこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。2 その裁きは真実で正しい。神は、淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、僕たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。」
3
 また、こうも言った。
「ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」
4
 そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座におられる神を礼拝して言った。
「アーメン、ハレルヤ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙されたキリスト者は、黙示録6-18章には出てきません。
その間、携挙されたキリスト者は天の神の王国にいるのです。
イザヤ2620には「さあ、私の民よ。あなたの部屋に入り、うしろの戸を閉じよ。憤りが過ぎるまで、ほんのしばらく身を隠せ。」(2017)と記されています。

 イザヤ2620.21には次のように預言されています。
20 さあ、私の民よ、自分の部屋に入れ。背後の戸を閉めて、しばらくの間、隠れよ。憤りが過ぎ去るまで。
21
 見よ、主はその住まいを出て、その地に住む者の悪を罰せられる。地はそこで流された血をあらわにし、もはやそこで殺された者を隠そうとはしない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 天にいる大群衆は、「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。2 その裁きは真実で正しい。神は、淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、僕(しもべ)たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。
ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」と賛美するのです。

 長老たちとは、携挙されたキリスト者の代表たちであろうと想像します。
おそらく携挙された者たちは、艱難時代の聖徒の賛美を、天の四つの生き物と共に聞くのです。
そして、玉座におられる神に「アーメン、ハレルヤ。」と言って、礼拝するのです。


 ここに登場する大群衆は、大患難時代に殉教した人たちであると思います。
黙示録79-17には、この個所の大群衆と思われる人々について、次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」/
14
〔白い衣を身にまとった(筆者挿入)〕「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所に登場する「長老たち」とはキリスト者の代表ではないかと想像します。

 黙示録192に記されている「大淫婦」とは、大患難時代前半に力を振るう、世界統一宗教のリーダーであろうと思います。
この者は、イエスがキリストであると信じ告白する者の血を流して、それに酔いしれているのです(黙示録176)。
脱線しますが、少し前のこと、ISISは、キリスト者の首を切って、血を流していたのを映像で見ました。大淫婦もそのようなことをするのでしょう。
艱難時代の聖徒は、非常に多いですから、大淫婦は、ギロチンのようなもので、次々と主イエスの証人を殺すのかもしれません。想像ですが。

 黙示録171-6には、大淫婦についての説明が次のように記されています。
1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語りかけた。
「ここへ来なさい。大水〔異邦人世界(筆者挿入)〕の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
2
 地上の王たちは、この女と淫らなことをし、地上に住む人々は、彼女の淫行のぶどう酒に酔いしれている。」
3
 それから天使は、霊に満たされた私を荒れ野に連れて行った。すると私は、深紅の獣〔世界統治者(筆者挿入)〕の上に座っている一人の女〔大淫婦、すなわち全世界の宗教指導者(筆者挿入)〕を見た。この獣は、神を冒瀆する数々の名で覆われ、七つの頭と十本の角を持っていた〔世界を支配していた(筆者挿入)〕。
4
 女〔大淫婦。時の宗教界のリーダー(筆者挿入)〕は紫と深紅の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分の淫行の汚れに満ちた金の杯を手に持っていた。5 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たち〔偶像礼拝者たち(筆者挿入)〕の母」という名である。
6
 私は、この女〔大淫婦(筆者挿入)〕が聖なる者の血と、イエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見て、私は非常に驚いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 霊的な姦淫とは、本来はキリストやキリストの父なる神を崇拝していたものが、他の神々すなわち悪しき霊たちと交わりを持つ、ということです。
 使徒ヨハネは、何故、大淫婦を見て驚いたのでしょうか。
おそらく、元キリスト教会のトップの座にあったような人が大患難時代の世界統一宗教のリーダーになり、その上、イエス様を信じる者の血を流し、その血に酔いしれていたからかも知れません。

 大淫婦と呼ばれていますから、この者は、使徒412の「この方〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(2017)というような聖句を捨て去っているのです。
ヨハネ169には、罪とは、キリスト・イエスを信じないことですよ、と記されています。
しかし、これを霊的に理解し、信じることができるのは聖霊によるのです(ヨハネ1681コリント123)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは私達新生したキリスト者を携挙してくださり、また、携挙された者たちは、大患難時代を体験しませんが、大患難時代にもあなたを証しする数多くの人々を備えておられることを覚えます。
常に、主の御名が崇められますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月15日 (木)

箴言27:23 主に在る兄姉たちに心を向ける/兄姉たちのために祈りましょう

 箴言2723を、
2017
は“あなたの羊の様子をよく知り、群れを心に留めておけ。”と訳し、
聖書協会共同訳は“あなたの羊の様子をよく知り、群れに心を向けよ。”と訳しています。

 箴言2723-27は、神の民は地上の生活においても良き管理人である必要がありますよ、と教えてくれている個所ですが、今日は23節のみを取り上げて、それを霊的に捉えてみようと思います。

 ペテロは、主イエス様に「わたしの子羊を飼いなさい。」(ヨハネ21152017)、「わたしの羊を牧しなさい〔羊の世話をしなさい(聖書協会共同訳)〕。」(ヨハネ21162017)、「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21172017)と言われました。

 箴言2723には「あなたの羊」とありますが、霊的に捉える場合には、主があなたに委ねておられる主のひつじ、or主から委ねられた羊、ということになります。
キリストを信じている人で子供がいる人であれば、その子供は、主から委ねられたひつじと考えることもできるでしょう。

 ヨハネ2115.17の「飼う」と訳されている語のギリシア語原語は「ボスコ―」で、食べ物を与える、餌をやる、養う、・・等の意があります。
ヨハネ2116の「牧す」(2017)、「世話をする」(聖書協会共同訳)と訳されている語のギリシア語原語は「ポイマイノー」で、世話をする、看護する、番をする、食物を与える、養う、統治する、・・等の意があります。
{「統治する」についてですが、主はペテロを通して「群れの模範になりなさい」(1ペテロ532017)と教えらておられています。}

 現在の地域教会の制度では、普通は、その(ポイマイノーの)ような立場の人が立てられています。
しかし、それと共に、聖書の中には、「知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い」(コロサイ3162017)というような聖句や、「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。」(1テサロニケ5142017)というように、一般信徒に対しても記されているのです。

 とはいえ、このように記されているからと言って、気になったことを何でも言ってよいというわけではありません。
言うことの出来る状態というものがあります。
忠告できる人は、愛に満たされ、主に整えられている状態にある人、ということになります。

 主イエス様は言われました。
「兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」(マタイ74.52017)と記されています。
きよくされていない人の忠告は害になる可能性があることを教えられます。

 またパウロは、愛がなければむなしい、と述べています。
「・・・愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。・・・愛がないなら、私は無に等しいのです。・・・愛がなければ、何の役にも立ちません。」(1コリント131-32017)と記されています。

 話が変わりますが、キリスト者ならば、誰にでもできることがあります。
それは聖徒たち(主に在る兄姉たち)のために祈ることです。
エペソ(エフェソ)618には「すべての聖徒〔原語は複数形。すべてのがついているので「聖徒」で良いのですが(筆者挿入)〕のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」(2017)と記されています。

 主イエス様の羊は、御父から与えられた羊です。
ヨハネ1027-29には次のように記されています。
27 私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。
28
 私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、彼らを私の手から奪う者はいない。
29
 私に彼らを与えてくださった父は、すべてのものより偉大であり、誰も彼らを父の手から奪うことはできない〔異本による(欄外注)〕。
29節を2017は「わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。」と訳しています。(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)と記されています。

 キリストにある兄姉たちは、互いに御言葉により養いあい、祈り合い、悪魔の獅子的な攻撃や誘惑から互いに守られるようにして、共に主に在って歩み続けることが大切であることを教えられます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主に整えて頂いて、主に在って、主が望んでおられるような歩みをし続けていくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月14日 (水)

詩篇106:16-18 主の主権を認めず主に立てられた者であるモーセを妬んだものへの裁き

 詩篇10616-18には次のように記されています。
16 彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。
17
 地が開いてダタンを呑み込み、アビラムの仲間を覆った。
18
 火が彼らの仲間のうちで燃え上がり、炎が悪しき者を焼き尽くした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 16節に“彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。”とあります。
「彼ら」とは、コラ、ダタン、アビラム、オンという人々とその人たちに従う神の主権を認めない人々です。

 詩篇10616に記されている“彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。”という内容は、民数記161-3に次のように記されています。
1 レビの子ケハトの子であるイツハルの子コラは、ルベンの一族であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレトの子オンと組み、2 会衆の指導者、すなわち会衆の中から指名された二百五十人の名のあるイスラエルの人々と共に、モーセに反逆した。
3
 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。それなのに、なぜあなたがたは主の会衆の上で思い上がっているのか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 コラたちが語った言葉のうち、「会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。」という内容は正しいものでした。
しかし、コラたちが語った内容には間違いも含まれていました。
それは「あなたがたは分を越えている。/あなたがたは主の会衆の上で思い上がっている。」という部分です。

 モーセとアロンを立てたのは神ヤハウェ(主)でした。
モーセとアロンは自分たちがイスラエルの会衆のリーダーや大祭司になりたくてなったのではありませんでした。

 詩篇10616からすると、コラたちは、モーセとアロンを妬んだのです。
妬みという罪によって、コラたちはモーセとアロンを攻撃したのです。
これの更に恐ろしいところは、神の主権を認めない、というところにあります。

 その後の様々なやり取りとその後の経過は民数記164-50に記されています。
その中からモーセの言葉を少し下記しておきます。
「レビの子らよ、聞きなさい。9 イスラエルの神はあなたがたをイスラエルの会衆から取り分け、ご自身に近づかせ、主の幕屋の仕事をさせ、会衆の前に立たせて彼らに仕える者とされた。あなたがたはそれでも足りないのか。主はあなたを、そしてあなたの兄弟であるレビの子らをすべてご自身のそばに近づけられたのだ。それなのに、あなたがたは祭司職をも求めるのか。それだから、あなたとあなたの仲間は皆、主に逆らって集まったのか。あなたがたは、アロンを何と思って、彼に対して不平を言うのか。」(民数記168-11・聖書協会共同訳)と記されています。

 「レビの子らよ」とありますが、コラはレビの子孫でした。
レビには、ゲルション、ケハト(ケハテ)、メラリの三人の子供がいました。
コラはレビのひ孫になります{レビーケハテーイツハルーコラ(出エジプト616.18.21)}。
モーセもコラと同じレビからは四代目になります{レビーケハテーアムラムーモーセ(出エジプト616.18.20)}。コラもモーセも祖父は同じケハテでした。コラとモーセはケハテの孫同士であったのです。

コラが属するケハト(ケハテ)族の任務は、祭司エルアザルの監督下にあって(民数記332)、「契約の箱、供え物の机、燭台、祭壇、それらに用いられる聖なる祭具、幕、およびそれにかかわる仕事をすること」(民数記331・新共同訳)でした。

 

レビ族のコラは、ルベン族のダタンとアビラムとオンと共謀して、モーセとアロンに反逆しました(1)。ダタンとアビラムとオンがルベン族であることはヘブライ語聖書で読むとよくわかります。

 17節には“地が開いてダタンを呑み込み、アビラムの仲間を覆った。”と記されています。
 これは民数記1620-33に次のように記されています。
20 主はモーセとアロンに告げられた。
21
 「あなたがたはこの会衆のただ中から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」
22
 二人はひれ伏して言った。
「神よ、すべての肉なるものに霊〔ルーアハ(筆者挿入)〕を与えられる神よ。あなたは一人が罪を犯すと、全会衆に怒りを下されるのですか。」
23
 主はモーセに告げられた。
24
 「会衆に告げて、コラ、ダタン、アビラムの住まいの周囲から離れよと言いなさい。」
25
 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところに行った。イスラエルの長老たちも後に付いて行った。
26
 彼は会衆に言った。
「この悪い人々の天幕から離れなさい。彼らのものには一切触れてはならない。彼らのすべての罪のために、あなたがたが滅びることのないように。」
27
 彼らはコラ、ダタン、アビラムの住まいの周囲から離れた。ダタンとアビラムも妻、子、幼子たちと一緒に天幕から出て来たが、その入り口に立っていた。
28
 モーセは言った。
「これらすべてのことを行うために、主が私を遣わされたのであって、私の考えではないことを、あなたがたは次のことによって知るだろう。29 もしこの者たちが普通の人の死に方で死に、普通の人の運命に会うならば、主が私を遣わされたのではない。30 だが、もし主が全く新しいことをなされて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するものをすべて呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるなら、この者たちが主を侮ったことをあなたがたは知るであろう。」
31
 彼がこれらのすべての言葉を語り終えるやいなや、彼らの足元の大地が裂けた。
32
 地はその口を開き、彼らとその家族、コラに属するすべての者たちとすべての持ち物を呑み込んだ。33 彼らと彼らに属するものはすべて生きたまま陰府に下り、地がそれを覆った。彼らはこうして会衆のうちから滅び去った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 18節には“火が彼らの仲間のうちで燃え上がり、炎が悪しき者を焼き尽くした。”とあります。
民数記1635には“火が主のもとから出て、香を献げた二百五十人を焼き尽くした。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 詩編106篇には記されていませんが、民数記の、聖書協会共同訳と新共同訳及びフランシスコ会訳は176-15、口語訳と新改訳は1641-50には更に次のような内容が記されています。
6 翌日、イスラエル人の全会衆は、モーセとアロンに対して「あなたがたは主の民を殺した」と不平を言った。
7
 会衆はモーセとアロンに逆らって集結し、会見の幕屋の方を向いた。すると、雲がそれを覆い、主の栄光が現れた。
8
 モーセとアロンが会見の幕屋の前に来ると、9 主はモーセに告げられた。
10
 「この会衆から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」
彼ら二人はひれ伏した。
11
 モーセはアロンに言った。
「火皿を取り、それに祭壇から取った火を入れ、香を載せ、急いで会衆のもとに行って、彼らのために贖いをしなさい。 主の前から怒りが出て、疫病が広まり始めたのだ〔主の前から激しい御怒りが出て来て、神の罰がもう始まっている(2017)〕。」
12
 アロンがモーセの言ったとおりにそれを取り、集まっている人々の中へ走って行くと、民の間に疫病〔神の罰(2017)〕が広まり始めていた。アロンが香をたき、民のために贖いをし、13 死んだ者と生きている者との間に立つと、疫病〔主の罰(2017)〕は治まった。
14
 この疫病〔この主の罰(2017)〕による死者は、コラの出来事で死んだ者たちを除き、一万四千七百人であった。
15
 アロンは会見の幕屋の入り口にいるモーセのもとに帰った。疫病〔主の罰(2017)〕はこうして治まった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「疫病」(聖書協会共同訳)、「罰」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「ネゲフ」で、どちらの意もあります。

 地上の地域教会においては、主の主権に従って行動する者と、人間的な主義主張や感情によって行動する、ヒューマニズム的な者の間に分裂の起こることがあります。その時にどちらを選択するのか、神主権の立場に立つのか、人間主権の立場に立つのか、個々人の選択に任されています。選択の結果は当人が負うことになります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも三一の神を主と仰ぎ、主の主権のもとに日々歩んでいく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月13日 (火)

黙示録8:1ー12 ラッパの裁き1-4

 黙示録81.2には次のように記されています。
1 小羊が第七の封印を解いたとき、天は半時間ほど静寂に包まれた。
2
 そして私は、七人の天使が神の前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 天使たちも携挙された聖徒達も、第一の封印から第六の封印が地上において執行されたのを見たかどうかは分かりませんけれど、天使たちや携挙された聖徒達は第一の封印から第六の封印に記されていた内容を知っていたでしょう。
天にいる者たちは、御子であり、子羊である主イエス・キリスト様が、七つの封印の巻物を開いたのを知っているのですから。
天にいる者たちは、義なる神様が、義なるゆえに、罪を裁くときが来たという時にその裁き(御怒り)を発動するのを見るのです。

 話は変わりますが、キリスト者は、恵みの時代に、御父の御愛とイエス・キリストの恵みと御聖霊の私たちに対する関与のゆえに、救いにあずかった者たちです。
三一の神様は、神の本性として、聖であり、愛であり、義であり、・・・・・等々であるのです。
ほとんどのキリスト者は、キリストを肉眼では見ずに、キリストを信じた者たちです。
主イエス様は、トマスに対して、見ずに信じる者の幸いを語りました。それはトマスにだけではなく、すべての人に語られたのです。(ヨハネ2029

 天にいる者たちは、神様が義を執行なさるときの厳粛さを知ったことでしょう。
それ故、黙示録81に記されている静寂が天で起きたのではないかと想像します。
黙示録81には、“小羊が第七の封印を解いたとき、天は半時間ほど静寂に包まれた。”と記されています。

 これまでにも、折に触れて、神ヤハウェ(主)は義の執行をなさいましたが、神ヤハウェ(主)の愛の御性質のゆえに、忍耐の限りを尽くして寛容であられたのです。
そして父なる神の究極の愛と義を、私たちは、御父が、最愛の御子に、私たちの罪をすべて負わせ、十字架上で罪に対する罰を執行なさったというところに見ることができます。

 それから約2000年が経ちますが、その間、神は、忍耐と寛容の限りを尽くしてきたのです。
そして、現代、大きな地震が、あちらこちらで発生し、スペイン風邪やコロナ感染症も発生し、二度の世界大戦とその後の民族間の戦いや国家間のいざこざや気象の異常とそれに伴う災害を見てきました。
これらのことは、大患難時代に入るともっと激しいものになる、ということを教えるためのものでもあると私は思います。

 主は、キリスト者たちに対しても、サタンの働く領域の拡張を許可したように思えます。
一人一人のキリスト者が主としっかり結びついいていないと大変な時代に来ていることを教えてくれています(1ペテロ58)。
そのような中にあって、真理から迷い出た兄姉がいるならば、そのような兄姉を連れ戻すようにとも勧められています(ヤコブ519.20)。

 黙示録83-12には次のように記されています。
3 また、もう一人の天使が来て、金の香炉を手に持って祭壇のそばに立ち、たくさんの香を受け取った。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇の上に献げるためである。
4
 香の煙は、聖なる者たちの祈りと共に天使の手から神の前に立ち上った。
5
 それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷鳴、轟音、稲妻、地震が起こった。
6
 さて、七つのラッパを持つ七人の天使がラッパを吹く用意をした。
7
 第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火が生じ、地に投げ入れられた。地の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、青草もすべて焼けてしまった。
8
 第二の天使がラッパを吹いた。すると、火の燃え盛る大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、9 海に住む生き物の三分の一が死に、船の三分の一が壊された。
10
 第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明(たいまつ)のように燃えている大きな星が、天から降って来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。
11
 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んでしまった。
12
 第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が撃たれ、それらの三分の一が暗くなり、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 地上に住んでいる人は、天上の出来事を見ることはできません。
地上に住んでいる人たちにわかることは、雹と火によって地上に火災が起こるということです。広範囲の山火事もあちらこちらで起こるのでしょう(7)。地上の三分の一が火災で焼けるのですから。

 また、大きな災いを引き起こす何かが海に落ちてきて、海が荒れ狂い、海上の船の三分の一が破壊され、魚など、海の生物の三分の一が死ぬということが起きるのです(8.9)。
 
 それに加えて、大きな隕石でしょうか、分かりませんが、それが水源に落ち、その水を飲んだ人がたくさん死ぬというのです(10.11)。

 更に、地球温暖化と騒いでいた人たちが、温暖化と言わなくなります。
実は、天地を保持しているのは、主イエス様なのです(へブル13、コロサイ117)。
天体が打たれて、明るさが三分の一減少するのです。太陽の光が三分の二になってしまうのですから、気温も下がることでしょう。
しかし、この後、炎熱で焼かれるときも来るのです(黙示録169)。

 携挙されているキリスト者はこれらの御怒りが執行されているとき、天において、おそらく、キリストの地上再臨後に備えての準備訓練を受けているのではないかと思います(レビ833参照)。私の想像ですが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは聖であられ、愛なるお方であられると共に義なるお方です。
あなたの恵み深さを益々味わい、あなたを賛美し、あなたとの豊かな交わりの内に日々を過ごすことができますように。
私たちが救われてほしいととりなしている人々が、恵みの時代にイエス様をキリストとして認め、主キリスト・イエス様を心にお迎えし、救われることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月12日 (月)

黙示録5:6-14 御父と御子への礼拝/地上の大患難時代、携挙された人たちは天で色々な準備があることでしょう

 黙示録56-14には次のように記されています。
6 また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7
 小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。
8
 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老はおのおの、竪琴と、香で満たされた金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。
9
 そして、彼らは新しい歌を歌った。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のために、あらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」
11
 また、私は見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は千の幾千倍、万の幾万倍であった。
12
 天使は大声でこう言った。
「屠られた小羊こそ、力、富、知恵、権威、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
13
 また私は、天と地、地の下と海にいるすべての造られたもの、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
「玉座に座っておられる方と小羊に、賛美、誉れ、栄光、そして力が世々限りなくありますように。」
14
 四つの生き物は「アーメン」と唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録5章前半部分には次のように記されていました。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえ〔「ダビデの根」(2017)、「ひこばえ」は若枝(筆者挿入)〕が勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」”(聖書協会共同訳)と。

 7つの封印のある巻物を開くことの出来る者を使徒ヨハネは見つけることができませんでした。
しかし、9.10節には、7つの封印のある巻物を開くことの出来る資格が次の様に記されています。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のために、あらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」とあります。
というわけで、7つの封印のある巻物を開くことができるお方は、ただ一人イエス・キリスト様だけであったのです。

 11-14節には天での礼拝のみならず地と地の下と海にいるすべての造られた者の礼拝の風景が、リビングバイブルには次のように記されています。 
11 それからまた、私は幻によって、王座と生き物と長老たちとの回りで歌う、数えきれない天使たちの声を聞きました。
12
彼らは大声で、「小羊こそ、ささげられるためにふさわしい方。殺された小羊こそ、力と、富と、知恵と、強さと、誉れと、栄光と、祝福とを受けるにふさわしい方」と歌っていました。
13
それからまた、私は、天地のすべての者、地下や海中に眠る死者全員の叫び声を聞きました。
「祝福と誉れと栄光と力とが、王座に座っておられる方と小羊とに、永遠にありますように。」
14
すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、二十四人の長老はひれ伏して礼拝しました。”とあります。

 フィリピ(ピリピ)2章にも次のような聖句がありました。
6 キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず
7
 かえって自分を無にして、僕(しもべ)の形をとり、人間と同じ者になられました〔人間と同じようになられました(2017)。姿が人間と同じようであっても罪の性質(原罪)を持っていませんでした(筆者挿入)〕。
人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
9
 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10
 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ、11 すべての舌が、
「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められるためです
。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 携挙された人たちが黙示録の中で、次に登場する章は19章になります。
黙示録6章からは、封印の巻物が開かれ、神の御怒りが注ぎだされていきます。
また、大患難時代は、主なる神様が、サタンの働きを大いに許可されるので悪魔的な時代になります。

 次に携挙されたキリスト者が黙示録に登場するのは、19章の花婿キリストとの婚姻の場面です。
そして、それに続く場面は、キリストの地上再臨において、キリストの後ろについて行く場面になります。
 
 その間には何があるのでしょう。
おそらくキリストの裁きの座における報酬の裁定があります(2コリント5101コリント310-151コリント45参照)。

 想像ですが、地上での大患難時代の7年間は、天上では、キリストの地上再臨後についての様々なレクチャーや私たちの整えの時でもあるのではないかと思います(レビ833は予表ではないかと思います)。
 レビ833には“また、あなたがたの任職の期間が終了する日までの七日間は、会見の天幕の入り口から出てはならない。あなたがたを祭司職に任命するには七日を要するからである。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは私たちの為に良きご計画をたててくださっておられますからありがとうございます。
地上にあっては、あなたが、天に召してくださるまでの間、あなたに従って歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月11日 (日)

箴言27:22 神様の御言葉を受け入れない者は真理に至らない

 箴言2722を、
聖書協会共同訳は“無知な者を穀物と共に臼に入れ、杵でついても、無知は彼から離れない。”と訳し、

2017
は“愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦と一緒についても、その愚かさは彼から離れない。”と訳し、

リビングバイブルは“神の教えに背く愚か者につける薬はありません。”と意訳しています。

 「無知な者」(聖書協会共同訳)、「愚か者」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「エヴィール」で、ひねくれた、正道を踏み外している、邪悪な、愚かな(者)等の意があります。

 「エヴィール」には、「正道を踏み外している」という意味もあるので、リビングバイブルは「神の教えに背く愚か者」と訳したのかもしれません。

 後半部分の「無知」(聖書協会共同訳)、「愚かさ」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「イヴェレト」で、愚かさ、愚劣、痴態、軽薄、等の意があります。

 どんなにIQが高くても、あるいはこの世でもてはやされるような学者であっても、神の御言葉に価値を見出さない者は、真理に対して無知であるとつくづく思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
1
コリント127-29に“・・、神は知恵のある者を恥じ入らせるために、この世で愚かとみなされているものを選び出し、また、神は強いものを恥じ入らせるために、この世で弱いとみなされているものを選び出されました。神は、この世で取るに足らないもの、軽んじられているもの、つまり、無に等しいものを選び出されました。それは、何らかの場を得ているものを、無力なものにするためでした。これは、いかなる人間も神の前で誇ることのないようにするためでした。”(フランシスコ会訳)と記されていることを痛感します。
聖書を信じさせていただけたこと、創造主なる神を信じさせていただけたこと、イエス・キリスト様を信じることによって救われるということを信じさせていただけたこと、聖霊を信じさせていただけたこと、更に三一の神様との豊かな交わりを持たせていただけるようにしていただけたこと等の計り知れない恵みを感謝します。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月10日 (土)

詩篇106:13-15 私たちの必要をへりくだって主に求め、貪欲に陥ることなく、与えていただいたら主に感謝することを忘れないように

 詩篇10613-15を、聖書協会共同訳は、
13 しかし彼らはたちまち主の業を忘れ去り、その計らいを待たず、14 荒れ野で激しい欲望を起こし、砂漠で神を試みた。
15
 主は彼らの願いをかなえたが、彼らの魂を痩せ衰えさせた。”と訳し、

 2017は、
13 しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、主のさとしを待ち望まなかった。
14
彼らは荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。
15
そこで、主は彼らにその欲するものを与え、彼らのいのちを衰えさせた。”と訳しています。

 リビングバイブルは、
13 しかし、たちまち元に戻ってしまったのです。彼らは神を無視して行動し、14 もっとおいしいものを食べたいと注文をつけました。こうして、もはや赦されることがない時点まで、神の忍耐を試したのです。
15
主は彼らの欲しがるものを与えましたが、彼らの心を空虚にしました。”と意訳しています。

 13節の「計らい」(新共同訳、聖書協会共同訳)、「さとし」(新改訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「エーツァー」で、助言、忠告、勧告、思慮分別、計画、方法、・・・等の意があります。

 出エジプトしたイスラエルの民は、エジプトで、主の十の御業を見、紅海での出来事を体験したにもかかわらず、神様の助言、神様の御教え、神様の導きを無視し、肉の欲望に駆られて大失敗をしたのです。

 出エジプト171-7には次のように記されています。
1 イスラエル人の全会衆は、主の命によりシンの荒れ野を出発し、旅を重ねて、レフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲む水がなかった。
2
 民はモーセと言い争いになり、「飲み水をください」〔「水はどこだ! 水をくれーっ!」(リビングバイブル)〕と言った。
モーセは彼らに言った。「なぜあなたがたは私と言い争うのか。なぜ主を試すのか。」
3
 しかし、民はそこで水を渇望し、モーセに対して不平を述べた。
「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私や子どもたちや家 畜を渇きで死なせるためだったのですか。」
4
 そこでモーセは主に叫んだ。「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。彼らは今にも私を石で打ち殺そうとしています。」
5
 主はモーセに言われた。「民の前を通り、イスラエルの長老を何名か一緒に連れて行きなさい。ナイル川を打ったあなたの杖も手に取って行きなさい。
6
 私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」
モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりに行った。
7
 そして、モーセはその場所をマサとメリバと名付けた。イスラエルの人々が、「主が私たちの間におられるのかどうか」と言って、モーセと言い争い、主を試したからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 もし、イスラエルの民が神様やモーセと争うことなく、自分たちは、神様によって生かされている者であることを自覚し、へりくだって水を求めればよかったのに、と思います。そして、水が与えられたら、神様に感謝し、神様をほめたたえればよかったのに、と思います。

 また民数記11章には次のような記事が記されています。
1 民は主の耳に届くほど激しい不平を漏らした。主はそれを聞いて怒りに燃え、主の火が彼らに対して燃え上がって宿営の端を焼き尽くした。
2
 民がモーセに向かって叫びを上げたので、モーセが主に祈ると火は鎮まった。
3
 そのため、その場所はタブエラ〔「燃える」の意(欄外注)〕と呼ばれた。主の火が彼らに対して燃え上がったからである。
4
 民の一部の輩が飢えと渇きを覚え、イスラエルの人々も再び泣いて言った。
「誰が私たちに肉を食べさせてくれるのだろうか。5 エジプトにいた頃、ただで食べていた魚が忘れられない。きゅうりもすいかも、葱も玉葱もにんにくも。
6
 今では、私たちの魂は干上がり、私たちの目に入るのは、このマナのほかは何もない。」/
・・・・・・7-30節は聖書でお読みください。・・・・・・・・・・
31
 さて、主のもとから風が起こり、海の方からうずらを運んで来て、宿営の周囲に落とした。それは一方の側に約一日の道のり、他方の側に約一日の道のりがあり、地面より二アンマ〔90cm(筆者挿入)〕ほどの高さに積み重なっていた。
32
 民は立ち上がり、終日終夜、さらに翌日も一日中、うずらを集めた。最も少ない者でも十ホメルを集めた。彼らは自分たちのために、宿営の周りにそれらを広げておいた。
33
 だが、その肉がまだ彼らの歯の間にあって、かみ切られていないうちに、主の怒りが民に対して燃え上がり、主は非常に激しい災いで民を打たれた。
34
 そのため、その場所はキブロト・ハタアワ〔「その欲望の墓」(筆者挿入)〕と呼ばれた。貪欲な人々をそこに葬ったからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが生きていけるのは主の恵みのおかげです。
主イエス様は、「日ごとの糧を与えてください」と祈るようにと教えてくださいました。
私たちの必要な物は、すべてあなたが与えてくださるからこそ、私たちが得ることができることを覚えます。
イザヤ4015には“〔「神ヤハウェ(主)にあっては」(筆者挿入)〕見よ、国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、天秤の上の塵と見なされる。島々は埃ほどの重さも持ちえない。”(新共同訳)と記されています。
私たちはいと小さなものです。
本当は、誰も、自分で自分を養うことも出来ないのです。
そのことをわからせるために、大患難時代には大きな飢饉もやってくるのでしょう。
私たちが、あなたの愛の対象であるゆえに、あなたによくして頂いていることを決して忘れることがありませんように。
貪欲に陥ることなく、常にあなたに対してへりくだり、あなたに感謝し、あなたを賛美しつつ歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主の御稜威と」(讃美歌7 新聖歌7
“1.主のみいつと 御栄(みさかえ)とを 声の限り たたえて 全き愛と 低き心 御座に供え ひれ伏す”

2024年2月 9日 (金)

黙示録7章 大患難時代の144000人の伝道者とイエスをキリストと信じ告白して殉教し天に迎えられた数え切れない艱難時代の聖徒達

 黙示録71-8には、大患難時代前期に起こされた144000人の伝道者が次のように記されています。
1 この後、私は地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、地の四隅から吹く風〔アネモス(筆者挿入)〕を押さえ、地にも海にもどの木にも吹きつけないようにしていた。
2
 また私は、別の天使が生ける神の刻印を携え、日の出る方から上って来るのを見た。その天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に向かって大声で叫んで、3 言った。
「私たちが神の僕の額に刻印を押すまでは、大地も海も木々も損なってはならない。」
4
 私は、刻印を押された人々の数を聞いた。それはイスラエルの子らの全部族の中から刻印を押された人々であり、十四万四千人であった。
5
 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、ルベン族の中から一万二千人、ガド族の中から一万二千人、6 アシェル族の中から一万二千人、ナフタリ族の中から一万二千人、マナセ族の中から一万二千人、7 シメオン族の中から一万二千人、レビ族の中から一万二千人、イッサカル族の中から一万二千人、8 ゼブルン族の中から一万二千人、ヨセフ族の中から一万二千人、ベニヤミン族の中から一万二千人が刻印を押された。”(聖書協会共同訳)とあります。

 12部族といっても、この中にダン族は入っていません。
何故、ダン族が入れてもらえなかったのでしょう。
私の想像では、ダン族は、ヨシュアの時代に神ヤハウェ(主)から与えられた相続地の中の一部を神ヤハウェ(主)への信頼によって獲得することができなかったことと、神ヤハウェ(主)から与えられたのではない土地を、そこに住んでいる人たちを殺して獲得したこと、また偶像礼拝の中心地の一つとなったことが挙げられるのかな、と思います。
この文に記した関連聖書個所は、ヨシュア1940-48、士師記17.18章、1列王記1225-31です。

 また、マナセ族とヨセフ族という表記があります。
ヨセフの子どもはマナセとエフライムなのですが、黙示録75-8にはエフライム族がなくヨセフ族となっています。
マナセとエフライムの父ヨセフの、エジプトに売られた後の歩みを見ると、主と共に歩んだ姿勢を見て取れます。
しかし、エフライムはそうではありませんでした。
モーセの後継者であるヨシュアはエフライム族の出身でしたが、イスラエル12部族が北と南に分裂した後の北王国イスラエルの初代王はエフライム出身のヤロブアムでした。この背教者ヤロブアムはエフライム族であったのです。
ヤロブアムは北イスラエル王国に偶像を導入した人であり、主の祭りの日を勝手に変更した人であり、レビ人を排して、レビ人以外を祭司としてたてた人です。
そして、北イスラエル王国の多くの人たちは、偶像礼拝に走ったのです。
関連聖書個所として、1列王記1225-1362列王記175-18を挙げておきます。

 黙示録74-8に記されている人たちは、神に守られ、大患難時代に伝道者として世界伝道をするのです。
これらの人々は、携挙前には分かりませんが、携挙後に、世界の様々な地から任命されるのでしょう。
世界の様々な地に住んでいるこれらの人々は、それぞれが住んでいる国の言語で福音を宣教することになるのでしょう。
その福音宣教の結果救われた人々や、携挙前に、自分はクリスチャンだと思っていたが実は新生していなかったので、携挙されなかったという人たちの中から、数え切れないほどの人たちが殉教して天に召されるのです(黙示録79)。

 艱難時代の聖徒の様子が、黙示録79-17に次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で 洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 いつも同じようなことを書きますが、キリストの空中再臨時に携挙された人たちは、ここに記されている艱難時代の聖徒とは異なります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが福音を伝えても、なかなかイエス様を受け入れない人や、主に「救ってください」と祈り続けているにもかかわらず、なかなか救われない人たちを、今日の個所の大群衆の中に見出すかもしれません。
たゆむことなく祈り続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「聖なる我らの主」(聖歌479 聖歌総合版496 新聖歌24
“1.聖なる我らの主 ほめまつれ 拝しまつれ 救いを受けし者 み子とせられし者 海原(うなばら)は手をたたき 山々皆踊る 
*(折り返し) 聖なる我らの主 歌え 喜びもて
2.くすしく妙なる主 証しせよ 言い広めよ 御業は多いなり 比(くら)ぶるものあらじ 天使たちは声合わせ 聖徒たちはひれ伏す *
3.世界の王なる主 祝(いわ)わまし 歌わまし 御国に帰りなば いよいよ高らかに 白妙(しろたえ)の衣(きぬ)まとい 棕櫚(しゅろ)の葉を手にとり *”

2024年2月 8日 (木)

黙示録5:1-7 御怒りが記されている巻物を開くのにふさわしいお方

 黙示録51-7には次のように記されています。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」
6
 また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7
 小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節の「玉座に座っておられる方」とは父なる神です。
内側にも外側にも文字が書き記され、かつ七つの封印のある巻物は、大患難時代に開かれていく巻物で、その巻物の中には、おもに神の裁き(御怒り)が記されています。

 一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んだのですが、この巻物を開く資格を持っている者を使徒ヨハネは見ることができませんでした(2.3)。
巻物を開くことの出来る者がいなかったので、使徒ヨハネは激しく泣きました(4)。

 一人の長老が、ヨハネに次の様に語り掛けました。
「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」と(5)。

「ひこばえ」(新共同訳、聖書協会共同訳)と訳されている単語を、岩波訳、新改訳、塚本訳は「根」と訳しています。
口語訳は「若枝」と訳しています。
「ひこばえ」とは、(根・茎の基部から出る)芽や若枝のことです。
人としてのイエス・キリストはダビデの子孫ですから、ダビデのひこばえor若枝です。
その観点から、マタイ11は“アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。”(2017)と記しています。またこのことは創世記やサムエル記に約束されていたことでした。
またイザヤ111.2には、“エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。”(2017)と預言されていました。
エッサイはダビデの父でした。

「ダビデの根」としての神の御子は、ダビデの創造者です。
私の参考にしているギリシア語聖書は「リザ」となっていて、「根」です。

 主イエス様は次の様に言われたこともありました。
41 ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
42
 「あなたがたはメシアのことをどう思うか。誰の子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、
43
 イエスは言われた。「では、どうしてダビデが、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのか。
44
 『主は、私の主に言われた。「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』〔詩篇1101からの引用(筆者挿入)〕
45
 このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
46
 これには誰一人、言葉を返すことができず、その日からは、もはや、あえて質問する者はなかった。”(マタイ22章・聖書協会共同訳)と記されています。

 御子イエス・キリストは、神としては根であり、肉の体の系図(マリアの系図、ヨセフの系図)としてはひこばえです。
 黙示録2216には、主イエス様の御言葉として「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(2017)と記されています。

この巻物を開くことができる資格を持っている者は、罪の世界に来て罪を犯すことなく歩み、さらに、ご自身の肉において全世界の罪の贖いを成し遂げ、死んで葬られ、しかし、死に打ち勝ち、悪に打ち勝って復活されたイエス・キリストしかいませんでした。なぜなら、巻き物に記されている多くの内容は、罪に対する神のさばき(御怒り)であったからです。罪に対して憐れみを示し、その罪を贖い、罪を犯したことのない者だけが罪を裁くことができるのではないかと思います。

アダムの子孫として生まれた私たちは、マタイ71-4の、
次の主イエス様の御言葉を心に留めなければならない者だからです。
1 人を裁くな。裁かれないためである。
2
 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。
3
 きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。
4
 きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。
5
 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 しかし私たちキリスト者もやがてさばきの座に着いて裁きを行うときが来るのです。
本当に厳粛なことです。

さて、5節には「ユダ族の獅子」とあります。
ユダ族の獅子はキリストの表徴であり、敵に対する強力な武者であるキリストを描写しています。
ヨシュア515に記されている「主(ヤハウェ)の軍の将」と自己紹介されたお方は御子ではないかと思います。
 
 1ヨハネ22には“彼〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。”(口語訳)と記されています。
 黙示録56.7では、罪の贖いを成し遂げられた子羊(イエス・キリスト)だけが、巻物を受け取るのにふさわしいお方であると次の様に記されています。
“また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたの御愛と主イエス様の贖いと聖霊様の交わりを感謝し、とこしえに父、御子、御霊に御栄がありますようにと祈ります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主を崇めて」(聖歌520 聖歌総合版538
“2.主こそ救い主 神の子羊 わが義 わが聖き わが力なれ 
*(折り返し) たたえよ ただ主を 主は救い主 きよめ主 癒し主 王の王 主の主
5.主こそ来るべき 王の王 主の主 我が花婿なれ 我はこいしとう *”

2024年2月 7日 (水)

箴言27:21 人は他者の賞賛の言葉によってテストされ、また精錬される

 箴言2721を、
 聖書協会共同訳は“銀の精錬にはるつぼ、金には炉。人は賛美する口によって精錬される。”と訳し、
 2017は“銀にはるつぼ、金には炉があるように、人は他人の称賛によって試(ため)される。”と訳し、
 新共同訳は“銀にはるつぼ、金には炉。人は称賛によって試される。”と訳し、
 リビングバイブル旧版は“銀と金の純度はるつぼでテストされ、人は、ほめられた時にどのような態度をとるかでテストされます。”と意訳し、
 リビングバイブル新版は“銀と金の純度はるつぼで試され、人は、称賛を浴びるときに試されます。”と意訳しています。

 ヘブライ語聖書を直訳すると、「銀にるつぼ、金に炉、そして人は称賛の言葉に」となります。
現代の銀や金を精錬する方法はソロモンの時代(今から約3000年前)とは異なるようです。
私は、この件に関して無知なので、ウィキペディアの灰吹き法の項目を下記しておきます。
“灰吹法(はいふきほう)は、金や銀を鉱石などからいったん鉛に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する技術。金銀を鉛ではなく水銀に溶け込ませるアマルガム法と並んで古くから行われてきた技術で、旧約聖書にも記述がある。

抽出法

貴金属の鉱石は単体の金属や合金、硫化物などの状態の鉱物として産するが、もともと反応性の低い元素であるため、硫化物などの化合物であっても加熱によって容易に還元され、金属となる。そのため金や銀の鉱石を融解した鉛に投じると、もともと金属状態であったり、加熱によって還元されて金属になった金や銀は容易に鉛に溶け込んで合金を生じる。この金銀が溶け込んだ鉛をキューペル(骨灰やポルトランドセメント、酸化マグネシウムの粉末などで作った皿のこと)にのせて空気を通しながら約800-850℃に加熱すると、鉛は空気中の酸素と反応して酸化鉛になり、キューペルに吸収され、金と銀の合金が粒状になってキューペルの上に残る。液体の金属は表面張力が大きいため多孔質のキューペルの上でも液滴の形状を保つが、融解した酸化鉛は表面張力が小さく、毛管現象でキューペルに吸い込まれてしまうからである。また銅、鉄、亜鉛といった卑金属の不純物は酸化して酸化鉛と混合し、スラグになるので、量が多い場合にはこれをかき出す。残った貴金属粒子は吹金(灰吹金)あるいは灰吹銀と呼ばれた。金を含有する灰吹銀は山吹銀と称し金銀吹分けが行われた。

残った貴金属合金粒子から金と銀を分離するには、硝酸で銀を溶解するか、電解を行えばよい。江戸時代の日本では金を含有する灰吹銀に鉛および硫黄を加えて硫化銀を分離し、金を残すという手法が採られた。この方法は鉱石中の金や銀の定量分析にも利用される。江戸時代の銀座においても、製造された丁銀の品位を分析する糺吹きにおいて灰吹法が用いられた。

灰吹法が広まることにより、酸化鉛や水銀の粉塵を吸い込んだ作業員が鉛中毒や水銀中毒を発症し、例えば石見銀山では鉱山での劣悪な環境も相まって30歳まで生きられた鉱夫は尾頭付きの鯛と赤飯で「長寿」の祝いをしたほどであった。こうした中毒被害・公害の観点やコスト・効率などの理由により、今日の近代工業において粗銅地金から貴金属などを分離する方法は、電解精錬や青化法に移行している。/
 〔古代(筆者挿入)〕
銀鉱石の方鉛鉱には、一般に0.031%の銀を含み、飛鳥池工房遺跡からも小さい方鉛鉱が出土した。方鉛鉱は、劈開面〔「へきかいめん」岩石などの結晶面に平行して割れた面(筆者挿入)〕を持ち、一定の面に沿って割れる、つまりもろいので容易に粉砕できるものである。これを凝灰岩製の坩堝(るつぼ)で焼く。一般的な凝灰岩は、比較的もろく多孔質であることが特徴である。凝灰岩製の坩堝の中で焼くと、鉛は酸化され、先に溶け出し、多孔質の坩堝に吸収されるとともに、大気中に幾分蒸発する。そして、最後に銀が小さな粒として残される。この小さな銀の粒を集めて、ある程度大きな塊にするために、粉末化した方鉛鉱を再び加え、ピット状の穴を開けた、凝灰岩製の坩堝(るつぼ)に詰め、炉中で熱する。方鉛鉱から溶け出した鉛は、小さな銀の粒を凝集した後に、凝灰岩に吸収され、再び銀だけが濃縮されて残る。この作業は、銀の濃度を上げるために、何度か繰り返されたことが想定でき、こうして、出土した直径5mm程度の銀粒ができたとみられている。方鉛鉱中の銀を抽出する製錬から、それを集めて再び方鉛鉱を加えて銀を濃縮し、純度を上げる精錬に至る一連の作業が、まさに「灰吹法」である。ここでは、灰の代わりに多孔質な凝灰岩製坩堝(るつぼ)が直接鉛の吸収材の役目を担っている。”(抜粋)と記されています。

 古代の人は、金や銀の、古代の精錬方法や純度試験を知っていたでしょうから、「銀には坩堝(るつぼ)、金には炉、人には賞賛の言葉」というだけで、何のことかわかったと思います。

 それを、2017は“銀にはるつぼ、金には炉があるように、人は他人の称賛によって試(ため)される。”と意訳し、
聖書協会共同訳は“銀の精錬にはるつぼ、金には炉。人は賛美する口によって精錬される。”と意訳したのでしょう。

 この箴言で言いたいことは、人についてですから、人に絞って考えると、
他の人からor何かの団体から称賛が届いたとき、その称賛された人がどのような態度をとるか、心の中でどのように思うか、ということが問われているのだと思います。

 この世の人や神のことばとは無関係な事柄においては、人から「すごいねー」、「本当に良かったよ」などと言われたときに、慢心したり、どや顔になったりするのか、勝って兜の緒を締めよ、という言葉のように、更に気持ちを引き締めて次に向かっていくのか、あるいはまた「みんなのおかげだなー」と思うのか、・・・・等々の違いがあるでしょう。

 しかし、神の世界、霊の世界においては、例えば、説教をして称賛を受けたり、回心者が多く与えられたりした場合に、自己陶酔や自己満足に陥っては落第です。
人が救われるのも、人が説教者の語られたことばにより霊的感動を受けるのも、聖霊の働きによるからです。
ですから、働き人が、回心した人や恵まれた人と共に主に感謝し、主をほめたたえることが健全な姿、心のありようです。
サタンも主の許可のもと称賛してくる場合もあるのです。
その時には、サタンを主の御名によって追い払わなければなりません。サタンは罪を犯させるまで諦めませんから。

 サタンの攻撃として捉えても良いのではないかと思える聖句に、
“銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。”(箴言1732017)というのがあります。
サタンの申し出に基づいて、主が許可を与えたのでしょう。また主イエス様の例もあります(マタイ41-11)。

 「すべての栄光は主に」です。
詩篇291.2には次のように記されています。
“力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。聖なる装いをして主にひれ伏せ。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いかなる状況に置かれても、主を愛し、主に信頼し、主に感謝し、主をほめたたえながら地上生涯を歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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