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2013年12月31日 (火)

1ペテロ1:15.16 聖化の命令

1:15むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
1:16聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
(口語訳)

 キリストを信じた者即ち心に受け入れた者は、神の第三位格の聖霊によって既に霊的に新しく生まれさせて頂いています(ヨハネ3:6)。キリスト者は、キリストが十字架上で流された血の故に罪が赦されただけではなく身分として聖なる者とされています。
ヘブル9:22には、「こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。」(新共同訳)とあります。
また、ヘブル10:10には、「・・・ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」(新共同訳)とあります。
更に、1コリント1:30には、「・・・あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(新改訳)とあります。
それ故、キリストを信じた後に罪を犯してしまった者であっても「聖徒」と呼ばれています。実際、キリスト者とされた後でもよく罪に陥ります。多くの罪に苦しんでいたコリント教会にあてたパウロの手紙の冒頭を下記します。だからといって罪の中に留まっていて良いのではありません。
1コリント1:2には、「コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。」(口語訳)とあります。このみことばから、キリスト者は、「立場としては聖である。」ということがよく分かります。

 1ペテロ1:15.16のみことばは、「立場としての聖」ではなく、「実質的な聖」について語っています。
神は聖なる方です。というか、聖なる方は三位一体の神しか元々は存在しなかったのです。ところが、神様は、キリスト者についての御計画を立てられました。エペソ1:4には、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(新共同訳)とあります。また、そのことを実行に移すべくキリストは十字架の上で血を流して贖いを成し遂げたのです。
御子なるキリストは、キリスト者を聖徒する為に、行動されました。
エペソ5:25-27には、「キリストが教会〔まことの全キリスト者〕を愛してそのためにご自身をささげられた・・・
キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会〔キリスト者の総体はキリストの花嫁〕を、ご自分に迎えるためである。」(口語訳、抜粋)とあります。

 人は、生まれながらに罪Sinを持って生まれました。
詩編51:5には、「私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私を身ごもりました。」(新改訳)とあります。
これは、人の始祖アダムが罪を犯したことによるのです。
ローマ5:12に、「一人の人〔アダム〕によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がった・・・それというのも全人類が罪を犯したからです。」(新改訳)と書いてある通りです。
それ故、神の御心に沿って、私たちは、きよめられる必要がありますし、神様はそのことを実行なさいます。その一つの方法として、神様がキリスト者を実質的にきよくするために懲らしめるということがあります。
ヘブル12:5-11には次のようにあります。
“「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。”(新改訳)

 神様は、キリスト者をきよくしてから天に迎え入れようとします。天に迎え入れる前には主ご自身が立場的にも実質的にも全くきよくされるでしょうが、キリスト者は、地上に置かれている間、実質的にもきよめられることを追い求めていく必要があるのです。ヘブル12:14には、「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(新改訳)とあります。私たちは、「あらゆる行いにおいて聖なる者」となるように命じられています。このことは、人の力ではできません。キリストの血と、神のことばと、聖霊と、キリスト者の悔い改めと信仰にかかっているのです。
 とはいえ、「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」{(1テサロニケ5:23.24)新共同訳}と恵み豊かな神はパウロに祈らしめ、かつ保証しておられます。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
あなたを賛美します。
あなたに感謝します。
あなたが迎えに来てくださる時には、全く聖なる者として、主が整えてくださいますからありがとうございます。
とはいえ、日々、あなたのおことばに従ってきよき道を歩んでいけますよう、御霊様が助けてくださいますよう、そのことを阻もうとするサタンやその配下の者にも主ご自身の権能と、主の血潮と、主のみことばによって勝利していけますよう助けていて下さい。
感謝して主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
読者の皆様へ
今年も一年、お付き合いくださいましてありがとうございました。
皆さまに父なる神様と主イエス様から更に益々豊かなご祝福がありますようお祈り申し上げます。
在主

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