« 1ペテロ3:10-14 善に熱心な民であれ | トップページ | 1ペテロ3:18 肉においては殺されたが霊においては生かされた »

2014年1月21日 (火)

1ペテロ3:13-17 いかなる時も主を崇めよ

3:13そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、だれが、あなたがたに危害を加えようか。
3:14しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。
3:15ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。
3:16しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。
3:17善をおこなって苦しむことは――それが神の御旨であれば――悪をおこなって苦しむよりも、まさっている。
(口語訳)

 ペテロの手紙が書かれた当時は、すでに迫害が始まっているか、或いは迫害が迫っている状況であったと考えられています。
 14節から15節aにかけて新共同訳聖書は、「義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。」と訳しています。
私たちほとんどのキリスト者は、迫害と聞くと「いやだな」と思ってしまいます。イエス様は進んで迫害を受けることを勧めてはいませんが、受けるべき時には、前向きに信仰に立って前進するように勧めているように思えますし、またその報酬を用意されているように思います。
迫害下の時についてではなく、福音宣教に関連してイエス様が弟子たちに語られたみことばに、「もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。」(マタイ10:14)と言われたことがあります。それとは少し違うのですが、迫害の故に他の所に逃れるという方法を神様が導いて下さる場合もあることをテレビで見たことがあります。それはアフガニスタンで、信仰の故に、殺されそうになってカナダへ逃げて生活している人の話でした。神様はその人も祝福しておられました。
しかし、逃げることの出来ない人達もいます。逃げることが出来なければ、迫害を受けたり殺されたりします。主イエス様は、「・・・あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)とも語っておられます。また、肉体ではなく魂に思いを向けるようにと、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方〔神〕を恐れなさい。」(マタイ10:28)と教えてくれています。
更に、信仰の故に患難に遭ったり、殉教するような人に対して、イエス様は、「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。」(マタイ5:10-12)と、それなりの報酬があることを教えてくれています。

 患難に遭うとき、イエス様により頼めば、イエス様は強めてくださいますが、逃げれば恐れに取り囲まれるのです。私たちほとんどの者は、恐れやすい者たちです。りっぱなリーダーと思える人でも、神様から「恐れるな」と言われて強められている場面があることを、聖書を読むと知ることが出来ます。普通であれば心を取り乱してもおかしくないような時、「心の中でキリストを主と崇めなさい。」とペテロを通して主は教えてくれています。
ダビデは、詩編34編で、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」と歌いましたが、そのようでありたいと願います。

 更に、15b.16節では「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。」(新改訳)と教えられています。
究極の迫害下である大患難時代に信仰を持った聖徒達は、「小羊〔イエス・キリスト〕の血と自分達のあかしのことばの故に彼〔反キリスト〕に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」(黙示録12:11)とありますが、この人達に対する神様からの報酬が黙示録20:4に「彼らは生き返って、キリストと共に、千年の間王となった。」とあります。
 私たちキリスト者は、キリストを愛する故に、もし患難に遭遇したとしても、患難を乗り越えた、と言える者でありたいですね。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(1ヨハネ4:18)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
いかなる状況に置かれている時でも、あなたを崇めて歩む者であらせて下さい。
普通では大いなる患難と思われるような時でも、キリストを愛する愛の故に、或いはキリストを信じる信仰の故に、乗り越えてきたのだなーと思えるような生き方を常にすることが出来ますように。
迫害下ではない時でも、キリストを愛する愛とキリストに信頼する信仰によって歩み続ける者であらせて下さい。
感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

« 1ペテロ3:10-14 善に熱心な民であれ | トップページ | 1ペテロ3:18 肉においては殺されたが霊においては生かされた »

ペテロの手紙Ⅰ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 1ペテロ3:10-14 善に熱心な民であれ | トップページ | 1ペテロ3:18 肉においては殺されたが霊においては生かされた »

カテゴリー

2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ