1ペテロ5:10.11 整えられるためには苦しみも必要
“5:10あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。
5:11どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。 ”(口語訳)
この手紙は迫害を受けているキリスト者に向けて書かれているので10節のような内容が書かれているのではないかと思われる人がいるかもしれませんが、敬虔なキリスト者は成長の過程でだれでもこの様なところを通るのではないかと思います。パウロは2テモテへの手紙3:12で、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」(口語訳)と述べています。
「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神」とあるように、罪の赦し、永遠の命、神の子どもとされること、やがては栄光に満ちた新天新地で生活できるようにして下さっておられること、天で暮らすための永遠に古びることの無い霊の体もキリスト様の空中再臨の時に与えられること等は、イエス・キリスト様を信じただけで与えられますが、神の子どもとしてふさわしくされていくためには、訓練が必要なのです。イエス・キリスト様を信じる信仰者として不動の者とされる為には苦しみも通ると書かれています。しかし、その苦しみは、「しばらくの」と10節にあるように、ある一定期間で終わるのです。
苦しむからこそ、「癒し」を経験し、苦しみの中で主によって「強め」られることを経験し、苦しみの中で主によって「力づけ」られることを体験し、その結果、主に対する信頼は益々増加し、信仰者として不動の者とされていくのです。困難なところを通っているからということで、自分は救われていないとか、次々と罪を示されるからもうダメだ、ということではないのです。それは神にある者としてふさわしくあるように実質的にきよめるためであり、益々信仰から信仰へと進ませる為であり、より深く神の義を、神の恵みを、神の愛を知ることが出来て、益々神をほめたたえることが出来る為でもあります。
<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め、あなたを賛美します。
イエス・キリスト様が十字架の上で罪の贖いを成し遂げ三日目によみがえってくださったことにより、あなたは、私たちが主イエス様を信じただけで、私たちの罪を赦し、義とし、神のものとして聖別し、永遠の命を与えてくださり、神の子どもとしてくださり、キリストの花嫁としてくださり、やがては霊の体を与えてくださり、やがて神さまが創造される新天新地でも永遠に神様を賛美しながら、義と愛の交わりの内に聖徒たちと共に過ごせる恵みを与えてくださっておられますから感謝します。
私たちは、今の世にあって、神さまから訓練を受けつつ整えを頂いていることも感謝です。訓練のきつい時は、辛いところを通りますが、それによって益々豊かな恵みを頂き、不動のものとして頂け、何よりも益々あなたを賛美する者として頂けますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
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