1ペテロ5:12-14 結びの言葉
“5:12わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。この恵みのうちに、かたく立っていなさい。
5:13あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。
5:14愛の接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがた一同に、平安があるように。 ”(口語訳)
シルワノという人はシラスと同じ人です。シルワノは、この手紙で分かるようにペテロの同労者でありますが、パウロの同労者でもあった人です。本人自身も預言者でした(使徒15:32)し、エルサレム教会の指導者の一人でした(使徒15:22)。また、エルサレム会議の決議事項を持って諸教会を訪問した人です(使徒15章)。また、パウロと共に福音を語った故に捕えられ鞭打たれ牢に入れられた人です。そして主が地震を起こされて牢の扉を開けられた時に自害しようとした牢屋の看守をパウロと共に救いへと導いた人です(使徒16章)。さらにテサロニケ、ベレヤ、コリント等でもパウロと共に福音の宣教に励んでいます(使徒17.18章)。以上のように主の忠実なしもべであり諸教会によく知られているシルワノにこの手紙を託すことは理にかなっていたのです。
13節の新改訳の訳を見ると
「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。」となっています。原語に一番近い訳は、前田訳の「バビロンに住む共に選ばれたものとわが子マルコからよろしく。」ということになろうかと思います。
「婦人」とは、キリストの花嫁である教会のことをいっているのだと思います。
また、13節におけるバビロンとは、ローマのことをいっていると多くの研究者は考えています。バビロンは霊的には神に敵対する都市(実際にはそこを支配している人とつき従う人々)を表していると考えられます。それは黙示録14.16.17.18章によって想像がつきます。
余談になりますが、大患難時代に神さまが立てられる二人の預言者が預言する場所はエルサレムですが、その場所を「霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる・・」と聖書は記しています(黙示録11:8)。
「わたしの子マルコ」とありますが、血縁によるものではなく、霊的な結びつきによる表現です。
「愛の接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。」とありますが、キリスト者個々人の置かれた土地の風習を無視して行うととんでもないことになります。特に日本で行うのは止めた方がよいと私は思います。その本質は、兄弟姉妹達と主にある愛を持ってかかわりなさい、あいさつしなさい、ということですからそのようにすれば十分であると思います。
ペテロはこの手紙について、「これが神のまことの恵みであることをあかしした。」といっています。確かに1章1節からじっくりと読んでいくと私たちキリスト者は何と豊かな恵み(地上における恵み、天上における恵み)を与えられているのだろうと感嘆します。それと共に、神の子としてふさわしく整える為に神さまは、訓練なさることも教えられます。
<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
あなたは私たちに大いなる恵みを与えてくださいました。
訓練も更なる祝福の為であることも学ばせて頂きました。
感謝して主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン
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