1テモテ1:3-7 テモテをエペソに留めた理由
“1:3わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、
1:4作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく、むしろ論議を引き起させるだけのものである。
1:5わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。
1:6ある人々はこれらのものからそれて空論に走り、
1:7律法の教師たることを志していながら、自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。”(口語訳)
3.4節を新共同訳は、「マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。」と訳しています。
パウロがこの手紙を書いたのは、注解付新改訳聖書の緒論によるとAD61年頃ということです。(色々な考察があって、執筆年代は、64-67年の間、或いは130-150年の間というものもあり、著者はパウロというものもあれば、誰かがパウロの名を関して記したというものまであります。私は、2テモテ3:16の「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(新共同訳)のおことばを重要視します。このおことばを記した人が異なる人の名前を付けるとは思えないのです。)
エペソの教会には、偽教師が発生したり、外から入り込んで来ると、パウロは、第三回宣教旅行の帰りにミレトでエペソの長老たちに語りました。
使徒20:28-31には、「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」(新改訳)と記されています。
3節に「わたし〔パウロ(筆者挿入)〕がマケドニヤに向かって出発する際、〔テモテに(筆者挿入)〕頼んでおいたように・・」とあります。
「マケドニヤに向かって出発する際」について、注解付新改訳聖書のテトスへの手紙の緒論によりますと、「使徒の働きは、パウロがローマの獄中で丸二年を過ごしたところで終わっているが、その後のおもな出来事をたどってみよう。①パウロを訴えた者たちはカイザルには上訴しなかったので、欠席のまま裁判が行われ、パウロは無罪となり釈放されたのであろう(使徒26:32)。②パウロはエペソへ行き〔使徒20:25よりパウロはエペソへは行っていないという意見もあります(筆者挿入)〕、テモテに牧会者としての責任を与えてそこに残し、更にマケドニヤへ行った。③テモテへの手紙Ⅰは、恐らくマケドニヤで書いたのであろう。・・・・」とあります。もし、エペソに行っていなかったとしたら、他のどこかでテモテと会ったのでしょう。
テモテは、パウロからエペソに留まるように命じられましたが、それはテモテにとって気の重いことであったでしょう。テモテは気弱なところがあったかも知れないからです。2テモテ1:7には、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(新改訳)と記されていますから。
エペソの教会は、①正しくない教えを説く偽教師がいたのです(3)。また、②空想話が横行していました(4)。更に、③系図に心を奪われている者達もいました(4)。
新聖書注解によると、“偽教師たちが好んでした空想話は、テトス1:14で「ユダヤ人の空想話」と言われている。それゆえ、旧約聖書を寓喩的に思弁化した話のことであろう。系図については・・・旧約聖書の系図を拾い出し、名称の由来等を神話的に思弁化したものを指していると思われる。(BC135-105年頃書かれた儀典『ヨベル書』からは、数多くの実例を拾うことが出来る)。この種の思弁は制御がきかず、果てしのなものである。だから心を奪われてはならない。心を奪われたものは、やがて自分のすべてを捕らえられてしまうからである。このようなものは議論を引き起こすだけである。”とあります。
5-7節には、
“1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。
1:6 ある人々はこれらのものからそれて、無益な議論の中に迷い込みました。
1:7 彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っています。”(新共同訳)とあります。
パウロは、エペソ人への手紙で、「キリストによって、からだ〔教会(筆者挿入)〕全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16・新改訳)と述べました。教会は愛によって建て上げられていくものなのです。パウロは、5節で、「きよい心から生じる愛」、「正しい良心から生じる愛」、「純真な信仰から生じる愛」が大切であると述べました。テモテは、エペソ教会の中に、そのような愛から外れている部分を正しい軌道に乗せるという使命を与えられたのです。即ち、健全な教会を建て上げるという使命です。
エペソ教会の中には、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すのではなく、無益な議論の中に迷い込むとともに、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っている人たちもいたのです(6.7)。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
テモテにとってはとても重い仕事(奉仕)であったことと思います。
パウロはテモテに、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と手紙に記しました。
私たちもたびたび困難にぶち当たります。自分の力で何とかすることの出来ないものも襲ってきます。
しかし、私たちの内にも聖霊様が住んでくださっておられますから感謝します。
聖霊様は神であり、力の霊であり、愛の霊であり、慎みの霊、健全な思いの霊ですから御名を賛美します。
いつも聖霊様に頼りながら歩ませていただけますことを感謝し主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン
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