1サムエル13:8-23 主よりも人を見ているサウル/いつもイエス様に目を留めて
8-15節には、“8 サウルは、サムエルが定めた通り、七日間待った。しかし、サムエルはギルガルに来なかった。兵は彼の下から離れて行った。9 サウルは、「焼き尽くす献げ物〔全焼のささげ物(新改訳2017)〕と和解の献げ物〔交わりのいけにえ(新改訳2017)〕を持って来なさい」と命じて、焼き尽くす献げ物をささげた。10 焼き尽くす献げ物をささげ終えたそのとき、サムエルが到着した。サウルは彼に挨拶しようと迎えに出た。11 サムエルは言った。「あなたは何をしたのか。」サウルは答えた。「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。12 ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。」13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。14 しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」15 サムエルは立ち上がり、ギルガルからベニヤミンのギブアに上って行った。サウルは、自分のもとにいた兵士を数えた。およそ六百人であった。”(新共同訳)とあります。
1サムエル13:1-4で、サウルの下に来た兵は、かなりの人数であったと思われます。
2節には「サウルは、自分のためにイスラエルから三千人を選んだ。」とあり、 4節には、“全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いた。兵はギルガルでサウルのもとに呼び集められた。”(新改訳2017)とありましたから、ギルガルに集合した兵の合計はかなりの人数になったのではないかと思います。前の戦いのアンモン人の王ナハシュとの戦いのときにはイスラエル兵が30万人になったのです(1サムエル11:8)。
今回はそれほどまで多く集まらなかったとしても、ある程度の人数は集まったでしょう。しかしサムエルが来た時には600人の兵しかいませんでした。
サムエルはサウルに、自分が行くまで七日のあいだ待つようにと言いました。 サウルは少なくとも8日目が始まる前の時刻までサムエルを待っていたということではなかったと思います。サムエルは7日目の内にサウルのところに来たのであろうと思います。
イスラエルの民で、兵として戦いに集った者たちは、どんどん減少していきました。人数が少なくなっていくことをサウルは不安で不安でたまらなかったのです。もうこれ以上兵を減らしたくはない、と考えて、主の為ではなく、兵をさらせないようにするために、即ち自分のために、サウルは全焼のささげ物と交わりのいけにえをささげたのであろうと思います。
イスラエルは主の国であり、王であるサウルの王は主です。イスラエルの戦いは、主の戦いです。サウルの思いと目は、主に向けられているのではなく、自分に向けられ、肉の目で見ることが出来るものだけを見て行動しているのです。
サムエルが来たのは8日目であったとは記されていませんから、7日目に来たのでしょう。
サムエルが7日目の初めの時刻に到着していれば、サウルは待っていたと思います。しかしサウルには、7日目の、このくらいの時刻までには、サムエルは来るはずだという思いがあったのであろうと思います。その時刻を過ぎてもサムエルは現れなかったので、サウルはしびれを切らしたのではないかと思います。
この箇所をまとめると、サウルは信仰のテストに失敗した、ということであろうと思います。
サウルが、主に信頼しているのではなく、人に信頼していることが明らかになったのです。
この箇所についてリビングバイブルは、それとは異なる解釈をしています。
それは祭司ではないサウルが全焼のささげ物や交わりのいけにえをささげたことのゆえに主に見捨てられた、という解釈です。
9節をリビングバイブルは「困ったサウルは、祭司ではないのに、自分で焼き尽くすいけにえと和解のいけにえをささげようと決心しました。」(改定新版)と意訳しています。
リビングバイブルのは、まさしく解釈訳で、9節を日本語に訳すと、“サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。”と、新改訳2017のようになるのです。
サウルの下には、祭司アヒヤが共にいたのではないかと思われます。1サムエル14:3には「アヒヤは、エポデを身に着けていた。 」とあり、この箇所は13章に続いている箇所だからです。
16‐18節には、
“16 サウルと、息子ヨナタン、および彼らとともにいた兵は、ベニヤミンのゲバにとどまっていた。一方、ペリシテ人はミクマスに陣を敷いていた。17 ペリシテ人の陣営から、三つの組に分かれて略奪隊が出て来た。一つの組はオフラの道を進んでシュアルの地に向かい、18 一つの組はベテ・ホロンの道を進み、一つの組は荒野の方、ツェボイムの谷を見下ろす国境の道を進んだ。”(新改訳2017)とあります。
サウルは、サムエルに「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」(13.14)と言われたからと言って、今はペリシテとの戦いの最中ですから戦いを止めるわけにはいきません。戦いのその後の推移がこの箇所に記されています。
19‐22節には、
“19 さて、イスラエルの地には、どこにも鍛冶屋を見つけることができなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけない、とペリシテ人が言っていたからであった。20 イスラエルはみな、鋤(すき)や、鍬(くわ)、斧(おの)、鎌(かま)を研ぐためにペリシテ人のところへ下って行っていた。21 鎌や、鍬、三又の矛(ほこ)、斧、突き棒を直すのに、料金は一ピムであった。22 戦いの日に、サウルやヨナタンと一緒にいた兵のうちだれの手にも、剣や槍はなかった。ただサウルと息子ヨナタンだけが持っていた。”(新改訳2017)とあります。
イスラエルの兵の武器はサウル王とその息子のヨナタンを除いて、剣や槍を持っている者はいなかったのです。
一方ペリシテは「戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たち」(5)を集めることが出来たのです。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
何か問題が起こると、私たちの内に、あなたに対する信頼がどのくらいあるのかということが明らかにされます。
如何なる環境に置かれても、常にあなたに信頼し続ける者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
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「信仰の創始者〔導き手(別訳)〕であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。」(新改訳2017)
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短い日数の中で、沢山の出来事が起きている事に、改めて驚きます。
サウルの気持ち、私はまだまだですので、とてもよくわかります。
14節のサムエルの言葉を聞いたら、心底ガックシしてしまいます。
それでも、やはり主に信頼を置かなければ、何も始まらないですものね…。やはり、導いていただく事を只々求め祈ります。
投稿: mitiko | 2022年11月11日 (金) 22時11分
アーメン。
投稿: トミー | 2022年11月12日 (土) 06時40分