1サムエル27章 異教の王アキシュのもとに亡命中のダビデ
1‐6節には、
“1 ダビデは心の中で言った。「私はいつか、今にサウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、イスラエルの全領土内で私を捜すのをあきらめ、こうして私は彼の手から逃れられる。」2 ダビデは、一緒にいた六百人の者を連れて、ガテの王マオクの子アキシュのところへ渡って行った。3 ダビデとその部下たちは、それぞれ自分の家族とともに、ガテでアキシュのもとに住んだ。ダビデも、その二人の妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルと一緒であった。
4 ダビデがガテへ逃げたことが、サウルに知らされると、サウルは二度と彼を追おうとはしなかった。
5 ダビデはアキシュに言った。「もし、私があなたのご好意を得ているなら、地方の町の一つの場所を私に下さい。そこに住みます。どうして、このしもべが王国の都に、あなたと一緒に住めるでしょう。」
6 その日、アキシュはツィクラグをダビデに与えた。
それゆえ、ツィクラグは今日まで、ユダの王たちに属している。7 ダビデがペリシテ人の地に住んでいた日数は一年四か月であった。”(2017)とあります。
サウルは、サウルが正気に戻ったときには、ダビデを殺そうと思うことを止めるのですが、サウルが被害妄想に襲われ、サウルに悪しき霊が臨むと(筆者の推測です)、ダビデを殺そうとする行動に駆り立てられるということを繰り返している、というように私には思えます。
その様なサウルのありようを見てきたダビデは、サウルの手から逃れるために、ガテの王マオクの子アキシュに保護を求めました。即ち亡命です。
以前ダビデは、アキシュの前で、気がふれているように見せて難を逃れたことがありました。
その事柄は、1サムエル21章に以下のように記されています。
“10 ダビデはその日、ただちにサウルから逃れ、ガテの王アキシュのところに来た。
11 アキシュの家来たちはアキシュに言った。「この人は、かの地の王ダビデではありませんか。皆が踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」
12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。13 ダビデは彼らの前でおかしくなったかのようにふるまい、捕らえられて気が変になったふりをした。彼は門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを垂らしたりした。
14 アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見ているように、この男は気がふれている。なぜ、私のところに連れて来たのか。15 私のところに気がふれた者が不足しているとでもいうのか。私の前で気がふれているのを見せるために、この男を連れて来るとは。この男を私の家に入れようとでもいうのか。」”(2017)とあります。
さて、今回ダビデがアキシュの前に立った時、アキシュは、このダビデと以前の気がふれた演技をしていたダビデとが同一人物であると分かったでしょうか?
それはさておき、アキシュは、ダビデがサウルから追われている者であることを知っていたのでしょう。
それだからこそ、対サウル戦において、ダビデは自分の戦力として使えると考えたのではないかと思います。
ダビデの申し出によって、アキシュはダビデにツィクラグの地を与えて住まわせました。
8‐12節には、
“8 ダビデは部下とともに上って行って、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。彼らは昔から、シュルの方、エジプトの地に及ぶ地域に住んでいた。9 ダビデはこれらの地方を討つと、男も女も生かしてはおかず、羊、牛、ろば、らくだ、また衣服などを奪って、アキシュのところに帰って来た。
10 アキシュが「今日は、どこを襲ったのか」と尋ねると、ダビデはいつも、ユダのネゲブとか、エラフメエル人のネゲブとか、ケニ人のネゲブとか答えていた。
11 ダビデは男も女も生かしておかず、ガテに一人も連れて来なかった。「彼らが『ダビデはこういうことをした』と言って、私たちのことを告げるといけない」と思ったからである。ダビデはペリシテ人の地に住んでいる間、いつも、このようなやり方をした。
12 アキシュはダビデを信用して、こう思っていた。「彼は自分の同胞イスラエル人に、とても憎まれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべでいるだろう。」”(2017)とあります。
8‐11節には、ダビデとその部下たちによる虐殺、略奪、ダビデの虚言等が記されています。
ダビデがサウルから逃れるために、イスラエルの地を離れて異教の地ガテに身を寄せたのは、果たして、主のみ旨を聞いてからなされた事であったのだろうか、と私は思います。
ダビデが、主のみ旨を聞くことなく、主に祈ることもあまりせず、自分の肉的な考えで歩んだ1年4カ月の日々であったのではないか、と私は思います。私には、ダビデの霊的暗黒の時代に思えます。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
1テサロニケ5:16-18には、“いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。”(2017)とあります。
あなたとの交わりを失って、あなたのために生かされていることを忘れ、人を傷つけ、虚言を放つような生活に陥ることがありませんように。
いつもあなたを喜び、またあなたが私たちのために用意してくださっておられるものを思って喜び、祈りながら生活し、すべてのことを主イエスの御名であなたに感謝する者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
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コメント
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9節を読むだけですと、神様もこの様なご命令をされるの?と疑問に思っても、聖書に書いてあるから神様のご命令なのだと捉えてしまったら、大変な事ですね…。深い意味を理解できなければ、トミーさんがコメントを書いてくださらなければ、間違えた捉え方をしてしまうと改めて思いました。
投稿: mitiko | 2022年11月26日 (土) 23時31分
聖書に神の御言葉が書いてあるのは当然のことですが、聖書の中には、人の言葉もサタンの言葉も悪霊の言葉も書いてあります。
投稿: トミー | 2022年11月27日 (日) 09時33分