キリスト者に与えられた恵み10/聖化3
聖化とは何なのでしょうか?
キリスト者が「聖化される」というのは、キリストと似た者とされていくこと、を言うものと思います。
1ヨハネ3:1-3には次のように記されています。
“1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(2017)とあります。
次に、エフェソの信徒(エペソ人)への手紙4章に記されている箇所を抜粋しながら下記します。
“1 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたし〔パウロ(筆者挿入)〕はあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、
:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、
3 平和のきずなで結ばれて、霊〔「御霊」(新改訳)、「聖霊」(口語訳)〕による一致を保つように努めなさい。
4 体〔キリストの体。{1コリント12:27、エペソ1:23参照}(筆者挿入)〕は一つ、霊〔「御霊」(口語訳・新改訳)〕は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望〔栄光の望み=栄化(筆者挿入)〕にあずかるようにと招かれているのと同じです。
5 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、〔“one Lord, one faith, one baptism”(NKJV)〕
6 すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。/
13 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
14 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、
15 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。
16 キリストにより、体〔キリストの体=教会(筆者挿入)〕全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分〔個々人のキリスト者(筆者挿入)〕は分に応じて働いて体〔キリストの体=教会(筆者挿入)〕を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
17 そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、18 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。19 そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。
20 しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。/
22 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
23 心の底から新たにされて、〔直訳は「心の霊において新しくされ」。「心」と訳されている語のギリシア語原語は、「ヌース」で、心、知性、理解、理解力etc.の意があります。理解力の霊によって新しくされ、とも読めます。「真理の御霊によって新しくされ」ということかもしれません。(筆者挿入)〕
24 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
25 だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
26 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
27 悪魔にすきを与えてはなりません。
28 盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
31 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。”(新共同訳)とあります。
回心したばかりのキリスト者が、一瞬の内に主なる神様が願っているような心の状態を持ち、かつ歩むということは、普通は無理なことです。
聖書を読みながら、一つ一つ、主に示されたことを悔い改め、主に変えていただき続けるという漸次的聖化の歩みをするのが一般的でしょう。
神の御旨を歩むことが出来るように変えていただく歩み、それは聖化されていく歩みです。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この世にも、「這(は)えば立て、立てば歩めの親心」などという言葉がありますが、キリスト者に対して、あなたは、主を信じて救われたら、聖化されてキリストの姿に似た者とされていくことをお求めであることを聖書から教えられます。少しずつでもキリストに似た者とさせて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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