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2023年5月27日 (土)

マタイ22:23-33 復活後のからだと結婚

 マタイ2223-33には次のように記されています。
23 その日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。
24
 「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して〔レビレート婚(筆者挿入)〕、兄のために子をもうけなければならない。』
25
 さて、私たちのところに、七人の兄弟がいました。長男は結婚しましたが、子のないまま死に、その妻を弟に残しました。26 次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。27 最後にその女も死にました。28 すると復活の時、彼女は七人のうち誰の妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」
29
 イエスはお答えになった。
「あなたがたは、聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。30 復活の時には、めとることも嫁ぐこともない。天の御使いのようになるのだ。
31
 死者の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。32 『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
33
 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 サドカイ派(人)について、聖書協会共同訳の用語解説は次の様に簡略にまとめています。
“〔サドカイ派は(筆者挿入)〕ファリサイ派と共にイエスの時代のユダヤ教の一派で、祖先はダビデ時代の祭司ツァドクの家系と思われる。大半は指導的な祭司や社会的特権階級の者で、成文の律法、モーセ五書のみを認め、復活、天使、霊を認めなかった(使徒238)。民衆からの支持が少なく、紀元後70年のエルサレム神殿崩壊とともに歴史の舞台から姿を消す。”と記しています。

 24節の『 』内の個所は、申命記25章に基づくもので、申命記のその箇所のポイントをサドカイ派の人は述べたのでしょう。
 申命記255-10には次のように記されています。
5 兄弟が共に住んでいて、そのうちの一人が死に、子がなかった場合、死んだ者の妻は家を出て、他の者の妻になってはならない。その夫の兄弟が彼女のところに入り、彼女をめとって妻とし、兄弟としての義務を果たさなければならない。6 彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名をイスラエルから絶やしてはならない。
7
 しかし、その兄弟が義理の姉妹をめとろうとしないときは、彼女は町の門の長老たちのもとに行き、言いなさい。
「私の夫の兄弟は、夫の名をイスラエルに残すことを拒み、兄弟の義務を果たそうとしません。」
8
 町の長老は彼を呼び出して、諭さなければならない。
それでも彼がかたくなに、「私は彼女をめとろうとは思わない」と言うならば、
9
 義理の姉妹は彼に近寄り、長老たちの前でその足の履物を脱がせ、顔に唾を吐きかけ、彼に「自分の兄弟の家を立てない者はこのようにされる」と言いなさい。10 彼の名は、イスラエルの間で履物を脱がされた者の家と呼ばれるであろう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 BIBLE naviは、“律法によると、夫が子のないままで死んだなら、夫の兄弟には、残された妻と結婚して面倒を見る責任があった。この律法は、一人残される女性を守った。この文化では、彼女たちは普通、自活する手段が他になかったからである。”と述べています。

 創世記38章に、ユダとタマルの話が出てきますが、タマルは、ユダにレビレート婚を要求したのでしょう。

 「復活後のからだと結婚」というのを今日のテーマにしたいと思います。
私たちキリスト者は、主イエス様が語られた御言葉をそのまま信じます。しかし、ユダヤ人たちの多くは信じなかったと思います(ルカ1334)。
主イエス様は次のように語られました。ヨハネ521-29には次のように記されています。
21 父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、自分の望む者に命を与える。
22
 また、父は誰をも裁かず、裁きをすべて子に委ねておられる。
23
 すべての人が、父を敬うように、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
24
 よくよく〔原語は「アーメン、アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。
25
 よくよく〔原語は「アーメン、アーメン」(筆者挿入)、「まことに、まことに」(新改訳)〕言っておく。死んだ者が神の子の声を聞き、聞いた者が生きる時が来る。今がその時である。26 父が、ご自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。27 また、父は裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである〔ダニエル713.14参照(筆者挿入)〕。
28
 このことで驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く29 そして、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者〔主を信じなかった者(筆者挿入)〕は復活して裁きを受けるために出て来るであろう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主イエス様は、かつてこのように語っていましたが、サドカイ派の人たちは、主イエス様の御言葉を信じないので、マタイ22章に記されているように、“31 死者の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。32 『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」”と語られたのでしょう。
主の「生きているものの神」という御言葉以外にも、アブラハムが生きていることについては、ルカ16章の金持ちとラザロの譬えから明らかですし、エリヤやモーセが生きているのは、キリストの変貌山の出来事(マタイ171-6)からも明らかなことです。

 また、サドカイ人は、死者はよみがえらない、というスタンスに立っていましたが、イエス様の公生涯中にも、主イエス様は、死んで四日目になるラザロをよみがえらせ(ヨハネ1138-44)、やもめの息子を生き返らせ(ルカ711-17)、ヤイロの12歳くらいの娘を死からよみがえらせたのです(ルカ842.49-55)。

 30節には、“復活の時には、めとることも嫁ぐこともない。天の御使いのようになるのだ。”というイエス様の御言葉があります。
キリストの花嫁以外の者の場合は、そのようになるのでしょう。
キリストの花嫁は、キリストの空中再臨の時に天に挙げられた人たちとすでに天に帰ったキリストの花嫁を構成する霊たちの総体すなわち、エクレシア(教会)です。キリストの花嫁を構成する一人一人は、キリストに似たものとなるのです(1ヨハネ32)。

 新生したキリスト者は、すでに霊においてキリストと一つになっているのです。
ローマ89に“神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。”(新共同訳)と記され、“主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(1コリント6172017)と記されているように、キリストと新生したキリスト者は霊においては結婚しているのです。婚姻の儀は、霊のからだを頂いた後であって黙示録197-9に記されている天における出来事です。
ただし、新生していても、このことを霊的に実感できる人は多くはないのかもしれません。新生した人の霊、たましい、からだの違いがわかる迄は、お預けなのでしょう。わかるというよりも、恵みによってわからせていただけるものなのでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
救われる前の私は、サドカイ派の人たち以下の考えしか持ち合わせていませんでした。
私は、サドカイ派の人たちの様に、復活、霊、天使を認めないという者でした。それだけではありません。サドカイ派の人たちはモーセ五書を認めていましたが、私は、それをも認めていなかったのです。
あなたの憐れみと恵みが私に注がれなかったならば、私は、神の実在を信じることが出来ず、救い主による救いを受け入れることもできなかった者です。
ただただ御名を崇めて感謝します。
世々とこしえに主の御名が崇められますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

〝・・しかし、ユダヤ人たちの多くは信じなかったと思います(ルカ13:34)。〟と記載してくださったルカ福音書は、まだ読んでもおらず、意味が分からず、繰り返し読みました。幾たびに集めてくださろうとする中で、遅くなってでも応えれる者でありたいと思いました。記載をありがとうございます。
30節に関してのコメントされている箇所ですが、キリスト者以外の人も復活されるのでしょうか?私は、キリスト者以外の人は復活されないのだと思っておりました。天の御使いがガブリエルなどの様な天使のことを表して語られたのかどうかはわかりませんが、キリストの花嫁とされる事は楽しみです。

キリスト者以外の人も復活されるのですよ。
ヨハネ5:29に記されています。
キリスト者の霊のからだの美しさは、おそらく天使以上だと思います。
キリストの花嫁なのですから。
ちなみに、バプテスマのヨハネはキリストの友人です。

本当ですね!
いつも教えてくださり、ありがとうございます。
バプテスマのヨハネはエリサベトが産んだ子ですよね?神様の不思議な業ですよね。
神様は不思議な業を与えてくださいますよね。
そんなことを思うと感謝で目頭が熱くなります。
霊のからだを思うと、地上生活の中で常に主に目を向けて生きていたいと思えます。(感情的になりやすいので、特にです)

本当にただただ恵みです。

アーメン。

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