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2023年8月19日 (土)

マタイ24:45-51 忠実な僕と不忠実な僕/常に心の目を覚まして主に仕えよう

 マタイ2445-51には次のように記されています。
45 「主人から、時に応じて食べ物を与えるようにと、家の使用人たちを任された忠実で賢い僕は、一体誰であろうか。
46
 主人が帰って来たとき、そのように働いているのを見られる僕は幸いである。
47
 よく言っておくが、主人は彼に全財産を任せるに違いない。
 48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅れると思い、49 仲間を叩き始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
50
 もしそうなら、その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 並行記事であるルカ1241-48には次のように記されています。
41 そこでペトロが、「主よ、このたとえは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
42
 主は言われた。
「主人から、時に応じて穀物を配分するようにと、召し使いたちを任された忠実で賢い管理人は、一体誰であろうか。43 主人が帰って来たとき、そのように働いているのを見られる僕は幸いである。44 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を任せるに違いない。
45
 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、男女の召し使いを叩いたり、食べたり飲んだり、酔ったりし始めるならば、46 その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。47 主人の思いを知りながらそのとおりに用意もせず、働きもしなかった僕は、ひどく叩かれる。48 しかし、知らずにいて打たれるような働きをした者は、叩かれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 またマルコ1333-37には次のように記されています。
33 「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたは知らないからである。34 それはちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに責任を与えてそれぞれに仕事を託し、門番には目を覚ましているようにと、言いつけるようなものである。35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴く頃か、明け方か、あなたがたには分からないからである。36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
37
 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」”(聖書協会共同訳)とあります。

「主よ、このたとえは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」(ルカ1241)とペテロはイエス様に質問しました。マルコの福音書の方では、はっきりと「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ1337)と記されています。

主イエス様とキリスト者の関係は、愛においては夫と妻との関係を持ちつつ、働きに関しては主人としもべの関係です。主は忠実なしもべを喜ばれます(マタイ2521.23、ルカ1917)。

愛の観点からいえば、主を愛しているならば、愛の故に夫である主に対して忠実であろうと思います。愛する人の為に忠実であることは苦痛ではありません。

主イエス様という夫は、妻であるキリスト者に対していつも愛にあふれた忠実さを示しています。

イエス様は、マタイ2445-51&ルカ1241-48の中で、ペテロの質問に答えて、上に立てられている者たちに対する報いと警告を語られました。
①主に忠実なものは、忠実であった故に、良き報酬を受ける(マタイ2442-44)。
②主に不忠実であり、主にゆだねられた主のしもべたちを主のみ旨とは反対に、肉に属し悪霊に属するようなあり方で好き勝手に扱うようなしもべは、報酬としてお仕置きを受ける(マタイ2445-48)、というものです。

 今日の個所は、一見すると上に立てられた者に対することだけのように読んでしまいますが、キリスト者は全員が天においてキリストの裁きの座に立たされます(2コリント510)。ですから、全てのキリスト者が主に対して忠実であるか不忠実であるかを問われるのです。
私は、何をしたらよいのかわからない、という方もいるかもしれません。
少しの助けになるかもしれませんので、ローマ12章の聖句を記しておきます。
3 ・・・、あなたがた一人一人に言います。分を越えて思い上がることなく、神が各自に分け与えてくださった信仰の秤〔直訳「物差し」(欄外注)〕に従って、慎み深く思うべきです。
4
 一つの体の中に多くの部分があっても、みな同じ働きをしているわけではありません。
それと同じように、5 私たちも数は多いが、キリストにあって一つの体であり、一人一人が互いに部分なのです。
6
 私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、7 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に、教える人は教えに、8 勧める人は勧めに専念しなさい。分け与える人は惜しみなく分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 それでも、自分がどうしたらよいのか、よくわからないという方のために、すこし加筆します。
キリスト者は、主を賛美するご奉仕が出来ます(エペソ16.12.14)。
キリスト者はとりなしの祈りをする祭司の働きが出来ます。
主と兄姉に仕えることは奉仕です。
使徒9章に記されているドルカスは、奉仕をしなければならない、と考えたのではなく、姉妹たちを愛する愛のゆえに、自分の出来ることをしたのです(使徒936-41)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主を愛し、主を愛する故に主にお従いし、主に仕える者であらせてください。
そのような日々を送らせていただきつつ、主が迎えに来てくださる日を待つ者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

主に忠実な心で仕えることができますよう、切に願い祈ります。
何か奉仕できるものを探すのではなく、今行っている事(もの)の、心を神様・主に向けていることが大切であるという事に気づかされます。何か奉仕…という考えでは、偽善者となってしまいますね…。気づかせてくださり、ありがとうございます。
今(今まで)、主が与えてくださっている事(もの)を大切にしながら、主に忠実に従って歩んでゆきます。更に忠実な心を持てますように導いてくださいますように、祈り求め続けます。
〝今日の個所は、一見すると・・読んでしましますが、・・問われるのです。〟重複した変換となってしまっていたのかな?と思いました。
何時も細かな所をすみません。

ありがとうございます。
直しておきました。

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