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2023年8月15日 (火)

マタイ24:31.36-44 終末と満了14/キリストの空中再臨と携挙

 マタイ2431.36-44には次のように記されています。
31 人の子は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わし、天の果てから果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める。/
36
 「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
37
 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。
40
 その時、畑に二人の人がいれば、一人は取られ、一人は残される。
41
 二人の女が臼を挽いていれば、一人は取られ、一人は残される。
42
 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が来られるのか、あなたがたには分からないからである。
43
 このことをわきまえていなさい。家の主人は、盗人が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に忍び込ませたりはしないだろう。
44
 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 31節をリビングバイブルは、“ラッパが高らかに鳴り響く中で、わたしは天使たちを遣わします。天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。”と意訳しています。

 天と地の両方から選びの民が集められるのはキリストの空中再臨に伴う携挙の時です。
まず御父は、御子であり、主であるキリスト・イエス様に、キリストの空中再臨の時が来たことを知らせるのでしょう。
私たちの主であるキリスト・イエス様は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わすのです。そして、天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。

 1コリント1551-54には、
50 きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐこともありません。
51
 ここで、あなたがたに秘義〔奥義(口語訳、新改訳)〕を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。
52
 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます〔霊のからだを与えられます(筆者挿入)〕。
53
 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになるからです。
54
 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利に呑み込まれた。」〔イザヤ258、ホセア1314参照(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)と記され、
 1テサロニケ414-17には、
14 私たちは、イエスが死んで復活されたことを確かなことと信じています。ですから、イエスが帰って来られる時、すでに死んで世を去ったすべてのクリスチャンを、神が共に連れて来てくださると信じてよいのです。
15
私は主から直接聞いたとおりを伝えるのですが、主が再び来られる時、私たちがまだ生きていたとしても、すでに墓の中にいる人たちをさしおいて主にお会いすることは、断じてありません。
16
主は、大号令と、天使長の声〔天使長は天使たちに命令を発するのでしょう(筆者挿入)〕と、神の召集ラッパの響きと共に、天から下って来られます。その時、まず最初に復活して〔霊のからだが与えられて(筆者挿入)〕主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。
17
それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。”(リビングバイブル)と記されています。
 脱線しますが、続く1テサロニケ418には、“ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。”(2017)と記されています。

 携挙は、携挙の準備が整うと起こるのです。
マタイ2437-39には、
37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ノアの箱舟に、入るべき人や動物が入った後、神様が箱舟の戸を閉めたのです。
創世記7章には次のように記されています。
13 まさにその日、ノアは、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、そして息子たちの三人の妻と一緒に箱舟に入った。
14
 彼らと共に、それぞれの種類のあらゆる獣、それぞれの種類のあらゆる家畜、それぞれの種類のあらゆる地を這うもの、それぞれの種類のあらゆる鳥、あらゆる小鳥、あらゆる翼あるもの、15 すなわち、命の息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ、ノアのもとに来て箱舟に入った。
16
 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。神がノアに命じられたとおりであった。そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ルカ17章では、ノアのときだけではなく、ロトの時のことも次の様に記されています。
26 ノアの時にあったようなことが、人の子の時にも起こるだろう。
27
 ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が来て、一人残らず滅ぼしてしまった。
28
 ロトの時にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、29 ロトがソドムから出て行った日に、火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ロトの話を詳しく知るためには、創世記1816-1929を読む必要があります。
ロトの場合も、主の御言葉を信じた3人の者だけが助かったのです。
ロトの奥さんは、世に未練があったために滅びました(創世記1926)。
ロトの二人の娘を娶(めと)る婿たちは、神のことばを信じなかったので滅びました(創世記1914)。

 主の御怒りの日が始まる前に、キリストの空中再臨があります。
そして、キリストの空中再臨の時に携挙されるのです。
地上に残される人は、これらのことを見ることが出来ません。
携挙された人の服を見ることはできるでしょうが(このように推測できるのはヨハネ205-7によります)。

 黙示録3102017は、“あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。”と訳していますが、
直訳すると、前田訳のように、
“なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。”と訳すことが出来ます。

 前田訳の様に訳せる理由は、1テサロニケ415-59を読めばわかります。
特に、1テサロニケ59には、
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)と記されています。
神の御怒りは、黙示録6.8.9.16章、1919-203.7-10に記されています。そしてその後今の天地は滅ぼされ、最後の審判に移るのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
イエス・キリスト様の十字架と復活を感謝します。
イエス・キリスト様の贖いの血潮に感謝します。
携挙していただけますことを感謝します。
あなたの御名が崇められ、賛美されますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

全てはイエス様の贖いの血があったからこそです。感謝しかありません。
空中再臨、肉の時にイエス様にお会いしたい時思いますが、それは叶いそうもないですね…。
1テサ4:18“ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。”という御言葉をはじめ、やはり愛をもって地上生活を生きることが示されていると改めて思いました。
全ては神様のご計画のうち。ご計画の中に準備がある…地上生活の始まりから終わり迄、ご計画の内に生き、準備とはその過程なのかと思いました。(私はその事だけ見ていたら、隣人愛を忘れてしまったりしそうと思いましたので、その様に捉えてみました)
「何故できなかった」等の後悔する出来事にも、神様のご計画であると思えば、その先に希望が持てます。(持とうとしているのかも知れないです。後悔を打ち消す為に…。それでも、その繰り返す様な出来事の中から、学びがある事に気付かされ、神様の時があるのだと思えるようになってきました。まだ、後悔の念や思う様にならない時には憤りや不平不満が募ります。その思いが平坦となり、全ては神様の御旨の内にあると思えた時、神様が戸を閉めてくださるのかな?と思いました)
創世記を読むと男女は一対、神様がお造りになられたものは永遠である事を改めて学びます。
(今の時代、性別に悩みを抱えている方もいらしたり、少子化等の問題があったり…そこにも何か神様のご計画があるのかな?と思いました)

愛なる主に守られて地上生涯を送れることは本当に幸いですね。

アーメン。

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