詩篇98篇 救い主、裁き主、全地の王なるキリスト・イエス
詩篇98篇には次のように記されています。
“1 賛歌。新しい歌を主に歌え。まことに主は奇しき業を成し遂げられた。主の右の手、聖なる腕が救いをもたらした。
2 主は救いを知らせ、正義を国々の目の前に現された。
3 イスラエルの家に対する慈しみとまことを思い出された。遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。
4 全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ。歓声を上げよ、喜び歌え、ほめ歌え。
5 琴に合わせて主にほめ歌を歌え、琴と歌声をもってほめ歌え。
6 ラッパと角笛の音に合わせて、王なる主の前で喜びの声を上げよ。
7 海とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものはとどろけ。
8 川という川は手を打ち鳴らせ。山々はこぞって喜び歌え、9 主の前に。
主は来られる、地を裁くために。主は義によって世界を裁き、もろもろの民を公平に裁かれる。”(聖書協会共同訳)とあります。
1-3節には次のように記されています。
“1 賛歌。新しい歌を主に歌え。まことに主は奇しき業を成し遂げられた。主の右の手、聖なる腕が救いをもたらした。
2 主は救いを知らせ、正義を国々の目の前に現された。
3 イスラエルの家に対する慈しみとまことを思い出された。遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。”とあります。
ユダの家と言うのではなく、イスラエルの家(2)とありますから、この救いはエジプトでの奴隷生活からの救いではないかと思います。
主の御業によって出エジプトしたイスラエルの民が葦の海を渡り終え、イスラエルの民の後を追ってきたエジプトの軍勢を主が全滅させてくださった後に歌われた賛美が出エジプト15章に次のように記されています。
“1 その時、モーセとイスラエルの人々はこの歌を主に歌った。
「主に向かって私は歌おう。なんと偉大で高くあられる方。主は馬と乗り手を海に投げ込まれた。
2 主は私の力、私の盾、私の救いとなられた。この方こそ私の神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。私はこの方を崇める。
3 主は戦人(いくさびと)。その名は主。
4 ファラオの戦車と軍勢を海に投げ込まれ、えり抜きの補佐官は葦の海に沈んだ。
5 深淵は彼らを覆い、彼らは石のように深みに落ちていった。
6 主よ、あなたの右の手は力に輝く。主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
7 大いなる威光によって敵を破り、怒りを放ってわらのように焼き尽くす。
8 怒りの風で水はせき止められ、流れは水の壁のように立ち、深淵は海の中で固まる。
9 敵は言った。『追いかけて、追いつき、戦利品を分け、思いのままに剣を抜き、この手で奪おう。』
10 あなたが息を吹きかけられると、海は彼らを呑み込み、彼らは荒れ狂う海に鉛のように沈んだ。
11 主よ、神々のうちで誰かあなたのような方がいるでしょうか。誰が、あなたのように聖であって栄光に輝き、賛美されつつ畏れられ、奇しき業を行うでしょうか。
12 あなたが右の手〔詩篇98:1参照(筆者挿入)〕を伸ばされると地は彼らを呑み込んだ。
13 あなたは贖われた民を慈しみをもって導き、力をもって聖なる住まいに伴われた。
14 もろもろの民は聞いて震え、苦しみがペリシテの住民を捕らえた。
15 その時、エドムの首長らはおののき、モアブの有力者は震え上がり、カナンの住民らは皆恐れおののいた。
16 恐れとおののきが彼らに臨み、御腕の力強さによって石のように静かになりますように。主よ、あなたの民が通り過ぎるまで。あなたの買い取られたこの民が通り過ぎるまで。
17 あなたは彼らを導き、ご自分の山に植えられる。主よ、そこは、あなたの住まいとして自ら造られた所。主よ、そこは、あなたの手によって建てられた聖所。
18 主は代々とこしえに治められる。」”(聖書協会共同訳)とあります。
詩篇98:1-3のみならず、4-7節に記されている内容は、上記の喜びを彷彿とさせます。詩編98:4-7を再掲します。
“4 全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ。歓声を上げよ、喜び歌え、ほめ歌え。
5 琴に合わせて主にほめ歌を歌え、琴と歌声をもってほめ歌え。
6 ラッパと角笛の音に合わせて、王なる主の前で喜びの声を上げよ。
7 海とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものはとどろけ。”と記されています。
7節に「世界」とありますから、4節の「全地」はイスラエルの全地の意味であろうと思います。
「全地」と訳されている語のヘブライ語は、「その地のすべて」と訳せますから。
「全地」を世界と捉えることはできないでしょう。
軍隊を滅ぼされた方のエジプトは喜べませんし、エドム、モアブ、カナンの地の住民たちも喜べなかったでしょう。
エリコの例をあげると、ヨシュア2:8-11には次のように記されています。
“8 二人〔エリコを調査に行ったイスラエルの斥候(筆者挿入)〕が寝てしまう前に、女〔エリコの住民のラハブ(筆者挿入)〕は彼らのいる屋上へ上り、9 二人に言った。
「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたがたにこの土地を与えられたこと、そのため、私たちが恐怖に襲われ、この地の住民たち〔エリコの住民たち(筆者挿入)〕もあなたがたの前に恐れおののいていることを、私は知っています。10 あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたの前で葦の海の水を干上がらせたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたアモリ人の二人の王、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、私たちは聞いています。11 それを聞いて、私たちの心は挫けてしまい、もはやあなたがたに立ち向かう勇気は誰にもありません。あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕こそ、上は天、下は地において神であられるからです。」”(聖書協会共同訳)とあります。
7-9節aも当時のことを回想したことに関するものであったと思います。次のように記されているからです。
“7 海とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものはとどろけ。
8 川という川は手を打ち鳴らせ。山々はこぞって喜び歌え、9 主の前に。”とあります。
この世の終わりには、海の中の生物は死にます。
山々は消えてなくなります(おそらく丘のように平坦になります)。ただしシオンの山は高くなりますが(イザヤ2:2)。
黙示録16:3には“第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、海の生き物はことごとく死んでしまった。”(聖書協会共同訳)と記されていますから。
また、黙示録16:20には“・・、山々は平地に代わりました。”(リビングバイブル)と記されています。
9節b.cの“主は来られる、地を裁くために。主は義によって世界を裁き、もろもろの民を公平に裁かれる。”(聖書協会共同訳)という個所はキリストの地上再臨及びそれ以降のことでしょう。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちキリスト者は、サタンの支配から、神との断絶から、救い出された者です。
ただ救い出されただけではなく、神の子どもとされ、キリストの花嫁とされていますことを感謝します。
あなたの子どもとしてふさわしく歩む者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。