申命記30:1-10 預言の確かさ/イスラエルへの帰還1
申命記30:1-10には次のように記されています。
“1 私があなたの前に置いた祝福と呪い、これらすべてのことがあなたに臨むとき、あなたは、あなたの神、主があなたを追いやった先のあらゆる国民の中で、その言葉を思い起こし、2 あなたの神、主のもとに立ち帰り、私が今日命じるように、あなたの息子たちと共に、心を尽くし、魂を尽くして、主の声に耳を傾けなさい。
3 そうすれば、あなたの神、主は、あなたを捕らわれの身から連れ戻し、あなたを憐れみ、あなたの神、主があなたを散らした先のすべての民の中から再び集めてくださる。
4 たとえ天の果てに追いやられても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、連れ戻してくださる。
5 あなたの神、主は、あなたの先祖が所有していた地にあなたを導き入れてくださり、あなたはそれを所有することができる。そして、主はあなたを幸せにし、先祖たちよりもその数を増やしてくださる。
6 あなたの神、主はあなたとその子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主を愛し、命を得るようにしてくださる。
7 あなたの神、主は、これらの呪いをすべて、あなたの敵とあなたを憎んで迫害する者にもたらす。
8 それゆえ、あなたは立ち帰って主の声に聞き従い、私があなたに今日命じる戒めをすべて守るようになる。
9 あなたの神、主は、あなたのすべての手の業、あなたの胎から生まれる子、家畜の産むもの、また、土地の実りを豊かに溢れさせてくださる。主はあなたの先祖たちを喜びとされたように、あなたに良いものを与えて再びあなたを喜びとされる。
10 それは、あなたがあなたの神、主の声に聞き従って、この律法の書に書かれている戒めと掟とを守り、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に立ち帰るからである。”(聖書協会共同訳)とあります。
この箇所はイスラエルに対する祝福と呪いについての契約の続きです。
約束の地に入った後のイスラエルの歩みを見ると、イスラエルは祝福を受ける歩みをしたときもありますし、呪いを受ける歩みをしたときもありますが、結局この個所は、イスラエルに対する壮大な預言となっています。
1節には、「私があなたの前に置いた祝福と呪い、これらすべてのことがあなたに臨むとき、・・・」とありますから、イスラエルは祝福の約束も経験し、呪いの約束もすべて経験することを述べています。
実際、ダビデが王として統治した時代から始まりソロモン王の時代には祝福の絶頂を迎えました(マタイ6:29には、「栄華を極めたソロモン」というイエス様の言葉があります)。
申命記28:1-13には祝福の契約が記されていました。下記のようになっています。
“1 もしあなたがあなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日私が命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを、地上のすべての国民 の上に高く上げてくださる。
2 あなたがあなたの神、主の声に聞き従うとき、これらすべての祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶ。
3 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。
4 あなたの胎から生まれた子も、土地の実りも、家畜の産むもの、牛の子も羊の子も祝福される。
5 あなたの籠もこね鉢も祝福される。
6 あなたは入るときも祝福され、出るときも〔戦いや仕事に出ていくときも帰ってくるときも(リビングバイブル)〕祝福される。
7 主はあなたに立ち向かう敵をあなたの前で打ち負かされる。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前から七つの道へ逃げて行く。
8 主はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたの手の業に祝福を定められ、あなたの神、主があなたに与えられた地であなたを祝福される。
9 あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むとき、主はあなたに誓われたとおり、あなたを聖なる民として立てられる。
10 地のすべての民は、あなたが主の名で呼ばれるのを見て、あなたを恐れる。
11 主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの胎から生まれた子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かにされる。
12 主は恵みの倉である天を開いて、あなたの地に季節に応じて雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたは多くの国民に貸すようになるが、借りることはない。
13 私が今日守り行うように命じる、あなたの神、主の戒めに聞き従うとき、主はあなたを頭として、尾とすることはない。あなたは常に上にあって、 下になることはない。”(聖書協会共同訳)と記されています。
神に従い祝福を受けるという契約に基づき、ダビデやソロモン、またその時代のイスラエルの民が、祝福を受けたということは、サムエル記や列王記、歴代誌に歴史として記されています。
ダビデ王の主への愛と信頼、ソロモンの治世の初めの頃の真実さに、ヤハウェ(主)は祝福の契約を履行されたことがよくわかります。
申命記28:15には“もしあなたがあなたの神、主の声に聞き従わず、私があなたに今日命じる戒めと掟のすべてを守り行わないならば、これらのすべての呪い〔申命記28:16-68(筆者挿入)〕があなたに臨み、あなたに及ぶ。”(聖書協会共同訳)とありましたが、南北イスラエルの王が、偶像礼拝の罪、即ち、ヤハウェ(主)を自分の神とせず、愛さず、信頼しなかった王の時代には、次々と呪いの条項が成就したのです(レビ26:14-44も参照してください)。
ソロモン王がどの様にして主に背き、その結果はどのようになっていったのか、また、その後の歴代の王たちはどのようであったのかということについては、1列王記11章以降と列王記Ⅱの全体及び2歴代誌10章-36章を読むと分かります。
ヤハウェ(主)は、信仰的に下っていく時代の中にあっても、主に立ち返った王の時代には、概して、それに応じて祝福を与えて下さいました。「概して」というのは、王によってはそうではなかったからです。ヨシヤ王の時代、ヨシヤは信仰の復興をするのですが、それまでの王たちの罪の累積がイスラエルに暗い影を落としていたのです。
北イスラエル(イスラエルの10部族)はアッシリアに滅ぼされ(BC721年)、南イスラエル(ユダ族を中心とし、ベニヤミン族やレビ族も含まれる)もBC586年に滅ぼされたのです。
南イスラエルの民は、聖書の預言(エレミヤ25:11.12、29:10)の通りに、後日、一部の者たちが捕囚の地から帰ってきました(エズラ記、ネヘミヤ記)。
しかし、多くの者は捕囚の地に残ったのです。帰還せず捕囚の地で主に用いられた人たちの中には、ダニエル、モルデカイとエステル等がいました(ダニエル10:1、エステル記)。
アッシリアに捕囚となった北イスラエルの10部族の子孫の行方がすべてわかるのは、主の地上再臨時及びそれ以降になるのではないかと思います。今日の聖書個所の預言は、全イスラエルに与えられたものですから、この成就も、主が地上に再臨されるに伴って、そしてその後に、この預言は確かに成就した、と言えるようになるのであろうと思います。
その理由は、エゼキエル37:15-28に次のように記されているからです。
“15 主の言葉が私に臨んだ。
16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に、『ユダとその友イスラエルの子らのために』と書き記しなさい。またもう一本の木を取って、その上に、『エフライムの木であるヨセフとその友であるイスラエルの家すべてのために』と書き記しなさい。
17 それらを互いに近づけて一本の木としなさい。それらはあなたの手の中で一つとなる。
18 同胞があなたに向かって、『これらはどういう意味なのか、我々に告げてくれないか』と言うとき、19 彼らに語りなさい。
主なる神はこう言われる。私はエフライムの手の中にあるヨセフの木とその友イスラエルの諸部族を取り、これらをユダの木に合わせて、一本の木とする。これらは私の手の中で一つとなる。
20 あなたの書き記した木が彼らの目の前であなたの手の中にあるとき、21 彼らに語りなさい。
主なる神はこう言われる。私はイスラエルの子らを、行った先の諸国民の間から取り戻し、周囲の国々から集め、彼らの土地に導き入れる。
22 私はその地、イスラエルの山々で彼らを一つの国民とする。一人の王〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕が彼らすべての王となる。彼らは二度と二つの国民とはならず、もはや二度と 二つの王国に分かれることはない〔キリストの千年王国時代の始まり(筆者挿入)〕。
23 彼らは二度と偶像や憎むべきものや、もろもろの背きによって汚されることはない。私は彼らを、罪を犯させるあらゆる背きから救い、清める。彼らは私の民となり、私は彼らの神となる。
24 わが僕ダビデ〔「主キリスト・イエス」のこと(筆者挿入)〕が彼らの王となり、彼らすべての者のために、一人の牧者となる。彼らはわが法に従って歩み、わが掟を守り、これを行う。
25 彼らは、私がわが僕ヤコブに与えた地、すなわちあなたがたの先祖が住んでいた地〔イスラエルの地(筆者挿入)〕に住む。彼らもその子らも、その子孫もとこしえにそこに住み、 わが僕ダビデ〔すなわち主キリスト・イエス(筆者挿入)〕が永遠に彼らの指導者となる。
26 私は彼らと平和の契約を結び、これは永遠の契約となる。私は彼らを祝福し、増やす。私はわが聖所をとこしえに彼らのただ中に置く。
27 わが住まいは彼らと共にあり、私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。
28 こうして、わが聖所がとこしえに彼らの中にあるとき、諸国民は私がイスラエルを聖別する主であることを知るようになる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。
エルサレム神殿はAD70年にローマ軍によって滅ぼされました。エルサレム神殿の壊滅は二度目のことでした。
マタイ24:1.2には、
“1 イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
2 そこで、イエスは言われた。
「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」”(新共同訳)と記されています。
主イエス様が、エルサレム神殿の崩壊の預言をしたのです。
このことが起こったのがAD70年でした。そして、ユダヤ人たちは全世界に散らされていったのです。
そして、第二次世界大戦のときには、ヒットラーによって多くのユダヤ人が殺されたのです。
第二次世界大戦終了時には、まだイスラエルは再興されていませんでした。
現在、イスラエルは1948年の独立から75年たち、人口は約950万人(2022年5月 イスラエル中央統計局)ですが、イスラエルの最先端産業は目覚ましいものがあり、石油や天然ガスも輸出しています。一人当たりのGDPは日本よりも上です。
しかし、この後、ヤコブの苦難のとき(エレミヤ30:7)というのが来るのです。それは、イエス様が、「その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。」(マタイ24:21・口語訳)と述べられた時のことでしょう。
これに続くマタイ24:22-30には、
“22 もしその期間〔ヤコブの苦難のとき(大患難時代){筆者挿入}〕が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民〔イスラエル(筆者挿入)〕のためには、その期間が縮められるであろう。〔大患難の期間は1260日との預言あり(筆者挿入)〕
23 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
24 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
25 見よ、あなたがたに前もって言っておく。
26 だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
27 ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
28 死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。”(口語訳)と記されています。
マタイ24:30に記されている内容に関連してゼカリヤ12:7-14や黙示録1:7の「見よ、その方〔地上に再臨されるイエス・キリスト(筆者挿入)〕は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。」(口語訳)という聖句も参考になります。
このような大患難時代以前に、主を待ち望んでいる新生したキリスト者は、すでに栄光の体に変えられており(ヨハネ3:3.5.6、1コリント15:52、1テサロニケ4:16.17、へブル9:28)、地上が艱難時代の最中に天において花婿キリストとの結婚式があり(黙示録19:6-8)、艱難時代の最後のキリストの地上再臨時には、主イエス様に従って天から下ってくるのです(黙示録19:14、ユダ14節)。
今回は、この聖書個所の聖句以上の内容になってしまいました。
ご容赦ください。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたはイザヤを通して、「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」(イザヤ55:9-11・2017)と語られ、また「わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』」(イザヤ46:10・2017)と語られました。
あなたが与えてくださいました預言の中ですでに歴史上成就した預言が数多くあります。まだ成就していない預言は、これから成就していきますから御名を崇めます。
私たちのからだの贖いも近づいていることを思い、待ち望んでいます。
あなたは聖であられ、愛であられ、義であられ、全能全知であられ、・・・・であられるお方です。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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コメント
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預言は成就され、主の御言葉は絶対ですものね。改めて神様の存在を学ばせていただきます。
日々の生活の中で、主のもとに立ちかえっては、忘れて…の繰り返しです。主に尽くし続ける事ができれば良いのですが、中々難しく、罪人である私には難しいです。毎日「できませんでした」となりますが、いずれ、その内にできる様になってゆけたらいいなーと思っております。
〝主の声に耳を傾けなさい。〟と書かれている通り、傾け続けてゆきたいと思います。
そして、主からの恵みを沢山受け取って分け与えてゆけれるようになりたいです。
迫害される事はとても嫌ですので、自分がその様な事を行わない様に。そして、愛を持ち続けて生きてゆく事ができます様、切に願い祈ります。
〝ダビデ王の主への愛と信頼、ソロモンの治世の初めころの真実さに・・〟と書かれていた箇所ですが、「の」が抜けているのかなと思いました。又々細かな所をすみません。
投稿: mitiko | 2023年9月13日 (水) 08時35分
早速訂正しておきました。
いつもありがとうございます。
またよろしくお願いします。
投稿: トミー | 2023年9月13日 (水) 09時57分