詩篇104:24-30 ヤハウェ(主)は創造主であられ、保持者であられる
詩篇104:24-30には次のように記されています。
“24 主よ、あなたの業はいかに豊かなことか。あなたは知恵によってすべてを造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。
25 海も大きく広々としている。その中のうごめくもの、大小の生き物は数知れない。
26 そこには舟が行き交い、あなたの造られたレビヤタンもその中で戯れる。
27 これらは皆、あなたに望みを置き、その時に応じてあなたが食べ物を与えるのを待っている。
28 あなたが与えると、彼らは拾い集め、御手を開くと、彼らは良いもので満ち足りる。
29 御顔を隠すと、彼らは恐れ、息〔別訳「霊」(欄外注)。原語は「ルーアハ」(筆者挿入)〕を取り去ると、彼らは息絶えて塵に帰る。
30 あなたが息を送ると、彼らは造られる。あなたは土の面を新たにする。”(聖書協会共同訳)とあります。
24節には“主よ、あなたの業はいかに豊かなことか。あなたは知恵によってすべてを造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。”とあります。
神ヤハウェ(主)は、宇宙とその中のあらゆる生き物を造られたお方です。
この節は、ヤハウェ(主)の知恵によって造られた、と記されていますが、あなたは無から有を造られたお方です(創世記1章)。無から有を造られるエネルギーとは一体どれほどのものでしょうか。私には想像すらできません。
また万物は驚くべきヤハウェ(主)の英知によって造られたものです。
自然科学の何かの分野を謙虚に探究している人であれば、様々なものの成り立ちを考えたときに、それらを成り立たせたものは人間の英知をはるかに超えていることを理解するのではないでしょうか。
フランシス・クリック、ジェームズ・ワトソン、モーリス・ウィルキンスは、DNAの構造を解明したことで1962年のノーベル生理学・医学賞を受賞したのです。
しかし、ヤハウェ(主)はそれを考えだし、かつそれを造ったのです。それは細胞の中の一部分でしかありません。
へブル3:4には“どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。”(新共同訳)と記されていますが、造る人がいなければ家はできませんし、車もジェット機もスマートフォンも造る人がいなければ存在できないのです。
車やジェット機やスマートフォンはそれ自身で子孫を残すことはできませんが、生物は目に見えないような小さな生物であっても自分の子孫を残していくことができるのです。
ヤハウェ(主)はその様な生物を造られたお方、すなわち創造主です。
ローマ1:20には“・・・神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。・・・。”(新共同訳)と記され、
へブル11:3には“信仰によって私たちは、この世界が神様のことばによって造られ、しかも、それらが無から創造されたことを知るのです。”(リビングバイブル)と記されています。
26節の「レビヤタン」は、ここでは創世記1:21の「海の巨獣」(新改訳)のことだろうと思います。
新改訳が「海の巨獣」と訳した個所を聖書協会共同訳は「海の怪獣」、口語訳、新共同訳は(水の中の)「大きな怪物」、フランシスコ会訳は「大きな海の怪物」と訳しています。
私達が知る海の巨獣は鯨でしょう。しかし、ヨブ41章に記されている「レビヤタン」は、鯨とは異なります。ワニに似ていますがワニとは異なりますし、ワニよりもずっと強そうです。現在、その記述に匹敵する生物はいるのかいないのか、あるいは何を指して「レビヤタン」と言ったのか、私には定かではありません。
イザヤ27:1に、「その日、主は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。」(新改訳)とありますが、詩篇104:26に記されているレビヤタンとイザヤ27:1に記されているレビヤタンは異なるものを指していると思います。イザヤの方では、「その日」とありますから、これは主の裁きの日のことであろうと思います。「蛇レビヤタン」は、「竜」であろうと思います。「海」は異邦人世界を表すこともあります。(参照:黙示録20:2、13:1.2)。
29.30節には、
“29 御顔を隠すと、彼らは恐れ、息を取り去ると、彼らは息絶えて塵に帰る。
30 あなたが息を送ると、彼らは造られる。あなたは土の面を新たにする。”(聖書協会共同訳)と記されています。
29.30節の下線部分の「息」と訳されている語のヘブライ語原語は「ルーアハ」で、風、霊、息、・・等という意があります。
29節の「息絶え」と訳されている語には「ルーアハ」は使われていなくて、「ガーヴァー」という語が使われ、「ガーヴァー」には、息を吐きだすこと、死ぬこと、・・等の意があります。
創世記2:7には“神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。”(2017)と記されていますが、この個所の「息」と訳されている語のヘブライ語原語は「ネシャマー」で、「ネシャマー」にも風、霊、息、・・等という意があります。
ルカは、主イエス様が、死んだ少女を生き返らせたときの場面を次のように記しています。
“41 するとそこに、ヤイロと言う人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足元にひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。
42 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。・・・/
49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなられました。この上、先生を煩わすことはありません。」
50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
51 家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに子どもの父母のほかには、誰も一緒に入ることをお許しにならなかった。
52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた。「泣かなくてもよい。娘は死んだのではない。眠っているのだ。」
53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスを嘲笑った。
54 イエスは娘の手を取って、「子よ、起きなさい」と呼びかけられた。
55 すると、霊が戻って、娘はすぐに起き上がった。イエスは、何か食べ物を与えるように指図をされた。
56 両親は非常に驚いた。”(ルカ8章・聖書協会共同訳)とあります。
55節を別の言い方をすれば、「死んで抜け殻となった少女のからだにいのちの息が戻ったので、娘のからだは生きるものとなって起き上がった。」ということになるのでしょう。
2ペテロ1:12-15には、
“12 それゆえ、あなたがたはすでにこれらのことを知っており、授かった真理に基づいて生活していますが、私はいつも、これらのことをあなたがたに思い起こさせたいのです。
13 私は、自分がこの体を仮の宿としている間〔地上の幕屋にいるかぎり(2017)〕、これらのことを思い起こさせて、あなたがたを奮い立たせようと考えています。
14 それは、私たちの主イエス・キリストが私に示されたように、私がこの仮の宿を離れる時が間もなく訪れることを知っているからです。〔「私」という本体はたましいと霊(筆者挿入)〕
15 自分が世を去った後もあなたがたがこれらのことをいつも思い起こせるように、私は努めましょう。”(聖書協会共同訳)と記されています。
また2コリント5:1-5には、
“1 私たちの地上の住まいである幕屋は壊れても、神から与えられる建物があることを、私たちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住まいです。
2 私たちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に望みながら、この地上の幕屋〔肉体(筆者挿入)〕にあって呻いています。
3 それ〔霊のからだ(筆者挿入)〕を着たなら、裸ではないことになります。
4 この幕屋に住む私たちは重荷を負って呻いています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではなく、死ぬべきものが命に呑み込まれてしまうために、天からの住まいを上に着たいからです。
5 私たちをこのことに適う者としてくださったのは、神です。神は、その保証として霊〔聖霊(筆者挿入)〕を与えてくださったのです〔エペソ1:13参照(筆者挿入)〕。”(聖書協会共同訳)と記されています。
詩篇104:27.28には、
“27 これらは皆、あなたに望みを置き、その時に応じてあなたが食べ物を与えるのを待っている。
28 あなたが与えると、彼らは拾い集め、御手を開くと、彼らは良いもので満ち足りる。”と記されています。
私たちは、主イエス様から「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」と祈る祈りを教えて頂いています。
世界が平和で、異常気象が発生する前でしたら、食料に困るようなことはなかったと思いますが、今や、あちこちで争いがあり、気象異常があり、地下水の枯渇等により食料にありつくことが難しい人々が出るようになってきました。
創造主なる神であり、万物を保持しておられる神であるヤハウェ(主)に地球上のすべての人が立ち返り、ヤハウェ(主)を畏れ敬い、ヤハウェ(主)の語られるような生活をするようになると、問題は解決するのでしょうがそうはいきません。
主を愛し、主に従う人たちはわずかなのです。
何時までたっても主を畏れ敬うことなく、主に敵対する人々の上に、神の定められた時が満ちると、地上における主の裁きが執行されていくのです。
黙示録6:5-8には、
“5 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物〔天使(筆者挿入)〕が「行け」と言うのを聞いた。そして見ていると、黒い馬が現れた。それに乗っている者は、手に秤を持っていた。
6 私は、四つの生き物の間から出る声のようなものを聞いた。「小麦一コイニクスを一デナリオン、大麦三コイニクスを一デナリオンとする。オリーブ油 とぶどう酒を損なってはならない。」7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物が「行け」と言うのを聞いた。
8 そして見ていると、青白い馬が現れた。それに乗っている者の名は「死」と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、剣と飢饉と死と地の獣とによって、地上の四分の一で人々を殺す権威が与えられた。”(聖書協会共同訳)と記されています。
人は、創造主の御力と恵みによって生かされているのです。
もし神様が人間に、食料の種など何もない所から食料を造り、それを糧にして生きなさい、と言われたとしたら、人は絶望するしかないのです。
万物の創造者であられ、万物を保持しているお方に感謝している新生させていただいたキリスト者は大患難時代には天に移されているので、黙示録に記されている飢饉にはあいませんが、大患難時代に入る前であるにもかかわらず、現在すでに食料品は高騰してきているのです。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは世の人々を愛しておられるのに、神などいないという人も多く、聖書を読んでもあなたに敵対する人もいます。
あなたを信じること、主イエス様を信じることを得させてくださいましたことを感謝します。
そう遠くない未来に地上への裁きが次々と執行されていくのではないかと想像します。
その前に、私たちに祈られている人々が主イエス様を信じて、共に携挙の恵みにあずかることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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コメント
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自然のものはとても美しいです。それは神様がお造りになられたからなのだと思います。
信仰を持って、聖書を学び、それが主である神様がお造りになられたからなのだと知ります。それは神様の言葉によって知るのです。聖書をも信じない訳にはいかないことを知るのです。
私が願うことをも神様はご存知である事を知り、神様がそれを与えてくださるのかは、もう既に決まっている事をも知るのです。
奥深くて、よくわからなくなるときがありますが、だからこそまた、神様の偉大さを知ります。
大艱難時代ではないのに、艱難な時代。その時代でもいつでも愛に満たされ、主と共に生きてゆく事ができますよう祈り求めます。
投稿: mitiko | 2023年11月29日 (水) 07時42分