マタイ27:38-44 十字架につけられたイエス様とイエス様の両脇に十字架につけられた強盗達2/パラダイス
マタイ27:38-44には次のように記されています。
“38 同時に、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられた。
39 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスを罵って、40 言った。
「神殿を壊し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
41 同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
42 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43 彼は神に頼ってきた。お望みならば、神が今、救ってくださるように。『私は神の子だ』と言っていたのだから。」
44 一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。”(聖書協会共同訳)とあります。
主イエス様と共に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられました(38)。
二人の強盗たちも、最初の内は、通りかかった人たちや祭司長たちや律法学者たち及び長老たちと一緒に、「神殿を壊し、三日で建てると言ったのだろ。神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りてみろ。」とか、「他人は救ったのに、自分は救えないのか。イスラエルの王なのだろ。今すぐ十字架から降りてみろよ。」というように、イエス様を罵ったのだろうと思います(39-44)。
主イエス様を嘲っていた人たち、すなわち宗教指導者や民の長老たちをはじめとして一般人に至るまで、主イエス様が様々な奇跡を行ったことを認めていました。
主イエス様が行った奇跡は、メシアとしてのしるし(証拠)でもあったのです。
特に宗教指導者たちは、聖書の聖句を思い出すべきでした。
とはいえ、バプテスマのヨハネも、イエス様のメシア性について疑惑を持ってしまったことがありました。それは牢につながれていたときでした。
その時の記事がマタイ11:2-6に次のように記されています。
“2 さて、ヨハネは牢の中でキリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、3 尋ねさせた。
「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」
4 イエスはお答えになった。
「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病〔ツァラート(2017)〕を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。6 私につまずかない人は幸いである。」”(聖書協会共同訳)とあります。
上記の5節の、主イエス様が語られた内容は、イザヤ35:5.6とイザヤ61:1の個所のメシア預言でした。
特に、イザヤ61:1の預言の成就を主イエス様はナザレで宣言されたのです。
ルカ4:16-21には次のように記されています。
“16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとしてお立ちになった。
17 預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。
18 「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、打ちひしがれている人を自由にし、19 主の恵みの年を告げるためである。」
20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して座られた。会堂にいる皆の目がイエスに注がれた。
21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。”(聖書協会共同訳)とあります。
さて、マタイ27:38-44の並行記事がルカ23:33-43には、もう少し詳しく次のように記されています。
“33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
34 〔その時、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの衣を分け合った。
35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、嘲笑って言った。「他人を救ったのだ。神のメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
36 兵士たちもイエスに近寄り、酢を差し出しながら侮辱して、37 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
38 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた罪状書きも掲げてあった。
39 はりつけにされた犯罪人の一人が、イエスを罵った。
「お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ。」
40 すると、もう一人のほうがたしなめた。
「お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
42 そして、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と言った。
43 するとイエスは、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園〔パラダイス(新改訳、口語訳)〕にいる」と言われた。”(聖書協会共同訳)とあります。
イエス様は、自分を十字架につけた兵士たちや嘲弄している人たちの為にもとりなしの祈りをしました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカ23:34)と。
このとりなしの祈りの恵みに最初にあずかった人は、イエス様の隣の十字架につけられていた一人の強盗でした。
この強盗は心を変えられました。
ルカ23:40-42には、
“40 すると、もう一人のほうがたしなめた。「お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。
41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
42 そして、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と言った。」”と記されています。
初めは悪口を言っていた強盗の一人が、もう一人の悪口を言い続けている強盗に対して、「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」とたしなめたのです。
更に、イエス様に対して、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」とお願いしました。
イエス様は、「お前も今までさんざん私に悪口を言っていたではないか」、とは言わずに「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(43)と言ってくださったのです。
ここで主イエス様が言われているパラダイスは天国ではありません。
イエス様は、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(新改訳初版~第三版)と言われたのです。
主イエス様は、十字架上で贖いを成就した後、黄泉(よみ)に下ったのです。
主イエス様が御復活なさる前の黄泉は、良い場所と悪い場所〔エゼキエル32:18-26参照(筆者挿入)〕に分かれていました。良い場所の方は、アブラハムの懐(ふところ)とも言われていました(ルカ16:22)。
アブラハムの懐にいた神ヤハウェ(主)を信じていた義人たちは、主がご復活された後、天へと行ったのだと思います。
私は、エペソ4:8を新共同訳を基に次のように解釈します。
“そこで、〔主イエス様は(筆者挿入)〕高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き〔黄泉の良い場所にとらわれている人を天国に連れて行き(筆者挿入)〕、・・・。”というように。
これも想像になりますが、パラダイスは「園」の意ですが、天国にも園があることが聖書から分かります。神の王国の園です。
2コリント12:2-4には次のように記されています。
“2 私は、キリストにある一人の人を知っています。その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体の外に出てかは知りません。神がご存じです。
3 私はそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。
4 その人は楽園〔パラダイス(2017)〕にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を聞いたのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
また黙示録2:7には、“耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイス〔楽園(新共同訳)。園(筆者挿入)〕にある。”(2017)と記されています。
パウロは、ローマ5:6-11に
“6 キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。
8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。
9 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11 それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。”(聖書協会共同訳)と記しました。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
エペソ1:7には“キリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。”(2017)と記されています。
主イエス様の贖いに感謝します。
私は、創造者であられる主なる神様を認めず、進化論を信じ、神である主が主権者であるにもかかわらず、それを認めずに自己中心的に生きてきた者です。まさしく神の敵として歩んできた者です。
そのような私をも主は救ってくださいました。
三一の主なる神様に感謝と賛美を捧げ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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コメント
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私はまだまだ肉的で、アレやコレやと考えてしまう傾向があります。今朝の祈りでも気付かされることです。主に従って歩むことの大切さを改めて学びます。そして、主を信じさせていただけることに感謝します。不思議な業のおかげで心豊かにさせていただけていることにも感謝です。(自力、肉的思いはまだまだ残っていますけれど)
投稿: mitiko | 2023年11月 3日 (金) 07時26分
今のような信仰生活を送っていると段々と霊的になりますよ。
投稿: トミー | 2023年11月 3日 (金) 11時39分
それは嬉しい知らせです!ありがとうございます。
投稿: mitiko | 2023年11月 3日 (金) 19時46分