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2023年11月27日 (月)

マタイ28:16-20 主キリスト・イエス様は天地の主権者/宣教命令

 マタイ2816-20には次のように記されています。
16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。
17
 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
18
 イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。
19
 だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、20 あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。
私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 16節に、「十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。」とあります。

イエス様は最後の晩餐が終わった後、オリーブ山へ出かけた時、すでに、復活後ガリラヤに行く、と言っておられました。

マタイ2631.32には、“31 その時、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆、私につまずく。『私は羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからだ。32 しかし、私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。(聖書協会共同訳)と記されています。

 もし私が11弟子の一人であったとしたら、このとき主が語られた「今夜、あなたがたは皆、私につまずく。『私は羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからだ。」という御言葉に心をとらわれて「ガリラヤへ行く」という主の御言葉は上の空になっていただろうと思います。
何しろ、主イエス様から引き離されて散らされてしまう、というのですから。主イエス様から引き離されるということに耐えられません。今の私たちは主イエス様から引き離されませんから本当にありがたく嬉しいことです。

話を戻します。
イエス様が復活された後、女性たちは、初め天使に会い、次に復活後の主にお会いしましたが、天使もイエス様も、女性たちに「ガリラヤに行くように弟子たちに伝えなさい」と語りました。マタイ281-10には、

1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
2
 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降(くだ)って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。
3
 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
4
 見張りの者たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
5
 天使は女たちに言った。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこで お目にかかれる。』あなたがたにこれを伝えます。」
8
 女たちは、恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
9
 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、女たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
10
 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、きょうだいたちにガリラヤへ行くように告げなさい。そこで私に会えるだろう。(聖書協会共同訳)と記されています。

 16.17節には「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」と記されています。

冒頭に11人と記されていますから、11人しかいないように思えてしまいますが、実は500人以上もいたのかもしれません。定かではありませんが。
1
コリント156には“その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。”(2017)と記されています。

復活の体は、復活前の体とは異なりました。とは言え、まだ、弟子たちの前に現れるときは、あまり驚かれないように調整していたと思います(ルカ2413-31、ヨハネ2014-20.24-29211-22、使徒16-9)。
栄光に輝く姿で現れた時には使徒ヨハネでさえ気絶したかのようになったのですから。
 黙示録112-17には次のように記されています。
12 私は、語りかける声の主(ぬし)を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、13 燭台の間には人の子のような方〔主であり御子であるキリスト・イエス(筆者挿入)〕がおり、足元まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めていた。
14
その方の頭髪は白い羊毛に似て雪のように白く、目は燃え上がる炎、15 足は燃えている炉から注ぎ出される青銅のようであり、声は大水のとどろきのようであった。
16
また、右手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が突き出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
17
この方を見たとき、私は死人のようにその足元に倒れた。”(聖書協会共同訳)とあります。
それにしても主キリスト・イエス様はすごいお姿で現れたものですね。
主はその時々の心の思いや感情に合わせて色々なお姿を見せてくださるお方なのではないかと私は考えます。

 横道にそれますが、私たちも霊の体を与えられた時は、今の体とは異なります。キリストの復活の体に似たものとなるのです。霊のからだが与えられる時は、主の空中再臨の時です。
1
コリント1552に“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017)と記され、
1
テサロニケ416.17に“すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(2017)と記されています。

 18節には、“イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

イエス様は、ご復活後、天の父のもとに上り、天と地の一切の権能を授かったのです。

私たちは祈る時、この主イエス様の御名によって祈ることが出来るのです。
また、キリスト者は、イエス様のうちに置かれているのです(1コリント130)。
このイエス様は長兄であり(ローマ829)、花婿なのです(エペソ532、黙示録196-8)。バプテスマのヨハネは、花婿の友です(ヨハネ329)。

私たちが、主のみ旨に叶った祈りをささげるときには必ず聞かれるのです(ヨハネ1571ヨハネ514.15)。

キリスト者の特権は絶大です。そしてそれはすべて神様からの賜物です。なんという神様の愛でしょう。神様の愛は信じられないほど絶大です。

 天と地の一切の権能を持っておられる主イエス様が、「だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。」(19.20・聖書協会共同訳)と命令を下されました。そして、不安に陥りやすい弟子たちに対して、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(20・聖書協会共同訳)と断言されたのです。

神の霊から新しく生まれた{新しく生まれたのは霊です(ヨハネ36)}キリスト者は、父、子、聖霊の御名(「名」は単数形)の中に浸されたのです。
「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」と訳されていますが、「よって」と訳されている語のギリシア語原語は「エイス」でinto(~の中へ)の意です。
1
コリント130には“あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。”(2017)と記されています。

 マルコによる福音書16章には、

15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。16 信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われるが、信じない者は罪に定められる。(聖書協会共同訳)と記されています。

マルコ1615の内容は、マタイの福音書にもありました。

 16節には、「信じてバプテスマを受ける者は救われるが、信じない者は罪に定められる。」と記されています。

信じないでバプテスマを受けても、救われていないのですから、罪に定められるのです。
一方、信じたけれどもバプテスマを受けない者については、この節には記されていません。
十字架上の強盗の一人は、イエス様を信じましたが、バプテスマを受けるチャンスがありませんでした。しかし、救われました。

イエス様を信じたら、バプテスマを受けることの出来ない何らかの障害がない限り、バプテスマを受けることは聖句からみても当然のことと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは、私たちには想像できないほどの恵みを与えてくださいました。
私たちが未だその全貌を知らないだけであることを覚えます。
マタイによる福音書を学ばせてくださりありがとうございました。
これからも益々真理を教えてください。
真理と霊によって御父を礼拝するのです、と主イエス様が教えてくださっておられますから(ヨハネ424)。
天においても地においても御名が崇められますように。
主イエス様の現われをお待ちしています。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

私は聞き逃しがあるタイプなので、聞き逃してしまっている事、やり過ごしてしまっている事が多いと思うのです…。でも、それすらも、後から遅れてから気づかせてくださっていると思うようになってきたので、常にリラックスして信仰生活を送る事が大事だなーと、今日の学びの中で思いました。御聖霊がはたらいてくださるという事、三位一体の神様を信じて歩みます。(中々、私がイエス様を現す事はできていませんけれども)

“常にリラックスして信仰生活を送る事が大事だなーと”→
主の内に置かれているのですから、主に信頼して、そのように生活してください。
ハレルヤ

“常にリラックスして信仰生活を送る事が大事だなーと”→
主の内に置かれているのですから、主に信頼して、そのように生活してください。
ハレルヤ

そうですね。
ありがとうございます。

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