フィリピ1:12-14 証しをし御言葉をのべ伝えなさい
フィリピ1:12-14には次のように記されています。
“12 きょうだいたち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進につながったことを、知っていただきたい。
13 つまり、私が投獄されているのはキリストのためであると、兵営全体と、その他のすべての人に知れ渡り、14 主にあるきょうだいたちのうち多くの者が、私が投獄されたのを見て確信を得、恐れることなくますます大胆に、御言葉を語るようになったのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
投獄されたら、恐怖と絶望に襲われてもおかしくありません。
パウロの場合は、主のために労していて、すなわち主に喜ばれる善を行っているにもかかわらず投獄されたのですから、主に対して「どうしてですか」と少し恨み言を言ってもおかしくないような状態です。
かつてパウロはフィリピにおいて投獄されたことがありました。
この時もパウロは善を行って投獄され、鞭で打たれ、足かせをはめられたのです。
使徒16章には次のように記されています。
“16 私たちは、祈りの場に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。
17 彼女は、パウロや私たちの後ろに付いて来てこう叫ぶのであった。
「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
18 彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。
「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」
すると、霊は即座に彼女から出て行った。
19 ところが、この女の主人たちは、金儲けの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人のところに引き立てて行った。
20 そして、二人を高官の前に引き出してこう言った。
「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。21 ローマ人である私たちが受け入れることも、行うことも許されない風習を宣伝しているのです。」
22 群衆も一緒になって二人を責めたてたので、高官たちは、二人の衣服を剥ぎ取り、鞭で打つように命じた。
23 そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。
24 この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。”(聖書協会共同訳)とあります。
パウロとシラスは何度も鞭で打たれてから牢に入れられたのです(23)。
そして足かせをはめられたのです(24)。
鞭で打たれたところは出血し、痛みがあり、この当時の牢獄ですから、床は土のままであったでしょう。虫も這っていたことでしょう。今の刑務所とはまるで違うのです。
パウロとシラスは牢の中で、主に対する恨み言で盛り上がっていたでしょうか。
そうではなく、神を賛美していたのです。
かつて主イエス様は、「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」(マタイ5:10-12・2017)と語られました。
おそらくパウロとシラスは、主イエス様のこのような御言葉を直接的には聞かったでしょうが、使徒たちやほかの弟子たちから、主イエス様がこのように語られたということを聞いていたことでしょう。
使徒16:25には“真夜中頃、パウロとシラスが神への賛美の歌を歌って祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。”(聖書協会共同訳)と記されています。
主はこの時、御業をなされたのです。続く26節には次のように記されています。
“突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。”(聖書協会共同訳)とあります。
更に主は、パウロを用いて、救いの御業をなされていきます。続く27-34節には次のように記されています。
“27 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。
28 パウロは大声で叫んだ。
「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる。」
29 看守は、明かりを持って来させ、駆け込んで来て、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、30 二人を外へ連れ出して言った。
「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
31 二人は言った。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
32 そして、看守とその家族一同に主の言葉を語った。
33 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼(バプテスマ)を受けた。
34 この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。
今日のフィリピの個所は、使徒16章の個所とは時間的にも場所的にも異なる場所における投獄ですが、パウロの主に在る生き方と主の働きを教えていただけます。
今日の聖書個所におけるパウロの投獄は、フィリピではありませんが、パウロはここでも宣教活動をしていました。
自分と触れ合う人たちに証しをし、福音を語っていたのです。
その福音宣教の結果は、フィリピ1:13.14に次の様に記されています。
“13 つまり、私が投獄されているのはキリストのためであると、兵営全体と、その他のすべての人に知れ渡り、14 主にあるきょうだいたちのうち多くの者が、私が投獄されたのを見て確信を得、恐れることなくますます大胆に、御言葉を語るようになったのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
このような状態を見るとパウロの次の聖句が重みをもって迫ってきます。
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(2テモテ4:1.2・2017)という聖句です。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
現代の日本の空気感では、様々な宗教界のトラブルのゆえに宗教的な話をすると、それだけで心のシャッターを下ろす人が多いですが、主が私たちキリスト者の一人一人に語るべき相手を与えてくださって、その人たちに証しをし、福音を語ることができるようにさせてください。
御父が主キリスト様に与えられた羊を宣教対象者として与えてくださいましたら最高ですが、そうでなくても福音に耳を傾ける人を与えてください。
そのようにして、キリスト者の一人一人が、福音を語ることの喜びを体験しながら生活していくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・
「27 私〔主イエス・キリスト(筆者挿入)〕の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。
28 私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、彼らを私の手から奪う者はいない。
29 私に彼らを与えてくださった父は、すべてのものより偉大であり、誰も彼らを父の手から奪うことはできない。
30 私と父とは一つである。」(ヨハネ10章・聖書協会共同訳)
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コメント
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〝「どうしてですか」と少し恨み言を言ってもおかしくないような状態です。〟と、トミーさんがパウロに対して書かれていた所を読み、私は主なる神様に対して、疑念の様な思いでいました。流される事なく、主の道を真っ直ぐに歩んでゆきたいと改めて思います。
どうか、導いてくださいますようにと、祈り求めます。
トミーさんのお祈り、私も感じていた事と全く同じで驚きです(驚く事はないですよね。同じ主ですから)。日本は新興宗教が多く、折れそうになる日々ですが、御言葉を信じて続けたいと思いました、ありがとうございます。、
使徒16:17.18を読み、女占い師の言葉は悪い事を言ってないように思うのですが、幾日も繰り返しに言っている辺りが、悪霊の仕業といった感じなのでしょうか?
その後に続いて、マタ5:10-12を記載してくださっていましたので、より、その様に捉えてみました。執拗さはサタンの介入ですよね…。
サタンの誘惑に陥らないよう、祈ります。
投稿: mitiko | 2024年4月 4日 (木) 08時03分
女占い師の言葉は正しいのです。
この女性に入っていた悪霊は、それを認めてもらうことによって、預言の霊(悪霊)の働きを一般の人々により確かに認めてもらい、確固たる地位を築き上げることが目的であったかもしれないと想像します。
投稿: トミー | 2024年4月 4日 (木) 09時55分
教えてくださり、ありがとうございます。
投稿: mitiko | 2024年4月 4日 (木) 20時17分