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2024年5月25日 (土)

詩篇114篇 創造主なる神、力ある神が私たちとともにおられる

 詩篇114篇には次のように記されています。
1 イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が言葉の違う民の中から出たとき、
2
 ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の治めるところとなった。
2017は後半部分を“イスラエルは神の領地となった。”と訳し、リビングバイブルは“その時、ユダとイスラエルの地は、神様の新しい住まいとなり、王国となったのです。”と意訳しています。(筆者挿入)〕
3
 海は見て、逃げ去り、ヨルダン川は後ずさりした。
4
 山々は雄羊のように、丘は小羊のように跳ね踊った。
5
 どうしたのか、海よ、逃げ去るとは。ヨルダン川よ、後ずさりするとは。
6
 山々よ、雄羊のように、丘よ、小羊のように跳ね踊るとは。
7
 地よ、主である方の前で身もだえせよ。ヤコブの神の前で。
8
 それは岩を池に、硬い岩を泉に変える方。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1.2節には“1 イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が言葉の違う民の中から出たとき、2 ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の治めるところとなった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 これは出エジプトしたときのことでしょう。
イスラエルは神ヤハウェと契約を結んだのです。
出エジプト記20章の十の言葉(十戒)から始まって、出エジプト記23章までの律法に対して、イスラエルは神ヤハウェと契約を結んだのです。
そして神ヤハウェがイスラエルを治めることになったのです。

 出エジプト241-11には次のように記されています。
1 また、主はモーセに言われた。「あなたはアロン、ナダブとアビフ、およびイスラエルの七十人の長老たちと共に主のもとに登り、遠くからひれ伏しなさい。
2
 モーセだけは主に近づくことができるが、他の者は近づいてはならない。民はモーセと共に登ってもいけない。」
3
 さて、モーセは戻って来て、主のすべての言葉とすべての法を民に語り聞かせた民は皆声を一つにして、「主が語られた言葉をすべて行います」と答えた
4
 そこで、モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山の麓に祭壇を築き、イスラエルの十二の部族にちなんで十二の石柱を立てた。
5
 さらに、モーセはイスラエルの人々のうちから若者たちを遣わした。彼らは数頭の雄牛を焼き尽くすいけにえと会食のいけにえとして主に献げた。
6
 モーセは血の半分を取って小鉢に入れ、血のもう半分は祭壇に打ちかけた。
7
 そして、その契約の書を取り、民に読み聞かせた。すると彼らは、「主が語られたことをすべて行い、聞き従います」と言った
8
 そこで、モーセは血を取り、民の上に振りかけて言った。「これは、主がこのすべての言葉に基づいてあなたがたと結ばれる契約の血である。」
9
 さて、モーセは、アロン、ナダブとアビフ、およびイスラエルの七十人の長老と共に登って行って、10 イスラエルの神を仰ぎ見た。その足の下にはラピスラズリの敷石のようなものがあり、澄み渡る天空のようであった。
11
 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけなかったので、彼らは神を見つめて、食べ、また飲むことができた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 3.5節には“3 海は見て、逃げ去り、ヨルダン川は後ずさりした。5 どうしたのか、海よ、逃げ去るとは。ヨルダン川よ、後ずさりするとは。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 これは葦の海での主の御業とヨルダン川を堰き止めた主の御業です。
エジプト軍がイスラエルの民を追ってきたとき、主が海の水を分けられたので、イスラエルの民は、乾いた地を渡りました。
しかし、イスラエルの民を追ってきたエジプト軍は、主が水を元に戻されたので、その全軍勢が滅びたのです。
この話は出エジプト記14章に記されています。

 また、主がヨルダン川を堰き止められたので、イスラエルの民(おそらく200万人位はいたと思います)が、民は、乾いた地となったヨルダン川を渡ったのです。
この話はヨシュア記3章に記されています。

 4.6節には“4 山々は雄羊のように、丘は小羊のように跳ね踊った。6 山々よ、雄羊のように、丘よ、小羊のように跳ね踊るとは。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 これは主が十の言葉(十戒)をイスラエルに与えられる前に主が起こされたことです。
 出エジプト1916-19には次のように記されています。
16 三日後の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上に臨み、角笛の音が極めて力強く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。
17
 モーセは民を神に出会わせるために宿営から連れ出した。彼らは山の麓に立った。
18
 シナイ山は山全体が煙に包まれていた。主が火の中を通って、山の上に降り立たれたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた
19
 角笛の音がますます力強くなったとき、モーセが語りかけると、神は雷鳴で答えられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 8節を2017は“神は岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を水のあふれる泉に。”と訳しています。
 
出エジプト171-6には次のように記されています(これは出エジプトした最初の年のことです)。
1 イスラエル人の全会衆は、主の命(めい)によりシンの荒れ野を出発し、旅を重ねて、レフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲む水がなかった。
2
 民はモーセと言い争いになり、「飲み水をください」と言った。
モーセは彼らに言った。「なぜあなたがたは私と言い争うのか。なぜ主を試すのか。」
3
 しかし、民はそこで水を渇望し、モーセに対して不平を述べた。
「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私や子どもたちや家 畜を渇きで死なせるためだったのですか。」
4
 そこでモーセは主に叫んだ。「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。彼らは今にも私を石で打ち殺そうとしています。」
 5 主はモーセに言われた。
「民の前を通り、イスラエルの長老を何名か一緒に連れて行きなさい。ナイル川を打ったあなたの杖も手に取って行きなさい。6 私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりに行った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 民数記201-11には次のように記されています(出エジプトした40年目、荒野の生活の最後の年です)。
1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死に、その地に葬られた。
2
 さて、そこには会衆のための水がなく、彼らはモーセとアロンに詰め寄った。
3
 民はモーセと言い争った。「私たちの兄弟が主の前で死に絶えたとき、私たちも死に絶えていればよかった。
4
 なぜ、あなたがたはこんな荒れ野に主の会衆を導き入れたのですか。私たちと家畜をここで死なせるためですか。
5
 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、こんなひどい所に導き入れたのですか。ここは穀物もいちじくも、ぶどうもざくろもない所で、 飲み水さえもありません。」
6
 モーセとアロンは会衆から離れて会見の幕屋の入り口に行き、ひれ伏した。すると、主の栄光が彼らに現れた。
 7 主はモーセに告げられた。
8
 「杖を取り、あなたと兄アロンは会衆を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたは彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に水を飲ませなさい。」
 9 モーセは、主が命じられたとおりに、主の前から杖を取り、10 モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「聞け、反逆する者たちよ。私たちがあなたがたのために、この岩から水を出さなければならないのか。」
11
 モーセが手を上げ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆も彼らの家畜も飲んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主なる神は、葦の海の水を右と左に分けて乾いた地を出し、ヨルダン川では、イスラエルの民が渡る場所の上流で水を堰き止め、十戒を与えられる前には山を震(ふる)わせ、飲み水のない所では岩から水を出されたお方です。

 主イエス様は、ガリラヤ湖において嵐に見舞われたとき、一声「黙れ。静まれ」と言って、嵐を鎮められました。
 マルコ436-39には次のように記されています。
36 そこで、彼らは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
37
 すると、激しい突風が起こり、波が舟の中まで入り込み、舟は水浸しになった。
38
 しかし、イエス自身は、艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスを起こして、「先生、私たちが溺れ死んでも、かまわないのですか」と言った。39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 神なる主は自然界を支配できるお方です。それ以上に万物を創造なさり保っておられるお方です。(へブル12.3
ガリラヤ湖の嵐を鎮められた主イエス様の御業を見て、弟子たちは、この方はひょっとして神ではないだろうか、と思った可能性があります。
41
節には“弟子たちは非常に恐れて、「一体この方はどなたなのだろう。風も湖さえも従うではないか」と互いに言った”(聖書協会共同訳)と記されていますから。

 1コリント101-5には次のように記されています。
1 きょうだいたち、次のことはぜひ知っておいてほしい。私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、2 皆、雲の中、海の中で、モーセにあずかる洗礼(バプテスマ)を受け、3 皆、同じ霊の食物を食べ、4 皆、同じ霊の飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに付いて来た霊の岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
5
 しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「岩」は比喩的には神を象徴します。
イスラエルの民は受肉前の御子に導かれ、守られてカナンの地に入ったのであろうと私は思います。
この御子が、私たちを愛し、私たちの為に、肉の体をまとい、十字架上で贖いを成し遂げてくださり、御復活後、信じた者の心の中に住んでくださり(コロサイ127)、天においてはとりなしの祈りをしてくださっておられるお方(ローマ834)、キリスト者の総体である教会(エクレシア)の花婿なのです(エペソ531.32)。

<お祈り>
天のお父様。
創造主なる神様をほめたたえます。
その主が常に私たちと共にいてくださいますからありがとうございます。
今日も主に守られて歩ませていただけますことを感謝します。
私たちは、未来のことを知る力がありませんが、永遠の未来までも見通しておられる主が私たちを導き、すべてのことを相働かせて益としてくださいますから感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

出エジ17:1-6を読み、辛い事があったとしても不平不満ではなく、ただただ信じて歩んでいれば良い事を学びます。ありがとうございます。
してしまった事をゆるしてくださり、今、これから先に対して、きよくなる方へと導いてくださるお方。行ったり来たりな歩みでも、見捨てずにいてくださる慈悲深いお方。改めて御父、御子イエス様の偉大さを感じます。整えてくださいますよう祈り所求めます。

アーメン。

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