ルカ

2012年7月 5日 (木)

イエスがキリストであることの預言

聖書の中には非常に多くの預言があります。
いくつあるのか、私は知りません。
多くの預言は、神様にとって大切な出来事があるとき、それに集中しているように思えます。
それ故、ある時期に該当する預言は、極めて少なく、それと反対に、重要なときや出来事に関連するときの預言は、数多く聖書に記載されているように思えます。

キリストの地上への誕生に関しての預言は、多く存在しています。
キリストの十字架と復活なくしては、神の前に、人間が救われる方法がないのですから、キリストが十字架にかかることができるために、神のひとり子の御子に肉体が与えられて地上に存在するようになることはとても重要なことでした。その肉体によって罪の贖いを成し遂げるのですから。

キリストの地上降誕に関する預言や、この方こそメシヤ(キリスト)である、という預言が次々となされたことを福音書から見ることができます。

今まで、ルカの福音書を少し眺めて来ましたが、その中には特筆すべき者がありますし、マタイの福音書の中にもあります。
少し箇条書きにしてみます。
①マリヤに対する天使ガブリエルのことば(ルカ1:26-35)
②聖霊に満たされたエリサベツの預言(ルカ1:41-44)
③聖霊に満たされた祭司ザカリヤの預言(ルカ1:67-75)
④キリスト誕生を羊飼いたちに告げる御使いのことば(ルカ2:8-14)
⑤御使いの語られたことが事実であったことを告げる羊飼いたちの証言(ルカ2:15-20)
⑥キリストを見るまでは死なない、と神に約束されていたシメオンが受けていたキリストについての聖霊のお告げ(ルカ2:25-35)
⑦女預言者アンナによるキリストについての預言(ルカ2:36-38)
⑧マリヤの胎に宿っているのはキリストであると、マリヤの夫ヨセフへの御使いによる啓示(マタイ1:20-24)
⑨キリストを拝するために来た東方の博士たちのエルサレム訪問(マタイ2:1-12)
⑩キリスト降誕についての旧約聖書の預言を証言する学者たち(マタイ2:4-6)
Etc.

まだイエス・キリストを信じておられない方の参考になれば幸いです。

2012年6月30日 (土)

シメオンの預言

(新改訳聖書・ルカの福音書2:21-35)   ー〔 〕内は筆者挿入ー
“2:21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である〔①参照〕。
2:22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
2:23 ──それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおりであった──
2:24 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められること〔イスラエルに救い主が現れること〕を待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた〔聖霊なる神が彼とともにおられた〕。
2:26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
2:27 彼が御霊に感じて〔御霊に導かれて〕宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。
2:28 すると、シメオンは幼子〔イエス〕を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
2:33 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。
2:34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」〔②を参照〕”

①(マタイ1:20.21)“彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」”

②(現代訳聖書)“この子は、イスラエルの民を二つに分けてしまいます。ある者は信じて救われ、あるものは信じないで滅ぼされるでしょう。また必ず、反対するものが起こるでしょう。この子の〔鞭打ち、十字架の出来事の〕ために、あなたは刀で胸が刺し貫かれるような思いをしなければなりませんぞ。それは、このこの事件によって、人の心の奥深くにある思いが、はっきり露呈するようになるためです。

2012年6月28日 (木)

キリストは救い主として誕生した

この箇所のポイントは、キリストが救い主として生まれました。ということですが、それ以外にも色々と教えられます。キリストは、神であられるのに肉体を持って生まれてくる必要がありました。それは、罪〔まことの神に対する不従順〕の贖いを成し遂げるためです。(聖書・ローマ8:3)には、< 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において〔十字架上で〕罪を処罰されたのです。>と書いてあります。

今回の聖書箇所

<ところが、彼らがそこ〔ベツレヘム〕にいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子〔イエス・キリスト〕を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。>(聖書・ルカ2:6-20)

・イエス・キリストが生まれたとき、宿屋は満杯でした。それで、宿屋で出産することはできず、家畜小屋で出産したのです。全宇宙を創り、あらゆる生き物を創造した方が、家畜小屋でお生まれになったのです。そこから、私たちの汚い心にイエス・キリストはお生まれくださいました、また、人間が泊まる宿にも泊まることができないということで、人々に受け入れられていない方(イザヤ53:3)として生まれた、というメッセージも生まれてきます。

・しかしそれだけではなく、その他の配慮もあったように思います。
羊飼いに対する配慮です。もしも、宮殿のようなところで生まれたら羊飼いは行くことができなかったでしょう。高学歴の人にも、文字を読むことのできない人にも、財産家にもその反対の人にも、社会的に身分の高い人にも身分の低い人にも等しく必要なお方、それが主イエス・キリストだからです。

・天使が栄光を持って現れた時、それに出会った人たちは、皆一様にビックリするようですね。ところが、キリスト者は、天使を創造した偉大な方であるキリストと日々親しく歩んでいるのです。それは、キリストが私たちに合わせてくださっておられるからですね。キリストの栄光の姿のまま、キリストが私たちに現れたらどうなってしまうことでしょう。想像を絶します。使徒ヨハネは(黙示録1:17)で<私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。>とその時の体験を記しています。主イエス様は、私たちを愛して、私たちに合わせて導いて下さっておられるように思います。とても感謝なことです。

・<「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」>
何度聞いても気持ちのいい賛美ですね。自然にアーメンがでます。

・<それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。>
私のような凡人は、羊飼いの話を聞いたら、ビックリし、興奮し、ペラペラとああでもないこうでもないと喋りまくるかもしれません。しかし、十代の女性であるマリヤは違ったのでした。これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。・・・素晴らしいですね。

2012年6月26日 (火)

主イエス様の地上誕生とマリヤの出産に思うこと

<そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。>(聖書・ルカ2:1-7)

神様は、全能です。
マリヤは、神様からとても愛されている人です。
何も臨月に重なるときに住民登録を許可しなくても、といいますか、時期をずらして出産の運びになってもいいのではないかとさえ思ってしまいます。
マリヤがとても大変だからです。

ところが、この出産場所といいますか、主イエス様の誕生場所は、イエス様が誕生する約700年前に預言されていたのです。それも永遠の昔からの定めである、というのです。<ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。>(聖書・ミカ5:2)

神様は、マリヤを丈夫に造ったのかな、或いは、必要な健康と力を与えたのかなとも思いますが、初めから、ベツレヘムに住ませるようにしても良かったのではないかな、とも思ってしまいます。

このように思う私は、現代のなまぬるい生き方にどっぷりつかっているように思えます。現代では、車がありますし、冷暖房完備、食べ物も豊かです。

神様のお考えは、私のような浅はかな者とはだいぶ異なりました。

パウロは聖霊によって次のように語りました。
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。>(聖書・ピリピ2:6-11)

主イエス・キリストの前に立つとき、私は、大変です。とは、なんだか言えない気がしてしまいます。でも、大変な時は、大変だ、というのですけれど。

結局は、パウロとともに<ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。>(聖書・ローマ11:33-36)というしかありません。

神は全知、全能、神に比べたら、人間は無知に等しく、無力に等しい。

しかし、過去の私は、神よりも上に立っていたものでした。
その頃ドキッとしたみことば
<愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事〔神がよしとしないこと〕を行っている。善を行う者〔神の御旨を行う者〕はいない。>(聖書・詩編14:1)

2012年6月24日 (日)

ザカリヤの預言2

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
これはわれらの神の深いあわれみによる。
そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」>(聖書・ルカ1:76-79)

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
ここで言う幼子は、バプテスマのヨハネです。この時代からさかのぼること約400年前にマラキという予言者がいました。そのマラキは、バプテスマのヨハネについて<「見よ。わたし〔主なる神〕は、わたしの使者を遣わす。彼〔バプテスマのヨハネ〕はわたし〔主イエス〕の前に道を整える。>(マラキ3:1)と預言しました。(〔 〕内は筆者注)
マラキの預言を通して、主イエスが神であると分かります。
ものみの塔(エホバの証人)は、イエスは神ではなく御使いであると言いますが、みことばに反していることが分かります。

神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
使徒ヨハネは、バプテスマのヨハネの証言を次のように記しています。
<ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」この事があったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです。私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方〔主なる神〕が、私に言われました。『御霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』私はそれを見たのです。それで、この方が神の子〔イエス〕であると証言しているのです。」>(ヨハネ1:26-34)

使徒ヨハネは、さらにこれを受けて(聖書・ヨハネ3:13‐18)を記しています。<だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子〔イエス〕です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた〔十字架の上に〕上げられなければなりません。それは、〔神のひとり子イエスを〕信じる者がみな、人の子〔イエス〕にあって永遠のいのちを持つためです。」神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。>

そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。>
これは、この預言がもたらされる約700年前に預言者イザヤがイザヤ書9:1.2で預言した内容に近いものがあります。
<しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。>(イザヤ9:1.2)と。

さらに主イエス様は、十字架におかかりになる前に弟子たちに約束されました。<わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。>(ヨハネ14:27)

主イエス様の十字架と復活、昇天、高挙、約束の聖霊の授与により、主イエス様を信じさせて頂いた私たちは、神との平和(ローマ5:1)を与えられ、御霊の満たしによる平安を与えられています。(ガラテヤ5:22)

2012年6月22日 (金)

ザカリヤの預言1

<さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。
主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。>(聖書・ルカ1:67-75)

主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
これは、主イエス様についての預言だと思います。
父なる神と子なる神なる主は、イスラエルの民を顧みて、イエス・キリストによる贖いを成就し、救いの角と表現される主イエス様をイスラエルの家の為にたてられた。
ということであろうと思います。旧約聖書の預言をもとに考えると合点がいきます。
(聖書・ダニエル9:24)には、<あなたの民〔イスラエル〕とあなたの聖なる都〔エルサレム〕については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。>とあります。〔 〕内は筆者挿入。
(聖書・イザヤ書53章)は、紀元前700年頃のキリストについての預言です。以下に記します。
<私たちの聞いたことを、だれが信じたか。【主】の御腕は、だれに現れたのか。
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて、痛めることは【主】のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。>
新約聖書を読めばこの預言が如何に成就しているかが分かります。
また、イエス・キリストを自分の救い主として、として受け入れた人は、単なる知識としてではなく、体験として会得します。

ザカリヤは、キリストが、十字架に付けられ、3日後に復活し、天の父なる神の右の座に着座され、キリストを信じる群れに聖霊を送り、教会(エクレシア)を建てるということを知りませんでした。それは奥義であったからです。ザカリヤの視野はイスラエルにありました。
とはいえ、ザカリヤの預言した内容は、正しいものでした。それは、やがて、見える形で成就します。それは、ダニエル書9:24に書かれている通りです。

2012年6月21日 (木)

マリヤの賛歌5

<マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」>(聖書・ルカ1:46-55)

主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。
主なる神様は、今まで幾度もイスラエルを助けてこられました。そこには、ある法則がありました。イスラエルが神なる主から離れて自分勝手な罪深い生き方をしていたときには、神様は、イスラエルを放っておかれました。さらに、ひどい状態になった時には、神様はお仕置きをされました。そのようにされて悲惨さを味わい、悔い改めて主なる神様に立ち返った時には、神様はイスラエルを助けてくれました。

これは、霊的にアブラハムの子孫であるキリスト者にも当てはまります。(聖書・ガラテヤ3:7)

さて、マリヤは、主イエス様を聖霊によって身ごもる前に、天使ガブリエルから、<その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。>(ルカ1:32.33.35)と言われていたと、ルカの福音書にあります。また、(マタイ1:21)で主の使いがヨセフに現れて<マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。>と言われましたが、ルカの福音書には書いてなくてもマリヤも同じことを言われていたことは十分考えられます。また、ルカの福音書でマリヤに語られた内容から、マリヤなら、<主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。>とマリヤが言っているように理解したとも考えられるのではないでしょうか。

間もなく、究極の救いがイスラエルに訪れることでしょう。しかし、その前に、イスラエルは、周辺諸国との戦争、ロシアに導かれたイスラエルの周辺諸国よりも少し遠い国々との戦争、イスラエルから見て東側にある方面からの2億の軍隊との戦い、最後は、ハルマゲドンの戦いを超えていく必要があるのです。それらは、聖書の詩編83編、エゼキエル38.39章、黙示録9:13-21、黙示録16:10-16、ダニエル11:40-12:1、ゼカリヤ12:1-13:1、Etc.などにも書いてあります。

2012年6月20日 (水)

マリヤの賛歌4

<マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」>(聖書・ルカ1:46-55)

低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。>

低い者を高く引き上げ:その最も顕著な例として、主イエス・キリストの謙卑と高挙について記してある(聖書・ピリピ2:6-11)を思い起こします。次のように書いてあります。
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。>

<飢えた者を良いもので満ち足らせ>:現代日本においては、今のところ、贅沢を言わなければ食に事欠くことはありません。以前、ケニアに行っている知り合いの宣教師から、その地で教会学校をしているけれども、そこに来る子供達の中には、家庭の経済的事情で1日1食しか、食事らしい食事をしていない子供もいる、と聞かされました。日本では、食べようと思えば、ほとんどの人は食べれます。しかし、霊的食物ということになるとそうはいきません。日本人のほとんどの人たちは、飢えています。飢えていることさえも気付かないのです。霊的なことは、<求めなさい。そうすれば与えられます。>(マタイ7:7)であり、<義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。>(マタイ5:6)という法則があります。

一方<富む者を何も持たせないで追い返されました。>とあるように、主イエス様も(聖書・黙示録3:15-17)において<「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。>と言っています。

しかし、ありがたいことに、主イエス様は、そのあとで<「わたしはあなたに忠告する。〔霊的に〕豊かな者となるために、火で精錬された金〔神のことば〕をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣〔義の衣=聖化〕を買いなさい。また、目が〔霊的なものが〕見えるようになるため、目に塗る目薬〔心の純潔・目に濁りがない・バイアスがかかっていない〕を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい〔御旨にかなうように方向転換しなさい〕。見よ。わたしは、戸〔心の戸〕の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事〔交わり〕をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」>(黙示録3:18-22)とおっしゃってくださいます。{〔 〕内は著者挿入故、間違っているかもしれません。}

「真の神はいらない」というように心高ぶって、追い返されてしまうどころか、自分の言った言葉と行動によって裁かれてしまうことがありませんように。

2012年6月19日 (火)

マリヤの賛歌3

<マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」>(聖書・ルカ1:46-55)

主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。
主は、天地万物を創られた方ですから、力強いお方であることは当然のことです。
今まで、幾度も心の思い高ぶっている権力者を国家元首から引き下ろされました。
聖書の中で、そのことを垣間見ることのできる例として、バビロンのネブカデネザル王やベルシャツァル王などがいます。
そして、最後には、黙示録で666と言われる人物が同じ目にあいます。

ネブカネザル王に関する記事は、(聖書・ダニエル書4章)を見ると分かります。また、ベルシャツァル王に関しては、(聖書・ダニエル書5章)を見ると分かります。

(聖書・箴言 16:18)の<高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。>を思い浮かべます。

全能なる至高の神に対する高慢、神に対する高ぶりほど恐ろしいものはありません。

2012年6月16日 (土)

マリヤの賛歌2

<マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」>(聖書・ルカ1:46-55)

<マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます
。>

マリヤは、主を崇め、主を喜び称えた理由を、<主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。>といっています。
さらに、そのことをしてくださった方は、<聖い方>であり、きよいお方である主の憐れみは、主を恐れかしこむ者には代々に及ぶというのです。

マリヤが主を崇め、主を喜び称えた理由を自分勝手だという人もいるかもしれません。しかし、神様は、人間をそのように造ったのだと思います。人間が神を自分よりも下にみている間は、神のなさることを不愉快に思うことでしょう。神の愛を体験し、神を愛するようになると、考え方は一転します。

次の聖書の箇所は、キリスト者にとっては、ありがたいみことばです。しかし、キリストを受け入れない方々にとっては、不愉快なみことばかもしれません。

<私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです
この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです
この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。>(聖書・エペソ1:3-14)

父・子・聖霊の三位一体の神のそれぞれの位格に対してほめたたえるようにされているのが分かります。

また、(新共同訳聖書・詩編102:19)には、<後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」>とあります。

嘗て、私は、主がほめたたえられるため、というあり方を嫌いました。栄光は主のものである、ということを受け入れられなかったのです。それは、常に自分に主権がなければ気に入らなかったからです。それで、様々な宗教書を読んだりしましたが、聖書を真剣に読むようになったのは、一番最後でした。35年前位の話です。

今では、主をほめたたえることは、気持ちの良いことです。

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