詩篇119:166 救いは恵みと信仰による
詩篇119:166を、
聖書協会共同訳は、“主よ、私はあなたの救いを望み、あなたの戒めに従います。”と訳し、
2017は、“主よ、私はあなたの救いを待ち望んでいます。私はあなたの仰せを行っています。”と訳し、
リビングバイブルは、“主よ。私は救いを待ち望み、あなたの命令を守ってきました。”と訳しています。
これを書いた詩聖は素晴らしい人だなー、と思います。
人は、この生き方によって罪と死から救われるでしょうか?
人は、生まれながらに罪の性質を持っています。
ですから、完全に律法に従うことなどはできません。
自分は律法を守れている、と自己評価する人は、律法の根底or真意を知らずに語っているのです。
とはいえ、今日の聖句のような歩みをしている人で、他者を罪定めしない人は、とても素晴らしいと思います。
イエス様が地上におられた時代のこと、すばらしい人がいました。
その人は、その人なりに、十戒を守っていたのです。
マタイ19章に次のような話が記されています。
“16 すると、一人の人がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、私に尋ねるのか。善い方はおひとりである。命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
18 彼が「どの戒めですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19 父と母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
20 この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい。」
22 青年はこの言葉を聞き、悩みつつ立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。”(聖書協会共同訳)とあります。
16節の冒頭に、「すると」という単語があります。
この青年がこの質問をする前に、主イエス様は、どのような話をしたのでしょうか?
マタイ19:13-15には次のように記されています。
“13 その時、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちをそのままにしておきなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
15 そして、子どもたちに手を置いてから、そこを立ち去られた。”(聖書協会共同訳)とあります。
主イエス様を信じ、主イエス様の下に来て、「祝福してください」「わたしを救ってください」と心から願う者を、主はそのようにしてくださるのです。
人を死に至らしめたのは罪です。(創世記3章)
ローマ6:23aには「罪の報酬は死です。」(2017)と記されています。
人は、自分の罪を自分で処理し、自分の力で永遠の命を獲得することは出来ません。
ローマ6:23bには、「神の賜物〔贈りもの(筆者挿入)〕は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(2017)と記されています。
罪と死に対処し、永遠の命を与えてくださるのは神様なのです。
神様は、愛なる神ですが、義なる神でもあります。
それ故、罪を罰することなく、罪あるものを罪なしとすることは出来ないのです。
罪は裁かれて、死刑の罰を受ける必要があるというのが、神様の法則です。
それ故、神のひとり子の御子は、人の肉をまとって地上に現れ、その肉においてすべての人の罪を身代わりに負って、十字架上で死んでくださったのです。
神様は、肉におけるキリストの死を、自分のためであると信じる者を赦し、救われたのです。キリストは死んで葬られましたが、3日目に復活されました。キリストの復活も、罪赦されたもののためだ、と信じた人は新生させていただいたのです。
新生させていただいた霊は永遠の命を持っています。
魂も救われ新しくされました。
肉体はキリストの空中再臨の時に、永遠に死なない霊の体が与えられます。
救いをもたらすことの出来るお方は「主なる神様」なのです。
関連聖句を下記します。
“22 「この方〔キリスト(筆者挿入)〕は罪を犯さず、その口には偽りがなかった。」
23 罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。
24 そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。
25 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。”(1ペトロ2章・聖書協会共同訳)
“神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。”(ローマ8:3・2017)
“この方〔キリスト(筆者挿入)〕こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥め(なだめ)のささげ物です。”(1ヨハネ2:2・2017)
“21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。(ローマ3章・新共同訳)
“主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。”(ローマ4:25・2017)
“神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。”(1ペテロ1:3・2017)
“8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。
9 それは、あなたがたが信仰の目標である魂の救いを得ているからです。(1ペトロ1章・聖書協会共同訳)”
“だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。”(2コリント5:17・口語訳)
“52 終わりのラッパ〔キリストの空中再臨の時の終わりのラッパ(筆者挿入)〕の響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます。
53 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないもの〔霊の体(筆者挿入)〕を必ず着ることになるからです。”(1コリント15章・聖書協会共同訳)
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様、贖いを感謝します。
聖霊様、私がイエス・キリスト様を主と信じさせていただけた恵みを感謝します。
父、子、聖霊なる神様に栄光がとこしえにありますように。
ハレルヤ!
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。