ヨハネの手紙Ⅲ

2014年8月20日 (水)

3ヨハネ9-15節 地上の地域教会内における霊の戦い

1:9わたしは少しばかり教会に書きおくっておいたが、みんなのかしらになりたがっているデオテレペスが、わたしたちを受けいれてくれない。
1:10だから、わたしがそちらへ行った時、彼のしわざを指摘しようと思う。彼は口ぎたなくわたしたちをののしり、そればかりか、兄弟たちを受けいれようともせず、受けいれようとする人たちを妨げて、教会から追い出している。
1:11愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。
1:12デメテリオについては、あらゆる人も、また真理そのものも、証明している。わたしたちも証明している。そして、あなたが知っているとおり、わたしたちの証明は真実である。
1:13あなたに書きおくりたいことはたくさんあるが、墨と筆とで書くことはすまい。
1:14すぐにでもあなたに会って、直接はなし合いたいものである。
1:15平安が、あなたにあるように。友人たちから、あなたによろしく。友人たちひとりびとりに、よろしく。”(口語訳)

 ガラテヤ5:19-22に肉の行いが列挙されていますので先ずその箇所を取り上げます。
“5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。”(新改訳)

 「みんなのかしらになりたがっているデオテレペス」(9)という人は、少なくとも、ガラテヤ書の肉の行いの中の「党派心、分裂、分派」に相当するものを持っていたように思います。
デオテレペスは、主イエス様が使徒として立てたヨハネの言うことを聞かず、ヨハネが遣わした巡回伝道者たちを受け入れなかったのです。それだけではなく、ヨハネが遣わした巡回伝道者たちを受け入れようとする主にある兄弟たちの働きを妨げて教会から追い出しているというのです。
「わたしたち」(9)の中に、ヨハネと巡回伝道者が含まれています。
「兄弟たちを受けいれようともせず」(10)の「兄弟たち」は巡回伝道者です。それは5-7節によって、当時の巡回伝道者たちのことであることが分かります。
デオテレペスは、まことの兄弟たちを教会から追い出し、使徒の言うことを聞かず、使徒が遣わした者たちを受け入れず、使徒であり長老であるヨハネやヨハネが遣わした巡回伝道者たちをくちぎたなく罵った(10)のです。デオテレペスの行為を見ていると主イエス様に従うのではなくサタンに従っているとしか思えない状態です。
この様なデオテレペスが教会の頭になりたがっているのです。
使徒ヨハネは、御霊に満たされていても体が弱い愛するガイオに、この状況を打開するように依頼しました。デオテレペスを為すがままにさせておいてはいけないと(11)。

 デオテレペスによって窮地に立たされている教会。
その様な教会の中にあっても、個人的にはからだは弱く病弱であっても聖霊に満たされた信仰生活を送っているガイオ。
体は弱く病弱であっても、霊的な戦いをしなければならない状況に導かれたガイオ。
ガイオは神なる御霊の力によった時だけヨハネの要求に応じることが出来たでしょう。
これは霊の戦いです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
サタンはいつも地上の教会を駄目にしようと機会をうかがっています。
サタンに所を得させることの無いような教会として進んでいくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。”{(エフェ6:10-12)新共同訳}

2014年8月19日 (火)

3ヨハネ5-8節 だれでも同労者になれる

1:5愛する者よ。あなたが、兄弟たち、しかも旅先にある者につくしていることは、みな真実なわざである。
1:6彼らは、諸教会で、あなたの愛についてあかしをした。それらの人々を、神のみこころにかなうように送り出してくれたら、それは願わしいことである。
1:7彼らは、御名のために旅立った者であって、異邦人からは何も受けていない。
1:8それだから、わたしたちは、真理のための同労者となるように、こういう人々を助けねばならない。”(口語訳)

 「兄弟たち、しかも旅先にある者」(5)、「彼らは、御名のために旅立った者」(7)、「真理のための同労者となるように、こういう人々を助けねばならない」(8)などから、ここに記されている「旅先にある者」(5)とは、その当時の働きの形態のひとつであった主に召されて巡回伝道をしている主の働き人たちのことです。この人達は、召される前に持っていた職業を捧げて主の為に巡回伝道者として労している人達であったのです。その様な働き人に対しては、宿を提供し、必要を満たし、更に次の巡回伝道地に行くのに困らないように送り出すことは、その様にする人もその主の働き人の同労者となるのですよ、と記されています。

 今の日本ではこの様なことはあまりないと思いますがその本質は変わりません。例えば、宣教師の送り出しや宣教活動の継続のためには、それを行う為の経費がかかります。また、宣教活動は御霊の働きが無ければ無に等しいものですから背後の祈りも必要です。私たち普通のキリスト者も、それらの宣教師の為に献金したり、祈ったりすることは、同労者としての働きをしていることになるのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
あなたは、1タラントを与えられた者にも、それを地中に隠しておかないで用いることが出来る道を備えてくださっておられますことを感謝します。タラントを持ちいる方法はたくさんありますが、これは誰でもできることです。
多くの祈りがささげられ、宣教活動が前進していきますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(マタイ25:14-30)
「25:14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
25:16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
25:17 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
25:18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
25:19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
25:20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
25:23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
25:25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
25:26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
25:27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
25:28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
25:29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

2014年8月18日 (月)

3ヨハネ1-4節 すべてのことに恵まれ健やかであるようにとの祈り

1:1長老のわたしから、真実に愛している親愛なるガイオへ。
1:2愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。
1:3兄弟たちがきて、あなたが真理に生きていることを、あかししてくれたので、ひじょうに喜んでいる。事実、あなたは真理のうちを歩いているのである。
1:4わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に、大きい喜びはない。”(口語訳)

 「わたしの子どもたち」(4)とヨハネが記していることについて、キリスト者は神の子どもであって、ヨハネの子どもではなく、ヨハネとは兄弟だ、という人もいるかもしれませんが、恐らくヨハネは、自分の伝道によってイエス様を信じ、信じた後も霊的に養い続けてきた者を、子供の様にいとおしく思い、「わたしの子どもたち」という表現を使ったのだと思います。
「真理のうちを歩いている」とは、主を信じ続け、主の教えに従って歩んでいるということでしょう。

 ガイオという人は、イエス様を信じ続け、イエス様が命じられたように愛のうちを歩んでいた人であることが分かりますが、肉体は弱かったようです。
使徒であり長老であったヨハネのいつも祈る祈りに、「ガイオのたましいがいつも恵まれていると同じく、ガイオがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるように」(2)との嘆願もなされていたのでしょう。
使徒の働きを読むと、パウロは、実に多くの人を癒す為に用いられていることが分かります。
しかし、パウロが祈れば、神様はすぐに何でも聞いてくださったというわけではありません。パウロ自身の体の為の祈りは、祈った通りには答えられませんでした。
また、エパフロデトという人がいました。その人も主の為に良い働きをしていたのですが、死ぬほどの病気にかかったと次のようにパウロは言っています。
「私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。
彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。ほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにしてくださいました。そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。」(ピリピ2:25-30)と。

 ガイオは、「魂が恵まれている」(2)とありますから、キリスト者として整えられていたということでしょう。
イエス様を信じた時に、御霊によって生まれさせて頂いた霊の中に主の御子の御霊も来てくださり、至高の神を親しく「父」と呼ぶことが出来るようにしてくださいました。その時点では、魂はまだ整えられていません。ローマ12:2に「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(口語訳)とあるように、魂は、作りかえられていく即ちきよめられていく必要がある部分です。
2コリント3:18は、「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(口語訳)と記されています。これは魂の部分です。魂がきよめられると、霊の内におられる主が魂に邪魔されること無く輝きいずることが出来るのです。
それでも、ガイオのように、体は弱い場合もあるのです。
体が栄光の体に変えられるためには、主の空中再臨を待たねばないませんが、地上の体も主によって強くされることもあるのですが、されないこともあるのです。いずれにしても主は最善をなさってくださいます。

 キリスト者は、霊魂体を構成要素としています(1テサロニケ5:23)。
霊は、イエス・キリスト様を信じた時に、御霊によって生まれさせて頂けました(ヨハネ3:3-6)。
魂は、生まれながらに持っています(創世記2:7原語)。魂は、肉体と関与する霊的な部分です。
魂は、思い(知性)、感情、意思というような活動をします。
魂は、救われた後、きよめられていくことが期待されている部分です。
1ペテロ1:22に、「真理に従うことによって魂をきよめ」(新改訳)と記されているみことばからも救われた後にみことばによってきよめられることが分かります。しかし、きよめられる為には、きよめられたいという願いが必要です。再生されて神の子どもとされた者は、きよめられたいという願いを持ちます。キリスト者であれば、キリストに似た者になりたいと願うからです。しかし、実際にきよくされる為には、みことばのほか、主イエス様の血潮、御霊の働き、本人の信仰が必要です。
イエス・キリスト様の血潮は、すべての罪をきよめる力があります。
みことばによって、キリスト者は、自分がどのように変えられていったらよいのかを知ります。
聖霊は、きよめられるようにと促すとともに、罪を告白し、きよめられたいと願っている人を変えてくださいます。
信仰は神様の働きの管です。

 ガイオについては、「魂に幸いを得ている」(新改訳)、「魂がいつも恵まれている」(口語訳)と記されていることから、ガイオはきよい生活を送っていたのだと思います。
体が弱いと、普通の人が自然にできていることが出来ません。少し無理をすればすぐに体に響いて具合が悪くなるからです。しかし、その様な体の中におさめられている魂霊であったも、幸いを得てる魂はいつも幸いを感じることは可能です。これは私の日々の体験でもあります。主の恵みです。
長老ヨハネは、たとえそうであっても、体も強められますように、と祈っています。
その祈りに対して、神様が答えてくださることが、ヨハネの祈った通りになるのか、パウロが自分の弱き体の部分について祈っても主が与えてくださった答えが、「わがめぐみ汝に足れり、我がちからは弱きうちに全うせらるればなり。」{(2コリント12:9)文語訳}と同じであるのかは分かりませんが、長老であると共に使徒であるヨハネが祈っているのですから、同じように祈ることも大切なのでしょう。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの恵みを感謝します。
ガイオは、「あなたのたましいがいつも恵まれている」と長老であり使徒であるヨハネから言われていますが、ガイオのように、いつも魂が恵まれているような信仰生活を送ることが出来ますように助けていて下さい。
私の体も活動にはかなりの制限がありますが、いつもあなたを喜ぶ喜びを与えられていますことを感謝します。
あなたが私を地上においておこうと決めている期間、充実してあなたと共にいつも過ごせますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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