使徒2章 ペンテコステ(五旬節)の祝福
(今日の原稿は礼拝メッセージ用なので聖書は新改訳2017を用いています)
ヨエル書の内容を大まかに述べると、
“ヨエルの預言活動の契機となったのは、おそるべきいなごの大群の襲来による大災害であった(イナゴはの大群は「侵略軍」をも暗示していると思えますので、イナゴと侵略軍の二重の災害とも解釈できます)。ヨエルはユダの民にこの自然災害が、主の日における神の審判の予表、予兆であると述べて、悔い改めて神に立ち返るように勧めた。この警告に応じて「主の名を呼ぶ者」のみがさばかれず、救われて聖霊の注ぎと主の祝福にあずかるが、不信仰な者にはきびしいさばきが臨む。本書は、時と永遠、つまり歴史的事実と終末論的要素が美しく荘厳に織り混ぜられて、神の永遠的使信を語り続ける。”というものであると、聖書辞典(著者加筆)は述べています。
ヨエル2:32aの「主の御名を呼び求める者は、みな救われる。」という箇所は、ローマ10:13に引用されています。
ローマ10:9-13を読んでみましょう。
使徒1:4.5には、イエス様が弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」(使徒1:4~5)と言われたことが記されています。
そこで弟子たちは、心を一つにして祈りに専念していました。そして、「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた」(2:1)ところに約束の聖霊が注がれ、みなが聖霊に満たされて、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めたのです(4)。
使徒2:1-4には次のように記されています。
“1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。”とあります。
聖書を原語で読んだとき、神様は時々、洒落を取り混ぜていることに気づきます。
3節の「舌」と4節のことば」はギリシア語聖書では同じ単語がつかわれているのです。
「舌」、「ことば」と訳されているギリシア語原語は「グロースサー」といいます。「グロースサー」は、舌という意味ですが、暗に(習得しなければ得られない)「ことば」「言語」をも表す単語です。
4節の「ことば」という単語の前には「他国の色々な」という語があり、これはギリシア語では「ヘテロス」の複数形が使われています。「へテロス」には、他の、異なった、外来の、・・等の意味があります。そして7-11節を読むと、異なった言葉、すなわち異言は、ここでは外国語であったことがわかります。
5節には“さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、”と記されています。
「天下のあらゆる国々」と記されている国々の人とは、9-11節を見ると、パルティア、メディア、エラム、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリュギア、パンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方、ローマ、クレタ、アラビア等の国に住んでいるユダヤ人たちとユダヤ教に改宗した人たち(11)、と記されています。
どうしてこれらの人たちがエルサレムに住んでいたのでしょうか?
住んでいたと記されていますが、エルサレムに滞在していた、と考えたほうが良いと思います。
リビングバイブルはその理由を挿入して5節に、次のように意訳しています。
“・・エルサレムには、たくさんの敬虔なユダヤ人が、祭りのために、世界のあちこちから集まっていました。”と記しています。
イスラエルの春の祭りは、レビ記23章によると、過越しの祭り{ニサンの月の14日}、7日間に及ぶ種なしパンの祭り{ニサンの月の15-21日}、初穂の祭り{ニサンの月の16日}、七週の祭り(五旬祭){シワンの月の14日}とあります。
使徒二章に見られる敬虔なユダヤ人たち、特に外国に住んでいる敬虔なユダヤ人たちは、過越しの祭りを祝いにエルサレムに上り、そのまま七週の祭り(五旬祭)を終えるまで、エルサレムに滞在したようです。
そして、おそらくこの人たちの多くが教会誕生のこの日に救われたのです。そしてこの日に救われた人は約3000人もいたのです(41)。
主の祭りのためにエルサレムに滞在していた人たちが、弟子たちのもとに集まってきた理由は、大きな音がしたからでした。
2.6節には次のように記されています。
“2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。”とあります。
弟子たちのもとに集まってきた人たちが驚いたのは、大きな音だけではなく、外国に住んでいるユダヤ人たちの国言葉で神の大きな御業を聞いたからです(6-12)。
しかしユダヤ人たちの中には、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って嘲ったのです(13)。
そのように嘲った者たちに、聖霊に満たされていたペテロが、説明するときに用いた聖句が、今日、交読箇所で読んだヨエル書であったのです。
その経緯について14-18節には次のように記されています。
“14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。”とあります。
ペテロは、弟子たちが諸国の言葉で神の大きな御業を語ったのは、聖霊によるのだ、ということをヨエル書2章から立証したのでした。
ペテロは、このように説明した後、イエスがキリストであるということを立証していったのです。その内容は、22-36節に記されています。
ペテロの説教を聞いて、罪を示された人たちは、悔い改めへと導かれたのです。そして悔い改めてバプテスマを受けたのです。
37-41節には次のように記されています。
“37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。”とあります。
さて、救われた人たちは、その後どのように歩んだのでしょうか。
42節には“彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。”と記されています。
41節には「(救われた人数が)約3000人、と記されています。
神様が、イスラエルに十戒の石の板を与えられた時に、十戒の1-3戒に従わなかったイスラエル人たちが約3000人殺されたのです(出エジプト32:28)。
「文字は殺し、御霊は生かす」という聖句が、2コリント3:6に記されています。
ペンテコステは旧約では七週の祭りと言われています。
七週の祭りについて、聖書辞典は、
“しちしゅうのまつり 七週の祭り ユダヤの3大祭の一つ。過越の祭の安息日の翌日から7週を数えた50日目に行われ、「刈り入れの祭り」(出エジプト23:16)、「初穂の日」(民数記28:26)とも呼ばれる。ペンテコステとも呼ばれるが、これはギリシヤ語で「第50の」という意味で、聖霊降臨のあった五旬節(使徒2:1)はこの日に当る。この日の守り方などについてはレビ記23:15‐22、民数記28:26‐31にあるが、使徒2:9‐11などを見てもユダヤ人たちが遠い国々からもエルサレムに集まってきたことが分る。申命記16:9‐12に出エジプト以前の奴隷時代を覚えるように言われているが、出エジプトから50日目に十のことば(十戒)が与えられたことと意味づける者もある。「石の板にではなく」「生ける神の御霊によって……人の心の板に」(参照2コリント3:3)神の律法が与えられた「新しい契約」の時代が五旬節(使徒2:1)に始まったとすれば、福音の初穂の日を示唆して意味深いものがある。”と述べています。
七州の祭りには、種を入れたパンを2つ主なる神様にささげました(レビ23:17)。
パン種は罪を表します。
すなわち、神様は、この時から罪あるユダヤ人も異邦人も受け入れるようになるという予表であったのです。
神様は、私たちの罪が無くなってから私たちを受け入れてくださったのではなく、罪ある私たちを、私たちが、キリストを信じたゆえに受け入れてくださったのです。その予表は、レビ23:17に記されていたのです。
42節には、「使徒たちの教えを守り」と記されていますが、使徒たちの教えの大部分はローマ人への手紙以降に記されています。
なお、使徒たちの教えとは、マタイ28:20aに記されている「イエス様が命じておいた教え」のことです。
マタイ28:18-20には、
“18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。19ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、 20わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」” と記されています。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
使徒2:33に“神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。”と記されています。
あなたは、私たちが主イエス様を信じたときに、イエス様を通して、神の霊である御聖霊を私たちの心に遣わしてくださいました。
ありがとうございます。
自分の力だけで、クリスチャンとして生きて行こうとするのではなく、いつも聖霊様の助けを戴きつつ歩ませていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。