ピレモン19-22.25 手紙のまとめと祝祷
“1:19このパウロが手ずからしるす〔この手紙は私パウロの自筆です(新改訳)〕、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。
1:20兄弟よ。わたしはあなたから、主にあって何か益を得たいものである。わたしの心を、主にあって力づけてもらいたい。
1:21わたしはあなたの従順を堅く信じて、この手紙を書く。あなたは、確かにわたしが言う以上のことをしてくれるだろう。
1:22ついでにお願いするが、わたしのために宿を用意しておいてほしい。あなたがたの祈によって、あなたがたの所に行かせてもらえるように望んでいるのだから。
1:25主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。”(口語訳)
ここまでの話をまとめてみます。
コロサイ(現在のトルコ領内)にピレモンという神を信じ、聖徒に対する愛の豊かなキリスト者がいました。
ピレモンには、オネシモという奴隷がいました。オネシモはイエス様を信じていませんでした。オネシモはピレモンの所有物を盗んで逃亡しました。
この時代は、主人の物を盗んで逃亡した奴隷は罰として殺されることが常でした。
オネシモがパウロに出会ったいきさつは分かりませんが、オネシモは獄中にいるパウロから福音を聞き、罪を悔い改め、主イエス様を信じて救われたのでした。
オネシモは主にあって(主に結ばれて)、パウロにとって役に立つ者となりました。
パウロは、オネシモがピレモンにとっても、主にあって役に立つ者となりましたよ、と記しました。
ピレモンには既に聖徒を愛する愛が与えられていましたが、パウロは更にピレモンの愛がより豊かになることを願って手紙を記しました。
そして、ピレモンにオネシモを返すけれども、逃亡奴隷としてではなく、キリストにある愛する兄弟として受け入れてくれないだろうか、オネシモがあなた(ピレモン)に駆けた損害は私(パウロ)が払うから、と記してきました。
そして、「わたしパウロが自筆で書いています。」(新共同訳)と19節にあります。パウロの手紙は口述筆記が多いですから、これはある意味特別なものですよ、と言っているように思えます。
また、オネシモの負債は私(パウロ)が代わりに支払うけれども、あなた(ピレモン)が私に負っているものについては請求はしない、と述べています。「あなた(ピレモン)が今のようになれたのもまた、私(パウロ)によるのですが」(19・新改訳)とありますから、ピレモンが救われたのはパウロの働きを通してであったのであろうと思われます。
パウロは、オネシモの件について、ピレモンに主の権威をもって、「オネシモを主キリストの故に赦し兄弟として受け入れなさい。」と命じることも出来たのです。8節には、「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのです・・。」(新改訳)と記されています。パウロの思いはキリストの思いでした(ガラテヤ2:20)。20.21節には、「・・兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください。私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。」(新改訳)とあります。
パウロは、ピレモンをもオネシモをもこよなく愛していたのです。キリストから流れてくる愛によって。
次の22節でパウロは、「ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。」(新共同訳)と記しています。ピレモンはコロサイ教会の長老であったでしょう。
コロサイ教会に宛てた手紙の中に、
“4:7 私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。
4:8 私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。
4:9 また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。”(新改訳)とあります。
また、同じコロサイ人への手紙の中に、奴隷と主人の関係は如何にあるべきか、ということを、
“3:22 奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。
3:25 不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。
4:1 主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。”(新改訳)と記しています。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ピレモンへの手紙を読むと、1コリント13章の中に、「愛は寛容であり、愛は親切です。・・・礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、・・人のした悪を思わず・・」(4.5・新改訳)とあるのを思い起こします。
私は愛の乏しいものです。憐れんでくださり、愛の内を歩む者とさせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン
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(エペソ3:14-19)
“3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、
3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。”(新改訳)