ゼカリヤ書

2019年8月25日 (日)

ゼカリヤ14:16-21 キリストの千年王国では、主は義によって治める

ゼカリヤ1416-21には、
16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。17 地上の諸氏族のうち、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が打つ疫病である。19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。20 その日、馬の鈴の上には「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への聖なるもの」と刻まれ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の中の鍋は祭壇の前の鉢のようになる。21 エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への聖なるものとなる。いけにえを献げる者はみなやって来て、その一つを取ってそれで煮るようになる。その日、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮にはもう商人がいなくなる。”(新改訳2017)とあります。

 16節には「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」とあります。
ゼカリヤ123には「その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。」(新改訳2017)とありました。
そして更にゼカリヤ1412.13には「これは、主がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。その日、主からの大いなる混乱が、彼らの間に起こる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いに殴りかかる。」(新改訳2017)とありました。
疫病や同士討ちの中にあっても死ぬことなく、霊の体ではなく今の世と同じ肉の体のままでキリストの千年王国に入ってくる人たちがいるのです。その人たちは、キリストの千年王国において、毎年、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来るのです。

 もし地上の諸氏族のうち、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王、即ち王であるキリスト様を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族はどうなるのでしょうか?
キリストの千年王国では、主は、恵みによって人々を扱うのではなく、義によって統治するのです。ですから正しくないことをすれば罰が下るのです。そのような人の寿命は短くなります(イザヤ6520)。
17-19
節には「17 地上の諸氏族のうち、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が打つ疫病である。19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。」と、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族に対する刑罰が記されています。
キリストの千年王国は、恵みの時代ではないことがわかります。
恵みの時代は、良い人にも悪い人にも雨を降らせてくださったのです(マタイ545)。
 かつてイスラエルは、主と律法を守れば祝福を与えられ、律法に従わなければ呪いが与えられるという契約を主と結びました。祝福と呪いについての詳細がレビ記26章と申命記28章に記されています。
レビ記26章では、呪いの段階が五段階になっています。
その第一段階と第二段階は、
14 しかし、もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらすべての命令〔律法(筆者挿入)〕を行わないなら、15 また、わたしの掟を拒み、あなたがた自身がわたしの定めを嫌って退け、わたしのすべての命令を行わず、わたしの契約を破るなら、16 わたしもあなたがたに次のことを行う。わたしはあなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病で目を衰えさせ、心をすり減らさせる。あなたがたは種を蒔いても無駄である。あなたがたの敵がそれを食べる。17 わたしはあなたがたに敵対してわたしの顔を向ける。あなたがたは自分の敵に打ち負かされ、あなたがたを憎む者があなたがたを踏みつける。あなたがたを追う者がいないのに、あなたがたは逃げる。18 もし、これらのことが起こっても、あなたがたがなおもわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して七倍重く懲らしめる。19 わたしは、自分の力を頼むあなたがたの思い上がりを打ち砕き、あなたがたの天を鉄のように、あなたがたの地を青銅のようにする〔雨が降らず地が青銅のように硬くなる(筆者挿入)〕。20 あなたがたの力は無駄に費やされる。あなたがたの地は産物を出さず、地の木々も実を結ばない。」(新改訳2017)と記されています。

 20.21節には「20 その日、馬の鈴の上には「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への聖なるもの」と刻まれ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の中の鍋は祭壇の前の鉢のようになる。21 エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕への聖なるものとなる。いけにえを献げる者はみなやって来て、その一つを取ってそれで煮るようになる。その日、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮にはもう商人がいなくなる。」とあります。
馬も鍋もみな主にささげられ、主の物として聖別されるのです。
 イエス様が地上におられた時、イエス様は主の宮から商人達を追い出されました。キリストの千年王国では、主の宮には商人がいないのです。即ち、主への礼拝を利用して金儲けしようとする人はいないのです。
 キリストの千年王国では、王の王であるキリスト様は、「鉄の杖で、すべての国々を統治することになっている」と、黙示録125に預言されています。即ち神の義による支配です。
ローマ1417には「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」(新共同訳)とあります。
キリストの千年王国は、王の王であるキリストによって与えられる義と平和と喜びなのです。

<お祈り>
天のお父様。
イエス様は、「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」と祈りなさい、と教えられました。その祈りがこたえられる時が来るという預言を見させてくださりありがとうございます。
我らの主であるイエス様が、全地を統治なさる時を待ち望んでいます。
また、そうなる前に、イエス様が私たちを迎えに来る空中再臨の時を待ち望んでいます。
また、天における花婿イエス様との結婚式・披露宴を待ち望んでいます。
マラナタ!
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2019年8月24日 (土)

ゼカリヤ14:9-11 キリストがキリストの千年王国の王に就任する

ゼカリヤ149-11には、
9 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は地のすべてを治める王となられる。その日には、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は唯一となられ、御名も唯一となる。10 全土はゲバからエルサレムの南のリンモンまで、アラバのようになる。しかしエルサレムは高くそびえ、ベニヤミンの門から第一の門のところを経て隅の門まで、またハナンエルのやぐらから王家のぶどうの踏み場まで、元の場所にそのまま残る。11 そこには人々が住み、もはや聖絶の物はなく、エルサレムは安らかに住む。”(新改訳2017)とあります。

 9節には「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は地のすべてを治める王となられる。その日には、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は唯一となられ、御名も唯一となる。」とあります。
主と訳された語の原語は「ヤハウェ」です。この方は黙示録では「キリスト」です。
主キリスト・イエス様は、人が支配する世を終わらせます(黙示録1911-21)。
更に主なる神様に敵対し続けたサタン(悪魔、竜、古い蛇)も捕らえて底知れぬところに閉じ込められます(黙示録201-3a)。
主キリスト様は、全世界の王となるのです。ハレルヤ!

 余談になりますが、キリストの千年王国が近づけば近づくほど、罪に支配された人の心は悪くなり、世界は争いに満ち、特にキリストの地上再臨の三年半前から後には、サタンは自分の時の短いことを知って激しく怒り、イスラエルの聖徒たちに敵対するのです(黙示録1212)。
 
 終わりの時代のキリスト教会の状態を、パウロは、テモテに、「1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。2 それは、良心が麻痺した、偽りを語る者たちの偽善によるものです。」(1テモテ4章・新改訳2017)と述べ、また、「1 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。2 そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。3 また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、4 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、5 見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。6 彼らの中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たちがいます。その女たちは様々な欲望に引き回されて罪に罪を重ね、7 いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができません。8 たぶらかしている者たちは、ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らっており、知性の腐った、信仰の失格者です。」(2テモテ3章・新改訳2017)と述べています。

 イザヤ520には「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。」(口語訳)とあります。
世界のニュースを見ていると、かつてキリスト教国と言われたような国々で、聖書の教え(善)の中のある項目(複数)を法律によって「悪」としているのです。まさしく、善を悪とし、悪を善としている時代です。しかし、主キリスト・イエス様が来られると、主によって、主の御心が地にもたらされるのです。

 10節には「全土はゲバからエルサレムの南のリンモンまで、アラバのようになる。しかしエルサレムは高くそびえ、ベニヤミンの門から第一の門のところを経て隅の門まで、またハナンエルのやぐらから王家のぶどうの踏み場まで、元の場所にそのまま残る。」とあります。
リビングバイブルは「ユダの北端にあるゲバから、南端のリモンまで、全地が一つの広大な平地となる。ただし、エルサレムだけが高台にあり、その区域は、ベニヤミンの門から古い門の跡、それから隅の門、さらにハナヌエルの塔を通って、王のぶどう酒を絞る所までだ。」と意訳しています。
 主が地をつくり変えるのです。主を抜きに考える人にとっては、地球は地殻変動の時期だ、ということになるでしょう。
 イザヤ22には「終わりの日に、主の家の山〔シオンの山、エルサレム(筆者挿入)〕は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。」と預言されています。

 11節には「そこには人々が住み、もはや聖絶の物はなく、エルサレムは安らかに住む。」とあります。
キリストの地上再臨の三年半前からキリストの地上再臨までの間、エルサレムは大変な目にあうのです。しかし、キリストの千年王国に入ると、エルサレムは全世界の中心になるのです。
イザヤ22-4には「2 終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべての国はこれに流れてき、3 多くの民は来て言う、『さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう』と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。4 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(口語訳)と記されています。
キリストの千年王国では、善(主の教え)は善、悪(主が悪とすること)は悪なのです。

<お祈り>
天のお父様。
主キリスト・イエス様が全地の王となられるときを待ち望んでいます。
その前に、キリスト・イエス様の空中再臨があり、携挙して頂けますことを心待ちにしています。
それまでの間、御霊に導かれて、11日を歩み続けていけますよう祝福し続けてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2019年8月23日 (金)

ゼカリヤ14:12-15 生きたまま体が腐っていくという裁き

ゼカリヤ1412-15には、
12 これは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。13 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕からの大いなる混乱が、彼らの間に起こる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いに殴りかかる。14 ユダもエルサレムで戦う。周りのすべての国々の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる。15 馬、らば、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜にも、同じような疫病が臨む。”(新改訳2017)とあります。

 ゼカリヤ123には「その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。」(新改訳2017)とありました。
「身にひどい傷を受ける」とありますが、
ゼカリヤ1412には「これは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。」(新改訳2017)と預言されています。
リビングバイブルは「神様は、エルサレムを攻撃したすべての国民を伝染病で苦しめる。彼らは、歩く屍のようになる。肉は腐って落ち、目はくぼみ、舌は口の中で衰える。」と訳しています。
 肉が腐る、というのは壊死することですから、人食いバクテリアのようなものに感染するのかも知れません。いわゆる人食いバクテリアと言われているものは、溶連菌です。劇症型溶血性連鎖球菌感染症、壊死性軟部組織感染症、というものです。ですがこれらは、ゼカリヤ1412に預言されているような極めて強力な伝染力を持っているわけではありません。主イエス様が裁きの為に天から降りて来られる時の描写に、「この方〔主キリスト・イエス様(筆者挿入)〕の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。」(黙示録1915・新改訳)と記されています。ですから、主イエス様が一声発すれば、極めて強力な感染力を持つ壊死性軟部組織感染症を引き起こす菌に変化するか、或いは新しい菌を創造されるのであろうと思います。イエス様と雖も、そんなに簡単にできるの?という方がいるかも知れませんが、イエス様は万物をつくられたお方です(コロサイ116)。

 余談になりますが、ラザロが死んで四日経った時、身内の者は、ラザロはもう腐ってしまっている、と言いました。しかし、イエス様が一言、「ラザロよ、出てきなさい。」というと、死んだ肉体はよみがえり、自分で歩いて墓から出て来たのです。詳しくはヨハネ111-45を読んでください。
ラザロには、恵みの一言でした。

 13節には「その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕からの大いなる混乱が、彼ら〔敵軍(筆者挿入)〕の間に起こる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いに殴りかかる。」とあります。
13
節は、主の敵に対しては、その敵の中で同士討ちをさせるという、主がときに取られる方法が記されている預言です。13節の預言の成就の時より数年前にエゼキエル38章の預言が成就しますが、この時にも、主は、イスラエルを攻める国々の間で、同士討ちをさせます(エゼキエル3821)。
 一方、キリスト者に対しては、「あなたがたは互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ1334)と語られ、また「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ1423・新改訳)とイエス様は語られます。

 14aには「ユダもエルサレムで戦う。」とあります。
エルサレムが攻撃された時、主と天の軍勢だけが戦うのではなく、ユダも戦うのです。

 14b.15節には「・・。周りのすべての国々の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる。15 馬、らば、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜にも、同じような疫病が臨む。」とあります。
15
節をリビングバイブルは「先のと同じ伝染病が、馬、らば、らくだ、ろば、および敵陣にいるすべての動物に襲いかかる。」と訳しています。
敵陣の動物たちも、壊死性軟部組織感染症のようなものになるのでしょう。
 一方、ユダは、周りのすべての国々の財宝、即ち、金、銀、衣服など非常に多く集めると預言されています。
ユダに対しては、主は、略奪された分以上に、それらの物を与えてくださるということでしょう。

 ゼカリヤ書の預言では、これをもって、人による人の支配が終わるのです。即ち、この世の終わりです。引き続き、キリストが千年間、義によって治めるというキリストの千年王国が始まります。千年王国の時代には、霊のからだを持ったキリスト者のような人たちと、肉の体のまま、千年王国に入ってきた人たちとがいます。肉の体のまま千年王国に入ってきた人は結婚して子供をもうけたり、死んだりします。今すでに新生した人の霊は永遠ですが、霊のからだを与えられた後は、霊も体も永遠であると共にとても美しいものです。

 キリストの千年王国の後には、白い御座の裁き(黙示録2011-15)があり、その後には、主なる神様が新しい天と新しい地を創造なさいます。

<お祈り>
天のお父様。
いつも主とともにあることの幸いを覚えます。
恵みの上に恵みを与えてくださいます主の御名を崇めつつ、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2019年8月22日 (木)

ゼカリヤ14:4-8 主がオリーブ山の上に立つ

ゼカリヤ144-8には、
4 その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。5 「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。7 これはただ一つの日であり、その日は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。8 その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。”(新改訳2017)とあります。

 4節前半には「その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。」とあります。
「その日」とある日は、キリストの地上再臨の日です。イエス様は弟子たちが見ている前で、天に帰られましたが、その時、二人の天使が弟子たちのそばに立っていました。そして、天使は、イエス様の地上再臨について語ったのです。そのくだりの部分が使徒19-12に、
9 ・・、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。”(新改訳2017)と記されています。
ゼカリヤへの預言は、イエス様が天に帰られた時より500年以上前に与えられたものです。

 イエス様がオリーブ山に立たれた時、日常では決して見られないようなことが起こります。それは、ゼカリヤ144.5に「4 ・・。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。5 「山々の谷がアツァルにまで達する・・」と預言されています。
イエス様が弟子たちに、「この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。」(マタイ1720)と語られた御言葉を思いうかべます。
山が裂けて動くのですから、当然地震が起こります。その地にいた人達は、急いで逃げるのです。
ゼカリヤ145に「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」と預言されています。

 ゼカリヤ145c.dには「私の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。」と預言されています。
「私の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が来られる。」というのは、イエス様が来られる、ということです。そして、すべての聖なる者たちも主と共に来る、という預言です。「聖なる者たち」とはキリストの花嫁(教会)のこと、或いはキリストの花嫁も含まれる、ということでしょう。
「聖なる者たち」と訳された語の原語は「カドシーム」で、「カドシュ」の複数形です。「カドシュ」は「神聖な」の意で、神、天使、聖徒の意にも用いられます。
ゼカリヤの預言から約600年後に記された黙示録には「11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は『確かで真実な方』〔忠実また真実(新改訳第三版)〕と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は『神のことば』と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。」(19章・新改訳2017)と記されています。
「白くきよい亜麻布を着て」(14)とありますが、キリストの「花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。」(黙示録198・新共同訳)と記されています。
キリストの花嫁は、地上の最後の戦いの時、主イエス様に従って戦いに臨むのです。

 ゼカリヤ146を新改訳は「その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。」と訳し、
新共同訳は「その日には、光がなく、冷えて、凍てつくばかりである。」と訳し、
岩波訳は「その日には、光がなく、寒さと氷があり」と訳し、
口語訳は「その日には、寒さも霜もない。」と訳し、
文誤訳は「その日には光明なかるべく輝く者消(きえ)うすべし」と訳し、
聖書協会共同訳は「その日になると、光がなく、寒さも霜もない。」と訳すと共に、注を付けて「(へ)高貴な者は凍結する」と記しています。
さて、どうのようになるのでしょう。イエス様に従って降りて来る者たちは、その日がどのような日であるかを見ることができます。

 7節には「これはただ一つの日であり、その日は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。」(新改訳2017)とあります。
新改訳の「夕暮れ時に光がある。」という訳についてですが、口語訳、新共同訳、岩波訳、リビングバイブル訳、聖書協会共同訳などは、聖書によって言い回しは異なりますが、「夕暮れ時になっても光がある」の意に訳しています。
 6節の光源は太陽だろうと思います。7節を新改訳のように訳すとすると、光は主イエス様であろうと思います。
キリストの地上再臨の日になれば、どの訳が正しかったのかが分かります。
私はこの箇所を、キリストの地上再臨の日には、主が、太陽の光を地上に届かないようにされ、イスラエルの夕刻の時刻に、光り輝くキリストの地上再臨があるのだと、勝手に想像します。その日のその時にならないと分かりませんが。

 8節には「その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海〔死海(筆者挿入)〕に、残りの半分は西の海〔地中海(筆者挿入)〕に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。」とあります。
この預言について、エゼキエルはもう少し詳しくエゼキエル471-12に、
1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。2 次に、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。3 その人は手に測り縄を持って東の方に出て行き、千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。4 彼がさらに千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水は膝に達した。彼がさらに千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。5 彼がさらに千キュビトを測ると、水かさが増して渡ることのできない川となった。川は泳げるほどになり、渡ることのできない川となった。6 彼は私に「人の子よ、あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に連れ帰った。7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。10 漁師たちは、そのほとりに立つ。エン・ゲディからエン・エグライムまでが網を干す場所になる。そこの魚は大海の魚のように、種類が非常に多くなる。11 しかし、その沢と沼は水が良くならず、塩を取るのに使われる。12 川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」”(新改訳2017)と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様の後ろについて地上に降りて行くというのはどのような感じなのでしょうか。
よくわかりませんが、その時に体験させて頂けますから感謝します。
今は、きょう一日を、主と共に歩ませて頂けますように。
我が主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2019年8月21日 (水)

ゼカリヤ14:1-3 大患難時代についての再度の預言

ゼカリヤ141-3には、
1 見よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。2 「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」3 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。”(新改訳2017)とあります。

 一節と二節の間には、多少の期間があるかも知れないと私は考えます。
1
節には「見よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。」とあります。
「主の日」とは、終末の主なる神様の裁きの日orときor時代、の意です。
「日」と訳された語の原語は「ヨーム」で、一日、の意味もありますが、年や一定の期間を指す場合もあります。
「あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される」とありますが、
エゼキエル3813には「シェバやデダンやタルシシュの商人たち、およびそのすべての若い獅子たちは、おまえに言うだろう。『おまえは分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために隊を構えたのか。銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪しようとするつもりか』と。」(新改訳2017)と記されています。
エゼキエル38章には、現代名で言うと、ロシア、イラン、トルコ、スーダン、リビアというような国々が、ロシアの指揮のもと、大挙してイスラエルを攻めるという預言が記されています。この戦いの原因は、主がこれらの国々を経済的に貧しくしてイスラエルへと引き出すということなのだろうと思います。それ故敵の連合軍の目的はイスラエルの財産を略奪することです。
そして、イスラエルに侵略して来た軍隊の行動を見ていたイスラエルの近隣諸国の人たちは、侵略軍に対して、略奪するために出て来た、と非難するのです。それは、「あなた〔イスラエル(筆者挿入)〕から奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される」(ゼカリヤ141)ということが行われるからではないかと推測します。
イスラエルを攻撃する国々は、略奪するために出てくるのですから、その時点では、経済が逼迫している可能性が大きいです。余談になりますが、現在、これらの国々は経済が悪化して、失業者が増大しつつあります。アメリカの経済制裁が効いてきているのです。一方、イスラエル国はとても豊かになってきています。それ故、エゼキエル38章の預言の成就の時はそう遠くはないと考えられています。

 2節には「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」とあります。
この預言は、獣(反キリスト)と関係しているかもしれません。反キリストは、キリストの地上再臨の三年半前に、これからエルサレムに建てられるユダヤ教の第三神殿を汚し(ダニエル927、マタイ2415)、自分に従わない者たちを容赦しないという政策をとります。
「すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる」とありますが、「すべての国々が集まって来る」という預言に該当する黙示録の箇所はハルマゲドンの箇所です。
黙示録16章には「12 第六の御使いが鉢の中身を大河ユーフラテスに注いだ。すると、その水は涸れてしまい、日の昇る方から来る王たちの道を備えることになった。13 また、私は竜の口と獣の口、また偽預言者の口から、蛙のような三つの汚れた霊が出て来るのを見た。14 これらは、しるしを行う悪霊どもの霊であり、全世界の王たちのところに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである。15 ──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──16 こうして汚れた霊どもは、ヘブル語でハルマゲドン〔メギドの丘に(筆者挿入)〕と呼ばれる場所に王たちを集めた。」(新改訳2017)と記されています。
メギドの丘に集結した軍隊は、その後、エルサレムに攻め上るのです。
エルサレムが攻撃される時、そこにいるユダヤの民は悲惨です。悲惨さは、ゼカリヤ142に記されている通りです。
その悲惨さについて、主イエス様は「21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」(マタイ24章・新改訳2017)と語られました。

 ゼカリヤ14:2の最後の部分に「しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」ありますから、主の守りによって、捕囚にもならず、残される民がいるのです。

 そして、このままではもう駄目だ、と思えるような時に、主イエス様の地上への再臨があるのです。
ゼカリヤ143には「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。」とあります。
これはイエス様の地上再臨のことですが、これが実行される前に、天では花婿キリストと花嫁教会(キリスト者の総体)の結婚式がもたれるのです。
黙示録19章に「11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は『神のことば』と呼ばれた。14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。16 その着物にも、ももにも、『王の王、主の主』という名が書かれていた。」(新改訳第三版)と記されています。

またダニエル121には「1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民〔ダニエルの民即ちヤコブの子孫(筆者挿入)〕で、あの書〔いのちの書(筆者挿入)〕に記されている者はみな救われる〔ローマ1126参照(筆者挿入)〕。」(新改訳2017)とも記されています。
ダニエルが遣わされる時は、イエス様が地上に再臨される三年半前の時であろうと思います。
主の空中再臨を待ち望んでいる新生したキリスト者はこの時には既に霊のからだを与えられて天にいます。

<お祈り>
天のお父様。
エゼキエル38章の預言の成就が近づいてきているように思えます。
願わくは、私たちが、あなたに、救ってくださいと祈っているリストの人々を、恵みの時代が閉じられる前にお救いくださいますようお願いします。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2019年8月20日 (火)

ゼカリヤ13:7-9 イエス様の時代と終末に起こる預言

ゼカリヤ137-9には、
7 剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。8 全地はこうなる──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の神』と言う。」”(新改訳2017)とあります。

 7節には「剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。」とあります。
 マタイは、イエス様がこの箇所を引用して使徒たちに語られた内容を、マタイ2631.32に、“31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。32 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」”(新改訳2017)と記しています。

 8節には「全地はこうなる──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。」とあります。
「全地」と訳された語の原語は「べコル ハアレツ」で、その土地のすべての中で、の意ですから、イスラエルの地において、ということになります。
 パウロはローマ11章に「26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。『救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。27 これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である』と書いてあるとおりです。」(新改訳2017)と記しました。
パウロは「イスラエルはみな救われる」と書きましたが、現代イスラエルに住んでいるイスラエル人達は、すべてがヤコブの血筋の者たちというわけではありません。パウロが書いている「イスラエル」は「ヤコブ」のことです。ゼカリヤ138の預言からすると、キリストの地上再臨の時には、現在のイスラエルの地にヤコブの血筋の者たちは三分の一しかいないのだろうと私は思います。恵みと嘆願の霊が注がれて悔い改める(ゼカリヤ1210)のはその三分の一の人たちであろうと思います。また、ダニエル121より、この人たちは「あの書」即ち「いのちの書」に名が記されているのだろうと思います。
ダニエル121には「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。」(新改訳2017)と記されています。

 救われる人達は、大患難を通して練られ、整えられるのです。
9
節には「わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の神』と言う。」と記されています。
9
節の「ヤハウェ」はキリスト・イエス様を指していると思います(ゼカリヤ12:10)。
イエス様は、この人たちが滅ぼされる前に地上再臨されるのです。
マタイ2421.22には「21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」(新改訳2017)と記されています。
ゼカリヤ138.9の「三分の一」の人たちとは、マタイ2422の「選ばれた者たち」のことでしょう。
 余談になりますが、キリストの花嫁であるキリスト者は、この三分の一の人たちが練られている時には「天」にいるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは預言者を通して語られたことを、あなたの定めの時に実行に移し、実現されていかれるお方ですから、御名を賛美します。
天においても、地においても、地の下においても、あなたがほめたたえられる時が来ることを待ち望んでいます。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2019年8月19日 (月)

ゼカリヤ13:1-6 偶像は地から消え、それに仕える者もいなくなるという預言

ゼカリヤ131-6には、
1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。2 その日──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。3 なお預言する者があれば、その人を生んだ父と母が彼に向かって言う。『あなたは生きていてはならない。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名を使って嘘を告げたから。』彼が預言しているときに、彼を生んだ父と母が彼を突き刺す。4 その日、預言者たちはみな、自分が預言する幻を恥じる。彼らはもはや人を欺くための毛衣を着なくなる。5 また彼は、『私は預言者ではない。私は土地を耕す者だ。若いときに人が私を買い取った』と言う。6 だれかが『あなたの両腕の間にある、この打ち傷は何か』と聞くなら、彼は『私の愛人たちの家で打たれたものだ』と言う。”(新改訳2017

 1節には「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。」とあります。
「罪と汚れをきよめる一つの泉」とありますが、実際の「泉」が開かれるのか、或いは、イエス様の脇腹から流れた血と水(ヨハネ1934.37)を指して、それを「罪と汚れをきよめる一つの泉」と言っているのか、私にはよく分かりません。ゼカリヤ1210には「・・彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て・・」とありましたから、ユダや人達は、再臨の主イエス様を見たとき、自分たちは何ということをしてしまったのだろう、と嘆き悔い改めたであろうと思いますが、主の恵みによって、主の脇腹から流れ出た主イエス様の血潮こそが、「罪と汚れをきよめる」(ヘブル922)本体であった(コロサイ217)のだという悟りを、主から与えられる、ということなのかもしれません。ユダヤ人たちにとっても、イエス様の血潮は必要であったからです(1ヨハネ22)。

2
節には「その日──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。」とあります。
主が地上に再臨されると、その後、全世界は、キリストが統治するキリストの王国となります。「御国がきますように」と祈ってきたことが実現するのです。これが千年続くのです(黙示録204)。
余談になりますが、その後は主なる神様が、新しい天と新しい地を創造するのです(イザヤ65:17、黙示録21:1)。
 キリストの地上再臨後、主イエス様は王の王、主の主として、イスラエルの地だけではなく全世界を治めますから、現在の日本の国土も含まれます。ですから現在の日本の国土から一切の偶像が排除される時が来るのです。ハレルヤ!
 また、まことの神様以外に仕える者は一掃されるということが2-6節より分かります。偽りの予言者と偶像の霊は一掃されるのです。なんと嬉しいことでしょうか。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様が全世界を統治なさる時を待ちわびています。
御心が天で行われているように、地でも行われますように。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2019年8月18日 (日)

ゼカリヤ12:10-14 ヤコブの子孫の上に恵みと嘆願の霊が注がれ、悔い改めが与えられる預言

ゼカリヤ1210-14には、
10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし〔主イエス・キリスト(筆者挿入)〕を仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。”(新改訳2017)とあります。

 ゼカリヤ121の冒頭は「宣告。イスラエルについてのヤハウェのことば。」で始まり、それが13章の終わりまで続きます。
そのようなわけで、今日の聖書箇所の「わたしは」(10)の「わたし」は「ヤハウェ」です。
「ヤハウェ」とはまことの神の名で、「自存するお方」即ち、他者に拠らないで存在し続けるお方の意です{(参考)出エジプト37-14}。まことの神様以外はすべて被造物(つくられたもの)です(コロサイ116)。
そして、10節では「ヤハウェ」が「イエス・キリスト」となっているのです。
10
節の前の8.9節には「8 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いのようになる。9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。」(新改訳2017)とありました。このことを執行するのは主キリスト・イエス様であることを昨日アップしたブログに記しました。
エルサレムにいる者たち、イスラエルにいる者たちは、イエス(イエシュア)がキリスト(メシア)であることを知ったのです。
現在でもほとんどのユダヤ人たちは、イエスがメシアであることを否定しています。
現イスラエル国の中では、わずかばかりのユダヤ人たちだけが、主イエス様を信じて救いに与っているという状態です(メシアニックジュー)。
しかし、キリストの地上再臨に伴う出来事の時には、ヤコブの子孫たちは今日の箇所にあるように、恵みと嘆願の霊が注がれて悔い改め、その人たちは皆救われるのです。
パウロはローマ人への手紙11章で、「25 兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。『救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。27 これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である』と書いてあるとおりです。」(新改訳2017)と述べています。
 12節には「この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。」とあるように、ヤコブの子孫たちは、一人一人が悔い改めるのです。これで十分かと思うのですが、主は優しいお方ですから、人の名も上げています。①ダビデ家の氏族、②ナタンの家の氏族、③レビの家の氏族、④シムイの氏族、⑤残りのすべての氏族、という具合です。
①は、王家の氏族であっても、②は、先祖が預言者であった氏族であっても、③は、主に仕えるために取り分けられた氏族であっても、主の救いに与るのに特別な待遇はなく、皆、一人一人悔い改める必要があったのです。④は、悪人シムイ(2サムエル165-81列王記28.936-46)を祖先に持つ人々であったとしても、一人一人が悔い改めれば救われるということを主は言いたかったのだと思います(エレミヤ3129.30)。⑤は、恵みと嘆願の霊は全てのヤコブのすえに注がれ、一人一人が悔い改めて救われるということを預言しています。

 11節には「その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモン〔ハダド・リモン(新共同訳)〕のための嘆きのように大きくなる。」とあります。
「ハダド・リンモン」について、岩波訳の注は「ハダドはバアルベックなどで拝まれていた神。リンモンは『吼えたける者』という意味のアッカド語に遡れるとされ、ダマスコで崇拝されていた。ハダドとリンモンが同一視され、二つの名前が合体した呼称となり、アラム人の神として恐らくメギド付近に聖所があったと思われる。」と述べ、
新共同訳スタディー版の注には、ハダド・リモンについて「アラムの雷神ハダドとダマスコの神リモンが習合されたものとされる(2列王記518)。乾季の始まりにこの神は死ぬが、人々の嘆きによって死んだ神は再びよみがえるとされる(エゼキエル814参照)。」とあります。

 かつては愚かにも、偶像の神のよみがえりのために泣いていたが、キリストの再臨後は、まことの神のみ前で、涙をもって心底悔い改めの祈りをささげているという情景の預言が、この箇所でしょう。
恵みと嘆願の霊が注がれた人は、悔い改めて救われるのです。
エペソ28には「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。」(口語訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちをも恵みによって救いに与らせて頂けましたことを感謝します。
主の栄光のために整えて歩ませてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2019年8月17日 (土)

ゼカリヤ12:8.9 キリストの地上再臨の三年半前からハルマゲドンの少し後迄

ゼカリヤ128.9には、
8 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いのようになる。9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。”(新改訳2017)とあります。

8
aには「その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民をかくまう。」とあります。
これはイエス様が、「15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っている〔ダニエル927(筆者挿入)〕のを見たら──読者はよく理解せよ──16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(マタイ24章・新改訳2017)と語られた時のことです。

 ユダヤ人聖徒たちは、ユダの地からボツラ(ペトラ)へ逃げるのです。逃げるユダヤ人聖徒を反キリストの軍勢は追いかけますが、主が守られるのです。 
黙示録には「13 竜〔サタン(筆者挿入)〕は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女〔イスラエル(筆者挿入)〕を追いかけた。14 しかし、女〔イスラエル(筆者挿入)〕には大きな鷲の翼が二つ〔「極めて速やかに移動できる何か」の意でしょう(筆者挿入)〕与えられた。荒野〔聖書では「ボツラ」現在は「ペトラ」と言われている荒野(筆者挿入)〕にある自分の場所に飛んで行って〔速やかに行って(筆者挿入)〕、そこで一時と二時と半時〔キリストの地上再臨の前の三年半(筆者挿入)〕の間、蛇〔蛇は「サタン」であり、見えるところでは「反キリストの軍勢」(筆者挿入)〕の前から逃れて養われるためであった〔主はイスラエルの聖徒をボツラで養う(筆者挿入)〕。15 すると〔逃避行の最中(筆者挿入)〕蛇〔蛇は「サタン」であり、見えるところでは「反キリスト」(筆者挿入)〕はその口から〔軍に命令して(筆者挿入)〕、女〔イスラエルの聖徒(筆者挿入)〕のうしろへ水を川のように吐き出し〔軍隊を派遣し(筆者挿入)〕、彼女〔イスラエル(筆者挿入)〕を大水〔大勢の兵士(筆者挿入)〕で押し流そう〔殺そう(筆者挿入)〕とした。16 しかし、地は女〔イスラエル(筆者挿入)〕を助け、その口を開けて〔大地が割れて(筆者挿入)〕、竜が口から吐き出した川を飲み干した〔反キリストの軍勢は裂けた大地に飲み込まれた(筆者挿入)〕。」(黙示録12章・新改訳2017)と記されています。
 以前主は、主の敵に対し、このような裁きをコラとその仲間たちに対して、執行されたことがあります(民数記1620-34)。
民数記1631.32には「31 モーセがこれらのことばをみな言い終えるやいなや、彼らの足もとの地面が割れた。32 地は口を開けて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての所有物を呑み込んだ。」(新改訳2017)と記されています。

 ボツラに逃げた聖徒たちを、敵の軍勢はなおも攻撃しようとしたのであろうと思います。その敵を打ち破ったのは主キリスト・イエス様でした。
イザヤ631-6には、
1 「エドムから来るこの方はだれだろう。ボツラから深紅の衣を着て来る方は。その装いには威光があり、大いなる力をもって進んで来る。」「わたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者。」2 「なぜ、あなたの装いは赤く、衣はぶどう踏みをする者のようなのですか。」3 「わたし〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕はひとりでぶどう踏みをした。諸国の民のうちで、事をともにする者はだれもいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。彼らの血の滴りはわたしの衣にはねかかり、わたしの装いをすっかり汚してしまった。4 復讐の日がわたしの心のうちにあり、わたしの贖いの年が来たからだ。5 見回しても、助ける者はだれもなく、支える者がだれもいないことに啞然とした。それで、わたしの腕がわたしの救いとなり、わたしの憤り、それがわたしの支えとなった。6 わたしは怒って諸国の民を踏みつけ、わたしの憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血の滴りを地に流れさせた。」”(新改訳2017)と記されていますから。
敵を滅ぼし、イスラエルの聖徒を救ったのは主キリスト・イエス様でした。黙示録1913には「その方は血に染まった衣をまとい、その名は『神のことば』と呼ばれていた。」(新改訳2017)とありますように。

 ゼカリヤ129には「その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。」とあります。
このことの始まりは、見えるところでは、世界の軍隊がメギドの丘(ハルマゲドン)に集まることから始まります。
黙示録1612-16には、
12 第六の御使いが鉢の中身を大河ユーフラテスに注いだ。すると、その水は涸れてしまい、日の昇る方から来る王たちの道を備えることになった。13 また、私は竜の口と獣の口、また偽預言者の口から、蛙のような三つの汚れた霊が出て来るのを見た。14 これらは、しるしを行う悪霊どもの霊であり、全世界の王たちのところに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである。15 ──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──16 こうして汚れた霊どもは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所〔メギドの丘(筆者挿入)〕に王たちを集めた。”(新改訳2017)と記されています。
 それから、主に敵対する国々の軍隊はエルサレムを攻撃しに行くのです。
それに対して、ゼカリヤ129に「その日、わたし〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕はエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。」とあるように、主が天から降って来られるのです。

黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」〔忠実また真実(新改訳第三版)〕と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧する〔黙示録125(筆者挿入)〕のは、この方である〔キリストの千年王国の王はキリストであり義をもって統治する(筆者挿入)〕。また、全能者なる神〔父なる神(筆者挿入)〕の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」〔マタイ2428(筆者挿入)〕19 また私は、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方〔キリスト・イエス様(筆者挿入)〕とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。”(新改訳2017)と記されています。
 この世の最終戦争は、主キリスト・イエス様に敵対する軍勢(サタンに従う反キリスト及びその配下の世界の軍勢)と主キリスト・イエス様及び、主に従う天の軍勢の戦いになります。
勿論、主が圧倒的な勝利を治め、キリストの千年王国へと移行していくのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたは将来起こることを予め教えてくださっておられますから御名を崇めて感謝します。
御名が聖とされますように。
イエス様の王国が地にもたらされますように。
その前に花婿イエス様と新生したキリスト者の総体である花嫁である教会との結婚式と披露宴が天でもたれますからありがとうございます。
結婚式をあげるために、主イエス様は、空中再臨で、花嫁であるキリスト者を迎えに来てくださり、キリスト者に霊のからだを与えてくださり、携え挙げてくださいますから、ありがとうございます。
主イエス様の御迎えを待ち望みつつ、御霊の助けと導きを頂きながら今日も歩ませてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2019年8月16日 (金)

ゼカリヤ12:4-9 イスラエルにおける数次の中東戦争とこれから後の戦争の預言

ゼカリヤ124-9には、
4 その日──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。5 ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕によって私の力となる。』6 その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。8 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いのようになる。9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。”(新改訳2017)とあります。

 この箇所の情景は読むだけで理解できる箇所であると思いますが、参考のためにリビングバイブル訳も次に記します。
4 その日、わたしはエルサレムに迫る敵軍をうろたえさせ、物笑いの種にする。わたしはユダの国民を見守り、すべての敵を盲目にするからだ。5 それでユダ部族の者は、心の中で『エルサレムの住民は、彼らの力が、彼らの神、天の軍勢の主のうちにあることを知ったのだ』と言うであろう。6 その日、わたしはユダ部族の者を、森をも焼き払う小さな炎、わらの束を燃やすマッチのようにする。彼らは、右も左も、回りのすべての国々を焼き尽くすが、エルサレムだけはそのまま残る。7 神様はエルサレムより先に、ユダに残されていた者に勝利をお与えになる。それは、エルサレムの住民とダビデ王の子孫が、その成功を鼻にかけることがないためだ。8 神様はエルサレムの住民をお守りになる。その中でいちばん弱い者も、ダビデ王のように強くなる。ダビデ王の子孫は、神様のようになり、彼らの前を行く御使いのようになる。9 わたしが、エルサレムに敵対する国を、ことごとく滅ぼすことにしたからだ。”(リビングバイブル)とあります。

 イスラエルは1948年に独立宣言をするや否や、周辺諸国から攻撃を受けました。現在まで4回の中東戦争をイスラエルは経験しています。1948年のイスラエルの独立後のイスラエルの強さを見ると、少し前の第二次世界大戦の時のイスラエル人の弱さを考えられないほどです。イスラエルに攻撃を仕掛ける国に対してはゼカリヤ12:4に「わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。・・もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。 」とあるように、またイスラエル人たちに対してはゼカリヤ12:6.8に「その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。・・。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり・・と記されているように、主がイスラエル人を強力にしたのだろうと思います。
これまでの戦争は、周辺諸国とのものでした。

詩篇83篇には、
1 神よ沈黙していないでください。黙っていないでください。神よ黙り続けないでください。2 ご覧ください。あなたの敵が騒ぎ立ちあなたを憎む者どもが頭をもたげています。3 彼らはあなたの民に対して悪賢いはかりごとをめぐらしあなたにかくまわれている者たちに悪を企んでいます。4 彼らは言っています。「さあ彼らの国を消し去ってイスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」5 彼らは心を一つにして悪を企みあなたに逆らって盟約を結んでいます。6 エドムの天幕の民とイシュマエル人モアブとハガル人7 ゲバルとアンモンそれにアマレクペリシテさらにはツロの住民。8 アッシリアも彼らにくみし彼らはロトの子らの腕となりました。セラ  9 どうか彼らをミディアンやキション川でのシセラとヤビンのようにしてください。10 エン・ドルで滅ぼし尽くされ土地の肥やしとなった者たちのように。11 彼らの貴族たちをオレブとゼエブのようにし彼らの君主たちをみなゼバフとツァルムナのようにしてください。12 彼らは言っています。「神の牧場を奪ってわれわれのものとしよう。」13 私の神よ彼らを風の前に吹き転がされる藁のようにしてください。14 林を燃やす火のように山々を焼き尽くす炎のように15 そのようにあなたの疾風で彼らを追いあなたの嵐で恐れおののかせてください。16  彼らの顔を恥で満たしてください。主よ彼らが御名を捜し回りますように。17 彼らがいつまでも恥を見て恐れおののきますように。辱めを受けて滅びますように。18 こうして彼らが知りますように。その名が主であるあなただけが全地の上におられるいと高き方であることを。”(新改訳2017)と預言されていました。

 詩篇:6-8の民族名は古代のものですが、現代の国々にあてはめると、イスラエルの周辺諸国に該当します。
イスラエルは中東戦争を主の助けによって、勝利してきました。もはや、これらの諸国は現在、あまりイスラエルと戦おうとはしていません。それどこか、ヨルダンやエジプトはイスラエルと平和条約を結んでいますし、現時点では、サウジアラビアもイスラエルと良好な関係をつくりつつあります。

 イスラエルの次の戦いは、エゼキエル38章に記されている諸国とのものでしょう。
エゼキエル38章に記されているイスラエルに攻め込む敵国は、現代名で言うと、ロシア、イラン、トルコ、リビア、スーダン、その他になります(エゼキエル382-6)。
これらの国々は、イスラエルの富を求めて戦争をしかけてくるのです(エゼキエル3813)。
ロシア、イラン、トルコは、イスラエルの北の隣国シリアに、すでに軍事拠点を持っています。リビアやスーダンにはロシアの軍事顧問が入っています。トルコもリビアやスーダンに関与しているようです。
この戦争では、イスラエルを助けてくれる地上の国はありませんが、万軍の主が参戦されるのです。そして、主こそ聖なる神であるということを、主はイスラエルにわからせようとし、主こそ聖なる神であることをイスラエルは知るのです。
 エゼキエル3818-23には、「16 おまえ〔イスラエルの敵の連合軍(筆者挿入)〕はわたしの民イスラエルを攻めに上り、地をおおう雲のようになる。終わりの日に、そのことは起こる。ゴグよ、わたしはおまえに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがおまえを使って、国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らがわたしを知るためだ。17 神である主〔「アドナイ・ヤハウェ」=わが主ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言う。おまえは、わたしが昔、わたしのしもべであるイスラエルの預言者たちを通して語った、まさにその者ではないか。この預言者たちは長年にわたり、わたしがおまえに彼らを攻めさせると預言していたのだ。』18 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしの憤りは激しく燃え上がる。19 わたしは、ねたみをもって〔熱情と(新共同訳)〕、激しい怒りの火をもって告げる。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。20 海の魚、空の鳥、野の獣、地面を這うすべてのもの、地上のすべての人間は、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、崖は落ち、すべての城壁は地に倒れる。21 わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば〔ヤハウェである(わが)主のことば(筆者挿入)〕──。剣による同士討ちが起こる。22 わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼とともにいる多くの国々の民の上に豪雨、雹、火、硫黄を降らせる。23 わたしは、わたしが大いなる者であること、わたしが聖であることを示し、多くの国々の見ている前でわたしを知らせる。そのとき彼らは、わたしが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であることを知る。」(新改訳2017)と預言されています。
 この戦いによってロシア、イラン、トルコは没落します。アメリカがイスラエルを助けること、または援助することをしませんから、この戦いは携挙の後であるか、アメリカの民主党が政権を取っている時の可能性があります。アメリカからキリスト者が携挙されると共和党は力を失います。そのようになると、ヨーロッパと、中国が世界に台頭してくるでしょうが、聖書によると反キリストは、かつてのローマ帝国の流れから起きてくるので、いよいよ黙示録6章以降が始まっていくのでしょう。黙示録の中の「教会」という語は、黙示録1-3章と黙示録2216にしか出てこないのです。

 ゼカリヤ12:8の「その日、主はエルサレムの住民をかくまう。・・」というのは、反キリストがユダヤの第三神殿に立ち、自分こそ神であるとし、反キリスト{獣(黙示録13:1-7)}がユダヤの聖徒を殺しにかかるという、キリストの地上再臨前、約1260日前から後のことの預言ではないかと思います。ゼカリヤ12:8.9の箇所は明日分に記します。

<お祈り>
天のお父様。
あなたのみ旨は着々と進んでいくことを覚えます。
御名が崇められますように。
御国がきますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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